能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

この度の能登半島地震で 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 一日も早い復興をお祈りいたします。 ★NHK による様々な支援情報 能登半島地震 義援金・支援金の受け付け始まる 窓口まとめ 【随時更新】 https://www.nhk.or.jp/shutoken/ne...

2022年8月10日水曜日

Jonasu & Rêve - All Night & Every Day (2022)



人気が出るかな



Jonasu & Rêve - All Night & Every Day (2022)
All Night & Every Day – Single
Jonasu & Rêve
Released: April 29, 2022
℗ 2022 3Beat Productions Limited




このボーカルのRêveさん。去年から何度か英国のダンスチャートで見かける女の子。英国のシンガーかと思ったら、カナダのモントリオールの出身だそう。以前チャートに上がっていた「CTRL + ALT + DEL」も気になったのだけれど、ちょっとイロモノかと思って様子を見ることにした。今回のJonasuさんとのコラボはいい。いい曲。

彼女はセクシー過ぎる。御本人もその方向で売っているのだろうれど、ちょっとイロモノ系なのじゃないかと思ってしまった。でも声はいい。すごくいい。ルックスもいい。声もいい。じゃあ売れるだろう。カナダではかなり売れているお方そうです。英国にも進出中。

それにしても女性シンガーのセクシー売りは難しいのですよね。シンガーとしてはちょっとトリッキーな戦略。セクシーは、男受け調にすれば女性に嫌われるし、下手すリャ痛々しく見えるやりすぎればコミカルで冗談・イロモノになって真面目に受け取られなくなる。今どきのポップシンガーはまず女性…ティーンの女の子達にうけることが大切なので、若い女性がセクシー戦略を手なずけるのは難しいです。

セクシー系をやるのなら誰にも負けないふてぶてしさが必要。御本人の強さが必要。半オッパイを堂々と見せて「どうだ。まいったか」と鼻の下を伸ばす男性の目線を吹き飛ばす気概を見せれば、女性からも「かっこいい」と尊敬を得られる場合がある。女性は女性の強さに惹かれるのです。さて…Rêveさんはどうなるのでしょう。私は好きですよ。


Rêve
本名Briannah Donoloさん。1996年生まれ。カナダのモントリオール出身のシンガーソングライター。2014年に18歳の時にモントリオールで開かれた米国対カナダのアイスホッケーの試合で、アメリカとカナダの国歌を斉唱。それが注目を集めたそう。その後野球のブルージェイズの試合で歌ってまた注目される。2021年7月にメジャー・デビュー。9月に「CTRL + ALT + DEL」が大ヒット。

★Jonasu
Jonas David Kröperさんはドイツ人のDJ/レコード・プロデューサー/ソングライター。1990年生まれ。現在はドイツのベルリン在住。アムステルダム音楽院/Conservatorium van Amsterdamでジャズドラムを学んだそうだ。扱える楽器はドラム、ギター、キーボード、シンセサイザー。楽器のマルチ・プレイヤー。そんなお方がDJをやっている。今はそんな時代なのね。2018年に活動開始。2020年に「Black Magic」が英国でヒット。


That boom boom all up on me 
のboom boomとは…例えば車で大音量で音楽を鳴らしているのを外から聞いたらドーンドーンと低音が響く…あの低音だそうです。低音が全身に響くという感じかな


All Night & Every Day

Jonasu & Rêve
--------------------------------------------------------

[Verse 1]
1、2、 1、2、4、
あなたの足は床の上に
私はもっと もっとあなたが欲しい, mm
7、8、9、10、
私の頭はまたそっちに行ってる
あなたに私を引き寄せて欲しい、mm, oh

[Refrain]
そんな雰囲気の中で
あなたの側にいたい
あなたよ ベースを鳴らして私を留まらせてるのは, oh
招待されたい
私達だけのパーティに 今夜
あなたよ 私の方を見て私を留まらせてる

[Pre-Chorus]
たぶん
光とお酒が私をぼんやりさせた
あなたが毎日必要なの
あなたのリズム それが私を戸惑わせる
Yeah, 見せてよ あなたがその身体をどんな風に動かすのか

[Chorus]
毎夜 毎日
あの音boom boomが私に迫って  
毎夜 毎日 毎日
毎夜 毎日
あの音boom boomが私の全身に響いて
毎夜 毎日 毎日

[Verse 2]
お酒をもう一杯ついでよ
始まるまでは 私はどこにも行かない
止めないで 止めないでよ 今
私がやろうとしてること 見てて
ボリュームを上げて もっと大きく 大きく

[Refrain]
そんな雰囲気の中
あなたの側にいたい
あなたよ あのベースを鳴らして 私を留まらせてるのは, oh
招待されたい
私達だけのパーティに 今夜
あなたよ 私の方を見て 私を留まらせてる

[Pre-Chorus]
たぶん
光とお酒が私をぼんやりさせた
あなたが毎日必要なの
あなたのリズム それが私を戸惑わせる
Yeah, 見せてよ あなたがその身体をどんな風に動かすのか

[Chorus]
毎夜 毎日
あの音boom boomが私に迫って
毎夜 毎日 毎日
毎夜 毎日
あの音boom boomが私の全身に響いて
毎夜 毎日 毎日
毎夜 毎日
あの音boom boomが私に迫って
毎夜 毎日 毎日
毎夜 毎日
あの音boom boomが私の全身に響いて
毎夜 毎日 毎日

--------------------------------------------------------
Written By Hannah Wilson, Jonasu & Katya Edwards





2022年8月8日月曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第29回「ままならぬ玉」7月31日放送



ドラマの感想と言うよりも、鎌倉時代の歴史メモという感じになってきた。このドラマを機会に歴史を学んでます。そんなわけでドラマに描かれた場面と、記録に残る日付をWikipediaから探してきてメモしてます。



翌正治2年(1200年)正月20日 梶原景時一族が討ち取られる。←前回からの続き。戦いはすでに終わっていました。首桶が頼家と御家人達の前に並ぶ。厳しいですね。つい先日までお互いに話をしていたのに。

梶原景時がいなくなって北条と比企が争うことが予想される。

義時に雇われた善児(梶原善)が養女のトウ(山本千尋)を連れてきた。この子は以前範頼が暗殺された時にいた農民の娘ですよね。善児が育てたのですね。


このトウのアクションがすごいのでスタントかと思ったら、山本千尋さん御本人がアクション・スターだそうだ。彼女は武術太極拳選手として世界ジュニア武術選手権大会で金メダルを2度獲得なさったそうです。すごい~。かっこいい。

善児と言えば、裏キャラで例えば…恐ろしい殺人鬼なのに実は子猫を可愛がってた…とかだったらいいのにと思っていたら、なんと女の子を育てていたとは…面白いですね。


梶原景時の死の3日後の正治2年1月23日(1200年2月9日)三浦義澄(佐藤B作)が死去。病没。享年74。

正治2年4月26日(1200年6月9日) 頼朝に仕えてきた安達盛長(野添義弘)が死去。生涯無位無官のままだったそうだ。享年66。←このお方が痛い思いや辛い思いをすることなく穏やかに旅立つ事が出来てよかった。安達さんおつかれさまでした。

癒しの安達さん

宿老達の数も減り頼家(金子大地)が自ら政をやりたがる。比企能員(佐藤二朗)の介入を喜ばない。この頃、頼家はまだ18,19歳。

正治2年(1200年)4月1日北条時政(坂東彌十郎)が遠江守に任じられ、源氏一門以外で御家人として初めて守としての国司となった。(Wikipedia)


同年、頼家の室・つつじ善哉を生む。乳母夫は三浦義村(山本耕史)。

頼家の子供達
一幡…母・せつ(山谷花純)===比企家
善哉…母・つつじ(北香那)===三浦家+北条家


北条のりく(宮沢りえ)は比企に対抗して、頼朝の次男/頼家の弟・千幡(母・政子)を頼家の後継者にしようと画策。全成(新納慎也)を焚きつけて、頼家を呪詛するよう指示。全成は千幡の乳母夫であったこともあってそれに同意。


全成の様子を目撃した実衣(宮澤エマ)がそれを義時(小栗旬)に伝える。→ 義時が 時政とりくを咎める「比企と争う時期は終わった」


建仁元年(1201年)9月22日までに、北条頼時(坂口健太郎)の名前が「江馬太郎殿泰時」に変わっている。(Wikipedia) 

建仁元年(1201)9月、坂東は台風により大きな被害を受ける。蹴鞠をしてばかりの頼家を頼時/泰時が咎める。義時の弟・時連(瀬戸康史)は頼家を見守ると言う。
時連…蹴鞠に堪能なことから頼家の側近として随従する。頼家が重用した比企能員の息子達とも気脈を通じていたが、北条氏一門のための間諜の役割を果たしていたとも考えられる。(Wikipedia)


伊豆の農民達の問題を解決する命を受けて、泰時が伊豆に送られる。
泰時…人格的にも優れ、武家や公家の双方からの人望が厚かったと肯定的評価をされる傾向にある。この回の農民に対するエピソードは、後の寛喜の飢饉(1230年(寛喜2年)から1231年(寛喜3年)の際、被害の激しかった地域の百姓に関しては税を免除したり、米を支給して多くの民衆を救ったという逸話からだろうか。彼は公家や民衆からも評判がよかったそうだ。


建仁2年(1202年)7月22日
 頼家が従二位に叙され征夷大将軍に宣下される。(Wikipedia)

建仁2年(1202年)8月23日、泰時が三浦義村の娘(矢部禅尼)/(福地桃子)を正室に迎えた(Wikipedia)。


せつが頼家に近づく。
頼家、一幡を跡継ぎにと考える。

全成が頼家の呪詛をとりやめる。


今回13人から抜けた人…三浦義澄、安達盛長




2022年8月4日木曜日

PCの環境色々★そろそろ新しくしなければ



このブログをやるのに、今使っているラップトップはSonyのVAIO。中身はWindows 7 Home。古い。2011年に買ったもの。すごく古い。そうか11年も経っているのか。知らなかった笑。

流石にガタが出始めてる。今年に入って「w」のキーが反応しなくなった。「c」も不調。それで外付けのキーボードをUSBで繋いで「w」だけそのキーボードで打っている。すごく不便。「w」って意外によく使う。「を」とか「私」とか。

そんなわけで1ヶ月程前にDELLのラップトップを買いました! タッチスクリーン上等!


ところが、それがまだ使えていない。

今のPCは、マイクロソフトのWordやExcelなどの「OFFICE」の基本ソフトが入っていない。お店でそのDELL機を買った時に「今はこれですよ」と「Microsoft OFFICE」のサブスクを勧められたのだけれど、Power Pointだとかクラウドのストレージだとか…使う予定の無い物まで入っていたので無駄だと思い断った。

ソフトのサブスクって嫌じゃないですか。使っていても使っていなくても自動的に金を巻き上げられるのは納得できない。そんなわけで新しいDELL機にはまだワープロのソフトが入っていない。Excelもない。

調べたらサブスクならぬ単体買い切り型の「OFFICE 2021」が売っているみたいなのだけれど、まだ買っていない。いや買わずに、できればネット上でフリーソフトをみつけるのもいいかな…などと思いながら、未だにそのPCにはほとんど触っていない。どうするよ。


新しいDELL機でやることの夢はある。タッチスクリーンなので、Surface ペンでお絵かきしたい。ちょっといい安価なお絵かきソフトも見つけた。そのうちできればいいなと思っている。


しかし現在はまだ11年ものの愛しいSONY・VAIOを日々使用中。

大河ドラマの似顔絵は、「Microsoft Paint」をケーブル付きマウスでシャカシャカ動かして描く。単純なソフトなので難しいことを覚えなくていいから気楽でいい。ローレゾで気楽なお絵かきのつもりでやっている。

いつか新しいPCでSurface ペンを使いたいが、上手くいくかどうか今は不明。それに今描く絵の30%ぐらいは、キーボードの←↑↓→を使って画像を動かして描いているので、果たしてペンがうまく使えるのかどうかも不明。ハイレゾの絵ソフトは私には合わない可能性もある。


ところで、ちょっと前にその古いSONYのVAIOが重くなったなと思った。近年はネット上で検索すれば、どんな疑問にも様々な回答が出てくる。そこで重くなったPCの解決方法を検索したら「使っていないRAMをクリアしろ」と出て来た。とりあえず書かれている通り、掃除用のショートカットを作ってやってみた。少しはましになった気がする。よくわからないけど。

同時に「ちょっといい機会だから中身を整理しようか」とカチカチと様々な場所をクリックした。ソフトのアップグレードを勧められたり、色々と言ってきたので「OK」ボタンを何度か押した。何の問題もなさそうに見えた。


それが2週間くらい前だったろうか。

さきほど、猫の写真を編集しようと長年使っているフリーの画像編集ソフト「GIMP」を立ち上げた。ややっ、スタートアップの様子が違うではないか。

立ち上がったソフトは、見たことのないもの。ややややっこれは、知らぬうちにソフトがアップグレードされている!

というわけで先日機械をいじったときに、いつの間にかソフトをアップグレードしてしまったらしい。「GIMP」は違うバージョン…前とは違うソフトになっていた。そういえばデスクトップのショートカットのアイコンが消えていたのはそのせいだろう。


ブログなどという、毎日淡々と同じことをやる…そのための環境が突然変わるととても困る。今日は20分ほどで猫の写真の編集をするつもりだったのに、そのソフトをいじるだけで3時間もかかってしまった。新しいバージョンの使い方…Preferenceの設定…画面の見え方や、ツールの置き方、JPEG保存のやり方などを調べていたらどんどん時間が過ぎた。

それなのよ。再度書くが…ブログのように毎日毎日同じ事をやる…その環境が突然変わるとすごくめんどくさい。去年の今頃もGoogleのBlogger/ブログのプラットフォームが変わったと文句を言っていたのだけれど(もう慣れた)、今年は新しいDELL機の環境を新しく整えなければならない。それがまだスタートもできていない。DELL機が使えるようになるのはいつのことだろうかと日々思う。

いつかSurface ペンで絵を描きたいな。がんばろ~。



お猫様H:一応ポーズするけどめんどくさいから緩む

 

きりりっ


カメラが嫌いなのね。カメラを向けると一応きりっとしたポーズをすることもある。それ以外は目を瞑ってシカトかふてくされる。今回は一度はキリッとしたのに、すぐにふてくされて緩んだ。「うざいな~なぜこんなことをしなくちゃいけないのよ」と文句が聞えてきそうだ。結局彼女はシャイ+エエッカコシイだと思いますね。


2022年8月3日水曜日

MLB:マーシュ君のいないエンゼルスなんて…




突然の出来事
君は急に行ってしまったんだね
サヨナラも言えないなんて…涙涙涙

好きだったのになぁ~。大谷さんの次に好きだった。出てくるといつも嬉しくなったのに。なんだ~つまんないなぁ。急にいなくなるんだもんね。脱力。やる気がでない…。

シンダーガードとイグレシアス兄さんもいなくなったの???えええええぇ。
なんかエンゼルス、つまんなくなっちゃったな。

もう ミナシアンを首にしろよ だわ。あいつは本当にわかってない。マドンさんを首にして、今度はマーシュ君を出すなんて馬鹿じゃねぇの。ツマンナイッ。マーシュ君はね、エンゼルスのキティちゃんだったの。キティちゃんのいないサンリオみたいじゃん。つまんないわ。可愛かったんだよね。走るたびに髪をなびかせて、かっこよかった。


マーシュ君は1997年生まれの24歳。身長193cmで97kgだって。ひゃ~デカイな~。そうなの。今はまだ若いから可愛いけれどこれから超ごっっっっっっっつい巨大なオッサンになりそう。だから今が可愛かったんですよ。もう少し見たかったな~。せめて今年一杯はいて欲しかった。ウォルシュとの「ホームラン喜びの舞」がもっと見たかったです。マーシュ君はなんだか無邪気で子供みたいでハッピーで、いい雰囲気作りができる人だったんじゃないかなぁ。彼がいなくなるとベンチが寂しいね。

嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼…つまんない。

フィラデルフィアのフィリーズ(Philadelphia Phillies)に行ったんだって。遠い。東海岸か。フィリーズはね、今ナショナル・リーグのイーストで、メッツとブレーブズの次に3位です。エンゼルスより強いチームなのね。そうか、フィリーズの方が彼にとってもいいのだろうな。そうかそうか。マーシュ君の幸運を祈りましょう。


今のエンゼルスで好きなのは、大谷さん、(おかえり)フレッチ、ウォルシュ君、ウォード君、ヒーホー、スズキ兄さん、スタッシ君、スアレス君、イカちゃん。アデル君はかわいいんだけれどミスが多いのよね。ロレンゼン、デトマーズ、なんだか…人がどんどん変わって知らない人が増えた。マッキノンはどこいった?

なんか新しく来た人達はみんな若くて、使い物になるのかしら…。ぶーが多い笑。ロン毛のかっこいい奴を入れて欲しい。



2022年8月2日火曜日

NHK 土曜ドラマ『空白を満たしなさい』全5話・感想



難しかったです。難しいテーマ。解釈が難しいドラマだった。内容を理解できたのかどうかを確認するため、録画を残していた3話から見直した。

このテーマは迂闊にに文を書くこともためらわれる。怖いテーマ。今もこの文をタイプしながら心臓がドキドキする。自分でもおかしいと思う。

このテーマの作品は、個人が感想を書いて何らかの意見を言えば、もしかしたらそれが誰かを傷つけることになるかもしれない。嫌な思いをさせるかもしれない。だから言葉を選ぶ。もちろんドラマを見て何も感じなかったわけではない。様々な思いが心を巡る。

今までにこのテーマのことを考えなかったわけではない。しかし個人の行動の理由は人それぞれ。決して一般論が語れるような話ではない。皆それぞれの理由があるだろう。だから難しい。


例えば12歳の中学生が「テストの成績が悪かった。また叱られる。もうこの苦しみは終わりにしたい」と思えば、それはその12歳の中学生にとっては深刻な危機。真剣な悩みだ。しかしその悩みは、70歳を過ぎた大人には問題のうちにも入らないようなことに思えるかもしれない。同じ物事に対する感じ方は皆それぞれ違う。だからこのテーマを論じるのは私には難しい。

このドラマは、人の「行動」の理由をわかる範囲で探る話だと受け取った。


小説が原作だそうだが、ドラマの意図は(おそらくは)行動の抑止のためのメッセージだろうと思う。しかしこのドラマが、現在悩んでいる人の次の行動の抑止として機能するのかは私にはわからなかった。

私は見ていて辛かった。苦しくなる。気が滅入る。尖った演出に、ただでさえ重いテーマが私にはますます苦しく感じられた。見ている他の人々は大丈夫なのかと心配にもなった。



★ネタバレ注意

最初は番宣で見てシリーズを録画予約。早速1話を見たら気が滅入った。翌週も自動的に録画されていたので2話も見た。その2話目でほんの少し哲学を感じた。それで続けて見ようと思った。

3話、主人公・徹生(柄本佑)の行動の原因の探求 
  そして佐伯(阿部サダヲ)の「生きることへの疑問」
4話、徹生の行動の原因が少し明らかになる 
  佐伯の「自分が自分を追い詰める理由」
5話、徹生の再度の別れの前の…残る人々のための歪みの修復、
  彼が去った後の空白を、残された人々のために満たそうとする


主人公・徹生のその行動の理由(外因)
追いつめられていた。仕事が多すぎた。自分を責めた。前向きだった。しかし疲労は疲労。疲労が溜まっていた。極限の疲労が生きる実感にもなっていた。幸せさえ感じていた。苦しかった。しかし止められなかった。追われていると思った。

佐伯の生きる辛さ(内因)
私は皆を不快にさせる。愛されない。幸せでなくてはならないとか、前向きでなくてはならないだとか、そういった欺瞞に満ちた正しさが人間を苦しめる。ちゃんと幸せに生きねばと頑張る自分が、出来ていない(現実の)自分を苦しめる。ちゃんと生きたい。まっとうにみんなと同じように生きたい。生きる意味を教えて。


NPO法人の池端(滝籐賢一)の分析
空白の30分。原因は単純ではない。ビル火災の熱さから逃れるために窓から飛び降りる行動に例える。他に暑さから逃れる術がない。逃げ場を失った。

つきあう人の数だけ自分がある。人が生きていくには自分を肯定しなければ。自分を丸ごと愛するのはなかなかできない。まず好きな自分を見つける。

個人の問題だけじゃない。自分を押し殺して生きなきゃいけない社会にも問題がある。


そして5話で雰囲気が変わる。1話~4話までは徹生の行動の分析と原因究明だったが、5話で徹生のフォーカスが外に移る。5話で復生者達がまた消えてしまうということによる。徹生は、残る人々のために関係の歪みの修復、また身近な人々に感謝の言葉を伝える。佐伯には「自分の心の中の暗いものを消そうとせずに見守っていこうと思う」と手紙で告げる。


佐伯は内面の苦しみを抱え、徹生は疲労とプレッシャーに追い詰められた。人により経済的、物質的、肉体的な苦労、精神的な苦悩の場合もあるだろう。原因は皆それぞれでデータにして解析することも難しいのだろうと思う。

ただその行動の抑制になるのは、自分を肯定すること。以前からよく耳にする「自分を愛しなさい」の言葉がまた聞こえてくる。自分自身を条件付きで評価しない。どんな自分でも受け入れて愛する。自分を大切にする。どうやったらその強さを自分の中に常に保てるのか。 メディアや教育(親への教育)など、人が生きるための哲学をやる時期にきているのではないだろうかとも思った。


このドラマを見ていて、ちょっと前に見たNHKのドラマ 『今度生まれたら』 を思い出した。団塊の世代夫婦の30代の次男・ギター職人の健が言った言葉 「たいして取り柄のない人がいて、ただ生きてるだけじゃダメなのかな?」 このドラマを見ていてそれを何度も思い出した。



追記:
一旦上の文を書いて、後から違和感を感じた。
この話、女の私にとってはすごく気になることがある

徹生の奥さんの千佳さんの扱いのバランスがおかしい。

この話は徹生が主人公。彼につきまとう佐伯の存在が大きいのは、彼も徹生の行動の原因を説明するための存在だから。要はこの話は徹生の内面を深く掘り下げる話

ということは千佳さんの毒親の話も、徹生が「彼女の暗さを抱えながらも明るく振舞うところに惹かれた」という設定のために必要だっただけなのだろうか。結局彼女も「徹生の話」の「飾り」の扱いしかされていない。

しかしそれなら作者は(フィクションとして)なぜ千佳さんにあれだけの苦役を背負わせたのか。女性が愛する夫を亡くすのはこれ以上辛いことはないほどのこと。その後、佐伯が関わってきて苦しめられたこともある。その上に彼女には子供時代から続く母親からの精神的虐待がある。そしてまた千佳さんは二度目に夫を亡くすことになる。これからはシングルマザーとして子供を育てていくことになる。千佳さんの辛い人生。それなのにこの話での彼女の扱いはあまりにも雑。

彼女の人生にはありえないほどの大問題が連続して起こっているのに、彼女がそのことをどう思っているのかは描かれていない。「徹生の人生が辛い」という話なのに、実際には千佳さんの人生の苦労の方がずっと大きい。この設定なら、むしろ私が心配するのは千佳さんの方。千佳さんは大丈夫だろうか。それが気になった。


映画『勝手にふるえてろ』(2017):氷を溶かす「好き」のパワー





-----------------------------------------------------------------------------
『勝手にふるえてろ(2017年)/日/カラー
/117分/監督:大九明子/原作:綿矢りさ』
-----------------------------------------------------------------------------



随分前にTV Japanで放送されたものを録画していた。やっと見た。


こじらせ女子あるある。わかる。わかるから爆笑。リアルです。かなりリアルで驚いた。すごいぞ。いい映画。わかる人にはわかる主人公ヨシカの生きづらさ。 主演の松岡茉優さんが素晴らしい。大きな拍手。最後に心が温かくなるいい話。…これ、これです。どうやって人は人に出会うのか? うまいね。いい映画。



★ネタバレ注意

それにしてもこのヨシカさんはどうしてこんなにこじらせてしまったのだろう。なぜ彼女は24歳になるまで14歳の頃の思い出の男の子「いち」をひきずったのだろうか。まさか過去10年間、全く他の誰にも惹かれなかったということはないだろう。もしかしたら中学以降の高校や大学生の頃に、人との関係で傷ついたり…なにか辛いことがあったのだろうか。だから13、14歳の頃に好きだった男の子を神格化してしまったのだろうか?

ヨシカは彼とクラスメートだった10年前の中学の頃でさえ「いち」とろくに話をしていない。彼女はその「いち」のことが一方的に好きなだけで、彼とはその後の10年間一度も交流することなく、それなのに24歳になっても未だにその「いち」を強く想い続けている。

これ、彼女にとっての「いち」は実体のある人ではないのですよね。「いち」は彼女が自ら作り上げたイマジナリーボーイフレンド/想像上の理想の人。彼女は現実の「いち」がどういう人なのかを全く知らない。それでもいいと思っているのは彼女が自己完結型だからだろうか。


ヨシカは臆病。異常なくらい傷つくことを怖がっている。だから自分の繭の中に篭ってしまう。そして彼女は心の自給自足型、自己完結型の人。元々内気なのだろうが、一人っ子だというのもその大きな理由。彼女は独りでも自分だけの楽しみを見つけられる人。そして楽しみに没頭している時には寂しさも感じていない。彼女は劣等感に苛まれているようにも見えない。心の自給自足、自己完結でそこそこ人生を楽しめている人なのだろう。

金曜深夜の「タモリ倶楽部」を楽しみにする…普段から金曜の夜にも外出せず一人で過ごしているヨシカ。誰にも理解されなくても大好きな古代生物を愛でるヨシカ。彼女のおひとりさま充実人生のサインは様々なところに散りばめられている。うまい。


彼女は一般的に言えば「変わり者」…しかし彼女は、世間が自分を「変わり者」だと呼ぶことは嫌なのだろうと思う。彼女は世間的にまっとうなイケてる女でいたい。人に「変」だと言われて傷つきたくないから正直に自分をさらけ出せない。それは彼女のプライド。

しかし彼女はそもそも他人にあまり興味がなさそうだ(人の名前も覚えない)。あまり人と深く関わらないから、他人から見れば彼女はどういう人なのかも分かりづらいだろう。おとなしい人。不思議ちゃん。そんな風だから彼女は人の記憶にも残らない。しかし彼女自身も普段はそのことをあまり気にしているようにも見えない。


そんな彼女の「おひとり様人生」に突然インベーダー/侵入者が現れた。同じ会社の同期の「に」。この人がまぁうざい。彼は一方的に彼の「好き」な気持ちを押し付けてくる。それは確かに「好意」ではあるのだけれど、そもそも人との密な関係が苦手なヨシカには、彼はただただ迷惑。そしてその「わけのわからないうざい人」がデートしたいと積極的に迫ってくる。そのうざい人「に」は初デートで醜態をさらす。ロマンも何もない。そして告白される。寒い冬の川釣りデートにも連れて行かれる。彼女はただただ戸惑うばかり。

しかし「に」がヨシカに投げた小石は、彼女の心にさざなみを起こす。少し自信がついたのだろうか。ぼやを出して死を意識したヨシカは、ダメもとであの「いち」への接触を試みる。「いち」を想い始めてから10年後、彼女がやっと動き始める。いつもの彼女からは考えられないほどの勇気と行動力。しかしヨシカのせいいっぱいの試みは、撃沈に終わる。

「いち」は彼女の名前さえ知らなかった。

そのことが彼女を現実に引き戻す。(彼女の自己完結型の生き方のために)世間がヨシカをどう見ているのかを彼女はあらためて実感する(まさかそのことを初めて知ったわけではないだろう)。誰にも見えていない透明な自分。「いち」にも彼女は見えていなかった。ヨシカは孤独のどん底に落ちる。

奈落の底に落ちたヨシカに「に」が温かく微笑みかけてくる。「この人は私を見てくれている。興味を示してくれている。つきあいたいと言ってくれている」。ヨシカは「に」の温かさに癒される。二人は卓球をしたり動物園デートに出かけて楽しそうだ。次第に私にも「に」がかわいく見えてくる。 

それまでの過去10年間、誰にも心を開く事なく、そのために自分の周りに氷のバリアを張ってコチコチに身の回りをガードしていたヨシカ。その氷は氷山くらいに育っていたのかもしれぬ。その氷山が少しずつ溶け始める。拍手。

その後もいろいろとあって、最後には雨降って地固まる。めでたしめでたし。



いい話。二回見たけどいい映画。

私はこのブログで、以前から様々な日本のドラマの感想で、女性に向けて…「好きだ」と言ってきてくれる男性も悪くないぞ…と何度も書いている。 相手を好きになって追いかけるのも楽しいが、はっきりと自分に「好意」を示してくれる人も悪くない。

この映画はそういう話だと思う。

自分からの「好き」はもちろん大切。最初から「100%タイプじゃない」人を受け入れるのは確かに難しい。しかし人は…特に女性は、必ずしも全ての男性に対して「好き」か「嫌い」かの白黒を、出会って一瞬で決定するものでもないだろうとも思う。

女性が出会う人々の中で、すごく好きなタイプの人が上20%ぐらい、絶対にダメなタイプが下20%ぐらいだとしたら、残りの60%ぐらいはグレーエリア。伸びしろのある60%。もし「好きだ」と言ってくれる人が60%の範囲内にいるとしたら、その人と上手くいく可能性はある。人とはそういうもの。

特にこの映画のヨシカのように臆病な女性ならなおさらのこと。もし「好き」だと言ってくれる60%範囲内の人がまっとうな温かい好意を示してくれるのなら、その臆病な女性も相手を知ることでその人のよさが見えてくることもあるだろう。その人を好きになることもあるかもしれない。


この映画はそんな話。 ヨシカにとって最初の頃の「に」はたぶん60%の下の方の人。しかし傷ついたヨシカが彼に心を開いたあたりから「に」がだんだんいい人に見えてくる。演出も演技も脚本も見事。

色々あった後で、最後に「に」が雨の日に訪ねてきてくれた場面…隣人に喧嘩を見られて「に」が玄関に押し入ってくる。その足元の靴を映した映像で、「あ…かっこいいかも」と私も思ってしまった。「に」君いいじゃん…。 そしてその後の二人の会話では、二人とも正直に、特にあの頑ななヨシカがすごく正直に自分をさらけ出している。それでも「に」はヨシカのことを「好き」だと言う。彼女のそのままを受け入れてくれている。いい場面。ほ~んと。よかったよかった。嬉しいわ。ヨシカちゃんの心がやっと溶けた。いい映画。


上手い脚本。テンポも速く流れも自然で、コミカルで時にシリアスで、沢山の情報が描かれていて画面から目が離せない。演出も役者さん達も皆素晴らしい。ヨシカ=松岡茉優さんのあの「こじらせ女の独り相撲」の演技のリアルさ、上手さ、おかしさ、表情の巧みさ。本当にすごい。 そして渡辺大知さんの「に」のあの最初のうざさ。うっぜ~男から…次第にちょっといい男じゃん…と思えてくる変化の巧みさ。 最後に玄関で抱き合うシーンで「に」のヨシカの背中に回した手がすごく綺麗だったのも印象的。な~んだ渡辺大知さんて、背は高いし手足が長くてスーツ姿も素敵だし、実際すごくかっこいい男の子ですよねぇ。あの最初の頃のうざさはなんだったのだろう…不思議だ。

詩的な映像の場面がいくつかあった。会社の休憩室の暗闇で眠る女の子達のスマホがひとつひとつ明るくなるのが綺麗だった。

面白かった。ヨシカちゃんが現実の恋に一歩踏み出した。よかった。ハッピーエンド。前向きであたたかい。いい話。