2026年9月27日日曜日

ユダヤ人/ユダヤ系の方々…彼等のディスポラ(離散)の歴史について学ぶ



昨日映画を見て、ユダヤ人のディスポラ(離散)の歴史に興味を持ったので調べてみた。映画の感想はまた後で書きます。


ここ数年、ユダヤ人/ユダヤ系の人々の事が多く語られているのをメディアでよく見かけるようになった。アメリカでもユダヤの人々に関するニュース、イスラエルに関するニュース、イスラエルやユダヤ人に対するアメリカ人の反応などを見たり読んだりする。

昨日見た映画も20世紀初頭のウクライナのユダヤ人の歴史を元に描かれたものだった。彼等の揺るぎない強いアイデンティティが、彼等の困難の多い歴史から生まれたものだということはぼんやりと知っていたが、実際に彼らの歴史とはどういうものだったのだろう?少し学んでみようと思った。

民族が離散し困難の多い歴史がありながらも、ユダヤの方々は独自のアイデンティティを保ち続け、数多くの知識人や学者、社会での成功者を生みだしている。しかし彼らはしばしば防御的であり、特に近年のイスラエルではその防御的な心が(外からは過剰に見えるほどの)攻撃性を生み出しているようにも思える。彼等の心の底には何があるのかが知りたくなった。

Wikipediaの英語の情報をGoogle翻訳でざっと読み、気になったところは英語で確認してそれをまとめてみた。たぶん間違っていないと思うが、抜けている情報もあるかもしれない。自分用におおまかなユダヤの歴史を追ってみた。


参考にしたのはWikipediaのページ。
Jewish diaspora:https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_diaspora
Jews:https://en.wikipedia.org/wiki/Jews


↓ This text is based on excerpts, translations, from the Wikipedia articles "Jewish diaspora" and "Jews," and is provided under the CC BY-SA 4.0 license.


🕎ユダヤ人とは

ユダヤ人/ユダヤ民族とは、古代イスラエルおよびユダのイスラエル人を起源とする民族宗教集団/民族。彼らは伝統的にユダヤ教を信仰する。ユダヤ教は民族宗教であるため、ユダヤ人の民族性、宗教、共同体は互いに密接に関連しているが、民族としてのユダヤ人の中にはユダヤ教を実践していない人々も多く存在する。ユダヤ人は、古くから続く改宗の過程を経てユダヤ教に改宗した人々もユダヤ民族の一員とみなしている。



🕎ユダヤ人の起源

イスラエル人は、鉄器時代(紀元前1500年以降)の南レヴァントにおいて、それ以前から存在していたカナーン諸民族の中から台頭し、イスラエル王国とユダ王国を樹立した。当初「ユダヤ人」という呼称はユダ王国の住民を指すものであり、異邦人やサマリア人とは区別されていた。
ヘブライ聖書によれば、これらの住民の多くはユダ族の出身であり、彼らは(旧約聖書の)ヤコブの四男ユダの末裔であった。ベニヤミン族もまたユダ王国における重要な集団であり、彼らもユダヤ人と見なされていた。

紀元前6世紀後半までには、(現代の学者から)ヤハウェ信仰(Yahwism)と呼ばれるイスラエル人の宗教からユダヤ教が発展した。その神学は、神とユダヤ民族との間で結ばれた「モーセの契約」であるとユダヤ教徒によって信じられている。


(旧約聖書の「出エジプト記」は、考古学的な証拠によって裏付けられているわけではない。しかしセム系の人々が約4000年前にエジプトに入ったという証拠はあるそうで、またエジプトは王朝時代より前からもレバントとの交流の歴史があったらしい…という記事も見かけた。)



🕎ユダヤ人のディアスポラ(離散)の歴史

ユダヤ人のディアスポラとは、イスラエルの地の外部に居住するユダヤ人集団を指す。
歴史的には、南レヴァントの故地からイスラエル人が広範囲にわたって離散し、世界の各地に定住して多様なユダヤ人コミュニティを形成するに至った経緯を指す言葉。


古代 ----------------
ヘブライ語の聖書において「ガルート」(文字通りには「追放」の意)という語は、古代イスラエルおよびユダの地における二つの主要な追放の出来事を経てイスラエルの十二部族がたどった運命を指す。

● 紀元前8世紀に新アッシリア帝国によってイスラエル王国が征服された際の「アッシリア捕囚」
イスラエルから連れ去られた人々は「失われた十部族」として離散

● 紀元前6世紀に新バビロニア帝国によってユダ王国が征服された際の「バビロン捕囚」
ユダ王国から連れ去られた人々(ユダ族とベニヤミン族で構成)は「ユダヤ人/ユダの者」というアイデンティティを持つようになり…

● その後ユダヤ人はペルシアによるバビロニア征服後に帰還を果たした。
…アケメネス朝 ペルシア(紀元前550年頃から紀元前330年)による紀元前538年の新バビロニア征服後、キュロス2世はバビロンの伝統的な宗教・文化に敬意を示し、バビロン捕囚に遭っていたユダヤ人を解放して故国へ帰還させた)


ユダヤ人のディアスポラ(離散集団)は、元々西暦70年のローマ軍によるエルサレム包囲以前から何世紀にもわたって存在していたと言われている。

それ以前の「第二神殿時代」において、こうしたディアスポラが形成された背景には、政治的・戦争難民の発生、奴隷化、強制移住、人口過剰、負債、軍務への従事、さらには事業・商業・農業における機会など、様々な要因があった。


ローマ帝国の時代 ----------------
西暦1世紀半ば(1500 BCE)以前にも、ユダヤ、シリア、バビロニアに加え、ローマ帝国の属州であるエジプト、クレタ、キレナイカ、さらにはローマ市そのものにも、大規模なユダヤ人コミュニティが存在していた。

● 紀元前63年 ユダヤ地方におけるローマの支配はポンペイウスがエルサレムを占領したことから始まる。数千人のユダヤ人捕虜がユダヤ地方からローマへ連行され、奴隷として売却され、その後ローマ市内に定住。

● 紀元前4年頃(または紀元前6年頃)推定:キリストの誕生

● 西暦66年、南レヴァントの大部分はローマの属州ユダヤとして組織されたが、そこで発生した大規模な蜂起は「第一次ユダヤ・ローマ戦争」へと発展。

● 西暦70年にはエルサレム攻囲戦が起こり、この戦いでローマ軍は(ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て籠もっていた)エルサレムを陥落させ、市街のほか、聖地であるエルサレム神殿も破壊された。

ローマ軍に対する敗北と、それに伴うユダヤ人のアイデンティティの象徴的中心地(エルサレム神殿)の喪失は、「第二神殿時代のユダヤ教」の終焉を意味するものであった。この出来事は、多くのユダヤ人に対し、新たな自己定義を模索させ、無期限に続く離散(ディアスポラ)の状態に適応した生き方を模索させる契機となった。

その後もユダヤの民族主義勢力とローマ帝国の間では数十年間にわたり断続的な戦闘が続いた。

● 西暦129/130年、ローマ皇帝ハドリアヌスがエルサレムの廃墟の上に都市アエリア・カピトリナを建設するよう命じる。様々なユダヤ人への弾圧が続いた。

● 西暦132年にバル・コクバの乱が勃発(第二次ユダヤ戦争)。
ローマの圧政に対し、シモン・バル・コクバが率いた反乱は4年間に及んだが、最終的には失敗に終わり、ユダヤ・ローマ戦争の最後の戦いとなった。

その結果、ユダヤ人は虐殺されたり属州各地へ追放されたりしたほか、エルサレムとその周辺地域への立ち入りやユダヤ教の信仰を禁じられ、ユダヤ人のディアスポラ(離散)が大幅に拡大することとなった。


● 西暦313年 ミラノ勅令:コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認

● 西暦392年 キリスト曲の国教化:テオドシウス帝が他の異教を禁止し、キリスト教をローマ帝国の唯一の国教と定めた


中世 ----------------
中世に入り、移住や再定住が進むにつれて、ディアスポラのユダヤ人は地域ごとに異なる集団へと分かれていった。それらは一般的に二つの主要な地理的区分によって分類される。

● 神聖ローマ帝国や東欧で形成された「アシュケナジム(アシュケナージ系ユダヤ人)」

● イベリア半島やアラブ世界で形成された「セファルディム(セファルディ系ユダヤ人)」

これら二つの集団は並行した歴史を歩んでおり、多くの文化的共通点を持つと同時に、迫害や追放、そして集団離散(エクソダス)といった経験も共有している。

例えば…
● 1290年のイングランドからの追放
● 1492年のスペインからの追放
などがある。


これら二つの系統は、それぞれ独自の民族文化的慣習を数多く持ち、現地の居住集団(アシュケナージ・ユダヤ人の場合は中欧の人々、セファルディ・ユダヤ人の場合はヒスパニックやアラブ人など)とのつながりも有している。しかし、共通の宗教的慣習や祖先を共有していることに加え、絶え間ない交流や集団間の移動があったことで、ローマ時代後期以降、両者の間には「一つの民族である」という強固な一体感が醸成されていった。


歴史の流れの中で様々な土地に移り住んだ他のユダヤ人のグループも多く、彼らはそれぞれの呼称を持つ。その一つのグループが「ミズラヒ・ユダヤ人」。彼らはアジア、北アフリカ、および北コーカサスの一部に居住していたユダヤ人共同体の子孫。このグループには、イラク系、イラン系、ブハラ系、クルド系、アフガニスタン系、山岳ユダヤ人(Mountain Jews)、ジョージア系、そして小規模なバーレーン系ユダヤ人の共同体も含まれる。


居住した土地によって分けられるユダヤ人・ユダヤ系の人々のグループには…
Ashkenazim(Galician・Litvak)Mizrahim、Sephardim、Teimanim (Yemenite Jews)、Beta Israel、Gruzinim(Georgian Jews)、Juhurim (Mountain Jews)、Bukharim、Italkim、Romanyotim、Cochinim、Bene Israel、Berber、Crimean Karaites)、Krymchaks、Kaifeng Jews

また関係のあるグループには…
Bnei Anusim、Lemba、Igbo Jews、Samaritans、Crypto-Jews(Anusim・Dönmeh・Marranos・Neofiti・Xueta)Mosaic Arabs、Subbotniks、Noahides などなどがある



🍀本当に何度も何度も国が征服されていたのですね。最終的にローマ帝国による征服でユダヤの方々は国を失い、人々は各国に離散していった。しかしそれでも彼らが独自のアイデンティティを持ち続けたのは本当にすごいことだと思います。彼らの強さと特殊な防御/防衛の思想は、苦難に耐え続けた彼らの長い長い歴史にあるのだと理解した。



イスラエルの土地の歴史も記録しておこう
 
--------------------------------------------------------------------
The history of Israel
--------------------------------------------------------------------

Ancient and Biblical Period (c. 1800 BCE – 70 CE)

紀元前(BC/BCE)

c. 1800–1500 BCE: 族長アブラハム、イサク、ヤコブがカナンの地に定住する

c. 1300–1200: モーセに率いられたイスラエル人のエジプト脱出と、その地への定住


1020 : Saul はイスラエル統一王国の初代の王として戴冠

1000 : ダビデ王はエルサレムを首都と定めた

960 : ソロモン王がエルサレムに第一神殿を建設

922 : 王国は、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂

722–720 : アッシリア帝国がイスラエル北王国を征服

586 : バビロニアはユダを征服し、第一神殿を破壊して、ユダヤ人の多くを追放

538 : ペルシアのキュロス大王は、ユダヤ人が帰還し、第二神殿を建設すること(紀元前516年頃に完成)を許可した

332 : アレクサンドロス大王がこの地域を征服し、ヘレニズム支配をもたらした

164 : マカバイ/Maccabees 戦争ではユダヤ人の自治を回復することに成功した(ハヌカとして祝われている)

63 BCE: ローマの将軍ポンペイウスがエルサレムを占領し、ローマによる支配が始まる

紀元後/西暦(AD/CE)

70 CE: 大規模なユダヤ人の反乱を受けてローマ軍が第二神殿を破壊、その結果、広範な離散(ディアスポラ)が生じた。


Foreign Rule and Ottoman Period (313 – 1917 CE)

313–637 : ビザンツ(キリスト教徒のローマ)の統治がこの地域に及んだ

637–641 : アラブ・イスラーム勢力がこの地域を征服し、数世紀にわたるカリフによる統治をもたらした

1099–1291 : ヨーロッパの十字軍が聖地の一部を占領・支配

1516–1917 : オスマン帝国
は、広大なイスラーム帝国の一部としてこの地域を統治


British Mandate and Modern State (1917 – Present)


1917: イギリス軍がパレスチナを占領し、英国外務省がユダヤ人のための民族的郷土の建設を支持するバルフォア宣言を発表した

1939–1945: 第二次世界大戦とホロコーストは、パレスチナへの欧州ユダヤ人の移住を再び促した。

1947: 国連は、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割することを議決する。

14 May 1948: イギリスの委任統治が終了し、ダヴィド・ベングリオンがイスラエル独立国家の樹立を宣言

1948–1949: 第一次中東戦争が勃発し、休戦協定によって新国家の境界線が定められた

1967: 第三次中東戦争(六日間戦争)の結果、イスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原、シナイ半島を掌握した

1973: ヨム・キプール戦争は、エジプトとシリアの連合軍を相手に戦われた

1979: イスラエルとエジプトの間で、歴史的な和平条約が調印される

1993: オスロ合意が署名され、ヨルダン川西岸とガザの一部におけるパレスチナの自治の枠組みが確立された

2000s–Present: 継続する地域紛争、和平への取り組み、国交正常化合意(2020年の「アブラハム合意」など)、そして変化し続ける安全保障上の課題が、現代イスラエルの歴史を形成している。

--------------------------------------------------------------------



2026年9月24日木曜日

DHT Musical★『レ・ミゼラブル/Les Misérables』





----------------------------------------------------------------------------
Les Misérables
Music by Claude-Michel Schönberg
Lyrics by Herbert Kretzmer
Original text: Alain Boublil, Jean-Marc Natel
Book: Alain Boublil, Claude-Michel Schonberg
Basis: "Les Misérables" by Victor Hugo
Premiere: 24 September 1980: Palais des Sports, Paris
-----------------------------------------------------------------------------


8月にホノルルのコミュニティー・シアター Diamond Head Theater(DHT)でミュージカル『レ・ミゼラブル/Les Misérables』を見てきた。感想を書くのが大変遅くなってしまった。忘れないうちに書いておかなければ(毎回言ってますね)。

『レ・ミゼラブル/Les Misérables』って…すごいでしょう?コミュニティ・シアターがこんなに大きな作品をきちんとセットを組んで演るのですよ。本気です。中途半端にやっていない。すごいな~と思う。

去年から今年にかけて続いていた今シーズンは、DHTの創立110周年記念のシーズン。そのシーズン最後を大掛かりな『レ・ミゼラブル/Les Misérables』で締める。記念の公演なのですね。


そうなの。ホノルルのダイアモンド・ヘッド・シアターは今年でなんと111年間も続いている劇場なのです。この劇場が始まったのは1915年。最初は小さな映画館だった建物を使って、芝居好きの人々が111年前に始めたのがDHTの始まり。数年前に建物を建て替えて、今は立派な劇場になりましたが、それ以前にあった古い劇場には、20世紀中期のステージの様子を写した白黒の写真が壁に沢山飾ってありました。DHTは「太平洋のブロードウェイ」と呼ばれ、全米で3番目に長い歴史を持つ、継続的に運営されているコミュニティー・シアターだそうです。


さてその110年を記念したシーズン最後の大作。

素晴らしかった!



またまた大絶賛!感謝感謝。やっぱり演劇/ミュージカルはいいよね~と思った。芝居と音楽への情熱と愛に溢れるDHTは111年目にもキラキラと輝いてます!



またまた海亀の「すごいね~すごいわ~感動」しか言わない大絶賛の感想文。

これも有名な作品ですね。原作はフランスのヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル/ああ無情』。オリジナルのフランスのミュージカルは、1980年にパリで初演。その後キャメロン・マッキントッシュによる英語版が1985年10月からロンドンで上演され、そのミュージカルは現在も継続して続いているそうだ。NYブロードウェイをはじめ世界中で繰り返し公演されている大作中の大作ミュージカル。
 
さてこのミュージカル、ロンドンのウェストエンドでは以前「Palace Theatre」で2004年まで公演されていて…いかにも大きな劇場だったので当時の劇場の外観の様子はよく覚えている。残念ながらこのミュージカルも私は見ていない。見ておけばよかった(当時の私の英語力では内容を理解できなかったと思うけれど)。

この作品は2012年には映画化。これは私も映画館に見に行った。しかしこの時も完全にストーリーが理解できたとは思わない笑。ワタクシ海亀、ミュージカルの言葉を聞き取るのが大変苦手なのです。映画はラッセル・クロウとヒュー・ジャックマンとアン・ハサウェイをよく覚えているけれど、内容はよくわかっていなかった。こんなに有名な作品なのに…苦笑。歌のメロディだけはよく覚えたけれど。


というわけで、今回のミュージカルにはきちんと予習をして臨みました。ネットであらすじを読み、YouTubeで音楽を(字幕入りで)聴きつくし、全体の流れをつかんで、歌も耳に馴染むくらいに準備してから劇場に出かけた。  

たぶんそれがよかった。ショーは最高に素晴らしかった。またまた拍手喝采。最後は劇場の観客全員でスタンディング・オベーション。この太平洋の真ん中でDHTはこんなにも頑張っている。本当に素晴らしいステージでした。

もちろんロンドン・ウェストエンドやNYブロードウェイに敵うとは思えない。しかしこのシアターは独自に自由に…本当に本当に素晴らしい芝居をやっている。またまた感動。


ストーリー
● 時は18世紀末。パンを盗んで19年服役したジャン・バルジャン。しかし世間は彼に厳しい。教会の司教が彼を受け入れ泊めてくれる。そこでバルジャンは司教の銀食器を盗むが、司教は赦してくれる。感銘を受けバルジャンは正直に生きることを誓う。
● バルジャンの正体を疑うジャベール警部が彼を追いかけている。
● その後バルジャンは工場経営で成功を収め、マドレーヌと名前を変え市長となっている。従業員の女性フォンテーヌはシングルマザー。宿屋を営むテナルディエ夫妻に娘コゼットを預けて働いている。しかしフォンテーヌは上司のセクハラ+同僚からの意地悪で仕事を失い身を落とす。その後彼女は病死。バルジャンはフォンテーヌの死後、娘コゼットを引き取り育てる。
● 成長したコゼットは、革命を志す学生マリウスと恋に落ちる。マリウスに片思い中のエポニーヌは、宿屋デナルディエ夫妻の娘。
● 1832年のパリの民衆蜂起(六月暴動)の中、バルジャンはマリウスの命を救う。そしてまたバルジャンは、警察のスパイとして暴徒に捕らえられたジャベール警部の命も救う。ジャベール警部は戸惑い自分を見失う…川に身投げ。
● その後バルジャンはコゼットとマリウスに愛されながら穏やかな最後を迎える。

長いですが、難しい話ですね。時代が変わるのに追いつけなかったのだな。内容を呼んでもやっぱりわかりづらいという笑。いや今回はちゃんとわかりましたよ。十分理解しました。舞台を見ていて何が起こっているのかもわかったので大丈夫でした。


今回の舞台の監督さんはハワイ・オアフ島のカイルア出身。NY大学で演劇を学び、ブロードウェイの『レ・ミゼラブル』のリバイバルではマリウスの控え俳優(アンダースタディ)を務めた。数々のブロードウェイのショーでステージに立ったプロ。その彼が今回DHTで監督と振りつけを担当。プロの方が関わっていたのですね。ジャン・バルジャンを演じるのは米国のTV番組『American Idol, Season 4』に出演したお方。プロの方が関わるとレベルが上がる。このプロダクションの質の高さに納得。


『レ・ミゼラブル/Les Misérables』のミュージカルとは、大舞台では大掛かりなセットのステージで有名なショーだと思うのだけれど、このDHTでの公演は規模を小さくしながらもほとんど違和感を感じないほど素晴らしかったです。ストーリーがきちんと舞台上で語られているのがその理由だと思う。ストーリーを表現するための創意工夫、クリエイティビティがいたるところに見えてそれが本当に素晴らしかった。

例えばフォンテーヌが身を落とす売春宿での「Lovely Ladies」のシーンでは、女性が6人ぐらいしかいない(大きなステージでは20~30人ぐらいいる)のだけれど、衣裳をそれらしく、彼女達が宿のドアを開けて出たり入ったりしながら売春宿の様子が表現される。

第2幕の最初、半透明のスクリーンの向こうでゆっくりと動く群衆はまるでスローモーションの映像を見ているようで感嘆。

組み建てられたバリケードは小さめだけれど、ストーリーに没頭しているので違和感を感じない。役者さんの熱量に押されていたのだと思う。蜂起した民衆がバリケードからステージの後ろに向かって銃を向けているのだが、後でステージが回転すると、そのバリケードの下で亡くなっている少年が見えて驚く。

ジャベール警部は最後に橋の欄干に見立てたセットからこちらを向きながら、欄干の向こう側に両腕を広げたまま背中から倒れて視界から消える。それがとてもリアル。

…などなど色々とありましたが、セットの効果的な使い方が面白かった。


役者さん達も皆さん素晴らしかったです。主役のバルジャンはプロ(ちょっと若いと思ったが)、恰幅のいいジャベール警部の存在感もいい。フォンテーヌを演じたのは、以前『スポンジボブ』でリスのサンディを演じた女優さん。アンジョルラスは以前『ウェストサイドストーリー』でリフを演じた上手いお方。マリウスは『The Last Five Years』のジェイミー…などなど馴染みの役者さん達のお顔が見えるのも嬉しい。

今回誰よりも素晴らしかったのは、テナルディエ夫妻の夫、宿屋の主人を演じたPresley A. Wheelerさん。私はこのお方の大ファンになってしまった。テナルディエとは強欲で卑劣な宿屋のオーナー、コミカルで強烈なお騒がせキャラなのだけれど、ま~~~この Wheelerさんのテナルディエが面白いのなんのって…。大好き。

Wheelerさんを最初に拝見したのは『スポンジボブ』のプランクトン。そして『ファニー・ガール』ではジーグフェルドもなさっていた。このお方はステージ上のカリスマがとてつもない。存在感がすごいのです。毎回「この人、おもしろい~」と見とれる。今回のテナルディエでは彼の魅力が大爆発。おそらくテナルディエのキャラとしては少しお若いのだろうと思うけれど、とにかくこのお方は面白い。コミカルさに輪をかけて悪ふざけ満載の面白キャラになっていた。ストーリーがシリアスなので、彼と大柄な奥さんのシーンは大爆笑。彼が出てくるだけで目が惹きつけられる。そして御本人が心の底からこの役を楽しんでいるのも伝わってきて楽しかった。なんというか…彼が出てくるとステージ上を支配してしまうので他の役者さんが霞んでしまうほど。こういうのを天賦の才と言うのだろう。

Wheelerさんはちょっと中性的な魅力で…旦那Aと「彼はミュージカルの『キャバレー』でエムシーをやってほしいね」などと話した。もしそうなったらすごいな。


歌は映画などで聴いていたので馴染みがあるのもよかった。ミュージカルの歌は事前に知っていた方がショー全体ももっと楽しめる。生の歌声は迫力があっていい。「Do You Hear The People Sing?」の群衆のコーラスに感動。美しい「I Dreamed a Dream」、楽しい「Lovely Ladies」、コミカルなテナルディエの歌う「Master of the House」、マリウスに片思いするエポニーヌの「On My Own」では思わず泣きそうになった。いい曲が沢山。

しかし歌詞を聞き取るのは相変わらず難しい。ただでさえ複雑な話なので、内容を知らなかったらほぼ歌詞を理解するのは私には無理。ますますミュージカルやオペラに「予習」は大切だと思った。


色々と書きましたが、とにかくまたまた楽しかったDHTのミュージカル。あの有名な『レ・ミゼラブル/Les Misérables』を初めてこのシアターで見れたのはむしろ幸運だったと思います。大都市を訪ねて忙しい観光のひとつとして観劇するより、落ち着いた環境でしっかりと予習してこの作品の内容をじっくりと味わいながら見れたのはとてもよかったです。大変素晴らしかった。

DHT 様、110周年おめでとうございます。
毎回毎回感謝してます💕💕💕💕


2026年9月20日日曜日

Charlie Jeer & Simone Ashley - SO GOOD (2026)



‘70s Fusion & Adult Contemporary, Disco



Charlie Jeer & Simone Ashley - SO GOOD (2026)
Album: Take Away My Problems
Charlie Jeer
Release date: September 25, 2026
A Capitol Records UK / Polydor Label Group Release; 
℗ 2026 Charlie Jeer, 
under exclusive licence to Universal Music Operations Limited



この曲は先週ダンスチャートに入っていた。このMVでの様子を見てボーカルの方はサックスを演奏する上手いミュージシャンなのかと思った。曲が1970年代後期のフュージョンや Adult Contemporary(日本のAOR:ボズ・スキャッグスなどなど)やディスコの質感なので、あの辺りの雰囲気を巧みに狙っているのだろうと思った。そうしたらこのCharlie Jeerさんは、まず英国のテレビのリアリティ番組のスター+SNSのインフルエンサーでモデルとして知られているのだそう。曲は自分で書いているみたいなので、この音楽は彼の選択なのかな?だとしたらすごいぞ。巧み。

★Charlie Jeer
英国のリアリティTV スター、オンライン・クリエイター、インスタグラム・スター、SNSパーソナリティー。2002年生まれの24歳。リアリティ番組『Too Hot to Handle』のシーズン6に出演し人気となる。それ以前はファッション・モデルとして活躍。格闘技、スキューバダイビングも楽しむ才能あふれる若者。

★Simone Ashley
Simone Ashwini Pillai さん。インドにルーツを持つ英国の女優…Netflixの『Bridgerton』のKate Bridgertonを演じたことで知られる。2016年からTVドラマ、2018年から映画に出演している。1995年生まれ。子供の頃からクラシック、オペラを歌いピアノを学んだ。18歳の時にモデルとして契約し、Arts Educational Schools で学んだ。


SO GOOD
Charlie Jeer & Simone Ashley
---------------------------------------------------------------------


行くの?
さよなら チャーリー



[Verse 1: Charlie Jeer]
君の愛はスーパーソニックだね
a dollar billのように
彼女はきっと欲しい時に手に入れる
Ooh, 彼女は非現実的

[Pre-Chorus: Charlie Jeer]
今夜僕が欲しいのは君だけ
僕のス―パーナチュラル・レディ
君と僕の姿が目に浮かぶ
思いめぐらせて
昨日はよかった でも僕は
こうなった自分が好きじゃない
Ooh, 彼女は僕を罪人のように歩かせる
とてもいい気分だ

[Chorus: Charlie Jeer, Both, Simone Ashley]
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
全てを僕に
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
僕に委ねてみて (So good)
君の愛を僕に全てちょうだい それはスーパーソニックだから
全てを僕に
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
とてもいい気分


[Verse 2: Charlie Jeer]
彼女はロンドンに引っ越したいと言う
全く予想できない
彼女は僕の甘い蜜 僕が消費するもの
抵抗できないほどの魅力

[Pre-Chorus: Charlie Jeer & Simone Ashley]
See, 今夜僕が欲しいのは君だけ
僕のス―パーナチュラル・レディ
君と僕の姿が目に浮かぶ
思いめぐらせ (My mind)
昨日はよかった でも僕は
こうなった自分が好きじゃない
Ooh, 彼女は僕を罪人のように歩かせる
とてもいい気持ちだ

[Chorus: Charlie Jeer & Simone Ashley, Simone Ashley]
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
全てを僕に
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
僕に全て委ねてみて (So good)
君の愛を僕に全てちょうだい それはスーパーソニックだから
全てを僕に
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
最高の気分 (So good)


[Bridge: Simone Ashley]
私の一番の人になってくれるの? (My love feels so good)
愛が終わったことを考えた時
あなたの心もすごくリアルなものを感じた?


[Chorus: Charlie Jeer & Simone Ashley, Simone Ashley]
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
僕に全て委ねてみて (Feel so good)
君の愛を全てちょうだい それはスーパーソニックだから
全てを僕に (So good)

---------------------------------------------------------------------
Songwriters:  Charlie Jeer, Simone Ashley & Ben Stancombe



Josh Baker, Poppy Baskcomb - My Place (2026)



軽く良い



Josh Baker, Poppy Baskcomb - My Place (2026)
My Place – Single
Josh Baker, Poppy Baskcomb
Released: July 3, 2026
℗ 2026 Baker's Dozen 
under exclusive license to Three Six Zero Recordings



暫く前からダンスチャートに入ってます。リズムの音が全面に出ていて気持ちいい。ノリやすいリズムで軽くノレる。耳に心地よい。

★Josh Baker
英国マンチェスター出身のDJ、音楽プロデューサー。ティーンの頃からハウスに魅せられその後アーティストとしての道を選ぶ。世界中のクラブやイベントで活躍中。

★Poppy Baskcomb
英国ポーツマス出身ロンドン在住のシンガーソングライター。現在24歳。Oden & Fatzo (Defected Records)、Tiësto、Oliver Heldens、MEDUZA、D.O.D & Sonny FoderaなどなどDJとのコラボ作が多数。


My Place
Josh Baker (UK) & Poppy Baskcomb
---------------------------------------------------------------------


[Intro]
疑いもなく
あなたと私のボディ

[Verse]
金の光
君のオーラが僕の方へ動くのを感じる
そうしてもいい?
僕ら絡み合ってもいい? Alright

[Pre-Chorus]
疑いもなく
あなたが私を抱き寄せる時
あなたと私のボディ
ソファーで服を脱いで
心配しないで
パーティーが終わったら
始めればいい

[Chorus]
そして私の家で続けられるわ
あなたのことを二人きりでもっと知りたい
だから友達に言って あなたは私の家に来るって
あなたの舌の上のシュガーより甘く


[Hook]
疑いもなく
あなたと私のボディ
疑いもなく
あなたと私のボディ

[Verse]
金の光
君のオーラが僕の方へ動くのを感じる
そうしてもいい?
僕ら絡み合ってもいい? Alright

[Pre-Chorus]
疑いもなく
あなたが私を抱き寄せる時
あなたと私のボディ
私のソファーで服を脱いで
心配しないで
パーティーが終わったら
始めればいい

[Chorus]
そして私の家で続けられる
あなたのことを二人きりでもっと知りたい
だから友達に言って あなたは私の家に来るって
あなたの舌の上のシュガーより甘く
そして私の家で続けられる
あなたのことを二人きりでもっと知りたいの
だから友達に言って あなたは私の家に来るって
あなたの舌の上のシュガーより甘く

[Outro]
疑いもなく
あなたと私のボディ
疑いもなく
あなたと私のボディ

---------------------------------------------------------------------
Songwriters: Josh Baker (UK), Luca Cazal, Mark Ralph, Rhys Kirkby-Cox & Poppy Baskcomb


Poppy Baskcomb


お猫様H:日々の遊びルーティン



またまたいつのまにか15日が過ぎてしまった。
これは昨日19日のお写真。このような戯れを毎日やってます。猫さんが催促するので人間は踊り場に寝転んで猫さんに膝を舐めさせながらお尻をポンポン。そして途中から手で猫さんを遊ばせる。猫さんは野生のハンターなので情け容赦なく人の手を攻撃。毎日1日に3、4回やってます。今回は右手で遊んで左手にカメラを持ち撮影。


イタタタタ

今日は風が強いです。なぜ?


2026年9月14日月曜日

HRVY – hesitate (2026)



軽快なポップ



HRVY – hesitate (2026)
hesitate – Single
HRVY
Released: June 19, 2026
℗ 2026 Warrior Music LTD


こういうのがいいのですよ。普通に聴きやすいメロディックで軽快なポップソング。これでいいのだ。英国のCommercial Pop Club Chartに入ってましたが、これくらいの聴きやすい曲が一番いいですね。チャートの全ての曲が尖っているとそれはそれでつまらない。近年のダンスチャートはポップでいいメロディの曲が少なすぎる。この曲はメロディがあってとてもいい。歌詞はコミカル。


★HRVY
Harvey Leigh Cantwellさん。英国・ケント州出身のシンガー、インフルエンサー、TVパーソナリティ。1999年生まれの27歳。2014年と2015年に英CBBC チャンネルの『Friday Download』の司会を務め、2020年にはダンスを競う英国のTV番組『Strictly Come Dancing』に出演、2位となる。2013年にシングル「Thank You」をリリース。その後も多数のシングルをリリースしている。


hesitate
HRVY 
---------------------------------------------------------------------


[Verse 1]
君がサインをくれるのを待ってる
言っておくね, baby, 僕はスタートしたら速いんだ
I— I—僕は頭の中で実現させようと考えてる
君が夜の間中抱きしめる誰かが欲しくなるように

[Pre-Chorus]
十分話したじゃない?
明らかじゃない?
時間は無駄にできないよ
(僕は躊躇しない)


[Chorus]
朝の4時
君からの電話が鳴ってる
No, 遅すぎないよ
僕は躊躇しない
君は話し終わって
そして言う「ドアを蹴破ってやって来て」
「羽目をはずそう」
僕は躊躇しない


[Post-Chorus]
Huh-uh (I won't hesitate)


[Verse 2]

視界は狭まって 君のことが頭から離れない
僕は君のベッドに入る使命を帯びてる (Uh, uh)
猛スピードで君の元へ 憑かれた男のように
だって君みたいな人は 最高のものが相応しいから

[Pre-Chorus]
十分話したじゃない?
明らかじゃない?
君を待たせたくない
(僕は躊躇しない)


[Chorus]
朝の4時
君からの電話が鳴ってる
No, 遅すぎないよ 
僕は躊躇しない
君は話し終わって 
そして言う「ドアを蹴破ってやって来て」
「羽目をはずそう」 
僕は躊躇しないよ


[Post-Chorus]
Huh-uh, huh-uh, huh
Huh-uh (I won't hesitate)...


[Bridge]
飛び込む準備は出来てるよ
君の海に溺れよう
深く沈んで肌と肌を重ねるまで
夜が終わる前に


[Chorus]
朝の4時
君からの電話が鳴ってる
No, 遅すぎないよ
僕は躊躇しない
君は話し終わって
そして言う「ドアを蹴破ってやって来て」
「羽目をはずそう」
僕は躊躇しないよ


[Post-Chorus]
Huh-uh, huh-uh, huh... (I'm ready to dive right in)
Huh-uh, huh-uh, huh... (Drownin' in your ocean)
Huh-uh, huh-uh, huh... (Sink into it, skin-on-skin)
Huh-uh (I won't hesitate)

[Outro]
Huh-uh, huh-uh, huh... (I'm ready to dive right in)
Huh-uh, huh-uh, huh… (Drownin' in your ocean)
Sink into it, skin-on-skin


---------------------------------------------------------------------
Songwriters: HRVY & Robin Stjernberg

2026年9月11日金曜日

September 11, 2001 を考える



この文章は9月15日に書いています。日付を変えて9月11日に表示しています(9月17日加筆)。


今年の9月11日は2001年の同時多発テロが起こってから25年。米国の本土の様々な場所で25周年の追悼の式が行われたそうだ。いつも見ている『NewsNation』でも当時を知る方々へのインタビューを放送していた。25年目の追悼式とは…節目となる四半世紀が過ぎたことを意味するそうだ。

25年が過ぎて、米国の同時多発テロへの反応と米国人の心を私は今あらためて学んでいるのだと思った。


私と夫は2001年当時英国のロンドンに住んでいた。日本から英国へ引っ越して一緒に暮らし始めて6年目、結婚してからはまだ3年。夫婦というよりも、若い二人がお互いの関係を実験のように試し合い、手探りをしながら暮らしていたような感じだった。

お互いにまだ完全に信頼し合っていたとは言えなかったのだろう。お互いのことも知らなかった。私は日本で育った盲目的に平和主義の無知な日本人。夫は白プロテスタントのアメリカ人…アメリカは素晴らしいと1ミリも疑わない明るくポジティブな人。


夫は義父の仕事の都合で高校時代をニューヨーク界隈で過ごした。大学を出てから数年間はニューヨークで勤務(ワールド・トレード・センター駅は通勤のルートだったそう)。その後東京に駐在。仕事を変わったら今度はロンドン駐在になった。義父もニューヨークの同じエリアで仕事をし、また親戚の1人はニューヨーク市内在住。ニューヨークは夫にとって若い頃を過ごした馴染み深い場所だった。

私は東京で出会った夫とともにロンドンに移住するまで政治のことは全く知ろうともしなかった。バブル時代を過ごした多くの若い娘がそうであったように私は楽観的で、政治に関しては「平和、戦争反対」ばかりを盲目的に唱える無知な小娘だった。そして無知なまま楽観的なまま、私はロンドンで初めての外国暮らしを楽しんでいた。


そして同時多発テロが起こった。


11日の午後、自宅で昼寝をしていたら夫が突然帰宅した。夫は赤い顔で「キ〇ガイがツインタワーに飛行機でつっこんだ」と言う。大変興奮しているのがわかった。夫はその後会社と連絡を取り合ってまた出社。私はテレビに釘付け。言葉を失った。恐ろしかった。

すぐに思ったのは「私はどういう状況に踏み込んだのだろう?アメリカ人との結婚とは?夫は出張でニューヨークにいた可能性だってあったではないか。なぜこんなことが起こっているんだ?どういうことだ?」


 ワールド・トレード・センター(WTC)に私は一度だけ上ったことがあった。1995年の1月、東京での仕事を終えて帰国した夫を私はニューヨークに訪ねた。WTC は 夫が滞在していたバッテリー・パーク・シティのアパートから歩いて数分の距離だった。アパートの窓からWTC の壁が大きく見えた。初めて訪ねた米国で、私が最初に行った観光名所はニューヨークのワールド・トレード・センターの展望台だった。


翌日から新聞を買い読みつくした。「なぜこのようなことが起こっているのだ?」の答えを探した。今も持っている当時の新聞を出してみた。


The Daily Telegraph と The Guardian は2001年 9月12日付け
右下の The Sunday Times は9月16日付け


英国のメディアでは「距離のある分析記事」を多く見かけた。次第にそれを読む私も英国のメディアの論調に馴染んでいった。

一方、仕事上の関りから夫は当時のニューヨークの具体的な状況を日々耳にしていた。また後に夫は高校時代の親しかった友人が当日に亡くなったことを知った。


私は日本人で、米国から距離のある英国に住んでいて英国のメディア記事を読み…、だからもちろん米国の人々の気持ちがわかるはずもなかった。国民が旗を振り、アフガニスタンに報復攻撃をする米国に大きな不安を感じた。「盲目的な平和主義」で育った私には、証拠も無く報復攻撃をする米国が理解できなかった。

夫とはよく喧嘩をした。意見が全く合わなかった。彼の育った常識、私の育った常識がこれほど違うものかと驚いた。驚きは時には怒りと憎しみに変わった。そしてそのような複雑な気持ちは陰鬱な精神状態を引き起こした。「アメリカ人と結婚したのは間違いだったのではないか?」

陰鬱な気持ち…行き場のない恐怖と怒りを、私は毎日憑かれたように「情報を仕入れる」作業で紛らわせようとした。ネット上の大量の英国のメディアと米国のメディアの分析記事、中東のメディアの記事、中東出身で西洋在住の方々の意見、米国の外交政策の歴史など、ありとあらゆる情報を見て納得できる答えを必死になって探した。


飛行機に乗ることが怖くなった。ロンドンから米国東海岸に住む夫の家族を訪ねるのが怖い。2001年の12月22日、私達はクリスマス休暇に義父の家族を訪ねるため、ロンドンから米国ワシントンDC行きの飛行機に乗った。その同じ日の同じ時間帯に、フランスのパリ発・米国マイアミ行きの飛行機内で「靴爆弾テロ未遂」が起こっていた。そのことを空港に迎えにきた義父から聞いて驚いた。テロは身近にあった。

日本には毎年帰っていたが 2002年以降は飛行機に乗ることが毎回恐ろしかった。(長距離の飛行のため)大量の燃料を積んで飛ぶ大型旅客機に乗ることが恐ろしかった。

その年まで、毎年2回も出かけていたヨーロッパへの旅行も行かなくなってしまった。夫は会社勤めをしながら夜は自宅で資格のための勉強をし休暇には試験を受ける。2002年以降、私達は楽しむための旅行に行かなくなった。私はおそらくマイルドな鬱を発症していた。


2005年の7月2日、ロンドンでも「ロンドン同時爆破テロ」が起こった。ロンドンの地下鉄の3か所(Circle Lineで2か所、Piccadilly Lineで1か所)がほぼ同時に、その約1時間後に2階建てバスが爆破され、実行犯4人を含む56人が亡くなった。


同じ頃、夫の東京への転勤が決まった。


今私はアメリカに住んでいる。今回25周年で私は初めてアメリカの人々の心を学んでいると思った。私が外国から observer/傍観者として見ていた2001年の同時多発テロは、アメリカの人々にとってとても違う印象なのだということを感じた…そのあたりまえのことさえ私にはわかっていなかった。

あの時アメリカでは、なぜ皆が旗を振って国全体を勇気づけることが必要だったのか、なぜアフガニスタンへの報復攻撃が可決されたのか、そしてどのような経過で2003年にはイラクへの侵攻が可決されたのか。全てに賛同は出来なくてもとにかく「なにがあったのか」の情報を受け止めようと思った。

9月11日当日の、沢山の勇敢な人々の話、家族を亡くした方々の話、ハイジャックされペンシルバニア州に落ちた飛行機 United Airlines Flight 93 内の勇気のある乗客の方々の話、そしてその飛行機 Flight 93 がもしまた別の攻撃に使われたのなら…戦闘機で自ら体当たりして(Flight 93 を)撃墜するようにと命じられ飛び立った25歳の女性空軍パイロットの話(彼女は迷いもなく任務を実行するつもりでいたと言う)。沢山の沢山の…英国では十分に聞こえてこなかった話を聞いた。

もっと情報を知ること。もっとアメリカを知ること。全てを受け止めてアメリカの人々の心が少しでも理解できればいいと思った。もっと理解したいと思った。アメリカの人々に心を寄せたいと思った。