能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

この度の能登半島地震で 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 一日も早い復興をお祈りいたします。 ★NHK による様々な支援情報 能登半島地震 義援金・支援金の受け付け始まる 窓口まとめ https://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20...

ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年9月28日日曜日

映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :3回目…エレンは誘う女だったのか?そして不器用な男の普通の一生



----------------------------------------------------------------------------
『The Age of Innocence』(1993)/米/カラー
/2h 19m/監督:Martin Scorsese』
-----------------------------------------------------------------------------



まだまだ続く『エイジ・オブ・イノセンス』祭り。その3回目。

この映画は一旦はまってしまうと色々なことが気になって、また見直せば新しく気付くことが出てきて、なかなか止められない。旦那Aが原作を読み始めたので、それでまた食事中によくこの映画のことを話しているのだけれど、気になったことが出てきたので早速購入したBlu-rayを見てみることにした。

人物達について、また新たに付け加えたいことが出てきたので書いておこう。1回目と2回目の感想で気付かなかった(文に書けなかった)人物の印象を改めて書き加えておきたい。自分用のメモで映画のストーリーを追っているので文章が長いです。年寄りは文章が長い。


この映画(小説)の面白さは心理描写の巧みさ。男女二人がゆっくりとゆっくりと近づいたり離れたりする…その様子をまったりと見る話なので退屈だと言えば退屈。しかし鑑賞する者が年齢を重ねていれば(物事を時間をかけてじっくりと見ることができれば)その心理描写の巧みさには心の底から驚かされる…そのような映画。100年以上前に書かれた小説なのにその心理描写のリアルさに本当に驚かされた。

この感想3回目は、主人公のニューランドとエレンの心の変化を追う。同じ時間の経過でそれぞれがどのように考え、お互いに反応し合っているのか、(ニューランドの結婚までの)彼らの行動を個別に追ってみようと思った。。

長いです。



★全篇ネタバレ注意



◆ エレン/マダム・オレンスカは誘う女だったのか?

ここに以前書いた感想で私は1回目は「エレンに色気が足りない」、そして2回目は「いや彼女はただただ孤独な悲しい女なのだ、傷ついた小鳥のようだ」と書いた。…しかしやはり彼女はそれだけでもなかったですね。

Blu-rayを見直したら彼女はかなり大胆な女性でもあった。そこがこのエレンの複雑なところ。


実際にエレンの内面は(ここで2回目の感想で書いた通り)ボロボロに傷ついている…欧州の生活に馴染めず、救いを求めてNYに帰ってきたらNYの社交界にも拒絶されてしまった。彼女はどこにも行き場所がない。ニューランドを「明日5時にうちに来てね」と突然家に招いて会話をしていたら、すぐに本音が出てエレンは彼の前で泣いてしまう。彼女は驚くほど弱ってます。


しかし表面では…社交の場での彼女は、お堅いNYの人々が眉をひそめるほど大胆で型破り。オペラのドレスも相応しくない。(まだ再会したばかりの)ニューランドにも突然「子供の頃あなた私にキスしたのよ」と茶目っ気たっぷりに笑いかける。

街の有力者が彼女をパーティーに招けば、派手なドレスを着て悠々と遅刻してやってくる。そしてあちらで男性と会話をしていたかと思えば、部屋の向こう側に顔見知りのニューランドを見付けて自ら部屋を横切りニューランドと二人きりになって話し始める(ルール違反の行動)。そしてニューランドと話し始めれば「メイとは本気なの?」などと失礼でストレートな質問をする(NYではありえない質問)。彼女は本音しか言わない。そしてニューランドにたしなめられるとエレンは一瞬で傷ついた顔になる。

彼女はあまりにもストレート。正直で感情もすぐ顔に出る。その正直でストレートな性格は、お堅い保守的なニューヨークの社交界には受け入れられない。そのことを彼女もわかっていて苦しんでいる。


パーティで彼女はまた大胆にも突然「明日5時に待ってるわ」とニューランドを家に招き、翌日は二人きりで腹を割って会話をする(これもルール違反だろう)。そして自分は「ニューヨークに受け入れられていない」こと、ニューヨークは「道路が真っ直ぐなように人ももっと正直だと思ってた。誰も本音を言わないの?」ニューランドが「皆あなたを助けようとしている」と言えば「私がめんどうを起こさなければね、本当に寂しいのは優しい人達も私にいい人のふりをするよう要求してくること…(意訳)」と突然涙をこぼす。

彼女は感情がふらふらと揺れていて予測不可能。精神的に崖っぷちに立っているのだろう。


欧州帰りのエレンは、当時のNYの上流階級の…本音と建前を使い分けるのが当り前の社会…全てがよそよそしく、会話も社交辞令ばかりで誰も本音を言わない。そしてその裏側では皆がひそひそと噂話をして、決してよそ者を受け入れない…そのような社交界に馴染めず苦しんでいるのだ。

ここでの2回目の感想で私は「彼女はもともと太陽のように明るい女の子だったのだろう」と書いた。子供の頃から大胆でよく笑う明るい女の子だったのだろう。子供の頃なら彼女もその陽気さでNYの大人達にも可愛がられたのだろうと思う。

しかし大人になった今、彼女はただただマナーを知らない、外国帰りの、異質の、問題を起こしそうな、ふしだらな、そして離婚しそうでスキャンダラスなアウトサイダーになってしまった。NYの狭い社交界は彼女の帰郷を歓迎していない。彼女は社会の平和を乱す問題のある女だと受け止められている。


彼女がニューランドを大胆に家に誘ったり、突然彼の前で涙を流す姿を見て、「エレンは婚約者のいるニューランドを誘う悪い女なのか」と受け取る人もいるかもしれない。しかし私はそう思わない。彼女のあの…男性に戯れかけるような誘うような笑顔は、長年の欧州での寂しさからいつの間にか身についた習慣、癖のようなものだろうと思った。

彼女は美しい。彼女が笑いかければ優しくしてくれる男性はいくらでもいる。欧州の生活でとても孤独で友人もいなかった彼女は、いつしか優しそうな男性を見かければ花のような笑顔で笑いかけ、その場限りの浮ついた会話をすることが癖になってしまったのだろう。

…私には見えるのだ。彼女が欧州の貴族ばかりの集まるパーティーで、誰にも相手にされずにぽつんと一人ソファーに座っている姿が。そんな時にたまたま声をかけてくれた親切な優しい男性に最高の笑顔で笑いかければ、とりあえずはその場の会話の相手を確保することも出来たのだろう。

だから、彼女のニューランドに対する大胆なアプローチは、彼女にとって最初はそれほどの意味はなかったのだろうと思われる。彼女はただ正直に本音が言える友人が欲しかっただけ。幼馴染のニューランドなら彼女も心を開いて正直になれる…友人として話ができると思ったのだろう。


最初に彼女がニューランドを意識したのは「黄色い薔薇」だろうか。ニューランドの最初の訪問時に、彼女は涙を流した。その後ニューランドは親切心で薔薇を贈ったのだが、エレンはその薔薇のことをメイに話していない。


そして今度は弁護士のニューランドがエレンの離婚に関するアドバイスをすることになった。ニューランドはまたエレンの家を訪ねる。そこでエレンは厳しい現実(NYで離婚をするのは世間体が悪くエレンは社会的立場を失うこと)をニューランドから告げられる。エレンはまた傷ついた顔をする。しかしまた同時に、ニューランドが(弁護士として)彼女の欧州での問題の全てを知ったことは、彼女がニューランドにますます心を開くきっかけにもなった…「ニューランドには何も隠すことはない」。

その後のある夜に皆で芝居を見ている。その日、メイは冬の寒さを避けてフロリダのSt. Augustineに滞在中で不在。ここでエレンは初めてニューランドを意図的に誘う。「あの芝居の恋人は彼女に黄色い薔薇を贈るのかしらね?」ニューランドも「そう考えてました」と戸惑いながら告げる。「メイがいない時は何してるの?」(←完全に誘ってます)。「仕事してます」と戸惑いながら答えるニューランド。そしてエレンは「あなたには感謝してるのよ」とニューランドを見つめながらすがるように告げる。エレンはこの場面でニューランドを誘ってます。誘惑してる。


ニューランドはその夜、黄色の薔薇を彼女に贈ろうとするがあいにく花屋に黄色の薔薇はなかった。直ぐに連絡をするがエレンからは返事が来ない(←彼女は相手を押して、引いて、焦らして…)。そして3日後にカントリー・ハウスにいるエレンから手紙が届いた「あなたがここにいればいいのに」。直ぐにニューランドはいそいそとエレンに会いに行く。

この家の中で、エレンはニューランドの後ろから近づいて手を繋ぐ。ここで彼女もニューランドに情が移ったのだと思った。

その後突然、ニューランドはフロリダで休暇中のメイを訪ね結婚を急ごうと話をしている。真面目な堅物の彼も自分の心の動きに大変迷っているのだろう(後述)。

その後、祖母のミンゴット夫人の家でエレンとニューランドは一瞬すれ違い、すぐにまたエレンの家での密会。ここで二人はしっかりと抱き合う。エレンは「欧州の夫から離婚をすれば、メイとニューランドの家族の家名に傷をつける。自由になれない。しかしそれは辛い。でもニューランドは私を助けてくれた」と泣く。

そしてニューランドとメイの結婚が決まる。



◆ 真面目な普通の人ニューランドは戸惑い迷い優柔不断(リアル)

まずこのキャラクターの特徴は真面目なこと。とにかく真面目で堅物。彼は(何事も変わることのない安定した、しかし窮屈な)NYの上流階級で育った真面目な男、職業もお堅い弁護士。きちんとした家で育ち成績も優秀。良家の娘メイとの結婚も決まっていて、最初は自分の安定した人生になんの疑問も抱いていなかったと思われる。冒頭のオペラの後の舞踏会でも婚約者のメイをとても愛している様子が描かれている。彼はまさになんの濁りも無いまっとうな人生を歩き始めようとしていた。


そこにエレンが現れる。エレン/マダム・オレンスカは彼の婚約者メイの従妹。欧州帰りの型破りでルール破りな彼女は彼の幼馴染だった。オペラ座でエレンに久しぶりに再会した時、エレンは突然「あなた子供の頃私にキスしたのよ」とニューランドに笑いかける。ニューランドはただ戸惑っている。ちょっとドキッとしたかもしれない。しかしその場面はそこまで。


次に街の有力者のパーティー。エレンは(NYにあまり友人がいないからだろう)ニューランドを遠くに見つけると、それまで話していた男性から離れて部屋を横切ってニューランドに会いに来る。ニューランドはドキドキしている。そこで二人は昔からの友人のように親しく話し始める。彼女の言葉はストレート。上品とも言い難い内容。欧州からのゲストの悪口を言って笑い、そしてニューランドに「婚約者のメイとは本気なの?」と失礼なほど直接的な質問を投げかける「メイとの結婚はアレンジされたわけじゃないの?(意訳)」。その言葉にニューランドはびっくりして言葉を返す「ここではアレンジなんてことはないんですよ」。その言葉を「拒絶」だと受け取ったエレンは一瞬で傷ついたような顔をする。それを見てエレンに謝るニューランド。彼はあくまでも紳士なのだ。

この時のニューランドの表情が秀逸。まるで綺麗なお姉さんと嬉し恥ずかし…初めてお話しをする中学生のような顔をする笑。エレンの隣で照れて照れてにやにやと薄笑いを続けている。上手い役者さん。エレンの振舞いのひとつひとつに驚きながらもやっぱり彼は綺麗でエキサイティングなエレンとの会話がとても嬉しいのだろうね。

パーティーの最後でエレンは彼に「じゃあ明日の5時に待ってるわ」と急に告げる。あまりにも急な申し出にびっくりするがニューランドは断れない。なぜなら彼は紳士だから。彼は軽く会釈をする。エレンには驚かされることばかり。


そして翌日の午後5時、ニューランドはエレンに会いに行く。家でエレンの帰宅を待っている間、ニューランドは彼女の部屋の様子を眺めている。彼女の部屋は彼が今までに見たことのない興味深い物で溢れている。初期の印象派とも呼べる絵(イタリアの画家Giovanni Fattori)や、ブロンズ製のお面などが部屋を飾る。ソファーの上にはエキゾチックな布。彼女はそれらを欧州から持ち帰ったものだと言う。異国趣味に溢れる部屋にニューランドはとても興味を引かれる。そしてミステリアスなエレンにも興味を持ち始めているのだろう。

前日のパーティではニューランドは中学生のようににやにやしていたけれど、この場面のニューランドの話し方はかなりお堅い…よそよそしいほどの真面目な口調で話しているように聞こえる。エレンと二人だけになって緊張しているのだろうか。しかしその堅苦しさもエレンの涙を見て変わっていく。彼はエレンに近づき「マダム・オレンスカ」と話しかけ、直ぐに「エレン」と呼びかけて手を握る。彼は真面目で優しい男なのだ。泣く女性を目の前にして少し彼の心が動いたと思う。いやこの場面こそが、ニューランドの心が大きく動いた時なのだろうと私は思った。そしてその帰り道でニューランドはエレンに黄色い薔薇を贈る。あくまでも思いやりから。


その後彼の弁護士事務所がエレンの離婚に関わるケースを扱うことになった。事務所とエレンの家族からは「エレンが離婚をしないように」アドバイスするように言われている…なぜなら、メイの従妹のエレンが離婚をすれば家族にとって世間体が悪いから…それはメイの家族、そして夫になるニューランドの家族も傷つけることになる。

ニューランドはエレンを再訪。玄関に入ると、エレンの(親しすぎる)友人のボーフォートの声が聞こえてきてがっかりする。立ち去るボーフォートが「今度アーティストを招いて食事でもしようか」などとエレンに言うのを聞いて、ニューランドは「私も画家なら知ってる…」と会話に割り込んでいる。ここでニューランドは、明らかにボーフォートに嫉妬しているし、多少ライバル心も芽生えている。それにピンときたボーフォートが彼を笑う。

そして二人はエレンの離婚について話をする。ニューランドは真面目な男なので、離婚をしたいと言うエレンに「離婚は勧められない」と伝える。離婚をすれば彼女自身が傷つくことになると諭そうとする。しかしそれはエレンには通じない。離婚をすればエレンは自由になれるが、NYの社交界では生きていけなくなる、そしてエレンは欧州には戻りたくない。ニューランドは弁護士として、友人として、彼女に離婚は勧められないと言うものの問題は簡単ではない。ニューランドはエレンを救いたいが、家族のしがらみ、それからエレンのためにも離婚は進められない。そのことで彼は悩む。なぜならニューランドはあくまでも真面目で親切な男だからだ。最後にエレンは「おやすみ従兄弟さん」と言葉をかける。


その後また皆で演劇を見に行く。そこでニューランドはボックス席にエレンを訪ねる。エレンは「あの(劇中の)恋人はあの後黄色い薔薇を送るのかしらね?」とニューランドに話しかける。戸惑いながらニューランドは「私もそれを考えてました」と言う。ああ、ここでとうとうエレンが一歩踏み出していて、ニューランドもそれに答えてますね。そしてエレンは(メイがフロリダで休暇中であることから)「メイがいない間、何してるの?」と聞く。戸惑いながらニューランド「仕事してます」と言う。このぎこちないやり取りのまぁリアルなこと。

ニューランドはあくまでも真面目な男。だから「メイがいない間、何してるの?」と聞かれても「じゃあ今度二人だけで会おうか」とは決して言えない。言わない。彼は堅物だから。遊び人のボーフォートなら間違いなく言っていただろう。

そしてその夜、ニューランドはすぐに黄色の薔薇を探すが見つからず、エレンに連絡をするが返事はない。やきもきしていたら3日後にエレンから「カントリーハウスにいるの。あなたがここにいればいいのに」などと手紙がきた。

もうこの時点でニューランドは自分を抑えられなくなっている。いそいそとエレンに会いに出かけるニューランド。そして二人とも恋人同士のように親しく話をする。ニューランドはなんと…エレンが彼を後ろからハグしてくれないかと妄想までしている笑。彼はとうとうエレンを好きになってしまったらしい。窓に立つニューランドに後ろから近付いたエレンは、そっとニューランドの手を握る。ああ。

ところがすぐ後にボーフォートがやって来て二人の時間は台無しになってしまう。ボーフォートもすでにニューランドの気持ちに気付いているのだろう。


その夜、ニューランドは家に帰って来てからもイライラし続ける。ボーフォートに嫉妬しているのだ。ニューランドの揺れる心。ボーフォートと親しく付き合うエレンにもまた腹を立てている。しかし彼はこのまま運命に流されてしまうことも危惧してもいる。「自分の未来に生き埋めにされそうな気がする」とさえ思う。エレンがメッセージを書いて「会いたい」と言ってくるが、ニューランドはそれを握りつぶす。


そしてニューランドはフロリダで休暇中のメイを訪ねる。そして「結婚の予定日を早めよう」などと言っている。ところがメイは勘が鋭い「誰かいるの?」などと聞いてくるのでニューランドはドキッとする。薄笑いをしながら「誰もいない」と言ってメイを落ち着かせるが、どう見ても彼は結婚を進めて問題(あいまいなエレンとの仲)を終わらせ過去のものにしたいと思っているように見える。

直ぐにメイの祖母のミンゴット夫人を訪ねて結婚を進める相談をするニューランド。ここでミンゴット夫人はニューランドの複雑な気持ちに気付いているらしい。「エレンはまだ結婚しているのよ」とニューランドに釘を刺す。困ったような顔をするニューランド。そこへエレンが訪ねてくる。別れ際にニューランドはエレンに「会いたい」と囁く。


この辺りの矛盾した彼の行動で、ニューランドがいかにも迷っているのだろうと思わされる。ニューランドは、エレンに明らかに惹かれているのに深入りすることを恐れ、また遊び人のボーフォートとつき合うエレンに腹を立て、わざわざフロリダのメイを訪ねて「早く結婚しよう」などと伝えている。彼が自分を迷わすトラブル(エレン)から逃げてさっさとメイと結婚して落ち着きたいと思っているのは事実でもあるのだろう。あくまでもニューランドは真面目で保守の男なのだ。道を踏み外すこをと何よりも恐れているのだ。

しかしエレンを見かけるとまた反対の行動をしてしまう。「会いたい」と彼女に囁き、エレンの家を訪ね、二人だけの親密な時間を過ごす。ここでニューランドは初めて(メイが言うところの)「誰か」がエレンであることをエレン本人に告げる(とうとう告白する)。二人は涙ながらに抱き合う。

そこへメイから「結婚を早く進める」ことを告げるメッセージが届いた。ニューランドは予定通りメイと結婚する。これでニューランドの人生は決定してしまった。


ニューランドとメイが結婚して、エレンはワシントンDCに移住している。その後ニューランドは結婚してしばらく落ち着いたように見えたが、次第にメイとの結婚生活に退屈してくる。メイは何事にも用心深く新しいことを好まないのだ。

記憶の中のエレンは、欧州帰りでエキゾチック、言葉もストレートで正直でエキサイティング。エレンの家には興味深いアートが溢れ、彼女は文化の教養にも優れ、なによりも彼女との会話のキャッチボールは刺激的で楽しい。キラキラと聡明で刺激的なエレンと退屈なメイを比べてニューランドは絶望している。


その後エレンとニューランドは2度ほど会うのだが物事は進まない。NYに帰ってきたエレンとの馬車の中での密会もその時だけで何も進まない。ニューランドはますますエレンを熱望する。

メイとの結婚生活に退屈し、ニューランドは自らが「死んでいる」などと思っている。(異国の文化の)浮世絵の本を眺めながらメイの笑顔にもうんざりしている。


映画の後半で、ニューランドがメイに本音を告げようとする場面の緊張感は秀逸。妻に本音を告げようとするニューランドの勇気は、毎回メイの言葉に潰されてしまう。次第にメイが恐ろしい怪物のように見えてくる。ニューランドがなんとかエレンに近づこうとするたびに、妻のメイもNYの狭い社会もそれを阻む。そしてとうとうエレンはNYを離れ欧州に帰ることになった。そうなるようにメイが全ての流れを作っていたのが最後に明らかになる。

メイは戦いに勝った。地に足をつけて夫を縛り付けた。見事。


そしてニューランドはとうとう普通の男の人生を受け入れ、まっとうな男として、夫として、父親として模範的な一生を送ることになる。



しかし映画を見終わった後で私は考えた…ニューランドにはそもそもエレンと共に道をはずれる勇気がなかったのではないかと。

人とはそういうもの。ほとんどの普通の人々とはそういうものだと私は思う。ニューランドは真面目で親切で紳士的で優しくて…しかしそんな真面目な人だからこそ彼は冒険をすることができなかった。細やかな心理描写で驚くほどリアルな、普通の…不器用な人々の悲恋もののストーリー。自分を抑えたり勇気を出せなかったり…大抵の普通の人とはそういうものだろう。

だからこの話は色褪せない。



Blu-rayで見てみたら、Netflixより映像も音もクリアで驚いた。とても綺麗。セットや衣装に凝った映画なのでこれからも何度も見直すだろう。手に入れてよかったと思う。エクストラも沢山…スコセッシ監督や共同脚本家、舞台監督、衣装デザイナーのインタビュー、そしてメイキング・オブの映像もあってとてもいいパッケージだった。


映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :3回目…エレンは誘う女だったのか?そして不器用な男の普通の一生
映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :2回目の鑑賞で本質を知る…傑作でしょう


 

2025年9月25日木曜日

映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :2回目鑑賞で本質を知る…傑作でしょう





----------------------------------------------------------------------------
『The Age of Innocence』(1993)/米/カラー
/2h 19m/監督:Martin Scorsese』
-----------------------------------------------------------------------------



2回目に見た感想です。

というわけで1回目に見たときは、映画のゆっくりなペースに慣れず、内容も「あまり動きがない」「退屈」などと思ってしまい(正直に)途中で寝そうになったりして…スコセッシ監督には大変失礼な鑑賞の仕方をしてしまった。

それでもこの映画が丁寧に作られているのはよくわかったので「セットが凝っていて素晴らしい」「ダニエル・デイ・ルイス」の堅物ぶりが大変上手い!」などと書き、また「ミシェル・ファイファーはセクシーじゃないから役に合わないかも」などと私はここに書いた。

1回目にはそのような…作品に対して大変失礼な鑑賞態度でいい加減な感想を書いたのだけれど…実はそのことが気になっていた。旦那Aともその後数日間。毎晩食事の時にこの映画のことについて会話を続けた。そしてスコセッシ監督のインタビューもYouTubeでいくつか見てみたら、ますます映画のことが気になり始めた。

「もう一回見たほうがいいと思う」

それでNetflixでもう一度見てみることにした。最初は「ちょっと豪邸の内装を見直したい」ぐらいの軽い気持ちだったのに、結局一気に最後まで見てしまった。

感想が変わりました。そのことを書きたい。




★全篇ネタバレ注意



まず反省。私は内容を全く理解していなかった。これは恥ずかしい。

まず主人公のとらえ方が間違っていた。1回目に見た時、私はこの話は「お堅い弁護士ニューランド・アーチャー(ダニエル・デイ・ルイス)の話だと思った。彼が欧州帰りの美女に心惑わされるのだが、お堅い奥さんメイ・ウェランド(ウィノナ・ライダー)にがっつり抑え込まれる話」だと思っていた。

そうではない。
この話の主人公は二人です。

もう一人の主人公はもちろん「欧州帰りの美女エレン・オレンスカ伯爵夫人(ミシェル・ファイファー)」。1回目の鑑賞では、私はミシェル・ファイファーの演じるこの「欧州帰りの美女エレン」のことが全くわかっていなかった。大反省。

この映画は、惹かれあっても一緒になれなかった男女の悲恋モノです。
あ~全然わかっていなかった。反省反省。



まず欧州帰りの美女エレン・オレンスカ伯爵夫人(ファイファー)の(私の想像も含めた)ストーリーを書いておこう。

エレンは裕福なニューヨークの上流階級の出身だが、両親の都合でNYと欧州を行き来きして育った。(映画での)彼女は金色の髪で青い目で大変美しい。子供の頃の彼女は性格も明るくコロコロとよく笑う太陽のような女の子だったのだろう(たぶん)。彼女は子供の頃にNYに一時的に帰ってきていた時、同世代のニューランド(デイ・ルイス)に出会った。ニューランドはキラキラと綺麗なエレンに惹かれて思わず彼女にキスをしたらしい(二人にはそんな思い出がある)。

その後エレンは若くしてポーランドの伯爵に嫁いだ。しかし結婚は上手くいかなかった。異国に嫁いだエレンの生活はとても辛いものだった。…「欧州人とのモラルの違い」「エレンは米国の成金の娘だと笑われて欧州の貴族に受け入れられない」「夫はエレンに退屈してよその女性と浮気をする」などなど…エレンは欧州の貴族の社交界の中で友人もできないまま、たったひとり孤独で、苦しみ、傷ついた。とてつもなく寂しかった。寂しさから道ならぬ恋にも落ちた(スキャンダラス)。

元々はお堅いニューヨークの上流階級の出身だった真面目なエレンは異国での結婚で不幸になった。明るかった彼女の笑顔には大きな影が射すようになった。きらきらと輝いていたサファイアのような目は哀しみを湛えるようになった。

欧州での暮らしに耐えられず、エレンは一人ニューヨークに帰ってきた。彼女はボロボロに傷ついていた。故郷に帰ってくれば皆に温かく迎えてもらえると思っていた。しかしニューヨークの社交界は彼女を冷たく拒絶する。


当時19世紀末のニューヨークの上流社会は大変狭く堅苦しい世界。当時の上流階級の人々は狭い世界の中で自由の無い窮屈な生活を送っていた。どのような事情でもスキャンダルは決して許されない。そして彼らは異質のものや異分子を嫌う。彼らは驚くほど排他的。彼らは自分達の富と平和な日常を守るために、顔見知りばかりの狭い社交界の中で家柄や富で格付けをし合いながら(ゴシップを噂しながら)、その狭いサークルの中だけで生活をしている。

彼らがよそ者を受け入れることはない。

そんなニューヨークに帰ってきたエレン。彼女が「温かい故郷」だと思っていたNYは彼女に冷たかった。初めて従妹の家族と劇場にオペラを見に行けば、社交界の皆がひそひそと囁きながらオペラグラスで彼女を観察する「オレンスカ伯爵夫人て…あの人どんな人なの?伯爵夫人とはいっても上手くいかなかったらしいわよ。離婚するって噂よ。スキャンダラスね。見てよあの変なドレス。皆の集まるオペラによくやってこれるものだわ。恥知らずね。嫌ね…」。

また彼女の名前で人々にパーティーの招待状を送れば、皆が「残念ながら予定があって…」などと丁寧な断りの手紙を送り返してきて誰も来ることはない。彼女はパーティーを催すことさえできない。エレンは故郷のニューヨークが「欧州よりもっと孤独」だと思い知ることになった。

彼女は寂しい。孤独なのだ。

ニューヨークに帰ってきた彼女には欧州人の夫との離婚話も出ている(あいまいだが)。そのサポートに選ばれたのが堅物の弁護士ニューランド・アーチャーだった。それがこの二人の話のはじまり。


まずなによりもこの話は、女性作家のイーディス・ウォートンが書いた作品であることを忘れてはいけない。男性のニューランドが主人公だというよりも、むしろ作家は同じ女性…不幸なエレンの悲しい状況に心を寄せていたのだろうとも思われる。もしかしたらウォートンは実際にエレンのような不運な女性に当時のNYの社交界で出会ったのかもしれない。


その後のストーリーは、真面目な堅物のニューランドが次第にエレンに惹かれていく話。

恋の始まりは、ニューランドが弁護士としてエレンの家を最初に訪ねた場面。前日のパーティーでエレンに「明日5時にね」と誘われてのこのこ彼女の家に訪ねてきたニューランド。会話をしていたら突然エレンが泣く。 このエレンの突然の涙で、堅物のニューランドはほろっとしてしまったのだろう。わかるわ。(内容が間違っていたので修正しました)


まず…私が何を反省しているのかと言えば、ミシェル・ファイファーのエレンはセクシーむんむんな誘う女である必要はなかったのよ大笑 照れ笑。


エレンは羽の折れた鳥のように弱っていて、悲しくて、孤独で…欧州でも孤独だったが、ニューヨークではもっと孤独で…どこにも救いのない傷ついた女性なのですね。子供の頃からよく笑う明るい少女だったエレンは今も社交界では笑顔で明るく振舞っているけれど、心の中には深い闇がある。実はとてつもなく孤独な女性だった。

ニューランドは真面目で優しい人なのだろう。真面目にこの傷ついた女性を救おうと彼はエレンに手を差し伸べる。彼も最初は親切心からエレンを救おうとしていただけなのに、次第に自分から求めてエレンに会いたくなってしまう。エレンを見かけるだけで嬉しくなってしまう。少しづつ(ニューランド本人も気付かないうちに)彼はエレンにぞっこんになってしまう。(大人だから)フィジカルに惹かれ始めてしまうのも止められない。もう止められない。

そのあたりの描写が上手い。とてもゆっくりと二人の気持ちが変化していく。「あれ、いつからあの人が気になったんだっけ?」というようなおだやかな恋の始まりは今でもよくある話。まさにニューランドの恋は、じわじわと始まっていたのですね。きっかけはエレンが最初に泣いた時だと私は思う。



そんなわけでこの映画(話し)は全篇ず~っとこの二人が近づきそうで近づけず、上手くいきそうでも誰かが邪魔をしたりと、二人が近づいたり離れたりを繰り返してゆるゆるとまったり2時間、彼らの恋の行方を見る…そのような映画。



その邪魔をする人物の一人が、ニューランドの婚約者で後の奥さんのメイ(ウィノナ・ライダー)。彼女の台詞をよく聞いていると、それはそれは見事にかなり初期の頃から「女の感」を研ぎ澄ませて「ニューランドの迷う心」に気付いているのがわかる。女の感は鋭い。

例えば…
ニューランドが(思いやりで)「エレンに花を送ったんだ」とメイに告げる場面。メイが「エレンは私に言わなかったわよ」 …それでエレンはピーンとくるわけだ。正直に事実を告げたニューランドはともかく、(ニューランドから花を贈られたことを隠した)エレンの下心をすぐに感知したのだろう。メイはその場ですぐにニューランドの目を見つめながら「I love you」と何度も訴えかける。…メイはエレンが手ごわい敵だと思ったのだろう。気付くのが早いのですよね。すごいな。そしてその後も…ストーリーの最後まで場の流れを操るメイの強さには…正直イライラさせられるほど。

もう一人、二人の邪魔をする人物はエレンとメイの祖母のミセス・ミンゴット(ミリアム・マーゴリーズ)。彼女は、エレンとニューランドの仲に気付いたのか、彼らを牽制するような言葉を言ったり、また反対に妙なタイミングでエレンとニューランドを二人だけにしたりする。彼女はただ若い人たちを操って様子を見て楽しんでいるだけなのか。不思議でもあり(こういう人もいるかもしれぬと)リアルでもあり。

そして最後に、エレンとニューランドの仲を知った狭いNYの社交界が二人の関係を引き裂こうとすることにも恐ろしくなる。まるで小さな村のように人の悪口とゴシップをひそひそと噂話ししながらこの社交界の人々は「個人」が決して問題を起こさないようにに監視し「正しい生き方」を強制する…その様子を見ていて心が苦しくなった。

もしかしたら作家のイーディス・ウォートンも、当時の上流社会の空気を息苦しいと感じていたのかもしれぬとも思った。


そんなわけで…私が1回目に見て気付いていなかったのがミシェル・ファイファーのエレンのあまりにも悲しい状況。しかし彼女の孤独を理解しなければ、ニューランドがなぜ彼女に惹かれたのかも理解していなかったことになる。ニューランドは決してむちむちのセクシー美女に惹かれたのではない。ニューランドは傷ついた小鳥のようなか細く弱々しい女性を守ってあげたいと思って惹かれたのですね。細いミシェル・ファイファーにぴったりの役だった。

2回目に全てのことがわかった上で細かいところに注意をしながら再度鑑賞したら、この作品は本当によくできた映画だということがよくわかった。あらためて反省。

…言い訳をするなら、この映画全体が重厚で情報が多く、あまりにも多くのことに気が散ってしまって、1回見ただけでは(ただでさえゆっくりのペースの話で)人物達の人となりまでは掘り下げて見ることが出来なかったのも理由。それほどこの映画は様々な見どころが沢山。本当に沢山。さらっと1回だけ見てそれで全部がわかる映画ではないと思う。

この映画は本を読むように2回以上じっくりと見ることをお勧めします。

1回目に見えなかった色んな事が見えてきます。時代考証も丁寧にされていて大変素晴らしい。衣装も家の内装も、テーブル上のロイヤル・クラウン・ダービーの食器も大変美しい。役者さん達の演技も最高。脚本も(ナレーションも含め原作からそのままの台詞も多く)100年も前に書かれた小説の再現として最高の傑作だと思います。スコセッシ監督の本気が見える。すごい監督さんだと思う。


印象に残っている場面…
1時間30分を過ぎた頃からニューランドがエレンに本気になる。メイと部屋で二人きりになった時の空気の重さが秀逸。ニューランドの心は完全にエレンに向いていてメイに嫌悪感さえ感じている。日本の浮世絵の本を見ながら(異国のものに夢を見ている)、目の前のメイを見てイライラするニューランド。この結婚で「私は死んでいる」…自分はメイとの結婚に囚われている…あのエレンと共に自由になりたいと熱望するニューランドを思わず応援したくもなる。

しかしその後もニューランドがしがらみから抜け出そうとするたびにメイが彼に絡みつく。何度もメイが巧みに流れを作ってニューランドは決して逃れられない。見ているこちらまでメイにイライラさせられるのは役者さん達が上手いから。メイの最後の告白でニューランドは死刑宣告を受けたような顔をする。ダニエル・デイ・ルイスもすごいがウィノナ・ライダーも素晴らしい。

そしてストーリーは進み…最後にメイのその後がナレーションで語られる。可愛らしいメイは実は非常に意志の強い女性で、晩年は子供達でさえ彼女に口答えするのはやめた(だったかな)…などとあって、彼女は頑固で変化を好まない…真面目過ぎて堅苦しい人物だったとのこと。それを聞いてまた「彼女と過ごしたニューランドの一生はどのようなものだったのだろう」と考えずにはいられない。なんとも言えない気持ちになる。

映画の最後の印象は、旦那Aも私も暫く無言で…「悲しいね」と一言。いかにも昔の時代の話ですね。じんわりと悲しく深く心に響く映画。一言では語れないです。


しばらくこの映画のことを考え続けてますます知りたくなり、また米国のNetflixが9月30日でこの映画の配信を終了する…ことを知り、思い切ってBlu-rayを購入した。それから旦那Aが「原作を読みたい」というので同時に原作も購入。共にアマゾン。ちょっと嬉しい。Aはすでに原作を読み始めた。この映画がいかに丁寧に原作を再現しているのかに感心している。いつか私も読めればいいな。





2025年9月3日水曜日

映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :1回目 The Gilded Age の本格的再現





----------------------------------------------------------------------------
『The Age of Innocence』(1993)/米/カラー
/2h 19m/監督:Martin Scorsese』
-----------------------------------------------------------------------------


私がHBOのドラマ『The Gilded Age シーズン3』を一人で見終わった後で旦那Aが「面白かった?」と聞いてきた。「うん」と答えると「僕も見ようかな」と言う。どうやらどこかでドラマの批評記事を読んだらしい。それでしばらく前から週末に一緒に見ている(私は2回目)。先週末にエピソード5を見終わったところ。

ドラマの話をしていたら旦那Aが「作家のイーディス・ウォートン/Edith Wharton があの時代の話を書いてるんだよ。彼女はあの時代のNYの上流階級出身の女性作家。映画『エイジ・オブ・イノセンス』も彼女が原作なんだ。映画を見ようか」

というわけで、それじゃあ HBO のドラマと映画がどう違うのか見てみようということになった。2週間前にNetflixで映画鑑賞。


あらすじ
19世紀末のニューヨークのハイソサエティ。(ドラマでもそうであったように)当時の上流階級の社交界は狭い世界。彼らは危険を冒すことを嫌い、ルールを破ることを嫌い、ガチガチにしがらみに縛られた不自由な社会の中で生きている。
主人公の弁護士ニューランド・アーチャー(ダニエル・デイ=ルイス)には若い婚約者メイ・ウェランド(ウィノナ・ライダー)がいる。ある日ニューランドは、メイの従妹で彼の幼馴染のエレン・オレンスカ伯爵夫人(ミシェル・ファイファー)に再会する。エレンは夫から逃れて帰国した欧州帰り。ミステリアスで魅惑的なエレンに堅物の弁護士のニューランドは惹かれていく。


★ 豪華なセットと衣装…再現に価値がある

豪華です。19世紀末のニューヨーク・ハイソサエティの再現。歴史的に見ても非常に興味深い。なんとこの映画の監督はマーティン・スコセッシなのですね。びっくり。 あのマフィア映画で有名な監督が、1870年代のアメリカの上流社会を描いた。

この感想を書くのに調べていたら、スコセッシ監督のインタビューがいくつか出てきた。かなり細部までこだわって作りこんでいるとのこと…例えば当時のNYの上流階級のアクセントにまでこだわって再現している…などの話も出てきた。この映画に関する資料はネット上にもいくつかあって(私もまだ全部は見ていないのだけれど)この映画でスコセッシ監督があの The Gilded Age を真剣に再現しようと試みたことがわかった。なんとありがたい。

まずそれだけで私には見る価値がある。


この映画の細部へのこだわり(それからカメラワークなど)を見ていて「これはスコセッシ監督がイタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督を意識して撮ったのではないか」とすぐに思った。ヴィスコンティ監督の『山猫/Il gattopardo 』『夏の嵐/Senso』『イノセント/L'innocente 』は19世紀の貴族を扱っているし『ベニスに死す/Death in Venice』も上流階級、『イノセント/L'innocente 』は名前まで近いじゃないか。

動画サイトを見ていたら、とあるインタビュー映像でスコセッシ監督が『山猫』に感銘を受けたと仰っている映像も出てきた。やっぱりそうなのだろう。『山猫』は伊シチリア島の貴族を描いた映画。そしてスコセッシ監督の祖母がシチリア島からの移民であることから、監督はあの映画にとても親しみを感じたらしい。

この映画を撮りながらスコセッシ監督がヴィスコンティ監督を想ったことは間違いないだろう。100年前の米国ニューヨークにも欧州の貴族のように暮らす上流階級が存在したことから、監督も美しいコスチューム・ドラマが撮れると考えたのだろう。伊・貴族の末裔のヴィスコンティ監督が映像で19世紀の貴族を再現したように、ニューヨーク育ちのスコセッシ監督もNYの歴史をとことんリサーチをして、19世紀末のNYの大富豪の再現を試みたのだろう。

結果は大変素晴らしい。


本物の19世紀末の上流社会など、私達後世の人間は絵などから想像するしかないのだけれど、この映画はかなりそれらしいのではないか。

…衣装は上品で奇を衒っていない。ディナーのテーブルも色彩の多いチャイナにキラキラの銀製品、クリスタルのグラスが並べられて豪華。豪邸の内装は…いかにも物が多く何から何までギュウギュウに詰まっている。壁には赤いシルクが貼られ、窓は何重もの重い布のドレープ。壁一面にびっちりと掛けられた絵画。どこもかしこも布、布、布。そして布に覆われていない壁は重厚な木彫りのパネル。全体の色合いが暗く重い。ワイン色のベルベットのソファーの後ろには、中国か日本製の…金箔に墨で竹が描かれた屏風が置いてある。なんというのか…全部がギッチギチ。密度が濃い。


スコセッシ監督が再現した19世紀末NY上流階級の様子を見ていたら「HBO の The Gilded Age のドラマは嘘っぽく見える」と思ってしまった。たとえばラッセル家のベッドルームは今どきのベッドルームに見える。ヴァンライン家のリビングも質素。

それにドラマの The Gilded Age の人物達の衣装が酷いことにも気付かされた笑。あれは…なにを考えているのだろう。どう見ても珍妙なデザインのドレスが多すぎる。誰が衣装デザインをしているのだろうと思う笑。

この映画『エイジ・オブ・イノセンス』では、衣装やセットに関する違和感を覚えることは一度もなかった。たぶんこの映画のほうが史実に近いのではないか? この映画のビジュアルは見る価値があると思います。



★ ダニエル・デイ・ルイスは上手い

この俳優さんは上手い人。ダニエル・デイ・ルイスの演じる堅物の弁護士がミシェル・ファイファーのエレンに惹かれていく様子が上手い。彼はガチガチの堅物なのよ。だから自分に「ダメだダメだ」と言い聞かせながら、それでも目はエレンを追ってしまう。ムラムラしてますね。お顔の表情が煮詰まっていて今にも思わず手が出てエレンを掴みそうな表情をする。うまい。

しかしながら彼はかわいい婚約者メイちゃんのウィノナ・ライダーには…優しい。けれどそっけない。「僕はこの子を守らなきゃね」とか「大切にしなくちゃね」とは思っているけれど、あまり気が乗らない様子。ただ表面だけ優しいジェントルマンを演じている。メイちゃんに対する彼はただのいい人。ただ優しい人。あの…欧州帰りのエレンを見る眼つきとは全然違う。その違いが上手いのに感心した。役者やの~。


メイちゃんのウィノナ・ライダーは効果的な配役。彼女はこの役で英国アカデミー賞の助演女優賞を受賞したそうだ。彼女は役が合ってましたね。最後は女のしたたかさで勝者になる…笑。いかにも女。納得。

この年度の賞レースでは、ダニエル・デイ・ルイスはノミネートもされなかったのですね。びっくり。


★ CONs

映画は2時間19分。長いです。たっぷりと時間をとって19世紀の上流階級社会を再現したのはいいけれど、実は中身があまりドラマチックではない。原作が1870 年頃の上流階級を描いた話なので、恋愛小説とはいっても中身はマイルド。だからこそこのタイトルなのだろうけれど、それを2時間も引き延ばしたら結構退屈なのは否めない。

それからダニエル・デイ・ルイスが苦悩しながらも自らを押さえられずムラムラしてしまう女性…エレンのミシェル・ファイファーは役に合ってない印象。彼女はこの役には十分にセクシーではない。もっとセクシーな…エレンは上流階級の女性で上品だけれど、欧州帰りでほぼ離婚しそうで、男関係の噂もあるし(色んな意味でルール破りで)スキャンダラスで、それでも悩ましいほど色気があふれ出る…そのようなお姉さん女優を連れてきて欲しい。ミシェル・ファイファーは…なんだかカラカラに見える笑。色気がない。綺麗すぎるのかな。エレンはお堅い弁護士のダニエル・デイ・ルイスが身を持ち崩すほど魅惑的で危険な女性 seductress でなければならないのですよ。ちょっとそのイメージと違うと思った(個人的意見)



見てよかったです。衣装や調度品やセット、それに役者さん達のアクセントにまでこだわった19世紀末のNY上流階級社交界の再現は見る価値があった。

ストーリはマイルド。だから途中で少し飽きたけれど、この映画はむしろ1度見てストーリーがわかった上で、映像の美しさと巧みな時代の再現を堪能する…まるで美術館を訪ねているかのように…ひとつひとつ細部を確認しながら見るのがもっと楽しいだろうと思う。これからもまた映像だけNetflixに見に行こうと思う。

実はヴィスコンティ監督の映画もそういうのが多いのですよね。台詞や芝居はあまり気にしない。彼の映画も家の内装や衣装を見て、美術館を訪ねるように時代の再現を楽しむような映画が多い(個人的意見)。


『エイジ・オブ・イノセンス』…最後はあれでいいと思う。思い出は美しいままに。静かに拍手。





2025年7月31日木曜日

映画『フォー・シーズンズ/The Four Seasons』(1981) :時代が違い過ぎて楽しめない





----------------------------------------------------------------------------
『The Four Seasons』(1981)/米/カラー
/1h 47m/監督・脚本:Alan Alda』
-----------------------------------------------------------------------------



今週旦那Aに休みの日があったので一緒に見た。スティーブ・カレルとティナ・フェイの2025年版を見たばかりなので忘れないうちに見ようと思った。


まず2025年のドラマシリーズと比べよう。
私は2025年版のほうが100倍いいと思った。2025年版は面白かった。時にはゾッとするほどリアルでちょっとドキドキした。キャラ達は皆色々とあるけれど十分理解できる人々。全員それぞれが魅力的だった。1話を30分だけ見るつもりが、一旦見始めたら続けて2時間も見てしまった。コメディとして十分面白かったし考えさせられた。見てよかったです。先日ここに書いた感想では「居心地が悪い」と書いているけれど、実際にはよく笑ったと思う。楽しめた。



しかしこの1981年版の映画
・異様なくらい古臭い
・時代の違いを感じる
・面白くない

その理由をこれから書いていきます。


監督は俳優のアラン・アルダさん(この映画ではジャックを演じる)。この映画は1981年作。今から44年前。当時の私は高校生。当時からアメリカのドラマや映画は見ていたので、あの80年代初期のアメリカの雰囲気には慣れているつもりだったが、まず思った感想は「なんて古いのだろう」。映画が始まってすぐに違和感を感じるほど直ぐに古臭いと感じた。

今の私は英語のニュアンスがわかる。1981年当時は、映画は字幕で見ていたが英語そのもののニュアンスはわからなかった。いま英語がわかるようになって、1981年の映画の台詞が、いかに今のアメリカの言葉と違うのかにまず驚いた。もちろん言葉だけじゃない。演技も違う。人物たちの行動や関係性も全く違う。モラルも違う。ユーモアも全くおかしくない。なによりも、人物達が全く魅力的に見えないのに閉口した。


わかってるのよ。この映画はあの時代の、あの社会的クラスの人々の映画としては何もおかしなことはないのだろう。問題は「面白くない」と感じた私の方にある。

この映画は、東海岸の白人の伝統的プロテスタントの気質を持つ、高学歴アッパーミドルクラスの知的階級の人々のストーリー(東海岸の都会近辺ではそれほど珍しいわけではない)。実は旦那Aはこのソーシャル・グループの出身。旦那Aの家族は1980年初期の時代から暫くニューヨーク界隈に住んでいた。

旦那Aにこの映画がどうかと聞いたら「懐かしい」と楽しんだ様子。私が「まったくリアリティがない。人物達が魅力的に思えない」と言うと「ああそうか」と反応。もう少し聞いてみると「あの時代の雰囲気は覚えてるんだよね、ああいう人達にも会ったことがある。ニックみたいな人もいた。Met opera のシーズンチケット持ってて、いつも綺麗な女の人と一緒にいたかっこいいおじさん。でも彼はずーっと独身だったかな」などと言う。なるほど旦那Aには当時の雰囲気を十分懐かしく感じられる映画だったらしい。

要するに、違う文化圏から来た私には「懐かしい」と感じるほどの思い入れが無いことから、描かれた時代の違和感ばかりが気になって楽しめない。そして私は「アメリカ東海岸アッパーミドルクラスのお堅さ」も苦手。彼らのユーモアもわからない。そんな感じであまり面白くなかった。




★ネタバレ注意




この映画の基本フォーマットは2025版と同じ。6人の友人達の四季それぞれのホリデーの様子を描く。2025年版とは違い彼らはクラスメートではない。人生の道のりで出会った6人。年齢も立場も違う。カップル2組は40代半ばの設定。

(2025年度版ではアフリカ系のゲイの設定だったダニーは)この映画では皆より10歳年上の白人の歯科医となっている。そして彼の奥さんは(少し異文化の)イタリア人アーティストのクラウディア。ジャックは弁護士、奥さんのケイトはビジネス誌のエディター、ニックは保険のセールス、アンは主婦。全員ニューヨーク周りの裕福な上ミドルクラスの人々。

ストーリーも2025年版とほぼ同じ。彼らは6人でいつも共にホリデーを楽しむ友人同士だが、ニックが離婚して若いジニーをホリデーに連れてくることで、全員の関係がギクシャクしてくる。


一番の違いは、奥さんを捨てるニックはこの映画では罰を受けない笑。2025年版のニック(スティーブ・カレル)は徹底的にコテンパンにやっつけられ、ニック本人も多少は後悔していたと思うが、この1981年版のニックは全く悪びれない。まったく罰を受けない。そして周りの友人達もそれをいつしか黙って受け入れている。そして(温厚だが退屈だった)元嫁アンは結局捨てられてストーリーから消えてしまう。そのまま忘れられてしまうのだろう。

ジャックの奥さん…ニューヨークでバリバリ第一線で働く女のケイトは、あの時代の女性解放運動の戦士のようだ。男性と同格に議論し合って口調が非常にキツイ。お堅い。まったく女性らしい柔らかさがない。ユーモアのセンスもない。ジャックとの夫婦らしいケミストリーも無し。チューばかりはしているけれど。

そしてジャックは自己中で「自分を解放できない」ことに悩み(それもあまり印象になかったが)、ケイトから「冷たい」などと言われて最後はブチ切れて騒いで自己を解放(1970年代の映画にはよく見かけるマッチョなシーン)。そして皆に「ごめんね」などと言って許してもらう。よくない。意味不明。あんな人は現実にはいないと思う。

歯医者のダニーはコミックリリーフだろうか。年齢も上でおとぼけの変わり者。しかし10歳年上だから皆とは違う視点で物事を見ている。彼が一番リラックスしているように見えるのは意図的なものだろう。奥さんのクラウディアはほぼ印象がない。


なんというかな…どのキャラクターも全く魅力的ではない。この映画には2025年版のようなチャーミングなおかしみが無い。台詞は奥歯にモノが挟まったよう。基本的には時代が違うからなのだろうが、これは監督/脚本のアラン・アルダさんの言葉からくるものなのか、それともこのドラマの…キャラ達の社会的立場(裕福な上ミドルクラス)からそれらしく創作されたものなのか、台詞も行動も pretentious で全くリアリティを感じない。登場人物達の誰かが冗談を言ったら皆でウケて全員で肩を叩きながら大笑いするのだけれど、私には全くおかしくない。なんだか不自然なリズムの映画だと思う。

不自然…contrived。そうだ、この映画の登場人物達は1980年代初期のモダンでインテリで進歩的な人々の設定(中華料理を自分達で作り、次はインド料理などと言っている)なのだけれど…私がこの映画を見ていて受ける印象は、東海岸インテリの上ミドルクラスのお堅い人々が無理してワイルドに振舞って騒いでいるような印象。しかしよく考えてみればにアラン・アルダさんは現在89歳。うちの義父の世代なのだ…お堅い印象なのは無理もないだろう(←義父は優しいジェントルマンでした)。


しかしそれは1981年の東海岸の上ミドルクラスのあり方に、そもそも私があまり親しみを感じないからなのだろうとも思う。結局は、1981年頃のお堅い人々が「彼らのユーモアで、彼らが面白がって、彼らが彼らのために作った映画」が、私には何も響かなかったということだろうと思う。台詞が嘘っぽくて(今の米国人は誰もあのような話し方はしないと思う)、pretentious で、なんだか…うわ~めんどうくさい人々…という感じだ。これは私の個人的経験によるバイアスからくるもので、普遍的なものではないだろう。


2025年版の『フォー・シーズンズ』自虐的なほどにキャラクター全員の不完全さ/弱さ/vulnerability を描いたことに、私は「今のアメリカは本当に生きやすくなったんだね」と思った。

この退屈な1981年版に比べると、2025年版は全員がチャーミングでかわいくて面白い。全てのキャラが好きになれる。全員に心寄せられる。そして苦笑がちだとはいえ実際にはよく笑った。

それだけ今は時代が変わったということなのだろう。それはいいことです。


2025年5月27日火曜日

映画/Netflix『マンジャーレ! ノンナのレストランへようこそ/Nonnas』(2025):お婆ちゃん達の美味しいご飯





-----------------------------------------------------------------------------
『 Nonnas (2025)/米/カラー
/1h 51m/監督/Stephen Chbosky』
-----------------------------------------------------------------------------



猫が病気になる前に見たので5月10日あたりかな。Netflixで人気チャートに上がっていたので鑑賞。

食べ物の映画ははずれが少ない。美味しいご飯を描く映画は、家族の話であったり人と人の繋がりであったり…温かいフィールグッド映画が多いからだろう。Netflixで予告/トレイラーを見たときもすぐに「よさそうだ」と思い見始めた。旦那Aも参加。


実話を元にしたレストランの話だそうだ。最愛の母を亡くした男が料理の上手なイタリア人のお婆ちゃんたちを集めてイタリアン・レストランを開く話。いかにもいい話。イタリアのお婆ちゃん達のおいしいイタリア料理の話というだけでもうフィール・グッドは約束されている。

いい話でした。イタリア料理好きだし、自分でもよく作るし、私も年寄りなのでお婆ちゃん達がワイワイ元気にキャッキャと言いながら料理をするのもとても楽しい。これが実話を元にしたというのだから…何と素晴らしい。いい話だな。


さっそく実際のニュージャージー州のレストランのネットのページを見に行きましたよ。今は多国籍のお婆ちゃん達(お姉さま方も含む)が参加して日替わりでシェフを努めているのだそうだ。ああ本当にいいアイデア。この映画が人気なら、これからきっとこのレストランも予約待ちになるのだろうな。いつか行ってみたいな。


ヴィンス・ヴォーンさんがいい感じです。彼は若い頃はやんちゃ男の印象だったのに、今すごくいい俳優さんですね。ちょっと前に見た映画『Fighting with My Family (2019)』の彼もいい役だった。味のある俳優さんになった。

映画『Fighting with My Family (2019)』:全てがいいFeel Good Movie笑わせにこないヴィンス・ボーンに泣く 

イタリア系のそれぞれのストーリーのあるお婆ちゃん達もいい。皆素晴らしい女優さん達。元気のいいお婆ちゃん達が楽しい。最初は北と南の出身で喧嘩していたのに、それぞれ次第に心を開いて皆で打ち解けて仲間になっていく姿もいい。ああ…わたしやっぱり女性同士が打ち解けていく様子に感動するのだ。好きなのですよね、女性同士が仲良くなる姿。女性同士ならではの心地よさとか温かな関係とか…心の底から打ち解け合う女同士の友情はいいものです。いいな。


最初はペースがゆっくりで、旦那Aが少し退屈しそうになっていたのに、どんどん良くなっていって最後は私以上に泣いてた。うちは二人とももう両親もいないし家族も遠くにいて子供もいないので映画やドラマの家族ものの話はすぐに泣いてしまう。フィールグッド。とてもいい映画です。

まぁそれにしても、冒頭でも書きましたけど美味しい食べ物を描く話はたいていいい映画ですね。特に家庭料理…お母さんやお婆ちゃんが作る…もしかしたらお爺ちゃんやお父さんの作るご飯の話、またシェフの師匠の話とか…美味しいご飯にまつわる映画やドラマに悪い話なし…かもしれないですね。美味しい家庭料理は人の基本的な幸せなのだろうなと思う。子供の頃の母のコロッケとかオムライスとか…私にも幸せな思い出。こういうタイプの映画をこれからもチェックしていこう。  グルメレストランの食べ歩きの話はそれほど感動しないのですよね。ご飯に関するフィールグッド映画は料理をすること=愛情が大切なのだろうな…。


2025年5月14日水曜日

映画『新幹線大爆破/Bullet Train Explosion』(2025):アクション最高!複雑プロットとエモはいらない






-----------------------------------------------------------------------------
『新幹線大爆破 (2025)/日/カラー
/2h 15m/監督:樋口真嗣』
-----------------------------------------------------------------------------



話題になっているのでNetflixで見た。


面白かったです。特にアクション・シーンは楽しい。すごくかっこいい。おそらく現実には不可能であろうシーン(新幹線が横並びで物を渡す)も…映画ですもの。面白いわ。アクションとしてなら爆発もガツンと新幹線がぶつかるシーンも全部いい。新幹線のシーンはどれもいい。それをもっと見るために見続けた。

日本の風景の中を走る新幹線も素敵。かっこいい。私は日本を離れて長いけれど、今の新幹線の姿を全く知らなかった。昔の新幹線は白いボディーに2つの目と丸い鼻のあのかわいい顔(あのデザインは2008年まで使われていたことを今知った)を思い出す。今の新幹線は印象がずいぶん違ってスマートなのですね。緑色の田んぼもすごく綺麗で「いいなぁ~日本の風景」と思った。




★ネタバレ注意





そしてここからは個人的な感想。辛口。

私は複雑なプロットやエモなシーンはほとんどいらないと思った。正直に書く。

1975年版の映画『新幹線大爆破』での事件を今回の2025年版に繋げているのは、なるほど感慨深いし、よく考えたと思うのだけれど…いかんせん複雑すぎる。そして昔の話から繋がった3人の人物達の裏話は説明が雑…それは2時間の映画で多くを語る時間がないからだろう。 …劇中、新幹線の危機的状況でハラハラしている(私もハラハラしたい)のに、だらだらと裏話を語られても人物達に感情移入が出来ずイライラするだけ。もし女の子の動機に(脚本が巧みに)説得力を持たせて、見ているものが彼女に心を寄せられれば、この複雑なプロットも効果的だっただろうと思うが、それをやるには時間が足りなかったのだろう。とても雑に思えた。設定に現実味もない。

女の子に感情移入や共感もできないので、正直このキャラにとても腹がった。「さっさと終わらせましょう」と思った。 …昔米国ハーバード大のマイケル・サンデル教授の『JUSTICE/これからの「正義」の話をしよう』という本で「一人を救うか、それとも皆を救うために一人を犠牲にするか?」というお題があったのだけれど、この映画を見ていたらそれを思い出した…「そりゃあ皆を救うに決まってるじゃないか」と思った。もし脚本で十分な説明ができていて、女の子が不憫だと思えたらそうは思わなかったと思う。 …そしてまた映画を見ながら少し考えた。アメリカならこの状況をどうするだろう??? きっと誰かが拳銃を持ってますよね。


それから日本のパニック映画ではよくあるシーン…人物達が熱くなり過ぎ。この映画ではJR東日本新幹線総合指令所のシーン。新幹線が大変な状況で今も走っている…秒を争う状況にもかかわらず、総合指令所で人々が喧嘩したり熱くなったりエモになったり…「感動的シーン」風の演技をしているのに萎える。無駄が多い。皆肩に力が入りすぎ。

こういうの、日本のドラマや映画で今までに何度も見た。何年か前の戦国時代を扱った大河ドラマでの「本能寺の変」のシーン…燃え上る建物の中で信長と帰蝶さんが熱く「愛しているわ」とか…延々とやってる。「もうはやく逃げなさいよっ!」と思わず画面に向かって叫んだ。 2021年のドラマの『日本沈没』も、東京の半分が壊滅しているのに、人物達がやたらと熱いシーンをやっていて鼻白んだ。日本のパニック作品はこういう熱いシーンを入れがちなのでしょう。

この映画では総理補佐官が大声を出して騒いでいたけれど「おいおい騒ぐよりも人を救うことを考えなさいよ」と思った。無駄なエネルギー。もちろん脚本がそのように書いているからそれが問題。


私はJRや政府の方々のプロの姿が見たい。最悪の状況で手際よく最善を尽くすかっこいいプロの姿が見たいと思う。それ以外のゴタゴタはいらない。人々が過剰に熱くなる必要もない。乗客には色々とお騒がせな人々もいたけれどいらないですね。大変な状況で無駄に騒いで問題を起こす人を見るとただイライラさせられるだけ。

新幹線の中で必死に働いてる草彅剛さんとのんさんはよかった。緊張してドキドキするパニック映画では、感情を抑えてやるべきことをテキパキとやる人がかっこいい。そういうのが見たい。


大昔、1971年にスピルバーグ監督の『激突!/Duel』という映画がありまして…。あの映画は何の説明も無い。ただアクションのみ。しかしアクションが面白くて引き込まれる。緊張感がずーっと続くのがたまらない。すごく面白かった。


…この新幹線の映画もアクションをメインで見たいと思った。新幹線のシーンが素晴らしかったのでもっと見たかった。主役は走る新幹線。ドキドキなアクションシーンとかっこいいプロの仕事が見れればそれでいい。正直な感想。


でも面白かったです。草薙さんの実直な男の佇まいがとてもいい。のんさんも淡々と感情を抑えて仕事をする若い女性がとてもよかった。淡々と真面目に仕事をするプロ。それが見たい。だって彼らの心の中が死ぬほど緊張しているのは想像すればわかるから。辛いのに感情を抑えて仕事をしているからこそプロ。拍手。


高倉健さんのオリジナルも見たいと思った。



2025年2月20日木曜日

映画『ロミオとジュリエット/Romeo and Juliet』(1968):シェークスピアで泣く?傑作です!







-----------------------------------------------------------------------------
『Romeo and Juliet (1968)/英・伊/カラー
/2h 18m/監督: Franco Zeffirelli』
-----------------------------------------------------------------------------


少し前にマリア・カラスのことを調べていて、もう一人の20世紀のソプラノ、ジョーン・サザランドの歌を思い出し、数年前に見たグノーのオペラ『ロメオとジュリエット/Roméo et Juliette』のことを思い出し、ここに書いた感想文を読んで思いを巡らせた。

…そういえば映画の『ロミオとジュリエット (1968) 』ってきちんと見たかな?

見たことはある。いくつかのシーンは絵で覚えている。しかし見たのは私が高校生の頃の1980年頃。テレビで日本語の吹き替え版を見た。とりあえず見たことはあるけれど、ずいぶん前の話なのできちんと見たとは言えない。もう1回見たいと思い Amazon Prime を探したら出てきた。レンタル可能。それで週末に見ることにした。


ま~~~素晴らしかったわ。本当に素晴らしい素晴らしい素晴らしい。この映画はティーンの時にティーン映画として見て「面白かったね」とそのまま忘れるだけなのはもったいない映画。芸術的な傑作だと思う。本当に素晴らしい映画です。


この映画は1968年の映画。そんなに古い映画だとは知らなかった。原作はもちろんシェークスピア。古典で時代劇だからなのか、1968年制作にも関わらず全く古びた感じがしない。今見ても本当に美しい映画です。それも驚いた。

私の中では『ロメオとジュリエット』映画でこれを超えるものはないとあらためて確信できた。本当に素晴らしい作品。


イタリア人の監督のフランコ・ゼフィレッリ/Franco Zeffirelli 氏の名前は1980年代まではよく聞こえてきていた。まず私が覚えたのはこの『ロメオとジュリエット (1968)』の監督だということ。そして彼はまた1981年のブルック・シールズの映画『エンドレス・ラブ Endless Love (1981)』の監督でもあった。たぶんそのあたりで彼の名前を覚えていたのだと思う(あの映画は2回シアターで見た)。


ゼフィレッリ氏は、イタリア・フィレンチェでファッション・デザイナーと羊毛とシルクの商人の不倫の末に1923に生まれた。6歳で母親を亡くす。その後イタリアの英国人のコミュニティーの中で育ったため、英語とイタリア語に堪能なバイリンガルとなる。ところで余談だが、彼はレオナルド・ダ・ヴィンチとの血縁関係も証明されたそうだ。

その後、ゼフィレッリ氏とイタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ/Luchino Visconti 氏の繋がりを知ったのはヴィスコンティ監督のことを調べていた時。ゼフィレッリ氏はヴィスコンティ監督の元で、舞台の美術を担当したり映画の助監督としても働いた。その経験を経てゼフィレッリ氏が45歳の時に監督したのがこの1968年の『ロメオとジュリエット』。


英語を解するイタリア人のゼフィレッリ氏が、シェークスピアの脚本を使い、出来る限りストーリーが描かれた当時の時代の再現を試みてイタリアで撮影した映画…というのはなかなかない黄金の組み合わせだろう。この脚本がイタリア語での翻訳の書き直しの脚本ではなく、シェークスピアの脚本をほぼそのまま(多少脚色しているそうだ)使ったこともこの映画が英語圏(世界で)成功した理由の一つだろう。この映画は商業的にも大成功を収めた。


元々の『ロメオとジュリエット』のアイデアは中世以前にまで遡るそうだ。時を経てイタリアやフランスで既に出版され演じられていた演劇の脚本からインスパイアされて、シェークスピアが加筆をして描いたのが有名なシェークスピア・バージョン。なんとシェークスピアの脚本は全てオリジナルではなかったのですね。


この映画の配役は、登場人物の実年齢に近づけたキャスティングで、撮影はイタリアで行われた。シェークスピア作の脚本なので、言語は1597年の古典演劇英語。しかし舞台はイタリアのヴェローナ(Verona)。イタリア人の監督が、英語の古典の脚本のまま、イタリアのティーンのロマンティックな悲劇を描いた。



まずタイトル画面に William Shakespeare’s Romeo and Juliet と出たので「これは古典英語か」と察した。続いて見続けるがなんとも難しい英語。わかったようなわからないような…。すると旦那Aが「これわかんないでしょ、字幕付けたほうがいいよ」と言うので「確かに、わからん」というわけで字幕を出したがそれでも…はて全体的に見て80%も聞き取れたかは疑問。映画は一度見ているし話もわかっているので問題なく楽しめたけれど、後から旦那Aと話していて、どうやら聞き取れなかった情報も沢山あったらしいことに気づいた。16世紀のシェークスピア英語はやっぱり難しかった。

しかしだからこそまた驚いた。この映画のロミオとジュリエットの役者さん達はお若い。撮影時に17歳と16歳なのにシェークスピア英語の芝居を納得できる演技で演じている。それに舌を巻く。

シェークスピア英語は舞台劇の英語なので、多少芝居がかるのは納得。それでもこの映画の若者達がしっかりと演技をしていることにとても感心した。...Convincing enough。すごいな~と思った。みんな上手なのね。


それからこの映画に出てくる若者達が皆全て美男ばかり。…まぁ私の偏見なのだろうけれど、ゼフィレッリ監督はゲイの方で、ましてやヴィスコンティ氏の元で仕事をしていた方で…だから美的感覚も相当なものだろうと。それでキャスティングも「芝居が上手くてルックスもいい役者」…そのようなこともかなり考えての配役だったのではないか。

主役のオリヴィア・ハッセーさんもレナード・ホワイティングさんも本当に綺麗です。イノセントで…しかし純粋過ぎるからこそ一途。あまりにも一途過ぎる若者の恋が信じられる。感動します。シェークスピアで泣けるってなかなかない。芝居が上手いからでしょう。年寄りは若者の瑞々しい恋を見るだけでも泣けるのよ。

この映画は目の保養。(撮影時の) 1967年のイタリアで、まだ古い建物や荒れた街並みが残っていた時代に、中世を再現して、英国から集めた美しく若い俳優さん達を使い、しっかりと演技指導をし、シェークスピア英語を巧みに喋らせて、耽美派のイタリア人の監督が、本格シェークスピア映画を撮る…そのようなドリーム・プロジェクトに私には見えてしまった。もうこのような設定でこのテーマの映画が撮られることはないだろうとさえ思った。傑作だと思う。

見て本当によかったです。あらためて昔日本で見た時の吹き替え版のティーン向け青春悲劇映画とは全く違う印象で少なからず驚きました。芸術作品。これは本当に見てよかった。


------------------------------------------------------------------------

少し面白いのでシェークスピア英語と現代英語を比べてみよう

第三幕・第5場
ロミオの台詞から
二人が共に夜を過ごして、朝立ち去るつもりのロミオがジュリエットに話す台詞。太字はシェークスピア。その下に現代の英語と訳。

* * * * * * * * * *

Let me be ta'en, let me be put to death;
   Take me away, put me to death;
   僕を連れていけ 死を我に

I am content, so thou wilt have it so
   I accept it if that's what you want.
   君が望むのなら 僕はそれを受け入れよう

I'll say yon grey is not the morning's eye,
   That gray light is not the dawn;
   あの灰色の空は夜明けではない

'Tis but the pale reflex of Cynthia's brow;
   it’s just the faint reflection of the moon's face.
   ただ月の女神(シンシア)の顔がかすかに反射しているだけ

Nor that is not the lark, whose notes do beat,
The vaulty heaven so high above our heads:

   And that’s not the lark, whose song fills the vast sky above us.
   あれはヒバリじゃないよ、
   僕たちの頭上高く大きな空に響くあの声は

I have more care to stay than will to go:
   I’d rather stay here than leave.
   僕は立ち去るよりもここにいたいんだ

Come, death, and welcome! Juliet wills it so.
   Come, death, I welcome you! Juliet wants it this way.
   来るがいい 死よ 僕は歓迎する ジュリエットが望んでいるんだ

How is't, my soul? let's talk; it is not day.
   How are you, my love? Let’s speak; it’s still not day.
   どう 僕の愛しい人? 話そうよ まだ日は明けない

* * * * * * * * * *

字幕を見れば何とか雰囲気はわかるけれど聞くだけではまずわからないですね。無理だこれは。現代英語とは言葉のリズムが違っていて意味がわからなくなる。旦那Aは聞くだけでもわかるのだそうだ。日本人が歌舞伎の台詞がなんとなくわかるのと同じようなものか。16歳の若い役者さん達がこの台詞で上手い芝居をしているのがすごいねと思う。ところでシンシアとはギリシャ神話の月の女神だそうだ。


2025年1月16日木曜日

映画『ビヨンド the シー 夢見るように歌えば/Beyond the Sea』(2004):Kスペイシーの大カラオケ大会…まぁ上手いもんだね






-----------------------------------------------------------------------------
『Beyond the Sea (2004)/英・独・米/カラー
/1h 58m/監督Kevin Spacey』
-----------------------------------------------------------------------------



先週の週末に家で見た映画。

先週、このブログの音楽コーナーで取り上げた米国の若い女性ジャズ・シンガーのSamara Joyさん。彼女の歌を聴いて「あ~ジャズっていいよねぇ」などと旦那Aと話していて、まぁ色々とYouTubeを漁って聴いていたわけです。「やっぱシナトラはいいよね。「Just In Time」はシナトラが一番いいね。おっと「Mack the Knife」はどうよ…これ20年ぐらい前に英国に住んでた時に、当時なぜか60年代のイージー・リスニングが流行って…アメリカや英国の「歌謡曲」的なものがロンドンですごく流行っていて、この Bobby Darin の「Mack the Knife」も(元Take Thatのアイドル)ロビー・ウィリアムスが歌ったりしてたよねぇ」…等々と話していた。「あのロビー・ウィリアムスはまぁまぁだったね、やっぱオリジナルがいいな。あ、そうだ、そういえば当時ケビン・スペイシーが Bobby Darin の映画を撮ってたよね。なんかちょこっとどこかで歌ってるの見たけど彼すごく上手いよね。その映画 見たいねぇ」などと話した。

「ちょっとアマゾン・プライムをチェックしてみようか…どれどれ、あ、あったよ。あ、これフリーじゃん。これフリーで見れるよ。見ようこれ。見よう見よう」…ということで先週の週末に見ることにした。その日は昼間、私は黒猫のアニメを見て酔ってしばらく寝ていたので、夜はいい音楽でも聴こうか…ということになった。


いや~…これは…。ケビン・スペイシーの大カラオケ大会やった。まぁ~上手いもんだ。それでOKOK。十分楽しんだ。この映画の評価はもうそれだけでいいのではないか。ケビン・スペイシーは歌が上手い。それです。


早速Rotten Tomatoesに評価を見に行ったら、なんとなんと100点満点中43点だそうだ。ぉお厳しいねぇ。なんで?

その理由はどうやら…まずこの主人公のボビー・ダリンさんが亡くなったのが37歳だそうなのですよ。それで批判の一番の理由は「当時45歳のケビン・スペイシーがジジイ過ぎる」ということらしい。それからボビー・ダリンさんの伝記映画としては…彼の影の部分が描かれていないから…表面をなぞっただけの薄っぺらい話だという意見もあったし、なによりもこの映画はケビン・スペイシーの「俺がボビー・ダリンを歌う姿を見ろ見ろ」という彼の「俺が俺が」のエゴの押しつけで恥ずかしい企画だとかなんとか…そのような厳しい感想/批判が出てきた。

なるほどね。元々ボビー・ダリンさんのことをよく知っている業界の人々には、ただケビン・スペイシーが得意顔で歌を歌うばかりの映画は問題なのかもしれない。

しかし私はボビー・ダリンさんに関する前知識が一切ない。この映画を見る前に彼の曲で知っていた曲は2曲のみ。なんの期待もなかったから、この映画がただケビン・スペイシーの大カラオケ大会でもなんの問題もなかった。すごく楽しかった。「やっぱケビン・スペイシーは歌がうまいよねぇ」と彼の歌に聴き惚れてそれだけで十分満足してしまった。(後半にかかる頃に少しだらけた感じはあったけど)。

確かにボビー・ダリンさんがどういうお方だったのかが解ったかと問われれば…どうだろう?あまり記憶にないかも笑。ただただ「やっぱケビン・スペイシーは歌がうまいよねぇ」だけだった。確かに。

まぁ個人的にはそれでもいいのかな…と思った。旦那Aも楽しんだらしい。

この映画でケビンさんはなんと18曲も歌ったらしい(サントラに18曲入っている)。それにケビン・スペイシーが結構踊る。驚いた。それに奥さん役のケイト・ボズワースはかわいい。歌を聴くためにもう1回見ようかな。


この映画、元々の企画は1994年頃に立ち上がったらしいのだけれど、実際にプロダクションが始まって撮影が行われたのは2003年の11月から。撮影は英国とドイツ。丁度その頃、当時の英国では前述の50年代後期~60年代初期のイージー・リスニング/歌謡曲がとても流行っていた。そして2004年からケビン・スペイシーはロンドンの劇場 Old Vic の芸術監督を始めていてロンドンを拠点にしていた。…なんだか様々なものが重なって出来上がった映画という感じがしますね。丁度いいタイミングだったのだろう。


丁度いいタイミングと言えば…
現在ニューヨークのブロードウェイで、このボビー・ダリンさんの新しいミュージカル『Just In Time』の公演の準備が進められているらしいです。初演は今年の3月28 日。劇場はCircle In The Square Theatre。もうチケットが発売されている。いいなぁ。楽しいだろうな。これヒットしたらツアーで来てくれないかなぁ。


Jonathan Groff as Bobby Darin on Broadway - 
First Teaser for Just in Time




2025年1月13日月曜日

映画『Flow/Flow/Straume』(2024):黒猫の冒険…しかし酔う





-----------------------------------------------------------------------------
『Flow (2024)/Latvia・Belgium・France/カラー・アニメーション
/1h 25m/監督:Gints Zilbalodis』
-----------------------------------------------------------------------------



久しぶりに映画館に映画を見に行った。そういえば去年2024年は結局一度も映画館にいかなかった。前回映画館に行ったのは『ゴジラ-1.0』で2023年の年末だ。

見ようと思ったのはもちろん黒猫が出てくるから。ラトビア製のアニメーション。言葉がなくて動物は動物の鳴き声を出す。トレイラーで見たら画面がとても綺麗だし、私は動物が好きだし、黒猫が主人公なら見に行こうと思い立った。


面白かったです。綺麗。なかなか映像はダイナミックで動きもすごいし、世界観もいい。セッティングや地理が不思議で、これはいったい何処の話だろう…とか、人間はどうしたのだろう…?とか、柴犬もずいぶんインターナショナルになったものだ…とか、様々な疑問を抱きながらも十分に楽しめた。


それにしてもあの設定はどうなっているのだろうね。不思議。言葉が全く出てこないので何の説明もなし。水が増える様子はまず自然界ではありえないレベルだと思うし、最後に急に水が引く意味もわからない。土地も…ワオキツネザルならマダガスカルか。ヘビクイワシならアフリカか? カピバラは南米だろう…それともこれはただおとぎ話として見ればいいのか。

そういえばジブリの『ポニョ』を思い出した。それ以外にもクジラのような魚のような巨大生物は…あれはジブリ風の怪物にも見える。山の様子や水の様子も…何度もジブリを思った。

アニメーションはそれほど精密ではないのかとも思った。少し粗い。日本のアニメならもう少し細かいところを詰めそうな気もする。しかし猫の動きはうまい。この監督さんは猫を飼っているのだろう。とてもかわいい。猫の声もかわいい。


内容は不思議だが、とにかくスクリーンの中の世界の展開を楽しめばいいと思う。特にメッセージがあるようにも思えないし(不思議な場面はいくつかあるが)、ただ不思議でダイナミックな世界感を楽しめばいいと思う。ストーリー的になにか驚かされるわけでもなかった。ただ黒猫と仲間の冒険を眺める映画。

擬人化の場面が少しあるのは少し疑問かな。動物たちは言葉を喋らないから頭の中身も動物かと思ったのだが、明らかに「船」や「物のコレクション」などの「人間的な知識」があって行動している場面もあるので、中途半端な擬人化にも見えた。特に気になるわけではないけれど。

そんなわけでただ不思議な世界の映像を楽しんだ映画。よかったです。ネット上では映画を見た人々が様々な解釈に思いを巡らせているようで、それを読むのも面白い。



ただ最後に言っておきたいことがある。この映画は

乗り物酔いします


ほぼ1時間半の長さ。映画館の前の席に座ってがっつり画面の近くで見た。最初は全く大丈夫だったのに、画面の動きの激しさを見ているうち、気付かない間に少しずつ酔ったらしく、最後の15分ほどは見ているのが辛い…はやく席を立ちたいと思うほど乗り物酔いをして気持ち悪くなった。映画でこうなることはめったになかったので驚いた。映画館を出た後も暫く気持ち悪かったので酔い止めの薬を飲んだ。

そんなわけでスクリーンに近い席で見る時は、酔いやすい人は注意です。最初から酔い止めの薬を飲んだ方がいいかも。


しかし思った。もしかしたらこの「酔い」は、私の年齢によるものではないかと。年を取ってこういうものも上手く処理できなくなってきたのではないかとも思った。もう画面の動きの激しいアクション映画は見れないのではないかと少し心配になった。ますます映画館から足が遠のく。



2024年9月17日火曜日

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日/Civil War』(2024):リアル?まさか本当には起こるまい







-----------------------------------------------------------------------------
『Civil War (2024)/米・英/カラー
/1h 49m/監督/脚本:Alex Garland』
-----------------------------------------------------------------------------



米国のTV・HBOチャンネルの広告でこの映画の放送を知り録画した。この映画の米国での封切は今年の4月12日だったそうだ。劇場公開された映画だったのですね。全く知らなかった。

それにしてもなんとタイムリーな…笑 と言っちゃいけないのかしら。今米国は分断されていますからね。 Civil Warとは内戦という意味ですが、昨日のエントリーで取り上げた…「2021年1月6日の連邦議会襲撃事件」のことを思い出せば、アメリカ国内で内戦が起こるかもしれない…と考える人もいないわけではないだろう。今のアメリカとは、そのようなことを考えさせられるぐらい分断されている…。

今年は11月に大統領選挙がある。その選挙でもしトランプ氏が負けたとしたら…また彼は暴徒を扇動して暴動を起こすのではないか…と心配する人もいるだろう。私もその一人。


この映画もそのような背景があって立ち上がった企画なのだろうと思います。タイトルはズバリ

Civil War


…私は単純に「面白そうだ」とテレビ放送を録画したのだけれど、旦那Aに「見る?」と聞いたら「見たくない」とのこと。そうかもしれませんね。彼にとっては大切な国だもの。自分の国の内戦の映画なんて見たくないのかも。


というわけで一人で鑑賞。

正直少し拍子抜け。というのもこの映画、お題の「アメリカの内戦」がどのような理由でどのようなカタチで始まったのか?の説明がほとんどない。

戦争は既に始まっていて、その戦時下を3人のジャーナリスト+1人の見習いカメラマンが車でニューヨークから首都ワシントンDCまで走る…という話。


冒頭に、白人の大統領がスピーチの練習をしている
「Some are already calling it the greatest victory in the history of mankind.」

…って、笑 これ、トランプさんの言葉づかいそのまんまじゃん。ウヒャヒャ…

やっぱりそうよなぁ。そうよ。今のアメリカを内戦に向かわせるのは、過去にも未来にもトランプ氏しかいないだろう。それぐらい彼は特殊。とんでもなく特殊。そもそも彼は大統領になるべき人ではない。この映画はそのような批判も込めて作られたのかもしれませんね。


映画の内容は…

「PRESS」の文字を車体に書いた車に乗って、4人の主人公達が戦争地帯を走り抜けるロード・ムービー。アメリカを車で旅すればわかるのだけれど、アメリカは何もない広大な土地を延々と移動してしばらくすると都市や町や家がぽつんぽつんと現れるもので、この映画も主人公達が車で移動する様子が多く描かれる。

長いドライブの途中の様々な場所で、4人はそれぞれの土地の個々の戦いのシーンを目撃することになる。道の途中に現れるガソリン・スタンド、広大な土地の豪邸、市民同士で銃を打ち合う現場、戦争中だとみじんも感じさせない平和な町、それから多くの人々が避難して助け合う場所、広大な土地の真ん中で銃を構えた二人組…などなど、様々なアメリカの内戦中の風景が描かれる。その様子は結構リアルなのだろうと思った。


私は聞き逃してしまったのだが、どうやら戦争の発端は、大統領がFBIを解散し、反旗を翻したカリフォルニア州とテキサス州の「西軍」に対して大統領が軍隊を送ったとかなんとか(違うかも)。

それにしても反大統領の勢力・西軍の設定が、テキサス州とカリフォルニア州の連合軍とは…あまりリアリティがない笑。カリフォルニア州は現実には左寄りのリベラルな州で、現実のテキサス州は右寄り保守派のコンサバな州ですから、現実にはありえない連合軍でしょう。

…しかし考えてみれば、現実には右と左で敵対し合っている地方を仲間同士にすることで米国の左と右の観客を必要以上に刺激しないように配慮もしているのでしょう。しかし戦う相手がトランプ氏風大統領であるのはごまかしていない。

ともかく。独裁者になった大統領に対して、西軍が武力で戦いを挑む。
…しかし西軍の軍隊はどこから来たのだろう?大統領には大統領が指令する国の軍があるはずだけれど、西軍の州の軍隊が大統領軍に反旗を翻したのか????…そのあたりもよくわからなかった。


映画としての印象は…

少しアート系の映画っぽい。トレイラー/予告で描かれているよりも、この映画はず~っと静かな映画です

戦時映画とはいいながら、カメラワークはどうもアート系の雰囲気で戸惑う音楽も突然場違いな歌が流れたり…それは意図的なのだろうけれど…、どうやら監督は戦争映画をアート系のイメージで見せたかったのではないかと時々戸惑った。

いかにも戦争アクション映画らしくなるのは、4人がワシントンDCに着いてから。街に戦車が走り、ヘリコプターがビルの間に浮かびながらレーザーを打ち込んだり爆撃したりする様子はなかなか本格的。

…そのような場面は、私にとっては『ゴジラ』映画のようなもので、まぁ派手にドンパチやってくれればよろしい。なかなかいい場面が多くてすごいなと思った。緊張の走る戦争映画のシーンでドキドキ。戦争映画は長い間見ていなかったけれど、今どきの戦争の描写はすごいねと感心。

不謹慎ですが、私は個人的にはまさか内戦が起こるとは思っていないので、戦争のドンパチの様子もただ面白いねと見た。



★ネタバレ注意



最後は『忠臣蔵』だな。吉良さんが追い詰められる様子と同じ。そしてそれが終わったら映画も終わってしまった。


戦争の政治的な背景だとか状況の説明もあまりないまま、悪者も捉まえることなくストンと戦争が終わってしまうのは、どうにも野蛮で鼻白む。…え~それで終わり? カダフィと同じじゃん。野蛮じゃないですか。ダメですよ。

…しかし綺麗ごとを描かず、何の説明もせず、その後国がどうなったのかなどの事後報告も無く、ストンと話が終わってしまうのも、実はリアルなのかもしれませんね。この映画、ただただ4人の主人公達が、内戦中の国内をドライブして走り抜け、様々な戦争の様子を目撃し、最後も結末を目撃してそれだけで終わり。

なんだかな~。ちょっと拍子抜けといういうか…。う~ん。


まさか現実に内戦が起こることはないでしょう…と私は思うのであまり深刻にならずに見た。しかし過去に何度かワシントンDCのあたりを車で移動したこともあるので、結構リアルだよな…とも思いながら見た。

制作は「もしアメリカに内戦が起こったら」と仮説を立て、それをリアルに描くために様々なアイデアを出したのだろうと思う。主人公達が車で移動して様々な土地に立ち寄り、突然戦いの場面に出くわしてびっくりする様子は、実はかなりリアルなのだろうとも思った。いかにも広大なアメリカならではの内戦の風景を描いているのだろう。

おそらく意図的なものだと思うが、大統領サイドは皆白人ばかり。そして西軍には様々な人種の顔が見える。これも今の過激な保守派の様子などを描いたのだろう。はっきりと言うならば「保守派の白人至上主義軍」と「有色人種とリベラル白人連合軍」の戦いの設定なのだろう。まぁそうですよね。

1回だけ見て、なんだかうだうだ印象だけ書いた。これからプロの批評を読んでみよう。



ところで余談だけれど…

見習いカメラマンのJessieちゃん。彼女はパパのカメラNIKONのFE2で写真を撮っている。この映画は彼女の成長物語でもあるのだけれど。

あのNIKONのFE2…私持ってますよ(自慢!)。だからちょっと嬉しくなった。デジカメが出てきてからもうず~っと触ってないけれど、今も箱に入れて持っている。買ったのは1984年。FE2は一眼レフのフィルムのカメラです。

しかしこのFE2は、マニュアル・フォーカスのカメラです。いちいち自分でレンズを回してピントを合わせなければならない。だからあのカメラは緊張する状況ではなかなか使いにくいだろうと思った。人が撃たれて死ぬ様子を初めて見た若い女の子が、震えもせずにマニュアルでピントを合わせるなんてプロでも大変だろうに…。ちょっと設定に無理があると思ったわ笑。

オートフォーカスが一般的になったのは、たぶん1990年ぐらいではなかったか。1990年年頃までにはCanonのオートフォーカスのカメラをプロのカメラマンも使っていたと思う。1984年頃はまだオートフォーカスのカメラは一般的ではなかったと思う。友人が同じころにFE2よりも上位機種のF3を買ったのだけれど、F3は当時プロが使っていたと記憶している。

このマニュアルのカメラは、小さなボタン電池を入れれば自動でシャッタースピードを決めてくれた。その電池は数年間はもつのでバッテリーの心配をしなくてもいい。そういうのも戦時下にはいいということだろうか。

昔はよく使った FE2。ちょっと箱から出してみようかな。
なんだかカメラの話が長くなった



2024年7月14日日曜日

TV Mini Series BBC『Disco: Soundtrack of a Revolution』(2023) 全3話:ディスコ・これもまたアメリカの現代史






-----------------------------------------------------------------------------
『 Disco: Soundtrack of a Revolution (2023)/英/カラー
BBC Two Documentary/3 episodes/1hr x 3
-----------------------------------------------------------------------------



少し前に米国の公共放送PBSで放送していたものを録画して視聴。英国BBCのミニ・シリーズ・ドキュメンタリー 全3話…オリジナルのリリースは英国で2023年12月16日。米国のリリースは2024年6月18日。



米国のディスコ・ミュージックは1975年頃から若者…当時20代だったベビー・ブーマーを中心に大きな流行となった。元々は都市のゲイクラブで流れていたダンス・ミュージックが、当時の社会の変革と共に一般の若者達にも受け入れられて大きな流れになる。ディスコ・ミュージックはそれ以前から続いていたアフリカ系アメリカ人公民権運動や女性解放運動、1970年代に盛んになっていった性の解放、LGBTプライド運動など、社会の変革期のバックグラウンド・ミュージックであった…という話。


おもしろかったです。ディスコの音楽が巷で流行っていた頃のことはよく覚えてます。私は中学生。洋楽に初めて興味を持ち始めた時期が丁度ディスコの流行っていた時代で、それ以前に聴いていたピンクレディの(踊れる)アイドル曲から移行して、私は当時のディスコ曲を何の抵抗も無く受け入れた。

私がおこずかいで人生最初に買った洋楽・日本盤のシングル(ドーナツ盤)は、

ABBA - Dancing Queen (1977)
 アバ - ダンシング・クイーン
Rod Stewart - Do ya think I’m sexy? (1978)
 ロッド・スチュワート - アイム・セクシー
Leif Garrett - I Was Made For Dancin' (1978)
 レイフギャレット - ダンスに夢中


最初に買ったのはABBAだと思う。当時のラジオ番組「ALL JAPAN POP 20」を聴いて「 Dancing Queen」が大好きでシングルを買ったと記憶している。ついでにロッド・スチュアートとレイフ・ギャレットも買ったのかなと思う。

なんと私が人生最初に買った洋楽はディスコだった。これが私の原点なのだろう。私のダンスミュージック好きのルーツはここにある。特にABBAはユーロポップ・ディスコ。私が今も英国や欧州発のEDMやハウス、トランス、ユーロポップを聴いている理由はこのあたりにありそうだ。

余談だがその後、ラジオで聴いたQUEENの「Don't Stop Me Now」とアルバム『QUEEN LIVE KILLERS』を買って、私はどっぷりとQUEENの沼にハマった。もうディスコは振り返らなかった。その後1990年代までずーっとロックを聴き続けたので私は自分のことをディープなロック・ファンだとばかり思っていた。

しかし原点はたぶんディスコです。
そんなわけで今も毎日EDMを聴いている。



この作品TVミニ・シリーズはダンス・カルチャーの盛んな英国が製作したドキュメンタリー。英国が外から米国のディスコの繁栄と衰退を見て論じた内容なのだけれど、初めて知ることも多く興味深かった。


ディスコは1975年から1980年頃に世界中で流行った。
その発祥の地・米国でディスコが流行った理由はいくつかある。

1975年頃にベトナム戦争が終わり社会の空気が変わった。
 重苦しい戦争の時代が終わり人々は反動で明るいエンタメを求めた
 進歩的なベビー・ブーマーの世代が当時20代半ばに達していた
 当時米国の社会は大きな変革期を迎えていた
 …公民権運動や女性解放、性の解放、LGBTプライド運動などがますます盛んになっていた。

世の中が変化を求めていた。大勢のベビー・ブーマー達が新しい価値観を推し進める。人々は自由を求め、古い考えを捨て、新しい価値観に飛びついた。

ディスコはそのような時代に大きな流行となった。



★ネタバレ注意



番組の感想ではなく、自分用のメモとしてこのドキュメンタリーに描かれた(それから自分でも少し調べた)「ディスコの繁栄と衰退」を記録しておこう。

ディスコが、フィラデルフィア・ソウルから発達してニューヨークのゲイ・クラブに持ち込まれ、巧みなDJの元で1975年頃から進化し発展。いつしかシングル曲がチャートを登り始め、その後映画『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコが大流行。メインストリームにディスコが溢れるようになる。しかし中西部の白人保守層から反ディスコ運動が始まり、たった5年間ほどでディスコの時代は終焉を迎える。


それにしてもイリノイ州シカゴの「ディスコ・デモリッション・ナイト」とは…本当に本当に最悪だ。この話を扱った別のドキュメンタリー『"American Experience" The War on Disco (2023)』は去年の秋に見た。このBBCのドキュメンタリーでもこの事件のことを取り上げているが、ここではネット上で調べた事件についての情報も追加して書き加えた。

白人保守層によるディスコ排斥運動は、そのまま米国の人種問題と関わっている。ディスコの流行によって「社会の弱者達」、白人達が思うところの「持つべきでない者」が富や力を持つことに対する白人たちの不満が「反ディスコ運動」のエネルギーとなった。米国の闇がここにある。米国はこのような歴史を何度も繰り返してきたし、そしてそれは今も続いている。

私は今はロックはほとんど聴かないのだけれど、その理由の一つは…アメリカの白人層と関るようになってから度々「人種に関する米国白人特有のいびつなもの」を感じるようになって、彼らが誇りとする音楽にも興味を失ったから…とも言えるのかもしれないとも思う。私はロックで怒りのこぶしを振り上げるより、ディスコやEDMでヘラヘラ笑顔で踊りたい。アメリカの白人の保守層とは(この話を見ても)つくづく関わり合いになりたくないものだと思う。ダサすぎ。



-------------------------------------------------
ディスコの歴史
-------------------------------------------------



最初はペンシルバニア州フィラデルフィアで起こった1960年代後期頃のフィラデルフィア・ソウルが、いつしかニューヨークのアンダーグラウンドのゲイ・クラブに飛び火。クラブの客層はゲイの黒人やヒスパニック系などのマイノリティが多かった。

ダンス・ミュージックがニューヨークのナイトクラブで大きくなっていくにつれ腕の立つDJも現れる。その頃、メディアがそれらのナイト・クラブを「ディスコテーク/Discothèque」と命名。

その後ダンスミュージックにインスパイアされたR&Bの曲がシングル・チャートにも上がり長い期間留まるようになる。ラジオがディスコを流し始める。ディスコがメイン・ストリームになだれ込む。

1977年には映画『サタデー・ナイト・フィーバー/Saturday Night Fever』」が空前の大ヒット。ディスコでお金が回り始める。誰も彼もディスコのフォーマットに飛びつくようになる。

…当時、ロックのアーティストまでディスコの曲を出すようになった。上記のロッド・スチュアートもそう。ポール・マッカートニーのWingsもディスコ調の「Goodnight Tonight」をリリースしてヒットしたのはよく覚えている。そうだ…そもそも英国/豪州のビージーズは元々ソフト・ロックのグループだった。

ディスコのジャンルからスーパー・スターも現れる…ドナ・サマー、グロリア・ゲイナー、アニタ・ワードは…女性でアフリカ系のアーティスト。それ以前には社会の弱者だったアフリカ系の彼女達はディスコの流行の中で大スターとなった。新しい時代の象徴だった。


ディスコはますます流行りのものとして大きく発展する。元々はアンダーグラウンドのマイノリティが集うナイトクラブ…人種や性別、性的な選択を問わない…自由な若者の集うオープンな社交場だったディスコが、いつしか「Studio 54」を頂点とする大都会のエリート達が集う社交場…「選ばれた者」だけが入店を許されるエリート達のエクスクルーシヴなディスコへと変わっていくにつれ、ディスコの趣旨は次第に変わっていく。

巷ではディスコが売れに売れ…売れすぎて、次第に人々はディスコに飽き始める。子供のテレビ番組にまでディスコ調の曲が流れるようになる頃には、次第にディスコが「かっこわるいもの」にも変わっていった。人々はうんざりし始める。

ニューヨークのエクスクルーシヴなクラブは裕福な美しいエリート達がアルコールとドラッグに溺れる場所でもあった。超排他的なクラブで自由の名のもとに乱れ踊る人々。


1978年頃からディスコへの反動が起こり始める。

ディスコはSinful/罪深いもの、邪悪なものだと考える保守層が現れ始める。ディスコは速いスピードで大きく流行したからこそ陰りが見え始めれば反発の動きも大きかった。特に中西部の白人の保守層がディスコに噛みついた。

反動の理由はディスコ・ミュージックがあまりにも流行り過ぎて人々がうんざりしたのが一番。そしてディスコが元々はゲイ・カルチャーとの関係が深かったこと…特に白人の保守層がここに食いつく。また彼らにとってはアフリカ系の女性がディスコでスーパー・スターになることも我慢ができなかった。それからディスコが流行り過ぎたために、ロックファンの間では「ディスコが、それまで白人が楽しんできたロックを消滅させるのではないか」との危惧もあったそうだ。


中西部イリノイ州シカゴのラジオのDJ・Steve Dahl 氏が、そのような反ディスコ運動の旗手となる。「Disco DAI (die)」や「Disco Sucks」などのスローガンが出始める。1979年には白人の保守的なロックファンに支えられた反ディスコ運動が始まる。反ディスコ運動はシカゴを中心とする中西部から、ワシントン州シアトル、オレゴン州ポートランドなどに飛び火。白人保守層のロックファンによる反ディスコを唱える暴力行為が行われるようになった。

1979年7月、シカゴのWhite Soxの球場でスペシャル・イベント「ディスコ・デモリッション・ナイト/Disco Demolition Night」が開催された。観客は破棄したいディスコのレコードを持ち寄ればWhite Soxのゲームに98セントで入場できた。球場が反ディスコの人々で一杯になった。皆が持ち寄ったディスコ・レコードは球場の巨大な木箱に投げ入れられ、 反ディスコ運動の旗手 Steve Dahl の指揮の元、木箱に爆弾が仕掛けられ爆破された。その後、球場には荒れ狂った人々がなだれ込みケオスとなる。結局騒ぎはシカゴ市警察の機動隊によって鎮圧された。 ディスコは終焉を迎える。

ディスコの時代の終焉の後、ディスコは地味ながらもゆっくりと…電子音楽や、ハウスを中心としたクラブ音楽…テクノやアシッド・ハウス等を含む… EDM に形を変え今も脈々と続き今に至っている。

-------------------------------------------------


近年このブログで取り上げる現代のダンス・チャートにも、あきらかに1970年代のディスコ調を再現した曲…Nu-Discoなどと呼ばれる曲がよく入ってくる。英国は特に70年代のディスコ風の音を忘れることなく温め続けているようだ。2000年頃のロンドンのアシッド・ジャズ/ハウスにも明らかに70年代のディスコ調の曲があった。英国では今もディスコが生き続けている。


私が1980年代に東京に進学してから出かけたいくつかのディスコ(当時の学生は皆ディスコに行っていた)は、名前だけはディスコだったものの(私が中学の頃に憧れた)1970年代のディスコとは様子が違っていた。米国のディスコ・ブームはもちろん既に終わっていたし、流れる曲も1980年代の普通の洋楽ポップスだった。流れていたのはCHICやSister Sledgeやドナ・サマーではなく、ヒューマン・リーグやホール&オーツやデュラン・デュランだった。外タレがよく来ていたと聞いた Lexington Queen にも行ってみたがロックスターは誰も見かけなかった。

余談だが、1990年代後半~2000年頃のロンドン。今アラカンの私の世代が当時まだ30代半ばだった頃、ロンドンのパーティーに行くとよくABBAが流れていた。当時ロンドンではABBAがリバイバルでベストアルバムが大ヒットしていた。会社の大掛かりなクリスマス・パーティーなどに出かけるとABBAが流れて、同世代の30代の男女が大勢でわらわらABBAや70年代のディスコ曲で踊っていた。私も旦那Aと彼の同僚達とフロアの真ん中で狂ったように踊り続けた。中学の頃に聴いていた曲でガンガン踊るのは最高に楽しかった。




2024年4月8日月曜日

映画『ワインは期待と現実の味/Uncorked』(2020):夢を追う若者





-----------------------------------------------------------------------------
『Uncorked (2020)/米・仏/カラー
/1h 44m/監督/脚本:Prentice Penny』
-----------------------------------------------------------------------------



私が今まで全く知ろうともしなかったワインの世界。去年のクリスマスにブルゴーニュ風ビーフ・シチューに使ったことで出会ったアルベール・ビショー/Albert Bichot 社のブルゴーニュ赤ワイン。それからネットで調べてワインのことに少し興味を持ち始めた。(フランスの)ワインには見分け方の基本があるんだねと。

ブドウの種類、ブドウが育つ土地の土の質、その地方の気候…。それらの条件でその土地特有の味のワインができる。ワインの名産地には歴史があって、その土地に特有のブドウが育ち特産品が生まれる…。

そのようなワインの基本の基本を知ることができたことがすごく嬉しくなった。そのきっかけを作ってくれたアルベール・ビショー社にも愛着が沸いた。感謝の気持ちも込めて。

先日も同社の米国のサイトを見ていた。そうしたらこの映画の記事が出てきた。アルベール・ビショー社のワイナリーがこの映画に撮影協力をしたらしい。え、そうなんだ。見たい。というわけで先週の週末にNetflixで視聴。


早速映画の冒頭から同社のワイン・メイキングのシーンが出てくる。お、いきなりですかと喜ぶ。ブドウの育つ様子、収穫の様子、工場でのプロセス、ステンレスのタンク、職人さん達が働く様子、そして工場でボトル詰めされているのは「Chablis」。映像を止めて「これこれ、このラベルよ」とまた喜ぶ。

アルベール・ビショー社が出てくるのは、この冒頭のワイン・メイキングの様子と映画の半ばで主人公が同社の見学に行くシーンで建物の外側が一瞬映るのみ。建物の中に入る様子は描かれていない。

それでもちょっと満足。なんだか知り合いが映画に出ているような気分。嬉しいわ。


いい映画です。監督はPrentice Pennyさん。今までテレビドラマのプロデューサーを多くなさっているアフリカ系の監督さん。

主人公はテネシー州メンフィスのワイン好きのアフリカ系の青年イライジャ。ワインショップでバイト中。父親ルイはローカルで人気のバーベキュー・レストランのオーナー。父親は息子にレストランを継いで欲しいが、イライジャはワインを真剣に学びたいと言う。


子供が家業を継ぐのか、それとも自分の生きたい道を選ぶのか…の父と息子の物語。どのような職種でもこのような話は有り得る。漆の職人さんの息子さんが美大に行ってアーティストになりたいと言うとか、農家の息子さんがエンジニアになりたいと言う…。そういえばちょっと前にうちの壊れた窓を直してくれた職人さん親子もそうだった。お父さんは窓修理の職人。しかし息子さんはカリフォルニアに行ってワインを学ぶ予定だと言っていた。このような親子の話は沢山あるのだろうと思う。

映画はイライジャ君が、世界的な資格「マスター・ソムリエ/Master Sommelier」の試験に合格するために努力を重ねるストーリーを追う。お父さんは最初は渋い顔。しかしお母さんが助けてくれる。イライジャ君は学校に通い始め、後にフランスに学びに行くチャンスもやってくる。夢を叶えるために頑張る若者の物語。いい話。イライジャ君を応援しながら見る。


アフリカ系の家族の明るさがいい。皆で集まってディナーの日、イライジャ君が皆に初めて「ソムリエになりたい」と夢を語る。皆のリアクション「え、アフリカのソマリア?」の会話のリズムが最高。ゲラゲラ笑う。すごくにぎやかで明るい家族。

様々な事柄が起こるのだけれど、特にお父さんとイライジャ君の関係に心動かされる。お父さんいい人。これは本当にいい親と子、家族の話よ。  

さて「試験はどうなるのか?」イライジャ君と家族を追ってストーリーに引き込まれる。いい映画。


ヒップホップのカルチャーで育ったアフリカ系の男の子が、世界的なワイン・ソムリエの資格を取るために努力をする映画。正直な話、私は最初はいまどきのポリコレ系の映画として、このアフリカ系の若者が人種のために苦労をする様子が描かれるのか…人種による困難にぶつかっても諦めずに頑張る若者の話が描かれるのかと思っていた。

ところがこの映画、人種に関する場面は一切出てこない。この映画は今どきの「説教型のポリコレ映画」ではない。ここで描かれるのは、人種の問題は一切関係なく…ただ一人の若者が夢を追って努力を重ねるストーリー。

それで考えさせられる。監督さんのPrentice Pennyさんはアフリカ系の方。このお方は意図的に「人種」をストーリーに盛り込まなかったのではないかと。これは一人の若者の話。若者が夢を追う話。だからこの映画を見る人が白人であってもアジア人であっても、皆がイライジャ君の話を自分のことのように見ることが出来る。映画のテーマ「父と息子、家業と夢」の話はどの文化圏の人が見ても理解できる話だろう。

メンフィスでもフランスでも、彼の周りの友人も、ワインの学びの仲間も…イライジャ君のストーリーに「人種」がお題に上ることは一切ない。彼のワインの学びの仲間はハーバード出身のエリート、(たぶん)インド系の女性、(たぶん)イタリア系の青年、そしてバイト先のワインショップのオーナーは白人で頼りになる相談相手。そして学校の先生やフランスで出会う人々も…。

私が個人的に人種のことを「心配」したのは、きっと私が今までに多少の人種関連の「経験」をしてきているからだろう。「もしイライジャ君がここで無視されたらどうしよう?」と必要もなく心配してしまったのは、私の中にも白人に対するバイアスがあるということだ。

「人種」を一切お題に上げない若者の物語。私はそこにもちょっと感動した。そうだよね。これが普通であるべきなんだよね。この話は静かに世の中の「理想」を見せてくれているのだろうと思った。ありがとうと思った。


最後は賛否両論だそうだ。私はこのエンディングだからこそいい話だと思った。これでいい。いい気持で見終わった。


余談だけれど…
実は知り合いに「マスター・オブ・ワイン/Master of Wine」の資格を持つ女性がいる。ロンドン時代の旦那Aの同僚の奥さん。彼女は20代から勉強を始めて、たぶん合格するのに5年以上(もしかしたら10年近く)かかったのではないかと思う。とにかく取るのが大変難しい資格だと聞いている。そのマスター・オブ・ワインの今の資格保持者は世界で416人。そしてこのイライジャ君が目指しているマスター・ソムリエは世界でたった274人。決して簡単に合格できる資格ではない。その彼女の旦那さんも、彼女が合格するまでに大量のワインを買わなければならなかったと言っていた。

昨日調べたら、彼女は今業界でかなり有名なワイン評論家になっていることを知った。本も出していてWikipediaにも名前が出てくる。かなりの大家になっているらしい。ひ~驚いた。そのような資格保持者は世界中のどこに行ってもひっぱりだこ。彼女達はロンドンの後、旦那さんの転勤で日本やシンガポールにも住んだのだけれど、企業との仕事はもちろん、時には大富豪のワインコレクションのアドバイザーとしても雇われたことがあると言っていた。そういえば「日本人は高いワインを実際に飲むのよね」などとも話していた。西洋では高いワインはコレクションをする人が多いそうだが、日本人は飲むのだそうだ。すごいね、日本の大富豪。


私はこれから少しずつ20~30ドルくらいのブルゴーニュとボルドーのワインを「これはどうかな~」と試していこうかなと思っている。フランスのワイナリーのストーリーを(飲みながら)学んでいきたい。…フランス革命の頃に始められたワイナリーなんてちょっと浪漫…。


2024年3月13日水曜日

映画『とんび』(2022):人生は大河のように







-----------------------------------------------------------------------------
『とんび (2022)/日/カラー
/139分/監督:瀬々敬久』
-----------------------------------------------------------------------------



TV Japanで過去に放送されたものを録画していた。やっと鑑賞。原作は重松清「とんび」。脚本は港岳彦。監督は瀬々敬久。


以前ここに映画『幼な子われらに生まれ』の感想を書いた。家族がテーマの話だった。原作は重松清氏。今回のこの映画の原作も重松清氏。この話のテーマも家族。

前情報は全く見ずに鑑賞。



1962年(昭和37年)、市川安男/ヤス(阿部寛)美佐子(麻生久美子)に息子・旭(北村匠海)が生まれる頃からストーリーは始まる。親の愛情を知らずに育った二人は、息子が生まれて家族になった幸せを噛み締める。時は昭和40年頃、1960年代の半ばの高度経済成長時代。舞台は瀬戸内海に面した広島県備後市。

ヤスはいかにも昭和の男。根は優しいが気が短く頑固、真面目な男だが不器用で照れ屋。言葉が出てこないから手が先に出る。彼は運送会社に勤務していて、会社の同僚や近所の仲間は皆家族のように親しい。男達は皆騒がしく、なにかといえば飲んでわいわい大騒ぎ。皆が集まる飲み屋の女将はヤスの姉貴分・たえ子(薬師丸ひろ子)。近所の寺の跡取りは幼馴染の照雲(安田顕)そしてその妻・幸恵(大島優子)

この映画もまたノスタルジックな「明るい昭和」の映画だと最初は思っていた。幸せな家族の話だろうと思った。ところが映画の初めの頃に美佐子が事故で命を落とす。ヤスは一人で息子・ 旭を育てていくことになる。それからの父と子の物語。

上手い役者さん達が沢山。丁寧に作られた映画。



★ネタバレ注意



息子・旭が生まれたのが1962年(昭和37年 )。原作の重松さんは1963年生まれだそう。そして主人公のヤスは1934年(昭和9年)生まれ…ヤスを演じる阿部寛さんは1964年生まれ。

…ということは、旭は重松さんと同世代。そしてその旭の父・ヤスを(現実で同世代の)阿部寛さんが演じていることになる。つまり映画の最後の2019年の場面で(1962年生まれの)旭は57歳。アラ還だ。 始めは昭和の話だということで「いつの世代の話だろう」と思ったのだが、旭が私に近い年齢だとわかってからはストーリーがもっと身近に感じられるようになった。

この映画には昭和の「普通の人々」の生活が描かれている。昔は特別なことではなかった人と人の距離の近さ。父・ヤスは旭を一人で育てているけれど、子育てに迷えば友人や知人がやってきて手を差し伸べてくれる。特に寺の住職・海雲(麿赤兒)とその息子の照雲と妻・幸恵はまるで家族のように何度もヤスと旭の家庭に踏み込んで助けてくれる。旭の成長は町の皆が見守ってくれている。

そのような環境で旭は成長する。小学生の頃はヒバゴンに興味を示し(ツチノコもあったよね)、高校生になったら野球部に入る。そして旭は成績も優秀。高校を卒業後は東京の早稲田大学に進学する。映画のタイトルの『とんび』とは「とんびが鷹を生んだ」からのもので、「とんび」とはヤスのことなのだろう。


映画の始めにヤスは最愛の妻を、そして旭は母親を亡くす。大きな悲劇。しかし彼らの日常はその後も続いていく。それがメインのテーマなのだろう。時が過ぎれば悲しい事故も過去のものになる。哀しみを溜め込むのではなく、ヤスは雪を解かす海のように哀しみを飲み込んで息子を育てていく。近所の友人たちに助けられながら前を向いて旭と共に歩いていく。

淡々と日々が過ぎる。あたりまえの日常…特に現在アラ還の世代には「ああそうだな」と懐かしく頷く場面も多い。旭の背中には沢山の人々の温かい手。ヤスは立派に旭を育て上げる。父と子の日常を描いて2時間、市川家の二人を見守り続ける映画。


途中でじわっと涙が出るような場面が何度も出てくる。特に人と人の絆の修復を描いた場面に心動く。飲み屋の女将・たえ子の後悔と再会。カウンターに並ぶ美味しそうなご飯に娘への愛を見る。そしてヤスと父親の関係の修復…ヤスが父に話しかける「俺を生ませてくれてありがとうございました、おかげでわしの人生は幸せそのものじゃった…ありがとう、お父ちゃん」


そして映画最後の場面は幸せの風景。旭と由美(杏)と息子が浜辺で遊ぶ様子を、ヤスが25年前の「自分と美佐子と旭のいた幸せな風景」に重ねながら眺めている。25年前のヤスの幸せそのままに、旭にも彼の家族が出来た。美しい情景。

その最後の場面の頃には私の目尻もヨレヨレに緩んでいた。2時間をかけてヤスと旭の25年間の旅を見終わって感無量。そしてその後のヤスも幸せだったことを考える。

「山あり谷ありのほうが人生の景色は綺麗なんよ」

ヤスの孫も大きく成長した2019年、ヤスは85歳、旭は57歳。旭の家族がヤスのお葬式のことを話している。旭は小説家にとして成功しているようだ。長い時間が流れた。


幸せが繋がっていく。ヤスの孫たちもこれから結婚し、いつか旭にも孫ができるだろう。そうやって家族は次の世代へと繋がっていく。

最後に私の目尻がヨレヨレになったのは、ヤスや旭の生きた人生がほんの少し羨ましかったからなのだろうと思う。これからも広がり繋がっていくヤスと旭の家族の未来を羨ましいと思ったのだと思う。

ヤスの晩年が幸せで本当によかった。



少し余談だが1960~70年代の再現が驚くほど丁寧。懐かしいものが沢山。

1974年昭和49年の市川家の食卓には見覚えのある物が並ぶ。派手な色のトースター、花柄の白いポット、日東紅茶ティーバッグの黄色と赤の箱、台付きの白い灰皿?、壁には鎌倉彫の壁掛け。奥の部屋にはチャンネルをカチャカチャと回すテレビ。その上には大阪万博の太陽の塔の像。横の床にはビニールのテープで編んだゴミ箱。ヤスの後ろの茶箪笥の引き戸の丸い金具をはめ込んだ取っ手、その茶箪笥の上の籠の中には雪印マーガリンの箱も見える。キッチンの窓辺には白地に赤い模様のホーロー鍋。そして旭の後ろの棚の上には青く塗った金属の懐中電灯、笠をかぶった狸の置物。あの頃の物が懐かしい(北海道土産のヒグマの木彫りはどこだ笑)

1978年昭和54年には屋内の物が少し変わっている。壁には海の風景を写した写真のシンプルな額縁。居間の電話はグレーの押しボタン式。食卓にはハイライトのタバコとLarkの缶灰皿。旭の部屋にはファンシーケース。その上には旧ロゴのアディダスのバッグ。その隣は(縦になっていて見えないが)マジソンスクエアガーデンのバッグだろう(縁が銀)。壁には修学旅行のお土産の奈良と別府の三角形のペナント。カラーボックスの上の時計は数字のカードがパタンと捲れる仕組みのデジタル表示。机の上には日本史や英語の参考書。見覚えがある笑。

そして時は流れ1988年昭和63年はバブルの頃。旭は出版社で働いている。編集部の雑然とした様子は私の知るあの頃の出版社編集部の様子と同じ。ポジフィルムを見るライトボックス。デスクで煙草を燻らせる編集者。ハンガーにかかった社員達の上着がカラフル。男性社員の着るセーターも派手。由美の前髪はムースで固められてゴワゴワだろう(私も固めていた)。


どの時代も丁寧に再現されていて懐かしかった。それでふと思った。私が子供の頃…旭が子供だった頃の1970年代は、もしかしたら今から見ればもうすでに過去の歴史上の時代になっているのではないかと。40年前の1984年はマドンナやマイケルが流行っていた頃。彼らもそろそろ歴史上の人物になりつつあるのではないか?…そのことをふと思いついて何とも言えない気持ちになった。あの頃は遠い昔。


2024年3月3日日曜日

米ドラマ FX『将軍/Shōgun』(2024) Pilot第1話 Anjin :これから楽しみです







-----------------------------------------------------------------------------
『Shōgun』(2024) TV Mini Series
/米/Hulu, FX/カラー/55–70 minutes
Creators:  Rachel Kondo, Justin Marks
Based on Shōgun by James Clavell
No. of episodes: 10話
Release: February 27, 2024 – April 23, 2024
---------------------------------------------------------------------------



米国 FXにて。初回の放送は2月27日。パイロット/第1話を週末に録画で視聴。


まずまず。まだ人物達の紹介で終わった第1話で良いか悪いかの判断はできない。ただハリウッドがお金をかけて1600年頃の時代劇を撮ってくれるのであればそれだけで興味津々。第1話はまずまず面白かった。十分興味は持った。これから楽しみ。


『将軍』はオリジナルの1980年のドラマを高校の頃に見た。内容はよく覚えていない。覚えているのはリチャード・チェンバレンが素敵ねとか島田陽子さんが綺麗ねとかそのような程度。ガイジンさんが日本の女優さんと日本のドラマをやってるのね♪ ぐらいの印象。当時私は日本史に全く興味がなく内容もさっぱり理解していなかった。同作の吉井虎永は三船敏郎さん。

ドラマを見た後でジェームス・クラヴェルの原作も読んだ。ソフトカバーの単行本でざらっとした質感の白い紙に赤と黒のかっこいいデザインのカバー。1冊5 cmぐらいの分厚い本が「上・中・下」の3冊だった。もちろん原作の内容もさっぱり覚えていない。苦労して読んだのに。

それでも記憶に残る作品だ。旦那Aもドラマを覚えているという。原作は読んでいないらしい。今は旦那Aも日本の戦国時代の知識は多少ある。二人でワクワクしながら録画で視聴開始。



早速ストーリーのセッティングは軽く理解した。

簡単に言えば…
(ベースになる歴史は…)秀吉が死去して5大老が末期の豊臣政権の政務を行っていた頃。徳川家康が諸大名と私的婚姻を計画している話が他の大老達にバレて追い詰められる場面が出てくる。なぜか5大老をまとめているのが石田三成のキャラ。そのような状況の1600年、オランダ船に乗ったイギリス人・ウィリアム・アダムスが日本に漂着した


Wikipediaに登場人物がまとめてあったのでメモ。
英語のページに載っていた順で       ● 五大老
-----------------------------------------------------------

真田広之:吉井虎永 (徳川家康 (1543–1616)) 
● コスモ・ジャーヴィス
 :ジョン・ブラックソーン (William Adams三浦按針 (1564–1620))
● アンナ・サワイ:戸田鞠子 キリシタン( 細川ガラシャ (1563–1600))
● 浅野忠信:樫木藪重 ( 本多正信 (1538–1616))
● 平岳大:石堂和成 ( 石田三成 (1559–1600)) 
● トミー・バストウ
 :マーティン・アルビト司祭 (João Rodrigues Tçuzu (1561–1634))
● 二階堂ふみ:落葉の方 (淀殿 (1569–1615))

● 金井浩人:樫木央海 (本多正純 (1566–1637))
● 穂志もえか:宇佐美藤 -- 戸田広松の孫娘
● 阿部進之介:戸田文太郎 (細川忠興 (1563–1646))
● 西岡徳馬:戸田"Iron Fist"広松 ( 細川藤孝 (1534–1610))
● 螢雪次朗:太閤 ( 豊臣秀吉 (1537–1598))
● 竹嶋康成:村次
● 倉悠貴:吉井長門 ( 松平忠吉 (1580-1607))
● 向里祐香: -- 遊女
● 洞口依子:桐の方 ( 阿茶局 (1555-1637))
● 亜湖:Daiyoin/大夫人・伊与 ( 高台院 (1549–1624))
● トシ・トダ:杉山如水 (前田利家 (1539-1599)) 
● ヒロ・カナガワ:五十嵐
● Junichi Tajiri as Uejiro
● Néstor Carbonell as バスコ・ロドリゲス
● Nobuya Shimamoto as Nebara Jozen
● 祁答院雄貴:竹丸
● 藤本真伍:志津の方
● Haruno Niiyama as Natsu No Kata
● Joaquim de Almeida as Father Domingo
● Paulino Nunes as Father Paul Dell'Aqua
● ヒロモト・イダ as 木山右近定長 キリシタン (小西行長 (1555-1600)) 
● タケシ・クロカワ as 大野晴信 キリシタン (大谷吉継(1558-1600)) 
● Yuko Miyamoto as Gin
● Yoshi Amao as Sera

-----------------------------------------------------------


これは関ケ原の前の状況ですね。わかりやすく石田三成(石堂和成)を家康(吉井虎永)の「敵」にして五大老(石堂和成 ・吉井虎永・杉山如水・木山右近定長・大野晴信)のトップに据える。そして家康がそれに抵抗している状況。この様子ならこのまま「関ケ原の戦い」がハリウッド方式で再現されるのだろう。これは楽しみ。

㊟史実の五大老:徳川家康・前田利家(後に前田利長)・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景(後に上杉景勝)



★ネタバレ注意


パイロット/第1話は主人公の航海士・ジョン・ブラックソーン(ウィリアム・アダムス)の乗ったオランダの商船が日本に漂着するところから始まる。実際にアダムスの漂着したのは豊後(大分県)だったそうだが、このドラマではAnjiroに漂着。そこで浅野忠信の演じる樫木藪重(本多正信)の家臣に捉えられる。

樫木はオランダ船の積み荷を抑えジョン達を酷く扱うが、大阪にいる吉井虎永(徳川家康)からの命でジョンを大阪に送るように命じられる。


興味深いのは当時の欧州の新旧キリスト教の事情が描かれていること。当時1600年頃は欧州のキリスト教徒がカソリックとプロテスタントに別れて争っていた時期(このしばらく後の1618年に新教と旧教による30年戦争が欧州で勃発する)。 そのためカソリック教徒のポルトガル人がプロテスタントの英国人ジョンを嫌う。最初に出てきた司祭はジョンを「海賊だからと処刑しろ」と樫木に進言。それは実行されなかったが、大阪への渡航中(元々はポルトガル船に雇われた)スペイン人の航海士ロドリゲスもプロテスタントのジョンを敵として認識している。かなり辛辣にプロテスタントの英国人ジョンを嫌うカソリック教徒のポルトガル人とスペイン人の描写が面白いと思った。


さてなぜ樫木の元に漂着したオランダ船のことを虎永は知っていたのか?実は樫木の元に送り込まれた虎永の家臣がそのことを伝書鳩で虎永に伝えていた。つまり虎永は樫木を信頼しておらず、樫木の領地にスパイを送っていたことになる。

それにしても設定では本多正信の樫木藪重(浅野忠信)がなぜあれほど異常な人物に描かれているのかが不明。樫木が本田正信なら彼は最後まで家康の側にいるはずなのに。


とりあえず話は面白そうだと興味を持った。これからも見る。見どころは日本の時代劇をハリウッドの巨額な投資でどのように料理してくれるかということ。日本のテレビではできないことをどれくらいやってくれるのか。それが一番の楽しみ。この第1話も荒れた海の上の船の描写は映画のようだった。CGによる俯瞰もいい眺め。


画面の色合いはは全体に青みがかっていて暗くあまり綺麗ではないが、この色合いは…欧州の中世を描いたドラマや映画でもこのような色合いが多いので「中世色」というものか。慣れるしかない。

西洋の時代ドラマ/映画でも、中世を描く作品はことさら暴力描写と性描写が多い。基本的に「中世は野蛮だから」の考え方で、製作はそれを「リアルだ」と言い訳にして大衆に受けるようにショッキングなシーンを描くのだろうと思う。このドラマもいくつかの残酷なシーンや不必要な裸のシーンは我慢しなければならないのだろう。


そんなわけで私が個人的に気になるのは、ハリウッドがどのように日本のなんちゃって歴史ドラマをつくるだろうかということ。このドラマは真田広之さんがプロデューサをなさっていて内容にも目を光らせてくださっていると聞いているけれど、原作が英国人による1975年に書かれた小説ということもあって、やはりハリウッド製作なら飲まなきゃいけない妙なシーンやプロットもあるのではないかと思った。面白がるだけのために、リスペクトに欠けた極端なエキゾティズムが日本人には鼻につく可能性もあるだろう。

それで第1話の妙なシーンを少し
・ジョンが連行されるシーンは第二次大戦時の捕虜収容所か?
・キリスト教信者の頭が突然斬られて吹っ飛ぶ。不必要なグロ。
・樫木藪重の異常性 意味もなく船員がリアルに釜茹でになるグロシーンは不快で不要(原作にあるらしい)
・遊女が若者を組み敷く様子を樫木が楽しそうに見る(無駄なハダカ)
・樫木は一応は大名なのに、南蛮人に挑戦されたからといって(別の南蛮人を)危険を冒してまで自ら助けに行くはずも無し(アフォォ笑)
・樫木が溺れながら意味なく刀を抜く。意味なく自刃?
・皆がすぐにほいほい刀を抜く、抜きがち 無意味
・早速おきまりのハラキリ…しかしそのグロ・シーンは見せなかったのでヨシ


私が大昔にハリウッド製『ラストサムライ』をありがたがったのは、監督と製作全体に日本へのリスペクトを感じたから。あの映画は(たとえなんちゃって時代劇であったとしても)明治維新後に失われゆく武将達の文化を、リスペクトをもってかっこよく描いてくれたから。

もしハリウッドが『将軍』の題材を使って「これが残酷でショッキングで異様なアジアの未開の野蛮な蛮族のなんちゃって中世(近世)・ファンタジー時代劇ですよ」と撮ったとしたら私は醒めてしまう。さてどうなるか?期待しましょう。




2024年2月29日木曜日

映画『アキラとあきら/Akira and Akira』(2022):うまいキャスティング、ポジティブなメッセージ






-----------------------------------------------------------------------------
『アキラとあきら(2022)/日/カラー
/128 m/監督:三木孝浩』
-----------------------------------------------------------------------------



しばらく前にTVJapanで放送されたものを録画していた。前情報なしで鑑賞。


主人公は二人。二人とも産業中央銀行の銀行員で同期。

山崎瑛/アキラ(竹内涼真):零細工場の経営者の息子、
 幼い頃に父親の経営する工場が倒産。東大を卒業。
 努力して銀行員になった。熱い男。

階堂彬/あきら(横浜流星):大企業「東海郵船」の御曹司
 恵まれた環境で育ち東大を卒業。
 冷静。家を継ぐことに反発して銀行員になった。


最初にアキラの父親の倒産の場面を見て「これは半沢直樹か?」と思った。すぐに調べたら原作者は池井戸潤さん。やはり『半沢直樹』の原作者だった。そして主人公二人も銀行員。

違う環境で育った(同じ名前の)二人は同期でライバル。この二人がどのように絡み合っていくのか?が話の軸。


最後は綺麗にまとまって気持ちよく終了。銀行のことはよくは知らないが、内容もわかりやすく不自然なところもなかった。それほどびっくりするような驚きや笑いはなかったけれど、ストーリーは自然に流れて違和感がなかった。最後は絵に描いたように綺麗にまとまった。人の人生に起こる様々な出来事を前向きに捉えるポジティブなメッセージを感じた。

何よりもこの映画は「売る」ために作られた映画だろうと思った。原作者は大ヒット作『半沢直樹』の池井戸潤さん。そして主人公のお二人が大変ハンサムな俳優さん達。彼らを見るためにだけでも若い観客が多く集まったのではないか。


このドラマで一番いいと思ったのはその配役。特にメインのお二人のキャスティングが素晴らしいと思った。

大企業の御曹司・階堂彬/あきらを演じる横浜流星さん。
綺麗なお顔の青年ですが(いい意味で)表情に憂いがある。あきらは大企業の御曹司なのに叔父達や弟の暴走で苦悩。父親からのプレッシャーからも逃れたかったのだろう。その苦悩が(ただ綺麗なだけではない)憂いを帯びた彼の表情にも見て取れる。表情に少し影がある。育ちのいいお坊ちゃんなのに悩みがありそうなその表情がキャラクターにマッチしていると思った。途中でイライラして怒鳴り散らしたり、机のものを床に払い落したりしていたけれど、彼の憂いのある表情でその行動も納得できた。うまいキャスティング。憂いのある表情というのはセクシーなのですよね。流星というお名前もまたミステリアス。月の光が似合いそうな青年。文系の女性に人気なのだろう。

そして苦労人の山崎瑛/アキラを演じる竹内涼真さん。
このお方は見るからに真っ直ぐな好青年。お名前が涼真さんだそうですがまさに涼やか。お日様を沢山浴びて育ったような明るい印象。このアキラは苦労をして育ったにはずなのに、どうしてそんなに真っ直ぐな目をしていられるのだろうと思うほど。決して打ち負かされないスーパー・ヒーロー系にも思える。黒目がちの人懐っこそうな目はまるで子犬のよう。人が大好きでフレンドリーなゴールデン・レトリーバーが思い浮かぶ。一ミリの曇りもない好青年ぶりがお見事。アキラが銀行員になったきっかけが満島真之介さん演じる銀行員(すごくいい人)にインスパイアされた…というのも納得。そうそう満島真之介さんも「いい人」の印象ですもんね。竹内さんの太陽を沢山浴びて育ったような「陽」の魅力は体育会系の魅力なのだろう。彼は声の響きも心地よい。

そのように、俳優さん達それぞれの佇まいや印象で選ばれたのであろう配役が素晴らしかった。お二人を見ているだけでそれぞれのキャラクターに納得できる。特に竹内涼真さんの誠実な好青年ぶりがすごいと思った。適役。


昔は明るい好青年だった江口洋介さんが、凍り付くほど冷たい上司・不動をなさっているのも感慨深い。落ち着いていて父親のような融資部長・羽根の奥田瑛二さんもいい。アキラが子供の頃に憧れた誠実な銀行員・工藤(満島真之介)、悲しむアキラを慰めた(父の)工場の従業員・保原(塚地武雅)などなど、全体に配役がすごくいい。


苦労をしても諦めず真面目に努力を続けた山崎瑛/アキラくんのような「まっすぐな人」「いい人」のストーリーというのは、今の時代にはとても必要だと思う。若い人がこの映画を見て、彼のように誠実に、真っ直ぐに生きたいと思えればいい。

諦めず努力をする人が成功する映画
「まっとうな人」がヒーローになる映画
「誠実な人」がヒーローになる映画
「困っている人を見捨てない人」がヒーローになる映画
「思いやりのある人」がヒーローになる映画

そのような「いい話」の映画が今の時代は必要だと思う。情報が溢れすぎて世の中が混沌としているように思える現代、若い人達は皆「正しい生き方」の基準がもっと知りたいのではないかな。

いい話です。いい映画。


2024年2月25日日曜日

映画『バービー/Barbie』(2023):肩の力を抜こうぜ







-----------------------------------------------------------------------------
『Barbie (2023)/米・英/カラー
/1h 54m/監督:Greta Gerwig/脚本:Greta Gerwig, Noah Baumbach』
-----------------------------------------------------------------------------


話題作ということでしばらく前にテレビで放送されたものをまたまた旦那Aが録画していた。昨日鑑賞。

いや~難しい映画だったわ。難解。マジ。何が言いたいのか全然わからなかった。面白くなかった。監督のテイストと合わないのだろうと思う。監督はグレタ・ガーウィグさん。彼女の映画(世間で大絶賛された)『レディ・バード』も全然ダメだった。合わないのだろう。

メッセージ性がありそうだけれどかなりケオスで混乱する。結果映画を見終わっても「何が言いたかったのだろう?」と首を傾げた。私は大抵の映画は「…まぁこのようなものだろう」と自分なりに納得するのだけれど、この映画にはただただ混乱するばかり。

たぶん私の年齢が年寄り過ぎるのだろうと思う。それから私はジェンダー不平等問題にあまり感心がないのだろうとも思った。まず子供がいないし、育てていないし、今の若い女の子達の苦悩もメディアなどから受ける印象から勝手に想像するのみ。どのような世代であれ(男女の違いなく)それぞれの世代の悩みや苦悩というものがあるのは理解しているつもりだけれど、一体この映画の監督やクリエイター達は、何を(ジェンダーでしょう)そのように大層な問題として大騒ぎしているのだろうと思った。

というわけで時代に取り残された年寄りがトンチンカンな感想を書く。辛口なのでごめんね。ちなみにこれは1回見ただけの印象。無理にメッセージを探そうとして混乱した。2回目に見ればもう少し楽しめるかも。


個人的な話だが私はあまり…そのジェンダー不平等問題で苦労をしてこなかった。美大を出てデザイン事務所に勤務して20代を過ごした。美大の学生だった頃もデザイナーとなってからも男女で扱いが違うなどということはなかったし、世の中はバブル期で仕事が溢れて超がつくほど忙しかったので、女だろうと男だろうと終電を逃して朝の2時3時4時5時まで仕事をしてタクシーや始発で家に帰る生活をしていた。結果が出れば給料は男の同僚と変わらないし、特に男女の扱いの差で苦しんだ記憶はない(ブラックな勤務時間はかなり辛かったけれど)。

その後は仕事を辞めて(辞めざる負えなかった)海外でなんちゃって学生。そして母にならずに専業。…結局私は(男女差が今も存在する)古い体質の大企業で男性社員と競って給料や昇進に悩んだ経験がないからその辛さがわからないのかもしれぬ。2023年に公開された女性向けの映画で、これほどまでに「女が女がおんなおんなおんなおんなオンナにもっとフェアな世の中になれ!!!!」と言っているメッセージに私は少なからず驚いた。

今でも女性は社会の中で虐げられているのか?


★ネタバレ注意


この監督からの一番のメッセージは…女性がいかに「不幸」なのかということなのだろうか?私は劇中のお母さん・グロリアのあの「オンナの叫び」のすごさにとても驚いた。気になったのでネット所を探したら出てきた。訳をする

------------------------
「オンナであることは無理なのよ!あなた(バービー)はそんなに綺麗で賢いのにそれでも十分だと思ってないなんて…辛くなるわ。私達女はいつも並外れてなきゃいけないのに、とにかくいつも間違ってるのよね。痩せてなきゃいけないのに、痩せ過ぎちゃいけない。そして「痩せたい」と言うことも許されない。「健康でありたい」と言わなければならないけど、同時に痩せてなきゃいけないの。お金を持ってなきゃいけないけれど、お金を欲しがってはいけない…だって下品だから。(チームの)ボスにならなければいけないけれど、意地悪しちゃいけない。人をリードしなければいけないけど、他人のアイデアを潰しちゃいけない。母親になることを喜ぶべきなのに、子供のことを喋り続けてはいけない。キャリアウーマンになるべきなのに、常に人への心配りを忘れてはいけない。男のダメな行動に答えなきゃいけない(それ狂ってる)のに、それを言えば文句が多いと非難される。男のために美しい女性であるべきだけれど、男を魅了するほど綺麗なのはダメで、またシスターフッドが大切だから他の女性が辛い思いをしないように綺麗にし過ぎるのもだめ。でもいつも特別で感謝の気持ちを持つべきなの。でもそのシステム自体が不正に操作されていることを忘れずに。だからそれをわかった上で感謝すること。年を取ってはいけない、失礼でもいけない、人に自慢してもいけない、自分勝手もいけない、決して転ぶな、間違えるな、怖がるな、常識から外れるな。もうすっごく大変!!!矛盾が多過ぎて誰もあなたにメダルをくれたり感謝してくれることもない。その上にあなたは間違っているだけじゃなく、それは全部あなたのせいだと言われる。(その方が皆に好かれるからって)私自身も他の女性達も皆混乱して苦しんでるのを見るのにうんざりしてる。そしてその全てが女性を表す(あなた)人形も同じだなんて…もう私にはわからないわ。
------------------------

うわ~大変やな。確かに。正しい。…しかし世の中の全てをこれほどまでネガティブに見る必要もないと思うぞ。自分で選んで大変な生き方をしているようにも聞こえてしまう。必要以上に自分を追い詰めていないか? もっとイージーでいいんじゃないの?もっといいかげんに生きたほうがいい。こんな生き方は辛いと思う。

これはグレタ・ガーウィグさんだか男性脚本家だか…女性は女に生まれただけでとんでもなく大変で辛くてフェアじゃなくてものすごくものすごく苦しい苦しい苦しいのよぉ~~~!!!!と言いたいのだろうか。

唸りますね。もうちょっと皆ダラダラしたほうがいい。人生をあまり難しく考えない方がいいと思う。日常の小さなイラつくことをいちいち全部重箱の隅をつついて最後の1ミリまで見逃さず、これもだめ、あれもダメ、苦しい、辛い、ああ私は不幸不幸不幸だ…と言ったからって、あまり状況が変わるとは思えない。

それからもうひとつ気になった台詞。車の中でのバービーと親子の会話。バービーが「私、女性が好きなの。女性を助けたいのよ」と言えば、娘のサシャ(10歳くらい?)が母とバービーに言う

「Everyone hates women. Men hate women and women hate women. It's the one thing we can agree on. 皆女が嫌いでしょ。男は女が嫌いだし、女も女が嫌い。これだけは皆同じ意見だよね」

ぉおおおおぅ…女は女が嫌い?ぇぇえ…ぅ~時々思いますけどね…でもずいぶん世の中を斜めから見ていないか?女性同士だからこそわかり合えることも沢山ありますよねぇ。

…なんかね、こういうのも含めて、この映画全体に流れる「女として生まれた苦悩」があまりにも大き過ぎて気になって、なんだか私には…この映画、総天然色ピンク大爆発のカラフルな映画なのにどうもメッセージが暗い。そうか。女は辛いか。確かに皆に愛される完璧な女になろうとすると人生は苦しいものなのか。そうか。


…あ、わかった。私は間違いなくあの変てこバービー(ケイト・マッキノン)なんだ。たぶんいつもはみ出してきたんだわ。たぶん中学ぐらいからそうだった。だから「完璧な女」になるつもりなんて早い時期に諦めたのだろうと思う。だから完璧になろうとする女性達の辛さがわかりづらいのかも。いや…途中まではそれなりに頑張っていたと思うが。

はみ出して何が悪い。アダムスファミリー好きだし。


なんかさ、先日のアリアナちゃんの歌の歌詞じゃないけど、皆他人の意見なんか気にしなきゃいいと思う。上の母・グロリアさんの言葉も、全部他人からの自分への批評や批判に苦しんでいるわけですもんね。「完璧になろうと努力しているのに全部非難される」と言っている。


それから、ケン(ライアン・ゴズリング)の家父長的な価値観がどうのこうの言う場面も、今の時代にそれほど大きな問題には私には見えない(そう見ようと思わなければ)。まぁ米国とは、スーパ・ーボウルなどで国中が巨大なマッチョ男に騒ぐ国なので私にはわからないのだろうとも思うが…アメリカの女性はスーパー・マッチョの巨人好きなのですよね。もしこの映画が言うように「米国に家父長的な価値観が今も強く残っていて、そのために多くの女性が苦しんでいる」のが現実なら、それはマッチョで自分勝手で傲慢な男を「男らしい」と好む女性の側の問題でもある。

しかしだからと言って、そのような男達と戦って、追い出すのがいいのかどうかは疑問だ。皆アマゾネスにはなりたくないと思うぞ。私はなりたくない。

男女も同性同士も皆仲良くしたいですね。


…というわけでなんだか難しい映画でした。女性は今の方が生きづらいのかもしれぬ。どうなのだろう。


マーゴット・ロビーさんは本当に人形のように美しい。しかしバービーとしては結構年が上。今33歳なのでギリギリOK。演技も上手い女優さん。ユーモアのセンスもありそうでいい。
ライアン・ゴスリングさん。彼はミスキャスト。ジジイ過ぎで不自然。今43歳だもの。もうおじさんだから生々しいむんむんの男臭さがとても邪魔。子供が喜ぶ人形に見えない。バービーもケンも20代の俳優を使った方がいいのにと思った。もちろん彼のせいじゃない。大物俳優を使わなければならなかったキャスティングのせい。

白人が演じるバービーとケンを見ていて、今のアジアのポップスターの方がずっとリアルに人形っぽいなとも思った。もう白人には憧れない~(個人的意見)


1970年代初頭、子供の頃に明るいブロンドの髪のいずみちゃんを持っていた。りかちゃんのように横向きの目ではなく、当時の少女漫画のようなキラキラした目をしていた。それから70年代半ばにドーン/Dawnちゃんという小ぶりの人形をもらった。アメリカのデザインだったらしく固いまつ毛の束がバシバシに付いていた。青い目にブルーのアイシャドウ、お顔がいかにも洋風でメリハリのある身体をしていた。赤みがかった金髪はロングで艶々。眉で切りそろえた前髪が可愛かった。ピンクのホルターネックのワンピースを着ていた。今ネットで「Dawn doll」と画像検索したら写真が出てきた。いずみちゃんとドーンちゃんの二つの人形にラメ入りのリボンやハンカチでゴージャスなドレスを作って友人と遊んでいた。懐かしいね。 あ~後からいづみちゃんの髪を切った気がする笑。


2024年2月14日水曜日

映画『Thriller 40』(2023):もう1回スリラーを練習するか







-----------------------------------------------------------------------------
『Thriller 40 (2023)/米/カラー
/1h 30m/監督:Nelson George』
-----------------------------------------------------------------------------



旦那Aが先日TVから録画していたので視聴。


「アイドル」の話をするならこの人避けて通るわけにはいかない。このお方は巨大アイドルビジネスの型を作った人の一人。

もちろん彼の前にはプレスリーがいたしビートルズもいた。まぁその他にもそれぞれの年代でアイドルは沢山いたと思うけれど、いやしかし…1983年頃のマイケルを超える人は未だいないのではないか?

人類史上最強、怪物級の大物アイドル、マイケル・ジャクソン。彼をその地位にのし上げたのは彼が1982年にリリースしたモンスター・アルバム『スリラー/Thriller』。アルバムが売れに売れて、世界中の人類が皆マイケルのように踊りたくなった。皆が彼に憧れた。

このアルバムはとにかくよく売れた。米国ビルボード・アルバムチャートで37週間1位を記録。世界中でも1位。同アルバムからのシングルは7枚全てが米国シングルチャートでトップ10入り。世界中でもチャート入り。このアルバムは、それまでのアルバム・セールス記録を塗り替えたのみならず、曲、ビデオ、アーティストの在り方、プロモーション方法、レコードレーベルのあり方、プロデューサー、マーケターのあり方、曲の振り付け…等々米国の音楽業界のスタンダードを全て書き替えたとも言われている。そして発売から現在に至るまでの売上は約7000万枚(推定)で「史上最も売れたアルバム」とされている。

この映画はそのモンスター・アルバム『スリラー/Thriller』(1982年11月29日(米国)リリース)の40周年に作られたドキュメンタリー映画。映画のリリースは2023年12月2日。


あの時代にティーンの時期を過ごした者なら誰もがよく覚えているあの頃。マイケルのファンじゃなくても、普段はR&Bを聴かない人でも、普段はプログレしか聴かない人でも、マイケルの『スリラー/Thriller』は皆買った。そして当時真夜中に日本のテレビで放送されていた米国MTVのまとめ番組でマイケルのダンスを見る。そして真似をする。みんなやった。みんな彼のように踊りたいと思った。踊らなくても踊りたいと思ったと思う。マイケルは巨大だった。

あの頃のマイケルは世界で一番かっこよかった。

1983年当時R&Bを聴かない高校生だった旦那Aも「マイケルのドキュメンタリー」をテレビでやっていると今聞けば思わずHDの録画ボタンを押してしまう。1983年は旦那Aも私もティーンだった。懐かしい時代だ。そんなわけで共に週末に見た。



★マイルドにネタバレ注意


マイケルの『スリラー/Thriller』関連のドキュメンタリー映像は今までにも何度か目にしている。特に楽曲「Thriller」のMVのメイキングオブは当時もどこかで放送されていたと思う。髭面の監督ジョン・ランディスが出てきてMVの製作を語るのは前にも見た。それ以外にもTOTOのスティーブ・ルカサーが「Beat It」でギターを弾いているとか、「Billie Jean」の裏話。あの「…But the kid is not my son 🎶」の女性は誰よ?…そのような様々な話はどこかで見たり聞いたりしていたと思う。

だからあまり期待もせず気軽に見たのだけれど、それでもいくつか見たことのない映像が出てきた。「The Girl Is Mine」でのデュエットのポール・マッカートニーのレコーディングのシーンは私は初めて見た。それから(たぶんファンの間では有名なのだろうと思うが)「Beat It」のギターソロがエディ・ヴァンヘイレンだったというのも今回初めて知った。あれもTOTOのスティーブ・ルカサーだとばかり思っていた。そして「Thriller」のイントロがほぼ全て打ち込みで演奏されているのも初めて知った。機械のボタンをどんどん押してレイヤーを重ねてリズムパターンを作り、その上にキーボードでコードを弾けば「スリラー」イントロの出来上がり。すごく面白い。

いかにも今の時代に作られたマイケルのドキュメンタリーだと思ったのは、マイケルのKpopへの影響が語られていたこと。 BTSのMVをとりあげて、マイケルの動きとBTSのダンスの比較映像が流れる。確かにそのとおり。マイケルの孫は韓国にいると私も思った。


このような過去を語るドキュメンタリーは、当時を知る人々や、誰か有名人を連れてきて語らせることが常。当時を知る人の話は面白い。当時の評論家やアレンジャーなどが何人も出てくる。ブルック・シールズも出てくる。そうそう…そういえば当時ブルック・シールズがマイケルと公の場所に出てきたことがあって、彼女はマイケルのガールフレンドか?などとも噂されていた。前述の「…But the kid is not my son 🎶」の相手はブルックではないかとの噂もあったと思うが、その件についての彼女のコメントが全くないのは面白い。おそらく当時二人はただ友人だっただけで、ブルックさんからのコメントは拒否されたのかも笑。

途中で大変驚いた情報。衣装デザイナーがマイケルの体重が99ボンドだと言っている。99ポンドは44.9キロ。彼の身長は5ft 9 (175.3 cm)だそう。ガリガリじゃないか…。だからあんなに細かったんだ。彼のスタイルがすごかったのはそのせいなのか。この99ポンドの数字が正確なのかどうかは怪しいが、おそらく身長176 cmで体重は50キロにも満たなかったのだろうと思う。とにかく細い。驚いた。

インタビューをされる有名人たちが40年前の当時を知る人々ばかりではなく(今の若い人々も惹きつけるためだろう)今の大物スター達がそれぞれの「子供の頃のマイケルの思い出」を語るのは余計かなという気もした笑。


★インタビューに出てきた人々

1983年当時を知る人々は…
--------------------------------------------------
Michael Jackson(映像)
Brooke Shields(当時親しかった)
John Landis(スリラーMVの監督)
Nelson George(音楽評論家)
Robert Hilburn(音楽評論家)
Paul Jackson Jr.(ギター/ベース)
Jimmy Jam and Terry Lewis(ソングライティングチーム)
Deborah Nadoolman Landis(スリラーの衣装デザイン)
Steve Lukather(ギタリスト)
Anthony Marinelli(シンセプログラマー)
Greg Phillinganes(キーボーディスト、アレンジャー)
Raphael Saadiq(アーティスト)
Oren Waters(コーラス)
Julia Waters Tillman(コーラス)
Maxine Waters Willard(コーラス)

そして思い出を語る今のスター
--------------------------------------------------
Mary J. Blige(アーティスト)
Mark Ronson(アーティスト)
Misty Copeland(バレリーナ)
Maxwell(アーティスト)
Polo G(アーティスト)
Myles Frost(ステージアクター、シンガー)
Usher(アーティスト)
Will.i.am(アーティスト)
--------------------------------------------------


最後にマイケルが兄達…Jackson 5とやったVictory Tourの映像が流れる。すごくかっこいい。私はこのツアーの映像があることを知らなかった。それで動画サイトに見にいったらあったのだけれど音があまりよくなかった。あのVictory Tourの音を直した映像はないのだろうか?見たいですね。マイケルが無茶苦茶かっこいい。あのツアーは日本に来なかった。もしタイムマシンがあったら1984年のあのVictory Tourを見に行きたい。


少し思い出話
マイケルが日本に来たのは1987年の「Bad World Tour」。関東の公演は後楽園球場(ドームの前)と横浜スタジアム。9月に1回目を後楽園球場に見に行ったと思うがチケットの半券が出てこなかった。スタンドの上の方の席だったと思う。2回目は10月4日(日)横浜スタジアム(S席21ゲート20列286番)。開始時間は夕暮れ時の午後6時30分。1回目の後楽園球場から見た空はまだ明るかったのを覚えている。途中でマイケルが左にひっこんで突然右から出てきた(いや反対方向だったか?)時は狂ったように大騒ぎした。

もう一度マイケルを見たのは1992年の「Dangerous World Tour」。12月19日(土)6時30分開演。東京ドーム(S席 21ゲート 1階 17通路 5列 186番)。この公演はあまりよく覚えていない。

私はマイケルのファンだったことはないのだけれど、それでも『Thriller』の曲でのMVはよく見てフリコピをしようと必死になった。当時はビデオの録画機もなかったから「Beat It」や「Thriller」がテレビに映るたびにしっかりと目に焼き付けてフリコピをしようとした。ある程度は踊れるようになった。しかしムーンウォークだけはどうしても出来なかった。

今なら「Beat It」や「Thriller」も動画サイトで見れるんだよな。また練習しようか。


2024年1月25日木曜日

映画『いつも2人で/Two for the Road』(1967):古い時代のわがままなおとこ






-----------------------------------------------------------------------------
『いつも2人で/Two for the Road (1967)/英/カラー
/1h 51m/監督:Stanley Donen/脚本:Frederic Raphael』
-----------------------------------------------------------------------------



年末に見た映画。Amazon Primeでレンタルした。

この映画はずいぶん昔、私が学生の頃に深夜のテレビでやっていたのを見た。日本語の吹き替えだったかもしれぬ。オードリー・ヘップバーンなら見ておこうと真夜中に見た。面白かったと記憶している。

マークとジョアナの夫婦が様々な時代を、喧嘩をしながら車でフランスを旅する話で、細かいことは忘れていたが「よくできた映画」の印象だったと思う。Amazon Primeの映画のリストを見ていたら出てきたので、もう1回見ておこうと鑑賞。旦那Aは初めて。


面白かったです。昔の映画なので、いまどきの映画を見るような感じではないけれど十分面白い。夫婦の出会いから中年に差し掛かった夫婦の危機までの長い年月の間を、彼らの旅の様子のみで描く



★ネタバレ注意



二人が車で旅するのは毎回フランス国内。6つに分けた時代はおおまかに次のとおり

1, 1954年(結婚0年)学生時代ヒッチハイク旅 出会い
2, 1957年(2年目)アメリカ人家族と共に
3, 1959年(5年目?)二人旅 奥さん妊娠
4, 1961年(7年目?)夫は仕事で一人旅 奥さんは家で子供の世話
5, 1962年(8年目?)子供との3人旅
6, 1966年(12年目)夫婦の危機
(日本版Wikipediaによる)

これら6つの時代が編集により入れ代わり立ち代わり描かれるので少し混乱する。しかしそのリズムに乗れば人物達の衣装や髪型でそれぞれの年代が理解できる。お洒落な映画。

毎回夫婦が出てくるたびに、お互いの関係性が変わっていくのが面白い。最初は若い二人が無邪気にはしゃいでいるが、結婚12年目になると二人ともまるで別人のように冷たい関係に変わっている。…7年目ぐらいから12年目…その頃は確かに難しい頃かも(笑)

ところで今ふと思ったけれど、この話って最後どうなったんだっけ?覚えていないぞ。

旦那Aに聞いてみたら「大丈夫だったんじゃない」と言う。どうやら結婚7、8年~12年あたりまでかなり深刻な夫婦の危機があるにもかかわらず、結局この二人は「ま、いいか、そんなもんか」と離婚しない…という話だったみたいで。そうかそうか。

結局その結末の簡単さが1967年制作の映画…ということかもしれないネ。


1967年製作…かなり古い時代の映画なのですよこれ。こんな古い時代に、英国人夫婦がフランスでヒッチハイクをして出会い(冒険的)、時代を超えてフランスを車で旅して回り(自由)、アメリカ人やイタリア人の友人を持ち(国際的で小金持ち)、お互いに冷めてきたら浮気もして(スキャンダラス)…。

などなど、この夫婦は1967年のスタンダードから言えば、とんでもない翔んだ夫婦だったわけで。特にお互いに浮気するなんて、当時ならあまりにもスキャンダラス。一般の人々が共感できる話ではないだろう。この映画は60年代半ばの仕事で成功したセレブで進歩的モダンな夫婦の話…だったのだろうと思った。

それでも彼らは離婚しないのね。結局「まあいいか」と丸く収まるわけだ。そこのところがやはり1967年なのだろう。

だってこの夫婦、この映画の10年後ぐらい(1977年頃)…西洋で「ウーマンリブ/Women's liberation movement」が盛んだったころの話だったら、間違いなく離婚している。

(こんなに仲が悪いのに)この二人が離婚しないのは、やっぱり1967年の映画だからでしょう。それはそれで面白い。まぁ昔の夫婦は日本もこのようなものだった。


それから(アルバート・フィニー演じる)夫の性格の酷さも古い時代だからかとも思った。今なら私も英国英語のニュアンスがわかるのだけれど、とにかくこの夫・マークの性格が酷い酷い。彼も昔の男なのですよね。古い時代の強がりで荒々しい自分勝手な男のキャラそのまんま。そのあたりは当時の男あるあるリアルなのだろう。

私の知るいまどきの英国の男性は皆優しい人が多かったと思う。しかし昔の時代は英国の男もずいぶん自分勝手だったのかなと思う。ぶっちゃけこの夫・マークのどこがいいのかさっぱりわからないですもん。もうジョアナさん、そんな男、別れちゃえと思うほど酷い笑。威勢がいいばっかりで自分勝手で見栄っ張りで強がりで乱暴で威張っていて本当に嫌な男だもの。ガミガミうるさいし。

そのようなニュアンスは日本で40年ぐらい前にテレビで最初に見た時は全くわからなかった。それも新しい発見。面白いなと思う。


旦那Aもこの夫・マークのことは酷いと言っている。「あの奥さんはなぜあの男と一緒にいるんだろうね…二人はケミストリーも全然ないよねぇ」などと言う。亀が「それが1967年の時代の夫婦の普通だったのかもよ。それに当時は簡単に離婚できなかっただろうし、奥さん泣き寝入りなのかもね」と言えば「へ~」…などなど平和的なアメリカンにはちょっと不思議な映画なのかも。最後の結末も「へ~」と言っていた。


映画としては実験的。頭のいい人が頭を使って凝って描いた映画…という感じ。車の中のシーンが多いので難しいだろうが、この脚本なら舞台劇でもいけると思う。

若い頃のジャクリーン・ビセットが出てくる。綺麗。

結婚2年目の旅で一緒のアメリカ人の夫婦がギャグのようでおかしい。脚本はフレデリック・ラファエル(米国生まれのユダヤ系アメリカ人で父親が英国人であったことから7歳で英国に移住。英国育ち)なのだが、あのアメリカの「正しい夫婦」を笑いものにして馬鹿にする目線はとてもおかしい。英国ならではか?監督のスタンリー・ドーネンは米国人なのに…。