能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2022年1月11日火曜日

映画『ラブ・ハード/Love Hard』(2021):アジアの男よ自信を持て!





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『Love Hard (2021)/米/カラー
/1h 44min/監督:Hernan Jimenez』
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去年のクリスマスの頃に見た映画。ロマンティック・コメディです。かわいかった。いい映画です。これもNetflixオリジナル。


若い人向けのロムコムになぜ興味をもったのか? 男の子がアジア人だったからです。アジア人の小柄な男の子+南寄りの欧州系ミックス(かな?)の女の子…の二人のストーリーらしいのでいったいどんな話だろうと興味を持った。

すごくいい話だった。ほっこり心温まるクリスマス映画。結構おかしい笑。


ロサンゼルス在住の女の子ナタリー。ランダムにデートアプリで出会った人とデートし、その失敗ストーリーをレポートするライター。今回見つけた相手はニューヨーク州の北レイク・プラシッドの男の子ジョシュ・リン君。何度か電話で話してみたらイイ感じなので、ナタリーはクリスマス・ホリデーにジョシュ君をアポ無しで訪ねて行く事にする。



★ネタバレ注意


…アポ無しで会いにいったら、アプリ上のプロフィール写真のジョシュ君は違う人だった。ジョシュ君は小柄で肌の綺麗なつるんとした男の子。しかし彼が載せたプロフィールの写真は面長+髭面+アゴがでかい…いかにもモテそうなオトコクサイ・アジアンミックスの若者=友人タグ君の写真。ジョッシュ君はルックスのいい友人の写真を載せていたのですね。泣  (←こういうオンラインのデートサイトでなりすましに騙されることをbe catfishedと言うらしい)

それでもかわいいの。このジョシュ君が。かわいい~。それにいい人。いい子。優しい。繊細な心。頭もいい。頼りになる。…私の年齢から見ればすごくいい男の子…と娘にもおすすめ。かわいい息子だ。


しかしね、場所はアメリカ。アメリカの女の子達はみんな「いい男のステレオタイプ」をメディアに刷り込まれてるのですよね。「いい男のステレオタイプ」とは…

大柄。肩幅が広い。腕が太い。筋肉質。背が高い。足が長い。顔は面長か四角。アゴががっしり。大きな口。鼻はまっすぐ。髭が濃い…剃っても青い/伸ばせば熊。眉毛が太い。ほりが深い。表情豊かな温かい眼差し。睫がバシバシ。全身毛深い。ワイルドワイルドワイルド………ってこれ全部白人寄りのルックスだわ。

確かに…ジョシュ君が使った友人タグ君の写真は、アジアンミックスとは言ってもそのようなワイルドなパーツが多いお顔。モテるオトコクサイ系。…ナタリーさんもそのルックスに惹かれたのですね。 そうか…

そしてジョシュ君ご本人も、自分のルックスの世の中での立ち位置というのがよくわかっているのですよね。だからも~~~家族写真までひかえめに…泣…涙なしには語れない……抱き締めてきっと大丈夫、大丈夫やでと言ってあげたい。


ナタリーももちろんジョシュ君を見てびっくりする。しかしはるばる西海岸から東北の果てにやってきたのだからなんとかしたい。というわけでジョシュ君に協力してもらってなんとかプロフィール写真の本人タグと仲良くなろうと試みる。

まぁそんなわけで二人はナタリーとタグを結びつけるために長い間時間を一緒に過ごすうちに…という話なのですが。

いい話だった。ラブリー


だってあのロッククライミングでナタリーが降りれなくなった時、助けてくれたジョシュ君はかっこよかったよね。そうなのよ。いろいろと彼の事を知れば知るほどステキに見えてくる。ナタリーのアドバイスで自信を持ち始めるジョシュ君もいい。すごくいい。そうよそうよ。ステキやんジョシュ君。

というわけでいい話でした。ちょっと泣いた笑。クリスマスのハート・ウォーミングなお話でした。ジョシュ君の家族も温かい。いいね。

人を好きになったら正直に。誠実に。



昔、10月頃にドライブ旅行でレイク・プラシッドに一度行った事がある。あそこは寒いぞ。冬は。小さな町ですが昔1980年に冬季オリンピックをやったらしい。スキーのジャンプ台があった。ローカルの体育館に行ったら地元の高校生がアイスホッケーの練習をしてた。空気が澄んで綺麗だった。


ところで小柄なアジア系の男性と白人女性のカップル。実はこの南の島では珍しくないのです。結構見かける。街でも普通に出会います。人種も民族もルックスもそれぞれ違う色んなカップルがいる。知り合いにもアジア系の男性と結婚している(または結婚していた)白人女性が数名いる。いろいろと混ざって平和。いいところ。



2022年1月10日月曜日

映画『ロスト・ドーター/The Lost Daughter』(2021):女であり母であり/悦びと後悔と





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『The Lost Daughter (2021)/ギリシャ・英・イスラエル・米/カラー
/2h 1min/監督:Maggie Gyllenhaal』
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数日前に見た映画。これもNetflixのおすすめに出てきて良さそうなので見た。これも賞取りシーズンでノミネートされている良作らしいし、中年女性の話ならなお良し。


中年女性レダが主人公。彼女はギリシャの海辺の町にホリデーでやってきた。イギリス人だが、現在は米国のハーバード大で文学の教授をやっている。48歳。一人旅。ビーチで出会った家族…若い母親ニナとその娘の様子が、過去のレダと彼女の娘二人を思い起こさせる。


中年女性がたった一人、ギリシャのビーチでホリデー。彼女は不機嫌で気難しそうだ。彼女がビーチで和んでいると騒がしい家族がやってきた。彼女はその家族を観察し始める。特に美しい母親と小さな娘に興味を持ったらしい。

映画の最初の20分ほどの彼女の様子を見て、これは女版『ベニスに死す』だろうかと思った。美しい母と娘を見て、中年の女が一人…海辺で哲学をするのかと思った。しかしそのような話ではなかった。

この映画は女の映画でした。

女性の作家(Elena Ferrante)の小説を
女性の監督(Maggie Gyllenhaal)が映画化

女性が女性を描く映画。

女とは…母であることと女であることの間で揺れ動く。



ネタバレ注意



ギリシャの海辺に休暇にやってきた中年女性レダが過去を思い出す。レダの若い頃のあやまち。レダは過去に不倫をして娘二人と夫を3年間捨てた。彼女に一生付き纏う後悔。


これは母親の恋の話。母親の不倫は罪…だと世間は言う。それは母親本人が一番わかっているはず。それならなぜ彼女達は母親でいながら恋に落ちるのか? いや母親であることと恋は関係ないのか?

母であること、女であることに引き裂かれる女性。


レダのストーリー

彼女は若くして結婚し子供を持った。子供はかわいい。しかし子供はぐずる。子供は四六時中母親に欲求し続ける。泣き叫ぶ。子供の欲求が満たされることは無い。子供は母親に「休憩」をくれない。それは永遠に続くようにも思える。母は子供の欲求に振り回される。

レダは優秀な女性。勤勉で常に上を目指し努力を続けてきた。自分を磨いて学んでもっともっと上に上る。彼女は博士号を取って教授になるぐらいの女性だ。レダには常に夢と野心があった。その彼女が今、一日中止むことの無い子供の欲求に時間を取られ続けている。

結婚して子供を持つのが早すぎた。

そんな時、大学にスター教授ハーディがやってきた。文学の世界では有名な教授だそうだ。彼女にとって彼は、ロックスターやスポーツのスター選手が身近にやってきたようなもの。そしてハーディーは彼女に個人的な興味を示してくれた。

ハーティはレダに「君の名前。レダとはprovocative(扇情的)な名前だね(=エロい名前だねと同じ意味)」などと言って誘惑する。

……レダはギリシャ神話の女性。全知全能の神ゼウスは美しいレダに惹かれた。ゼウスは自らを白鳥の姿を変えレダの元に舞い降り彼女と交わる……

そのハーディの誘いに若いレダも反応する。彼女はその頃、英国の詩人イェイツの作品『レダと白鳥』をイタリア語に翻訳していた。二人はインテリ同士の言葉で誘い誘われ酒に酔い、結局レダはその教授と関係を持つ。

まさかあの髭面の教授ハーディが白鳥だとは思えないが、それでも、それまで様々な理由で煮詰まっていたレダにとってハーディは白鳥のようにも見えたのかもしれない。全能の神ゼウスにさえ見えたのかも。大きな力のある魅力的な男がやってきて愛を囁いてくれた。


その場面。女として正直な気持ちを言うならあの場面のレダの気持ちは苦しいほどわかる。もちろん彼女は家族を裏切っている。しかし彼女の気持ちはわかる。彼女が頬を紅潮させ興奮するその気持ちの高ぶりはよくわかる。


ぐずる子供が原因ではない。子供がいるのにたまたま外の男性に惹かれた。誘われた。好きになった。そんなつもりはなかったのに。そして彼女は家を出る。子供を夫の元に残し家を出る。そして教授と3年間暮らした。

子供はかわいい。かけがえの無い宝物。家族を去るのは苦しい。決断力を要する。しかしレダは情熱に負けてしまう。そしてその後その事を一生後悔し続ける。

情熱は止められなかった。あやまちを犯す。3年間の夢。娘達に対して一生続く後悔。それでもいい。彼女の恋は止められなかった。


それにしてもレダは酷い女性なのですよね。子供にも夫にもひどい。許されるものではない。しかし彼女は自分を止められなかった。女性はず~っと我慢してある時ぱっと思い切ってしまう。そうしたら彼女を止めることはもうできない。そしてそんな「自分を止められない経験を持った女性」は、きっと結局は女である自分として後悔はしていない。周り中の皆を傷つけて全員に「こめんなさい」を言い続ける一生だったとしても、きっと女としての彼女自身はそのことを後悔していない。


昨今日本ではメディアやSNSで不倫をした者を糾弾する風潮があるようだ。不倫は罪。もちろんそうだ。しかし人にはそれぞれのストーリーがある。

人間は正しく生きるべき。それはまっとうな考え方だ。しかし人は「正しくあること」を指針に/人生の目標にして生きるべきではないのかもしれないとも思う。「正しいことの定義」は時代によって変化する。

しかし人の愛や情熱や喜びはどんな時代であっても変わらないものだ。

人が「正しいことの定義」のみに従って生きるのはむしろ問題だと思う。人間とは不完全なもの。不正確なもの。あやまちも犯す。しかしどんな時代にも、人間はそのあやまちを芸術として昇華してきた。人の人生にはエラーが起こる。バグもある。そんな人間のエラーやバグは、いつの時代にも文学や芸術の糧になってきた。



旦那Aがこの映画の最後に聞いてきた。

「若い母親ニナは、若い頃のレダと同じ間違いを犯そうとしている。レダはなぜニナを止めないのか?なぜ説得しないのか?」 実は正直私も同じ事を思った。しかし男の旦那Aが知りたがったから女の私はこう答えた。

「女にとって婚外の関係は、崖からジャンプするのと同じ。ものすごいリスクを背負う。それでもジャンプしてしまうのは、その瞬間、彼女達が無上の喜びを感じられるからだろう。気持ちの異様な高まり、興奮。熱情。それほどの喜びを感じることは他にないのかも。その喜びは何ものにも変え難いから。

レダが、若い母ニナを説得も止めることもしないのは、その喜びを彼女が一度経験して知っているからだろう。皆を不幸にしようがどうなろうが、情熱に駆られる女を止める事ができないのは、レダが自らの経験から知っている。

どうせ家は借りた誰かのアパート。鍵を渡せばレダに責任は無い。ニナはニナのやり方で勝手にやればいい。女は皆それぞれだから」



いろいろと書きましたけれど…情が薄く堅物な私が想像で書いている。女成分の強い女性とはそのようなものなんだろうね…と憧れとともに眺めたりする。

この…女が描く女の映画の主旨はそのようなものなのだろうと思うけれど、それにしてもサスペンス風味で、時々理解できないシーンがあったのは戸惑った。

松ぼっくりは木から落ちてきたのか?それとも誰かが投げたのか?
レダはなぜ人形を盗んだのか?盗んだシーンが無いから、私は誰かが彼女のバッグに人形を勝手に入れたのだろうと思っていた。
それにレダはなぜ人形を家族に返さなかったのだろう?
そして最後のシーン。レダが刺された後で何時間も過ぎた朝、海水に漬かった状態のまま目を覚まし、彼女はまだ生きていて、その上で娘と電話で話している。あの最後のエンディングが全くわからなかった。もしかしたらレダは刺された傷で瀕死の状態で幻覚を見ているのではないかと思った。


女とはなんだろう…と色々と考えさせられた。私はレダのような経験をしたことはない。それでも彼女のような女性を非難することはできない。人間のエラーは浪漫でもあると思いたい。子供がいないからそういうことを考えるのだろうと思う。


監督はインテリ・セクシー女優(そんな印象)のマギー・ジレンホールさん。女成分の強そうな女優さん。彼女にはすごく女哲学がありそうだ。初監督だそうです。脚本も担当。すごいね。

女優さん達も素晴らしい。うまい方々。

2時間の長い映画なのに中だるみもなく惹き付けられた。
やっぱり女を描く映画は面白い。




2022年1月9日日曜日

映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ/The Power of the Dog』(2021): 怒りの鎧を纏う男





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『The Power of the Dog (2021)/英・加・豪・新/カラー
/2h 6min/監督:Jane Campion』
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既に巷で話題になっている映画。先週Netflixで鑑賞。
原作の小説は読んでいない。


冬の賞取りシーズンで目立つところに出てくるであろう作品。様々な賞にノミネートされ、おそらく主演のカンバーバッチ氏は何かの賞を受け取ることになるのだろうと予想される。…と思ったら、今日ゴールデン・グローブ賞で作品賞を取ったらしい。

アメリカのインディーズ作品かと思ったら、ニュージーランドの女性監督Jane Campion氏の作品。ああ、それでアメリカ西部の話の主人公を英国人のカンバーバッチ氏が演じているのかと思う。それならアメリカ風味とは少し趣が違うのだろう。

ほぼ前知識の無い状態で見る。あらかじめ目にしたタグはLGBTQモノ?の印象。カンバーバッチが西部劇?…そんな程度の情報。ただ名作らしいと聞いたので見ようと思った。


★1925年のモンタナ州の大牧場。経営者はフィルジョージのバーバンク兄弟。フィルは荒野の荒くれ者カウボーイ。弟のジョージは穏やか。ジョージが食事処の女将ローズと結婚。ローズには医者を目指す繊細な息子ピーターがいる。



★ネタバレ注意

すぐにネタバレの話をするので、映画をまだ見ていない方は読まないほうがいいと思います。



ズバリ見所は…、
…「これはこういう話ですよ」…と最初に提示された情報が、映画の最後に向かって反対の方向に変わっていくことだろうか。メインの二人のキャラクターの立ち位置の変化を見て唸る映画。

荒野の荒くれ者フィルと、彼の弟ジョージと結婚したローズの連れ子・繊細なピーターの二人の関係が話の主軸。この(一見)正反対の二人の関わりを描くストーリー。


映画を見終わって少し読んだレビューで、この映画の題名「The Power of the Dog/犬の力」の解説…最後にピーターが開く聖書のページの一節=Psalm 22:20:

Deliver my soul from the sword; my darling from the power of the dog./私の魂を剣から、私の最愛の人を犬の力から救い出してください(←ネット上で拾った訳)

に触れ、ピーターが「犬=邪悪なもの=荒くれ者フィル」から「最愛の人/母ローズ」を守った話…だというのをいくつか読んだのだけれど、しかし私はそれが主題の映画ではないと思う。たぶん。結末の説明だけで全てを納得できるとという映画でもないだろう。


最後にショッキングな結末を持って来たことで、そればかりが印象に残るのかもしれないが、この2時間の映画の主旨は、カンバーバッチ演じる主人公・荒野の荒くれ者のフィルの内面を知る過程…彼の内面の苦悩を知る事だろうと思う。

フィルは苦悩の人。これ以上ないほど孤独な人物。しかし誰も彼の苦悩の本質を知ることはない。なぜなら彼は己を恥じ、彼自身の本質を誰にも知られないように自分の周りに巧妙に壁を築き、そこへ誰も踏み込ませない人生を送っているから。彼の荒野の荒くれ者のキャラは、彼の本質を隠すための鎧

その彼の本質とは
彼が同性愛者であること。
男性を愛することを指向する男性であること。
そして彼はそのことを誰にも言えない。


1925年のアメリカで…ましてやモンタナ州の荒野+田舎町で、男性が同性愛者であることは大変な問題。口にも出来ないほどのご法度。(この事柄については私も全てを理解しているわけではないのだが)アメリカの本質…神の国、正義の国、正しい国、キリスト教の教えの元に新しく築かれた国のルールとして、同性愛は大変なご法度だったらしい。とある説では(聖書の解釈次第によって)同性愛とは神に反する背徳行為である…罰せられて当然の行いである…そう思う人々もいる。迫害されることも少なくなかった。

今から100年も前の20世紀初頭のアメリカは同性愛者には大変生きづらい国だった。

その同性愛が「大変なタブー」だという感覚は、日本人には理解することも難しい。というのも日本なら歴史のわき道の話をほんの少しでも読めば、信玄や信長や前田利家あたりの衆道の話を目にするし、近代なら三島由紀夫氏が有名…。だから日本人はそのような話を聞いても「神に逆らった罰当たり。罰せられて当然の背徳者である」などと思う者はあまりいないだろう。同性愛者に対して日本人が(アメリカの人々が感じるような)根本的なタブーを感じることはあまりないのではないか。

しかしアメリカには同性愛者にとことん厳しい歴史があった。フィルの苦悩を理解するためにはまずそれを知る必要がある。


フィルのように、19世紀の終わり頃にアメリカで同性愛者として生まれた男性の苦悩は想像も出来ないほど。彼は裕福な牧場経営の家庭に生まれ、優秀で大学にも進学した。大学を出たら街でホワイトカラーの職に就くこともできたはず。牧場は弟に任せるか、または誰かを雇って経営さえすればいい。

その彼がなぜモンタナ州の荒野で自ら荒くれ者のカウボーイをやっているのか?

おそらく彼は大学で欧州の文学やギリシャの歴史などに触れ、自分の性的指向に気付いたのだろう。しかし時代は20世紀初頭。同性愛者への世間の目は厳しい。そして彼自身もまたそんな時代の厳格な環境/考え方の中で育った。だから彼は自分を許せない。己の性的指向が許せない。しかしどうすることもできない。苦しむ。その苦悩を隠すために荒野に出て荒々しく振舞う。いかにも荒くれ者で過剰に男らしく、男の中の男のように。彼は「荒野の荒くれ者」の鎧を纏い自分の本質を隠して長い間暮らしてきた。

その彼の苦悩が玉葱の皮を剥くように次第に明らかになっていく。それがこの映画の主題だろう。この映画はそれだけでOK。それ以外はおまけでもいい。

フィルは孤独。孤独は彼の人生に常に付き纏う。だから弟のジョージが結婚することにも腹を立てる。ジョージは女と幸せになった。ジョージは女に取られてしまった。ジョージの嫁ローズが憎い…。 

己の本質に正直に生きれば社会から迫害されることがわかっている男フィル。彼は常に心に不満と怒りを抱えている。そして彼の怒りは、自分よりも弱い者=女性と繊細な若者へと向けられる。


ストーリーは進む…

そんな鎧を被った荒くれ者のフィルの前に、ローズの息子・繊細なピーターが登場。そのピーターをフィルは苛める。紙で造花を作るピーターを女みたいな奴だと笑う。フィルは自分を抑えてきた苦悩から、ピーターの男らしくない繊細さにイライラさせられるのだろう。

しかしピーターはただの繊細な男の子ではなかった。


この映画のレビューをいくつか読むと、ピーターも同性愛者ではないかというものが多い。旦那Aもそうだろうと言う。しかし私は、彼が同性愛者である必要はないと思った。確かにピーターは一見繊細。しかし繊細なヘテロの男性は存在する。それに一見繊細そうに見えても、ピーターは優しい思いやりのある人物には見えない。いやピーターは恐ろしいほど冷酷。

一見女性的でヤワな青年に見えるものの、ピーターはそのような人物ではない。もしかしたら予測不可能な恐ろしいタイプ。実はサイコパスではないか。彼は常に無表情で心が読めない。小動物を顔色一つ変えずに殺せる…のはそれだけでかなりヤバくないか?

ピーターの性的指向がどのようなものかはストーリーにはあまり関係ないだろう。そのように描いているわけでもない(と思う)。

しかしフィルは思い違いをした。ピーターの繊細そうな外見や物腰から、フィルはピーターを彼の性的指向への理解者=同じ同性愛者だと思い、うっかりピーターに心を開いてしまう。

フィルは、彼がなぜ伝説の「ブロンコ・ヘンリー」を崇拝しているのかの理由もピーターに話して聞かせる。ブロンコ・ヘンリーとの思い出はフィルの大切な宝物。

フィルはピーターに隙を見せた。


そしてピーターの計画的行動。フィルの死。そしてその後、劇中の最後に聖書の一節「私の魂を剣から、私の最愛の人を犬の力から救い出してください」が出たことから、ピーターの本音がわからなくなってしまったようにも見えるが、彼の本質はただただ冷酷なサイコパス。彼の意図は「邪魔者は消せ」。 それにもしピーターに同性愛の指向が無いのだとしたら、ピーターはむしろフィルの事を「神へ逆らった背徳者は罰せられるべし」と思ったとも考えられる。

ピーターの心は読めない。冷酷で心が無いようさえ見える。もしかしたら彼は母ローズへの愛が異常に強すぎて、過去には自分の父親も殺したのかもしれない。そして将来もしかしたらジョージも…背筋が寒くなる。ピーターはまともな人間ではないのかも。


そんなわけでこの映画は対照的な二人の人物の立ち位置の逆転

フィル
「迫害する者・荒くれ者」から「苦悩を抱える孤独な男 時代の犠牲者」へ
ピーター
「迫害される者・繊細で物静かな青年」から「冷酷なサイコパス 殺人鬼」へ

…彼らの変化を見て唸る映画です。


カンバーバッチ氏が苦悩の男を熱演。しかし彼は目の色が薄いせいか表情が読み辛い。意図的な配役なのかも。彼は何か賞をとるかも。

そしてピーターのKodi Smit-McPhee氏はこれまた読めない。怖い。ウサギの場面あたりから何かやらかすんじゃないかとヒヤヒヤした。


音楽はRadioheadのJonny Greenwood氏。神経を張り詰めたような雰囲気が2時間。キリキリと緊迫した空気のせいか尺が長過ぎるとも感じなかった。引き込まれた。ロケはニュージーランドだと思うが、広大な荒野が美しい。



2022年1月4日火曜日

Perfume - Polygon Wave (2021)



なんとMVができていたぞ!



Perfume - Polygon Wave (2021)
Polygon Wave EP
Perfume
Released: September 22, 2021
A UNIVERSAL J / Perfume Records release; 
℗ 2021 UNIVERSAL MUSIC LLC



なんと「Polygon Wave」のMVが公開されていた。
知らなかったです。ぉおおおおおお不覚。

昨日、年末の紅白歌合戦の直前のプロモ番組の録画を見ていたら、今回の紅白の出演者の紹介ビデオでPerfumeのこのビデオをが一瞬流れた。「Polygon Wave」のMV? えっ、出てたの?

さっそく拝見。
いいっす
いいっすいいっすいいっす素晴らしいっす。かっこいいね。よしよし。Perfumeはいいね。やっぱりいいね。綺麗。今回の紅白のPerfumeもよかったですよ。

私にとってのPerfumeはやっぱり踊ってなんぼ。曲も踊れてなんぼ。この「Polygon Wave」はいい。彼女達のダンスも曲も気持ちいい。

この曲は去年の9月にEPも出ていたのですね。リミックスや新曲も2曲。な~んと…聴きましょう聴きましょう。


Perfumeも大人になった。このブログを始めたのもPerfumeがきっかけでございました。去年の12月で、このブログも開始から10年が経ちました。 2011年の終わり頃にPerfumeに関して書きたいことがあって初めてブログなどというものを始めたのですけれど、な~んとあれから10年も経ってしまった。今は感想文ブログですが、日々趣味として楽しんでます。Perfumeに出会わなければ、このブログも始めていなかった。感謝してます。

今もPerfumeは美しい。楽しい
彼女達が元気に踊ってくれるのがとても嬉しい。応援してます。






お猫様H:年末の猫さんである



あけましておめでとうございます

クリスマスから冬休み中。旦那Aがホリデー中なので一緒にだらだらしてます。猫さんもだらだらしてます。映画も見た。紅白も見た。音楽も聴いた。そろそろまた感想文を始めなければ。





2021年12月30日木曜日

TBS 金曜ドラマ『最愛』 全10話・感想



年末ホリデーをエンジョイ中でブログを休んでますが、ちょっと忘れないうちにドラマの感想を書いておこう。


TBS 金曜ドラマ『最愛』。日本での放送は10月15日から12月17日まで。

このドラマの脚本とスタッフは、2014年の同TBS金曜ドラマの『Nのために』と同じ方々が多いらしい。ああ…あのドラマも素晴らしかったのですよ。あのドラマは結構感動して、このブログにもうまいことを書こうとしたら気負ってしまって感想そのものを書けなくなってしまった。だからこのドラマは、忘れないうちに感想を書いておこうと思った。たった今最終回の録画を見終わった。


いいドラマ。十分楽しんだ。真ん中あたりで話が右に左にうろうろしているように思えて「もしかしたらスタイルばかりのリアリティのないファンタジー・ドラマ???」と一時は思ったのだけれど、最後まで見てよかったです。

一言で言うなら… Entertaining/面白がらせてもらえたドラマ。 傑作とか感動の物語…というほどではないけれど、所謂Whodunit/誰がやったのだ?/(日本語で言うなら)ミステリーものとしては面白かったし、とにかく色んな面で楽しめた。


タイトルが『最愛』ですが、これは加瀬さんの愛なのかな。…ということですよね。そう思えばあらためてマイルドに感動もしてしまったかも…。そういうことですよね。


彼がそうだったのか…というのは最後になるまでわからなかったのだけれど、全部を見終わって今思えば、実はドラマの始めの頃に少しだけヒントがあったと思い出した。このドラマは1話ごとの冒頭に、登場人物のモノローグが流れるのだけれど、第3話か4話あたりだったか(録画が残ってないので確認できない)、加瀬さんが真田家の家族に対して「僕を家族のように受け入れてくれたこの人々=家族に全てを捧げよう」とかなんとか…そのようなことを話していたのですよ。それを聞いてほんの少しだけ「ん~?」とは思った。しかしその後、彼を直接事件に結びつけるヒントはあまりなく、結局は最後に事実がわかるまで上手い具合に騙されました。やられましたね。面白かった。楽しんだ。

脚本も演出も役者さんも巧み。最後に事実が明かされるまで「誰がやったんだ」と予想する。その対象は…時には朝宮梨央(薬師丸ひろ子)であったり、後藤信介(及川光博)であったり、やっぱり加瀬賢一郎(井浦新)か…とそれぞれに疑いの目を向け、いやもしかしたら朝宮梨央(吉高由里子)本人の記憶が弟の優君(高橋文哉)のようにあやしいのでは、彼女ではないのか…とも疑う。そんな風に見れば見るほど最後の結末が知りたくなった。


ドラマが終わってしまって十分楽しめたのだから今は何の文句もないのだけれど、途中には、実はあまりの演出のかっこよさが鼻につき、また俳優さん達のあまりにそろった美麗さも鼻につき、音楽のかっこよさや、いかにも狙った音楽の挿入の仕方も鼻につき、カメラワークのかっこよさも鼻につき…笑笑笑「んも~いろいろとこのドラマはやる気満々でついていけないわ笑」などと、斜めから見ていてのだけれど、

結局すっかり話に飲み込まれてしまってましたね。ヤレヤレ。面白かったわ。


美麗でいかにもトレンディ(←死語か)な俳優/女優さんたちを見ても…、なんだかなぁ~もっと泥臭い人がいてもいいのね…などと思ってました。なんつーか、今どきの日本の役者さんは美しすぎるのよ。井浦新さんかっこよすぎ。加瀬さんなんてもっと美麗ではない地味なおじさんでもよかったんじゃないの笑…と昭和の人間は思うのだ。すみません。

だって今どきの日本の俳優さん達は、みんな綺麗だから時々ドラマのリアリティが薄くなるのですよね。それはこのドラマだけの問題ではない。先日見終わった『日本沈没』も、数名のベテランの役者さん達を除いて、特にあの「日本未来推進会議」のメンバーが若い役者さんばかりで全くリアリティがなかった。いやあのドラマは全てにリアリティが無さ過ぎて感想を書くのもやめたのですけど。


ただこのドラマは、リアリティが無いとは言っても楽しめたのた。それで十分。驚いたのは田中みな実さんの声が低いこと…ルックスとの印象が違っていてびっくりした。そして、一番嬉しかったのは真田梓の薬師丸ひろ子さま。彼女は同世代。だから彼女がデビューした時のこともよく覚えてるし、有名な「カ・イ・カ・ン…」もそうだし…とにかく私世代にとって彼女は同世代の大スターなのです。その彼女が、今も麗しい麗しい麗しい…。ほんとに薬師丸さんはお綺麗なのですよね~。上品で。声も素敵。でもあの「恥ずかしがりやの隣の少女」の印象だった彼女が、こんなに優美な「ザ・女優さん」になられるなんて、なんだか嬉しいわ。ほんと。ちょっと薬師丸さんに感動した

というわけで、最後まで見たらいいドラマでした。みんな上手いな。後藤信介の及川さんがいかにも悪そうなお顔をしていたのに、最後は穏やかなお顔になっていたのをみて「いや~やられたわ、騙された」と笑う。面白かったです。



2021年12月24日金曜日

もう年末である 🎄


 

🎄  Wishing You  🎄

Happy Holidays

 🎍  And a Wonderful New Year  🎍




🎄🎄🎄🎄🎄🎄🎄