昨日映画を見て、ユダヤ人のディスポラ(離散)の歴史に興味を持ったので調べてみた。映画の感想はまた後で書きます。
ここ数年、ユダヤ人/ユダヤ系の人々の事が多く語られているのをメディアでよく見かけるようになった。アメリカでもユダヤの人々に関するニュース、イスラエルに関するニュース、イスラエルやユダヤ人に対するアメリカ人の反応などを見たり読んだりする。
昨日見た映画も20世紀初頭のウクライナのユダヤ人の歴史を元に描かれたものだった。彼等の揺るぎない強いアイデンティティが、彼等の困難の多い歴史から生まれたものだということはぼんやりと知っていたが、実際に彼らの歴史とはどういうものだったのだろう?少し学んでみようと思った。
民族が離散し困難の多い歴史がありながらも、ユダヤの方々は独自のアイデンティティを保ち続け、数多くの知識人や学者、社会での成功者を生みだしている。しかし彼らはしばしば防御的であり、特に近年のイスラエルではその防御的な心が(外からは過剰に見えるほどの)攻撃性を生み出しているようにも思える。彼等の心の底には何があるのかが知りたくなった。
Wikipediaの英語の情報をGoogle翻訳でざっと読み、気になったところは英語で確認してそれをまとめてみた。たぶん間違っていないと思うが、抜けている情報もあるかもしれない。自分用におおまかなユダヤの歴史を追ってみた。
参考にしたのはWikipediaのページ。
Jewish diaspora:https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_diaspora
Jews:https://en.wikipedia.org/wiki/Jews
↓ This text is based on excerpts, translations, from the Wikipedia articles "Jewish diaspora" and "Jews," and is provided under the CC BY-SA 4.0 license.
🕎ユダヤ人とは
ユダヤ人/ユダヤ民族とは、古代イスラエルおよびユダのイスラエル人を起源とする民族宗教集団/民族。彼らは伝統的にユダヤ教を信仰する。ユダヤ教は民族宗教であるため、ユダヤ人の民族性、宗教、共同体は互いに密接に関連しているが、民族としてのユダヤ人の中にはユダヤ教を実践していない人々も多く存在する。ユダヤ人は、古くから続く改宗の過程を経てユダヤ教に改宗した人々もユダヤ民族の一員とみなしている。
🕎ユダヤ人の起源
イスラエル人は、鉄器時代(紀元前1500年以降)の南レヴァントにおいて、それ以前から存在していたカナーン諸民族の中から台頭し、イスラエル王国とユダ王国を樹立した。当初「ユダヤ人」という呼称はユダ王国の住民を指すものであり、異邦人やサマリア人とは区別されていた。
ヘブライ聖書によれば、これらの住民の多くはユダ族の出身であり、彼らは(旧約聖書の)ヤコブの四男ユダの末裔であった。ベニヤミン族もまたユダ王国における重要な集団であり、彼らもユダヤ人と見なされていた。
紀元前6世紀後半までには、(現代の学者から)ヤハウェ信仰(Yahwism)と呼ばれるイスラエル人の宗教からユダヤ教が発展した。その神学は、神とユダヤ民族との間で結ばれた「モーセの契約」であるとユダヤ教徒によって信じられている。
(旧約聖書の「出エジプト記」は、考古学的な証拠によって裏付けられているわけではない。しかしセム系の人々が約4000年前にエジプトに入ったという証拠はあるそうで、またエジプトは王朝時代より前からもレバントとの交流の歴史があったらしい…という記事も見かけた。)
🕎ユダヤ人のディアスポラ(離散)の歴史
ユダヤ人のディアスポラとは、イスラエルの地の外部に居住するユダヤ人集団を指す。
歴史的には、南レヴァントの故地からイスラエル人が広範囲にわたって離散し、世界の各地に定住して多様なユダヤ人コミュニティを形成するに至った経緯を指す言葉。
古代 ----------------
ヘブライ語の聖書において「ガルート」(文字通りには「追放」の意)という語は、古代イスラエルおよびユダの地における二つの主要な追放の出来事を経てイスラエルの十二部族がたどった運命を指す。
● 紀元前8世紀に新アッシリア帝国によってイスラエル王国が征服された際の「アッシリア捕囚」
イスラエルから連れ去られた人々は「失われた十部族」として離散
● 紀元前6世紀に新バビロニア帝国によってユダ王国が征服された際の「バビロン捕囚」
ユダ王国から連れ去られた人々(ユダ族とベニヤミン族で構成)は「ユダヤ人/ユダの者」というアイデンティティを持つようになり…
● その後ユダヤ人はペルシアによるバビロニア征服後に帰還を果たした。
…アケメネス朝 ペルシア(紀元前550年頃から紀元前330年)による紀元前538年の新バビロニア征服後、キュロス2世はバビロンの伝統的な宗教・文化に敬意を示し、バビロン捕囚に遭っていたユダヤ人を解放して故国へ帰還させた)
ユダヤ人のディアスポラ(離散集団)は、元々西暦70年のローマ軍によるエルサレム包囲以前から何世紀にもわたって存在していたと言われている。
それ以前の「第二神殿時代」において、こうしたディアスポラが形成された背景には、政治的・戦争難民の発生、奴隷化、強制移住、人口過剰、負債、軍務への従事、さらには事業・商業・農業における機会など、様々な要因があった。
ローマ帝国の時代 ----------------
西暦1世紀半ば(1500 BCE)以前にも、ユダヤ、シリア、バビロニアに加え、ローマ帝国の属州であるエジプト、クレタ、キレナイカ、さらにはローマ市そのものにも、大規模なユダヤ人コミュニティが存在していた。
● 紀元前63年 ユダヤ地方におけるローマの支配はポンペイウスがエルサレムを占領したことから始まる。数千人のユダヤ人捕虜がユダヤ地方からローマへ連行され、奴隷として売却され、その後ローマ市内に定住。
● 紀元前4年頃(または紀元前6年頃)推定:キリストの誕生
● 西暦66年、南レヴァントの大部分はローマの属州ユダヤとして組織されたが、そこで発生した大規模な蜂起は「第一次ユダヤ・ローマ戦争」へと発展。
● 西暦70年にはエルサレム攻囲戦が起こり、この戦いでローマ軍は(ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て籠もっていた)エルサレムを陥落させ、市街のほか、聖地であるエルサレム神殿も破壊された。
ローマ軍に対する敗北と、それに伴うユダヤ人のアイデンティティの象徴的中心地(エルサレム神殿)の喪失は、「第二神殿時代のユダヤ教」の終焉を意味するものであった。この出来事は、多くのユダヤ人に対し、新たな自己定義を模索させ、無期限に続く離散(ディアスポラ)の状態に適応した生き方を模索させる契機となった。
その後もユダヤの民族主義勢力とローマ帝国の間では数十年間にわたり断続的な戦闘が続いた。
● 西暦129/130年、ローマ皇帝ハドリアヌスがエルサレムの廃墟の上に都市アエリア・カピトリナを建設するよう命じる。様々なユダヤ人への弾圧が続いた。
● 西暦132年にバル・コクバの乱が勃発(第二次ユダヤ戦争)。
ローマの圧政に対し、シモン・バル・コクバが率いた反乱は4年間に及んだが、最終的には失敗に終わり、ユダヤ・ローマ戦争の最後の戦いとなった。
その結果、ユダヤ人は虐殺されたり属州各地へ追放されたりしたほか、エルサレムとその周辺地域への立ち入りやユダヤ教の信仰を禁じられ、ユダヤ人のディアスポラ(離散)が大幅に拡大することとなった。
● 西暦313年 ミラノ勅令:コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認
● 西暦392年 キリスト曲の国教化:テオドシウス帝が他の異教を禁止し、キリスト教をローマ帝国の唯一の国教と定めた
中世 ----------------
中世に入り、移住や再定住が進むにつれて、ディアスポラのユダヤ人は地域ごとに異なる集団へと分かれていった。それらは一般的に二つの主要な地理的区分によって分類される。
● 神聖ローマ帝国や東欧で形成された「アシュケナジム(アシュケナージ系ユダヤ人)」
● イベリア半島やアラブ世界で形成された「セファルディム(セファルディ系ユダヤ人)」
これら二つの集団は並行した歴史を歩んでおり、多くの文化的共通点を持つと同時に、迫害や追放、そして集団離散(エクソダス)といった経験も共有している。
例えば…
● 1290年のイングランドからの追放
● 1492年のスペインからの追放
などがある。
これら二つの系統は、それぞれ独自の民族文化的慣習を数多く持ち、現地の居住集団(アシュケナージ・ユダヤ人の場合は中欧の人々、セファルディ・ユダヤ人の場合はヒスパニックやアラブ人など)とのつながりも有している。しかし、共通の宗教的慣習や祖先を共有していることに加え、絶え間ない交流や集団間の移動があったことで、ローマ時代後期以降、両者の間には「一つの民族である」という強固な一体感が醸成されていった。
歴史の流れの中で様々な土地に移り住んだ他のユダヤ人のグループも多く、彼らはそれぞれの呼称を持つ。その一つのグループが「ミズラヒ・ユダヤ人」。彼らはアジア、北アフリカ、および北コーカサスの一部に居住していたユダヤ人共同体の子孫。このグループには、イラク系、イラン系、ブハラ系、クルド系、アフガニスタン系、山岳ユダヤ人(Mountain Jews)、ジョージア系、そして小規模なバーレーン系ユダヤ人の共同体も含まれる。
居住した土地によって分けられるユダヤ人・ユダヤ系の人々のグループには…
Ashkenazim(Galician・Litvak)Mizrahim、Sephardim、Teimanim (Yemenite Jews)、Beta Israel、Gruzinim(Georgian Jews)、Juhurim (Mountain Jews)、Bukharim、Italkim、Romanyotim、Cochinim、Bene Israel、Berber、Crimean Karaites)、Krymchaks、Kaifeng Jews
また関係のあるグループには…
Bnei Anusim、Lemba、Igbo Jews、Samaritans、Crypto-Jews(Anusim・Dönmeh・Marranos・Neofiti・Xueta)Mosaic Arabs、Subbotniks、Noahides などなどがある
🍀本当に何度も何度も国が征服されていたのですね。最終的にローマ帝国による征服でユダヤの方々は国を失い、人々は各国に離散していった。しかしそれでも彼らが独自のアイデンティティを持ち続けたのは本当にすごいことだと思います。彼らの強さと特殊な防御/防衛の思想は、苦難に耐え続けた彼らの長い長い歴史にあるのだと理解した。
イスラエルの土地の歴史も記録しておこう
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The history of Israel
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Ancient and Biblical Period (c. 1800 BCE – 70 CE)
紀元前(BC/BCE)
c. 1800–1500 BCE: 族長アブラハム、イサク、ヤコブがカナンの地に定住する
c. 1300–1200: モーセに率いられたイスラエル人のエジプト脱出と、その地への定住
1020 : Saul はイスラエル統一王国の初代の王として戴冠
1000 : ダビデ王はエルサレムを首都と定めた
960 : ソロモン王がエルサレムに第一神殿を建設
922 : 王国は、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂
722–720 : アッシリア帝国がイスラエル北王国を征服
586 : バビロニアはユダを征服し、第一神殿を破壊して、ユダヤ人の多くを追放
538 : ペルシアのキュロス大王は、ユダヤ人が帰還し、第二神殿を建設すること(紀元前516年頃に完成)を許可した
332 : アレクサンドロス大王がこの地域を征服し、ヘレニズム支配をもたらした
164 : マカバイ/Maccabees 戦争ではユダヤ人の自治を回復することに成功した(ハヌカとして祝われている)
63 BCE: ローマの将軍ポンペイウスがエルサレムを占領し、ローマによる支配が始まる
紀元後/西暦(AD/CE)
70 CE: 大規模なユダヤ人の反乱を受けてローマ軍が第二神殿を破壊、その結果、広範な離散(ディアスポラ)が生じた。
Foreign Rule and Ottoman Period (313 – 1917 CE)
313–637 : ビザンツ(キリスト教徒のローマ)の統治がこの地域に及んだ
637–641 : アラブ・イスラーム勢力がこの地域を征服し、数世紀にわたるカリフによる統治をもたらした
1099–1291 : ヨーロッパの十字軍が聖地の一部を占領・支配
1516–1917 : オスマン帝国は、広大なイスラーム帝国の一部としてこの地域を統治
British Mandate and Modern State (1917 – Present)
1917: イギリス軍がパレスチナを占領し、英国外務省がユダヤ人のための民族的郷土の建設を支持するバルフォア宣言を発表した
1939–1945: 第二次世界大戦とホロコーストは、パレスチナへの欧州ユダヤ人の移住を再び促した。
1947: 国連は、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割することを議決する。
14 May 1948: イギリスの委任統治が終了し、ダヴィド・ベングリオンがイスラエル独立国家の樹立を宣言
1948–1949: 第一次中東戦争が勃発し、休戦協定によって新国家の境界線が定められた
1967: 第三次中東戦争(六日間戦争)の結果、イスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原、シナイ半島を掌握した
1973: ヨム・キプール戦争は、エジプトとシリアの連合軍を相手に戦われた
1979: イスラエルとエジプトの間で、歴史的な和平条約が調印される
1993: オスロ合意が署名され、ヨルダン川西岸とガザの一部におけるパレスチナの自治の枠組みが確立された
2000s–Present: 継続する地域紛争、和平への取り組み、国交正常化合意(2020年の「アブラハム合意」など)、そして変化し続ける安全保障上の課題が、現代イスラエルの歴史を形成している。
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