2026年8月13日木曜日

映画『オデュッセイア/The Odyssey』(2026) :ノーランの憂鬱病…美と愛をもっと見せて





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『The Odyssey』(2026)
/英・米・加・ニュージーランド・アイスランド
/カラー/2h 52m/監督:Christopher Nolan』
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大変辛口の批評です。散々文句を言い尽くしてます。長いです。私はクリストファー・ノーラン監督とは相性が悪い!





★ネタバレ注意






まず結論。見てよかったです。十分面白かった。この映画は大きなスクリーンで見た方が良い。好きかどうかは別の話で。

まずよかった場面…映画の魔法を感じられた場面は二つ。
トロイの門を開けてギリシャ軍が城内になだれ込んだ際、バットマンみたいな甲冑に身を包んだ大きなアガメムノンがのしのしと中央に歩み出る様子(かっこいい)。そしてオデュッセウスが故郷に帰って来て…誰も出来なかった大弓を張り、並べられた斧の穴を弓矢で一気に射抜いたシーン(これもかっこよかった)。拍手!

それから音/サウンドの使い方もいい。オデュッセウス達がトロイの門を開けて戦闘が始まる場面で打楽器の音が鳴り続ける。戦の喧騒は聞こえない。ドキドキするいい演出。 それから後に海でセイレーンの側を通り抜けるシーンでは、反対に音を消して(耳栓をした状態で聞こえる音のみで)その様子を表現していた。オデュッセウスがセイレーンの声を聴きながら大騒ぎしていたけれど、観客にその声は聞こえない。面白い演出。

全体に古代ギリシャの真面目な再現映像としてはとても面白かった。眠くなることもなかったです。十分楽しんだと思う。まずそのことを書いておきます。  



クリストファー・ノーラン監督が巨額の予算を使い細部に至るまでリアルさを追求し撮影した古代ギリシアの叙事詩の再現映像!

🏺リアルさの追求
ネット上で調べたら…この映画はとにかく撮影にお金をかけているそうだ。トロイの木馬もトロイの街も、オデュッセウス一行の乗る船も、CGではなく実際に実物を建造したものを撮影しているそう。他にも巨人兵やサイクロプスも撮影に凝っていて、もちろんエキストラの数も沢山。それからこの映画は史上初めて全編IMAXフィルムで撮影された映画だそうだ(私は普通の映画館で見たのでその凄さはわかっていない)。

とにかくお金をかけて(今どきの映画だったらCGで済ませるところを)セットや物を建造して取っているのでリアリズムがすごい…のだそうだ。そのようなことを映画を見た後で知った。ノーラン監督はリアリズムを追求することで知られているそうで、再現映像を撮らせたら右に出る者はいないのだそう。なるほど。

結局は映画に何を求めるかですね。セットでリアルに再現して長編映画をフィルムで撮ってCGを使わずに……それが評価の要であるのなら、素晴らしいものなのだろうと思います。見もの…という感じ。



しかしだからなに?…と思っちゃったのよ笑 ゴメンヨ



この感想文は上のタイトルに書いたことが全て。古代ギリシャを描いていながら、華が無い色が無い美が無い愛が無い情熱がない生きる喜びが無い…無い無い尽くしの3時間。

最初はすごいなと思いながら見ていました。本当です。映像がすごいなと思った。ノーラン監督は時間がよく飛ぶので、ちょっと見にくいかなとは思ったけれど、ストーリーは事前にWikipediaで話の流れを読んでいたので映画を見ていて迷うことはなかったです(事前に話を読んでいてよかった)。


🏺基本のストーリー
簡単に言えば、この映画は2004年の映画『トロイ/Troy』の続きのようなもの…と言えばいいか。

『トロイ/Troy』はホメロスの「イーリアス/The Iliad 」のトロイ戦争をゆるく再現したもの。
そして今回の映画『オデュッセイア/The Odyssey』もホメロスの「オデュッセイア/The Odyssey 」を再現。この映画はトロイ戦争の後、イタケー島の王オデュッセウスが(トロイへ出陣してから)20年後に家族の元に帰ってくるという話です。

…戦争に出かけてから20年後に帰ってきた夫/父親オデュッセウス…そういうお話。


🏺オデュッセウスの旅のタイムライン
ところで、このオデュッセウス(マット・デイモン)が、妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)と息子テレマコス(トム・ホランド)の待つ家に帰ってこなかった間の20年間のタイムラインとは(映画を見た後で調べた)…

まずトロイ戦争が始まってから終わるまで10年もかかっている。それからオデュッセウスはその後の3年間はモンスター達に出会いながら(ポセイドンの怒りで)地中海をうろうろ彷徨うことになり…その間に魔女キルケ―(サマンサ・モートン)と暫く時を過ごし、そしてその後は海の女神カリュプソ(シャーリーズ・セロン)と南の島で7年間も暮らしている。

なんだ…オデュッセウスは10年間をかけて冒険をしたのではないのですね…実は彼は8年間ぐらいは魔女や女神様と仲良く一緒に暮らしている笑。結構結構。それでいいんです。…なんだ浮気をしてよその女と8年間も過ごしたのかと目を吊り上げてはいけない。この話は古代ギリシャの神話の時代だもの。全ては許される。古代ギリシャの浪漫です浪漫。

それなのよな~…この映画が退屈になっちゃったのは…。深刻な問題。



「私はノーラン監督と合わない」それにつきる。
もちろん個人的な意見。これからその理由を書く。

この映画はアクション映画としては十分に素晴らしいと思います。しかし私は「退屈やな」と思っちまったのよ。


🏺退屈な理由・描かれなかったもの
なぜなら…ノーラン監督はリアルリアルリアル真剣リアル深刻リアルリアル…ばかりにこだわっていて、映画で表現できる大切なことを描いていない。その大切なこととは…

生きる喜び
肉体の美しさ瑞々しさ
惑うほどの女性の美しさ
愛する妻に会いたいと熱望する夫
20年間も夫を思い続ける妻の愛
離れ離れだった夫婦が再び一緒になれる大きな喜び
成長した息子に会う喜び
大きな笑顔
なんと生きることは素晴らしく美しいものか…

…この映画にはこのようなものが描かれていない。

あれほどアクションを見せてドラマチックな場面を撮っているのに、この映画は驚くほどに全体のトーンがずーっと同じ。全体に驚くほどフラットに感じた。もちろん俳優さんのせいじゃない。役者さんはどの方々も一流。それなのに彼らの感情の変化…共感できるような人物達の心の動き/喜怒哀楽が少なすぎる。驚くほどに感情の盛り上がりがないと感じた理由は、ノーラン監督がドラマチックな人の心の動き…特に「喜び」を描けないからだと思う。


例えばオデュッセウス一行がモンスターや災難から逃れて皆で安堵する様子は?それからオデュッセウスと魔女キルケ―との場面はギスギスしているだけで、オデュッセウスはただただ(仕事をこなすように)仲間を助けるだけ。またオデュッセウスは女神カリュプソと7年間も一緒に暮らしているのなら彼のカリュプソへの愛情が少しは見えてもいいのに、マット・デーモンとシャーリーズ・セロンの間に愛情らしいものは一切感じられず。

極めつけはセイレーンの顔が見えない。オッパイも見えない。エロが足りんよエロが。エロは大切やろ…古代ギリシャですよ。この時代はまだキリスト教も存在していない太古の時代。原作『オデュッセイア』が書かれたのは紀元前800年頃だと言われているので、神話の時代はもっと前(諸説あるが史実のトロイ戦争は紀元前1200年頃だと言われている)。道徳心など今とは全く違うはず。


古代ギリシャには時を超える美と浪漫を期待する


🏺見たかった…美しいもの
なぜ古代ギリシャを描くのに美や愛、肉体礼賛が大切だと私が思うのか? 答えはあのギリシャの彫刻を見ればよい。ギリシャの彫刻は今見ても美しい。古代ギリシャの人々は 2000年以上も前に、人間の肉体の美しさに現在の私達と同じ美を感じていたはず。美を尊ぶ心があったはず。

この映画の原作は古代ギリシャの神話の時代。西洋が考える人体の美の基本の型が出来た時代と言ってもいい。彫刻も神々のストーリーも、古代ギリシャの方々がどれほど「美と愛」を尊んでいたのかを想像するのは難しいことではないと思う。あの文化は「美の女神ヴィーナス」を生んだ文化なのです。

そのような「美」を私はこの映画に感じることが出来なかった。


🏺見たかった…人物達の心の動き
そして「美」とは目で見えるものだけではない。夫が20年を経て最愛の妻と息子にやっと会えるシーンはきっと美しく感動的なものだろう。このストーリーの要はそれなのですよね。それなのに…この映画で感動の再会の場面なんてあったっけ?みんなしかめっ面して苦渋の表情で泣くばかり。

人物達の心の動きが表現されていないから、3時間の映画で気持ちが盛り上がる場面がほとんどない。それはとても大きな問題だと思う。観客の心をもっと揺さぶって欲しい。

どんなに撮影や技術やテクニック、セットばかりに凝っても肝心の人間が描けなければ感動はなし。映画の魔法もなし。



🏺人類普遍の…
「美を感じること」と「愛」は人類に普遍的な価値観…美と愛は、時代や国を越えて人間の心を動かす、人類にとって大切な価値観です。古代ギリシャの神話の時代の映画ならそれを描いて欲しかった。


ノーラン監督の作品に対して、これと同じような内容の文句を私は 2012年の『ダークナイトライジング/The Dark Knight Rises』でも書いてます。散々文句を言っている。文句の基本は今回と同じ。ノーラン監督は映画の魔法が描けない。頭でっかちにリアルさを追求し過ぎて、大切なことを見失っていないか。

映画『ダークナイトライジング/The Dark Knight Rises』:ユーモアは大切です


🏺アカデミー賞?
リベラル的ポリコレへの配慮なのか煮え切らない表現にも首を傾げた。オデュッセウスの側の軍は現実にトロイに侵攻して国を壊滅させているのに、戦闘の真っ最中にオデュッセウスは反省して苦悩の表情を浮かべている。(現代風・正義のヒーローの)オデュッセウスは、敵を攻撃しながら燃える街を見て悩んでいる。(ポリコレ的に)主人公が反省の色を見せなければ戦争も描けないの??(今どきはしょうがないのか)

DEI(Diversity, Equity, and Inclusion)への配慮も伺える。小柄な青年シノンを演じたエリオット・ペイジ(俳優さんは素晴らしいけれど)。ヘレンがアフリカ系の女性はいいけれど、古代ギリシャの戦士に東アジア人がいるのはどうなのか?セイレーンに惑わされて鎧を着たまんま海に飛び込んで泳いだ若者は東アジア人だった笑。


🏺見たかった…美しい女性達
いやポリコレやDEIの話は問題じゃない。それよりもこの映画は女性に華がないのが本当に一番の問題。セイレーンのオッパイが見えないのはまぁいいけれど、女神カリュプソや魔女キルケ―はもっと男を惑わすように美しくなければ納得できない。旦那Aは「51歳のシャーリーズ・セロンよりもっと若いピチピチした25歳ぐらいの綺麗な女神様のほうがいいよねぇ」などと言っている。アン・ハサウェイのペネロペだってもっともっと魅力的にできるのにしかめっ面のヒステリー女に見えた。なぜ?ノーラン監督はなぜ綺麗な女優さんの魅力まで消してしまうのか?…ヘレンの顔にはなぜ傷があるの?必要?

神話の時代の女性達をもっと美しく描いて欲しい。キルケ―にはオデュッセウスがついふらふらと仲良くなってしまうほど綺麗であってほしい。キルケ―が人を豚に変える様子をリアルに描くよりももっと大切なことがあるだろう。カリュプソも魚の網など着せずにもっと綺麗な衣裳を着せてほしい。オデュッセウスがゴージャスなカリュプソにムラムラして、どうしてもこの女神様と別れられない様子を描いて欲しい…7年間も一緒にいたのだから。セイレーンももっと姿を見せて。ゼンデイアはオデュッセウスのイマジナリー女神様なのだからもっと魅力的に見せて欲しい。オデュッセウスは戦は強いけれど女性には弱い男でもいい笑。(今の時代は女性を綺麗に描くことさえポリコレ的にはダメなのだろうか?)

…そして、それでも妻ペネロペの魅力には誰もかなわない。やっぱり奥さんが一番!だから20年が過ぎてもやっぱり家に帰ってきた!大きな拍手!


まぁいろいろと文句を書き始めたらきりがないですね。監督がアカデミー賞を意識してポリコレ満載で作った古代ギリシャ、お金をかけただけの男臭く無骨な古代ギリシャの再現映像ははそりゃ~つまらんやろ…という感想でございました。おそまつ


しょうがないのだ。これは世代の違いなのかもしれない。私の世代はスピルバーグやコッポラ、スコセッシにゼメキス、デパルマにレビンソン、キャメロンにスコット、ストーンにライナー、バートン…等々の巨匠を見て育った世代なのです。昔の映画はもっと大げさで派手でゴージャスだった。

しかし今は派手でゴージャスな映画は流行らないのかも(過剰なポリコレが邪魔をして撮れないのかも)。ノーラン監督は今を代表する巨匠なのだろうけれど、映画の魔法を排除した…グレーで陰鬱で深刻で素面な彼の映画がそれほどいいものなのか私は疑問に感じる。


私はギリシャ神話に美や愛や命の躍動を見たい。もっと綺麗な色彩を見せて! 時を超える古代ギリシャの美と愛の浪漫ですよ浪漫。ノーラン監督の映画には浪漫が足りん。美女と喜びと情熱が足りん!!!



口直しにウォルフガング・ペーターゼン監督の『トロイ/Troy』(2004) を見直そうと思った。アキレスもゴージャスだったしトロイの木馬もかっこよかったネ。絶世の美女ヘレンも納得の美しさで、惑わされるおバカなパリスも面白かった。また見ようと思う。