能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2024年9月17日火曜日

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日/Civil War』(2024):リアル?まさか本当には起こるまい







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『Civil War (2024)/米・英/カラー
/1h 49m/監督/脚本:Alex Garland』
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米国のTV・HBOチャンネルの広告でこの映画の放送を知り録画した。この映画の米国での封切は今年の4月12日だったそうだ。劇場公開された映画だったのですね。全く知らなかった。

それにしてもなんとタイムリーな…笑 と言っちゃいけないのかしら。今米国は分断されていますからね。 Civil Warとは内戦という意味ですが、昨日のエントリーで取り上げた…「2021年1月6日の連邦議会襲撃事件」のことを思い出せば、アメリカ国内で内戦が起こるかもしれない…と考える人もいないわけではないだろう。今のアメリカとは、そのようなことを考えさせられるぐらい分断されている…。

今年は11月に大統領選挙がある。その選挙でもしトランプ氏が負けたとしたら…また彼は暴徒を扇動して暴動を起こすのではないか…と心配する人もいるだろう。私もその一人。


この映画もそのような背景があって立ち上がった企画なのだろうと思います。タイトルはズバリ

Civil War


…私は単純に「面白そうだ」とテレビ放送を録画したのだけれど、旦那Aに「見る?」と聞いたら「見たくない」とのこと。そうかもしれませんね。彼にとっては大切な国だもの。自分の国の内戦の映画なんて見たくないのかも。


というわけで一人で鑑賞。

正直少し拍子抜け。というのもこの映画、お題の「アメリカの内戦」がどのような理由でどのようなカタチで始まったのか?の説明がほとんどない。

戦争は既に始まっていて、その戦時下を3人のジャーナリスト+1人の見習いカメラマンが車でニューヨークから首都ワシントンDCまで走る…という話。


冒頭に、白人の大統領がスピーチの練習をしている
「Some are already calling it the greatest victory in the history of mankind.」

…って、笑 これ、トランプさんの言葉づかいそのまんまじゃん。ウヒャヒャ…

やっぱりそうよなぁ。そうよ。今のアメリカを内戦に向かわせるのは、過去にも未来にもトランプ氏しかいないだろう。それぐらい彼は特殊。とんでもなく特殊。そもそも彼は大統領になるべき人ではない。この映画はそのような批判も込めて作られたのかもしれませんね。


映画の内容は…

「PRESS」の文字を車体に書いた車に乗って、4人の主人公達が戦争地帯を走り抜けるロード・ムービー。アメリカを車で旅すればわかるのだけれど、アメリカは何もない広大な土地を延々と移動してしばらくすると都市や町や家がぽつんぽつんと現れるもので、この映画も主人公達が車で移動する様子が多く描かれる。

長いドライブの途中の様々な場所で、4人はそれぞれの土地の個々の戦いのシーンを目撃することになる。道の途中に現れるガソリン・スタンド、広大な土地の豪邸、市民同士で銃を打ち合う現場、戦争中だとみじんも感じさせない平和な町、それから多くの人々が避難して助け合う場所、広大な土地の真ん中で銃を構えた二人組…などなど、様々なアメリカの内戦中の風景が描かれる。その様子は結構リアルなのだろうと思った。


私は聞き逃してしまったのだが、どうやら戦争の発端は、大統領がFBIを解散し、反旗を翻したカリフォルニア州とテキサス州の「西軍」に対して大統領が軍隊を送ったとかなんとか(違うかも)。

それにしても反大統領の勢力・西軍の設定が、テキサス州とカリフォルニア州の連合軍とは…あまりリアリティがない笑。カリフォルニア州は現実には左寄りのリベラルな州で、現実のテキサス州は右寄り保守派のコンサバな州ですから、現実にはありえない連合軍でしょう。

…しかし考えてみれば、現実には右と左で敵対し合っている地方を仲間同士にすることで米国の左と右の観客を必要以上に刺激しないように配慮もしているのでしょう。しかし戦う相手がトランプ氏風大統領であるのはごまかしていない。

ともかく。独裁者になった大統領に対して、西軍が武力で戦いを挑む。
…しかし西軍の軍隊はどこから来たのだろう?大統領には大統領が指令する国の軍があるはずだけれど、西軍の州の軍隊が大統領軍に反旗を翻したのか????…そのあたりもよくわからなかった。


映画としての印象は…

少しアート系の映画っぽい。トレイラー/予告で描かれているよりも、この映画はず~っと静かな映画です

戦時映画とはいいながら、カメラワークはどうもアート系の雰囲気で戸惑う音楽も突然場違いな歌が流れたり…それは意図的なのだろうけれど…、どうやら監督は戦争映画をアート系のイメージで見せたかったのではないかと時々戸惑った。

いかにも戦争アクション映画らしくなるのは、4人がワシントンDCに着いてから。街に戦車が走り、ヘリコプターがビルの間に浮かびながらレーザーを打ち込んだり爆撃したりする様子はなかなか本格的。

…そのような場面は、私にとっては『ゴジラ』映画のようなもので、まぁ派手にドンパチやってくれればよろしい。なかなかいい場面が多くてすごいなと思った。緊張の走る戦争映画のシーンでドキドキ。戦争映画は長い間見ていなかったけれど、今どきの戦争の描写はすごいねと感心。

不謹慎ですが、私は個人的にはまさか内戦が起こるとは思っていないので、戦争のドンパチの様子もただ面白いねと見た。



★ネタバレ注意



最後は『忠臣蔵』だな。吉良さんが追い詰められる様子と同じ。そしてそれが終わったら映画も終わってしまった。


戦争の政治的な背景だとか状況の説明もあまりないまま、悪者も捉まえることなくストンと戦争が終わってしまうのは、どうにも野蛮で鼻白む。…え~それで終わり? カダフィと同じじゃん。野蛮じゃないですか。ダメですよ。

…しかし綺麗ごとを描かず、何の説明もせず、その後国がどうなったのかなどの事後報告も無く、ストンと話が終わってしまうのも、実はリアルなのかもしれませんね。この映画、ただただ4人の主人公達が、内戦中の国内をドライブして走り抜け、様々な戦争の様子を目撃し、最後も結末を目撃してそれだけで終わり。

なんだかな~。ちょっと拍子抜けといういうか…。う~ん。


まさか現実に内戦が起こることはないでしょう…と私は思うのであまり深刻にならずに見た。しかし過去に何度かワシントンDCのあたりを車で移動したこともあるので、結構リアルだよな…とも思いながら見た。

制作は「もしアメリカに内戦が起こったら」と仮説を立て、それをリアルに描くために様々なアイデアを出したのだろうと思う。主人公達が車で移動して様々な土地に立ち寄り、突然戦いの場面に出くわしてびっくりする様子は、実はかなりリアルなのだろうとも思った。いかにも広大なアメリカならではの内戦の風景を描いているのだろう。

おそらく意図的なものだと思うが、大統領サイドは皆白人ばかり。そして西軍には様々な人種の顔が見える。これも今の過激な保守派の様子などを描いたのだろう。はっきりと言うならば「保守派の白人至上主義軍」と「有色人種とリベラル白人連合軍」の戦いの設定なのだろう。まぁそうですよね。

1回だけ見て、なんだかうだうだ印象だけ書いた。これからプロの批評を読んでみよう。



ところで余談だけれど…

見習いカメラマンのJessieちゃん。彼女はパパのカメラNIKONのFE2で写真を撮っている。この映画は彼女の成長物語でもあるのだけれど。

あのNIKONのFE2…私持ってますよ(自慢!)。だからちょっと嬉しくなった。デジカメが出てきてからもうず~っと触ってないけれど、今も箱に入れて持っている。買ったのは1984年。FE2は一眼レフのフィルムのカメラです。

しかしこのFE2は、マニュアル・フォーカスのカメラです。いちいち自分でレンズを回してピントを合わせなければならない。だからあのカメラは緊張する状況ではなかなか使いにくいだろうと思った。人が撃たれて死ぬ様子を初めて見た若い女の子が、震えもせずにマニュアルでピントを合わせるなんてプロでも大変だろうに…。ちょっと設定に無理があると思ったわ笑。

オートフォーカスが一般的になったのは、たぶん1990年ぐらいではなかったか。1990年年頃までにはCanonのオートフォーカスのカメラをプロのカメラマンも使っていたと思う。1984年頃はまだオートフォーカスのカメラは一般的ではなかったと思う。友人が同じころにFE2よりも上位機種のF3を買ったのだけれど、F3は当時プロが使っていたと記憶している。

このマニュアルのカメラは、小さなボタン電池を入れれば自動でシャッタースピードを決めてくれた。その電池は数年間はもつのでバッテリーの心配をしなくてもいい。そういうのも戦時下にはいいということだろうか。

昔はよく使った FE2。ちょっと箱から出してみようかな。
なんだかカメラの話が長くなった



2024年7月14日日曜日

TV Mini Series BBC『Disco: Soundtrack of a Revolution』(2023) 全3話:ディスコ・これもまたアメリカの現代史






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『 Disco: Soundtrack of a Revolution (2023)/英/カラー
BBC Two Documentary/3 episodes/1hr x 3
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少し前に米国の公共放送PBSで放送していたものを録画して視聴。英国BBCのミニ・シリーズ・ドキュメンタリー 全3話…オリジナルのリリースは英国で2023年12月16日。米国のリリースは2024年6月18日。



米国のディスコ・ミュージックは1975年頃から若者…当時20代だったベビー・ブーマーを中心に大きな流行となった。元々は都市のゲイクラブで流れていたダンス・ミュージックが、当時の社会の変革と共に一般の若者達にも受け入れられて大きな流れになる。ディスコ・ミュージックはそれ以前から続いていたアフリカ系アメリカ人公民権運動や女性解放運動、1970年代に盛んになっていった性の解放、LGBTプライド運動など、社会の変革期のバックグラウンド・ミュージックであった…という話。


おもしろかったです。ディスコの音楽が巷で流行っていた頃のことはよく覚えてます。私は中学生。洋楽に初めて興味を持ち始めた時期が丁度ディスコの流行っていた時代で、それ以前に聴いていたピンクレディの(踊れる)アイドル曲から移行して、私は当時のディスコ曲を何の抵抗も無く受け入れた。

私がおこずかいで人生最初に買った洋楽・日本盤のシングル(ドーナツ盤)は、

ABBA - Dancing Queen (1977)
 アバ - ダンシング・クイーン
Rod Stewart - Do ya think I’m sexy? (1978)
 ロッド・スチュワート - アイム・セクシー
Leif Garrett - I Was Made For Dancin' (1978)
 レイフギャレット - ダンスに夢中


最初に買ったのはABBAだと思う。当時のラジオ番組「ALL JAPAN POP 20」を聴いて「 Dancing Queen」が大好きでシングルを買ったと記憶している。ついでにロッド・スチュアートとレイフ・ギャレットも買ったのかなと思う。

なんと私が人生最初に買った洋楽はディスコだった。これが私の原点なのだろう。私のダンスミュージック好きのルーツはここにある。特にABBAはユーロポップ・ディスコ。私が今も英国や欧州発のEDMやハウス、トランス、ユーロポップを聴いている理由はこのあたりにありそうだ。

余談だがその後、ラジオで聴いたQUEENの「Don't Stop Me Now」とアルバム『QUEEN LIVE KILLERS』を買って、私はどっぷりとQUEENの沼にハマった。もうディスコは振り返らなかった。その後1990年代までずーっとロックを聴き続けたので私は自分のことをディープなロック・ファンだとばかり思っていた。

しかし原点はたぶんディスコです。
そんなわけで今も毎日EDMを聴いている。



この作品TVミニ・シリーズはダンス・カルチャーの盛んな英国が製作したドキュメンタリー。英国が外から米国のディスコの繁栄と衰退を見て論じた内容なのだけれど、初めて知ることも多く興味深かった。


ディスコは1975年から1980年頃に世界中で流行った。
その発祥の地・米国でディスコが流行った理由はいくつかある。

1975年頃にベトナム戦争が終わり社会の空気が変わった。
 重苦しい戦争の時代が終わり人々は反動で明るいエンタメを求めた
 進歩的なベビー・ブーマーの世代が当時20代半ばに達していた
 当時米国の社会は大きな変革期を迎えていた
 …公民権運動や女性解放、性の解放、LGBTプライド運動などがますます盛んになっていた。

世の中が変化を求めていた。大勢のベビー・ブーマー達が新しい価値観を推し進める。人々は自由を求め、古い考えを捨て、新しい価値観に飛びついた。

ディスコはそのような時代に大きな流行となった。



★ネタバレ注意



番組の感想ではなく、自分用のメモとしてこのドキュメンタリーに描かれた(それから自分でも少し調べた)「ディスコの繁栄と衰退」を記録しておこう。

ディスコが、フィラデルフィア・ソウルから発達してニューヨークのゲイ・クラブに持ち込まれ、巧みなDJの元で1975年頃から進化し発展。いつしかシングル曲がチャートを登り始め、その後映画『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコが大流行。メインストリームにディスコが溢れるようになる。しかし中西部の白人保守層から反ディスコ運動が始まり、たった5年間ほどでディスコの時代は終焉を迎える。


それにしてもイリノイ州シカゴの「ディスコ・デモリッション・ナイト」とは…本当に本当に最悪だ。この話を扱った別のドキュメンタリー『"American Experience" The War on Disco (2023)』は去年の秋に見た。このBBCのドキュメンタリーでもこの事件のことを取り上げているが、ここではネット上で調べた事件についての情報も追加して書き加えた。

白人保守層によるディスコ排斥運動は、そのまま米国の人種問題と関わっている。ディスコの流行によって「社会の弱者達」、白人達が思うところの「持つべきでない者」が富や力を持つことに対する白人たちの不満が「反ディスコ運動」のエネルギーとなった。米国の闇がここにある。米国はこのような歴史を何度も繰り返してきたし、そしてそれは今も続いている。

私は今はロックはほとんど聴かないのだけれど、その理由の一つは…アメリカの白人層と関るようになってから度々「人種に関する米国白人特有のいびつなもの」を感じるようになって、彼らが誇りとする音楽にも興味を失ったから…とも言えるのかもしれないとも思う。私はロックで怒りのこぶしを振り上げるより、ディスコやEDMでヘラヘラ笑顔で踊りたい。アメリカの白人の保守層とは(この話を見ても)つくづく関わり合いになりたくないものだと思う。ダサすぎ。



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ディスコの歴史
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最初はペンシルバニア州フィラデルフィアで起こった1960年代後期頃のフィラデルフィア・ソウルが、いつしかニューヨークのアンダーグラウンドのゲイ・クラブに飛び火。クラブの客層はゲイの黒人やヒスパニック系などのマイノリティが多かった。

ダンス・ミュージックがニューヨークのナイトクラブで大きくなっていくにつれ腕の立つDJも現れる。その頃、メディアがそれらのナイト・クラブを「ディスコテーク/Discothèque」と命名。

その後ダンスミュージックにインスパイアされたR&Bの曲がシングル・チャートにも上がり長い期間留まるようになる。ラジオがディスコを流し始める。ディスコがメイン・ストリームになだれ込む。

1977年には映画『サタデー・ナイト・フィーバー/Saturday Night Fever』」が空前の大ヒット。ディスコでお金が回り始める。誰も彼もディスコのフォーマットに飛びつくようになる。

…当時、ロックのアーティストまでディスコの曲を出すようになった。上記のロッド・スチュアートもそう。ポール・マッカートニーのWingsもディスコ調の「Goodnight Tonight」をリリースしてヒットしたのはよく覚えている。そうだ…そもそも英国/豪州のビージーズは元々ソフト・ロックのグループだった。

ディスコのジャンルからスーパー・スターも現れる…ドナ・サマー、グロリア・ゲイナー、アニタ・ワードは…女性でアフリカ系のアーティスト。それ以前には社会の弱者だったアフリカ系の彼女達はディスコの流行の中で大スターとなった。新しい時代の象徴だった。


ディスコはますます流行りのものとして大きく発展する。元々はアンダーグラウンドのマイノリティが集うナイトクラブ…人種や性別、性的な選択を問わない…自由な若者の集うオープンな社交場だったディスコが、いつしか「Studio 54」を頂点とする大都会のエリート達が集う社交場…「選ばれた者」だけが入店を許されるエリート達のエクスクルーシヴなディスコへと変わっていくにつれ、ディスコの趣旨は次第に変わっていく。

巷ではディスコが売れに売れ…売れすぎて、次第に人々はディスコに飽き始める。子供のテレビ番組にまでディスコ調の曲が流れるようになる頃には、次第にディスコが「かっこわるいもの」にも変わっていった。人々はうんざりし始める。

ニューヨークのエクスクルーシヴなクラブは裕福な美しいエリート達がアルコールとドラッグに溺れる場所でもあった。超排他的なクラブで自由の名のもとに乱れ踊る人々。


1978年頃からディスコへの反動が起こり始める。

ディスコはSinful/罪深いもの、邪悪なものだと考える保守層が現れ始める。ディスコは速いスピードで大きく流行したからこそ陰りが見え始めれば反発の動きも大きかった。特に中西部の白人の保守層がディスコに噛みついた。

反動の理由はディスコ・ミュージックがあまりにも流行り過ぎて人々がうんざりしたのが一番。そしてディスコが元々はゲイ・カルチャーとの関係が深かったこと…特に白人の保守層がここに食いつく。また彼らにとってはアフリカ系の女性がディスコでスーパー・スターになることも我慢ができなかった。それからディスコが流行り過ぎたために、ロックファンの間では「ディスコが、それまで白人が楽しんできたロックを消滅させるのではないか」との危惧もあったそうだ。


中西部イリノイ州シカゴのラジオのDJ・Steve Dahl 氏が、そのような反ディスコ運動の旗手となる。「Disco DAI (die)」や「Disco Sucks」などのスローガンが出始める。1979年には白人の保守的なロックファンに支えられた反ディスコ運動が始まる。反ディスコ運動はシカゴを中心とする中西部から、ワシントン州シアトル、オレゴン州ポートランドなどに飛び火。白人保守層のロックファンによる反ディスコを唱える暴力行為が行われるようになった。

1979年7月、シカゴのWhite Soxの球場でスペシャル・イベント「ディスコ・デモリッション・ナイト/Disco Demolition Night」が開催された。観客は破棄したいディスコのレコードを持ち寄ればWhite Soxのゲームに98セントで入場できた。球場が反ディスコの人々で一杯になった。皆が持ち寄ったディスコ・レコードは球場の巨大な木箱に投げ入れられ、 反ディスコ運動の旗手 Steve Dahl の指揮の元、木箱に爆弾が仕掛けられ爆破された。その後、球場には荒れ狂った人々がなだれ込みケオスとなる。結局騒ぎはシカゴ市警察の機動隊によって鎮圧された。 ディスコは終焉を迎える。

ディスコの時代の終焉の後、ディスコは地味ながらもゆっくりと…電子音楽や、ハウスを中心としたクラブ音楽…テクノやアシッド・ハウス等を含む… EDM に形を変え今も脈々と続き今に至っている。

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近年このブログで取り上げる現代のダンス・チャートにも、あきらかに1970年代のディスコ調を再現した曲…Nu-Discoなどと呼ばれる曲がよく入ってくる。英国は特に70年代のディスコ風の音を忘れることなく温め続けているようだ。2000年頃のロンドンのアシッド・ジャズ/ハウスにも明らかに70年代のディスコ調の曲があった。英国では今もディスコが生き続けている。


私が1980年代に東京に進学してから出かけたいくつかのディスコ(当時の学生は皆ディスコに行っていた)は、名前だけはディスコだったものの(私が中学の頃に憧れた)1970年代のディスコとは様子が違っていた。米国のディスコ・ブームはもちろん既に終わっていたし、流れる曲も1980年代の普通の洋楽ポップスだった。流れていたのはCHICやSister Sledgeやドナ・サマーではなく、ヒューマン・リーグやホール&オーツやデュラン・デュランだった。外タレがよく来ていたと聞いた Lexington Queen にも行ってみたがロックスターは誰も見かけなかった。

余談だが、1990年代後半~2000年頃のロンドン。今アラカンの私の世代が当時まだ30代半ばだった頃、ロンドンのパーティーに行くとよくABBAが流れていた。当時ロンドンではABBAがリバイバルでベストアルバムが大ヒットしていた。会社の大掛かりなクリスマス・パーティーなどに出かけるとABBAが流れて、同世代の30代の男女が大勢でわらわらABBAや70年代のディスコ曲で踊っていた。私も旦那Aと彼の同僚達とフロアの真ん中で狂ったように踊り続けた。中学の頃に聴いていた曲でガンガン踊るのは最高に楽しかった。




2024年4月8日月曜日

映画『ワインは期待と現実の味/Uncorked』(2020):夢を追う若者





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『Uncorked (2020)/米・仏/カラー
/1h 44m/監督/脚本:Prentice Penny』
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私が今まで全く知ろうともしなかったワインの世界。去年のクリスマスにブルゴーニュ風ビーフ・シチューに使ったことで出会ったアルベール・ビショー/Albert Bichot 社のブルゴーニュ赤ワイン。それからネットで調べてワインのことに少し興味を持ち始めた。(フランスの)ワインには見分け方の基本があるんだねと。

ブドウの種類、ブドウが育つ土地の土の質、その地方の気候…。それらの条件でその土地特有の味のワインができる。ワインの名産地には歴史があって、その土地に特有のブドウが育ち特産品が生まれる…。

そのようなワインの基本の基本を知ることができたことがすごく嬉しくなった。そのきっかけを作ってくれたアルベール・ビショー社にも愛着が沸いた。感謝の気持ちも込めて。

先日も同社の米国のサイトを見ていた。そうしたらこの映画の記事が出てきた。アルベール・ビショー社のワイナリーがこの映画に撮影協力をしたらしい。え、そうなんだ。見たい。というわけで先週の週末にNetflixで視聴。


早速映画の冒頭から同社のワイン・メイキングのシーンが出てくる。お、いきなりですかと喜ぶ。ブドウの育つ様子、収穫の様子、工場でのプロセス、ステンレスのタンク、職人さん達が働く様子、そして工場でボトル詰めされているのは「Chablis」。映像を止めて「これこれ、このラベルよ」とまた喜ぶ。

アルベール・ビショー社が出てくるのは、この冒頭のワイン・メイキングの様子と映画の半ばで主人公が同社の見学に行くシーンで建物の外側が一瞬映るのみ。建物の中に入る様子は描かれていない。

それでもちょっと満足。なんだか知り合いが映画に出ているような気分。嬉しいわ。


いい映画です。監督はPrentice Pennyさん。今までテレビドラマのプロデューサーを多くなさっているアフリカ系の監督さん。

主人公はテネシー州メンフィスのワイン好きのアフリカ系の青年イライジャ。ワインショップでバイト中。父親ルイはローカルで人気のバーベキュー・レストランのオーナー。父親は息子にレストランを継いで欲しいが、イライジャはワインを真剣に学びたいと言う。


子供が家業を継ぐのか、それとも自分の生きたい道を選ぶのか…の父と息子の物語。どのような職種でもこのような話は有り得る。漆の職人さんの息子さんが美大に行ってアーティストになりたいと言うとか、農家の息子さんがエンジニアになりたいと言う…。そういえばちょっと前にうちの壊れた窓を直してくれた職人さん親子もそうだった。お父さんは窓修理の職人。しかし息子さんはカリフォルニアに行ってワインを学ぶ予定だと言っていた。このような親子の話は沢山あるのだろうと思う。

映画はイライジャ君が、世界的な資格「マスター・ソムリエ/Master Sommelier」の試験に合格するために努力を重ねるストーリーを追う。お父さんは最初は渋い顔。しかしお母さんが助けてくれる。イライジャ君は学校に通い始め、後にフランスに学びに行くチャンスもやってくる。夢を叶えるために頑張る若者の物語。いい話。イライジャ君を応援しながら見る。


アフリカ系の家族の明るさがいい。皆で集まってディナーの日、イライジャ君が皆に初めて「ソムリエになりたい」と夢を語る。皆のリアクション「え、アフリカのソマリア?」の会話のリズムが最高。ゲラゲラ笑う。すごくにぎやかで明るい家族。

様々な事柄が起こるのだけれど、特にお父さんとイライジャ君の関係に心動かされる。お父さんいい人。これは本当にいい親と子、家族の話よ。  

さて「試験はどうなるのか?」イライジャ君と家族を追ってストーリーに引き込まれる。いい映画。


ヒップホップのカルチャーで育ったアフリカ系の男の子が、世界的なワイン・ソムリエの資格を取るために努力をする映画。正直な話、私は最初はいまどきのポリコレ系の映画として、このアフリカ系の若者が人種のために苦労をする様子が描かれるのか…人種による困難にぶつかっても諦めずに頑張る若者の話が描かれるのかと思っていた。

ところがこの映画、人種に関する場面は一切出てこない。この映画は今どきの「説教型のポリコレ映画」ではない。ここで描かれるのは、人種の問題は一切関係なく…ただ一人の若者が夢を追って努力を重ねるストーリー。

それで考えさせられる。監督さんのPrentice Pennyさんはアフリカ系の方。このお方は意図的に「人種」をストーリーに盛り込まなかったのではないかと。これは一人の若者の話。若者が夢を追う話。だからこの映画を見る人が白人であってもアジア人であっても、皆がイライジャ君の話を自分のことのように見ることが出来る。映画のテーマ「父と息子、家業と夢」の話はどの文化圏の人が見ても理解できる話だろう。

メンフィスでもフランスでも、彼の周りの友人も、ワインの学びの仲間も…イライジャ君のストーリーに「人種」がお題に上ることは一切ない。彼のワインの学びの仲間はハーバード出身のエリート、(たぶん)インド系の女性、(たぶん)イタリア系の青年、そしてバイト先のワインショップのオーナーは白人で頼りになる相談相手。そして学校の先生やフランスで出会う人々も…。

私が個人的に人種のことを「心配」したのは、きっと私が今までに多少の人種関連の「経験」をしてきているからだろう。「もしイライジャ君がここで無視されたらどうしよう?」と必要もなく心配してしまったのは、私の中にも白人に対するバイアスがあるということだ。

「人種」を一切お題に上げない若者の物語。私はそこにもちょっと感動した。そうだよね。これが普通であるべきなんだよね。この話は静かに世の中の「理想」を見せてくれているのだろうと思った。ありがとうと思った。


最後は賛否両論だそうだ。私はこのエンディングだからこそいい話だと思った。これでいい。いい気持で見終わった。


余談だけれど…
実は知り合いに「マスター・オブ・ワイン/Master of Wine」の資格を持つ女性がいる。ロンドン時代の旦那Aの同僚の奥さん。彼女は20代から勉強を始めて、たぶん合格するのに5年以上(もしかしたら10年近く)かかったのではないかと思う。とにかく取るのが大変難しい資格だと聞いている。そのマスター・オブ・ワインの今の資格保持者は世界で416人。そしてこのイライジャ君が目指しているマスター・ソムリエは世界でたった274人。決して簡単に合格できる資格ではない。その彼女の旦那さんも、彼女が合格するまでに大量のワインを買わなければならなかったと言っていた。

昨日調べたら、彼女は今業界でかなり有名なワイン評論家になっていることを知った。本も出していてWikipediaにも名前が出てくる。かなりの大家になっているらしい。ひ~驚いた。そのような資格保持者は世界中のどこに行ってもひっぱりだこ。彼女達はロンドンの後、旦那さんの転勤で日本やシンガポールにも住んだのだけれど、企業との仕事はもちろん、時には大富豪のワインコレクションのアドバイザーとしても雇われたことがあると言っていた。そういえば「日本人は高いワインを実際に飲むのよね」などとも話していた。西洋では高いワインはコレクションをする人が多いそうだが、日本人は飲むのだそうだ。すごいね、日本の大富豪。


私はこれから少しずつ20~30ドルくらいのブルゴーニュとボルドーのワインを「これはどうかな~」と試していこうかなと思っている。フランスのワイナリーのストーリーを(飲みながら)学んでいきたい。…フランス革命の頃に始められたワイナリーなんてちょっと浪漫…。


2024年3月13日水曜日

映画『とんび』(2022):人生は大河のように







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『とんび (2022)/日/カラー
/139分/監督:瀬々敬久』
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TV Japanで過去に放送されたものを録画していた。やっと鑑賞。原作は重松清「とんび」。脚本は港岳彦。監督は瀬々敬久。


以前ここに映画『幼な子われらに生まれ』の感想を書いた。家族がテーマの話だった。原作は重松清氏。今回のこの映画の原作も重松清氏。この話のテーマも家族。

前情報は全く見ずに鑑賞。



1962年(昭和37年)、市川安男/ヤス(阿部寛)美佐子(麻生久美子)に息子・旭(北村匠海)が生まれる頃からストーリーは始まる。親の愛情を知らずに育った二人は、息子が生まれて家族になった幸せを噛み締める。時は昭和40年頃、1960年代の半ばの高度経済成長時代。舞台は瀬戸内海に面した広島県備後市。

ヤスはいかにも昭和の男。根は優しいが気が短く頑固、真面目な男だが不器用で照れ屋。言葉が出てこないから手が先に出る。彼は運送会社に勤務していて、会社の同僚や近所の仲間は皆家族のように親しい。男達は皆騒がしく、なにかといえば飲んでわいわい大騒ぎ。皆が集まる飲み屋の女将はヤスの姉貴分・たえ子(薬師丸ひろ子)。近所の寺の跡取りは幼馴染の照雲(安田顕)そしてその妻・幸恵(大島優子)

この映画もまたノスタルジックな「明るい昭和」の映画だと最初は思っていた。幸せな家族の話だろうと思った。ところが映画の初めの頃に美佐子が事故で命を落とす。ヤスは一人で息子・ 旭を育てていくことになる。それからの父と子の物語。

上手い役者さん達が沢山。丁寧に作られた映画。



★ネタバレ注意



息子・旭が生まれたのが1962年(昭和37年 )。原作の重松さんは1963年生まれだそう。そして主人公のヤスは1934年(昭和9年)生まれ…ヤスを演じる阿部寛さんは1964年生まれ。

…ということは、旭は重松さんと同世代。そしてその旭の父・ヤスを(現実で同世代の)阿部寛さんが演じていることになる。つまり映画の最後の2019年の場面で(1962年生まれの)旭は57歳。アラ還だ。 始めは昭和の話だということで「いつの世代の話だろう」と思ったのだが、旭が私に近い年齢だとわかってからはストーリーがもっと身近に感じられるようになった。

この映画には昭和の「普通の人々」の生活が描かれている。昔は特別なことではなかった人と人の距離の近さ。父・ヤスは旭を一人で育てているけれど、子育てに迷えば友人や知人がやってきて手を差し伸べてくれる。特に寺の住職・海雲(麿赤兒)とその息子の照雲と妻・幸恵はまるで家族のように何度もヤスと旭の家庭に踏み込んで助けてくれる。旭の成長は町の皆が見守ってくれている。

そのような環境で旭は成長する。小学生の頃はヒバゴンに興味を示し(ツチノコもあったよね)、高校生になったら野球部に入る。そして旭は成績も優秀。高校を卒業後は東京の早稲田大学に進学する。映画のタイトルの『とんび』とは「とんびが鷹を生んだ」からのもので、「とんび」とはヤスのことなのだろう。


映画の始めにヤスは最愛の妻を、そして旭は母親を亡くす。大きな悲劇。しかし彼らの日常はその後も続いていく。それがメインのテーマなのだろう。時が過ぎれば悲しい事故も過去のものになる。哀しみを溜め込むのではなく、ヤスは雪を解かす海のように哀しみを飲み込んで息子を育てていく。近所の友人たちに助けられながら前を向いて旭と共に歩いていく。

淡々と日々が過ぎる。あたりまえの日常…特に現在アラ還の世代には「ああそうだな」と懐かしく頷く場面も多い。旭の背中には沢山の人々の温かい手。ヤスは立派に旭を育て上げる。父と子の日常を描いて2時間、市川家の二人を見守り続ける映画。


途中でじわっと涙が出るような場面が何度も出てくる。特に人と人の絆の修復を描いた場面に心動く。飲み屋の女将・たえ子の後悔と再会。カウンターに並ぶ美味しそうなご飯に娘への愛を見る。そしてヤスと父親の関係の修復…ヤスが父に話しかける「俺を生ませてくれてありがとうございました、おかげでわしの人生は幸せそのものじゃった…ありがとう、お父ちゃん」


そして映画最後の場面は幸せの風景。旭と由美(杏)と息子が浜辺で遊ぶ様子を、ヤスが25年前の「自分と美佐子と旭のいた幸せな風景」に重ねながら眺めている。25年前のヤスの幸せそのままに、旭にも彼の家族が出来た。美しい情景。

その最後の場面の頃には私の目尻もヨレヨレに緩んでいた。2時間をかけてヤスと旭の25年間の旅を見終わって感無量。そしてその後のヤスも幸せだったことを考える。

「山あり谷ありのほうが人生の景色は綺麗なんよ」

ヤスの孫も大きく成長した2019年、ヤスは85歳、旭は57歳。旭の家族がヤスのお葬式のことを話している。旭は小説家にとして成功しているようだ。長い時間が流れた。


幸せが繋がっていく。ヤスの孫たちもこれから結婚し、いつか旭にも孫ができるだろう。そうやって家族は次の世代へと繋がっていく。

最後に私の目尻がヨレヨレになったのは、ヤスや旭の生きた人生がほんの少し羨ましかったからなのだろうと思う。これからも広がり繋がっていくヤスと旭の家族の未来を羨ましいと思ったのだと思う。

ヤスの晩年が幸せで本当によかった。



少し余談だが1960~70年代の再現が驚くほど丁寧。懐かしいものが沢山。

1974年昭和49年の市川家の食卓には見覚えのある物が並ぶ。派手な色のトースター、花柄の白いポット、日東紅茶ティーバッグの黄色と赤の箱、台付きの白い灰皿?、壁には鎌倉彫の壁掛け。奥の部屋にはチャンネルをカチャカチャと回すテレビ。その上には大阪万博の太陽の塔の像。横の床にはビニールのテープで編んだゴミ箱。ヤスの後ろの茶箪笥の引き戸の丸い金具をはめ込んだ取っ手、その茶箪笥の上の籠の中には雪印マーガリンの箱も見える。キッチンの窓辺には白地に赤い模様のホーロー鍋。そして旭の後ろの棚の上には青く塗った金属の懐中電灯、笠をかぶった狸の置物。あの頃の物が懐かしい(北海道土産のヒグマの木彫りはどこだ笑)

1978年昭和54年には屋内の物が少し変わっている。壁には海の風景を写した写真のシンプルな額縁。居間の電話はグレーの押しボタン式。食卓にはハイライトのタバコとLarkの缶灰皿。旭の部屋にはファンシーケース。その上には旧ロゴのアディダスのバッグ。その隣は(縦になっていて見えないが)マジソンスクエアガーデンのバッグだろう(縁が銀)。壁には修学旅行のお土産の奈良と別府の三角形のペナント。カラーボックスの上の時計は数字のカードがパタンと捲れる仕組みのデジタル表示。机の上には日本史や英語の参考書。見覚えがある笑。

そして時は流れ1988年昭和63年はバブルの頃。旭は出版社で働いている。編集部の雑然とした様子は私の知るあの頃の出版社編集部の様子と同じ。ポジフィルムを見るライトボックス。デスクで煙草を燻らせる編集者。ハンガーにかかった社員達の上着がカラフル。男性社員の着るセーターも派手。由美の前髪はムースで固められてゴワゴワだろう(私も固めていた)。


どの時代も丁寧に再現されていて懐かしかった。それでふと思った。私が子供の頃…旭が子供だった頃の1970年代は、もしかしたら今から見ればもうすでに過去の歴史上の時代になっているのではないかと。40年前の1984年はマドンナやマイケルが流行っていた頃。彼らもそろそろ歴史上の人物になりつつあるのではないか?…そのことをふと思いついて何とも言えない気持ちになった。あの頃は遠い昔。


2024年3月3日日曜日

米ドラマ FX『将軍/Shōgun』(2024) Pilot第1話 Anjin :これから楽しみです







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『Shōgun』(2024) TV Mini Series
/米/Hulu, FX/カラー/55–70 minutes
Creators:  Rachel Kondo, Justin Marks
Based on Shōgun by James Clavell
No. of episodes: 10話
Release: February 27, 2024 – April 23, 2024
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米国 FXにて。初回の放送は2月27日。パイロット/第1話を週末に録画で視聴。


まずまず。まだ人物達の紹介で終わった第1話で良いか悪いかの判断はできない。ただハリウッドがお金をかけて1600年頃の時代劇を撮ってくれるのであればそれだけで興味津々。第1話はまずまず面白かった。十分興味は持った。これから楽しみ。


『将軍』はオリジナルの1980年のドラマを高校の頃に見た。内容はよく覚えていない。覚えているのはリチャード・チェンバレンが素敵ねとか島田陽子さんが綺麗ねとかそのような程度。ガイジンさんが日本の女優さんと日本のドラマをやってるのね♪ ぐらいの印象。当時私は日本史に全く興味がなく内容もさっぱり理解していなかった。同作の吉井虎永は三船敏郎さん。

ドラマを見た後でジェームス・クラヴェルの原作も読んだ。ソフトカバーの単行本でざらっとした質感の白い紙に赤と黒のかっこいいデザインのカバー。1冊5 cmぐらいの分厚い本が「上・中・下」の3冊だった。もちろん原作の内容もさっぱり覚えていない。苦労して読んだのに。

それでも記憶に残る作品だ。旦那Aもドラマを覚えているという。原作は読んでいないらしい。今は旦那Aも日本の戦国時代の知識は多少ある。二人でワクワクしながら録画で視聴開始。



早速ストーリーのセッティングは軽く理解した。

簡単に言えば…
(ベースになる歴史は…)秀吉が死去して5大老が末期の豊臣政権の政務を行っていた頃。徳川家康が諸大名と私的婚姻を計画している話が他の大老達にバレて追い詰められる場面が出てくる。なぜか5大老をまとめているのが石田三成のキャラ。そのような状況の1600年、オランダ船に乗ったイギリス人・ウィリアム・アダムスが日本に漂着した


Wikipediaに登場人物がまとめてあったのでメモ。
英語のページに載っていた順で       ● 五大老
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真田広之:吉井虎永 (徳川家康 (1543–1616)) 
● コスモ・ジャーヴィス
 :ジョン・ブラックソーン (William Adams三浦按針 (1564–1620))
● アンナ・サワイ:戸田鞠子 キリシタン( 細川ガラシャ (1563–1600))
● 浅野忠信:樫木藪重 ( 本多正信 (1538–1616))
● 平岳大:石堂和成 ( 石田三成 (1559–1600)) 
● トミー・バストウ
 :マーティン・アルビト司祭 (João Rodrigues Tçuzu (1561–1634))
● 二階堂ふみ:落葉の方 (淀殿 (1569–1615))

● 金井浩人:樫木央海 (本多正純 (1566–1637))
● 穂志もえか:宇佐美藤 -- 戸田広松の孫娘
● 阿部進之介:戸田文太郎 (細川忠興 (1563–1646))
● 西岡徳馬:戸田"Iron Fist"広松 ( 細川藤孝 (1534–1610))
● 螢雪次朗:太閤 ( 豊臣秀吉 (1537–1598))
● 竹嶋康成:村次
● 倉悠貴:吉井長門 ( 松平忠吉 (1580-1607))
● 向里祐香: -- 遊女
● 洞口依子:桐の方 ( 阿茶局 (1555-1637))
● 亜湖:Daiyoin/大夫人・伊与 ( 高台院 (1549–1624))
● トシ・トダ:杉山如水 (前田利家 (1539-1599)) 
● ヒロ・カナガワ:五十嵐
● Junichi Tajiri as Uejiro
● Néstor Carbonell as バスコ・ロドリゲス
● Nobuya Shimamoto as Nebara Jozen
● 祁答院雄貴:竹丸
● 藤本真伍:志津の方
● Haruno Niiyama as Natsu No Kata
● Joaquim de Almeida as Father Domingo
● Paulino Nunes as Father Paul Dell'Aqua
● ヒロモト・イダ as 木山右近定長 キリシタン (小西行長 (1555-1600)) 
● タケシ・クロカワ as 大野晴信 キリシタン (大谷吉継(1558-1600)) 
● Yuko Miyamoto as Gin
● Yoshi Amao as Sera

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これは関ケ原の前の状況ですね。わかりやすく石田三成(石堂和成)を家康(吉井虎永)の「敵」にして五大老(石堂和成 ・吉井虎永・杉山如水・木山右近定長・大野晴信)のトップに据える。そして家康がそれに抵抗している状況。この様子ならこのまま「関ケ原の戦い」がハリウッド方式で再現されるのだろう。これは楽しみ。

㊟史実の五大老:徳川家康・前田利家(後に前田利長)・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景(後に上杉景勝)



★ネタバレ注意


パイロット/第1話は主人公の航海士・ジョン・ブラックソーン(ウィリアム・アダムス)の乗ったオランダの商船が日本に漂着するところから始まる。実際にアダムスの漂着したのは豊後(大分県)だったそうだが、このドラマではAnjiroに漂着。そこで浅野忠信の演じる樫木藪重(本多正信)の家臣に捉えられる。

樫木はオランダ船の積み荷を抑えジョン達を酷く扱うが、大阪にいる吉井虎永(徳川家康)からの命でジョンを大阪に送るように命じられる。


興味深いのは当時の欧州の新旧キリスト教の事情が描かれていること。当時1600年頃は欧州のキリスト教徒がカソリックとプロテスタントに別れて争っていた時期(このしばらく後の1618年に新教と旧教による30年戦争が欧州で勃発する)。 そのためカソリック教徒のポルトガル人がプロテスタントの英国人ジョンを嫌う。最初に出てきた司祭はジョンを「海賊だからと処刑しろ」と樫木に進言。それは実行されなかったが、大阪への渡航中(元々はポルトガル船に雇われた)スペイン人の航海士ロドリゲスもプロテスタントのジョンを敵として認識している。かなり辛辣にプロテスタントの英国人ジョンを嫌うカソリック教徒のポルトガル人とスペイン人の描写が面白いと思った。


さてなぜ樫木の元に漂着したオランダ船のことを虎永は知っていたのか?実は樫木の元に送り込まれた虎永の家臣がそのことを伝書鳩で虎永に伝えていた。つまり虎永は樫木を信頼しておらず、樫木の領地にスパイを送っていたことになる。

それにしても設定では本多正信の樫木藪重(浅野忠信)がなぜあれほど異常な人物に描かれているのかが不明。樫木が本田正信なら彼は最後まで家康の側にいるはずなのに。


とりあえず話は面白そうだと興味を持った。これからも見る。見どころは日本の時代劇をハリウッドの巨額な投資でどのように料理してくれるかということ。日本のテレビではできないことをどれくらいやってくれるのか。それが一番の楽しみ。この第1話も荒れた海の上の船の描写は映画のようだった。CGによる俯瞰もいい眺め。


画面の色合いはは全体に青みがかっていて暗くあまり綺麗ではないが、この色合いは…欧州の中世を描いたドラマや映画でもこのような色合いが多いので「中世色」というものか。慣れるしかない。

西洋の時代ドラマ/映画でも、中世を描く作品はことさら暴力描写と性描写が多い。基本的に「中世は野蛮だから」の考え方で、製作はそれを「リアルだ」と言い訳にして大衆に受けるようにショッキングなシーンを描くのだろうと思う。このドラマもいくつかの残酷なシーンや不必要な裸のシーンは我慢しなければならないのだろう。


そんなわけで私が個人的に気になるのは、ハリウッドがどのように日本のなんちゃって歴史ドラマをつくるだろうかということ。このドラマは真田広之さんがプロデューサをなさっていて内容にも目を光らせてくださっていると聞いているけれど、原作が英国人による1975年に書かれた小説ということもあって、やはりハリウッド製作なら飲まなきゃいけない妙なシーンやプロットもあるのではないかと思った。面白がるだけのために、リスペクトに欠けた極端なエキゾティズムが日本人には鼻につく可能性もあるだろう。

それで第1話の妙なシーンを少し
・ジョンが連行されるシーンは第二次大戦時の捕虜収容所か?
・キリスト教信者の頭が突然斬られて吹っ飛ぶ。不必要なグロ。
・樫木藪重の異常性 意味もなく船員がリアルに釜茹でになるグロシーンは不快で不要(原作にあるらしい)
・遊女が若者を組み敷く様子を樫木が楽しそうに見る(無駄なハダカ)
・樫木は一応は大名なのに、南蛮人に挑戦されたからといって(別の南蛮人を)危険を冒してまで自ら助けに行くはずも無し(アフォォ笑)
・樫木が溺れながら意味なく刀を抜く。意味なく自刃?
・皆がすぐにほいほい刀を抜く、抜きがち 無意味
・早速おきまりのハラキリ…しかしそのグロ・シーンは見せなかったのでヨシ


私が大昔にハリウッド製『ラストサムライ』をありがたがったのは、監督と製作全体に日本へのリスペクトを感じたから。あの映画は(たとえなんちゃって時代劇であったとしても)明治維新後に失われゆく武将達の文化を、リスペクトをもってかっこよく描いてくれたから。

もしハリウッドが『将軍』の題材を使って「これが残酷でショッキングで異様なアジアの未開の野蛮な蛮族のなんちゃって中世(近世)・ファンタジー時代劇ですよ」と撮ったとしたら私は醒めてしまう。さてどうなるか?期待しましょう。




2024年2月29日木曜日

映画『アキラとあきら/Akira and Akira』(2022):うまいキャスティング、ポジティブなメッセージ






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『アキラとあきら(2022)/日/カラー
/128 m/監督:三木孝浩』
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しばらく前にTVJapanで放送されたものを録画していた。前情報なしで鑑賞。


主人公は二人。二人とも産業中央銀行の銀行員で同期。

山崎瑛/アキラ(竹内涼真):零細工場の経営者の息子、
 幼い頃に父親の経営する工場が倒産。東大を卒業。
 努力して銀行員になった。熱い男。

階堂彬/あきら(横浜流星):大企業「東海郵船」の御曹司
 恵まれた環境で育ち東大を卒業。
 冷静。家を継ぐことに反発して銀行員になった。


最初にアキラの父親の倒産の場面を見て「これは半沢直樹か?」と思った。すぐに調べたら原作者は池井戸潤さん。やはり『半沢直樹』の原作者だった。そして主人公二人も銀行員。

違う環境で育った(同じ名前の)二人は同期でライバル。この二人がどのように絡み合っていくのか?が話の軸。


最後は綺麗にまとまって気持ちよく終了。銀行のことはよくは知らないが、内容もわかりやすく不自然なところもなかった。それほどびっくりするような驚きや笑いはなかったけれど、ストーリーは自然に流れて違和感がなかった。最後は絵に描いたように綺麗にまとまった。人の人生に起こる様々な出来事を前向きに捉えるポジティブなメッセージを感じた。

何よりもこの映画は「売る」ために作られた映画だろうと思った。原作者は大ヒット作『半沢直樹』の池井戸潤さん。そして主人公のお二人が大変ハンサムな俳優さん達。彼らを見るためにだけでも若い観客が多く集まったのではないか。


このドラマで一番いいと思ったのはその配役。特にメインのお二人のキャスティングが素晴らしいと思った。

大企業の御曹司・階堂彬/あきらを演じる横浜流星さん。
綺麗なお顔の青年ですが(いい意味で)表情に憂いがある。あきらは大企業の御曹司なのに叔父達や弟の暴走で苦悩。父親からのプレッシャーからも逃れたかったのだろう。その苦悩が(ただ綺麗なだけではない)憂いを帯びた彼の表情にも見て取れる。表情に少し影がある。育ちのいいお坊ちゃんなのに悩みがありそうなその表情がキャラクターにマッチしていると思った。途中でイライラして怒鳴り散らしたり、机のものを床に払い落したりしていたけれど、彼の憂いのある表情でその行動も納得できた。うまいキャスティング。憂いのある表情というのはセクシーなのですよね。流星というお名前もまたミステリアス。月の光が似合いそうな青年。文系の女性に人気なのだろう。

そして苦労人の山崎瑛/アキラを演じる竹内涼真さん。
このお方は見るからに真っ直ぐな好青年。お名前が涼真さんだそうですがまさに涼やか。お日様を沢山浴びて育ったような明るい印象。このアキラは苦労をして育ったにはずなのに、どうしてそんなに真っ直ぐな目をしていられるのだろうと思うほど。決して打ち負かされないスーパー・ヒーロー系にも思える。黒目がちの人懐っこそうな目はまるで子犬のよう。人が大好きでフレンドリーなゴールデン・レトリーバーが思い浮かぶ。一ミリの曇りもない好青年ぶりがお見事。アキラが銀行員になったきっかけが満島真之介さん演じる銀行員(すごくいい人)にインスパイアされた…というのも納得。そうそう満島真之介さんも「いい人」の印象ですもんね。竹内さんの太陽を沢山浴びて育ったような「陽」の魅力は体育会系の魅力なのだろう。彼は声の響きも心地よい。

そのように、俳優さん達それぞれの佇まいや印象で選ばれたのであろう配役が素晴らしかった。お二人を見ているだけでそれぞれのキャラクターに納得できる。特に竹内涼真さんの誠実な好青年ぶりがすごいと思った。適役。


昔は明るい好青年だった江口洋介さんが、凍り付くほど冷たい上司・不動をなさっているのも感慨深い。落ち着いていて父親のような融資部長・羽根の奥田瑛二さんもいい。アキラが子供の頃に憧れた誠実な銀行員・工藤(満島真之介)、悲しむアキラを慰めた(父の)工場の従業員・保原(塚地武雅)などなど、全体に配役がすごくいい。


苦労をしても諦めず真面目に努力を続けた山崎瑛/アキラくんのような「まっすぐな人」「いい人」のストーリーというのは、今の時代にはとても必要だと思う。若い人がこの映画を見て、彼のように誠実に、真っ直ぐに生きたいと思えればいい。

諦めず努力をする人が成功する映画
「まっとうな人」がヒーローになる映画
「誠実な人」がヒーローになる映画
「困っている人を見捨てない人」がヒーローになる映画
「思いやりのある人」がヒーローになる映画

そのような「いい話」の映画が今の時代は必要だと思う。情報が溢れすぎて世の中が混沌としているように思える現代、若い人達は皆「正しい生き方」の基準がもっと知りたいのではないかな。

いい話です。いい映画。


2024年2月25日日曜日

映画『バービー/Barbie』(2023):肩の力を抜こうぜ







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『Barbie (2023)/米・英/カラー
/1h 54m/監督:Greta Gerwig/脚本:Greta Gerwig, Noah Baumbach』
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話題作ということでしばらく前にテレビで放送されたものをまたまた旦那Aが録画していた。昨日鑑賞。

いや~難しい映画だったわ。難解。マジ。何が言いたいのか全然わからなかった。面白くなかった。監督のテイストと合わないのだろうと思う。監督はグレタ・ガーウィグさん。彼女の映画(世間で大絶賛された)『レディ・バード』も全然ダメだった。合わないのだろう。

メッセージ性がありそうだけれどかなりケオスで混乱する。結果映画を見終わっても「何が言いたかったのだろう?」と首を傾げた。私は大抵の映画は「…まぁこのようなものだろう」と自分なりに納得するのだけれど、この映画にはただただ混乱するばかり。

たぶん私の年齢が年寄り過ぎるのだろうと思う。それから私はジェンダー不平等問題にあまり感心がないのだろうとも思った。まず子供がいないし、育てていないし、今の若い女の子達の苦悩もメディアなどから受ける印象から勝手に想像するのみ。どのような世代であれ(男女の違いなく)それぞれの世代の悩みや苦悩というものがあるのは理解しているつもりだけれど、一体この映画の監督やクリエイター達は、何を(ジェンダーでしょう)そのように大層な問題として大騒ぎしているのだろうと思った。

というわけで時代に取り残された年寄りがトンチンカンな感想を書く。辛口なのでごめんね。ちなみにこれは1回見ただけの印象。無理にメッセージを探そうとして混乱した。2回目に見ればもう少し楽しめるかも。


個人的な話だが私はあまり…そのジェンダー不平等問題で苦労をしてこなかった。美大を出てデザイン事務所に勤務して20代を過ごした。美大の学生だった頃もデザイナーとなってからも男女で扱いが違うなどということはなかったし、世の中はバブル期で仕事が溢れて超がつくほど忙しかったので、女だろうと男だろうと終電を逃して朝の2時3時4時5時まで仕事をしてタクシーや始発で家に帰る生活をしていた。結果が出れば給料は男の同僚と変わらないし、特に男女の扱いの差で苦しんだ記憶はない(ブラックな勤務時間はかなり辛かったけれど)。

その後は仕事を辞めて(辞めざる負えなかった)海外でなんちゃって学生。そして母にならずに専業。…結局私は(男女差が今も存在する)古い体質の大企業で男性社員と競って給料や昇進に悩んだ経験がないからその辛さがわからないのかもしれぬ。2023年に公開された女性向けの映画で、これほどまでに「女が女がおんなおんなおんなおんなオンナにもっとフェアな世の中になれ!!!!」と言っているメッセージに私は少なからず驚いた。

今でも女性は社会の中で虐げられているのか?


★ネタバレ注意


この監督からの一番のメッセージは…女性がいかに「不幸」なのかということなのだろうか?私は劇中のお母さん・グロリアのあの「オンナの叫び」のすごさにとても驚いた。気になったのでネット所を探したら出てきた。訳をする

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「オンナであることは無理なのよ!あなた(バービー)はそんなに綺麗で賢いのにそれでも十分だと思ってないなんて…辛くなるわ。私達女はいつも並外れてなきゃいけないのに、とにかくいつも間違ってるのよね。痩せてなきゃいけないのに、痩せ過ぎちゃいけない。そして「痩せたい」と言うことも許されない。「健康でありたい」と言わなければならないけど、同時に痩せてなきゃいけないの。お金を持ってなきゃいけないけれど、お金を欲しがってはいけない…だって下品だから。(チームの)ボスにならなければいけないけれど、意地悪しちゃいけない。人をリードしなければいけないけど、他人のアイデアを潰しちゃいけない。母親になることを喜ぶべきなのに、子供のことを喋り続けてはいけない。キャリアウーマンになるべきなのに、常に人への心配りを忘れてはいけない。男のダメな行動に答えなきゃいけない(それ狂ってる)のに、それを言えば文句が多いと非難される。男のために美しい女性であるべきだけれど、男を魅了するほど綺麗なのはダメで、またシスターフッドが大切だから他の女性が辛い思いをしないように綺麗にし過ぎるのもだめ。でもいつも特別で感謝の気持ちを持つべきなの。でもそのシステム自体が不正に操作されていることを忘れずに。だからそれをわかった上で感謝すること。年を取ってはいけない、失礼でもいけない、人に自慢してもいけない、自分勝手もいけない、決して転ぶな、間違えるな、怖がるな、常識から外れるな。もうすっごく大変!!!矛盾が多過ぎて誰もあなたにメダルをくれたり感謝してくれることもない。その上にあなたは間違っているだけじゃなく、それは全部あなたのせいだと言われる。(その方が皆に好かれるからって)私自身も他の女性達も皆混乱して苦しんでるのを見るのにうんざりしてる。そしてその全てが女性を表す(あなた)人形も同じだなんて…もう私にはわからないわ。
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うわ~大変やな。確かに。正しい。…しかし世の中の全てをこれほどまでネガティブに見る必要もないと思うぞ。自分で選んで大変な生き方をしているようにも聞こえてしまう。必要以上に自分を追い詰めていないか? もっとイージーでいいんじゃないの?もっといいかげんに生きたほうがいい。こんな生き方は辛いと思う。

これはグレタ・ガーウィグさんだか男性脚本家だか…女性は女に生まれただけでとんでもなく大変で辛くてフェアじゃなくてものすごくものすごく苦しい苦しい苦しいのよぉ~~~!!!!と言いたいのだろうか。

唸りますね。もうちょっと皆ダラダラしたほうがいい。人生をあまり難しく考えない方がいいと思う。日常の小さなイラつくことをいちいち全部重箱の隅をつついて最後の1ミリまで見逃さず、これもだめ、あれもダメ、苦しい、辛い、ああ私は不幸不幸不幸だ…と言ったからって、あまり状況が変わるとは思えない。

それからもうひとつ気になった台詞。車の中でのバービーと親子の会話。バービーが「私、女性が好きなの。女性を助けたいのよ」と言えば、娘のサシャ(10歳くらい?)が母とバービーに言う

「Everyone hates women. Men hate women and women hate women. It's the one thing we can agree on. 皆女が嫌いでしょ。男は女が嫌いだし、女も女が嫌い。これだけは皆同じ意見だよね」

ぉおおおおぅ…女は女が嫌い?ぇぇえ…ぅ~時々思いますけどね…でもずいぶん世の中を斜めから見ていないか?女性同士だからこそわかり合えることも沢山ありますよねぇ。

…なんかね、こういうのも含めて、この映画全体に流れる「女として生まれた苦悩」があまりにも大き過ぎて気になって、なんだか私には…この映画、総天然色ピンク大爆発のカラフルな映画なのにどうもメッセージが暗い。そうか。女は辛いか。確かに皆に愛される完璧な女になろうとすると人生は苦しいものなのか。そうか。


…あ、わかった。私は間違いなくあの変てこバービー(ケイト・マッキノン)なんだ。たぶんいつもはみ出してきたんだわ。たぶん中学ぐらいからそうだった。だから「完璧な女」になるつもりなんて早い時期に諦めたのだろうと思う。だから完璧になろうとする女性達の辛さがわかりづらいのかも。いや…途中まではそれなりに頑張っていたと思うが。

はみ出して何が悪い。アダムスファミリー好きだし。


なんかさ、先日のアリアナちゃんの歌の歌詞じゃないけど、皆他人の意見なんか気にしなきゃいいと思う。上の母・グロリアさんの言葉も、全部他人からの自分への批評や批判に苦しんでいるわけですもんね。「完璧になろうと努力しているのに全部非難される」と言っている。


それから、ケン(ライアン・ゴズリング)の家父長的な価値観がどうのこうの言う場面も、今の時代にそれほど大きな問題には私には見えない(そう見ようと思わなければ)。まぁ米国とは、スーパ・ーボウルなどで国中が巨大なマッチョ男に騒ぐ国なので私にはわからないのだろうとも思うが…アメリカの女性はスーパー・マッチョの巨人好きなのですよね。もしこの映画が言うように「米国に家父長的な価値観が今も強く残っていて、そのために多くの女性が苦しんでいる」のが現実なら、それはマッチョで自分勝手で傲慢な男を「男らしい」と好む女性の側の問題でもある。

しかしだからと言って、そのような男達と戦って、追い出すのがいいのかどうかは疑問だ。皆アマゾネスにはなりたくないと思うぞ。私はなりたくない。

男女も同性同士も皆仲良くしたいですね。


…というわけでなんだか難しい映画でした。女性は今の方が生きづらいのかもしれぬ。どうなのだろう。


マーゴット・ロビーさんは本当に人形のように美しい。しかしバービーとしては結構年が上。今33歳なのでギリギリOK。演技も上手い女優さん。ユーモアのセンスもありそうでいい。
ライアン・ゴスリングさん。彼はミスキャスト。ジジイ過ぎで不自然。今43歳だもの。もうおじさんだから生々しいむんむんの男臭さがとても邪魔。子供が喜ぶ人形に見えない。バービーもケンも20代の俳優を使った方がいいのにと思った。もちろん彼のせいじゃない。大物俳優を使わなければならなかったキャスティングのせい。

白人が演じるバービーとケンを見ていて、今のアジアのポップスターの方がずっとリアルに人形っぽいなとも思った。もう白人には憧れない~(個人的意見)


1970年代初頭、子供の頃に明るいブロンドの髪のいずみちゃんを持っていた。りかちゃんのように横向きの目ではなく、当時の少女漫画のようなキラキラした目をしていた。それから70年代半ばにドーン/Dawnちゃんという小ぶりの人形をもらった。アメリカのデザインだったらしく固いまつ毛の束がバシバシに付いていた。青い目にブルーのアイシャドウ、お顔がいかにも洋風でメリハリのある身体をしていた。赤みがかった金髪はロングで艶々。眉で切りそろえた前髪が可愛かった。ピンクのホルターネックのワンピースを着ていた。今ネットで「Dawn doll」と画像検索したら写真が出てきた。いずみちゃんとドーンちゃんの二つの人形にラメ入りのリボンやハンカチでゴージャスなドレスを作って友人と遊んでいた。懐かしいね。 あ~後からいづみちゃんの髪を切った気がする笑。


2024年2月14日水曜日

映画『Thriller 40』(2023):もう1回スリラーを練習するか







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『Thriller 40 (2023)/米/カラー
/1h 30m/監督:Nelson George』
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旦那Aが先日TVから録画していたので視聴。


「アイドル」の話をするならこの人避けて通るわけにはいかない。このお方は巨大アイドルビジネスの型を作った人の一人。

もちろん彼の前にはプレスリーがいたしビートルズもいた。まぁその他にもそれぞれの年代でアイドルは沢山いたと思うけれど、いやしかし…1983年頃のマイケルを超える人は未だいないのではないか?

人類史上最強、怪物級の大物アイドル、マイケル・ジャクソン。彼をその地位にのし上げたのは彼が1982年にリリースしたモンスター・アルバム『スリラー/Thriller』。アルバムが売れに売れて、世界中の人類が皆マイケルのように踊りたくなった。皆が彼に憧れた。

このアルバムはとにかくよく売れた。米国ビルボード・アルバムチャートで37週間1位を記録。世界中でも1位。同アルバムからのシングルは7枚全てが米国シングルチャートでトップ10入り。世界中でもチャート入り。このアルバムは、それまでのアルバム・セールス記録を塗り替えたのみならず、曲、ビデオ、アーティストの在り方、プロモーション方法、レコードレーベルのあり方、プロデューサー、マーケターのあり方、曲の振り付け…等々米国の音楽業界のスタンダードを全て書き替えたとも言われている。そして発売から現在に至るまでの売上は約7000万枚(推定)で「史上最も売れたアルバム」とされている。

この映画はそのモンスター・アルバム『スリラー/Thriller』(1982年11月29日(米国)リリース)の40周年に作られたドキュメンタリー映画。映画のリリースは2023年12月2日。


あの時代にティーンの時期を過ごした者なら誰もがよく覚えているあの頃。マイケルのファンじゃなくても、普段はR&Bを聴かない人でも、普段はプログレしか聴かない人でも、マイケルの『スリラー/Thriller』は皆買った。そして当時真夜中に日本のテレビで放送されていた米国MTVのまとめ番組でマイケルのダンスを見る。そして真似をする。みんなやった。みんな彼のように踊りたいと思った。踊らなくても踊りたいと思ったと思う。マイケルは巨大だった。

あの頃のマイケルは世界で一番かっこよかった。

1983年当時R&Bを聴かない高校生だった旦那Aも「マイケルのドキュメンタリー」をテレビでやっていると今聞けば思わずHDの録画ボタンを押してしまう。1983年は旦那Aも私もティーンだった。懐かしい時代だ。そんなわけで共に週末に見た。



★マイルドにネタバレ注意


マイケルの『スリラー/Thriller』関連のドキュメンタリー映像は今までにも何度か目にしている。特に楽曲「Thriller」のMVのメイキングオブは当時もどこかで放送されていたと思う。髭面の監督ジョン・ランディスが出てきてMVの製作を語るのは前にも見た。それ以外にもTOTOのスティーブ・ルカサーが「Beat It」でギターを弾いているとか、「Billie Jean」の裏話。あの「…But the kid is not my son 🎶」の女性は誰よ?…そのような様々な話はどこかで見たり聞いたりしていたと思う。

だからあまり期待もせず気軽に見たのだけれど、それでもいくつか見たことのない映像が出てきた。「The Girl Is Mine」でのデュエットのポール・マッカートニーのレコーディングのシーンは私は初めて見た。それから(たぶんファンの間では有名なのだろうと思うが)「Beat It」のギターソロがエディ・ヴァンヘイレンだったというのも今回初めて知った。あれもTOTOのスティーブ・ルカサーだとばかり思っていた。そして「Thriller」のイントロがほぼ全て打ち込みで演奏されているのも初めて知った。機械のボタンをどんどん押してレイヤーを重ねてリズムパターンを作り、その上にキーボードでコードを弾けば「スリラー」イントロの出来上がり。すごく面白い。

いかにも今の時代に作られたマイケルのドキュメンタリーだと思ったのは、マイケルのKpopへの影響が語られていたこと。 BTSのMVをとりあげて、マイケルの動きとBTSのダンスの比較映像が流れる。確かにそのとおり。マイケルの孫は韓国にいると私も思った。


このような過去を語るドキュメンタリーは、当時を知る人々や、誰か有名人を連れてきて語らせることが常。当時を知る人の話は面白い。当時の評論家やアレンジャーなどが何人も出てくる。ブルック・シールズも出てくる。そうそう…そういえば当時ブルック・シールズがマイケルと公の場所に出てきたことがあって、彼女はマイケルのガールフレンドか?などとも噂されていた。前述の「…But the kid is not my son 🎶」の相手はブルックではないかとの噂もあったと思うが、その件についての彼女のコメントが全くないのは面白い。おそらく当時二人はただ友人だっただけで、ブルックさんからのコメントは拒否されたのかも笑。

途中で大変驚いた情報。衣装デザイナーがマイケルの体重が99ボンドだと言っている。99ポンドは44.9キロ。彼の身長は5ft 9 (175.3 cm)だそう。ガリガリじゃないか…。だからあんなに細かったんだ。彼のスタイルがすごかったのはそのせいなのか。この99ポンドの数字が正確なのかどうかは怪しいが、おそらく身長176 cmで体重は50キロにも満たなかったのだろうと思う。とにかく細い。驚いた。

インタビューをされる有名人たちが40年前の当時を知る人々ばかりではなく(今の若い人々も惹きつけるためだろう)今の大物スター達がそれぞれの「子供の頃のマイケルの思い出」を語るのは余計かなという気もした笑。


★インタビューに出てきた人々

1983年当時を知る人々は…
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Michael Jackson(映像)
Brooke Shields(当時親しかった)
John Landis(スリラーMVの監督)
Nelson George(音楽評論家)
Robert Hilburn(音楽評論家)
Paul Jackson Jr.(ギター/ベース)
Jimmy Jam and Terry Lewis(ソングライティングチーム)
Deborah Nadoolman Landis(スリラーの衣装デザイン)
Steve Lukather(ギタリスト)
Anthony Marinelli(シンセプログラマー)
Greg Phillinganes(キーボーディスト、アレンジャー)
Raphael Saadiq(アーティスト)
Oren Waters(コーラス)
Julia Waters Tillman(コーラス)
Maxine Waters Willard(コーラス)

そして思い出を語る今のスター
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Mary J. Blige(アーティスト)
Mark Ronson(アーティスト)
Misty Copeland(バレリーナ)
Maxwell(アーティスト)
Polo G(アーティスト)
Myles Frost(ステージアクター、シンガー)
Usher(アーティスト)
Will.i.am(アーティスト)
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最後にマイケルが兄達…Jackson 5とやったVictory Tourの映像が流れる。すごくかっこいい。私はこのツアーの映像があることを知らなかった。それで動画サイトに見にいったらあったのだけれど音があまりよくなかった。あのVictory Tourの音を直した映像はないのだろうか?見たいですね。マイケルが無茶苦茶かっこいい。あのツアーは日本に来なかった。もしタイムマシンがあったら1984年のあのVictory Tourを見に行きたい。


少し思い出話
マイケルが日本に来たのは1987年の「Bad World Tour」。関東の公演は後楽園球場(ドームの前)と横浜スタジアム。9月に1回目を後楽園球場に見に行ったと思うがチケットの半券が出てこなかった。スタンドの上の方の席だったと思う。2回目は10月4日(日)横浜スタジアム(S席21ゲート20列286番)。開始時間は夕暮れ時の午後6時30分。1回目の後楽園球場から見た空はまだ明るかったのを覚えている。途中でマイケルが左にひっこんで突然右から出てきた(いや反対方向だったか?)時は狂ったように大騒ぎした。

もう一度マイケルを見たのは1992年の「Dangerous World Tour」。12月19日(土)6時30分開演。東京ドーム(S席 21ゲート 1階 17通路 5列 186番)。この公演はあまりよく覚えていない。

私はマイケルのファンだったことはないのだけれど、それでも『Thriller』の曲でのMVはよく見てフリコピをしようと必死になった。当時はビデオの録画機もなかったから「Beat It」や「Thriller」がテレビに映るたびにしっかりと目に焼き付けてフリコピをしようとした。ある程度は踊れるようになった。しかしムーンウォークだけはどうしても出来なかった。

今なら「Beat It」や「Thriller」も動画サイトで見れるんだよな。また練習しようか。


2024年1月25日木曜日

映画『いつも2人で/Two for the Road』(1967):古い時代のわがままなおとこ






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『いつも2人で/Two for the Road (1967)/英/カラー
/1h 51m/監督:Stanley Donen/脚本:Frederic Raphael』
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年末に見た映画。Amazon Primeでレンタルした。

この映画はずいぶん昔、私が学生の頃に深夜のテレビでやっていたのを見た。日本語の吹き替えだったかもしれぬ。オードリー・ヘップバーンなら見ておこうと真夜中に見た。面白かったと記憶している。

マークとジョアナの夫婦が様々な時代を、喧嘩をしながら車でフランスを旅する話で、細かいことは忘れていたが「よくできた映画」の印象だったと思う。Amazon Primeの映画のリストを見ていたら出てきたので、もう1回見ておこうと鑑賞。旦那Aは初めて。


面白かったです。昔の映画なので、いまどきの映画を見るような感じではないけれど十分面白い。夫婦の出会いから中年に差し掛かった夫婦の危機までの長い年月の間を、彼らの旅の様子のみで描く



★ネタバレ注意



二人が車で旅するのは毎回フランス国内。6つに分けた時代はおおまかに次のとおり

1, 1954年(結婚0年)学生時代ヒッチハイク旅 出会い
2, 1957年(2年目)アメリカ人家族と共に
3, 1959年(5年目?)二人旅 奥さん妊娠
4, 1961年(7年目?)夫は仕事で一人旅 奥さんは家で子供の世話
5, 1962年(8年目?)子供との3人旅
6, 1966年(12年目)夫婦の危機
(日本版Wikipediaによる)

これら6つの時代が編集により入れ代わり立ち代わり描かれるので少し混乱する。しかしそのリズムに乗れば人物達の衣装や髪型でそれぞれの年代が理解できる。お洒落な映画。

毎回夫婦が出てくるたびに、お互いの関係性が変わっていくのが面白い。最初は若い二人が無邪気にはしゃいでいるが、結婚12年目になると二人ともまるで別人のように冷たい関係に変わっている。…7年目ぐらいから12年目…その頃は確かに難しい頃かも(笑)

ところで今ふと思ったけれど、この話って最後どうなったんだっけ?覚えていないぞ。

旦那Aに聞いてみたら「大丈夫だったんじゃない」と言う。どうやら結婚7、8年~12年あたりまでかなり深刻な夫婦の危機があるにもかかわらず、結局この二人は「ま、いいか、そんなもんか」と離婚しない…という話だったみたいで。そうかそうか。

結局その結末の簡単さが1967年制作の映画…ということかもしれないネ。


1967年製作…かなり古い時代の映画なのですよこれ。こんな古い時代に、英国人夫婦がフランスでヒッチハイクをして出会い(冒険的)、時代を超えてフランスを車で旅して回り(自由)、アメリカ人やイタリア人の友人を持ち(国際的で小金持ち)、お互いに冷めてきたら浮気もして(スキャンダラス)…。

などなど、この夫婦は1967年のスタンダードから言えば、とんでもない翔んだ夫婦だったわけで。特にお互いに浮気するなんて、当時ならあまりにもスキャンダラス。一般の人々が共感できる話ではないだろう。この映画は60年代半ばの仕事で成功したセレブで進歩的モダンな夫婦の話…だったのだろうと思った。

それでも彼らは離婚しないのね。結局「まあいいか」と丸く収まるわけだ。そこのところがやはり1967年なのだろう。

だってこの夫婦、この映画の10年後ぐらい(1977年頃)…西洋で「ウーマンリブ/Women's liberation movement」が盛んだったころの話だったら、間違いなく離婚している。

(こんなに仲が悪いのに)この二人が離婚しないのは、やっぱり1967年の映画だからでしょう。それはそれで面白い。まぁ昔の夫婦は日本もこのようなものだった。


それから(アルバート・フィニー演じる)夫の性格の酷さも古い時代だからかとも思った。今なら私も英国英語のニュアンスがわかるのだけれど、とにかくこの夫・マークの性格が酷い酷い。彼も昔の男なのですよね。古い時代の強がりで荒々しい自分勝手な男のキャラそのまんま。そのあたりは当時の男あるあるリアルなのだろう。

私の知るいまどきの英国の男性は皆優しい人が多かったと思う。しかし昔の時代は英国の男もずいぶん自分勝手だったのかなと思う。ぶっちゃけこの夫・マークのどこがいいのかさっぱりわからないですもん。もうジョアナさん、そんな男、別れちゃえと思うほど酷い笑。威勢がいいばっかりで自分勝手で見栄っ張りで強がりで乱暴で威張っていて本当に嫌な男だもの。ガミガミうるさいし。

そのようなニュアンスは日本で40年ぐらい前にテレビで最初に見た時は全くわからなかった。それも新しい発見。面白いなと思う。


旦那Aもこの夫・マークのことは酷いと言っている。「あの奥さんはなぜあの男と一緒にいるんだろうね…二人はケミストリーも全然ないよねぇ」などと言う。亀が「それが1967年の時代の夫婦の普通だったのかもよ。それに当時は簡単に離婚できなかっただろうし、奥さん泣き寝入りなのかもね」と言えば「へ~」…などなど平和的なアメリカンにはちょっと不思議な映画なのかも。最後の結末も「へ~」と言っていた。


映画としては実験的。頭のいい人が頭を使って凝って描いた映画…という感じ。車の中のシーンが多いので難しいだろうが、この脚本なら舞台劇でもいけると思う。

若い頃のジャクリーン・ビセットが出てくる。綺麗。

結婚2年目の旅で一緒のアメリカ人の夫婦がギャグのようでおかしい。脚本はフレデリック・ラファエル(米国生まれのユダヤ系アメリカ人で父親が英国人であったことから7歳で英国に移住。英国育ち)なのだが、あのアメリカの「正しい夫婦」を笑いものにして馬鹿にする目線はとてもおかしい。英国ならではか?監督のスタンリー・ドーネンは米国人なのに…。


2023年12月29日金曜日

映画『ゴジラ-1.0/Godzilla Minus One』(2023):最高の怪獣映画+人々の再生の物語







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『ゴジラ-1.0 (2023)/日/カラー
/2h 4m/監督:山崎貴』
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昨日見た。よかった。うん。これは文句なし。傑作。


…私にとってゴジラとは、とにかく破壊破壊破壊しつくしてくれればいい。恐ろしく荒ぶるゴジラがいい。徹底的に大暴れして欲しい。そしてまた人間が負けずにガンガン戦ってくれさえすればそれでいい。

キェォ~と叫び声をあげドドドドドドと大きな音を立て荒ぶるゴジラに人間がドヒューンドヒューンとミサイルを打ち込み、空からはババババッバババババッと弾を打ち込むとゴジラがキィガァーと叫べばまたドヒュンドヒュンドヒューンと人間が頑張る。最後はタメがあってボォオオオオオオオとゴジラが熱線砲を吐く…と派手にやってくれれば、ワタクシは顎がはずれたように口を開けたまま目を見開き鼻息も荒く茫然とスクリーンを見つめる。それこそがゴジラ映画。…それだけでよいと思っていた。


しかしこの映画が描いたのは人のストーリー。少し驚いた。戦争を経験した世代の方々への敬意も感じる。決して薄い話ではない。


時は戦後。登場人物達は皆何らかの傷を負っている。市民は家族を失い、軍人は「十分に役に立てなかった」「仲間と一緒に死ねなかった」と悔やむ。主人公の敷島もPTSDと後悔に日々苛まれている。

そこに襲ってきた巨大怪獣ゴジラ。米国は助けてくれない。政府も何もできない(ソ連を刺激する)。そこで元海軍の軍人達と兵器開発のエンジニア/科学者、(中小)企業の人々がゴジラ打倒のプランを実行する。残っていた戦闘機・震電に乗ってゴジラを誘い出すのは元特攻隊員の敷島。

傷を負った者達、「まだ戦争が終わっていなかった」者達が自らの再生のために戦う。全員が一丸となって巨大怪物に立ち向かう話。


感動しますよ。


私は普段からあまり泣かないのですけどね。いやぼろぼろ大泣きしたわけではないけれど。色んな場面でじわっときた。様々な思いが心をよぎった。いい話です。

ゴジラの映画なのにテーマは「戦争の傷からの人々の再生」。

人物達は、元特攻隊員、整備士、海軍の軍人達と技術班、兵器開発の科学者と中小企業の人々…彼らは全員それぞれがたった数年前まで国を信じ命がけで敵と戦っていた人々。「お国のため」の言葉になんの躊躇もなかった人々。そんな彼らの「生きる理由と目的」は「敗戦」により行き場を失った。

敗戦、失望、無念、後悔、そして彼らの「人の命を大切にしなかった」政府への複雑な気持ちなどなど…まだ「終わっていない」様々な思いを胸に…人々はまた立ち上がる。今度の敵は究極の怪物。


そして見どころはもちろん最高のアクション。ゴジラとの戦闘シーンに燃える。これがもうただただ嬉しい。興奮する。

私はどっぷりと昭和の平和教育の育ちだけれど…しかしなんだろうねこれは。燃えますね。私の中の「男の心」がアクション・シーンに震え立つ。昔からそう。子供の頃にも火を吐く怪獣や戦闘機や馬の絵ばかり描いていた。だから私は燃えるのだこういう映画に。心がメラメラと燃える。心が震える。だからこの映画はもうたまらん。膝の上に置いた手を握り締め興奮に震えながら目を見開き口も開けてスクリーンを見る。

特に怪獣/怪物相手の戦闘シーンに燃える。人間の戦争は全く見たくないのだけれど、架空のモンスター相手は異様に燃える。嬉しくてたまらん。この映画は戦闘の名場面が沢山。やり過ぎないCGが自然でまるでこういう生き物が存在するかのようなリアリティ。すごくいい。



★ネタバレ注意



このゴジラはいいぞ~。海から頭を出して泳ぐ。まるで怒り狂ったカバが水の中を泳いで船を追いかけるようだ。怖いね~。あんな小さいボートはひとたまりもないぜ。

そして機雷をゴジラに送る人間達。ぉおお頑張れ。よしっ口に入った。敷島はコントロールがいい。命中! おっと~ゴジラは平気だ

そして上陸するゴジラ。上陸したゴジラはちょっとゆっくりです。ドスン、ドスンと歩く。大きな足が一歩一歩踏み出す様子がリアルでいい。そして熱線砲はすごいぞ。ためにためて…なんだか興奮しすぎてそのシーンをあまり覚えていない。巨大な雲が出ていたな。そうそう。敷島が浴びた黒い雨は大丈夫なのか。

典子は握力が強い。大人はあれほど長く鉄棒にぶら下がれないものなのですよ。典子はずいぶん長くぶら下がっていましたね。そして海に落下。しかしその後普通に街を歩いていて驚いた。典子は不死身。


今回は(どちらかと言えば)海の中を泳ぐゴジラのほうがいい。泳ぐゴジラが最高にいい。戦いの場が海の中だから戦艦が出てくるわけだな。いいですね~。

昔から「バトルシップ」とか「戦艦」という言葉に私は燃える。「艦隊」の言葉の響きもかっこいい。だからあのバトルシップが並ぶ場面にも超興奮。かっこいい。もうかっこよ過ぎて嬉しや嬉しや。いいですね~。船がゴジラに向かうシーンだったかな… ダダダッダダダッダダダダダダダ…とあのテーマソングが流れる。ぅおおおおお震えるほど興奮した。


作戦名は「海神作戦(わだつみさくせん)」。

作戦は途中まで成功かと思った。深海でゴジラが止まる。おっと息がとまったか。よし、次は東洋バルーンの浮上作戦開始。ものづくり日本の企業の力を見せてやれ。ところがまたゴジラが止まる。どうした。浮き上がる噛み切られた風船の端切れ。ぉおおおおおおお~敵もやりやがる。く~。

というわけでじゃあゴジラを引っ張り上げようぜ。戦艦が両側から引っ張る。うーんパワー不足か。そこでやってくる小型船隊~きたーっ!水島(山田裕貴)がやってきた。またまた興奮興奮大興奮。涙が出そうになる。

そして上がったゴジラ。水圧の変化…全然平気だったっぽい。


そして敷島/神木隆之介くんの大活躍。もう~これが無茶苦茶かっこいいのだ。震電に一人乗り巧みに機体を操ってゴジラを惑わせる。この飛行機の後ろから撮るカメラワークがも~~~燃える。かっこいいぞ。機体は下のゴジラを見下ろしながら降下。ガラスのドームの中の神木さんの頭。その向こうに海の中のゴジラが下で口を開けているひ~。この時の神木さんの戦闘モードの表情がもう素晴らしい素晴らしい素晴らしい。かっこいいぞかっこいいかっこいいかっこいい。

あ~しかし、この後彼が何をするつもりか観客はわかっているのだね涙。しかし敷島の心は変わらない。決死の覚悟でスピードを増す敷島。…もうこの辺りで涙じわじわうるうるが止められない… ヤメテ 涙じわじわ


そしてその衝撃の後…………


あっ ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ…やった~~~~。ぉおおおおおおお満面の笑顔。そうかそうかそうか、よくやった、よくやったよくやった。ありがとうありがとうありがとう。

感動するわ。整備士の橘(青木崇高)のメッセージがいい。ありがとうありがとう。

そう。これはとても大切なメッセージですよ。整備士・橘も彼の後悔「終わらなかった戦争」に決着をつける。



思いつく限りのありとあらゆる様々なOKボタンをことごとく押して押して押しまくった見事なストーリー。

戦争/過去の間違いを否定しながらも過去を侮辱することなく、戦後の時代になお漂う人々の複雑な心を無視することなく取り上げた上で、フィクションの敵「ゴジラ」を登場させることにより、戦後を生きる者達のロストソウルを救い、(彼らの)過去に囚われていたそれぞれの思いに決着をつけさせ、人々が次の時代へ繋がる自信を勝ち取る…人々の再生の物語。

「終われなかった者達」は思いを遂げ過去に決着をつける。彼らは国や誰かに強制されることなく自らの強い意志で立ち上がった(←これ大切)。そして脚本はまた、戦争に行かなかった若者・水島(山田裕貴)の軽口を敷島が諫めるシーンで、無知のために「戦闘に憧れること」への警告も忘れない。…これは世界に胸を張って売れるストーリー。なにもおかしくない。隙がない。本当によく練られた話だと思います。


どの角度から見ても(アクション、戦闘、役者の演技、コンセプト…)この映画は素晴らしい。私はまず怪獣映画としてゴジラの戦闘シーンに無茶苦茶興奮した。倒れ行く高雄の最後の頑張り…壮絶なシーンに泣く。そして戦う男・敷島の決死のシーンに泣いた。そして人々の再生の物語にも、様々なお題のOKボタンの正しさと細やかさに唸りつくす。

役者さんが皆素晴らしい。みんな上手い方々。勇ましい顔が本気の神木隆之介さん、昭和の美人女優風浜辺美波さん、艦長・堀田の田中美央さんの威厳と低音、兵器開発・野田の吉岡秀隆さんの頭脳の科学者ぶり、整備士・橘の青木崇高さんの漢、隣人・澄子の安藤サクラさんのリアリズム、軍人・秋津の佐々木蔵之介さんの動じない笑顔、元気印水島の山田裕貴さん…皆それぞれ心に残るシーンがある。いい役者さん達に拍手。屋上でリポートする記者の様子は1954年オリジナルゴジラへのオマージュですね。沢山の役者さん達皆様に拍手。


ちなみに米国人の旦那Aも最高にいい映画だったと言っている。劇場を出て最初に出た言葉は「これほどいい映画は久しぶりに見た」。ゴジラが最高にかっこよくて最高にクール。大変興奮したそうだ。
今どきのハリウッド映画(ヒーローもの等)は映画全部がノンストップの全力疾走で休む暇もないが、この映画は緩急のバランスがよく(敷島の家の静かなシーンとゴジラのバトルシーンの違い)映画として見やすい。
そして登場人物達が昭和の映画の人物達のようにリアルだと感じたそう。普段は普通のおじさんたちが、戦うシーンになると強い男達に変わって真剣に戦う。彼らの世代こそが戦後の日本を立て直した人達だと納得する。素晴らしい映画。大変満足したそうだ。


この映画は、コロナが終わって初めて劇場で見た映画。やっと映画館に帰ってこれた。いい記念の映画になりました。最高にいい映画を見れてよかったです。


記念にうちのゴジラ猫
  


2023年12月19日火曜日

映画『アダムス・ファミリー2/Addams family Values』(1993):はみ出し者の幸せ そしてはみ出し者の逆襲!いいぞもっとやれ






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『 Addams family Values (1993)/米/カラー
/1h 34m/監督:Barry Sonnenfeld』
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この映画はたぶんもう5、6回は見ている。最初に見たのは90年代にビデオ屋でレンタルした時。私は20代で独身の東京住まい。笑った笑った。なんだろうこの面白さ。何度も大声で笑った。

それから後はテレビで放送になったものを何度か見た。そして数日前、またテレビをつけたらやっていたので録画。途中からだけれど旦那Aと再度鑑賞。また笑う。わかっているのにゲラゲラ笑う笑う。

やっぱりこの映画が好きだ。なんだこの愛着は。なぜこんなにおかしいのだろうこの映画。何度見ても笑う。(今まで考えたこともなかったけれど)この映画、間違いなく私のフェイバリット映画リストに入る…とあらためて思った。


キャラクター達が愛しくて愛しくてたまらん。アダムスさんちの家族がみんな好きだ。

ウェンズデーちゃん。クリスティーナ・リッチさんの女優魂。撮影時には12歳ぐらいだったのだろうか。それほど若い年齢であのブラックユーモアの中身を完璧に理解して演じていることに舌を巻く。いや…もう本当にすごいと思うぞ。あのウェンズデーちゃんは見事。本当にお見事。

ダンディーなゴメスさんは色男。モーティシアさんはエレガント。フェスタ叔父さんはかわいい。地味なウェンズデーちゃんの弟パグズリー君。髭の映えた赤ちゃん。みんなみんないい。そして彼らは幸せなんだよな。みんな変だけど幸せな家族なのね。

そしてファミリーへの侵入者・悪女のデビーが最高。おもしろいわ~ジョーン・キューザック。全力投球の力技。デビーを見て笑えない人はいないと思う。彼女はこのデビー役でアカデミー賞を取るべきだった!最高、最高やで!綺麗でかっこいいしセクシー…なのに毎回彼女が出てくるたびに爆笑。なんだなんだなんだ…これは。デビーのキャラは脳の知覚リミットを超える面白さだと思います。



これ「はみ出し者」の映画なのですよね。全員がはみ出し者。変な人々。だからなのだろうな、私がこの映画が好きなのは。きっとそうだ。

人間の生きづらさは、環境の中での自分の位置が定まらないこと、または自分で自分のアイデンティティの把握が難しいと感じる時だろう。私は誰?どうすれば居心地よくこの場に属することができるのか?…それに悩む時、人は生きづらさを感じる。


はみ出し者とはなんらかの理由で世の中の「まっとう」からはずれた人

そしてまたはみ出し者とは、他人の自分に対する妙な反応を見て「自分ははみ出し者に違いない」と自意識を持った人

なんらかの理由で、本人が自分をまっとうだと思えない、まっとうになりたいけれどなれない、それとも本来まっとうなはずの自分の中に「異なるもの」を見つけてそれを否定できない者。

…そんな風に考えれば「世の中の多くの人々はなんらかの理由で皆はみ出し者だと考えることもできる」


重要なのは当事者がそのような自意識のために苦しんでいるのかどうか。もし本人が「人と違うこと」に苦しまないのであれば、はみ出し者にはなんの問題もなし。「変わり者」や「はみ出し者」が周りにあたたかく受け入れられ、その場に居心地よくいられるのなら、はみ出し者であっても幸せになれる。

アダムス・ファミリーとは、そのような少し「普通じゃない人々」が幸せに暮らしている話なのだろう。だから彼らを見ていると私もなんだか嬉しくなる。


世の中の多くの人々は皆なんらかの理由ではみ出し者だと考えることもできる」

しかし人の歴史は、常に「正しい者」「正統な者」「まっとうな者」を世の中の「正義」だとしてきた。個人が、人生のある時期に「もしかしたら自分はまっとうではないのかもしれない」と思う時、それが苦しみを生み出すこともある。


この映画が面白いのはこの映画の真ん中あたり…子供たちのサマーキャンプのシーンで、この映画がいかにも「アメリカのスタンダードで保守的なまっとうな正義の人々」を、もう身も蓋もないほどとことんバカにしつくして悪者に仕立て上げ笑いものにしていること。驚くほどに辛辣に 笑。

ルーザー達の大逆襲!…それがあのウェンズデーとパグズリーの送られたサマーキャンプでの出来事。


私がアメリカの「まっとうな人」と結婚してもう25年以上が過ぎた。まっとうな男・旦那Aを通してアメリカの「スタンダードで保守的な正義の人々」にも触れた。今の私は「まっとうなアメリカの人々」を十分知っているので、この映画の捻くれ具合に…もうこらえ切れず大爆笑。笑いがとまらん。だって私は間違いなくルーザーの側だものへっへへへへ。

いいと思いますよ。まっとうな人々。彼らは常に正しいし実際彼らからは学ぶことも多い。だけどま~なんというか…彼らはつまんない人々なのよ。常に「正しく」あろうとして型にはまっているから、彼らに関することは全てが凡庸。あまりそこは非難しちゃいけないんだろうな。それはいいんだけれど…。 

しかし………人によるけれど………アメリカの正義な人の中には超排他的な人々がいる。正義を振りかざす人々。自分たちが世界で一番優れていて、何も間違っていないと自信満々、胸を張って正義を振りかざす高身長にブロンドで青い目の人々。そのようなアメリカの正義の人々は、きっとアジア人で外国人で見るからにはみ出し者の私の存在が気に入らないのだろうと思う。…上等じゃねえか ですね。そのような方々はいつまでも一生トウモロコシ畑で芋を焼いていればよろしい。

そのような人々と不幸にも交流があったものだから、私は己のはみ出し具合をますます意識せざるをえなかった…本当にアンラッキーなめぐりあわせ。だからこの『アダムス・ファミリー2』をもう一度見て、その内容の「アメリカの正義」への辛辣な非難にあらためて驚き、そして嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらんたまらんたまらんうひゃひゃひゃひゃ…。いいぞ!もっとやれ!もう楽しくてしょうがない。溜飲を下げるとはこういうことだろうね。 旦那Aも笑っているのですけど。あなた元々あちら側の人じゃん 笑。 ちなみに旦那Aは私が「正義の人々」に文句ブーブーなことをよく理解している。

サマーキャンプでのウェンズデー姉弟の矯正洗脳の場面で『サウンド・オブ・ミュージック』の曲が流れて私は膝を叩いて大喜び。ワタクシあの映画があまり好きではない。一方的な正義礼賛の映画。旦那Aに出会った頃「私あの映画見たことないよ」と言ったらものすごく驚かれた。そんなあなたたちのスタンダード、しらんがな。…そんなことも思い出して今回二人で大笑い。


少し個人的な思いで、サマーキャンプの事ばかり書いたけれど、映画全体もとても面白いです。ジョーン・キューザックには毎回爆笑する。いい映画です。

実はこの映画の後で1991年リリースの『アダムス・ファミリー』も見たけれどほとんど記憶がない。『2』の方が面白いです。


はみ出し者の映画には心惹かれる。『アダムス・ファミリー』シリーズも、『ロッキー・ホラー・ショー』も『シザーハンズ』も『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』その他ティム・バートンの映画もみんな好きだわ。『グレーテスト・ショーマン』にも泣いたな。


それにしてもこれだけ「正義のアメリカ」を嘲笑している映画なのに、アメリカでそのことに文句を言っている感想をあまり見かけないのは不思議。もっと文句が出そうなのにね。昔の映画だから知らないのかな。


2023年12月18日月曜日

映画『DC がんばれ!スーパーペット/DC League of Super-Pets』(2022):実験用モルモットの怒りの炎






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『DC League of Super-Pets (2022)/米・豪/カラー
/1h 45m/監督:Jared Stern, Sam J. Levine』
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週末にテレビでやっていたのをたまたま見つけてそのまま見始めた。最初の5分くらいは見逃したのだろうと思うがそのまま見た。

可もなく不可もなく。特に傑作でもないが悪くもない。深く考えさせられるわけでもないが十分かわいいし楽しめる。何よりも尺が長くないので気負わずに見れる。それがいい。

中だるみする場面はあったと思う。ペット達が集まってネタをわちゃわちゃしているところは少しスローに感じた。他愛ないジョークに浅く笑う。全体に悪くはないのだが、心がドキドキして驚いてときめくほどではなかった。十分面白いけど。


一番驚いたのは、悪役・裸のモルモットが最後にオレンジのクリプトナイトを血管だか神経系だかに取り入れて巨大化、狂暴化する様子。その狂暴化、巨大化のエネルギーがすごい。本当に大変な破壊力だ笑。オレンジに燃え上ってどんどん大きくなり、周り中のものを燃えつくす。その様子がものすごかった。私は近年のヒーローものの映画をほとんど見ていないので、こういう映像の魔法には驚く。


様々なDC系のヒーロー達が一応出ているのだけれど、私にわかるのは大昔のクリストファー・リーブのスーパーマンと初期マイケル・キートンのバットマン。両方とも1980年代の映画。ずいぶん昔だ。バットマン・シリーズは後からも沢山出たけれどあまりピンとこなかった。ゴメンネ。

そもそもこの映画はあくまでもペット達が主人公。スーパーヒーロー達はペット達に救われるのみでほとんど出てこない。

というわけでDCコミックにあまり思い入れも無くさらっと見たけれど、お気楽におうちで見るには楽しかったです。最後はヒーロー達にそれぞれペットが出来てよかったネ。

そうだ…そういえば、劇中の音楽が昔の洋楽ヒット曲なのがおかしい。もしかして年寄りの音楽趣味?上のトレイラーにもサバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」とハウスオブペインの「ジャンプアラウンド」が流れているし、ヨーロッパの「ファイナルカウントダウン」とプロディジーの「ファイアー・スターター」も劇中に流れたと思う。なんで?笑

声優に大物の俳優さん達を使っているのに驚いた。バットマンがキアヌ・リーブスとは全然わからなかったぜ。



2023年11月21日火曜日

映画『老後の資金がありません/What Happened to Our Nest Egg!?』(2020):人生に笑いは大切






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『 老後の資金がありません(2020)/日/カラー
/115 m/監督:前田哲』
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TVJapanで放送されたものを録画していた。全く前情報なしで鑑賞。

面白かったです。老後問題に対して真面目に考えさせられる映画ではないが、そのお題の上でお気楽に笑いましょうという映画。



★ネタバレ注意


最初は後藤家の嫁・篤子さん(天海祐希)の義父が亡くなるシーンから始まったので、コミカルな雰囲気でありながらも真面目なテーマで話が進むのかと思ったのだけれど、篤子さんと葬儀会社のスタッフ(友近)とのお葬式の打ち合わせあたりから、(想像上の)香典袋が天高く積みあがる様子や、その他細々と必要経費が絵になって宙に浮かび天海祐希さんのお顔を殴るシーンで「あ、これはコメディだ」と認識。

その後も後藤家の娘まゆみの恋人・松平くん(加藤諒)のメタル野郎の「餃子歌」や、旦那さん(松重豊)の風呂場で「さむさむさむさむっ」の一瞬のシーン、ヨガの先生(クリス松村)と友人(柴田理恵)…と次々に出てくる人物達が楽しくてどんどん引き込まれた。

この映画はず~っと積極的に笑わかせにきてくれる。それを喜んで見た。最初に大爆笑したのは 天海祐希さんがボーリングで娘の顔のピンを蹴散らして怒った時場面笑笑。その頃にはすっかりこの映画のノリに馴染んで「次は何が出てくるか、次は何か」と楽しんだ。小ネタが沢山出てくるのでず~っと飽きずに見れる。そうだ…他にも爆笑したのは、天海祐希さんが通勤のバスの中から…旦那・松重豊さんが若い女性と子供の手を引いているのを目撃する場面。笑った笑った。

テーマは一見重いのに中身は軽いコメディなのでちょっとびっくりしたが楽しかった。


「次に誰が出てくるか」そのものがネタなので、やっぱり1回目は驚きもあって一番笑う。竜雷太さんと藤田弓子さんのいでたち笑。佐々木健介さんと北斗晶さんが出てくればニコニコ。そういえば後藤家の娘・まゆみちゃんの新川優愛さんは『大富豪同心』のみすずさんではないか。柴田理恵さんの父親が毒蝮三太夫さん。そして三谷幸喜さんはなにをやっているのだ~~~笑。思わず「え?この映画って三谷さん監督なの」とすぐにネットで調べましたよ。いや監督さんは前田哲さんでした。

天海祐希さんが面白いしかっこいいし、松重豊さんがおとぼけでユーモラスで、何よりも草笛光子さん最高。すご~い。ノリノリやん。すごいわ…元祖SKDの逆襲「あら篤子さん宝塚は無理よ」笑笑笑笑。柴田理恵さんの家を草笛さんと天海さんと二人で訪ねた後…毒蝮三太夫父から逃げ出した場面で、お二人が自転車で大きな坂をぴゅ~っと全速力で走り下りる場面にも笑った。すごーい

今2回目を見終わったので記憶に残った場面を書きぬいてますけど、2回目の鑑賞は1回目の驚きを確認しながらにやにやする感じでございました。


タイトルが『老後の資金がありません』なので真面目な話かと思ったけれど、実用的アイデアが参考にできるような話ではない笑。最後に家を売ってシェアハウスなんて…え~~~~っと思うけれど、でもこの映画的にはあり。ほのぼのとしていい。

このシェアハウスのシーンというのは、私にとっては…昭和の家族の風景にも思える。シェアハウスなら他人同士だけれど、昭和の時代だったら…お盆やお正月に家族や親戚みんなで集まって、(私を含む)子供達がそこいらじゅうを駆け回り、女性たちが台所で雑談をしながらご飯を作って…そしてみんなで老若男女皆でテーブルを囲んでご飯を食べる…そんな風景。ちょっと懐かしい。それが…もしかしたら今の時代には難しくなったのかもなぁ…などと思ったりもした。


外国に出た人の間であまりこういうことを言う人はいないと思うけれど…。外国の人と結婚するとさ…ぶっちゃけやっぱ日常に笑いが足りないよね。ほんと。(旦那A本人は面白がり屋でよく笑う人なので彼にはまったく何の問題も無いけれど)なんだろう…大昔私が日本にいた頃…子供時代の家族との時間、小中高大の学生時代や会社勤めの頃の同僚との時間、友人たちとの時間を思い起こすと、若い頃の私の日常にはもっともっと「おかしみ」とか「滑稽」だとか「ユーモア」が沢山あった気がする。なんだか今のうちの夫婦、人生を小ぎれいに便利に効率的にと、日常のいろんな面倒な事を削除したり捨てたり省略した結果、なんだかものすご~くつまんない人生になっちゃったね…という感じ。覆水盆に返らず。

生きていく上で「正しい人間であること」は決して私の優先事項ではない…と今になってやっとわかった。私の人生に大切なのは「おもしろいこと」「楽しいこと」。それは間違いない。


そのせいだろうか…私は日本の「おかしみ」とか「慣れ合い」「滑稽」「アホであること」「くだらないこと」「自分がバカになること」「笑われること」「間違ってへへと笑うこと」「誰かのおやじぎゃく」「ユーモア」「ぼけ」「箸が転んでもおかしい」「笑ってはいけない場面で何かがツボにはまって笑いを嚙み殺せばますます笑いが止まらなくなる状況」などなどそういうものが好き。懐かしい。

そこなのよ。この映画のごたごたも大笑いして楽しかったし、今テレビでやっている『コタツがない家』のドタバタにも笑い、英国のドラマ『ブリーダーズ/Breeders』にも笑いながらほっこりしたり考えさせられたりするのも、私がそういうものを懐かしんでいるからだろうなと思った。

この映画はとても楽しかったです。
日本の家族いいやん。いいよね。懐かしいわ。


2023年8月9日水曜日

映画『幼な子われらに生まれ/Dear Etranger』(2017):繊細な心の動き、家族を考える





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『 幼な子われらに生まれ(2017)/日/カラー
/2h 7m/監督:三島有紀子』
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TV Japanでしばらく前に放送されたものを録画していた。やっと鑑賞。
原作は重松清「幼な子われらに生まれ」。脚本は荒井晴彦。監督は三島有紀子。


家族がテーマの映画。ここのところ家族をテーマにしたドラマをいくつか見て感想を書いたのだけれど、また家族がテーマのいい映画に出会った。

脚本が素晴らしい。…冒頭の遊園地で待ち合わせをする父と娘のさりげない会話から状況が明かされる。父と娘…なのに「元気だった?」の言葉。ということはこの二人は一緒に暮らしていない。

そんな風に、主人公の男と彼の家族の状況が少しずつ玉ねぎの皮を剥くように明らかになっていく。「この映画の家族は一般的なパパ、ママ、子供達の構成の家族ではないらしい」…その種明かしが自然で巧み。状況説明の為の不自然な台詞もない。全てが自然。そしてリアル。

構成がうまいのだろう。内容も非常にわかりやすく1度見るだけでほぼ理解できた。家族のメンバー。家族に関わってくる外の人々との関わり。家族の過去と現在…。ストーリーの巧みな構成。印象的な映像の使い方。驚くほどリアルな台詞。そしてあまりにも自然過ぎて、この人物達は現実にいると思わされるような役者さん達の演技とその撮り方。全てが自然だからストーリーに集中し、登場人物それぞれの「心」を考えさせられる。自分だったらどう感じるだろう?自分だったらなんて言うだろう?この人は悪い人じゃない。この人は寂しいんだろう…様々な思いが心に湧き上がる。

多分この家族のストーリーもまた「いろいろあるけれど、それでも家族は進んでいく。彼らはきっと大丈夫」…そのような話だろうと思った。私は家族に希望を見ようとする。色々とあっても家族はきっと「大丈夫」だと信じたい。



★ネタバレ注意


感想を書くよりも、ここにはメインのキャラクター達について思ったことを書こうと思う。この映画のすごいところは、人物の描写が様々な角度からなされていること。 …夫・信のプライドと気落ち、家族のためによかれと努力しながらも家族に怒りを爆発させる様子。妻・奈苗の明るさと子供っぽさが夫をイライラさせる。娘・薫はなぜ父を嫌うのか?信の元妻・友佳の心。奈苗の元夫・沢田の寂しさ…。 人間とは複雑で、人の心の複雑さのすれ違いが人と人の軋轢を生む。また人と人の関係は継続して同じではなく時間と共に変わっていく。その様子がたった2時間の間にリアルに表現されていてすごいと思った。


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あらすじ
バツイチで再婚した家族と幸せに暮らす男。
妻が妊娠したことで家族がギクシャクし始める。
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 田中信(浅野忠信)

主人公。40歳ぐらいか。研究者の前妻と別れ年下の女性と再婚した。彼は元々エリート・サラリーマンだったのだろう。大手企業の本社に勤めていたが左遷され郊外の倉庫に送られた。プライドが傷つけられた。仕事にやる気が出ない。妻が妊娠したがまだ受け入れられずにいる。妻には二人の連れ子。長女は12歳ぐらいか。思春期に入った娘は、妻の妊娠を知ってから反抗し始めた。全力で自分を嫌ってくる。どうすればいいのかわからない。

…まさに彼は Midlife crisis 。仕事は上手くいかない。これから自分の子供が生まれることにも戸惑っている。何よりも妻の連れ子が酷く反抗する。正直なところ(前妻が連れて行った)実の娘の方がかわいいが、しかしそれでも彼はなんとか新しい家族を幸せにしようと頑張ってきた。いい夫、いいパパをやって家族の幸せを願っている。しかしなぜうまくいかない?妻の妊娠が家族に起こした起こしたさざ波。彼はほころび始めた家族をなんとか繋ぎとめようとする。

この人物がリアル。会社で左遷されてプライドが傷つく様子も、40歳を過ぎての妻の妊娠と思春期の娘の反抗に戸惑い思わず声を荒げる様子も。妻の甘える様子に思わずイライラし暴言を吐く様子もあまりにもリアル。主人公・田中信は追い詰められている。彼は真面目な男で、日々必死に頑張っているのに。


 田中奈苗(田中麗奈)
彼女は決して悪くない。かわいい女性。子供がそのまま大人になったような人。多少軽率ではあるけれど素直で明るく無邪気な子供のよう。ところで夫・信の前妻はキャリアを優先した聡明な女性だった。信はなぜ前妻とは正反対の奈苗に惹かれたのか?おそらく信は頭のいい前妻との離婚で疲れていた。信にとって奈苗の笑顔は癒しだったのだろう。奈苗はデートに幼い娘2人を連れてきた。シングルマザーの彼女は苦労している。「結婚しよう」と信が言えば、泣きそうな顔で「ありがとうございます」と言う奈苗はかわいい。信も彼女と幸せになろうと思ったのだろう。 

…それなのに信はそんな奈苗に次第にイライラを募らせる。そして信が奈苗の元夫に会えば、彼も過去に奈苗にイライラさせられたと言う「アパートの窓の灯りを見て帰りたくなくなる。彼女はいつも俺を待っている」…それが嫌になると言う。奈苗はなぜ男達をイライラさせるのか。なぜかわいいだけの女ではいけないのか?彼女にイライラしない男性はきっといるはずなのに。

自分が心を決めて結婚したのに後から妻の人柄に文句を言う信は勝手だと思う。しかしそのあたりもすごくリアル。夫婦あるある。よくある話だと思う。


 田中薫/奈苗の連れ子(南沙良)
長女の薫。小学6年生。彼女は母親の妊娠を知って突然信に反抗しはじめる。母の奈苗が「寂しかったのね」などと言っていたがそうではないと私は思った。

薫は思春期に入ったばかり。ホルモンが急に増えて心も不安定。初めて性を意識し戸惑っている時期。思春期の女の子は(この時期に)父親を嫌うことがある。おそらく一番身近にいる父親の「男性性・男らしさ」に初めて気付いて嫌悪感を感じるからだろう。「パパも男である…汚い、ああ嫌だ」みたいな感覚。それが薫の信に対する反抗の一番の理由だと思った。 

この時期の娘は実の父親にさえ嫌悪感を感じるぐらいなのに、薫の場合はもっと複雑だ。薫にとって家庭にいる父親・信は、①血が繋がっていない他人の男。②その他人の男が母親を妊娠させた…もうそれだけで最悪レベルで耐え難いのだろう。薫は信に説明できないほど猛烈な嫌悪感を感じているのだと思う。そしてその他人の男が家庭で同居しているのは「危険」だから部屋のドアに鍵をかけたいとさえ言う。なるほど。かなりリアルな話ではないかと思った。

薫が実の父・沢田に会いたいと言うのは単なる言い訳。特に実の父に会いたいわけではないのかもしれぬ。本音は他人の男・信が同居しているのが嫌なだけ。気持ちをうまく説明できないから実の父親を持ち出してきたようにも見える。


 友佳・信の元妻・沙織の実母(寺島しのぶ)
彼女は自分勝手に見えた。そして一番興味深い人物。短い時間だが、寺島しのぶさんのすごい芝居。

車の中の二人のこの場面のすごさは、彼女と信のいかにも慣れ合った元夫婦の様子、二人の会話の自然さ。そしてその心地よい雰囲気が、車を止めた後で深刻なものに変わっていく流れ。

(もう女として惹かれるわけではないだろうが)信は友佳とは今でも気さくにいい友人として打ち解けて会話をしている。彼は現妻の奈苗といるよりもリラックスして居心地が良さそうだ。信にとって友佳は年齢も同じ、同レベルの知性、そして二人は若い頃の楽しかった思い出も共有している。離婚はしたけれど顔を見ればすぐに打ち解ける昔の戦友のような前妻。前妻といる時の信のリラックスした様子は見逃せない。

友佳が信に打ち明ける。現在の彼女の夫が癌を患い余命いくばくもないと。信と結婚していた頃、キャリアを優先し家族を持ちたがらなかった友佳。それでも妊娠して娘を生んだが信との夫婦の仲が元に戻ることはなかった。信とは2年間の結婚生活ののち離婚。娘・沙織は友佳が引き取った。その後彼女は同僚と結婚して6年。その夫が病に倒れた。

車を止めて、友佳は信に言う「理由は聞くけど、気持ちを聞かないのね」…この言葉が刺さった。正直私はすぐにその意味が理解できなかった。過去にも「あなたは私の気持ちを聞かなかった」と信を非難するということは、つまり彼女が信に自分の気持ちを伝えてこなかったということだ。

なぜ彼女は自分の気持ちを言わなかったのだろう?過去を振り返り「~をしたときの私の気持ちを考えたことある?」と友佳は言うが、自分の気持ちを言わなかったのは友佳個人の選択だ。信を逆恨みしても信は困る。それとも「私の気持ちを察して欲しい」とは「私のことをもっと構って欲しい」ということか?

なぜ私にこの言葉が刺さったのか?なぜなら私は外国人と結婚しているからだ。私は旦那Aに「気持ちを察してよ」などとは思わない。違う文化圏の外国人で生まれも育ちも違う男の人にわかるわけがないからだ。旦那Aには全部言葉で伝える。文句があったら言う。そしてその理由も必ず言う。議論をする。即物的で色気も素っ気もあったものではない笑。

…長い間そんな風にやってきたから私には友佳の信への「私の気持ちを聞かないのね」は意味がわからなかった。自分の気持ちは自分から正直に言えばいいのに。しかし日本の夫婦は「相手の気持ちを推し量る」ことが「思いやり」でそれが普通なのだ…とあらためて夫婦の関係性の違いを考えさせられた。

そして友佳は信に彼女の人生の「後悔」を語り始める。しかしそれを言われても信は困る。「後悔」を自己の中で大きく認識するかどうかはその人の「ものの考え方」による。自分の選択を肯定して「後悔」をしない人もいる。

友佳は弱っている。信にすがりたい気持ちもわかる。もしこれから信の現妻の妊娠を知ったら彼女はかなり辛いだろうと思う。


 沢田/奈苗の元夫/薫・恵理子の実父(宮藤官九郎)
酷い男。女性や子供に暴力を振るう男はまず論外。しかし彼は自分のことはわかっているらしい。人は一つ崩れてそれをよしとすると、二つ、三つと崩れていく。崩れることに甘んじてどんどん崩れ続ける。この人も奈苗と結婚して子供が出来た頃は幸せで、前向きに生きようとしていたのだろうと思う。しかし彼はあまりにも感情的で衝動的で自分勝手だった。その結果が今の状況。もう生き方を変えようとも思っていないのだろう。しかし彼に関して一場面だけほろりとさせられた。沢田が娘・薫にプレゼントした白いゴリラのぬいぐるみ。その白いゴリラの表情を見てなぜか泣けた。あの少し悲しそうな表情に沢田の寂しさが見えたようで少しだけ悲しくなった。


最後のシーンは幸せなシーン。どうやら薫は千葉の祖母の家に住むことを考えているらしいが、これからそれも変わるかもしれないと思う。薫は家に帰ってくるかもしれない。赤ちゃんが生まれて家庭に幸せな空気が広がる。薫も赤ちゃんがかわいくて抱っこしたりするうちに、今までの不満や怒りも消えるのではないか。この赤ちゃんが家族に幸せを運んでくるのだろう。そして家族はこれからも皆一緒に歩いていくのだと思う。

人の心の表現のリアルな描写に画面にくぎ付けになった。そして色々と考えさせられた。素晴らしい映画でした。



2023年8月2日水曜日

映画『フィールド・オブ・ドリームス/Field of Dreams』(1989):3回見て調べてやっとわかった






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『 Field of Dreams (1989)/米/カラー
/1h 47m/監督:Phil Alden Robinson』
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ここのところ旦那Aが勝手に野球映画を録画して「見ようぜ」と言うことがあってうざかった笑ので、それなら自分から積極的に「野球の映画」を見てみようと考えた。ネット上で「野球名作映画」を検索し、テレビの録画機で作品名を検索をするといくつか出てきたので録画。今いくつかの作品がHDに溜まっている。

というわけで『フィールド・オブ・ドリームス』。有名な映画。私は今回が初めて。前知識はゼロで見た。


1回目:大変混乱した。戸惑った。荒唐無稽? ファンタジーなのはわかった。しかしどうも腑に落ちない。なぜ1919年のホワイトソックス?なぜ作家のテレンス・マン?なぜ無名のアーチー・ムーンライト・グラハム?

2回目:ところどころ飛ばしながら全体を見直した。史実も調べた。そしてやっとわかった。そうか『フィールド・オブ・ドリームス』とは「夢のフィールド、夢実現の野球場」か。(過去に)野球に関わって夢が実現することのなかった人々の「夢」が実現できる球場をケビン・コスナーが作ったという話ですね。2回目で理解した。感動的な話なのもわかったわ。そうかそうか。そうなのか~。

3回目:話の意図を理解したうえで台詞を注意しながらざっと見た。かなり考えて練られている話でした。最後のシーンは内容(以下CONで解説)を理解したうえで見るともっと感動する。いい映画。

主人公はケビン・コスナー演じるアイオワ州の農場経営者 レイ・キンセラ



PROS

Field of Dreams…皆が夢を実現する夢の球場。感動するお話…ということが2回目にやっとわかった。いい話。しかしそれにしても1回目は全然理解できなかった。難しい。突然ケビン・コスナーが聞く「お告げ」は何だろうと思ったし、ホワイトソックスの1919年のブラックソックス事件も全く知らなかった。作家のテレンス・マンの登場とか、アーチー・ムーンライト・グラハムの話も意図がわからず。パパの話も(冒頭に説明があったがすぐに忘れて)意味がわからなかった。だからずいぶん部品がバラバラ飛ぶ映画だと思った。2回目に見てやっと理解した。3回目に見たら巧みに伏線回収がなされていることもわかった。

ところでケビン・コスナーがいい役者さんだと初めて知った。1989年当時、彼は世間で大変な人気の映画スターだったにも関わらず私は彼の作品をあまり見ていなかった。しかしこの映画と、少し前に見た『さよならゲーム』での彼の演技を見て思った…

彼はいい俳優さん。演技が自然。演技に妙な力が入っていなくて自然でいい。オールアメリカンな人好きのする好青年。演技に妙な主張がなく自然で、「普通の人」に見えるのは彼の演技の技だと思う。コスナーさんは映画のストーリーにうまい具合に紛れていて、彼自身よりもキャラクターが前に出る。すごくいい表情をなさいますね。アーチーが夢を叶えた後に見つめるレイの目が本当に優しい。なんと彼の全盛期からもう30年も過ぎてやっと彼がいい役者だと知りました。

映画の最後のシーンは色々と意味がわかったうえで見ると感動する。いい話。この時の二人の表情がまた何とも言えない。ケビン・コスナーはいい役者だ。


★以下超ネタバレ注意・
見ていない人は読むべからず。読むと楽しみと感動がなくなります。




CONSというより様々な考察

文句を言う前に、まずこの映画で知っておいた方がいい1919年の「事件」のことをまとめておこう。

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1919年ブラックソックス事件
当時のホワイトソックスは選手の給料が安く、選手たちの生活は困窮。それでも彼らは野球が強く、その年チームはワールドシリーズまで勝ち残った。相手はシンシナティ・レッズ。ホワイトソックスはそのワールドシリーズでわざと敗退。八百長で、チームの8人の選手は賄賂を受け取っていた。刑事裁判で8人は無罪になったものの、野球界からは追放された。彼らは優勝候補になるくらい強いチームだったので、その後彼らが野球をプレー出来なくなったことを「惜しい」と思うファンも多かった。
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私はこの「事件」が米国野球史上の大事件だったということを今回初めて知った。「事件」の前知識があるのとないのでは、この映画の印象は全く違ってくる。

…ブラックソックス事件で八百長にかかわったとして球界追放になった8名の選手たちは、1919年当時の大スターだった。今の時代ならジャッジに大谷にベッツ、トラウト、アクーニャ Jr. とかそういうクラスの人達だったのだろう。チームで言うならブレーブスやアストロズ辺りか。そのスターチームの8名が事件後に球界から追放になったことで、野球ファンは大変悲しんだ。その記憶は主人公レイ(ケビン・コスナー)の父親ジャックを含む当時の野球ファンの心に深く刻まれていた。

そんな背景があった上で…、
この映画は、レイの作った「フィールド・オブ・ドリームス/夢の球場」にその8名のスターたちがやってくるという感動話…なわけです。

話の背景を知らずに見たものだから最初の私の反応が「だからなに?彼らは誰よ?」だったのは致し方なし。史実を知ったうえで、それからそのチームが昔の野球ファンにとっていかに大きな存在だったのかを知れば感動の度合いも違ってくる。

ファンタジーだから悪いわけではない。ファンタジーの組み立てが粗いと思った。もう少し(件の8名のブラックソックス事件の説明も含めて)ファンタジーの見せ方を丁寧にやってくれればいいのにと思った。前知識なく見て理解しにくかったということは、なにか構成に足りないものがあるのではないかと思った。

全体の意図がわかった上で台詞をよく聞けば、よく練られた脚本だということもよくわかる。何度か見て背景を調べてやっとわかるような映画は悪いのか、それとも噛めば噛むほど感動も増すからいい映画なのか…どちらだろうかと判断に迷う。


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話の流れ
アイオワ州で農場を経営するレイ・キンセラが、
 空から聞こえてきた声(お告げ①)にしたがって農場に野球場を作る。
● レイの野球場に、1919年のブラックソックス事件のホワイトソックスのチームがやってくる。
● (お告げ②)作家テレンス・マンにボストンまで会いに行く。
● (お告げ③)スコアボードで見た名前アーチー・グラハムを探しにミネソタ州に行く。
● アイオワ州の自宅への帰宅途中で若者になったアーチーを拾う。
● レイの野球場での「1919年白靴下のメンバー」にアーチーが加わってプレイ。
● (お告げ④)フィールドにパパがいた。
● (お告げ⑤?)過去の選手達の試合を見に観客がやってくる。農場は救われる。
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叶った夢のまとめ
● シューレス・ジョージャクソンを含む1919年ホワイトソックスのメンバーが再度プレーが出来た。
 アーチー・ムーンライト・グラハムがメジャーでイメージ通りのプレーをする夢を叶える。
 レイの父ジョンはメジャーの選手とプレーする夢が叶った。
 レイは亡くなる前にわかり合えなかった父親と再会。
 世捨て人だったテレンス・マンはまた書くことに喜びを見出す。
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色んな人の夢が叶う話。巧みな伏線回収の脚本はよく練られている。野球をプレーする人にとってMLBでプレーすることがいかにすごいことなのか…野球に思い入れのある人が見ればもっと感動すると思う。


それからもうひとつ。
主人公レイと父親の年齢差にも最初は戸惑った。ベビー・ブーマーのレイの父親がなぜ1919年のチームに思い入れがあるのか不思議に思ったが、この二人の年齢差は映画の冒頭に説明されていた。
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1896年・レイの父親ジョンが生まれる。
1919年「ブラックソックス事件」の時にジョンは23歳。
1935年・ジョン39歳でニューヨークに移住。
1938年・ジョン42歳で結婚。
1952年・ジョン56歳の時に息子レイが生まれる。
1955年・ジョンの妻/レイの母親が死去。
(1970年頃)・父ジョン74歳頃にレイが西海岸の大学へ
1974年にレイ22歳がアンと結婚。
  同年ジョン78歳で死去。
1988年(現在)レイは36歳。
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レイはジョンが56歳の時の子供。ずいぶん年の離れた親子。ジョンはレイに(自分が若かった頃の)昔のスターの話をしていた。それで息子のレイは1919年のホワイト・ソックスのメンバーに馴染みがあった。

56歳の年齢差があったから父と息子は仲たがいをしたかのようにも描かれていた。それは理解できる。レイが17歳の時(1969年)父親に「犯罪人を英雄視する人は尊敬できない」と言ったのも、レイが50年も前の話を理解するのが難しかったからだろう。

しかし一般的なストーリーとしては無理のある年齢設定だと思う。


そして最後に、幽霊プレイヤーを見にやってくる地元の観客は何の疑問も持たないのか?(中西部の保守的田舎町の)彼らはかなり頭が固い人々。そんな町の人々…がすんなりと幽霊のスター選手達を見にやってくるのは不思議。

…色々と文句を書いたけれど、重箱の隅をつついているだけです。



ちょっと前に『大草原の小さな家』の感想で書いたアメリカの中西部の話。この映画の風景…コーン畑の中の素朴な野球場…はイメージそのまんま。いかにも古き良き時代のアメリカ。アメリカの人々にはノスタルジックな浪漫なのだろう。

海亀は20年ほど前に旦那Aとボストンからミネソタ州のミネアポリスまで寄り道をしながら車で旅をした。この映画のレイとテレンスの旅する道と重なるルート。ボストンからミネソタ州の2252 km (1,390.7 mi) は車だと数日間かかる距離。日本だったら…車で札幌から鹿児島までが2241 km (1392 miles)でほぼ同じぐらいの距離。レイはアイオワからボストン、ボストンからミネソタ州、ミネソタ州からアイオワまでとものすごい長距離を走ってます。

現ボストン・レッドソックスのフェンウェイパークのグリーンモンスターの1988年の様子が見れる。

レイの娘カリンちゃんは、今FXのドラマ『Winning Time: The Rise of the Lakers Dynasty』でThe Forum arena のgeneral manager and PresidentのClaire Rothmanを演じているGaby Hoffmannさん。現在41歳。『フィールドオブドリームス』の頃は6歳。


ところでこの映画を発端にして、2021年と2022年にアイオワ州のコーン畑の中の球場で「MLBアット・フィールド・オブ・ドリームス」というイベントが行われたそうです。いいですね。



2023年7月23日日曜日

映画『大草原の小さな家・初回パイロット版・旅立ち/Little House on the Prairie・Pilot (Film)』(1974):アメリカの本質を学ぶ



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『Little House on the Prairie・Pilot (Film) (1974)/米/カラー
/96m/監督:Michael Landon』
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Amazon Prime Video にて鑑賞。


ここに書いたことは全て私の個人的な意見。ドラマの感想というよりもアメリカに関する個人的な考察をメモしています。私の個人的な経験によるアメリカに対する複雑な感情を整理しようと試みた。


アメリカ人と結婚することは、「アメリカ人とは何だろう」の疑問を探求するライフワークを始めたようなものだった。

私がここで言う「アメリカ」とは東海岸から中西部のみ。それ以外の場所のことを私は知らない。

ちなみに今住むハワイは本質的に「アメリカ」だとは私は思っていない。だからここに書くことにハワイは含まれていない。ハワイはアジア寄りの違う文化圏にあると私は思う。



アメリカの北東部(首都ワシントンD.C.より北)から中西部の地域は、歴史的に長い間アメリカの土地であったことから、私は「最も伝統的なアメリカの本質」はこのエリアに存在すると思っている。白人が多数。プロテスタント多数。日曜日には教会に行きママのアップルパイを愛する地域。(フロリダやテキサスやカリフォルニアにはまたそれなりのアメリカがあるのだろうと想像する)


私が知ることになったアメリカは、昔私が日本で雑誌や映画を見て想像していたものとは違っていた。外から見るのと、中に入ってから見るのでは印象も変わってくる。

一番驚いたのは、この地域のアメリカの白人が予想以上に真面目で保守的で排他的だったこと。Xenophobic…外国、異文化を嫌う人がアメリカにはいる。白人の保守層の中には異人種や異文化を異様なくらい警戒する人々がいる。彼らは、自分たちの作った美しいネイバフッド以外は全部「敵」だと思っている…と言っても過言ではない。彼らは生真面目で勤勉、清く正しくまっとうな人々。しかし彼らの中身をよく見れば驚くほどに排他的な顔が見え隠れする。

なぜだろうと思った。アメリカとは「人種のるつぼ」で「自由の国」「アメリカンドリーム」の国ではなかったのか? …それはニューヨークやカリフォルニアの話だ。


私が以前住んだ英国の人々は、異文化も十分に受け入れているように見えた。国際的大都市ロンドンには世界中から人々が集まってくる。多くの異文化が混ざり合う都会の中では、アジア人の私も問題なくそれなりに馴染むことが出来た。英国ではあからさまな「区別」による不快感を感じることは少なかった。ロンドンの以外の地方に旅しても、むしろ異文化に興味を持ってくれる人の方が多かった。英国では喋ればなんとかなる。喋って理屈をこねれば会話が成り立つ。英国には「話せばわかる」人がかなりいた。それが心地よかった。

しかし北東部~中西部のアメリカの一部の人々は違った。会話をしてもどうもしっくりこない。壁を感じる。私の存在は彼らを緊張させる。私の登場で会話が止まる。いつまでたっても私は「アウトサイダー」のまま。 そもそもこの伝統的アメリカの人々は外国や異文化に興味を持たない人も多い。もちろん個人差はあるが「お前のことは絶対に受け入れない」と頑なで失礼な人々も少なからずいる。

そのような頑なな白人の人々を私は英国ではほとんど見たことがなかった。前述のように英国は「話せばわかる」人が多かった。外国人の私との会話を面白がる人も多くいた。彼らは「異文化」からやってきた私に興味を持ってくれた。

だからアメリカで「拒絶」に出会うたびに私は戸惑った。そして暫くして気付いた…驚いたことに彼らが拒絶する対象は私のような異人種の外国人ばかりではない。彼らの警戒心は別の地域からやってきた白人にさえ向けられていた。それらの頑なな人々は「外」に対する警戒心が強すぎて、まるで自分たちの「村」以外の存在を全否定しているようにさえ見えた。

アメリカには失礼な人々がいる。理解できないほど不愉快な人々がいる。全く残念なめぐりあわせ。会わなきゃよかった。そういう人々が存在するということを私はアメリカに関わって初めて学んだ。


そしてまた疑問を抱く。なぜだろう?なぜ彼らはそんなに排他的なのだろう?なぜ彼らは「よそ者」を異様なくらい警戒するのか?なぜそこまで「自分達だけの心地よいコミュニティーを守る」ことに必死になっているのか?

その答えのひとつがこの『大草原の小さな家・初回パイロット版・旅立ち』に見えたと思った。



★ネタバレ注意


このドラマ・シリーズは実話を元にしている。ミネソタ州の町ウォールナット・グローブでのインガルス一家の生活を元に描かれたこのドラマは、1975年開始から1983年のシーズン9まで放送された長寿ドラマ。

インガルス家の次女・ローラの残した記録によると、インガルス一家は元々住んでいたウィスコンシン州 Pepinを後にし開拓者として西に向かった。その時期は1869 年から1870年にかけて。幌馬車に乗り父親、母親、幼い女の子3人で西を目指した。そしてカンサス州の Independence 近くの荒野にたどり着き、自分たちで家を建て、1875年まで自給自足の生活を送った。このパイロット版「旅立ち」はこの時期の一家の様子を描く。


若い夫婦が幼い女の子3人を連れて幌馬車で長い旅をして荒野にたどり着き、木を切り倒し、自分達で家を建て、川から水を汲み、土地を開墾して野菜を育て、馬を飼い…。彼らはほぼ自分達だけで荒野での生活をスタートさせる。

とんでもない苦行だ。特にお母さんにとって3人の小さな娘さん達をそのような過酷な旅に連れていくのは大変辛いことだろう。お父さんは行きたいところに行きたいだけだろうけれど、お母さんは苦労ばかりだ。まさに生きるか死ぬかのサバイバル。本気のサバイバル。

そして彼らに降りかかる災難。草原が燃えることもある。必死になって彼らは家を守り生きようとする。

そしてある日インディアン(ネイティブ・アメリカン)がやってくる。元々その土地はインディアンの土地であった。当時白人入植者とインディアンは各地で戦争中。白人にとってインディアンとは大変「恐ろしい異文化/異人種の人」であり「敵」であった。最初にやってきたインディアンは言葉が通じない。夫は不在。母親は女一人で幼い3人の女の子達を守る。母親にとっては極限の恐ろしさだろうと想像できる。また別の日には「狼」が家の周りをうろつく。父と娘は家の門の前に銃を構えて家を守る。

これ。きっとこれだ。排他的なアメリカの人の本質はたぶんここにある。


アメリカとは、開拓者が荒野を切り開いてつくりあげた国。その人々の多くは欧州からやってきた真面目で勤勉なプロテスタントの人々。彼らは荒野を耕し、町を作り、周りからやってくる狼や熊などの野生動物、そしてもしかしたら襲ってくるかもしれない「恐ろしい異文化/異人種の」人々から必死に身を守りながら町を作ってきた。襲い来る「他者」を排除し戦わなければ彼らは生きていくことができなかった。

アメリカの一部の保守的な人々に、異文化に対する警戒心が今も残るのは、もしかしたら彼らのそのような歴史からくるものなのかもしれないとあらためて考えさせられた。


アメリカの人種に関する問題は彼らの歴史と密接な関係にある。
16世紀、欧州でプロテスタント(新教徒)の出現と宗教改革、続いて宗教戦争が起こると、新教徒は新天地を求め相次いでアメリカに入植した。彼らは先発のカトリックやインディアンと敵対しながら勢力を伸ばす。真面目で勤勉な彼らは、自由と幸せを求めてアメリカに移住し「異文化/異人種の」人々を攻撃して戦い土地を奪い、自分たちだけの美しい町をつくり、痩せた土地に「異文化/異人種の人々」を追いやり保留地(Reservation)に閉じ込めた。そしてその後、今度は南部から別の「異文化/異人種の」アフリカ系の人々がやってくれば、今度は街の中に線引きをして彼らをそこに閉じ込めた。

近年よく言われるsystemic racism/制度的・構造的人種差別の元はそのあたりにある。

過去の(東部~中西部の)アメリカの白人はことごとく「異なる存在」を自分たちの生活圏/縄張り/コミュニティーから排除し続けた。その理由は彼らの中にある「未知のもの」「異種のもの」に対する「恐れ」。そして彼らはその「恐れ」から銃を手に取る。


その後20世紀にアメリカは文字通り世界一の国に成長した。経済力、軍事力共に強いアメリカを作った白人社会は、力のみならず知性や能力、文化的にも自分たちが「異文化の他者」より勝ると思うようになった。彼らが開拓時代に必要に迫られて作った「人の区分け」の制度。そしてその制度と思想は人々の移動と共にアメリカ全土の白人社会に広がった。一部の人々の心は未だにその「区分け」に囚われて抜け出せずにいる。


このパイロット版「旅立ち」を見れば、彼らの「恐れ」の理由が少しは理解はできるかもしれない。理解できれば少しは納得もする。なるほどである。そしてそのように長い時間をかけて形成された彼らの排他的気質と習慣を考えれば、彼らがそのやり方を改めるにはまだまだ時間がかかるだろうと私は思う。


未知の国アメリカ。
「アメリカ人とは何だろう」の探求は続く。


ドラマのシリーズは子供の頃に楽しく見ていたが、今になって「アメリカを知る資料」として見ることになるとは考えもしなかった。これはテレビ映画/ドラマとしても良作です。何度もドキドキさせられるし、開拓者達の苦悩と頑張りは十分に理解できる。歴史的なドラマとしても大変興味深い作品。アメリカ人の本質を色々と考えさせられた。


2023年7月21日金曜日

映画『ブック・オブ・ライフ~マノロの数奇な冒険/The Book of Life』(2014):キャラクターデザインに魅せられる






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『The Book of Life (2014)/メキシコ・米/カラー
/1h 35m/監督:Jorge R. Gutiérrez』
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テレビのチャンネルをパラパラとかえていたらやっていた映画。すぐに画面の絵に魅せられた。すごく綺麗。早速録画のボタンを押して後から鑑賞。


面白かった。いい話。なによりもキャラクターデザインがいい。木彫りのパーツを針金で繋いだようなキャラクターのデザイン。ただかわいいだけのデザインではないのが個性的で楽しい。画面から溢れる独特の世界に魅せられた。

そうなのだ。ピクサーが悪いわけではないけれどピクサーのキャラクターデザインの魔法は10年ぐらい前に消えたのかもしれぬ。大昔、1995年に『トイ・ストーリー/Toy Story』を見たときは大変興奮した。ホンモノに見えるプラスチックの人形が喋ってる、動いてると感動した。その後に続く虫も悪くない。モンスターも魚も面白かった。ところが初めての人間のキャラ『Mr.インクレディブル/The Incredibles』でほんの少し感じた違和感…

『Mr.インクレディブル』はストーリーは最高にいい。傑作レベル。しかしキャラクターデザインが…なにかおかしい。人間がゴムかシリコンでできた人形のよう。丸い顔に穴がパクパク開いて話し始める。何かが変だ。その辺りから、ピクサーのCGアニメに出てくる人間のキャラクターのデザインに違和感を感じ始めた。みんな動くゴムの人形のようだ。

大変個人的な私の好みの問題だと思うけれど)気になり始めると毎回気になる。そういえば『アーロと少年/The Good Dinosaur』の恐竜にも同じように違和感を感じた。あの恐竜も美しい自然の中で浮いていた。

果ては『インサイド・ヘッド/Inside Out』に感じたキャラクターの魅力のなさ。あのキャラクターのデザインのつまらなさは単に手抜きだろう…あの映画は、ストーリーは面白いのに、あのキャラクターデザインのつまらなさでおそらく二度と見ることはあるまい。


CGアニメのキャラクターデザインは大切。そんなことを、この映画を見てあらためて実感した。


この映画、キャラクターデザインが最高なのですよ。本当に面白い。楽しい。見ていてドキドキする。綺麗。おかしい。ユーモラス。ゴージャス。派手。華やか。なんとも摩訶不思議で怖くて魅力的な世界。

以前キャラクターデザインで興奮したのは『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス/The Nightmare Before Christmas』。あれは本物の人形のストップモーション・アニメーションなのだけれど、キャラクターのデザインは今見ても傑作。ちょっと変、ちょっと妙、ちょっと異様。ちょっと怖い。なんと楽しいキャラクター・デザイン。

(あの『ナイトメア…』ように)キャラクターデザインと世界観に魅せられる興奮と感動を、私はこの『ブック・オブ・ライフ~マノロの数奇な冒険/The Book of Life』で久しぶりに感じた。画面を見ていて「うわ~~」と声の出るほどのワクワク感。これです、この映画の魅力。

画面の魅力だけでも私には70点以上。

その上に、ストーリーも楽しい。わかりやすい。これも重要。わかりやすいのがとてもいい。そしてわかりやすいのに感動もした。ドキドキした。


★ネタバレ注意


あらすじ
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舞台はメキシコ
死後の世界の支配者が二人
…明キャラ・ラ・ムエルテと、暗キャラ・シバルバの対立があって、

彼らの死後の世界の支配をめぐる懸けの駒には人間のキャラ
…闘牛士兼ミュージシャンのマノロ・サンチェスと、戦士ホアキン
そして二人の競争の真ん中に女の子マリア・ポサダ

マノロとホアキンは、マリアとの結婚をめぐって競争をする。

●マノロは芸術家肌の音楽家、しかし闘牛士の家系で将来は勇敢な闘牛士になることを期待されている。
●ホアキンは偉大なヒーローの息子で彼も戦士としてヒーローになることを夢見る。

途中でマノロが死の世界を旅することになる。

彼らの住む町に盗賊の親分Chakalが子分を引き連れてやってきた。
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キャラが皆面白くて魅せられて、ストーリーも比較的シンプルでわかりやすい。2回見たけれど、2回目もやっぱり面白かった。

人以外のデザインもいい。盗賊Chakalの重メタル感が恐ろしい。そして闘牛の重メタル戦車風のデザインが最高。現世の牛も怖いが、死者の世界の骸骨の牛もすごい。それが何百、何千と走り回る様子は圧巻。そして全部がまとまってとてつもない怪物に変わる。恐ろしい。

そして巨大な骸骨牛に対峙するマノロの戦い方は歌を歌うこと。感動した。牛のスケールの大きさに感動。マノロの歌の後の展開にまた感動。すごいなぁ。あれは…何百年と続く闘牛の伝統…死んだ牛たちの魂を慰めたのですよね。そして牛はきらきらとオレンジ色の光にかわる。とても感動したわ。いい話。


死後の世界も『リメンバーミー』と同様、キラキラと大変美しい。メキシコの人々にとって人が亡くなった後に行く世界はこんなに綺麗なイメージなのですね。すごいな。

そしてまた『リメンバーミー』と同様、死後の世界は現世と同じように存在していて、人が亡くなるとすぐに死後の世界に移動、過去の家族に会えることになっている。この映画でも、マノロのお父さんとお婆ちゃんがすぐにやってくるところでちょっと笑った。あのお婆ちゃんがなんともいえずかわいい。

ユーモアもいい。見ていてくすくす笑う。かわいかった二人の男の子が、顎の大きな大人の男に変わるのもいいデザイン。いい男が綺麗な女性に求愛する様子も大人ね。マノロがバルコニーのマリアに歌いかけるシーンが素敵。最後の敵 Chakal との戦いもドキドキした。素晴らしいエンタメ。

音楽もいい。ポップソングが沢山出てきたけれど効果的でいい。Radiohead「Creep」には驚いた笑。映画のオリジナル曲 Diego Luna の「I Love You Too Much」がすごくいい歌。


『リメンバーミー』に比べるとシンプルでわかりやすい話だと思う。『リメンバーミー』は展開が多くて大作のイメージがあるのに比べると、この映画はコンパクトな印象。ほぼ90分で短めだが、うまくまとまっていて私はそれも魅力だと思った。わかりやすいから映画全体が記憶に残りやすい。

イントロの…博物館で話を聞く子供達の中の、紫の髪の男の子の言葉がいちいち面白い。すごくかわいい。


まったく期待せずにたまたまTVで見かけて録画したのだけれど、これはすごくいい映画でした。大満足。この映画はキャラクター・デザインがすごく魅力的なので、たぶん何度も見直したくなるだろうと思った。



2023年7月6日木曜日

映画『オクトパスの神秘: 海の賢者は語る/My Octopus Teacher』(2020):中年の僕がタコ先生に癒される話



YouTubeに日本語字幕の映像も出てます


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『My Octopus Teacher (2020)/米/カラー
/1h 25m/監督:Pippa Ehrlich, James Reed』
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またまた旦那Aのオススメで見た映画。以前見て面白かったから見ろと言う。最近は見る映画のほとんどが旦那Aがらみだ。いかんね。見たいものは自分で探さなきゃ。

原題の直訳は『僕のタコ先生』。Netflixにて。この作品は2021年度、第93回米アカデミー賞の長編ドキメンタリー映画賞を受賞。その他各種受賞。


この映画、私はてっきり海洋生物学者の実験モノだとばかり思っていた。そのような動物もののドキュメンタリーはよくある。動物学者たちは昔はゴリラに手話を習わせていたし、犬や猫はもちろん、カラスにゲームをさせて知能のテストをしたり、オウムやインコに芸をさせたりする。このタコ先生の話もタコにそのような実験をし、観察して記録したドキュメンタリーなのだろうとばかり思っていた。もちろん主役はタコ。あくまでもタコの映画だろうと思っていた。

ところがこの映画は違った。主役はあくまでも中年のおっさんだ。中年のおっさん/クレイグ・フォスターさんが(たぶん)Midlife Crisis/中年の危機で落ち込んでいた時に海で素潜りをしていたらタコに出会い、1年をかけてそのタコ先生と親しくなる間に元気を取り戻したという話。あくまでもおっさんのリカバリー/再生の物語である。

気になったのはその語り口だけなのですけどね。最初は戸惑った。「僕が、僕が…」と主人公のおっさんが身の上話をしているので「私は何を見ているのだ、実験は?早くタコ先生を出せ」と思いながら見た。そしてクレイグさんが海に潜り始めてタコ先生に出会う。その頃には美しい映像に魅了されていたけれど。


★ネタバレ注意

あらすじ
南アフリカ出身のクレイグ・フォスター氏は元々野生動物を撮影する映像作家。以前はアフリカのライオンを撮ったりしていた。カメラ機材にも触りたくないほど気持ちが沈んだ時期があって、癒しを求めて海に潜り始めた。そこで出会った不思議な生物・タコ。タコへの興味が彼をまた撮影に向かわせた。1年をかけて毎日観察を続け、撮影が終わった後にはクレイグさんはすっかり回復していた。


PROS

映像が美しい。それだけでも見る価値がある。タコ先生もいいが、それ以上に南アフリカの海の中の風景がとにかく素晴らしい。Kelp/昆布の林を抜けて泳ぐ景色にうっとり。まるでスターウォーズの映画の風景かと思うような異世界。とにかく美しい。

最近はやっていないけれどシュノーケリングは私もやる。ハワイの海は色々と潜った泳いだ/浮かんだが、あの青い水の中を泳ぐ心地はなかなか他とは比べられない。水が肌に馴染み、目に見える景色の美しさに心奪われながら、同時に(身の危険への)恐れを常に頭の隅に感じ続ける。自然に浸り、心を無にして神経を集中させる。確かに海の水に馴染むことは心の状態を良くする効果があるのだろうと思う。この映画のクレイグさんもスキューバのタンクを背負うことに違和感を感じてシュノーケルのみで潜っていたけれどその気持ちはわかる。自然を邪魔しないようにひっそりと海に馴染む。いいですねぇ。あの昆布の林は泳いでみたい。

全編、美しい海を見てうっとりする。撮影もプロのチームだから映像の全てが美しい。海がとにかく綺麗。それだけで十分OK。

タコ先生との友情も(100%信じられるとは思わないが)かなり面白い。信じて感動するというよりも「本当だろうか」と驚いたり疑ったり。素直に受け取れないのは私の中にある偏見のせい。これが脊椎動物・魚やペンギンやラッコとの友情ならもっと納得したと思う。しかし相手がタコ先生だからこそこの映像は特殊で貴重。


CONS

前述の誤解のせいで最初は随分戸惑った。語り口が「自由に生きるタコ先生に救われる僕のストーリー」だからだ。実際にはタコの観察日記なのに語り口があくまでも人の回復の物語なので、BBCあたりの動物モノのドライなドキュメンタリーに比べると随分ウェットでセンチメンタルな印象でそれに暫く慣れなかった。「おっさんが癒される話」がメインならそういう話だと事前に知っておくべきだったのかもしれぬ。

International Movie Data Base(IMDB)でスコアを低くしたレビューアーの文を読むと、同じような印象を持った人は私だけではないらしい。彼らの中には「タコ先生とトモダチになったのなら、なぜタコ先生がサメにやられるのを助けなかったのか」と憤っている人もいるがそれは私は気にならなかった。BBCのドキュメンタリーなどを思えば、自然の弱肉強食の様子を撮影するのはあたりまえ。動物モノの映像はドライに撮影するのが普通なので、クレイグさんもプロとして自然をそのまま撮影したのだろう。確かにそのような自然の動物の撮影のドライさと、「僕のタコ先生」への愛情の表現が、度々入り乱れるため多少混乱させられるのは事実。

個人的にもっと気になったのは、この話がどこまで脚色でどこまでが本物だったのかが不明なことだろうか。語り口はあくまでもクレイグさんとタコ先生の…一人と一匹の話なのだけれど、現実にはクレイグさん以外にも撮影スタッフがいることは明らか。彼の泳ぐ様子を、スタッフが近くから遠くから撮影している映像が度々出てくる。

また映画の詳細を見たら、脚本があるのですね。もちろん監督もいる。当り前の話だけれどこの映画は、「男性がタコとの友情を独白するドキュメンタリー」のように見せながら、実は数名の撮影スタッフが常に一緒にいて、(クレイグさん御本人ではなく)監督がいて脚本があって…と、意図的にストーリーが作られた(編集された)ドキュメンタリーなのだろうと後から知って少し萎えた。

この映画は、おそらく『人とタコ先生の友情物語』のパーソナルな語り口がエンタメとして観客を魅了したことで結果沢山の賞を受賞することになったのではないかと想像するが、私個人的にはその「作られた部分」がむしろ気になった。

例えば最後にタコ先生が繁殖期に入る前、クレイグさんと別れのハグをする様子があったけれど、あれはまさか本当じゃないだろう。「餌を持ってるんじゃないか」と勘ぐった。申し訳ない。

動物モノのドキュメンタリーは、私はあまり人間の「意図や感情」が出てこないほうがいい。だからBBCのドライな自然モノのドキュメンタリーやNHKの『ダーウィンが来た!』の方が単純に感動したりする。


というわけで語り口の好みの問題で多少は戸惑ったけれど、それでも十分面白かったです。映像がとても綺麗だった。

タコは頭がいい生き物だということは以前から聞いていた。もしかしたら将来はタコかイカが陸に上がって知的生物として闊歩する時代もあるかもしれぬ…というドキュメンタリーを以前(これも)BBCで見たけれど、本当にそうなら実際にタコの知恵も見てみたいものだと思う。ゲームの実験などできないものだろうか。

それから、知恵と感情は別のものだと思うので、この映画で実際にクレイグさんとタコ先生が本物の友情を育んだのかどうかは私には信じられなかった。やらせ…の言葉が頭に浮かんだのは致し方なし。だってタコが人間を好きになるかね?友情を感じるのか?そもそもタコに友情のコンセプトなど理解できるのか? その辺りの本当のところも知りたいものだと思う。

文句を言いながらもこれだけ色々と考えているということは、動物モノのドキュメンタリーとしていい作品のだろうと思います。もう1回見ようかな。



2023年6月26日月曜日

映画『さよならゲーム/Bulls Durham』(1988):男目線の古クサい野球浪漫・女性の描き方が古い





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『Bull Durham (1988)/米/カラー
/1h 48m/監督:Ron Shelton』
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この映画のリリースは1988年。私が最初にこの映画を見たのはたぶん1990年ごろ、日本でのTV放送で吹き替えだったと思う。スーザン・サランドンの役が野球選手のグルーピーだったことだけ記憶していた。

1988年といえば、アメリカのヒットチャートではマドンナやプリンスが常連だった頃。日本はバブルの真っ只中。ニューヨークでは不動産王ドナルド・トランプがブイブイ言わせていた頃で、アメリカも日本も色々と派手で元気がよかった時代。

監督は『White Men Can't Jump』でも知られるRon Shelton氏。1945年生まれの彼は1988年当時43歳。1950年代から70年代にアメリカに育った男なら、誰もが愛しく懐かしく思うだろう田舎町のマイナーリーグ。この映画はアメリカの中年男にとっての…彼らが子供の頃に親しんだマイナーリーグを思い起こさせる懐かしい雰囲気の映画なのだろう。 

1988年頃…アメリカの都会は騒々しく派手な時代だったけれど、田舎町のマイナーリーグには昔と同じおだやかな時間が流れていた。米国の映画界がまだまだ男の世界だった80年代後半に、男の目線のみで作られたユーモラスでノスタルジックな男のための野球浪漫おとぎ話。


実は私が1990年頃にこの映画を最初に見たときの印象は「グルーピーの話」というものだけ。当時の私は野球に全く興味がなく、メジャーやマイナーが何かもわからないほどの無知。だからマイナーリーグを描いたこの映画には「グルーピー」意外の言葉に引っかかるものが何一つなかった。

そもそも当時はアメリカのことも全く知らなかった。マドンナやプリンスを聴き米国に関するノンフィクションの本や雑誌の記事を読んでアメリカに憧れても、現実のアメリカのことなど知るよしもなし。この映画も「ふ~ん、アメリカの野球の話か…」ぐらいの薄い印象しかなかったのだろう。「アメリカの女性はさばけているな」と。「野球選手のグルーピー…彼女は自立していて自由恋愛を楽しむアメリカの強い女性なのだな、マドンナも強い女だもんな、アメリカの女性はすごいもんだね」と、どちらかと言えばポジティブな感想を持ったのだろうと思う。

今回見て、スーザン・サランドンの相手がティム・ロビンスとケビン・コスナーであることを思い出したが(私は忘れていた)、あの二人とのロマンスなら「いいですね」ぐらいは思ったかもしれぬ。あの頃の私はとにかくアメリカの女性は進歩的で自由だと感心したのだろうと思う。


今回この映画を見たのは、旦那Aがまたまた勝手にTVでの放送を録画して「見よう」と言ったから。「それグルーピーの話でしょ。あまり覚えてないけど」「僕もあまり覚えてないんだよ。まぁ野球の話だから面白いよきっと」。というわけで見始める。見始めたら私には結構退屈で「これよりも今日のMLB好プレー番組『Quick Pitch』の方が見たいなぁ」などと思ったりした。

あらためて2回目に見たこの映画はかなり時代遅れな印象。それにしてもこのグルーピー、結構年を取ってますね。スーザン・サランドンってこの時42歳?え~っ?これって40代か30代後半のグルーピーの話だったの?

一番の問題はそこ。これはただのロマンティックコメディではない。すごく色んな事情が後ろに見える。もう深読みし始めたら…なんだろうね…これ、かなり酷い話じゃないか。しかし最後はハッピーエンド。哀愁か。浪漫に哀愁。あ~そうか中年男がうるうるしそうな話か。


見終わって旦那Aは「いい映画だったね」と言う。彼は子供の頃、地元のマイナーリーグの試合を見に行ったことを思い出したらしい。ノスタルジア。中年のアメリカの男にはほのぼのとしたいい映画なのだろう。1980年代の古臭いイメージも心地よいのだろう。男にとっては「いい映画」なのだろう。懐かしい浪漫なのだろう。


しかし女のワタクシは…色々と思うところがありましたよ。というわけでそのことを書く。

若い頃に見た時と自分が中年になった今とで、これほど印象の変わった映画も珍しいかもしれぬ。
1回目にはどちらかと言えば(無邪気に)スーザン・サランドンのキャラに感心していたのに、今は…現実が見え過ぎて悲しすぎる。この年老いたグルーピー、悲惨じゃないか。男には優しいお姉さんだろうけれど。女性には…色々とキツイ映画。 

ちなみにこの映画はその年の賞取りレースで沢山賞を取っているらしい。特に(アカデミー賞を含む)脚本賞を6つも受賞している。びっくりだ。私は「うわ~台詞がクサいクサい、こんなに安っぽい台詞を言うのかね」などとあきれていたのに笑。いや~わからんな。時代が違うのか。1988年は遠くなりにけり。


これから書くことは辛口なので、映画をまだ見ていない人、純粋に楽しみたい人はお読みになりませぬよう。これは私の自分用のメモ。なぜ私がこの映画に違和感を感じたのかを書く。無粋でみもふたもない感想だと思います。

この映画の印象があまりにも前と違うということは、私があの時代からそれだけ変わったということなのだろう。

アメリカに直接関わって、今なら私にもアメリカのことが少しはわかる。年を取ったから女の生き方、女の幸せを考えてきた時間も長い。この映画の印象が前とは全く違う…つまり35年前と今の私は全く違う人間なんだね…ということがよ~くわかった。個人的にそれがすごくショックだったし面白いとも思った。



★ネタバレ注意

ストーリーは、米国ノースキャロライナ州の(実在の)マイナーリーグ・シングルA(1980年代当時)のチーム Durham Bulls のワンシーズンの話。シングルAのチームとは、メジャーから数えて5番目に位置する下位のマイナーリーグ。そのリーグの順番とは上から…

 ・Major League(メジャー)
 ・Triple-A / AAA (トリプルA)
 ・Double-A / AA (ダブルA)
 ・High A / A+ (ハイA)
 ・Single-A / A (シングルA)
 ・R / ROK (ルーキーリーグ、またはコンプレックスリーグ)

そのDurham Bullsに才能のある若いピッチャー(ティム・ロビンス)がやってきた。無邪気で陽気なその若者を地元のグルーピーのお姉さんアニー(スーザン・サランドン)がお世話する。また同チームには年を取って上リーグから下りてきた選手クラッシュ(ケビン・コスナー)もやってくる。彼は過去に21日間だけメジャーでプレーしたことがあった。映画はこの3人の関係を描く。


アニーは何よりも野球を愛する女性。近くのコミュニティーカレッジで教師をしているが、余暇には野球のために人生を捧げている。彼女は自分の意志でそのような生き方を選んだ。誰にも迷惑はかけていない。そんな彼女は毎年、若い選手をかわいがってシーズン中のお世話をする。

今の私にはこの女性アニーが大きな問題。以前(アメリカのことを何も知らずに)この映画を見たときには違和感を感じることもなく、むしろ彼女の自由な生き方に内心感心していたぐらいなのに、今彼女を見ると辛い。アメリカのことが今なら多少わかるから、表には描かれていない彼女の裏の生活も見えてしまう。あまりにも現実の悲惨さが生々しく想像できて苦しくなる。


アニーは30代後半の女性。女優さんが当時40代なのでアニーの設定もそれに近いのだろう。彼女は野球を愛し趣味はグルーピー活動…毎年若い男の子を自宅に呼んでお世話をしながら野球のこともアドバイス。そうやってシーズン中に若者を育て上げる。そしてひと夏の大人の関係が終わったら、また翌年も違う若者を見つけてお世話する。そんなことを彼女はもう20年ぐらいやっているのだろうか。

このキャラクターは監督の考える理想の女性像なのだろうか。シーズン中だけと割り切って選手のお世話をしてくれるお姉さん。彼女はシーズン後の関係を選手に求めないから後腐れもなし。若い女の子のように鼻息荒く本気で選手に結婚を迫ることもない。めんどくさくない女。若者をかわいがってくれる美しいお姉さま。この監督は、スーザン・サランドンを使って「男にとっての理想のお姉さんキャラ」をつくりあげた。

監督、ふざけんじゃねえよ…と思ったわ笑。


ほんとに男はしょーもない。1988年はまだまだ現実に男社会だったのだろうとつくづく思う。こんな自己犠牲的な女性がヒロインなんて、本当にどうしようもない映画。

なんて哀しい彼女の人生。いくら野球が好きだからって彼女はもう30代後半。マイナーリーグ野球選手の有名グルーピーの彼女の評判はそのローカルのチームの界隈にもよく知られている。同時にノースキャロライナ州の保守的な田舎町なら、彼女は近所でもよく名の知られた罪深いふしだらな女なのだろう。そんな罪深い女を心から愛してくれる男性や親しい女友達は、保守的な町にはいないのだろう。彼女は人に後ろ指さされる人生を長い間生きてきて、もう後戻りができなくなっている。しょぼい田舎町のマイナーリーグで、延々と20年間もグルーピーをやってるなんて…。そんな人生あまりにもひどすぎる。

彼女はなぜいまだに30代後半になってまでグルーピーをやってるのか?なぜなら毎年過去20年間も沢山の野球選手との恋を楽しんでいながら、彼女にはそれまで誰一人として「俺と一緒にメジャーに行こうよ」と本気で愛してくれた人がいなかったからだ。

彼女はいつグルーピーを始めたのだろう?輝くほど美しかった20代前半。もしかしたらティーンの頃だったのかもしれない。彼女はなぜそんなことを始めたのか…その理由は、彼女がただかっこいい野球選手に近づきたかったから。若い頃はそれがとても楽しかったのだろう。

しかし現実の今の彼女は毎年ワンシーズンだけで使い捨てされるだけの(男にとっての)便利な女。そんなことをもう20年間もやっている女が、本当に「私は野球そのものを愛しているのだからそれで幸せ」などとと言えるだろうか?言えないと思う

この映画の彼女のキャラクターはあくまでも男性から見て「都合のいい理想の女…ちょっとかわいそうだが愛すべきいい女」なのだろう。彼女はホイットマン、スーザン・ソンタグ、ウィリアム・ブレイクの名前を会話に散りばめるインテリ。1970年代の女性解放運動/ウーマンリブの時代を経て、80年代の新しい時代を生きる彼女は、自分の意志で男達と刹那的な恋を楽しむ現代的な女。そして「野球への愛」の名のもとに自分からは何も要求することなく、毎年若い野球選手のお世話係を務めている。彼女は一見イケてる進歩的な女。しかしあまりにも長い時間が流れ過ぎた。一番の問題は、彼女が自分自身を長年粗末に扱ってきたことに気づいていないこと。

そんな女性を男目線で「愛すべき女性」に仕立て上げ、大人のラブストーリーの映画を撮った古臭い監督の価値観に私は頭がくらくらするほど唖然とした。このような女性像を描いた脚本に賞を与えた当時の映画業界にも驚いた。当時は価値観が今とは全く違っていたのだろうと思う。

最後はケビン・コスナーが「ものずき」で親切な男でよかったですね。彼女にもとうとう本命のいい男が現れた。しかしその恋の設定も「かわいそうな女をいい男が救ってくれる話」にすぎない。彼女は自分で自分を救えなかった。彼女の幸せは男次第。なんと古臭い話だろう。

しかし現実には、彼女のような女にケビン・コスナーなんて現れない。

古臭い昔の男の目線のみで男の子供じみた戯れとノスタルジーを描いただけの映画。中身は無い。ヒロインは男に救われる哀れな女。それをロマンティック+ノスタルジックな映画としてリリース。それが1988年の名作と呼ばれる。 …1980年代後半の時代と今の時代との価値観の違いにあまりにもショックを受けたために、肝心の「ユーモラスなマイナーリーグの話」の部分が私の頭にはほとんど響かなかったのは残念。これが名作映画なんて冗談だろうと思う。まぁ「男だけで勝手に懐かしがってくださいね」と思った笑。