ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年3月22日日曜日

映画『みんな元気/Everybody's Fine』(2009) :パパはよく見てます





---------------------------------------------------------------------------
『Everybody's Fine』(2009)
/米/カラー
/1h 39m/監督:Kirk Jones
-----------------------------------------------------------------------------


去年のクリスマスの頃に見た家族をテーマにした映画の感想、第3弾。ずいぶん感想を書くのが遅れてしまったけれど記録しておこう。

【去年のクリスマスの頃…「家族がないから」と気分が落ちていた時。とにかく何か問題があったら「問題」をカーペットの下に掃きこんで忘れるのではなく、もっと掘り下げてみる。いい機会だから今回のクリスマスは「家族というもの」について考えてみようではないかと思い、暗い気持ちのままクリスマス仕様の家族映画をいくつか見てようと試みた】

この映画もNetflixのタイトルページに「おすすめ」で出てきたもののひとつ(クリスマスの時期だけの配信だったのか今はNetflixから消えている)。主役はロバート・デニーロ。成人した子供達と年老いた父親…いかにも家族の話だ。



★ネタバレ注意





まず一言。いい映画です。


見てからもう3カ月も過ぎてしまった。しかし見た時には王道のいい家族映画だと素直に思った。デニーロもいいし、成人している子供達もいい。ストーリーもいい。最後もいい気持ちで見終わった。

最初は小津安二郎監督の『東京物語』だと思った。年老いた父親をめんどくさがる子供達。突然訪ねてきた父親に皆戸惑っている。長男には会うことさえできなかった。皆、父を邪険に扱うほどではないけれど、かなり戸惑っているのがわかる。まぁそれはしょうがないだろう。誰でも親に突然来られたら戸惑ってしまうだろう。

皆予定があったり…それぞれの理由で、父親は子供達とゆっくりすることもできず(詳しくは覚えていない)…もしかしたらこのお父さんは子供達を訪ねない方が良かったのかな、現実は残酷かな…『東京物語』と同じだよね…などと思った。

そして色々とあって…飛行機の中で(薬が足りなくて)父親は心臓発作を起こす。


さて、そこで見る幻覚のシーン。父親が頭の中で考えたことが幻影になって現れたとするのならば、この父親は子供たちのことを驚くほどよ~く見ていたわけですよね。この父親は決して毒親ではないでしょう。


次男との会話で、この父親が子供達に対して多くを要求していたことを知る。あのデニーロ父が(怖いわ)子供達に「俺の自慢の息子になれ」などと日々プレッシャーをかけていたらしい。それを子供たちはかなり窮屈に感じていた。彼らは母親には本当のことを言うけれど、父親には話さないことも多かったらしい。デニーロ父は怖いお父さんだったわけだ。

しかしながら、例の幻影での会話…このお父さんは、訪ねて行った子供達の様子から驚くほど様々なことを理解しているわけです。しっかりと子供たちを見ている。この人は毒親ではないでしょう。

毒親とは、自分の要求ばかりを一方的に子供に押し付けるだけで。子供の気持ちなどわかろうともしないものです。

このデニーロパパは子供たちのことをよ~く見てますよね。そして今の子供たちのありのままを…そのまま受け止めている。そして「Everybody’s Fine」だと天国の妻にも伝えている。彼はいいお父さんですよ。愛情の表現が少し無骨なだけ。

それから最初は『東京物語』だと思った子供達の振舞いも、実は父親を気遣い心配した上での行動だったことがわかる。彼等も父親のことを思いやっていたわけだ。

だから最後は和気あいあいといい雰囲気で映画が終わった。


父親が(子供の将来のために)子供達に少し厳しすぎるほどのプレッシャーをかけ続けたために、子供達はこの父親を少し疎ましく(めんどくさく)思うようになっていた。しかしこの父親には今の子供たちをそのまま受け止める愛もあった。子供達も大人になって、そんな無骨な父親の愛が理解できるようになった。彼等も父親のことを気遣っていた。

…だからお互いにもう何の不満もわだかまりも無く、彼らはこれからも仲のいい家族としてやっていけるだろうと思わせてくれる。フィールグッドないい映画。



最後に大変申し訳ないが、私の妙なリアクションを記録しておこう。

そんなわけで私には「家族が無い」負い目がある…なんというか「人としてするべきだったことが出来なかった」という気持ちがある。たぶん「子供を持たなかったこと」への後悔ではない。実は子供がいないことがそれほど悲しいわけでもない。「子供を持つべき義務/家族を作る義務」のようなものを怠ってしまった…申し訳なかった…懺悔に近いような気持ちだと思う。それが負い目…少し居心地が悪い…私の弱点でもあるわけで…。

この映画を見て「いい映画だ」と思ったのは事実。それなのにこの映画を見たことを私はすぐに忘れていた。1月頃に「クリスマスに見た映画をメモしておこう」とリストアップしていた時、(まだ見てから1カ月も過ぎていないのに)この映画の記憶が飛んでいた。驚き。『コネチカット…』や『イカとクジラ』『クリスマスキャロル』『セッション』『クロース』のことは覚えていたのに。

もしかしたら私、自分にとってめんどくさいこと(家族関連のこと)に無意識に蓋をしようとしているのではないか?めんどくさいからカーペットの下に掃きこんで忘れようとしていないか?…な~んて思ってしまったぞ。ワタシやばいね。


2026年3月12日木曜日

映画『国宝/Kokuho』(2025) :歌舞伎の美しい映像化に価値がある





----------------------------------------------------------------------------
『国宝』(2025)
/日/カラー
/2h 55m/監督・脚本:李相日
-----------------------------------------------------------------------------



日本で大変な大ヒットの映画『国宝』をやっと見ることが出来た。よかった!

とにかく日本でものすごい評判だと聞いていたので見ることが出来る日を楽しみにしてました。ニューヨークでのリリース、米国各地でもリリース、そしてヨーロッパ各国でもリリース…いつかいつか…やっと今年の3月になってハワイでもリリースされました。よかった。旦那Aと二人で見にいってきた。


もうこの映画は見る人見る人ほぼ全員が10点10点10点…という映画なのでここでは私が1回だけ見て思った最初の印象… PROと好きだった場面、CONを記録しておこうと思う(個人的意見です)。



★ネタバレ注意  



PROS

歌舞伎の映像化

なによりもこの映画は、歌舞伎という舞台芸術を本当に美しく美しく映画として表現したことが一番大きいと思う。美しかった。綺麗だった。豪華。ドキドキした。ワクワクした。楽しかった。あ~いいな~…と心から思った。


歌舞伎に限らず舞台上のショーというものは映像にすることが難しいと思う。舞台と映画の魅力はそれぞれが違うものだから…

映画の魅力は大きな画面を見て大音響を聞いて全身を映像と音に包まれて圧倒される…のが魅力。
 そして舞台の魅力は、生身の人間が目の前で息をして泣いて笑って叫んで歌う…その生の迫力に圧倒されるのを楽しむ…その場その場だけの一瞬一瞬を目と耳で必死に追う楽しみ…が魅力。

…どのような舞台でも生の迫力をテレビなどの映像に落とし込むのはとても難しい。だからステージ上のショーを映像/映画として見せる時には様々な演出を加えることが必要になってくる。

ステージ上の俳優の顔に迫りその表情を、汗を、息遣いをとらえ、また身体の動き、手の動き、衣装の動きを映像にとらえ…目の動きで緊張を、恍惚を、また俳優さんの背中の後ろから彼の見ているものを…。その映像の上に効果的なサウンド/音楽を添えてシーンを盛り上げていく…

それがこの映画は大変素晴らしかった。美しかった。映像が一つ一つ語っていて息を呑んだ。


私は李相日監督の映画は過去に『フラガール』を見ていた。あの映画も舞台のショーを題材にしていた。あのステージの蒼井優さんの大きな笑顔と迫力のあるダンスと音楽は忘れられない。この監督さんはステージ上のショーを映像にするのが大変上手い監督さんなのだろうと思います。

この映画の歌舞伎の映像化/映画化は芸術だと思う。二人の俳優さんが並んで踊る様子の可憐さ、そして二人が舞台の前方に歩み出てくる場面での大きな音楽、「二人道成寺」での鐘の上のシーンも、前面から二人の華やかさと迫力を、そして後ろからも二人が見ている景色を映し…そして場面を大きな音楽でうわ~っと盛り上げる。綺麗で華やかで素晴らしかった。


俳優さん達

吉沢亮さんはミステリアス。綺麗なお顔にどこか心が読めない部分がある…少し冷たい印象…それがこの俳優さんの魅力なのか、それとも演じた喜久雄のキャラクターなのだろうか。どちらでしょうね。とても不思議な魅力の役者さんだと思う。
 俊介を演じた横浜流星さん。またぼんぼんの役ですね。以前見た映画『アキラとあきら』でも大企業の御曹司でした。このお方はしっとりと憂いのある表情のいい俳優さん。お顔が好きだわ。

お二人とも陽ではない。お二人とも少し影があるようなミステリアスな雰囲気のある役者さんだと思います。お二人とも内になにかを秘めているような感じ…喜久雄の複雑な出自と、俊介の名門の血の重み…がこの映画の二人の役に合っていると思った。いいキャスティング。違和感のないキャスティング。

それから子供時代を演じた若い俳優さんお二人も良かった。特に喜久雄の黒川想矢さんはしなやかで繊細な表情のいい役者さん。

渡辺謙さんの存在感もさすが、寺島しのぶさんの苦悩の表情、高畑充希さんが色っぽかった、そして田中泯さん独特の別世界な感じ。役者さん達が皆よかった。全ての登場人物達に違和感がなかった。それもよかった。


昭和の空気

私は五社英雄監督の映画が好きで…とはいってもしっかりと見たのは3本『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『吉原炎上』だけなのだけれど、あの華やかな映像が本当に好きで…。

この『国宝』の最初の場面で、喜久雄の父親を頭としたやくざ一家の酒宴の様子が出てくる。その場面を見て「あ~これは好きなやつだ…」とすぐに馴染んだ笑。お座敷で芸者さんがいて(←イナカッタカナ?)…そうそうそうあの雰囲気…渡辺謙さんがやってきて親分に挨拶する場面も…あ~あの感じ。好き。

ところで…五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』と言えば、あの映画は1930年代1940年代の話。しかしこの『国宝』の最初の場面は1964年だった…そんなに昔じゃない。それから喜久雄が成長していくにつれて、1970年代1980年代と時代が流れるのだけれど、その時代は…私も育ってました。私が知るあの頃の時代が大昔に見えた。…もしかしたら私の子供の頃の時代はもう「歴史的な時代」になったのかな…とちょっとショックだった笑。

この映画の喜久雄と俊介は(詳しいことは覚えていないのだけれど)だいたい1950年ぐらいに生まれた方々なのかな。ということは今75歳ぐらいの方の設定でしょうか。偶然だとは思うけれど、坂東玉三郎さんが1950年生まれ。ということは喜久雄と俊介は玉三郎さんと同じ時代を生きたキャラクターの設定ということなのでしょう。玉様は寅年生まれのお方だったのね。


俊介が立ち去るまで100点満点

…と思った。旦那Aも同じ意見。喜久雄君が父親を失い、入れ墨を彫って父の仇討ちに出向き、1年後に花井半二郎に芸の才能を買われて歌舞伎の世界に入り、俊介と共に日々訓練を重ね共に成長してく様子。喜久雄を追って春江も街に出てきていて共に暮らしている様子。そして喜久雄と俊介が舞台に立つようになり、大舞台に立ち…そして俊介が歌舞伎界を去る場面まではすっかり話に心を奪われていた。傑作の予感。昭和の香りも堪能した。



CONS

見終わって正直に思ったのは…
俊介が歌舞伎界を去ってからのストーリーが忙しすぎ。詰め込み過ぎだと思った。これはただただ長い原作を3時間に落とし込むことの難しさなのだろうと思った。

俊介が歌舞伎界を去るあたりから起こること(ネタバレ注意)
交通事故/代役/歌舞伎界を去る/襲名/倒れる/死去/醜聞/復帰/歌舞伎界を去る/どさ回り/復帰/共演/病/切断/舞台/死去/国宝/娘

とにかく忙しい展開。あまりにも多くの事が起こり過ぎる。そのため筋を追うことに忙しく、じっくりと人物の内面を追うことが出来なくなった。半二郎の吐血も、俊介の脚の切断もショッキング過ぎる…その悲劇があまりにも大きい。 

映画の前半では二人の歌舞伎役者の成長と内面が描かれていたのに、半二郎の吐血の頃から後は悲劇の事件を追う映画…これが起こってその次にこれが起こって…と状況の移り変わりを追うことがメインになって忙しくなり過ぎたと感じた。

私は個人的にはもっと二人の関係…歌舞伎役者のお二人の友情や仲間意識、喜び、また反対にライバル心や嫉妬、不満、怒り、苦しみ…等々の心模様を深く描いて欲しかった。特に前半の二人の成長期がとてもいい感じに描かれていたので、同じように大人になってからの二人の関係も「歌舞伎の世界の中」で見てみたかった。 

前半は人物の心を描いた繊細な描写が多かった。例えば喜久雄が半二郎の代役に抜擢された時だったか、喜久雄の手が震えて化粧が出来ない場面。喜久雄と俊介がまだ学生だった頃、満開の桜の木の下で自転車に乗っているシーン。「二人道成寺」で二人が鐘の後ろで頷き合うシーンもいい。 (喜久雄と春江が若かった頃)アパートで春江が喜久雄の入れ墨の背中にもたれて呟くように話す場面もよかった。…前半は心に触れるいい場面が沢山あった。

しかしこれは私の個人的な好み。映画やドラマでは私は人物の心を細やかに追う作品が好みなのです。


他に気になったこと…俊介が8年間、喜久雄も4年間…歌舞伎役者の二人がそれぞれ歌舞伎界を離れる話に違和感。一度大スターになった人が地方でどさ回りをすることもないだろうとも思う。それから映画の後半が駆け足だったこともあって、喜久雄が「悪魔と取引きした」と言うほど悪いことをしたようにも見えなかったのは私が昭和の頭だからか。


そんなわけで映画の前半が好き。後半は少し忙しいと感じたが、それでも舞台の場面は最高。最後は「鷺娘」を見ていいなぁと思いながら見終わった。

3時間の映画なのに長いとは感じなかった(もしかしたら忙しい展開が良かったのかもしれない)。一度も眠くならなかったし最初から最後まで心を掴まれていた。夫婦二人とも満足して映画館を出た。

なによりも大きなスクリーンで見てよかった。映画はやっぱり大きなスクリーンで大きな音で見たほうがいい。特にステージの場面が最高。いい映画は Experience/体験です。映画館で見てよかったです。


ちょっと自慢 🍀
歌舞伎の思い出  ---2023/1/26

歌舞伎と言えばこのようなドラマもあった


映画『衝撃実録! ワイヤーカード破綻劇の内幕/Skandal! Bringing Down Wirecard』(2022) :事実はフィクションより奇なり






----------------------------------------------------------------------------
『Skandal! Bringing Down Wirecard』(2022)
/英/カラー
/1h 32m/監督:James Erskine』
-----------------------------------------------------------------------------



先日BBCとHBOのドラマ『Industry』シーズン4を見終わって色々と調べていたら見つけたドキュメンタリー。映画制作は英国/Netflix。2022年の作品。

ドラマのTender社とCEOのホイットニーのストーリーが、この実在したドイツの会社「Wirecard AG」の事件と非常に似ているというのを聞いて調べたら出てきた。旦那Aが見たいというので週末に視聴。


そのまんまでした。これ『Industry』S4のTender社の話そのまんま

この実在したWirecard社も元々はオンライン決済代行業者でポルノとギャンブルの決済サービスをしていたそう。その後同社は2005年にフランクフルト証券取引所に株式を上場、2007年にアジアに進出。その後もアジア太平洋地域で事業を拡大。同社は世界200以上の国際的な支払いサービス、また100以上の取引通貨に対応し、売上はヨーロッパ地域の割合が多いものの、資産ではアジア太平洋地域が最大であったとのこと。

しかし2019年1月、英フィナンシャルタイムズ紙(FT)がWirecard社の不正会計の疑いを報じた。同社は2020年6月18日に19億ユーロの所在不明を認め、19日にCEOのマーカス・ブラウンが辞任。そして経営破綻した。

事件発覚後、最高執行責任者(COO)ヤン・マルサレクがオーストリアから逃亡。ロシアのパスポートを偽名で取得。西側の情報機関や安全保障当局はロシアのスパイであった可能性が高いとしている


ドラマ『Industry』S4のストーリーでTender社が事業拡大したのはアフリカの地域。一方このWirecard社の事業拡大はアジアの地域ではあったけれど、詐欺の内容はほぼ同じ(かな?私もよく理解していないけど)。そしてCOOのヤン・マルサレク氏がロシアと繋がっていて逃亡したことも似ている。

似ているというよりもむしろ『Industry』S4のストーリーはこのWirecard社事件をベースにドラマを書いたとしか思えない。

『Industry』の米国人のホイットニー本人はロシアと直接関わっていたわけではなく、Tender社がオーストリアの銀行IBN Bauer社を買収したことでたまたま(運悪く)ロシアと繋がることになったけれど、このWirecard社のCOOのオーストリア人ヤン・マルサレク氏は2010年頃からロシアの情報機関と繋がっていたそうで、彼こそ事実はフィクション(小説)より奇なり。彼は現在、国際刑事警察機構(Interpol )から国際指名手配中だそう。


それからWirecard社にショート投資をした投資会社Safkhet Capital社の若い女性お2人の話も出てくる。まさにハーパーの会社。彼女達はペンシルベニア州のWirecard社のオフィスも見に行って「大きなオフィスに30人しかいなかった」と言っている。スイートピーがアフリカにTender社を訪ねたエピソードと似ている笑。


『Industry』S4を見ていたので、このドキュメンタリーもドラマと比べながら見て楽しんだ(途中で少し寝そうになったけど)。それにしてもすごい話だ。ドラマを見ていた時は…Tender社が実質ほとんど利益を上げていないのに数字をいじるだけで5千万ドルでアフリカの会社を買収したり、その数字で成功を偽って10臆ドルの投資を要求していたり…そのような話は本当にあるのだろうか?と首を傾げていたのだけれど、このWirecard社の話はもっとワイルドですごかった。こういうこともあるのだなとただただ驚き。


このドキュメンタリーの中で日本のソフトバンクの Wirecard 社への9億ユーロの投資の話が出てきてびっくり。そういえばソフトバンク社は2024年にも米国に1000億投資するという話がありましたね。あれはどうなったのだろう?


2026年1月29日木曜日

映画『イカとクジラ/The Squid and the Whale』(2005) :自己中毒親の話・子供は被害者





----------------------------------------------------------------------------
『The Squid and the Whale』(2005)
/米/カラー
/1h 21m/監督・脚本:Noah Baumbach
-----------------------------------------------------------------------------



去年のクリスマスの頃に見た映画の感想を書くのが遅れている。今の政治が気になってそのことで気持ちが落ち着かないせいなのだけれど。なんとか思ったことだけでも記録しておこう。

クリスマスの頃…「家族がないから」と気分が落ちていた時。とにかく何か問題があったら「問題」をカーペットの下に掃きこんで忘れるのではなく、もっと掘り下げてみる。いい機会だから今回のクリスマスは「家族というもの」について考えてみようではないかと思い、暗い気持ちのままクリスマス仕様の家族映画をいくつか見てようと試みた。

これもNetflixのタイトルページに「おすすめ」で出てきたもののひとつ。離婚する夫婦の話らしいけれど家族の話ならいいだろうと視聴開始。


時代は1986年。舞台はニューヨークのブルックリン。お父さんはジェフ・ダニエルズ、お母さんはローラ・リニー、息子はジェシー・アイゼンバーグ…上手い俳優さんが並ぶならいい映画だろうと見てみた。いや~これは…とても苦しい映画だった。予告にあるようなコメディの雰囲気は微塵もない。深刻な映画だと思う。前知識も全くなく、現代の映画だと思って見始めたら俳優さん達が若い。調べたら2005年の映画だった。



まず見終わった後で調べた情報を書いておこう。脚本と監督はノア・バームバック/Noah Baumbach氏。この映画は彼の自伝的なストーリーだそうだ。時代は1986年ニューヨーク。1969年生まれのバームバック監督が16歳の頃、両親の離婚で傷ついたトラウマを映画にしたもの。この映画で彼はゴールデン・グローブ賞とアカデミー賞にノミネートされて注目を浴びた。

今までにバームバック監督が関わった映画は多数…Wes Anderson監督の『The Life Aquatic with Steve Zissou (2004)』『Fantastic Mr. Fox (2009)』の脚本を担当、その後『Frances Ha (2012)』『Marriage Story (2019)』で脚本と監督、『Barbie (2023)』では脚本を担当、最新作『Jay Kelly (2025)』では脚本と監督をつとめた。

私は『Marriage Story』を見たけれど、あれも離婚の話だった。このブログに以前私が書いた感想を読み直してみたら絶賛していた。そうそう…夫婦の問題がリアルに描かれていてうんうんと頷いた。『Barbie』も見たけれど、あの映画は女性の話としてはかなり頭でっかちに理屈を捏ねていて…内容に少し違和感があったのは男性であるバームバック氏が脚本を担当していたからだろうかとも思った。

ともかくこの監督は、家族だとか離婚だとかがライフワークなのかもしれませんね。この映画はその元になった彼の高校時代の両親の離婚を描いたもの。


感想。とにかくこの両親が酷い酷い酷い酷い…。とんでもない毒親。はぁ~溜息が出るほどに酷い親。あれじゃあ16歳だったバームバック氏の一生もののトラウマになったのも納得だし、彼の弟さんは行動までおかしくなっていてかなり心配になってしまう。あの話は本当なのだろうか。あれは弟さんの立場なら、公表されたら嫌なエピソードですよね。大丈夫だったのか?


父親Bernard Berkman…
ぱっとしない作家/大学の講師。文学の博士号を持っているせいなのか子供の学校の先生を子供の前で馬鹿にする傲慢な男。自分勝手。過去に2度離婚している。

母親Joan…
やっと雑誌に記事が載るようになり、いい評価を得るようになった新進作家。夫を裏切り子供のことを放っておいて心の向くまま好き勝手に生きている。その行動と言葉で子供を酷く傷つける。この人も自分勝手。

とにかく酷い親。

1986年と言えば私が学生だった頃。バームバック氏が1969年生まれなら私とそれほど大きな年齢差はない。

あの頃1986年の頃は、米国で1970年代頃からの女性解放運動がそれなりに形になって落ち着いてきた頃。その少し前の1970年代後期の米国では、女性の自立を謳い『An Unmarried Woman (1978)』や『Kramer vs. Kramer (1979)』などの映画がヒットしていた。当時は女性が自立をすること、妻の立場を捨てて自由になることがかっこいいこと…離婚が「女の自立」としてポジティブな行動であるとメディアが謳っていたのだろうと思う。

しかしながらそのような時代には自分勝手に生きることを「自由だ」と勘違いした女性もかなり多かったのではないかと私は思う。特にアメリカの白人のミドルクラスの女性達。このストーリーの母親ジョーンがあきれるほど自分勝手なのに驚かされる。


★ネタバレ注意


…どうなのでしょうね、私は古いタイプの日本の女なので、特にこの母親ジョーンのキャラクターには憤りを感じた。本当に酷い女。夫を裏切り「自由」を謳歌して自分勝手なだらしない行動をして子供を傷つけながら…さらには特に子供が見ている状況で「あなたが共同親権を望んだのは、そうすれば養育費の支払額が少なくてすむからよね。そのほうが安いからでしょ」と夫を怒鳴りつける場面!…にものすごい嫌悪感を感じた。あれは言ってはいけない。どれだけ子供が傷つくのか考えられないのか。

父親のバーナードはとにかく傲慢。自分の本がうまくいかないからイライラしているのだろうけれど、子供に「いい親であること」や「模範」を見せようとする意志は皆無。この人も恐ろしいほど自分勝手。ただ私が(この父親に)まだ救いがあると思ったのは、彼は荒っぽいけれど最低限子供の前では正直であることだろうか。どうかな。大学の女生徒との話は子供をますます傷つけただろうし…。


子供に暴力を振るうほどではないとはいえ、この両親は父親も母親も人として最低だと思う。「自由」を謳歌しながら夫を裏切り、子供をネグレクトで傷つけ続ける母親。またその傲慢さで子供に「嘘をつくこともOK」だと教えてしまう(これも)ネグレクトな父親。二人とも…子供を相手にしながら全てにおいて自分を優先する醜さ。最低。本当に二人とも最低の親だと思う。

唖然としながら最後まで見たけれど特に着地点があるわけではない。最後はなんとなく煙に巻かれたような気分で見終わった。それが悪いわけではない。監督・脚本のバームバック氏は、ただ「あの頃の自分に何があったのか」を記録したかったのだろうと推測する。両親の離婚の記録…最悪の両親の行動の記録…それだけでも大きな価値があるのだろう。

全ての俳優さんは演技であるのを忘れるほど。素晴らしいです。  


見ていた私達夫婦の反応で面白いと思ったのは、旦那Aが父親のバーナードを強く非難していたこと。彼の中に「正しい父親」の像があるからだろうと思う。私は反対に母親のジョーンに言いようもないほどの怒りを感じた。私の中にも「理想の母親」の姿があるからなのだろうか。

私の両親は私が多感なティーンの頃によく喧嘩をしていたが結局離婚せずに最後は落ち着いて仲良くなった夫婦。一方旦那Aは1980年代初期に両親の離婚を経験している。彼にとってこの映画はかなり胸に迫るものだったらしい。


私が個人的に思ったのは…あの時代に「自由」を求めたアメリカのミドルクラスの白人女性達の一部は(メディアに煽られたこともあって)かなり自分勝手な人も多かったのではないかなという印象。私が今までに出会ったアメリカの白人女性…特にベビー・ブーマの白人女性達の中にかなりアクの強い人がいて驚いたことが何度かある。

アメリカの女性達の中には…特に白人のミドルクラスの育ちのいいお嬢さんだった人ほど、時にモンスター級に自分勝手な人がいて驚かされることもある。ここにも以前そのような人のことを書いたことがある笑。彼女達はとにかくアクが強い。「自由」と「自分勝手」、「自立」と「自信」と「自己中」と「傲慢」を混ぜてしまったような人々は…まぁあまりお友達にはなりたくない。

この映画は私は父親よりもとにかく母親ジョーンのキャラクターに腹を立てた。

しかし子供を育てるのは難しいものなのだろうとも思う。どうすればいいのか…子供を持たない私に答えを見つけることはできない。

バームバック監督は映画界で成功しているし、彼の弟さんは現在コロンビア大学の比較メディアセンターの准教授をなさっているそうだ。よかったです。


2026年1月13日火曜日

映画『クリスマス・キャロル/A Christmas Carol』(1984) :ゴルフボールを忘れるな






----------------------------------------------------------------------------
『A Christmas Carol』(1984)
/英・米/カラー
/1h 40m/監督:Clive Donner』
-----------------------------------------------------------------------------



クリスマスの頃に煮詰まっていて…いや Thanksgiving の頃から煮詰まっていて…、じゃあなぜ煮詰まっているのかと言えば、それは私達夫婦に家族がいないから。

クリスマスは西洋では家族の日。日本のお正月と同じようなもの。決して恋人同士のロマンティックなディナーの日ではない。家族や親戚、友人などが一緒に休暇を過ごす…そのようなほのぼのとした「家族の日」。

その家族の日に「うちには家族がないじゃないか」と文句を言いながら、カタチばかりを整えてそれらしくクリスマス・ホリデーが通り過ぎるのを待つ夫婦。特にコロナの頃からか…この地では(以前は多かった)年末のライブやイベントも減ってしまって…毎年夫婦にとっての年末年始は、どうにもやりきれない退屈な日々になってしまっている。

そんなわけで1月の半ばの今日になってもまだクリスマスの文句を言っている。なんだなんだなんだ…


11月末に書いたこのブログの文で、私にはディケンズの『クリスマスキャロル』のスクルージ(意地悪爺さん)の気持ちがわかるかも…と書いた。『クリスマスキャロル』の本は読んでいないのだが、この爺さんのキャラのことはなんとなく知っている。小学校ぐらいに子供用に書き直された『クリスマスキャロル』風の絵本を見たような気がする。それ以外にもスクルージと言えば「意地悪頑固ジジイ」の代表的キャラとしてメディアなどで何度か見ることがあったかもしれぬ。

ともかくスクルージについて私が知っているのは…クリスマスに文句を言う意地悪頑固ジジイ。今年の Thanksgiving に私はこのキャラを思い出して「私はスクルージと同じかもね…」などと思った。もちろん私は人に意地悪はしないけれど、家族のホリデーに文句を言って機嫌が悪くなるのはあのキャラと同じ。

それならば今年のクリスマスはあらためて夫婦二人、スクルージに真正面から対峙しようと思ったわけです。もしかしたら私はよく知りもしないのに「スクルージスクルージ」と知った気になっていたのかもしれぬ。きちんと映画でも見て知識をまっとうなものにしようと試みた(本を読みなさい)。


というわけでAmazon Primeで一番評判のいい1984年版をレンタルした。この1984年の作品は、数多く存在する『クリスマス・キャロル』映画の中でも一番の高評価。それなら間違いないだろうと思った。

事前に予想していた内容は…、このスクルージ氏という人は、人生の途中でなにか不幸があったとか、傷ついた過去があったとか…なんらかの(理解できる)理由で、意地悪頑固ジジイになったのだろう…その彼の過去の話を知れば、彼の人となりや心情を察することもできるかもしれぬ。そのようなものを期待した。




★ネタバレ注意




ありましたね。彼が頑固ジジイになった理由。しかし思ったほど大きな…人生観を変えるほどのトラウマとか、苦しかった過去とか…の話ではなかったです。

単純に、彼がひねくれてしまった理由は

ケチだった。

これです。スクルージ氏は仕事に熱を入れ過ぎて、ある日ガールフレンドとのデートに遅刻してしまった。それでガールフレンドに振られてしまった。そしてガールフレンドは他の人と結婚して温かい家庭を築いた。それでスクルージ氏は家族のいない不機嫌な老人になってしまった。

基本的にはこれだと思います。それ以前にも理由はある。彼の厳しすぎた父親。唯一の味方だった妹が亡くなってしまったこと…などなど。もちろん(彼の会社の)共同経営者だったマーレイ氏が亡くなったことも大きかったのだろう。

しかし彼がこうなってしまった一番の理由は彼がケチだったこと。お金です。父親が厳しすぎて、家族との縁も薄く、不安だから、仕事を何よりも優先する…お金に執着するようになる…そのような性格だから次第に人が離れていき、スクルージはますます意固地になっていった。それがスクルージ氏が「ケチな頑固ジジイ」になってしまった理由のようです。

このストーリー『クリスマスキャロル』とは、そんな頑固ジジイのスクルージ氏に、亡くなった友人…(彼の会社の)共同経営者だったマーレイ氏が幽霊になって現れて、スクルージ氏に、彼の生き方を改めるようにと説得してくれる話でした。



この映画を見て

「ゴルフボールと瓶と人生」

の話を思い出した。内容は検索していただきたい。とてもいい話です。若い人にとっては特に大切なことを言っていると思う。


『クリスマスキャロル』とは「ゴルフボールを瓶に入れそこなった男の話」なのだろうと思った。ああ…まさにそれそれ。それですね。うちの夫婦もそうなの。うちも瓶にゴルフボールを入れなかったから年を取って家族のホリデーに文句を言っている。そのまんまです。(もちろん人によってゴルフボールの種類は様々)

スクルージは人生の優先順位を間違った人。彼がこだわったものは小石や砂だったわけだ。それで人生の瓶にゴルフボールが入らなくなってしまった。後悔しても後の祭り。だから皆が楽しむホリデーシーズンに不機嫌になっている。


うちもこれだ。この「ゴルフボールと瓶と人生」の話は、うちの夫婦が煮詰まるたびに毎回必ず話に出る。実に上手い例え話。この話を知ったのは5年ぐらい前ではなかったかと思うが、なるほど確かにそうだそうだと何度もうなずいた。

しかしもう年をとったからね。もううちの瓶にゴルフボールは入らない。だから後悔している。旦那Aのせいだと思う。あいつは軽薄に目先のことばかり考えて人生の瓶にゴルフボールを入れ忘れた。ものすごく迷惑。だから今も私から度々文句が出る。しかしこれからも人生は続いていくことも納得済み。しょうがない。


すでにわかっていたことを確認するような映画だった。いい話です。年寄りはともかく、若い人は知っておいたほうがいい話だと思う。この原作の本は1843年が初版だそう。182年も前に書かれた話なのに、今の時代にも通じる「人生の大切なこと」を描いている話。人間とは時代が変わってもあまり変わらないものなのだろうね。


2026年1月8日木曜日

映画『クロース/Klaus』(2019) :綺麗なアニメーション…最初はアメリカンな台詞回しがうるさい






----------------------------------------------------------------------------
『Klaus』(2019)
/西・英・米・墺・加・仏/カラー・アニメーション
/1h 36m/監督:Carlos Martínez López、Sergio Pablos』
-----------------------------------------------------------------------------



年末のクリスマス休暇の間に見た映画の感想文を書いていきます。

これはイブあたりだったかな?またまたNetflixで短めの映画を探していて…「まぁクリスマスのシーズンだからこれ見てみようか。1時間半ぐらいだし。スコアもいいみたいよ」などと言いながら見てみることにした。


綺麗なアニメーション。十分楽しめた。特にこつこつとおもちゃを作る寡黙なクラウス氏のキャラは魅力的。彼にまつわる奥さんとの逸話もいい。静かだから心に沁みる。彼の最後の場面はとても美しかった。一番心に残った。

このクラウス氏に関する話があまりにもよくて(キャラクターも魅力的で)、このクラウス氏の話がこの作品の高い評価の理由なのかと思った。しみじみ。


この作品はすごく高い評価を受けているのですよ。インターナショナル・ムービー・データベース(IMDB)では8.2/10点。Rotten Tomatoesではなんと95%の評価。大変な高得点。この作品はスペイン製だそうです。オリジナルの言語はスペイン語なのだろうか?

このストーリーはオリジナルなのかな?今まで聞いたことのない話なのでたぶんオリジナル。


最初の数分は、脚本の…主人公ジャスパーのいかにも現代のアメリカンな軽々しい若者の台詞回しにイライラした。もうちっと落ち着いて欲しい…好き嫌いだからしょうがない。苦手なのよあのような五月蠅い台詞回し。自意識過剰気味の…身の回りの全てと自身の感情を台詞で全部説明する(言葉なのに)オーバーアクションな台詞回し。俳優さんの声のせいではないと思う。あれは脚本のせいでしょう。

台詞回しに慣れれば、ストーリーに集中して楽しめるようになる。なんとあのクラウス氏の声は、ちょっと前に見た映画『Whiplash』のスパルタン教師の J. K. Simmons さんなのですね。ちょっとびっくり。


後半で出てきた英語を喋らない子供 Márgu…北欧のサーミ人の人々の描写があって、その子供が本当に可愛い。実際にあの言語はサーミの言語だそうです。あの子のあどけない声にほんの少し目の小さなお顔が本当にかわいい。和む。

ということは…私はクラウス氏とサーミの女の子のキャラがよかったということかな。Márguちゃんが本当にかわいかった。


それ以外のプロット。島の村が半分に分かれて暴力的に戦っている設定はよく解らない設定。争う理由もあまりよくわからくて…ただ伝統だから戦ってるのかな?無駄ですね。なんだか今のアメリカの政治の世界みたいだ。けけけ。


楽しかったです。楽しめた。サーミの女の子が本当にかわいいかった。クラウス氏の奥さんとの逸話はちょっと涙が出た。


2025年12月22日月曜日

映画『コネチカットにさよならを/The Land of Steady Habits』(2018) :完璧な人生…成功者の闇






----------------------------------------------------------------------------
『The Land of Steady Habits』(2018)
/米/カラー
/1h 38m/監督:Nicole Holofcener』
-----------------------------------------------------------------------------



旦那Aがクリスマスの休暇を取っているのでまた一緒に映画を見る。もう殺人事件もスーパーヒーローもいらないから「普通の人々」の話が見たい。普通の人々の普通の話。またまたNetflixを探していたらそれらしい映画が出てきた。この映画も1時間半ぐらいの長さ。いいですね。どうやら中年男のミッドライフクライシスの話らしい…。


この話は、米国東海岸のWASP/White Anglo-Saxon Protestant(必ずしもWASPである必要はないが、成功者の人生を送ってきた男)が、その頑張り過ぎた人生から逃げ出す話でしょうか。コメディとしては結構暗い。


最初は単なる中流階級サラリーマンのミッドライフ・クライシスの話かと思っていたのだけれど、この映画に出てくる人々は中流ではない。大変裕福な生活を送る人生の成功者の話。

主人公アンダース・ヒルの住む場所はコネチカット州のウェストポート。主人公はすでに退職しているのだけれど、以前は金融業界に勤めていた。ウェストポートとは、住人がNYマンハッタンのウォールストリートまで電車で通勤できる距離で、金融業界で成功した者の多くが落ち着く土地のひとつだそうだ。コネチカット州のグリニッジの辺りにもまた金融関連の会社が多く、NYに近いグリニッジからウェストポートの辺りまでは富裕層が住むエリアとして知られている。

この主人公アンダースもまさにそのような土地に住む成功者の一人。元ウォール・ストリート勤めの退職者。しかし離婚して家族で住んでいた豪邸は妻に与えた…その家はおそらく350万ドルぐらいだろうか(5億円以上?)。豪邸です。5ベッドルームの大きな家。広大な土地にプールもあるのかな。そのような豪邸に暮らすためには家の維持費も大変。税金や保険もとんでもなく高い。そのような家に10年20年も住む人々は大富豪。普通の一般人の感覚とは全く違う人々だと思う。


ウォールストリートで大成功してウェストポートに豪邸を購入(ローンはあるが)。近隣には弁護士なども多く、周りの家全てが富裕層。そのような土地に住む家族は夫も妻も優秀な人々。子供も私立のいい学校に入れて…寄宿制ボーディング・スクールに入れたりする(=子供が面倒なティーンになった頃に都合よく家から追い出してしまう)。5ベッドルームの家は美しく整えられて、調度品の全ても品よく収まっている。妻は度々30人以上集まる立食のパーティーを催す…彼女は優秀なホステスになって多くのゲストをもてなすのがお決まり。妻も夫も「成功/サクセス」の言葉の元に努力を惜しまない。彼らは常に「勝たなければならない、正しくあらねばならない」。そのためのハードワークは当り前、清く正しく日々勤勉(WASPの信条)、どこまでも正しい人生を走り続ける。諦めることなど決してあってはならない。人生は必ず成功させなければならない…。

ふぅ…書くだけで疲れる。

アメリカの東海岸の中流階級以上の人々というのは多かれ少なかれ真面目で勤勉。プロテスタントの信条でしょうか…真面目に働いて清く正しく生きる…その信条を貫くために、アメリカにはかなり堅苦しい生き方をしている人が多いと私は思う。普通の中流階級でも東海岸にはそのような人々がかなりいる。



そしてもし彼らが普通以上に大きな成功を目指すのであれば…彼らはただHardworkなだけではない、彼らは間違いなくDriven、Commited、そしてExtremely competitive。そして仕事だけではなくジムにも通って筋肉をつけ、それでもまだ足りないとトライアスロンに挑戦したりする…彼らは超人を目指すような人々。そして成功の証明=お金を稼ぐ=裕福であることは何よりも大切。Greedなどという言葉も1980年代のヤッピー(Young Urban Professionals)の時代には「美しい」とさえ言われていた。


この映画の主人公は50代前半ぐらいでしょうか。彼らはヤッピーには遅すぎた世代。ヤッピーに憧れた世代なのだろう。頭も良くいい大学を出て、ウォールストリートでインターンから始めて、周りと競争しながら努力努力を続けた。必死になって成功を追い求め続けた。走り続けた。

時代が変わってヤッピーの時代が終わっても、彼らは次の目標を見つけて努力をし続ける。優秀な女性と結婚したら夫婦共に高みを目指す。妻は富裕層の住む郊外の土地に大きな家を求め、メルセデスを運転し、子供をいい学校に入れることも当然。そのために夫は馬車馬のように働く働く働く。

そしてこの主人公は燃え尽きたらしい。


この話は、完璧な成功を求めて働いて働いて働き続けた男アンダース・ヒルの…張りつめていた糸が切れたところから始まるストーリーだと思う。燃え尽きて奥さんとも別れ(豪邸は奥さんに与えて)彼自身はそのハイ・スタンダードの生活から逃げ出して、こじんまりとした小さな家を買って新しい生活を始めた。

普通の生活をして見えてくる…彼の過去の生活での歪み。裕福なら裕福で…その高い生活レベルを保つために無理をし続けることで様々なゆがみが生じてくることもあるのだろう。アンダースの息子プレストンは名門ノースウェスタン大学を卒業したにもかかわらず、ドラッグ中毒になってリハビリセンターに送られた過去がある。彼はその後もまともに就職もせずにふらふらしている。またアンダースの元・隣人アシュフォード家の息子チャーリーは、ボーディングスクールにいる間にドラッグ中毒になった。チャーリーはあまりにも厳しい両親をナチと呼び嫌う。

アンダースが逃げ出したかったのは「完璧な郊外の家」「さらなる高みを目指すために限りなく要求する妻」「堅苦しい成功者ばかりの美しい家並み」… 全てが成功の証明のための…美しく完璧な人生。彼はその全てから逃げ出したかったのだろう。



過剰なまでに極端に成功を求め続けることで生じる闇

…そのようなものが描かれているのだろうと思いながら見終わった。面白かった。私は以前からアメリカのプロテスタントの「真面目に生きなければならない、正しく生きなければならない」と型にはまった生き方しかできない堅苦しい人々がとても苦手(嫌い、マジでぞっとする)なので、なるほどなるほど…やっぱりそうだよねなどと思いながら見続けた。
  

成功者でいるのも大変ですね。
おつかれまです。
人生もっとゆるくてもいいと思う。


チャーリーが一番同意できる。
彼は面白いアーティスト。
あの才能を伸ばしてあげたい。
(海亀は美大出)


2025年12月20日土曜日

映画『セッション/Whiplash』(2014) :よく出来た映画、しかしスパルタ式には向き不向きがある





----------------------------------------------------------------------------
『Whiplash』(2014)
/米/カラー
/1h 46m/監督・脚本:Damien Chazelle』
-----------------------------------------------------------------------------



昨日鑑賞。Netflixの映画リストで見つけて、これも2時間以内だったので見てみようということになった。2015年の米アカデミー賞では最優秀助演男優賞を含む3部門で受賞。そのこともあって以前から見ようと思っていた映画。

映画としてとても面白かったです。

緊張感がいい。複雑にならずにストーリーを先生と生徒の話に絞ったのがいい。1時間50分以内でピリッと緊張を保ったままストーリーの軸がブレなかったのがとてもよかった。(こういう映画は色々とサイドストーリーを広げて2時間以上にすると焦点がぼける).



ストーリーの主軸は、

生まれ持った才能のある生徒/その自覚もある/努力家で真面目/真剣で勤勉だが/尊大で/大きなプライドと/アティチュード(気概)もバリバリの…若いドラマー。

アンビシャスな教師…自分の特殊な指導方針が「歴史に名を残す偉大なアーティストを育てることが出来る」と心の底から信じている傲慢な教師。

この二人が1時間以上をかけて戦い戦い戦い続ける映画。その戦いが面白いから…それぞれのエネルギーが上になったり下になったりするので…目が離せない。大変緊張するし、心つかまれる映画。よくできてます。



どうだろうな…、この映画を見て「世界的なアーティストを育てるにはこれぐらいの昭和のスポコン的な「しごき」が必要のか」と感心する人はいるのだろうかと思った。それでも最後はいい気持ちで見終われるのでね。映画にもいい印象が残ります。



しかしあの鬼教師の指導方法はダメやろう…と年寄りの私は思った。

あのやり方ではほとんどの生徒が潰れますね。実際にそのような話も出てくるわけで。「あれが音楽のいい指導方法か」という問いには全く同意できない。あれはダメです。

あの先生はナルシストでしょう。「俺だけがこの卵を可愛がって…叩いても叩いても立ち上がってくる、俺についてこれる奴だけが世界に通用するアーティストになれる」…などという信念を長い間信じ続ける男というのは、生徒を育てることよりも、自分の指導方法を無理矢理無垢な生徒に押し付けて悦に入ってるサディストでしょう。

あの教師は最初から最後まで下衆野郎。 
芸術のために全てを捨てた…とても歪んだ人物に見える。

それは私が年寄りだからわかる。

あの教師は今までにもあの abusive な指導方法で問題を起こしているはずなのに、決してあの指導方法を止めない。それは彼がナルシストだから。「俺にしか本物の才能は見えない。俺のやり方でしか抽出できない才能がある」と思いこんでいる自己満足。


この映画を見ていて思い出したのは軍隊の指導教官。映画なら『フルメタル・ジャケット/Full Metal Jacket』『愛と青春の旅立ち/An Officer and a Gentleman』の教官のしごき。しかしあれは軍隊の話。ミリタリー・スクールは軍人を育てる学校…厳しいトレーニングで軍人の強靭な精神力を導き出す目的がある。だから軍隊には厳しいトレーニングも必要なのだろうと思う。
…旦那Aによると、この映画のような厳しいトレーニングはスポーツならいい結果が出ることも多いそうだ。アメリカのテニス・コーチに有名な鬼指導員がいたらしい。スポコンですね。


しかしこの音楽学校はミュージシャン、アーティストを育てる場所。クリエイティビティを育てる場所。あのような虐待で生徒を叩いても、あまりいいものは出てこないと私は思う。

どうでしょうね。私が今書いていることが正しいのかどうかもわからないけれど…。しかし音楽の指導に(いや芸術の全てに)私は abuse/虐待が必要だとは思わないのよ。歴史に名を残すほどの天才の才能は、虐待をしなくても出てくるときには出てくると思うから。モーツァルトの才能が酷い虐待から生まれたとは思えない(よくは知らないが)。そもそも天才は世の中にそれほど多くいるわけでもない。

この映画を見ていてそのようなことを考え続けた。
芸術の才能は叩いて虐待して出るものじゃないと私は思う。


この先生を見ていると…もし(今の)私が彼の生徒だったら、ただ反抗、抵抗しかしないと思う。人をあのように扱う人間には怒りしか湧かない。今の私なら徹底的に言葉で戦ってたぶん殴る。しかしもし18歳だったらきっと恐怖で萎縮する。


この映画は、あくまでも教師と生徒のバトルの話。最後にいい結果になったのは、鬼教師と生徒の相性がよかったからだろう。確かにあの生徒の馬鹿力は引き出せたわけで目的は達成。会場で観客を無視してソロを続けさせるとか…あまりリアルではないと思うけれど、それでもとてもいい気持ちで映画を見終わることが出来たのはいい。ファンタジーとも言える。


それにしてもあの生徒もなかなか傲慢な若者で…友人だか親戚だかとの食事会でも、傲慢かまして鼻持ちならない。おじさんに「友達はいるのか?」と聞かれて「友達はいらない。俺は世界一の…」等々と言い返していきり過ぎ。「おれは世界一のドラマ―になるから他の奴らはみんなゴミなんだよ」的なことを考えてるし、人前で口にもするし…なかなかアンビシャスな若者で… 君、あおいね笑。 

いやいやいやいや…彼の若さからくる傲慢さを否定するわけではない。若い時はそれくらいの傲慢さも必要。それが頑張りの活力になる。


彼が先生に殴りかかったのはすっきりした。あのような下衆野郎は殴ってよろしい。もしそれで学校を追い出されたら、西海岸の学校に入り直せばいいんじゃないの? 彼は元々の才能があるんだから。一つの学校、一人の教師に人生を賭けてこだわる必要はない。

まぁ色んな事を考えさせられました。とても面白かったです。
音楽学校を出たプロのミュージシャンの感想も聞いてみたい。


青年よ、大志を抱け!!!


2025年12月11日木曜日

映画『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ/KPop Demon Hunters』(2025) :あっぱれ!アジアのソフトがここまできた!





----------------------------------------------------------------------------
『KPop Demon Hunters』(2025)
/米・加/カラー
/1h 35m/監督・脚本:Chris Appelhans, Maggie Kang』
-----------------------------------------------------------------------------



今も大ヒット継続中だそうです。Netflixの『KPop Demon Hunters』。

私は普段から欧米の音楽の情報を集めていて、時々ビルボードのチャートをチェックしたりするのですが、このアニメ映画からのサウンドトラックが欧米でものすごい大ヒット。主題歌の「Golden」がビルボードのシングルチャートに初登場したのが7月5日。そして8月16日に1位。現在のシングルチャートは新旧のクリスマスソングだらけで普通の状態ではないのですが、それでもこの「Golden」は5位。チャートインしてからすでに24週間(6カ月間)にもなるそうだ。とてつもないモンスター級の大ヒットだと思います。

この歌のことは以前からチャートで見ていたし、1カ月前ぐらいまでは同作品のサウンドトラックから数曲が同時にシングルチャートにチャートインしていたと思う。作品全体が大変な大ヒットなのでしょうね。

なんとなく今まで延ばし延ばしにしていたのだけれど、数日前にXGの「GALA」でK-POP業界界隈の力を実感したのでこの映画も見てみようと思い立った。先週の週末に鑑賞。


面白かったです。ぶっちゃけ世の中がひっくり返るほど素晴らしい大傑作だとは思わなかったけれど(スマン)十分楽しめました。画面が今どきの映画らしくゲームみたいで飽きないし、曲もキャッチーで楽しい。なによりもアジアテーマのアニメーションが今どきの欧米の若者達に刺さるのがおもしろいなぁ…と感慨深かったです。

女の子3人のアイドルグループ「Huntrix」のメンバーはいかにもアメリカンなキャラですが、設定は韓国の国内なのかな。K-POPのアイドルの女の子3人が、デーモン(悪霊)を退治する…というお話。どうやら地下か異次元だかに、デーモン達(鬼のようなものか?)が暮らす世界があって、そこに(姿は見えないけれど)炎のような大王がいて現世界にデーモン達戦士を送り込んでくる。その戦士たちとは…。


なによりも全篇にK-POPが沢山で楽しかったです。女の子達はかっこいいし、アイドルの男の子達がいかにもK-POPの綺麗な細マッチョの男の子達笑。それにしてもあのパキパキの胸筋は、欧米の女の子達が好きなのかしらね。

猫の妖怪がいかにもアジアの装飾品のようなお顔で面白い。ちょっと猫バスも思い出した。あ、そうだ、紫の魑魅魍魎がうにゃうにゃ出てくるところも宮崎アニメに似ていますね。この韓国テーマの3Dアニメも日本のジブリも、西洋にはない「妙なもの、面白いもの」の造形やクリエイティビティが、欧米の若い人達に受けているのだろうなと思った。。


欧米の若い人々にとってはアジア発のアニメやゲームは、もう普通のエンタメなのでしょうね。思えば、旦那Aの親戚の小学生の男の子が2000年頃にポケモンカードを集めてました。その世代が、今はもう30代後半の年齢になっている。今どきの日本のアニソンの歌い手が世界でもライブをやってウケているのは、欧米にアジアのソフトが十分に受け入れられているということなのでしょうね。沢山の欧米の人々が(私の全く知らない)日本発の文化を楽しんでいるのだろうと思います。ちょっと感慨深いです。

そのような背景で、この『KPop Demon Hunters』も大ヒットしたのだろうと思います。韓国のK-POPが長い時間をかけて世界に発信し続けたこと。それから昨今の韓国の映画やドラマの大ヒットも同じ。大量に絶え間なく発信し続けた韓国/アジアの文化が、やっと欧米(世界)で歓迎されるようになった。それは本当に凄いことです。K-文化の成功は一日にしてならず。大きな拍手。


私は韓国の文化が世界に広がることはありがたいことだと思ってます。欧米は長い間自分達の文化以外の異文化を受け入れなかったのに、ここにきてアジアの文化が「ちょっとかっこいいこと」になりつつあるのかもしれません。それは本当に本当に喜ばしいことです。

(私は個人的には)文化の上では日本とか韓国とか中国とか…アジア内で喧嘩している場合ではないと思ってます。アジアの一つの国の文化が西洋で受け入れられれば、他のアジアの国々も恩恵を受けます。今まで頑なにアジアを下に見てきた欧米で、Kが流行ればJにも扉が開くということです。だからこの映画の大ヒットは私はとても嬉しい。  

日本の「将軍」の大ヒットもそうだし、韓国の「イカゲーム」もそう。K-POPもJ-POPも海外にどんどん出るようになった。野球の大谷さんも山モーロも…アジア人の生み出す作品やスター達が西洋で頑張ってくれれればアジア全体の印象が上がっていく。そのことが私はとても嬉しい。

もうそろそろ…西洋よりアジアの方がかっこいい…と思われるようになってもいいよネと私は思います😊


元々このブログを始めたのは「Perfumeが日本でこんなに面白いことをやってるのだから西洋に出るべきだ」と言いたかったから。あれから14年も経って、アジアのソフトもここまでいけるようになったのだね…とちょっと感動してます。


全篇英語劇ですが、ボイスオーバーをしているのはほぼ韓国系の俳優さんの方々。ダニエル・デイ・キムさんとかケン・チョンさん、イ・ビョンホンさんなどの有名な俳優さんもいる。声だけなのに韓国系の方々ばかりを集めたのも、今どきの authenticity へのこだわりもあるのでしょうね。


それにしてもあの韓国の魔界(?)とは、韓国の歴史や伝統的なストーリーとして存在するものなのでしょうかね。日本の鬼みたいなものなのかな。この作品はこれだけヒットしたのだし、これからも続編がありそうですね。


2025年11月18日火曜日

映画『Jane Austen Wrecked My Life』(2024) :フランス人の見るラブリーな英国






----------------------------------------------------------------------------
『Jane Austen a gâché ma vie/Jane Austen Wrecked My Life』(2024)
/仏/カラー
/1h 38m/監督・脚本:Laura Piani』
-----------------------------------------------------------------------------



フランスの映画です。Netflixで鑑賞。

ここのところ毎日米国の政治関連のテレビばかり見ていて、娯楽の映画やドラマを全く見ていなかったので、1時間半ぐらいの気楽に見れそうな映画はないかとNetflixを探していて見つけた。フランスのロムコムならきっといい感じだろう。

本好きの心をくすぐる設定。主人公のAgathe(アガッtと発音してますね)はパリの英語の本を扱う本屋「Shakespeare and Company」で働く若い女性。この本屋は昔、映画『Before Sunset』にも出てきた実在の本屋。

Agatheは小説家の卵。彼女の妄想文を同僚で男友達のフェリックスが無断で英国に送っていた。それが受け入れられ、彼女は「Jane Austen Residency」…英国の作家ジェーン・オースティンの家での2週間の滞在(小説家の卵やアーティスト向けの合宿のようなもの)を許される。フランス人Agatheと風変りな英国人たちとの交流、そして恋の行方を描く。


滞在するのは18世紀の作家ジェーン・オースティンのカントリーの自宅。この「Jane Austen residency」は現実でも「Jane Austen House Creatives in Residence program」として行われているそうだ。(撮影に使われたのは違う建物)

https://janeaustens.house/



フランス人女性が一人、英国の美しいカントリーに滞在する話。この映画に描かれている英国は、フランス人の女性がロマンティックに夢見る英国の姿なのかなと少し思った。

出てくる人々それぞれが皆エキセントリック(変わり者)な愛すべき人々。フランス人の見る…いかにもステレオタイプ的な英国の人々が出てくる。特にヒュー・グラント風の無骨なオリバーはいかにも英国の男のステレオタイプだし、彼の叔母もいかにも優しくラブリーな英国のお婆ちゃん、アーティステックでエキセントリックな叔父も英国人のステレオタイプなのだろう。


それにしてもこの映画は、英国の風景を撮っているのにどこかフランス映画の風景に見えてしまうのが不思議。全体の色合いも綺麗だし、いかにもお洒落な映像…フランス映画のようだと思った。田舎道を自転車に乗って走る女性の姿は、以前他のフランス映画でも見たと思う。英国式の古臭い花柄のインテリアもフランス人が撮ればラブリー。同じ風景でも英国の監督が撮ったら印象が全く違うのではないかと思う。フランス人にはフランス人なりの風景の捉え方、撮り方があるのだろうと思う。それが面白いなと思った。

フランス映画といえば…いつもロマンティックな男女のシーンの撮り方が上手いと思うのだけれど、この映画も(19世紀がテーマの)パーティーのダンスのシーンの二人の様子はなかなか熱っぽくていい。男女が見つめ合うシーンなどなど…フランス人は男女の場面を撮るのが上手いなといつも思う。だからおフランスは素敵なのね…などと私達外国人は現実も知らずに憧れてしまうのだろう。

音楽はシューベルトのピアノ曲が数曲、舞踏会のシーンではストラウスとワルトトイフェルのワルツが流れる。全体に音楽も心地よい。あんな風に皆いきなりワルツを踊れるのもすごいねと思ったけれど、あれは映画だからなのだろうネ。


フランス人が書いた脚本のせいなのか、役者の問題か、妙な台詞や微妙な芝居もところどころあったけれど、全体に微笑ましいストーリーで楽しめた。1時間38分で比較的短いし気楽に見れるのもよかった。今どきのいい映画と言えば2時間超え~3時間近くの長い映画が多くて、作品を見ることさえなかなか思いきれないのだけれど、これくらいの長さのお気楽に楽しめる映画ももっと撮って欲しいと思う。


この映画のように…欧州圏でも文化の違う人々が惹かれあうというのは実際にあるのだろうなと思う。お互いの違いが魅力的に見えてくるのだろう。可愛いフランスの女の子に惹かれる英国人男は沢山いるだろうし、また無骨な英国人男にちょっとだけ惹かれるフランスの女の子…というのは結構いるのだろうなとも思った。


2025年9月28日日曜日

映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :3回目…エレンは誘う女だったのか?そして不器用な男の普通の一生



----------------------------------------------------------------------------
『The Age of Innocence』(1993)/米/カラー
/2h 19m/監督:Martin Scorsese』
-----------------------------------------------------------------------------



まだまだ続く『エイジ・オブ・イノセンス』祭り。その3回目。

この映画は一旦はまってしまうと色々なことが気になって、また見直せば新しく気付くことが出てきて、なかなか止められない。旦那Aが原作を読み始めたので、それでまた食事中によくこの映画のことを話しているのだけれど、気になったことが出てきたので早速購入したBlu-rayを見てみることにした。

人物達について、また新たに付け加えたいことが出てきたので書いておこう。1回目と2回目の感想で気付かなかった(文に書けなかった)人物の印象を改めて書き加えておきたい。自分用のメモで映画のストーリーを追っているので文章が長いです。年寄りは文章が長い。


この映画(小説)の面白さは心理描写の巧みさ。男女二人がゆっくりとゆっくりと近づいたり離れたりする…その様子をまったりと見る話なので退屈だと言えば退屈。しかし鑑賞する者が年齢を重ねていれば(物事を時間をかけてじっくりと見ることができれば)その心理描写の巧みさには心の底から驚かされる…そのような映画。100年以上前に書かれた小説なのにその心理描写のリアルさに本当に驚かされた。

この感想3回目は、主人公のニューランドとエレンの心の変化を追う。同じ時間の経過でそれぞれがどのように考え、お互いに反応し合っているのか、(ニューランドの結婚までの)彼らの行動を個別に追ってみようと思った。。

長いです。



★全篇ネタバレ注意



◆ エレン/マダム・オレンスカは誘う女だったのか?

ここに以前書いた感想で私は1回目は「エレンに色気が足りない」、そして2回目は「いや彼女はただただ孤独な悲しい女なのだ、傷ついた小鳥のようだ」と書いた。…しかしやはり彼女はそれだけでもなかったですね。

Blu-rayを見直したら彼女はかなり大胆な女性でもあった。そこがこのエレンの複雑なところ。


実際にエレンの内面は(ここで2回目の感想で書いた通り)ボロボロに傷ついている…欧州の生活に馴染めず、救いを求めてNYに帰ってきたらNYの社交界にも拒絶されてしまった。彼女はどこにも行き場所がない。ニューランドを「明日5時にうちに来てね」と突然家に招いて会話をしていたら、すぐに本音が出てエレンは彼の前で泣いてしまう。彼女は驚くほど弱ってます。


しかし表面では…社交の場での彼女は、お堅いNYの人々が眉をひそめるほど大胆で型破り。オペラのドレスも相応しくない。(まだ再会したばかりの)ニューランドにも突然「子供の頃あなた私にキスしたのよ」と茶目っ気たっぷりに笑いかける。

街の有力者が彼女をパーティーに招けば、派手なドレスを着て悠々と遅刻してやってくる。そしてあちらで男性と会話をしていたかと思えば、部屋の向こう側に顔見知りのニューランドを見付けて自ら部屋を横切りニューランドと二人きりになって話し始める(ルール違反の行動)。そしてニューランドと話し始めれば「メイとは本気なの?」などと失礼でストレートな質問をする(NYではありえない質問)。彼女は本音しか言わない。そしてニューランドにたしなめられるとエレンは一瞬で傷ついた顔になる。

彼女はあまりにもストレート。正直で感情もすぐ顔に出る。その正直でストレートな性格は、お堅い保守的なニューヨークの社交界には受け入れられない。そのことを彼女もわかっていて苦しんでいる。


パーティで彼女はまた大胆にも突然「明日5時に待ってるわ」とニューランドを家に招き、翌日は二人きりで腹を割って会話をする(これもルール違反だろう)。そして自分は「ニューヨークに受け入れられていない」こと、ニューヨークは「道路が真っ直ぐなように人ももっと正直だと思ってた。誰も本音を言わないの?」ニューランドが「皆あなたを助けようとしている」と言えば「私がめんどうを起こさなければね、本当に寂しいのは優しい人達も私にいい人のふりをするよう要求してくること…(意訳)」と突然涙をこぼす。

彼女は感情がふらふらと揺れていて予測不可能。精神的に崖っぷちに立っているのだろう。


欧州帰りのエレンは、当時のNYの上流階級の…本音と建前を使い分けるのが当り前の社会…全てがよそよそしく、会話も社交辞令ばかりで誰も本音を言わない。そしてその裏側では皆がひそひそと噂話をして、決してよそ者を受け入れない…そのような社交界に馴染めず苦しんでいるのだ。

ここでの2回目の感想で私は「彼女はもともと太陽のように明るい女の子だったのだろう」と書いた。子供の頃から大胆でよく笑う明るい女の子だったのだろう。子供の頃なら彼女もその陽気さでNYの大人達にも可愛がられたのだろうと思う。

しかし大人になった今、彼女はただただマナーを知らない、外国帰りの、異質の、問題を起こしそうな、ふしだらな、そして離婚しそうでスキャンダラスなアウトサイダーになってしまった。NYの狭い社交界は彼女の帰郷を歓迎していない。彼女は社会の平和を乱す問題のある女だと受け止められている。


彼女がニューランドを大胆に家に誘ったり、突然彼の前で涙を流す姿を見て、「エレンは婚約者のいるニューランドを誘う悪い女なのか」と受け取る人もいるかもしれない。しかし私はそう思わない。彼女のあの…男性に戯れかけるような誘うような笑顔は、長年の欧州での寂しさからいつの間にか身についた習慣、癖のようなものだろうと思った。

彼女は美しい。彼女が笑いかければ優しくしてくれる男性はいくらでもいる。欧州の生活でとても孤独で友人もいなかった彼女は、いつしか優しそうな男性を見かければ花のような笑顔で笑いかけ、その場限りの浮ついた会話をすることが癖になってしまったのだろう。

…私には見えるのだ。彼女が欧州の貴族ばかりの集まるパーティーで、誰にも相手にされずにぽつんと一人ソファーに座っている姿が。そんな時にたまたま声をかけてくれた親切な優しい男性に最高の笑顔で笑いかければ、とりあえずはその場の会話の相手を確保することも出来たのだろう。

だから、彼女のニューランドに対する大胆なアプローチは、彼女にとって最初はそれほどの意味はなかったのだろうと思われる。彼女はただ正直に本音が言える友人が欲しかっただけ。幼馴染のニューランドなら彼女も心を開いて正直になれる…友人として話ができると思ったのだろう。


最初に彼女がニューランドを意識したのは「黄色い薔薇」だろうか。ニューランドの最初の訪問時に、彼女は涙を流した。その後ニューランドは親切心で薔薇を贈ったのだが、エレンはその薔薇のことをメイに話していない。


そして今度は弁護士のニューランドがエレンの離婚に関するアドバイスをすることになった。ニューランドはまたエレンの家を訪ねる。そこでエレンは厳しい現実(NYで離婚をするのは世間体が悪くエレンは社会的立場を失うこと)をニューランドから告げられる。エレンはまた傷ついた顔をする。しかしまた同時に、ニューランドが(弁護士として)彼女の欧州での問題の全てを知ったことは、彼女がニューランドにますます心を開くきっかけにもなった…「ニューランドには何も隠すことはない」。

その後のある夜に皆で芝居を見ている。その日、メイは冬の寒さを避けてフロリダのSt. Augustineに滞在中で不在。ここでエレンは初めてニューランドを意図的に誘う。「あの芝居の恋人は彼女に黄色い薔薇を贈るのかしらね?」ニューランドも「そう考えてました」と戸惑いながら告げる。「メイがいない時は何してるの?」(←完全に誘ってます)。「仕事してます」と戸惑いながら答えるニューランド。そしてエレンは「あなたには感謝してるのよ」とニューランドを見つめながらすがるように告げる。エレンはこの場面でニューランドを誘ってます。誘惑してる。


ニューランドはその夜、黄色の薔薇を彼女に贈ろうとするがあいにく花屋に黄色の薔薇はなかった。直ぐに連絡をするがエレンからは返事が来ない(←彼女は相手を押して、引いて、焦らして…)。そして3日後にカントリー・ハウスにいるエレンから手紙が届いた「あなたがここにいればいいのに」。直ぐにニューランドはいそいそとエレンに会いに行く。

この家の中で、エレンはニューランドの後ろから近づいて手を繋ぐ。ここで彼女もニューランドに情が移ったのだと思った。

その後突然、ニューランドはフロリダで休暇中のメイを訪ね結婚を急ごうと話をしている。真面目な堅物の彼も自分の心の動きに大変迷っているのだろう(後述)。

その後、祖母のミンゴット夫人の家でエレンとニューランドは一瞬すれ違い、すぐにまたエレンの家での密会。ここで二人はしっかりと抱き合う。エレンは「欧州の夫から離婚をすれば、メイとニューランドの家族の家名に傷をつける。自由になれない。しかしそれは辛い。でもニューランドは私を助けてくれた」と泣く。

そしてニューランドとメイの結婚が決まる。



◆ 真面目な普通の人ニューランドは戸惑い迷い優柔不断(リアル)

まずこのキャラクターの特徴は真面目なこと。とにかく真面目で堅物。彼は(何事も変わることのない安定した、しかし窮屈な)NYの上流階級で育った真面目な男、職業もお堅い弁護士。きちんとした家で育ち成績も優秀。良家の娘メイとの結婚も決まっていて、最初は自分の安定した人生になんの疑問も抱いていなかったと思われる。冒頭のオペラの後の舞踏会でも婚約者のメイをとても愛している様子が描かれている。彼はまさになんの濁りも無いまっとうな人生を歩き始めようとしていた。


そこにエレンが現れる。エレン/マダム・オレンスカは彼の婚約者メイの従妹。欧州帰りの型破りでルール破りな彼女は彼の幼馴染だった。オペラ座でエレンに久しぶりに再会した時、エレンは突然「あなた子供の頃私にキスしたのよ」とニューランドに笑いかける。ニューランドはただ戸惑っている。ちょっとドキッとしたかもしれない。しかしその場面はそこまで。


次に街の有力者のパーティー。エレンは(NYにあまり友人がいないからだろう)ニューランドを遠くに見つけると、それまで話していた男性から離れて部屋を横切ってニューランドに会いに来る。ニューランドはドキドキしている。そこで二人は昔からの友人のように親しく話し始める。彼女の言葉はストレート。上品とも言い難い内容。欧州からのゲストの悪口を言って笑い、そしてニューランドに「婚約者のメイとは本気なの?」と失礼なほど直接的な質問を投げかける「メイとの結婚はアレンジされたわけじゃないの?(意訳)」。その言葉にニューランドはびっくりして言葉を返す「ここではアレンジなんてことはないんですよ」。その言葉を「拒絶」だと受け取ったエレンは一瞬で傷ついたような顔をする。それを見てエレンに謝るニューランド。彼はあくまでも紳士なのだ。

この時のニューランドの表情が秀逸。まるで綺麗なお姉さんと嬉し恥ずかし…初めてお話しをする中学生のような顔をする笑。エレンの隣で照れて照れてにやにやと薄笑いを続けている。上手い役者さん。エレンの振舞いのひとつひとつに驚きながらもやっぱり彼は綺麗でエキサイティングなエレンとの会話がとても嬉しいのだろうね。

パーティーの最後でエレンは彼に「じゃあ明日の5時に待ってるわ」と急に告げる。あまりにも急な申し出にびっくりするがニューランドは断れない。なぜなら彼は紳士だから。彼は軽く会釈をする。エレンには驚かされることばかり。


そして翌日の午後5時、ニューランドはエレンに会いに行く。家でエレンの帰宅を待っている間、ニューランドは彼女の部屋の様子を眺めている。彼女の部屋は彼が今までに見たことのない興味深い物で溢れている。初期の印象派とも呼べる絵(イタリアの画家Giovanni Fattori)や、ブロンズ製のお面などが部屋を飾る。ソファーの上にはエキゾチックな布。彼女はそれらを欧州から持ち帰ったものだと言う。異国趣味に溢れる部屋にニューランドはとても興味を引かれる。そしてミステリアスなエレンにも興味を持ち始めているのだろう。

前日のパーティではニューランドは中学生のようににやにやしていたけれど、この場面のニューランドの話し方はかなりお堅い…よそよそしいほどの真面目な口調で話しているように聞こえる。エレンと二人だけになって緊張しているのだろうか。しかしその堅苦しさもエレンの涙を見て変わっていく。彼はエレンに近づき「マダム・オレンスカ」と話しかけ、直ぐに「エレン」と呼びかけて手を握る。彼は真面目で優しい男なのだ。泣く女性を目の前にして少し彼の心が動いたと思う。いやこの場面こそが、ニューランドの心が大きく動いた時なのだろうと私は思った。そしてその帰り道でニューランドはエレンに黄色い薔薇を贈る。あくまでも思いやりから。


その後彼の弁護士事務所がエレンの離婚に関わるケースを扱うことになった。事務所とエレンの家族からは「エレンが離婚をしないように」アドバイスするように言われている…なぜなら、メイの従妹のエレンが離婚をすれば家族にとって世間体が悪いから…それはメイの家族、そして夫になるニューランドの家族も傷つけることになる。

ニューランドはエレンを再訪。玄関に入ると、エレンの(親しすぎる)友人のボーフォートの声が聞こえてきてがっかりする。立ち去るボーフォートが「今度アーティストを招いて食事でもしようか」などとエレンに言うのを聞いて、ニューランドは「私も画家なら知ってる…」と会話に割り込んでいる。ここでニューランドは、明らかにボーフォートに嫉妬しているし、多少ライバル心も芽生えている。それにピンときたボーフォートが彼を笑う。

そして二人はエレンの離婚について話をする。ニューランドは真面目な男なので、離婚をしたいと言うエレンに「離婚は勧められない」と伝える。離婚をすれば彼女自身が傷つくことになると諭そうとする。しかしそれはエレンには通じない。離婚をすればエレンは自由になれるが、NYの社交界では生きていけなくなる、そしてエレンは欧州には戻りたくない。ニューランドは弁護士として、友人として、彼女に離婚は勧められないと言うものの問題は簡単ではない。ニューランドはエレンを救いたいが、家族のしがらみ、それからエレンのためにも離婚は進められない。そのことで彼は悩む。なぜならニューランドはあくまでも真面目で親切な男だからだ。最後にエレンは「おやすみ従兄弟さん」と言葉をかける。


その後また皆で演劇を見に行く。そこでニューランドはボックス席にエレンを訪ねる。エレンは「あの(劇中の)恋人はあの後黄色い薔薇を送るのかしらね?」とニューランドに話しかける。戸惑いながらニューランドは「私もそれを考えてました」と言う。ああ、ここでとうとうエレンが一歩踏み出していて、ニューランドもそれに答えてますね。そしてエレンは(メイがフロリダで休暇中であることから)「メイがいない間、何してるの?」と聞く。戸惑いながらニューランド「仕事してます」と言う。このぎこちないやり取りのまぁリアルなこと。

ニューランドはあくまでも真面目な男。だから「メイがいない間、何してるの?」と聞かれても「じゃあ今度二人だけで会おうか」とは決して言えない。言わない。彼は堅物だから。遊び人のボーフォートなら間違いなく言っていただろう。

そしてその夜、ニューランドはすぐに黄色の薔薇を探すが見つからず、エレンに連絡をするが返事はない。やきもきしていたら3日後にエレンから「カントリーハウスにいるの。あなたがここにいればいいのに」などと手紙がきた。

もうこの時点でニューランドは自分を抑えられなくなっている。いそいそとエレンに会いに出かけるニューランド。そして二人とも恋人同士のように親しく話をする。ニューランドはなんと…エレンが彼を後ろからハグしてくれないかと妄想までしている笑。彼はとうとうエレンを好きになってしまったらしい。窓に立つニューランドに後ろから近付いたエレンは、そっとニューランドの手を握る。ああ。

ところがすぐ後にボーフォートがやって来て二人の時間は台無しになってしまう。ボーフォートもすでにニューランドの気持ちに気付いているのだろう。


その夜、ニューランドは家に帰って来てからもイライラし続ける。ボーフォートに嫉妬しているのだ。ニューランドの揺れる心。ボーフォートと親しく付き合うエレンにもまた腹を立てている。しかし彼はこのまま運命に流されてしまうことも危惧してもいる。「自分の未来に生き埋めにされそうな気がする」とさえ思う。エレンがメッセージを書いて「会いたい」と言ってくるが、ニューランドはそれを握りつぶす。


そしてニューランドはフロリダで休暇中のメイを訪ねる。そして「結婚の予定日を早めよう」などと言っている。ところがメイは勘が鋭い「誰かいるの?」などと聞いてくるのでニューランドはドキッとする。薄笑いをしながら「誰もいない」と言ってメイを落ち着かせるが、どう見ても彼は結婚を進めて問題(あいまいなエレンとの仲)を終わらせ過去のものにしたいと思っているように見える。

直ぐにメイの祖母のミンゴット夫人を訪ねて結婚を進める相談をするニューランド。ここでミンゴット夫人はニューランドの複雑な気持ちに気付いているらしい。「エレンはまだ結婚しているのよ」とニューランドに釘を刺す。困ったような顔をするニューランド。そこへエレンが訪ねてくる。別れ際にニューランドはエレンに「会いたい」と囁く。


この辺りの矛盾した彼の行動で、ニューランドがいかにも迷っているのだろうと思わされる。ニューランドは、エレンに明らかに惹かれているのに深入りすることを恐れ、また遊び人のボーフォートとつき合うエレンに腹を立て、わざわざフロリダのメイを訪ねて「早く結婚しよう」などと伝えている。彼が自分を迷わすトラブル(エレン)から逃げてさっさとメイと結婚して落ち着きたいと思っているのは事実でもあるのだろう。あくまでもニューランドは真面目で保守の男なのだ。道を踏み外すこをと何よりも恐れているのだ。

しかしエレンを見かけるとまた反対の行動をしてしまう。「会いたい」と彼女に囁き、エレンの家を訪ね、二人だけの親密な時間を過ごす。ここでニューランドは初めて(メイが言うところの)「誰か」がエレンであることをエレン本人に告げる(とうとう告白する)。二人は涙ながらに抱き合う。

そこへメイから「結婚を早く進める」ことを告げるメッセージが届いた。ニューランドは予定通りメイと結婚する。これでニューランドの人生は決定してしまった。


ニューランドとメイが結婚して、エレンはワシントンDCに移住している。その後ニューランドは結婚してしばらく落ち着いたように見えたが、次第にメイとの結婚生活に退屈してくる。メイは何事にも用心深く新しいことを好まないのだ。

記憶の中のエレンは、欧州帰りでエキゾチック、言葉もストレートで正直でエキサイティング。エレンの家には興味深いアートが溢れ、彼女は文化の教養にも優れ、なによりも彼女との会話のキャッチボールは刺激的で楽しい。キラキラと聡明で刺激的なエレンと退屈なメイを比べてニューランドは絶望している。


その後エレンとニューランドは2度ほど会うのだが物事は進まない。NYに帰ってきたエレンとの馬車の中での密会もその時だけで何も進まない。ニューランドはますますエレンを熱望する。

メイとの結婚生活に退屈し、ニューランドは自らが「死んでいる」などと思っている。(異国の文化の)浮世絵の本を眺めながらメイの笑顔にもうんざりしている。


映画の後半で、ニューランドがメイに本音を告げようとする場面の緊張感は秀逸。妻に本音を告げようとするニューランドの勇気は、毎回メイの言葉に潰されてしまう。次第にメイが恐ろしい怪物のように見えてくる。ニューランドがなんとかエレンに近づこうとするたびに、妻のメイもNYの狭い社会もそれを阻む。そしてとうとうエレンはNYを離れ欧州に帰ることになった。そうなるようにメイが全ての流れを作っていたのが最後に明らかになる。

メイは戦いに勝った。地に足をつけて夫を縛り付けた。見事。


そしてニューランドはとうとう普通の男の人生を受け入れ、まっとうな男として、夫として、父親として模範的な一生を送ることになる。



しかし映画を見終わった後で私は考えた…ニューランドにはそもそもエレンと共に道をはずれる勇気がなかったのではないかと。

人とはそういうもの。ほとんどの普通の人々とはそういうものだと私は思う。ニューランドは真面目で親切で紳士的で優しくて…しかしそんな真面目な人だからこそ彼は冒険をすることができなかった。細やかな心理描写で驚くほどリアルな、普通の…不器用な人々の悲恋もののストーリー。自分を抑えたり勇気を出せなかったり…大抵の普通の人とはそういうものだろう。

だからこの話は色褪せない。



Blu-rayで見てみたら、Netflixより映像も音もクリアで驚いた。とても綺麗。セットや衣装に凝った映画なのでこれからも何度も見直すだろう。手に入れてよかったと思う。エクストラも沢山…スコセッシ監督や共同脚本家、舞台監督、衣装デザイナーのインタビュー、そしてメイキング・オブの映像もあってとてもいいパッケージだった。


映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :3回目…エレンは誘う女だったのか?そして不器用な男の普通の一生
映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :2回目の鑑賞で本質を知る…傑作でしょう


 

2025年9月25日木曜日

映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :2回目鑑賞で本質を知る…傑作でしょう





----------------------------------------------------------------------------
『The Age of Innocence』(1993)/米/カラー
/2h 19m/監督:Martin Scorsese』
-----------------------------------------------------------------------------



2回目に見た感想です。

というわけで1回目に見たときは、映画のゆっくりなペースに慣れず、内容も「あまり動きがない」「退屈」などと思ってしまい(正直に)途中で寝そうになったりして…スコセッシ監督には大変失礼な鑑賞の仕方をしてしまった。

それでもこの映画が丁寧に作られているのはよくわかったので「セットが凝っていて素晴らしい」「ダニエル・デイ・ルイス」の堅物ぶりが大変上手い!」などと書き、また「ミシェル・ファイファーはセクシーじゃないから役に合わないかも」などと私はここに書いた。

1回目にはそのような…作品に対して大変失礼な鑑賞態度でいい加減な感想を書いたのだけれど…実はそのことが気になっていた。旦那Aともその後数日間。毎晩食事の時にこの映画のことについて会話を続けた。そしてスコセッシ監督のインタビューもYouTubeでいくつか見てみたら、ますます映画のことが気になり始めた。

「もう一回見たほうがいいと思う」

それでNetflixでもう一度見てみることにした。最初は「ちょっと豪邸の内装を見直したい」ぐらいの軽い気持ちだったのに、結局一気に最後まで見てしまった。

感想が変わりました。そのことを書きたい。




★全篇ネタバレ注意



まず反省。私は内容を全く理解していなかった。これは恥ずかしい。

まず主人公のとらえ方が間違っていた。1回目に見た時、私はこの話は「お堅い弁護士ニューランド・アーチャー(ダニエル・デイ・ルイス)の話だと思った。彼が欧州帰りの美女に心惑わされるのだが、お堅い奥さんメイ・ウェランド(ウィノナ・ライダー)にがっつり抑え込まれる話」だと思っていた。

そうではない。
この話の主人公は二人です。

もう一人の主人公はもちろん「欧州帰りの美女エレン・オレンスカ伯爵夫人(ミシェル・ファイファー)」。1回目の鑑賞では、私はミシェル・ファイファーの演じるこの「欧州帰りの美女エレン」のことが全くわかっていなかった。大反省。

この映画は、惹かれあっても一緒になれなかった男女の悲恋モノです。
あ~全然わかっていなかった。反省反省。



まず欧州帰りの美女エレン・オレンスカ伯爵夫人(ファイファー)の(私の想像も含めた)ストーリーを書いておこう。

エレンは裕福なニューヨークの上流階級の出身だが、両親の都合でNYと欧州を行き来きして育った。(映画での)彼女は金色の髪で青い目で大変美しい。子供の頃の彼女は性格も明るくコロコロとよく笑う太陽のような女の子だったのだろう(たぶん)。彼女は子供の頃にNYに一時的に帰ってきていた時、同世代のニューランド(デイ・ルイス)に出会った。ニューランドはキラキラと綺麗なエレンに惹かれて思わず彼女にキスをしたらしい(二人にはそんな思い出がある)。

その後エレンは若くしてポーランドの伯爵に嫁いだ。しかし結婚は上手くいかなかった。異国に嫁いだエレンの生活はとても辛いものだった。…「欧州人とのモラルの違い」「エレンは米国の成金の娘だと笑われて欧州の貴族に受け入れられない」「夫はエレンに退屈してよその女性と浮気をする」などなど…エレンは欧州の貴族の社交界の中で友人もできないまま、たったひとり孤独で、苦しみ、傷ついた。とてつもなく寂しかった。寂しさから道ならぬ恋にも落ちた(スキャンダラス)。

元々はお堅いニューヨークの上流階級の出身だった真面目なエレンは異国での結婚で不幸になった。明るかった彼女の笑顔には大きな影が射すようになった。きらきらと輝いていたサファイアのような目は哀しみを湛えるようになった。

欧州での暮らしに耐えられず、エレンは一人ニューヨークに帰ってきた。彼女はボロボロに傷ついていた。故郷に帰ってくれば皆に温かく迎えてもらえると思っていた。しかしニューヨークの社交界は彼女を冷たく拒絶する。


当時19世紀末のニューヨークの上流社会は大変狭く堅苦しい世界。当時の上流階級の人々は狭い世界の中で自由の無い窮屈な生活を送っていた。どのような事情でもスキャンダルは決して許されない。そして彼らは異質のものや異分子を嫌う。彼らは驚くほど排他的。彼らは自分達の富と平和な日常を守るために、顔見知りばかりの狭い社交界の中で家柄や富で格付けをし合いながら(ゴシップを噂しながら)、その狭いサークルの中だけで生活をしている。

彼らがよそ者を受け入れることはない。

そんなニューヨークに帰ってきたエレン。彼女が「温かい故郷」だと思っていたNYは彼女に冷たかった。初めて従妹の家族と劇場にオペラを見に行けば、社交界の皆がひそひそと囁きながらオペラグラスで彼女を観察する「オレンスカ伯爵夫人て…あの人どんな人なの?伯爵夫人とはいっても上手くいかなかったらしいわよ。離婚するって噂よ。スキャンダラスね。見てよあの変なドレス。皆の集まるオペラによくやってこれるものだわ。恥知らずね。嫌ね…」。

また彼女の名前で人々にパーティーの招待状を送れば、皆が「残念ながら予定があって…」などと丁寧な断りの手紙を送り返してきて誰も来ることはない。彼女はパーティーを催すことさえできない。エレンは故郷のニューヨークが「欧州よりもっと孤独」だと思い知ることになった。

彼女は寂しい。孤独なのだ。

ニューヨークに帰ってきた彼女には欧州人の夫との離婚話も出ている(あいまいだが)。そのサポートに選ばれたのが堅物の弁護士ニューランド・アーチャーだった。それがこの二人の話のはじまり。


まずなによりもこの話は、女性作家のイーディス・ウォートンが書いた作品であることを忘れてはいけない。男性のニューランドが主人公だというよりも、むしろ作家は同じ女性…不幸なエレンの悲しい状況に心を寄せていたのだろうとも思われる。もしかしたらウォートンは実際にエレンのような不運な女性に当時のNYの社交界で出会ったのかもしれない。


その後のストーリーは、真面目な堅物のニューランドが次第にエレンに惹かれていく話。

恋の始まりは、ニューランドが弁護士としてエレンの家を最初に訪ねた場面。前日のパーティーでエレンに「明日5時にね」と誘われてのこのこ彼女の家に訪ねてきたニューランド。会話をしていたら突然エレンが泣く。 このエレンの突然の涙で、堅物のニューランドはほろっとしてしまったのだろう。わかるわ。(内容が間違っていたので修正しました)


まず…私が何を反省しているのかと言えば、ミシェル・ファイファーのエレンはセクシーむんむんな誘う女である必要はなかったのよ大笑 照れ笑。


エレンは羽の折れた鳥のように弱っていて、悲しくて、孤独で…欧州でも孤独だったが、ニューヨークではもっと孤独で…どこにも救いのない傷ついた女性なのですね。子供の頃からよく笑う明るい少女だったエレンは今も社交界では笑顔で明るく振舞っているけれど、心の中には深い闇がある。実はとてつもなく孤独な女性だった。

ニューランドは真面目で優しい人なのだろう。真面目にこの傷ついた女性を救おうと彼はエレンに手を差し伸べる。彼も最初は親切心からエレンを救おうとしていただけなのに、次第に自分から求めてエレンに会いたくなってしまう。エレンを見かけるだけで嬉しくなってしまう。少しづつ(ニューランド本人も気付かないうちに)彼はエレンにぞっこんになってしまう。(大人だから)フィジカルに惹かれ始めてしまうのも止められない。もう止められない。

そのあたりの描写が上手い。とてもゆっくりと二人の気持ちが変化していく。「あれ、いつからあの人が気になったんだっけ?」というようなおだやかな恋の始まりは今でもよくある話。まさにニューランドの恋は、じわじわと始まっていたのですね。きっかけはエレンが最初に泣いた時だと私は思う。



そんなわけでこの映画(話し)は全篇ず~っとこの二人が近づきそうで近づけず、上手くいきそうでも誰かが邪魔をしたりと、二人が近づいたり離れたりを繰り返してゆるゆるとまったり2時間、彼らの恋の行方を見る…そのような映画。



その邪魔をする人物の一人が、ニューランドの婚約者で後の奥さんのメイ(ウィノナ・ライダー)。彼女の台詞をよく聞いていると、それはそれは見事にかなり初期の頃から「女の感」を研ぎ澄ませて「ニューランドの迷う心」に気付いているのがわかる。女の感は鋭い。

例えば…
ニューランドが(思いやりで)「エレンに花を送ったんだ」とメイに告げる場面。メイが「エレンは私に言わなかったわよ」 …それでエレンはピーンとくるわけだ。正直に事実を告げたニューランドはともかく、(ニューランドから花を贈られたことを隠した)エレンの下心をすぐに感知したのだろう。メイはその場ですぐにニューランドの目を見つめながら「I love you」と何度も訴えかける。…メイはエレンが手ごわい敵だと思ったのだろう。気付くのが早いのですよね。すごいな。そしてその後も…ストーリーの最後まで場の流れを操るメイの強さには…正直イライラさせられるほど。

もう一人、二人の邪魔をする人物はエレンとメイの祖母のミセス・ミンゴット(ミリアム・マーゴリーズ)。彼女は、エレンとニューランドの仲に気付いたのか、彼らを牽制するような言葉を言ったり、また反対に妙なタイミングでエレンとニューランドを二人だけにしたりする。彼女はただ若い人たちを操って様子を見て楽しんでいるだけなのか。不思議でもあり(こういう人もいるかもしれぬと)リアルでもあり。

そして最後に、エレンとニューランドの仲を知った狭いNYの社交界が二人の関係を引き裂こうとすることにも恐ろしくなる。まるで小さな村のように人の悪口とゴシップをひそひそと噂話ししながらこの社交界の人々は「個人」が決して問題を起こさないようにに監視し「正しい生き方」を強制する…その様子を見ていて心が苦しくなった。

もしかしたら作家のイーディス・ウォートンも、当時の上流社会の空気を息苦しいと感じていたのかもしれぬとも思った。


そんなわけで…私が1回目に見て気付いていなかったのがミシェル・ファイファーのエレンのあまりにも悲しい状況。しかし彼女の孤独を理解しなければ、ニューランドがなぜ彼女に惹かれたのかも理解していなかったことになる。ニューランドは決してむちむちのセクシー美女に惹かれたのではない。ニューランドは傷ついた小鳥のようなか細く弱々しい女性を守ってあげたいと思って惹かれたのですね。細いミシェル・ファイファーにぴったりの役だった。

2回目に全てのことがわかった上で細かいところに注意をしながら再度鑑賞したら、この作品は本当によくできた映画だということがよくわかった。あらためて反省。

…言い訳をするなら、この映画全体が重厚で情報が多く、あまりにも多くのことに気が散ってしまって、1回見ただけでは(ただでさえゆっくりのペースの話で)人物達の人となりまでは掘り下げて見ることが出来なかったのも理由。それほどこの映画は様々な見どころが沢山。本当に沢山。さらっと1回だけ見てそれで全部がわかる映画ではないと思う。

この映画は本を読むように2回以上じっくりと見ることをお勧めします。

1回目に見えなかった色んな事が見えてきます。時代考証も丁寧にされていて大変素晴らしい。衣装も家の内装も、テーブル上のロイヤル・クラウン・ダービーの食器も大変美しい。役者さん達の演技も最高。脚本も(ナレーションも含め原作からそのままの台詞も多く)100年も前に書かれた小説の再現として最高の傑作だと思います。スコセッシ監督の本気が見える。すごい監督さんだと思う。


印象に残っている場面…
1時間30分を過ぎた頃からニューランドがエレンに本気になる。メイと部屋で二人きりになった時の空気の重さが秀逸。ニューランドの心は完全にエレンに向いていてメイに嫌悪感さえ感じている。日本の浮世絵の本を見ながら(異国のものに夢を見ている)、目の前のメイを見てイライラするニューランド。この結婚で「私は死んでいる」…自分はメイとの結婚に囚われている…あのエレンと共に自由になりたいと熱望するニューランドを思わず応援したくもなる。

しかしその後もニューランドがしがらみから抜け出そうとするたびにメイが彼に絡みつく。何度もメイが巧みに流れを作ってニューランドは決して逃れられない。見ているこちらまでメイにイライラさせられるのは役者さん達が上手いから。メイの最後の告白でニューランドは死刑宣告を受けたような顔をする。ダニエル・デイ・ルイスもすごいがウィノナ・ライダーも素晴らしい。

そしてストーリーは進み…最後にメイのその後がナレーションで語られる。可愛らしいメイは実は非常に意志の強い女性で、晩年は子供達でさえ彼女に口答えするのはやめた(だったかな)…などとあって、彼女は頑固で変化を好まない…真面目過ぎて堅苦しい人物だったとのこと。それを聞いてまた「彼女と過ごしたニューランドの一生はどのようなものだったのだろう」と考えずにはいられない。なんとも言えない気持ちになる。

映画の最後の印象は、旦那Aも私も暫く無言で…「悲しいね」と一言。いかにも昔の時代の話ですね。じんわりと悲しく深く心に響く映画。一言では語れないです。


しばらくこの映画のことを考え続けてますます知りたくなり、また米国のNetflixが9月30日でこの映画の配信を終了する…ことを知り、思い切ってBlu-rayを購入した。それから旦那Aが「原作を読みたい」というので同時に原作も購入。共にアマゾン。ちょっと嬉しい。Aはすでに原作を読み始めた。この映画がいかに丁寧に原作を再現しているのかに感心している。いつか私も読めればいいな。





2025年9月3日水曜日

映画『エイジ・オブ・イノセンス/The Age of Innocence』(1993) :1回目 The Gilded Age の本格的再現





----------------------------------------------------------------------------
『The Age of Innocence』(1993)/米/カラー
/2h 19m/監督:Martin Scorsese』
-----------------------------------------------------------------------------


私がHBOのドラマ『The Gilded Age シーズン3』を一人で見終わった後で旦那Aが「面白かった?」と聞いてきた。「うん」と答えると「僕も見ようかな」と言う。どうやらどこかでドラマの批評記事を読んだらしい。それでしばらく前から週末に一緒に見ている(私は2回目)。先週末にエピソード5を見終わったところ。

ドラマの話をしていたら旦那Aが「作家のイーディス・ウォートン/Edith Wharton があの時代の話を書いてるんだよ。彼女はあの時代のNYの上流階級出身の女性作家。映画『エイジ・オブ・イノセンス』も彼女が原作なんだ。映画を見ようか」

というわけで、それじゃあ HBO のドラマと映画がどう違うのか見てみようということになった。2週間前にNetflixで映画鑑賞。


あらすじ
19世紀末のニューヨークのハイソサエティ。(ドラマでもそうであったように)当時の上流階級の社交界は狭い世界。彼らは危険を冒すことを嫌い、ルールを破ることを嫌い、ガチガチにしがらみに縛られた不自由な社会の中で生きている。
主人公の弁護士ニューランド・アーチャー(ダニエル・デイ=ルイス)には若い婚約者メイ・ウェランド(ウィノナ・ライダー)がいる。ある日ニューランドは、メイの従妹で彼の幼馴染のエレン・オレンスカ伯爵夫人(ミシェル・ファイファー)に再会する。エレンは夫から逃れて帰国した欧州帰り。ミステリアスで魅惑的なエレンに堅物の弁護士のニューランドは惹かれていく。


★ 豪華なセットと衣装…再現に価値がある

豪華です。19世紀末のニューヨーク・ハイソサエティの再現。歴史的に見ても非常に興味深い。なんとこの映画の監督はマーティン・スコセッシなのですね。びっくり。 あのマフィア映画で有名な監督が、1870年代のアメリカの上流社会を描いた。

この感想を書くのに調べていたら、スコセッシ監督のインタビューがいくつか出てきた。かなり細部までこだわって作りこんでいるとのこと…例えば当時のNYの上流階級のアクセントにまでこだわって再現している…などの話も出てきた。この映画に関する資料はネット上にもいくつかあって(私もまだ全部は見ていないのだけれど)この映画でスコセッシ監督があの The Gilded Age を真剣に再現しようと試みたことがわかった。なんとありがたい。

まずそれだけで私には見る価値がある。


この映画の細部へのこだわり(それからカメラワークなど)を見ていて「これはスコセッシ監督がイタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督を意識して撮ったのではないか」とすぐに思った。ヴィスコンティ監督の『山猫/Il gattopardo 』『夏の嵐/Senso』『イノセント/L'innocente 』は19世紀の貴族を扱っているし『ベニスに死す/Death in Venice』も上流階級、『イノセント/L'innocente 』は名前まで近いじゃないか。

動画サイトを見ていたら、とあるインタビュー映像でスコセッシ監督が『山猫』に感銘を受けたと仰っている映像も出てきた。やっぱりそうなのだろう。『山猫』は伊シチリア島の貴族を描いた映画。そしてスコセッシ監督の祖母がシチリア島からの移民であることから、監督はあの映画にとても親しみを感じたらしい。

この映画を撮りながらスコセッシ監督がヴィスコンティ監督を想ったことは間違いないだろう。100年前の米国ニューヨークにも欧州の貴族のように暮らす上流階級が存在したことから、監督も美しいコスチューム・ドラマが撮れると考えたのだろう。伊・貴族の末裔のヴィスコンティ監督が映像で19世紀の貴族を再現したように、ニューヨーク育ちのスコセッシ監督もNYの歴史をとことんリサーチをして、19世紀末のNYの大富豪の再現を試みたのだろう。

結果は大変素晴らしい。


本物の19世紀末の上流社会など、私達後世の人間は絵などから想像するしかないのだけれど、この映画はかなりそれらしいのではないか。

…衣装は上品で奇を衒っていない。ディナーのテーブルも色彩の多いチャイナにキラキラの銀製品、クリスタルのグラスが並べられて豪華。豪邸の内装は…いかにも物が多く何から何までギュウギュウに詰まっている。壁には赤いシルクが貼られ、窓は何重もの重い布のドレープ。壁一面にびっちりと掛けられた絵画。どこもかしこも布、布、布。そして布に覆われていない壁は重厚な木彫りのパネル。全体の色合いが暗く重い。ワイン色のベルベットのソファーの後ろには、中国か日本製の…金箔に墨で竹が描かれた屏風が置いてある。なんというのか…全部がギッチギチ。密度が濃い。


スコセッシ監督が再現した19世紀末NY上流階級の様子を見ていたら「HBO の The Gilded Age のドラマは嘘っぽく見える」と思ってしまった。たとえばラッセル家のベッドルームは今どきのベッドルームに見える。ヴァンライン家のリビングも質素。

それにドラマの The Gilded Age の人物達の衣装が酷いことにも気付かされた笑。あれは…なにを考えているのだろう。どう見ても珍妙なデザインのドレスが多すぎる。誰が衣装デザインをしているのだろうと思う笑。

この映画『エイジ・オブ・イノセンス』では、衣装やセットに関する違和感を覚えることは一度もなかった。たぶんこの映画のほうが史実に近いのではないか? この映画のビジュアルは見る価値があると思います。



★ ダニエル・デイ・ルイスは上手い

この俳優さんは上手い人。ダニエル・デイ・ルイスの演じる堅物の弁護士がミシェル・ファイファーのエレンに惹かれていく様子が上手い。彼はガチガチの堅物なのよ。だから自分に「ダメだダメだ」と言い聞かせながら、それでも目はエレンを追ってしまう。ムラムラしてますね。お顔の表情が煮詰まっていて今にも思わず手が出てエレンを掴みそうな表情をする。うまい。

しかしながら彼はかわいい婚約者メイちゃんのウィノナ・ライダーには…優しい。けれどそっけない。「僕はこの子を守らなきゃね」とか「大切にしなくちゃね」とは思っているけれど、あまり気が乗らない様子。ただ表面だけ優しいジェントルマンを演じている。メイちゃんに対する彼はただのいい人。ただ優しい人。あの…欧州帰りのエレンを見る眼つきとは全然違う。その違いが上手いのに感心した。役者やの~。


メイちゃんのウィノナ・ライダーは効果的な配役。彼女はこの役で英国アカデミー賞の助演女優賞を受賞したそうだ。彼女は役が合ってましたね。最後は女のしたたかさで勝者になる…笑。いかにも女。納得。

この年度の賞レースでは、ダニエル・デイ・ルイスはノミネートもされなかったのですね。びっくり。


★ CONs

映画は2時間19分。長いです。たっぷりと時間をとって19世紀の上流階級社会を再現したのはいいけれど、実は中身があまりドラマチックではない。原作が1870 年頃の上流階級を描いた話なので、恋愛小説とはいっても中身はマイルド。だからこそこのタイトルなのだろうけれど、それを2時間も引き延ばしたら結構退屈なのは否めない。

それからダニエル・デイ・ルイスが苦悩しながらも自らを押さえられずムラムラしてしまう女性…エレンのミシェル・ファイファーは役に合ってない印象。彼女はこの役には十分にセクシーではない。もっとセクシーな…エレンは上流階級の女性で上品だけれど、欧州帰りでほぼ離婚しそうで、男関係の噂もあるし(色んな意味でルール破りで)スキャンダラスで、それでも悩ましいほど色気があふれ出る…そのようなお姉さん女優を連れてきて欲しい。ミシェル・ファイファーは…なんだかカラカラに見える笑。色気がない。綺麗すぎるのかな。エレンはお堅い弁護士のダニエル・デイ・ルイスが身を持ち崩すほど魅惑的で危険な女性 seductress でなければならないのですよ。ちょっとそのイメージと違うと思った(個人的意見)



見てよかったです。衣装や調度品やセット、それに役者さん達のアクセントにまでこだわった19世紀末のNY上流階級社交界の再現は見る価値があった。

ストーリはマイルド。だから途中で少し飽きたけれど、この映画はむしろ1度見てストーリーがわかった上で、映像の美しさと巧みな時代の再現を堪能する…まるで美術館を訪ねているかのように…ひとつひとつ細部を確認しながら見るのがもっと楽しいだろうと思う。これからもまた映像だけNetflixに見に行こうと思う。

実はヴィスコンティ監督の映画もそういうのが多いのですよね。台詞や芝居はあまり気にしない。彼の映画も家の内装や衣装を見て、美術館を訪ねるように時代の再現を楽しむような映画が多い(個人的意見)。


『エイジ・オブ・イノセンス』…最後はあれでいいと思う。思い出は美しいままに。静かに拍手。





2025年7月31日木曜日

映画『フォー・シーズンズ/The Four Seasons』(1981) :時代が違い過ぎて楽しめない





----------------------------------------------------------------------------
『The Four Seasons』(1981)/米/カラー
/1h 47m/監督・脚本:Alan Alda』
-----------------------------------------------------------------------------



今週旦那Aに休みの日があったので一緒に見た。スティーブ・カレルとティナ・フェイの2025年版を見たばかりなので忘れないうちに見ようと思った。


まず2025年のドラマシリーズと比べよう。
私は2025年版のほうが100倍いいと思った。2025年版は面白かった。時にはゾッとするほどリアルでちょっとドキドキした。キャラ達は皆色々とあるけれど十分理解できる人々。全員それぞれが魅力的だった。1話を30分だけ見るつもりが、一旦見始めたら続けて2時間も見てしまった。コメディとして十分面白かったし考えさせられた。見てよかったです。先日ここに書いた感想では「居心地が悪い」と書いているけれど、実際にはよく笑ったと思う。楽しめた。



しかしこの1981年版の映画
・異様なくらい古臭い
・時代の違いを感じる
・面白くない

その理由をこれから書いていきます。


監督は俳優のアラン・アルダさん(この映画ではジャックを演じる)。この映画は1981年作。今から44年前。当時の私は高校生。当時からアメリカのドラマや映画は見ていたので、あの80年代初期のアメリカの雰囲気には慣れているつもりだったが、まず思った感想は「なんて古いのだろう」。映画が始まってすぐに違和感を感じるほど直ぐに古臭いと感じた。

今の私は英語のニュアンスがわかる。1981年当時は、映画は字幕で見ていたが英語そのもののニュアンスはわからなかった。いま英語がわかるようになって、1981年の映画の台詞が、いかに今のアメリカの言葉と違うのかにまず驚いた。もちろん言葉だけじゃない。演技も違う。人物たちの行動や関係性も全く違う。モラルも違う。ユーモアも全くおかしくない。なによりも、人物達が全く魅力的に見えないのに閉口した。


わかってるのよ。この映画はあの時代の、あの社会的クラスの人々の映画としては何もおかしなことはないのだろう。問題は「面白くない」と感じた私の方にある。

この映画は、東海岸の白人の伝統的プロテスタントの気質を持つ、高学歴アッパーミドルクラスの知的階級の人々のストーリー(東海岸の都会近辺ではそれほど珍しいわけではない)。実は旦那Aはこのソーシャル・グループの出身。旦那Aの家族は1980年初期の時代から暫くニューヨーク界隈に住んでいた。

旦那Aにこの映画がどうかと聞いたら「懐かしい」と楽しんだ様子。私が「まったくリアリティがない。人物達が魅力的に思えない」と言うと「ああそうか」と反応。もう少し聞いてみると「あの時代の雰囲気は覚えてるんだよね、ああいう人達にも会ったことがある。ニックみたいな人もいた。Met opera のシーズンチケット持ってて、いつも綺麗な女の人と一緒にいたかっこいいおじさん。でも彼はずーっと独身だったかな」などと言う。なるほど旦那Aには当時の雰囲気を十分懐かしく感じられる映画だったらしい。

要するに、違う文化圏から来た私には「懐かしい」と感じるほどの思い入れが無いことから、描かれた時代の違和感ばかりが気になって楽しめない。そして私は「アメリカ東海岸アッパーミドルクラスのお堅さ」も苦手。彼らのユーモアもわからない。そんな感じであまり面白くなかった。




★ネタバレ注意




この映画の基本フォーマットは2025版と同じ。6人の友人達の四季それぞれのホリデーの様子を描く。2025年版とは違い彼らはクラスメートではない。人生の道のりで出会った6人。年齢も立場も違う。カップル2組は40代半ばの設定。

(2025年度版ではアフリカ系のゲイの設定だったダニーは)この映画では皆より10歳年上の白人の歯科医となっている。そして彼の奥さんは(少し異文化の)イタリア人アーティストのクラウディア。ジャックは弁護士、奥さんのケイトはビジネス誌のエディター、ニックは保険のセールス、アンは主婦。全員ニューヨーク周りの裕福な上ミドルクラスの人々。

ストーリーも2025年版とほぼ同じ。彼らは6人でいつも共にホリデーを楽しむ友人同士だが、ニックが離婚して若いジニーをホリデーに連れてくることで、全員の関係がギクシャクしてくる。


一番の違いは、奥さんを捨てるニックはこの映画では罰を受けない笑。2025年版のニック(スティーブ・カレル)は徹底的にコテンパンにやっつけられ、ニック本人も多少は後悔していたと思うが、この1981年版のニックは全く悪びれない。まったく罰を受けない。そして周りの友人達もそれをいつしか黙って受け入れている。そして(温厚だが退屈だった)元嫁アンは結局捨てられてストーリーから消えてしまう。そのまま忘れられてしまうのだろう。

ジャックの奥さん…ニューヨークでバリバリ第一線で働く女のケイトは、あの時代の女性解放運動の戦士のようだ。男性と同格に議論し合って口調が非常にキツイ。お堅い。まったく女性らしい柔らかさがない。ユーモアのセンスもない。ジャックとの夫婦らしいケミストリーも無し。チューばかりはしているけれど。

そしてジャックは自己中で「自分を解放できない」ことに悩み(それもあまり印象になかったが)、ケイトから「冷たい」などと言われて最後はブチ切れて騒いで自己を解放(1970年代の映画にはよく見かけるマッチョなシーン)。そして皆に「ごめんね」などと言って許してもらう。よくない。意味不明。あんな人は現実にはいないと思う。

歯医者のダニーはコミックリリーフだろうか。年齢も上でおとぼけの変わり者。しかし10歳年上だから皆とは違う視点で物事を見ている。彼が一番リラックスしているように見えるのは意図的なものだろう。奥さんのクラウディアはほぼ印象がない。


なんというかな…どのキャラクターも全く魅力的ではない。この映画には2025年版のようなチャーミングなおかしみが無い。台詞は奥歯にモノが挟まったよう。基本的には時代が違うからなのだろうが、これは監督/脚本のアラン・アルダさんの言葉からくるものなのか、それともこのドラマの…キャラ達の社会的立場(裕福な上ミドルクラス)からそれらしく創作されたものなのか、台詞も行動も pretentious で全くリアリティを感じない。登場人物達の誰かが冗談を言ったら皆でウケて全員で肩を叩きながら大笑いするのだけれど、私には全くおかしくない。なんだか不自然なリズムの映画だと思う。

不自然…contrived。そうだ、この映画の登場人物達は1980年代初期のモダンでインテリで進歩的な人々の設定(中華料理を自分達で作り、次はインド料理などと言っている)なのだけれど…私がこの映画を見ていて受ける印象は、東海岸インテリの上ミドルクラスのお堅い人々が無理してワイルドに振舞って騒いでいるような印象。しかしよく考えてみればにアラン・アルダさんは現在89歳。うちの義父の世代なのだ…お堅い印象なのは無理もないだろう(←義父は優しいジェントルマンでした)。


しかしそれは1981年の東海岸の上ミドルクラスのあり方に、そもそも私があまり親しみを感じないからなのだろうとも思う。結局は、1981年頃のお堅い人々が「彼らのユーモアで、彼らが面白がって、彼らが彼らのために作った映画」が、私には何も響かなかったということだろうと思う。台詞が嘘っぽくて(今の米国人は誰もあのような話し方はしないと思う)、pretentious で、なんだか…うわ~めんどうくさい人々…という感じだ。これは私の個人的経験によるバイアスからくるもので、普遍的なものではないだろう。


2025年版の『フォー・シーズンズ』自虐的なほどにキャラクター全員の不完全さ/弱さ/vulnerability を描いたことに、私は「今のアメリカは本当に生きやすくなったんだね」と思った。

この退屈な1981年版に比べると、2025年版は全員がチャーミングでかわいくて面白い。全てのキャラが好きになれる。全員に心寄せられる。そして苦笑がちだとはいえ実際にはよく笑った。

それだけ今は時代が変わったということなのだろう。それはいいことです。


2025年5月27日火曜日

映画/Netflix『マンジャーレ! ノンナのレストランへようこそ/Nonnas』(2025):お婆ちゃん達の美味しいご飯





-----------------------------------------------------------------------------
『 Nonnas (2025)/米/カラー
/1h 51m/監督/Stephen Chbosky』
-----------------------------------------------------------------------------



猫が病気になる前に見たので5月10日あたりかな。Netflixで人気チャートに上がっていたので鑑賞。

食べ物の映画ははずれが少ない。美味しいご飯を描く映画は、家族の話であったり人と人の繋がりであったり…温かいフィールグッド映画が多いからだろう。Netflixで予告/トレイラーを見たときもすぐに「よさそうだ」と思い見始めた。旦那Aも参加。


実話を元にしたレストランの話だそうだ。最愛の母を亡くした男が料理の上手なイタリア人のお婆ちゃんたちを集めてイタリアン・レストランを開く話。いかにもいい話。イタリアのお婆ちゃん達のおいしいイタリア料理の話というだけでもうフィール・グッドは約束されている。

いい話でした。イタリア料理好きだし、自分でもよく作るし、私も年寄りなのでお婆ちゃん達がワイワイ元気にキャッキャと言いながら料理をするのもとても楽しい。これが実話を元にしたというのだから…何と素晴らしい。いい話だな。


さっそく実際のニュージャージー州のレストランのネットのページを見に行きましたよ。今は多国籍のお婆ちゃん達(お姉さま方も含む)が参加して日替わりでシェフを努めているのだそうだ。ああ本当にいいアイデア。この映画が人気なら、これからきっとこのレストランも予約待ちになるのだろうな。いつか行ってみたいな。


ヴィンス・ヴォーンさんがいい感じです。彼は若い頃はやんちゃ男の印象だったのに、今すごくいい俳優さんですね。ちょっと前に見た映画『Fighting with My Family (2019)』の彼もいい役だった。味のある俳優さんになった。

映画『Fighting with My Family (2019)』:全てがいいFeel Good Movie笑わせにこないヴィンス・ボーンに泣く 

イタリア系のそれぞれのストーリーのあるお婆ちゃん達もいい。皆素晴らしい女優さん達。元気のいいお婆ちゃん達が楽しい。最初は北と南の出身で喧嘩していたのに、それぞれ次第に心を開いて皆で打ち解けて仲間になっていく姿もいい。ああ…わたしやっぱり女性同士が打ち解けていく様子に感動するのだ。好きなのですよね、女性同士が仲良くなる姿。女性同士ならではの心地よさとか温かな関係とか…心の底から打ち解け合う女同士の友情はいいものです。いいな。


最初はペースがゆっくりで、旦那Aが少し退屈しそうになっていたのに、どんどん良くなっていって最後は私以上に泣いてた。うちは二人とももう両親もいないし家族も遠くにいて子供もいないので映画やドラマの家族ものの話はすぐに泣いてしまう。フィールグッド。とてもいい映画です。

まぁそれにしても、冒頭でも書きましたけど美味しい食べ物を描く話はたいていいい映画ですね。特に家庭料理…お母さんやお婆ちゃんが作る…もしかしたらお爺ちゃんやお父さんの作るご飯の話、またシェフの師匠の話とか…美味しいご飯にまつわる映画やドラマに悪い話なし…かもしれないですね。美味しい家庭料理は人の基本的な幸せなのだろうなと思う。子供の頃の母のコロッケとかオムライスとか…私にも幸せな思い出。こういうタイプの映画をこれからもチェックしていこう。  グルメレストランの食べ歩きの話はそれほど感動しないのですよね。ご飯に関するフィールグッド映画は料理をすること=愛情が大切なのだろうな…。


2025年5月14日水曜日

映画『新幹線大爆破/Bullet Train Explosion』(2025):アクション最高!複雑プロットとエモはいらない






-----------------------------------------------------------------------------
『新幹線大爆破 (2025)/日/カラー
/2h 15m/監督:樋口真嗣』
-----------------------------------------------------------------------------



話題になっているのでNetflixで見た。


面白かったです。特にアクション・シーンは楽しい。すごくかっこいい。おそらく現実には不可能であろうシーン(新幹線が横並びで物を渡す)も…映画ですもの。面白いわ。アクションとしてなら爆発もガツンと新幹線がぶつかるシーンも全部いい。新幹線のシーンはどれもいい。それをもっと見るために見続けた。

日本の風景の中を走る新幹線も素敵。かっこいい。私は日本を離れて長いけれど、今の新幹線の姿を全く知らなかった。昔の新幹線は白いボディーに2つの目と丸い鼻のあのかわいい顔(あのデザインは2008年まで使われていたことを今知った)を思い出す。今の新幹線は印象がずいぶん違ってスマートなのですね。緑色の田んぼもすごく綺麗で「いいなぁ~日本の風景」と思った。




★ネタバレ注意





そしてここからは個人的な感想。辛口。

私は複雑なプロットやエモなシーンはほとんどいらないと思った。正直に書く。

1975年版の映画『新幹線大爆破』での事件を今回の2025年版に繋げているのは、なるほど感慨深いし、よく考えたと思うのだけれど…いかんせん複雑すぎる。そして昔の話から繋がった3人の人物達の裏話は説明が雑…それは2時間の映画で多くを語る時間がないからだろう。 …劇中、新幹線の危機的状況でハラハラしている(私もハラハラしたい)のに、だらだらと裏話を語られても人物達に感情移入が出来ずイライラするだけ。もし女の子の動機に(脚本が巧みに)説得力を持たせて、見ているものが彼女に心を寄せられれば、この複雑なプロットも効果的だっただろうと思うが、それをやるには時間が足りなかったのだろう。とても雑に思えた。設定に現実味もない。

女の子に感情移入や共感もできないので、正直このキャラにとても腹がった。「さっさと終わらせましょう」と思った。 …昔米国ハーバード大のマイケル・サンデル教授の『JUSTICE/これからの「正義」の話をしよう』という本で「一人を救うか、それとも皆を救うために一人を犠牲にするか?」というお題があったのだけれど、この映画を見ていたらそれを思い出した…「そりゃあ皆を救うに決まってるじゃないか」と思った。もし脚本で十分な説明ができていて、女の子が不憫だと思えたらそうは思わなかったと思う。 …そしてまた映画を見ながら少し考えた。アメリカならこの状況をどうするだろう??? きっと誰かが拳銃を持ってますよね。


それから日本のパニック映画ではよくあるシーン…人物達が熱くなり過ぎ。この映画ではJR東日本新幹線総合指令所のシーン。新幹線が大変な状況で今も走っている…秒を争う状況にもかかわらず、総合指令所で人々が喧嘩したり熱くなったりエモになったり…「感動的シーン」風の演技をしているのに萎える。無駄が多い。皆肩に力が入りすぎ。

こういうの、日本のドラマや映画で今までに何度も見た。何年か前の戦国時代を扱った大河ドラマでの「本能寺の変」のシーン…燃え上る建物の中で信長と帰蝶さんが熱く「愛しているわ」とか…延々とやってる。「もうはやく逃げなさいよっ!」と思わず画面に向かって叫んだ。 2021年のドラマの『日本沈没』も、東京の半分が壊滅しているのに、人物達がやたらと熱いシーンをやっていて鼻白んだ。日本のパニック作品はこういう熱いシーンを入れがちなのでしょう。

この映画では総理補佐官が大声を出して騒いでいたけれど「おいおい騒ぐよりも人を救うことを考えなさいよ」と思った。無駄なエネルギー。もちろん脚本がそのように書いているからそれが問題。


私はJRや政府の方々のプロの姿が見たい。最悪の状況で手際よく最善を尽くすかっこいいプロの姿が見たいと思う。それ以外のゴタゴタはいらない。人々が過剰に熱くなる必要もない。乗客には色々とお騒がせな人々もいたけれどいらないですね。大変な状況で無駄に騒いで問題を起こす人を見るとただイライラさせられるだけ。

新幹線の中で必死に働いてる草彅剛さんとのんさんはよかった。緊張してドキドキするパニック映画では、感情を抑えてやるべきことをテキパキとやる人がかっこいい。そういうのが見たい。


大昔、1971年にスピルバーグ監督の『激突!/Duel』という映画がありまして…。あの映画は何の説明も無い。ただアクションのみ。しかしアクションが面白くて引き込まれる。緊張感がずーっと続くのがたまらない。すごく面白かった。


…この新幹線の映画もアクションをメインで見たいと思った。新幹線のシーンが素晴らしかったのでもっと見たかった。主役は走る新幹線。ドキドキなアクションシーンとかっこいいプロの仕事が見れればそれでいい。正直な感想。


でも面白かったです。草薙さんの実直な男の佇まいがとてもいい。のんさんも淡々と感情を抑えて仕事をする若い女性がとてもよかった。淡々と真面目に仕事をするプロ。それが見たい。だって彼らの心の中が死ぬほど緊張しているのは想像すればわかるから。辛いのに感情を抑えて仕事をしているからこそプロ。拍手。


高倉健さんのオリジナルも見たいと思った。



2025年2月20日木曜日

映画『ロミオとジュリエット/Romeo and Juliet』(1968):シェークスピアで泣く?傑作です!







-----------------------------------------------------------------------------
『Romeo and Juliet (1968)/英・伊/カラー
/2h 18m/監督: Franco Zeffirelli』
-----------------------------------------------------------------------------


少し前にマリア・カラスのことを調べていて、もう一人の20世紀のソプラノ、ジョーン・サザランドの歌を思い出し、数年前に見たグノーのオペラ『ロメオとジュリエット/Roméo et Juliette』のことを思い出し、ここに書いた感想文を読んで思いを巡らせた。

…そういえば映画の『ロミオとジュリエット (1968) 』ってきちんと見たかな?

見たことはある。いくつかのシーンは絵で覚えている。しかし見たのは私が高校生の頃の1980年頃。テレビで日本語の吹き替え版を見た。とりあえず見たことはあるけれど、ずいぶん前の話なのできちんと見たとは言えない。もう1回見たいと思い Amazon Prime を探したら出てきた。レンタル可能。それで週末に見ることにした。


ま~~~素晴らしかったわ。本当に素晴らしい素晴らしい素晴らしい。この映画はティーンの時にティーン映画として見て「面白かったね」とそのまま忘れるだけなのはもったいない映画。芸術的な傑作だと思う。本当に素晴らしい映画です。


この映画は1968年の映画。そんなに古い映画だとは知らなかった。原作はもちろんシェークスピア。古典で時代劇だからなのか、1968年制作にも関わらず全く古びた感じがしない。今見ても本当に美しい映画です。それも驚いた。

私の中では『ロメオとジュリエット』映画でこれを超えるものはないとあらためて確信できた。本当に素晴らしい作品。


イタリア人の監督のフランコ・ゼフィレッリ/Franco Zeffirelli 氏の名前は1980年代まではよく聞こえてきていた。まず私が覚えたのはこの『ロメオとジュリエット (1968)』の監督だということ。そして彼はまた1981年のブルック・シールズの映画『エンドレス・ラブ Endless Love (1981)』の監督でもあった。たぶんそのあたりで彼の名前を覚えていたのだと思う(あの映画は2回シアターで見た)。


ゼフィレッリ氏は、イタリア・フィレンチェでファッション・デザイナーと羊毛とシルクの商人の不倫の末に1923に生まれた。6歳で母親を亡くす。その後イタリアの英国人のコミュニティーの中で育ったため、英語とイタリア語に堪能なバイリンガルとなる。ところで余談だが、彼はレオナルド・ダ・ヴィンチとの血縁関係も証明されたそうだ。

その後、ゼフィレッリ氏とイタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ/Luchino Visconti 氏の繋がりを知ったのはヴィスコンティ監督のことを調べていた時。ゼフィレッリ氏はヴィスコンティ監督の元で、舞台の美術を担当したり映画の助監督としても働いた。その経験を経てゼフィレッリ氏が45歳の時に監督したのがこの1968年の『ロメオとジュリエット』。


英語を解するイタリア人のゼフィレッリ氏が、シェークスピアの脚本を使い、出来る限りストーリーが描かれた当時の時代の再現を試みてイタリアで撮影した映画…というのはなかなかない黄金の組み合わせだろう。この脚本がイタリア語での翻訳の書き直しの脚本ではなく、シェークスピアの脚本をほぼそのまま(多少脚色しているそうだ)使ったこともこの映画が英語圏(世界で)成功した理由の一つだろう。この映画は商業的にも大成功を収めた。


元々の『ロメオとジュリエット』のアイデアは中世以前にまで遡るそうだ。時を経てイタリアやフランスで既に出版され演じられていた演劇の脚本からインスパイアされて、シェークスピアが加筆をして描いたのが有名なシェークスピア・バージョン。なんとシェークスピアの脚本は全てオリジナルではなかったのですね。


この映画の配役は、登場人物の実年齢に近づけたキャスティングで、撮影はイタリアで行われた。シェークスピア作の脚本なので、言語は1597年の古典演劇英語。しかし舞台はイタリアのヴェローナ(Verona)。イタリア人の監督が、英語の古典の脚本のまま、イタリアのティーンのロマンティックな悲劇を描いた。



まずタイトル画面に William Shakespeare’s Romeo and Juliet と出たので「これは古典英語か」と察した。続いて見続けるがなんとも難しい英語。わかったようなわからないような…。すると旦那Aが「これわかんないでしょ、字幕付けたほうがいいよ」と言うので「確かに、わからん」というわけで字幕を出したがそれでも…はて全体的に見て80%も聞き取れたかは疑問。映画は一度見ているし話もわかっているので問題なく楽しめたけれど、後から旦那Aと話していて、どうやら聞き取れなかった情報も沢山あったらしいことに気づいた。16世紀のシェークスピア英語はやっぱり難しかった。

しかしだからこそまた驚いた。この映画のロミオとジュリエットの役者さん達はお若い。撮影時に17歳と16歳なのにシェークスピア英語の芝居を納得できる演技で演じている。それに舌を巻く。

シェークスピア英語は舞台劇の英語なので、多少芝居がかるのは納得。それでもこの映画の若者達がしっかりと演技をしていることにとても感心した。...Convincing enough。すごいな~と思った。みんな上手なのね。


それからこの映画に出てくる若者達が皆全て美男ばかり。…まぁ私の偏見なのだろうけれど、ゼフィレッリ監督はゲイの方で、ましてやヴィスコンティ氏の元で仕事をしていた方で…だから美的感覚も相当なものだろうと。それでキャスティングも「芝居が上手くてルックスもいい役者」…そのようなこともかなり考えての配役だったのではないか。

主役のオリヴィア・ハッセーさんもレナード・ホワイティングさんも本当に綺麗です。イノセントで…しかし純粋過ぎるからこそ一途。あまりにも一途過ぎる若者の恋が信じられる。感動します。シェークスピアで泣けるってなかなかない。芝居が上手いからでしょう。年寄りは若者の瑞々しい恋を見るだけでも泣けるのよ。

この映画は目の保養。(撮影時の) 1967年のイタリアで、まだ古い建物や荒れた街並みが残っていた時代に、中世を再現して、英国から集めた美しく若い俳優さん達を使い、しっかりと演技指導をし、シェークスピア英語を巧みに喋らせて、耽美派のイタリア人の監督が、本格シェークスピア映画を撮る…そのようなドリーム・プロジェクトに私には見えてしまった。もうこのような設定でこのテーマの映画が撮られることはないだろうとさえ思った。傑作だと思う。

見て本当によかったです。あらためて昔日本で見た時の吹き替え版のティーン向け青春悲劇映画とは全く違う印象で少なからず驚きました。芸術作品。これは本当に見てよかった。


------------------------------------------------------------------------

少し面白いのでシェークスピア英語と現代英語を比べてみよう

第三幕・第5場
ロミオの台詞から
二人が共に夜を過ごして、朝立ち去るつもりのロミオがジュリエットに話す台詞。太字はシェークスピア。その下に現代の英語と訳。

* * * * * * * * * *

Let me be ta'en, let me be put to death;
   Take me away, put me to death;
   僕を連れていけ 死を我に

I am content, so thou wilt have it so
   I accept it if that's what you want.
   君が望むのなら 僕はそれを受け入れよう

I'll say yon grey is not the morning's eye,
   That gray light is not the dawn;
   あの灰色の空は夜明けではない

'Tis but the pale reflex of Cynthia's brow;
   it’s just the faint reflection of the moon's face.
   ただ月の女神(シンシア)の顔がかすかに反射しているだけ

Nor that is not the lark, whose notes do beat,
The vaulty heaven so high above our heads:

   And that’s not the lark, whose song fills the vast sky above us.
   あれはヒバリじゃないよ、
   僕たちの頭上高く大きな空に響くあの声は

I have more care to stay than will to go:
   I’d rather stay here than leave.
   僕は立ち去るよりもここにいたいんだ

Come, death, and welcome! Juliet wills it so.
   Come, death, I welcome you! Juliet wants it this way.
   来るがいい 死よ 僕は歓迎する ジュリエットが望んでいるんだ

How is't, my soul? let's talk; it is not day.
   How are you, my love? Let’s speak; it’s still not day.
   どう 僕の愛しい人? 話そうよ まだ日は明けない

* * * * * * * * * *

字幕を見れば何とか雰囲気はわかるけれど聞くだけではまずわからないですね。無理だこれは。現代英語とは言葉のリズムが違っていて意味がわからなくなる。旦那Aは聞くだけでもわかるのだそうだ。日本人が歌舞伎の台詞がなんとなくわかるのと同じようなものか。16歳の若い役者さん達がこの台詞で上手い芝居をしているのがすごいねと思う。ところでシンシアとはギリシャ神話の月の女神だそうだ。


2025年1月16日木曜日

映画『ビヨンド the シー 夢見るように歌えば/Beyond the Sea』(2004):Kスペイシーの大カラオケ大会…まぁ上手いもんだね






-----------------------------------------------------------------------------
『Beyond the Sea (2004)/英・独・米/カラー
/1h 58m/監督Kevin Spacey』
-----------------------------------------------------------------------------



先週の週末に家で見た映画。

先週、このブログの音楽コーナーで取り上げた米国の若い女性ジャズ・シンガーのSamara Joyさん。彼女の歌を聴いて「あ~ジャズっていいよねぇ」などと旦那Aと話していて、まぁ色々とYouTubeを漁って聴いていたわけです。「やっぱシナトラはいいよね。「Just In Time」はシナトラが一番いいね。おっと「Mack the Knife」はどうよ…これ20年ぐらい前に英国に住んでた時に、当時なぜか60年代のイージー・リスニングが流行って…アメリカや英国の「歌謡曲」的なものがロンドンですごく流行っていて、この Bobby Darin の「Mack the Knife」も(元Take Thatのアイドル)ロビー・ウィリアムスが歌ったりしてたよねぇ」…等々と話していた。「あのロビー・ウィリアムスはまぁまぁだったね、やっぱオリジナルがいいな。あ、そうだ、そういえば当時ケビン・スペイシーが Bobby Darin の映画を撮ってたよね。なんかちょこっとどこかで歌ってるの見たけど彼すごく上手いよね。その映画 見たいねぇ」などと話した。

「ちょっとアマゾン・プライムをチェックしてみようか…どれどれ、あ、あったよ。あ、これフリーじゃん。これフリーで見れるよ。見ようこれ。見よう見よう」…ということで先週の週末に見ることにした。その日は昼間、私は黒猫のアニメを見て酔ってしばらく寝ていたので、夜はいい音楽でも聴こうか…ということになった。


いや~…これは…。ケビン・スペイシーの大カラオケ大会やった。まぁ~上手いもんだ。それでOKOK。十分楽しんだ。この映画の評価はもうそれだけでいいのではないか。ケビン・スペイシーは歌が上手い。それです。


早速Rotten Tomatoesに評価を見に行ったら、なんとなんと100点満点中43点だそうだ。ぉお厳しいねぇ。なんで?

その理由はどうやら…まずこの主人公のボビー・ダリンさんが亡くなったのが37歳だそうなのですよ。それで批判の一番の理由は「当時45歳のケビン・スペイシーがジジイ過ぎる」ということらしい。それからボビー・ダリンさんの伝記映画としては…彼の影の部分が描かれていないから…表面をなぞっただけの薄っぺらい話だという意見もあったし、なによりもこの映画はケビン・スペイシーの「俺がボビー・ダリンを歌う姿を見ろ見ろ」という彼の「俺が俺が」のエゴの押しつけで恥ずかしい企画だとかなんとか…そのような厳しい感想/批判が出てきた。

なるほどね。元々ボビー・ダリンさんのことをよく知っている業界の人々には、ただケビン・スペイシーが得意顔で歌を歌うばかりの映画は問題なのかもしれない。

しかし私はボビー・ダリンさんに関する前知識が一切ない。この映画を見る前に彼の曲で知っていた曲は2曲のみ。なんの期待もなかったから、この映画がただケビン・スペイシーの大カラオケ大会でもなんの問題もなかった。すごく楽しかった。「やっぱケビン・スペイシーは歌がうまいよねぇ」と彼の歌に聴き惚れてそれだけで十分満足してしまった。(後半にかかる頃に少しだらけた感じはあったけど)。

確かにボビー・ダリンさんがどういうお方だったのかが解ったかと問われれば…どうだろう?あまり記憶にないかも笑。ただただ「やっぱケビン・スペイシーは歌がうまいよねぇ」だけだった。確かに。

まぁ個人的にはそれでもいいのかな…と思った。旦那Aも楽しんだらしい。

この映画でケビンさんはなんと18曲も歌ったらしい(サントラに18曲入っている)。それにケビン・スペイシーが結構踊る。驚いた。それに奥さん役のケイト・ボズワースはかわいい。歌を聴くためにもう1回見ようかな。


この映画、元々の企画は1994年頃に立ち上がったらしいのだけれど、実際にプロダクションが始まって撮影が行われたのは2003年の11月から。撮影は英国とドイツ。丁度その頃、当時の英国では前述の50年代後期~60年代初期のイージー・リスニング/歌謡曲がとても流行っていた。そして2004年からケビン・スペイシーはロンドンの劇場 Old Vic の芸術監督を始めていてロンドンを拠点にしていた。…なんだか様々なものが重なって出来上がった映画という感じがしますね。丁度いいタイミングだったのだろう。


丁度いいタイミングと言えば…
現在ニューヨークのブロードウェイで、このボビー・ダリンさんの新しいミュージカル『Just In Time』の公演の準備が進められているらしいです。初演は今年の3月28 日。劇場はCircle In The Square Theatre。もうチケットが発売されている。いいなぁ。楽しいだろうな。これヒットしたらツアーで来てくれないかなぁ。


Jonathan Groff as Bobby Darin on Broadway - 
First Teaser for Just in Time




2025年1月13日月曜日

映画『Flow/Flow/Straume』(2024):黒猫の冒険…しかし酔う





-----------------------------------------------------------------------------
『Flow (2024)/Latvia・Belgium・France/カラー・アニメーション
/1h 25m/監督:Gints Zilbalodis』
-----------------------------------------------------------------------------



久しぶりに映画館に映画を見に行った。そういえば去年2024年は結局一度も映画館にいかなかった。前回映画館に行ったのは『ゴジラ-1.0』で2023年の年末だ。

見ようと思ったのはもちろん黒猫が出てくるから。ラトビア製のアニメーション。言葉がなくて動物は動物の鳴き声を出す。トレイラーで見たら画面がとても綺麗だし、私は動物が好きだし、黒猫が主人公なら見に行こうと思い立った。


面白かったです。綺麗。なかなか映像はダイナミックで動きもすごいし、世界観もいい。セッティングや地理が不思議で、これはいったい何処の話だろう…とか、人間はどうしたのだろう…?とか、柴犬もずいぶんインターナショナルになったものだ…とか、様々な疑問を抱きながらも十分に楽しめた。


それにしてもあの設定はどうなっているのだろうね。不思議。言葉が全く出てこないので何の説明もなし。水が増える様子はまず自然界ではありえないレベルだと思うし、最後に急に水が引く意味もわからない。土地も…ワオキツネザルならマダガスカルか。ヘビクイワシならアフリカか? カピバラは南米だろう…それともこれはただおとぎ話として見ればいいのか。

そういえばジブリの『ポニョ』を思い出した。それ以外にもクジラのような魚のような巨大生物は…あれはジブリ風の怪物にも見える。山の様子や水の様子も…何度もジブリを思った。

アニメーションはそれほど精密ではないのかとも思った。少し粗い。日本のアニメならもう少し細かいところを詰めそうな気もする。しかし猫の動きはうまい。この監督さんは猫を飼っているのだろう。とてもかわいい。猫の声もかわいい。


内容は不思議だが、とにかくスクリーンの中の世界の展開を楽しめばいいと思う。特にメッセージがあるようにも思えないし(不思議な場面はいくつかあるが)、ただ不思議でダイナミックな世界感を楽しめばいいと思う。ストーリー的になにか驚かされるわけでもなかった。ただ黒猫と仲間の冒険を眺める映画。

擬人化の場面が少しあるのは少し疑問かな。動物たちは言葉を喋らないから頭の中身も動物かと思ったのだが、明らかに「船」や「物のコレクション」などの「人間的な知識」があって行動している場面もあるので、中途半端な擬人化にも見えた。特に気になるわけではないけれど。

そんなわけでただ不思議な世界の映像を楽しんだ映画。よかったです。ネット上では映画を見た人々が様々な解釈に思いを巡らせているようで、それを読むのも面白い。



ただ最後に言っておきたいことがある。この映画は

乗り物酔いします


ほぼ1時間半の長さ。映画館の前の席に座ってがっつり画面の近くで見た。最初は全く大丈夫だったのに、画面の動きの激しさを見ているうち、気付かない間に少しずつ酔ったらしく、最後の15分ほどは見ているのが辛い…はやく席を立ちたいと思うほど乗り物酔いをして気持ち悪くなった。映画でこうなることはめったになかったので驚いた。映画館を出た後も暫く気持ち悪かったので酔い止めの薬を飲んだ。

そんなわけでスクリーンに近い席で見る時は、酔いやすい人は注意です。最初から酔い止めの薬を飲んだ方がいいかも。


しかし思った。もしかしたらこの「酔い」は、私の年齢によるものではないかと。年を取ってこういうものも上手く処理できなくなってきたのではないかとも思った。もう画面の動きの激しいアクション映画は見れないのではないかと少し心配になった。ますます映画館から足が遠のく。



2024年9月17日火曜日

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日/Civil War』(2024):リアル?まさか本当には起こるまい







-----------------------------------------------------------------------------
『Civil War (2024)/米・英/カラー
/1h 49m/監督/脚本:Alex Garland』
-----------------------------------------------------------------------------



米国のTV・HBOチャンネルの広告でこの映画の放送を知り録画した。この映画の米国での封切は今年の4月12日だったそうだ。劇場公開された映画だったのですね。全く知らなかった。

それにしてもなんとタイムリーな…笑 と言っちゃいけないのかしら。今米国は分断されていますからね。 Civil Warとは内戦という意味ですが、昨日のエントリーで取り上げた…「2021年1月6日の連邦議会襲撃事件」のことを思い出せば、アメリカ国内で内戦が起こるかもしれない…と考える人もいないわけではないだろう。今のアメリカとは、そのようなことを考えさせられるぐらい分断されている…。

今年は11月に大統領選挙がある。その選挙でもし🐯氏が負けたとしたら…また彼は暴徒を扇動して暴動を起こすのではないか…と心配する人もいるだろう。私もその一人。


この映画もそのような背景があって立ち上がった企画なのだろうと思います。タイトルはズバリ

Civil War


…私は単純に「面白そうだ」とテレビ放送を録画したのだけれど、旦那Aに「見る?」と聞いたら「見たくない」とのこと。そうかもしれませんね。彼にとっては大切な国だもの。自分の国の内戦の映画なんて見たくないのかも。


というわけで一人で鑑賞。

正直少し拍子抜け。というのもこの映画、お題の「アメリカの内戦」がどのような理由でどのようなカタチで始まったのか?の説明がほとんどない。

戦争は既に始まっていて、その戦時下を3人のジャーナリスト+1人の見習いカメラマンが車でニューヨークから首都ワシントンDCまで走る…という話。


冒頭に、白人の大統領がスピーチの練習をしている
「Some are already calling it the greatest victory in the history of mankind.」

…って、笑 これ、🐯ンプさんの言葉づかいそのまんまじゃん。ウヒャヒャ…

やっぱりそうよなぁ。そうよ。今のアメリカを内戦に向かわせるのは、過去にも未来にも🐯氏しかいないだろう。それぐらい彼は特殊。とんでもなく特殊。そもそも彼は大統領になるべき人ではない。この映画はそのような批判も込めて作られたのかもしれませんね。


映画の内容は…

「PRESS」の文字を車体に書いた車に乗って、4人の主人公達が戦争地帯を走り抜けるロード・ムービー。アメリカを車で旅すればわかるのだけれど、アメリカは何もない広大な土地を延々と移動してしばらくすると都市や町や家がぽつんぽつんと現れるもので、この映画も主人公達が車で移動する様子が多く描かれる。

長いドライブの途中の様々な場所で、4人はそれぞれの土地の個々の戦いのシーンを目撃することになる。道の途中に現れるガソリン・スタンド、広大な土地の豪邸、市民同士で銃を打ち合う現場、戦争中だとみじんも感じさせない平和な町、それから多くの人々が避難して助け合う場所、広大な土地の真ん中で銃を構えた二人組…などなど、様々なアメリカの内戦中の風景が描かれる。その様子は結構リアルなのだろうと思った。


私は聞き逃してしまったのだが、どうやら戦争の発端は、大統領がFBIを解散し、反旗を翻したカリフォルニア州とテキサス州の「西軍」に対して大統領が軍隊を送ったとかなんとか(違うかも)。

それにしても反大統領の勢力・西軍の設定が、テキサス州とカリフォルニア州の連合軍とは…あまりリアリティがない笑。カリフォルニア州は現実には左寄りのリベラルな州で、現実のテキサス州は右寄り保守派のコンサバな州ですから、現実にはありえない連合軍でしょう。

…しかし考えてみれば、現実には右と左で敵対し合っている地方を仲間同士にすることで米国の左と右の観客を必要以上に刺激しないように配慮もしているのでしょう。しかし戦う相手が🐯氏風大統領であるのはごまかしていない。

ともかく。独裁者になった大統領に対して、西軍が武力で戦いを挑む。
…しかし西軍の軍隊はどこから来たのだろう?大統領には大統領が指令する国の軍があるはずだけれど、西軍の州の軍隊が大統領軍に反旗を翻したのか????…そのあたりもよくわからなかった。


映画としての印象は…

少しアート系の映画っぽい。トレイラー/予告で描かれているよりも、この映画はず~っと静かな映画です

戦時映画とはいいながら、カメラワークはどうもアート系の雰囲気で戸惑う音楽も突然場違いな歌が流れたり…それは意図的なのだろうけれど…、どうやら監督は戦争映画をアート系のイメージで見せたかったのではないかと時々戸惑った。

いかにも戦争アクション映画らしくなるのは、4人がワシントンDCに着いてから。街に戦車が走り、ヘリコプターがビルの間に浮かびながらレーザーを打ち込んだり爆撃したりする様子はなかなか本格的。

…そのような場面は、私にとっては『ゴジラ』映画のようなもので、まぁ派手にドンパチやってくれればよろしい。なかなかいい場面が多くてすごいなと思った。緊張の走る戦争映画のシーンでドキドキ。戦争映画は長い間見ていなかったけれど、今どきの戦争の描写はすごいねと感心。

不謹慎ですが、私は個人的にはまさか内戦が起こるとは思っていないので、戦争のドンパチの様子もただ面白いねと見た。



★ネタバレ注意



最後は『忠臣蔵』だな。吉良さんが追い詰められる様子と同じ。そしてそれが終わったら映画も終わってしまった。


戦争の政治的な背景だとか状況の説明もあまりないまま、悪者も捉まえることなくストンと戦争が終わってしまうのは、どうにも野蛮で鼻白む。…え~それで終わり? カダフィと同じじゃん。野蛮じゃないですか。ダメですよ。

…しかし綺麗ごとを描かず、何の説明もせず、その後国がどうなったのかなどの事後報告も無く、ストンと話が終わってしまうのも、実はリアルなのかもしれませんね。この映画、ただただ4人の主人公達が、内戦中の国内をドライブして走り抜け、様々な戦争の様子を目撃し、最後も結末を目撃してそれだけで終わり。

なんだかな~。ちょっと拍子抜けといういうか…。う~ん。


まさか現実に内戦が起こることはないでしょう…と私は思うのであまり深刻にならずに見た。しかし過去に何度かワシントンDCのあたりを車で移動したこともあるので、結構リアルだよな…とも思いながら見た。

制作は「もしアメリカに内戦が起こったら」と仮説を立て、それをリアルに描くために様々なアイデアを出したのだろうと思う。主人公達が車で移動して様々な土地に立ち寄り、突然戦いの場面に出くわしてびっくりする様子は、実はかなりリアルなのだろうとも思った。いかにも広大なアメリカならではの内戦の風景を描いているのだろう。

おそらく意図的なものだと思うが、大統領サイドは皆白人ばかり。そして西軍には様々な人種の顔が見える。これも今の過激な保守派の様子などを描いたのだろう。はっきりと言うならば「保守派の白人至上主義軍」と「有色人種とリベラル白人連合軍」の戦いの設定なのだろう。まぁそうですよね。

1回だけ見て、なんだかうだうだ印象だけ書いた。これからプロの批評を読んでみよう。



ところで余談だけれど…

見習いカメラマンのJessieちゃん。彼女はパパのカメラNIKONのFE2で写真を撮っている。この映画は彼女の成長物語でもあるのだけれど。

あのNIKONのFE2…私持ってますよ(自慢!)。だからちょっと嬉しくなった。デジカメが出てきてからもうず~っと触ってないけれど、今も箱に入れて持っている。買ったのは1984年。FE2は一眼レフのフィルムのカメラです。

しかしこのFE2は、マニュアル・フォーカスのカメラです。いちいち自分でレンズを回してピントを合わせなければならない。だからあのカメラは緊張する状況ではなかなか使いにくいだろうと思った。人が撃たれて死ぬ様子を初めて見た若い女の子が、震えもせずにマニュアルでピントを合わせるなんてプロでも大変だろうに…映画の中で彼女はピントを合わせずに撮ってるみたいですね。ちょっと設定に無理があると思ったわ笑。

オートフォーカスが一般的になったのは、たぶん1990年ぐらいではなかったか。1990年年頃までにはCanonのオートフォーカスのカメラをプロのカメラマンも使っていたと思う。1984年頃はまだオートフォーカスのカメラは一般的ではなかったと思う。友人が同じころにFE2よりも上位機種のF3を買ったのだけれど、F3は当時プロが使っていたと記憶している。

このマニュアルのカメラは、小さなボタン電池を入れれば自動でシャッタースピードを決めてくれた。その電池は数年間はもつのでバッテリーの心配をしなくてもいい。そういうのも戦時下にはいいということだろうか。

昔はよく使った FE2。ちょっと箱から出してみようかな。
なんだかカメラの話が長くなった