とうとう「鎌倉殿の13人」が終わってしまった。
ドラマは
北条義時の死で終了。彼の死を見守る政子のすすり泣きと暗転でドラマは終わる。
エンディングの感想を書こう。
これは…なかなか考えがまとまらなかった。
いいエンディングのような、物足りないような…。この最終回を今まで3回見たが、1回目は「あれ、これで終わり?」と正直思った。
私が予想していたのは、今までの鎌倉の歴史を振り返りながら
泰時の時代の未来を想像できる余韻を残すような終わり方。義時の死後、この人はこうなって、これはこうなって…というようなものが描かれるのかと思っていた。それを期待していた。
(義時の死でドラマが終わってしまったことで)1年間続いたドラマの締めとしては少しテーマが小さくなったとも感じた。このドラマは
源頼朝が立ったことで起こった鎌倉幕府が、長い時間をかけて京の朝廷を押さえつけるほど強力な武家政権に成りあがる話。締めのエンディングとしてもそれらしいものを期待していた。だからこの唐突なエンディングに少しびっくりして最初はうまく飲み込めなかった。もちろん良い悪いではなくて、私の個人的な好き嫌い。…だって鎌倉は義時だけのものだけではなかろう。
1年続くドラマの最後のシーンを、このように政子と義時の二人だけのシーンにするのなら、ドラマの初めの頃の回で、例えば政子と義時の幼い頃…お姉ちゃんと弟が無邪気に遊ぶ様子なんかを描いていれば、幼かった二人がいかに遠い道のりを旅して来たか…と感慨に浸って泣いたかもしれぬ(クサいけれど年寄はそういうもので泣く)。最初からそういうテーマなら納得する。
(色々と文句を言ってますが)…というのも
この姉と弟は今までそんなに仲が良さそうには見えなかったのですよ。だから最後だけ姉と弟の話になって全体の締めとするのは多少唐突な感じもした。
巷では最終回が絶賛されている。
ちょっと予想外だがスタイリッシュでかっこよく、なによりもインパクトがある。どうしようか、どう受け取ろうかと考えさせられる。見て心地よく納得するというよりも、びっくりしてうまく考えがまとまらない…そんな予想を裏切るエンディングはたぶんいいことなのなのだろうとも思う。
最後の締め方には文句を言っていますが、このシーンの
小栗旬さんと小池栄子さんは大変素晴らしかった。ショッキングな終わり方も良い演技があってこそ。頼家の名前を口にする政子さんの表情が凍りつく。あ…そうか、政子さんて頼家の最後を知らなかったんだっけ?…とまたびっくりする。そうかそうなるのか…とドキドキしながら二人を見守った。
最後の義時と政子の様子は、政子と頼朝の最後の場面と同じですね。
倒れた頼朝と政子、倒れた義時と政子の様子が対になる。前半の頼朝の時代が終わり、これで義時の時代も終わったということだろう。
しかし政子さんの人生も辛いな。彼女の人生は本当に辛い。あまりにも辛いことが起こり過ぎる。
それにしても今まで、他の有力御家人達…並みいる強面の武将達を粛清し続けて最高の権力を手に入れた男が、
最後は二人の女性に殺されてしまうという。う~ん…考えさせられますね。女性は怖いのか。
『吾妻鏡』をはじめとする過去の記録では、義時は病死/自然死とされているそうだ。しかし妻の伊賀の方が毒殺したという説もあるらしい。
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●承久の乱
承久3年(1221年) 5月19日 京から義時追悼の令が出ている。軍議により鎌倉の出撃が決まる。
しかし御家人たちは皆戦いたくない。
北条泰時(坂口健太郎)が総大将になって出発。
義時(小栗旬)は鎌倉に残る。
三浦義村(山本耕史)と
長沼宗政(清水伸)も参戦するが、どちらにつこうかと周りの様子を伺っている。
5月22日 泰時が率いる鎌倉軍が出発。
泰時の軍には各地で御家人達が加わり19万人に膨れ上がる。
まず木曽川で官軍を打ち破り京へ進軍。
6月13日 宇治川を筏で渡ってまた進軍。
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働き者 平盛綱(きづき) キューン💕としました 助かってよかった |
焦る京方。
藤原秀康(星智也)、
三浦胤義(岸田タツヤ)が御所に駆けつけるが、後鳥羽上皇は門を固く閉じて彼らを追い返してしまう。
● 6月15日 後鳥羽上皇(尾上松也)は義時の追討の院宣を取り消し、藤原秀康、三浦胤義らの逮捕を命じる院宣を下す。後鳥羽上皇に見捨てられた三浦胤義は東寺に立て篭もって抵抗し、兄の三浦義村の軍勢に決戦を挑んで奮戦し自害した。藤原秀康は逃亡し、10月に河内国において幕府軍の捕虜となった。
●乱後、北条時房(瀬戸康史)が京御所に入る。泰時と共に京の六波羅に滞在。朝廷の監視や西国武士の統率を行う。
● 承久の乱後、朝廷は幕府に完全に従属した。幕府は朝廷を監視して皇位継承も管理するようになり、朝廷は幕府をはばかって細大漏らさず幕府に伺いを立てるようになる。承久の乱には鎌倉と京都の二元政治を終わらせて武家政権を確立する意義があった。
7月13日の期限で、後鳥羽上皇は出家して隠岐島へ送られることになる(7月9日)。罪人の扱いであった。
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共に隠岐へ 文覚と後鳥羽上皇 |
時房と泰時は京で
りく(宮沢りえ)に会った。やっぱり宮沢りえさんは綺麗。この場面も短いのに輝いている。艶々のいい女。いきいきとした表情。それに艶のある声がいい。時政の死を聞いて、一瞬顔を曇らせる。やっぱりうまい。
●その後の鎌倉 北条政子(小池栄子)が
トウ(山本千尋)を呼び、孤児たちに武芸を教えるように指示。
トウは子供たちのお姉さんになった。よかったですね。
鎌倉御所の会議
義時 泰時 時房 大江広元(栗原英雄)
京では廃位された先帝(後鳥羽上皇の孫)を復権させようという動きがある。それを許せば上皇も復権するだろう。
義時と大江は災いの芽を摘む考え。
泰時はそれに反対する。武家の決まり事を作るという。
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雨の中に座る運慶 強い |
運慶(相島一之)
義時義時の命で作成した像は歪な面相。
運慶さん勇気がありますね。権力者に屈しない芸術家。かっこいいです。雨の中縛られて庭に座らされて、画面上で小さく見えていても運慶は強い。とても印象に残った場面。
義時が怒る…倒れる。
病床の義時。医者は「アサの毒」が原因だと言う。
薬だと言って義時に毒を盛っていたのは妻ののえ(菊地凛子)だった。のえを問い詰める義時。あっさりと白状するのえ「私のことを少しも見ていなかったから。だからこんなのことになった」と言う。毒の手配をしたのは三浦義村だと告げてのえは去る。のえさんは寂しかったのか。
三浦義村 義時
三浦を問い詰める義時。義時が「俺が死んで執権になろうとしたか?」と問えば「そんなところだ」と答える。
「お前にできたことが俺にできないわけがない。俺は全てにおいてお前に勝ってるんだ。子供のころから。頭もキレる。見栄えもいい。剣の腕前も俺の方が上だ。お前は何をやっても不器用だ。のろまで。そんなお前が今じゃ天下の執権。俺はと言えば、結局一介の御家人に過ぎぬ。世の中不公平だ。いつかお前を超えてやる…」
←なるほどな~義村さんの度重なる北条裏切りの理由はそこなんだ。確かに。義時は煮え切らなく見えますもんね。よくわかるわ。こういう義村のような人、沢山いると思います。リアル。
結局三浦義村は北条義時と和解「これから先も北条は三浦が支える」
泰時
泰時「もはや朝廷を頼る世ではない。これから武士を中心とした政の形を長く続くようにする。その中心にいるのが北条」「御家人たちの中には学のない者もいる。彼らにも読めるような優しい言葉で武士が守るべき定めを書き記した」
やがて泰時は江戸時代まで影響を及ぼす方を制定する。御成敗式目を制定(貞永元年(1232年)8月)。これにより泰時が政治を行う間は鎌倉で御家人の粛清は一切起こらない。
●元仁元年(1224年)6月13日
政子 義時
「私たちは頼朝様から鎌倉を受け継ぎ次へ繋いだ」
頼朝様が亡くなってから何人が死んでいったか。
梶原景時 全成 比企能員 仁田忠常 源頼家 畠山重忠 平賀朝雅
和田義盛 源仲章 源実朝 公暁 阿野時元これだけで13人!…鎌倉の13人って、これのことだったのですか?
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おやすみ 義時 |
そして政子が、なぜその13人に
頼家の名前が入っているのか問う。なんと政子さんは頼家の暗殺を知らなかったらしい。義時「頼家様は上皇様と手を結び鎌倉を攻め滅ぼすおつもりだった。私が善児に命じて討ち取りました」
義時「この世の怒りと呪いを全て抱えて私は地獄へ持っていく。太郎のためです。私の名が汚れる分だけ、北条泰時の名前が輝く」←やっぱりこれは私利私欲だ。
苦しみ始める義時。政子に薬をとってくれと頼むが、政子はそれを床へこぼす。
←この場面の政子さんは、義時を苦しみから解放しようとしてますね。もうあなたは休んでいいから、太郎がうまくやってくれるから…と義時の命を救わない…が、これは救済でしょう。もう苦しまなくていいよと言っている。それも愛。
義時を見送る政子。
完
本当に面白い大河だった。はまった。
毎回1エピソードを2回も3回も見て何度も楽しんだ。
毎回しっかり見た。
人物たちが皆素晴らしかった
また別に感想を書こうと思う。
皆さまお疲れさまでした。大きな拍手。感涙。
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