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『とんび (2022)/日/カラー
/139分/監督:瀬々敬久』
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TV Japanで過去に放送されたものを録画していた。やっと鑑賞。原作は重松清「とんび」。脚本は港岳彦。監督は瀬々敬久。
以前ここに映画『幼な子われらに生まれ』の感想を書いた。家族がテーマの話だった。原作は重松清氏。今回のこの映画の原作も重松清氏。この話のテーマも家族。
前情報は全く見ずに鑑賞。
1962年(昭和37年)、市川安男/ヤス(阿部寛)と美佐子(麻生久美子)に息子・旭(北村匠海)が生まれる頃からストーリーは始まる。親の愛情を知らずに育った二人は、息子が生まれて家族になった幸せを噛み締める。時は昭和40年頃、1960年代の半ばの高度経済成長時代。舞台は瀬戸内海に面した広島県備後市。
ヤスはいかにも昭和の男。根は優しいが気が短く頑固、真面目な男だが不器用で照れ屋。言葉が出てこないから手が先に出る。彼は運送会社に勤務していて、会社の同僚や近所の仲間は皆家族のように親しい。男達は皆騒がしく、なにかといえば飲んでわいわい大騒ぎ。皆が集まる飲み屋の女将はヤスの姉貴分・たえ子(薬師丸ひろ子)。近所の寺の跡取りは幼馴染の照雲(安田顕)そしてその妻・幸恵(大島優子)。
この映画もまたノスタルジックな「明るい昭和」の映画だと最初は思っていた。幸せな家族の話だろうと思った。ところが映画の初めの頃に美佐子が事故で命を落とす。ヤスは一人で息子・ 旭を育てていくことになる。それからの父と子の物語。
上手い役者さん達が沢山。丁寧に作られた映画。
★ネタバレ注意
息子・旭が生まれたのが1962年(昭和37年 )。原作の重松さんは1963年生まれだそう。そして主人公のヤスは1934年(昭和9年)生まれ…ヤスを演じる阿部寛さんは1964年生まれ。
…ということは、旭は重松さんと同世代。そしてその旭の父・ヤスを(現実で同世代の)阿部寛さんが演じていることになる。つまり映画の最後の2019年の場面で(1962年生まれの)旭は57歳。アラ還だ。 始めは昭和の話だということで「いつの世代の話だろう」と思ったのだが、旭が私に近い年齢だとわかってからはストーリーがもっと身近に感じられるようになった。
この映画には昭和の「普通の人々」の生活が描かれている。昔は特別なことではなかった人と人の距離の近さ。父・ヤスは旭を一人で育てているけれど、子育てに迷えば友人や知人がやってきて手を差し伸べてくれる。特に寺の住職・海雲(麿赤兒)とその息子の照雲と妻・幸恵はまるで家族のように何度もヤスと旭の家庭に踏み込んで助けてくれる。旭の成長は町の皆が見守ってくれている。
そのような環境で旭は成長する。小学生の頃はヒバゴンに興味を示し(ツチノコもあったよね)、高校生になったら野球部に入る。そして旭は成績も優秀。高校を卒業後は東京の早稲田大学に進学する。映画のタイトルの『とんび』とは「とんびが鷹を生んだ」からのもので、「とんび」とはヤスのことなのだろう。
映画の始めにヤスは最愛の妻を、そして旭は母親を亡くす。大きな悲劇。しかし彼らの日常はその後も続いていく。それがメインのテーマなのだろう。時が過ぎれば悲しい事故も過去のものになる。哀しみを溜め込むのではなく、ヤスは雪を解かす海のように哀しみを飲み込んで息子を育てていく。近所の友人たちに助けられながら前を向いて旭と共に歩いていく。
淡々と日々が過ぎる。あたりまえの日常…特に現在アラ還の世代には「ああそうだな」と懐かしく頷く場面も多い。旭の背中には沢山の人々の温かい手。ヤスは立派に旭を育て上げる。父と子の日常を描いて2時間、市川家の二人を見守り続ける映画。
途中でじわっと涙が出るような場面が何度も出てくる。特に人と人の絆の修復を描いた場面に心動く。飲み屋の女将・たえ子の後悔と再会。カウンターに並ぶ美味しそうなご飯に娘への愛を見る。そしてヤスと父親の関係の修復…ヤスが父に話しかける「俺を生ませてくれてありがとうございました、おかげでわしの人生は幸せそのものじゃった…ありがとう、お父ちゃん」
そして映画最後の場面は幸せの風景。旭と由美(杏)と息子が浜辺で遊ぶ様子を、ヤスが25年前の「自分と美佐子と旭のいた幸せな風景」に重ねながら眺めている。25年前のヤスの幸せそのままに、旭にも彼の家族が出来た。美しい情景。
その最後の場面の頃には私の目尻もヨレヨレに緩んでいた。2時間をかけてヤスと旭の25年間の旅を見終わって感無量。そしてその後のヤスも幸せだったことを考える。
「山あり谷ありのほうが人生の景色は綺麗なんよ」
ヤスの孫も大きく成長した2019年、ヤスは85歳、旭は57歳。旭の家族がヤスのお葬式のことを話している。旭は小説家にとして成功しているようだ。長い時間が流れた。
幸せが繋がっていく。ヤスの孫たちもこれから結婚し、いつか旭にも孫ができるだろう。そうやって家族は次の世代へと繋がっていく。
最後に私の目尻がヨレヨレになったのは、ヤスや旭の生きた人生がほんの少し羨ましかったからなのだろうと思う。これからも広がり繋がっていくヤスと旭の家族の未来を羨ましいと思ったのだと思う。
ヤスの晩年が幸せで本当によかった。
少し余談だが1960~70年代の再現が驚くほど丁寧。懐かしいものが沢山。
1974年(昭和49年)の市川家の食卓には見覚えのある物が並ぶ。派手な色のトースター、花柄の白いポット、日東紅茶ティーバッグの黄色と赤の箱、台付きの白い灰皿?、壁には鎌倉彫の壁掛け。奥の部屋にはチャンネルをカチャカチャと回すテレビ。その上には大阪万博の太陽の塔の像。横の床にはビニールのテープで編んだゴミ箱。ヤスの後ろの茶箪笥の引き戸の丸い金具をはめ込んだ取っ手、その茶箪笥の上の籠の中には雪印マーガリンの箱も見える。キッチンの窓辺には白地に赤い模様のホーロー鍋。そして旭の後ろの棚の上には青く塗った金属の懐中電灯、笠をかぶった狸の置物。あの頃の物が懐かしい(北海道土産のヒグマの木彫りはどこだ笑)
1978年(昭和54年)には屋内の物が少し変わっている。壁には海の風景を写した写真のシンプルな額縁。居間の電話はグレーの押しボタン式。食卓にはハイライトのタバコとLarkの缶灰皿。旭の部屋にはファンシーケース。その上には旧ロゴのアディダスのバッグ。その隣は(縦になっていて見えないが)マジソンスクエアガーデンのバッグだろう(縁が銀)。壁には修学旅行のお土産の奈良と別府の三角形のペナント。カラーボックスの上の時計は数字のカードがパタンと捲れる仕組みのデジタル表示。机の上には日本史や英語の参考書。見覚えがある笑。
そして時は流れ1988年(昭和63年)はバブルの頃。旭は出版社で働いている。編集部の雑然とした様子は私の知るあの頃の出版社編集部の様子と同じ。ポジフィルムを見るライトボックス。デスクで煙草を燻らせる編集者。ハンガーにかかった社員達の上着がカラフル。男性社員の着るセーターも派手。由美の前髪はムースで固められてゴワゴワだろう(私も固めていた)。
どの時代も丁寧に再現されていて懐かしかった。それでふと思った。私が子供の頃…旭が子供だった頃の1970年代は、もしかしたら今から見ればもうすでに過去の歴史上の時代になっているのではないかと。40年前の1984年はマドンナやマイケルが流行っていた頃。彼らもそろそろ歴史上の人物になりつつあるのではないか?…そのことをふと思いついて何とも言えない気持ちになった。あの頃は遠い昔。