能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2022年9月28日水曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第35回「苦い盃」9月11日放送



畠山重忠の乱までの流れを細かく描写。史実として記録されている話がそのままドラマになっているようです。ドラマでは北条時政がりく(牧の方)に言いくるめられる様子と周りの戸惑いが描かれてます。

時政がりくに操られてしまう様子がいけませんねぇ。このダメオヤジな時政キャラはてっきり三谷さんの創作だろう思ったら、なんと『吾妻鏡』にそれらしい記録があるらしい。時政ダメダメでびっくりですねぇ。情けなや。

その男を惑わすりく…宮沢りえさんが大変素晴らしい。宮沢さんはやっぱりいい女。艶々。

それにしてもりく(牧の方)はなぜ畠山親子よりも平賀朝雅の事を信じたのか。どちらも娘婿なのに。それはきっとりくさんは(坂東の荒武者の)鎌倉の御家人よりも、洗練された都会の人物の方を信じたということなのだろう。りくさんは鎌倉に住んでいても心は京にあった。

それから実朝が政略結婚で悩んでいる様子。彼はまだティーンだから悩みも多い。その悩みを聞く占い師・歩き巫女・鎌倉の母お婆が大竹しのぶさんだと最初はわからなかったぞ。


…ひとつ気になった事がある。ドラマの内容とはあまり関係ないのだけれど、以前から気になっていたので書いておこう。

この占い師のお婆の実朝への慰めの言葉が「悩んでいるのはお前だけではない」なのだけれど、この「皆も君と同じように悩んでるよ」という情報は、実際悩んでる人の慰めにはなるのだろうか。これ私には効かなかったと思う。「他の人が同じことで悩んでる」と聞いても「あーそうですか」と思うだけ。誰かが同じことで悩んでいるのなら、その人がどのようにその状態から抜け出したのかを私は知りたい。


さて『吾妻鏡』などの歴史の記録の内容をざっとまとめると…

★その頃までの武蔵国の状況…
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元々武蔵国は、(頼朝の時代には)源氏門葉の平賀義信が国司を勤めた。
秩父氏の総領である留守所職は河越重頼
河越重頼と平賀義信のは頼朝の乳母・比企尼の次女と三女
武蔵国の郡司は、比企尼の甥・比企能員が継承。
河越重頼が源義経の謀反に連座して誅される。
その後、畠山重忠が留守所職となる。
平賀義信の後の武蔵国司は平賀朝雅(北条時政の娘婿)が継ぐ。
建仁3年(1203年)9月 比企能員の変
同年10月 平賀朝雅は京都守護のため上洛。
将軍実朝の命で、北条時政が武蔵国務職に任じられ、武蔵国衙の行政権を掌握。

武蔵国には比企氏と繋がりをもつ者が多く、比企の跡を勢力下に収めようとした北条時政の武蔵進出は、武蔵武士団の棟梁である畠山重忠の勢力圏への進入であり、比企の乱後の戦後処理を巡って時政と重忠は対立する関係となっていた。


★直接の引き金は…
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元久元年(1204年)11月4日 京の京の平賀朝雅邸で将軍実朝の妻を迎えるため上洛した御家人たちの歓迎の酒宴が行われた。
その席で朝雅と畠山重忠の嫡子重保との間で言い争い
翌5日、北条時政の子・政範が急死
元久2年(1205年)6月21日 朝雅は重保に悪口を受けたと牧の方に讒訴。牧の方(りく)はこれを重忠父子の叛意であると時政に訴えた。義時と時房は反対したが、やむなく義時は重忠討伐に同意
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ドラマは…
息子を亡くしたりくが時政を操る~畠山討伐決定まで
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京で突然死去した政範(中川翼)を思いりく(宮沢りえ)が沈む

政範の死に関して、畠山重忠(中川大志)の息子・重保(杉田雷麟)が源義時(小栗旬)と大江広元(栗原英雄)にレポート

……重保がその前の晩 平賀朝雅(山中崇)が話しているのを立ち聞きする「これを汁に溶かせばいい…」重保は平賀を直接問い詰めたが 平賀はもちろん否定……


後日、鎌倉を訪ねている平賀朝雅が りくと時政(坂東彌十郎)と会話「畠山重保は私を下手人に仕立てようとしている。畠山の策略にはまってはいけない」それを信じるりく。子・政範が畠山に殺されたと思いこみ時政を焚きつける「畠山を討って」

怒っても綺麗 りく/牧の方 あまり似てないな

義時は畠山重保のレポートから 平賀朝雅を疑っている。
平賀に直接問うが、答は得られず

時政と息子達
時政は「畠山を討つ」と言う(←りくに言われて)
それに答えて義時「鎌倉殿の花印がない限り 勝手に兵を挙げることは出来ない」

義時は畠山の元へ
畠山「平賀と息子・重保を並べてご詮議を」と言うが、平賀はすでに京に帰った。
義時「平賀を討てば京を敵に回す」
畠山「それが執権・時政の狙い。畠山を滅ぼし武蔵を手に入れるつもりだ。戦いたくないが、武蔵帰り戦支度をする」

義時と時政
義時、畠山との会話から平賀が怪しいと時政に告げる。
時政、畠山討伐はしばらく保留にすると言う。

帰宅した時政、またりくに責められる
結局 言い負かされてしまう弱い時政。だめおやじだなこりゃ。

その頃将軍・実朝(柿澤勇人)は和田義盛(横田栄司)をこっそり訪ねていて留守。それに気付いた文官達がパニック中。八田知家(市原隼人)が実朝を連れ戻す。

帰ってきた実朝の元へ時政が忍び込む。
「畠山討伐」を中身を隠しながら実朝に花印をサインさせる。

武蔵国 義時が畠山を訪ねてきている
義時が「鎌倉殿に潔白を」と説くが、畠山は「鎌倉に呼び寄せて討ち取るつもりだろう」と聞こうとしない。


若い実朝の悩み
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源実朝(柿澤勇人)の婚礼が近づく。
元久元年(1204年)12月 後鳥羽上皇の従姉・千世(加藤小夏)が鎌倉に到着
婚礼 実朝はまだ戸惑っている。実感がないらしい


しばらくして実朝と泰時がまた和田の館を訪ねてくる。
和田と実朝、泰時(坂口 健太郎)、鶴丸(きづき)が占い師を尋ねる

歩き巫女(大竹しのぶ)

泰時はすごろくをすると具合が悪くなると言う。←おおおおぉ武衛?
占いお婆が実朝へ「雪の日に出歩くな」←あぁあれですね。
占いお婆・鎌倉の母は、大竹しのぶ!しばらくわからなかったぞ。すごーい。
皆で遊んでいるところで、八田知家に見つけられ御所へ帰る。
時政がやって来て「花印をくれ」と言い、実朝は中身も読まずにサインをしてしまう。

のえの野心
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のえ(菊地凛子)は義時の子が欲しいと言う
泰時はのえを信じていない
三浦義村(山本 耕史)がのえの人柄に気付く 指に飯粒
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2022年9月21日水曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第34回「理想の結婚」9月4日放送



前回で源実朝は元服し鎌倉殿となった。そして北条時政は初代執権に。

タイトルの「理想の結婚」で見せる様々な結婚の形。 実朝の政略結婚の話から、和田義盛+巴のハッピー結婚と、北条義時の新しい嫁・のえの女の計算付き結婚の3つの話。

それから、気のいい陽気なオヤジだと思っていた北条時政が暴君になりつつある。その元は嫁・りくの野心。りくが時政を動かしてます。

そして義時がまた結婚しました。相手はのえ。早々と決まってしまった。第32回の感想には義時のことを「もう鼻の下を伸ばしてにやにやしていた若者はいない」などと書いていたけれど、今回の彼は鼻の下を伸ばしてましたねぇ~。でれでれしてる。すごく嬉しそう。

そこに食いつくのえさん。ぬえか。のえさんは計算高い女のようです。

それに泰時が気付いた。彼は今までにも父・義時の言動に戸惑ってぶつかっていますが、この真面目な泰時がなかなか真っ直ぐな熱い青年で…。坂口健太郎さんは今まで見たドラマではいつもクールで熱量の少ない現代っ子の印象だったのですが、この泰時は熱いぞ。いいぞ。

そして繊細な源実朝。彼は政治家やリーダーになるよりもインドアで和歌を詠んで芸術寄りに生きたいタイプらしい。政治的な政略として京からの娘と結婚させられることにも悩んでいる。「しかたがないしとりあえず」とは言えないのだろう。結婚はゆっくりと確かな愛を育みたいと思っているのだろう。

そんな悩む繊細な実朝を和田義盛が慰める。館に皆を招いて紅葉鍋パーティー。実朝は傷つきやすく繊細だからこそ、脳筋で大雑把で陽気な和田っちにほっとするのだろう。和田っちいい人。毛深いのね。

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元久元年(1204年)頃 

源実朝(柿澤勇人)は日々学んでいる。大きくなったけれど実はまだ12、13歳ぐらい。

繊細 実朝

先生達は
八田知家(市原隼人) 薙刀
和田義盛(横田栄司) 弓
大江広元(栗原英雄) 政
三浦義村(山本耕史) 処世の全て 女の扱い


ところでこの頃の武蔵国司は、北条時政(坂東彌十郎)の後妻・りく/牧の方(宮沢りえ)の娘婿・平賀朝雅(山中崇)。「比企能員の変」の翌月の建仁3年(1203年)10月、平賀朝雅は京都守護のため上洛。時政は比企の跡を勢力下におさめようとし、将軍実朝の命によって武蔵国務職に任じられ武蔵国衙の行政権を掌握していた。

畠山重忠(中川大志)はそれまで代々受け継いできた(武蔵国の武士団を統率する)留守所総検校職の役目を北条時政から解任されて(←この部分は歴史の記録にはないそうです)不満を募らせている「姑殿は武蔵を奪い取り上げるのでは?」もしそうであるなら時政と戦う意思を表す。

馬も担げる 畠山重忠

源実朝には、後鳥羽上皇(尾上松也)の従姉・千世(加藤小夏)との結婚が決定。10月14日に16歳の北条政範(中川翼)がその使者として京に向かう。

北条義時(小栗旬)には文官の二階堂行政(野仲イサオ)の孫娘・のえ/伊賀の方(菊地凛子)との再婚話。義時がのえとお見合い。気に入ったらしい。

怪獣も倒せる のえ

その頃京では源仲章(生田斗真)が(時政の娘婿)平賀朝雅(山中崇)に、将来は鎌倉の執権になるようにと勧めている。後鳥羽上皇は(一介の武士である)北条が鎌倉で力を持つことが面白くない…もし(河内源氏の流である)平賀朝雅が執権になれば鎌倉も動かしやすくなると考える。平賀朝雅が次の執権になるのに邪魔なのは、北条時政とりくの嫡男・北条政範。

後鳥羽上皇の乳母

元久元年(1204年)11月3日 京で突然、北条政範が死去。死因は流行り病とのことだがあやしい。


その他

以前。頼朝の観音像が政子(小池栄子)から義時へ。そして今回義時から泰時(坂口健太郎)へ。


・三浦義村は女性をとことん大切にするらしい。

・結婚話に気が乗らない実朝。それを政子が心配する。政子は実朝のために和歌を書き写し実朝の目に付く場所に置くよう指示。

北条時政は御家人達から賄賂を受け取って喜んでいる。御家人同士の訴訟の判決にもその影響が。

・八田知家は女性を見る目がない。

・北条時政が三浦義村に、畠山の件で三浦が北条に付くかどうかの打診。

・のえのうらおもて。それを泰時が目撃。



2022年9月9日金曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第33回「修善寺」8月28日放送



最後が…。善児。うわ~トウちゃん…。き、君はそんな恨みを何年も隠し持っていたのか…彼女も大変な人生だ。ちょっとショックなエンディング。

彼女も最初から善児を討つつもりではなかったのかも。でも不死身だと思っていた師匠が負傷した。たぶんもう助からない。それならとどめを刺す。しかしこれは…きついな~。トウに刺された後、「父の仇…」とトウの言葉を聞いて善児が頷いてましたが、あの時彼は何を思ったのか。トウも泣いてましたね。彼女も複雑な思いが沢山あったのだろう。お世話になった師匠に両親を殺されているのですもんね。しばらく今回のエンディングに圧倒されてた。

善児

善児と言えば死の匂い…登場する度に怖いなぁと思ってましたが、亡くなってしまうと寂しいかも。善児はとにかく強いのよ。小柄で動きが速くて、どんな状況でも仕事を成し遂げる。有能な戦士。しかしこれだけ身体能力があって強いのなら、彼は伊東家でまっとうな家臣にはなれなかったのだろうかとも思う。

善児さんおつかれさまでした。一幡君に会えたかな~。 

頼家

それからもちろん今回のメインイベントは頼家です。彼は…生き残る方法はなかったのだろうか。あの北条家のことを考えれば、いずれ殺されていたのだろうとも思えるけれど、長い歴史の中には飄々と禍を避けてうまく生き残る人もいるのですよね。もし頼家がこのドラマで描かれたように負けん気の強い人物ではなくて、小心者の穏やかな…あまり争いごとを好まぬおとなしい人物だったらどうだったのだろうと思いたくなる。やっぱり北条が許さないかな。

頼朝の嫡男なのに頼朝の後を継いで鎌倉殿になってからたった4年で鎌倉から追い出されてしまうという事実。やっぱり異常なことですよね。

彼は鎌倉殿になったばかりはやる気満々。しかし18歳で若すぎるからと13人の合議制が決められ、すぐに政治の隅に追いやられて不満を募らせる。その後も度々問題行動を起こす傲慢な若者…確かにこの子は扱いにくい…とも思うけれど、その幼さのためにまたかわいそうにもなる。「頑張ってるのに誰もわかってくれない」孤独な彼の涙。全方向にぶつかって結果大人達に全てを奪われて泣き崩れる。

彼は複雑な人物。富士の巻狩りの頃はどちらかと言えばインドア派でスポーツも得意ではなかったのに、緊急の状況ではキビキビと場を仕切っていて「あ、この子は出来る子なのかも」と思った(第23回)のに、鎌倉殿になったとたんになぜか我がままで不安定な子供(中二病)みたいになってしまって(第27回)皆を不安にさせる。そしてスポーツもいつの間にか得意になっていて、いつも外に狩りに出かけるようになる。肝心な時には家にいない。頼家が頼りにならないからと「鎌倉の合議制の13人」が決められた後も、家臣の嫁を寝取ったり家臣に暴言を吐いたりと手がつけられない。そして病気になってしまう。全てを奪われて修善寺に送られた後も意地を張る。鎌倉に帰ることを諦めず抵抗を続ける。それが死の引き金になった。

しかし彼の辛さもわかる。彼は誰がなんと言おうと源頼朝の嫡男だったのに…。
金子大地さん、素晴らしかったです。


今回もいくつかの場面で演出がいいと思った。三浦義村が頼家を訪る場面。頼家が義村に「北条を討ちたいから力を貸してくれ」と言い、義村が「お断りします」と断れば、カメラが頼家からす~っと引く。そして不安な音楽。そしてその直後に義村がその会話を鎌倉での会議で報告している場面。あ~頼家…望みは無い。 それから頼家の最後の場面も、青い光の中の善児とのバトルでドキドキした。ほんと。いいドラマ。


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建仁3年(1203年)10月8日 源実朝(嶺岸煌桜)は12歳で元服し鎌倉殿/3代将軍となった。


10月9日 実朝の政所始め。北条時政(坂東彌十郎)は大江広元(栗原英雄)と並んで政所別当に就任した。時政はまた比企能員の死により空いた武蔵の地を引き継ごうとする。

三浦義村(山本耕史)は、比企の一件から北条に不満を持つ者が増えていると言う。

北条のりく(宮沢りえ)は野心を燃やし時政を焚きつける。


時政とりく(牧の方)との間に生まれた長女の婿で武蔵守である平賀朝雅(山中崇)が京都守護の職務のため京に向かう。京で実朝の嫁を京から呼ぶ手配。後鳥羽上皇(尾上松也)の顔色を伺いながらなんとか話をまとめる。後鳥羽上皇は「源氏こそ我が家臣…北条=坂東の身の程知らずの田舎侍に好きなようにはさせぬ」と言う。様子見に源仲章(生田斗真)を鎌倉に送り込む。


源仲章といえば…以前、阿野全成の三男・頼全を暗殺していた。


修善寺の源頼家(金子大地)はまだ諦めていない。訪ねてきた三浦義村(山本耕史)に「鎌倉にいつか攻め入って北条を討ち取る」と言う。そのことを鎌倉の会議で皆に報告する義村。直ぐに頼家を討ち取りはしないが、しばらく様子を見ようということになる。

善哉は頼家の次男

建仁4年(1203年)正月 実朝の読書始め。儒教の講義をするのは、今日から送り込まれた源仲章。仲章は実朝に和歌は京と繋がるための政のツールであると諭す。

三善康信(小林 隆) 実朝に和歌を教えようとしたけれど

頼家を修善寺に訪ねる足立遠元(大野泰広)と畠山重忠(中川大志)。その二人に頼家は「北条時政が武蔵国を狙っている」と告げる。

鎌倉での会議中、畠山が時政に武蔵国の件を尋ねる。どうやら頼家は京とつながっているらしいことが明らかになる。八田知家(市原隼人)が修善寺から京へ帰る猿楽師に託された頼家の文(扇子に書いた文)を押さえる…頼家は後鳥羽上皇に北条追討の院宣を願い出ていた。頼家を討ち取ることを決定。それに反発する北条泰時(坂口健太郎)。頼家を逃がすと言う。

義時の命で善児(梶原善)とトウ(山本千尋)が修善寺へ送られる。
猿楽の途中、泰時の目の前で頼家が殺害される。頼家、享年23。

頼家との戦いで善児が大きく負傷。
トウが「父母の仇」だととどめを刺し善児絶命。

義時が和田義盛(横田栄司)を訪ねると運慶(相島一之)がいた。運慶は義時に「悪い顔になったな。しかし迷いがある。まだ救いはある」と言う。



2022年8月30日火曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第32回「災いの種」8月21日放送



病に臥していた源頼家(金子大地)が起き上がった!

鎌倉では「頼家はもう目覚めない」という予定で様々な事柄が進められていた。そこに目を覚ました頼家。そのために回りが穏やかでなくなる回。

歴史の予習を全くせずにドラマを見ているのですが、思わぬ方向に話が進んでいくのでびっくりしてます。



頼家の運命
建仁3年(1203年)


前回、
●比企家は北条家が滅ぼした
●頼家の嫡男・一幡も行方知れず

まず母の政子(小池栄子)が頼家に「企家が滅亡した事実」を伝えに行く。「比企家は頼家が目覚めないものと思って自滅した」と説明。もちろんそのような嘘が通じるはずは無い。以降頼家は政子を遠ざけるようになる。

その頃、鎌倉から「頼家危篤の知らせ+千幡の征夷大将軍任命の要請」を受け取った京の後鳥羽上皇(尾上松也)は、次の鎌倉殿と推されている千幡の名付け親になる。千幡は実朝へ。

歴史書『愚管抄』の作者

頼家が和田義盛(横田栄司)と仁田忠常(高岸宏行)を呼ぶ。北条時政が比企を陥れたことを聞き出し、二人に北条時政(坂東彌十郎)討伐を命じる。

和田義盛は三浦義村(山本耕史)畠山 重忠(中川 大志)、そして北条時政にそのことを伝える。
仁田忠常は一人悩む。後に自害。ぇええええええっ!

気は優しくて力持ち 仁田忠常

京の後鳥羽上皇(尾上松也)から鎌倉に千幡を征夷大将軍に任ずる宣旨が届く。
建仁3年(1203)9月7日 千幡を従五位下・征夷大将軍に補任した。

次の征夷大将軍が決まったことから、頼家の居場所がなくなる。
建仁3年(1203)9月29日 頼家は伊豆の修善寺へ送られる。

修善寺へ 頼家

建仁3年(1203)10月8日 
千幡 元服の儀式。



実は一幡は生きていた。善児のもとで匿われていた。しかしそれを聞いた義時の命で一幡は殺害される。享年6。善児…。

千幡/実朝の乳母・実衣は出家しないと言う。実衣の野望。

義時の室・姫の前/比奈(堀田真由)が離縁を申し出る。彼女は京で再婚し4年後生涯を終えた。これもびっくり。さすがに夫に親戚を皆殺しにされたら共に暮らすのは苦痛だろう。彼女も辛いですね。

比奈

北条のりく(宮沢りえ)は実朝の御台所を京から迎えようと画策。娘・きく(八木莉可子)の婿・平賀朝雅(山中崇)を京とのコネに使う。彼は守護として京と鎌倉の橋渡し。


時政とりくの嫡男・北条政範(中川翼)は15歳。


頼家とつつじの嫡男・善哉(長尾翼)は三浦家の庇護のもとで暮らしている。そこに現れた比企尼(草笛光子)。幼い善哉に「北条を許してはならぬ。あなたこそが次の鎌倉殿。それを阻んだのが父を追いやり兄を殺した時政、義時、政子。許してはならない」と告げる。←不幸の種が蒔かれた。


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悲しい回。まず頼家が目覚めたら、彼から全てが奪われていた。後ろ盾の比企家も最愛のせつも嫡男の一幡も、母・政子の北条家に滅ぼされていた。そして鎌倉殿の地位まで弟の千幡/実朝に渡されていた。そして頼朝は全てを剥奪されて修善寺に送られる。

酷いですね。これなら頼家は目が覚めないほうがよかった。これは辛い。その頼家の苦悩を金子大地さんが熱演。目力のある役者さん。素晴らしいです。頼家とともに泣く。

そして頼家から、北条家の時政を撃つように命じられ、一人悩み自害する仁田忠常。享年37。これも驚いた。いつもにこにこ笑顔の仁田さん。また癒しの人がいなくなった。悲しい。一人で悩まずに和田さんと行動を共にすればよかったのに。

ちなみに仁田忠常は史実では…建仁3年(1203)9月6日 能員追討の賞を受けるべく時政邸へ向かうが、帰宅の遅れを怪しんだ弟達が誤解して北条政子邸を襲撃。忠常も弟達と共にに討ち取られたそうだ。

それから生き延びていた一幡。彼も殺害されていしまう。これも辛い。

そして今まで無感情な殺人マシンだと思っていた善児がなんと一幡を可愛がっていた。命じられても一幡を殺せないと言う。それにも驚いた。そうか…こういう風に彼のキャラが変わることになったか。これもびっくりした。彼には心がないのだろうと思っていた。そうか…子犬とか子猫じゃなくて子供だったのか…。義時は酷いね。


というわけで、悲しい話が沢山。とにかく頼家はかわいそうだ。

その酷い事を「必要だから」と淡々と推し進める北条義時(小栗旬)。もう以前八重さんを見て鼻の下を伸ばしにやにやしていた若者はいません。その彼を責める真っ直ぐで正義感に溢れる息子の泰時(坂口健太郎)。「父上はおかしい」と義時に抗議。今後、義時が闇に落ち、泰時が北条の光になっていくのか。



2022年8月24日水曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第31回「諦めの悪い男」8月14日放送



『鎌倉殿の13人』がヘビーな内容になってきた。驚いてます。三谷さんの大河では予想していなかった。素晴らしい。傑作かも。

この第31話は2週間前の回で、すでに32話も放送されているのだけれど、内容はますます陰鬱。これを重厚大河と言わずしてなんと言おう。

もう冗談が無くなった。コメディの色が無くなった。以前は大泉洋さんの頼朝のユーモア/おかしみがドラマにコメディ調をもたらしていたけれど、今は彼のようなおかしなキャラがほぼいない。癒し系の安達さんも、全成も、範頼もいなくなった。

全体に暗い。本当にすごいなと思う。しかし最高。歴史ドラマとして学びあり、感情を揺さぶられる悲しい史実あり、色んな意味で濃いドラマ。しっかりと心を掴まれている。毎週次の回が待ちきれない。

毎回感想を書くために最低3回は見るのだけれど、とにかく脚本も映像もセットもカメラワークもライティングも衣装も俳優さん達の頑張りも…全てが丁寧。素晴らしい。何度見ても新しい発見がある。


前回30話は、全成のさよなら回でしたが、今回31話は比企家の滅亡/比企能員の変/比企の乱。展開が速い。歴史はどんどん進む。

前回と今回を見ていて改めて思った事がある。まず日本の歴史は男達によって動かされてきた。日本の歴史はほぼ全て男達が作ってきたストーリー。しかしどの時代にも必ず女性達は存在した。そして彼女達は常に男達の作る悲劇の巻き添えになった。

前回の実衣、そして今回の比企家の道、比企尼、せつ…、このドラマでは彼女達の無念や悲しみが男達の話と共にしっかりと描かれている。男達の作る「史実」の物語の合間に描かれてきた女達の心…野心、恋心、母になる喜び、嫉妬、優越感、競争心…それらが、今回のような事件で全て失われてしまうことの無念さに呆然とする。

私が女だからなのだろう、私は彼女達の涙や苦悶を見て心動かされる。前回の実衣の涙。今回の道の涙…夫の死を知ってすぐ「兵を整え迎え撃て」と家臣に指示。娘には「逃げろ」の指示。気丈に振舞っているが、もう運命には逆らえないことを彼女はわかっている。そしてその直後、息子を守ろうと北条側の武者達に短刀を抜いて襲い掛かり、斬られて絶命するせつ。彼女の勇気。以前25話で…頼朝に生まれたばかりの一幡を抱いて見せていたあの笑顔のせつが、こんな風に亡くなるなんて…。

様々なことが数秒の間に一気に起こって心臓を掴まれたように苦しくなった。


私は男達の作るドラマの後ろ側にいる女達を見る。男達が何をやろうと…斬り合おうが殴り合おうが、それは「彼らの勝手」だと思ってしまう。私には男ばかりのドラマにはどこか心理的に距離があるのだろうと思う。

ところが、そんな男達の紡ぐ歴史ドラマの中に女性達が描かれるととたんに話が身近になる。彼女達は歴史を動かしているわけではない。しかし男達が起こす災難の中で女性達がどう振舞うのか。そこに惹かれる。歴史が身近に思えてくる。

前回の宮澤エマさん、今回の堀内敬子さん、草笛光子さん、山谷花純さん、そして夫に親族が滅ぼされることを静かに耐える堀田真由さん。そして勝つ北条側として堂々と尼御台を演じる小池栄子さん、いきいきとした宮沢りえさん。このドラマは男性の後ろにいる女性達が皆素晴らしい。全員が素晴らしい女優さん達。たとえ一瞬でも、彼女達の熱演に心動かされてます。脚本も素晴らしい。

三谷さんの脚本は以前の『真田丸』では、中の女性達がほぼ全員現実から浮いたような妙な感じだったのに、このドラマの女性達は全員がいい。すごいと思う。何が起こった? 


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建仁3年(1203)7月~8月、源頼家(金子大地)が危篤。こん睡状態が続いている。

比企能員(佐藤二朗)は頼家と娘・せつ/若狭局(山谷花純)の嫡男・一幡(相澤壮太)を次の鎌倉殿に就かせようとする。それに抗議する北条義時(小栗旬)。


次の鎌倉殿候補は…
頼家の子供達
一幡…母・せつ(山谷花純)===比企家
善哉…母・つつじ(北香那)===三浦家+北条家
頼朝の子供/頼家の弟
千幡…母・北条政子(小池栄子)===北条家/乳母は実衣

その頃、京で全成の嫡男・頼全が殺害される。比企が手を回したらしい。憤る北条家。北条家は次の鎌倉殿に千幡を推すと意志を固める。しかし鎌倉を戦で火の海にはしたくない。まず千幡を推して叶わなかったら戦。

建仁3年(1203年)8月27日 
義時のアイデア (史実では時政の決定)
一幡千幡で日本を東西に分けて治めたらどうか」
そのアイデアを比企能員が拒む。交渉決裂。
義時「アイデアを拒んだのは比企。大義名分は立った。比企を滅ぼす」

8月末日 回復しない頼家は病床で出家させられる。本人の意識は無い。

北条政子(小池栄子)は孫・一幡の命を救うようにと義時に懇願。
義時は一幡の命を奪えと泰時(坂口健太郎)に命じる。顔を曇らせる泰時。

義時の室・比奈(堀田真由)が比企家を訪ねてスパイ。比企能員三浦義村(山本耕史)が密談していた。それを比奈が義時に報告。比奈に実家への裏切り行為をさせる父・義時を泰時が咎める。

義時、父・北条時政(坂東彌十郎)に千幡の後ろで鎌倉を率いる覚悟があるかと問う。
時政「あるよ。なんとかなる。…わしの大事なものは伊豆の地、りく、子供達。それを死に物狂いで守る。それがわしの天命。この先は北条を守り抜いてみせる。やってやるよ」

時政比企との最後の和平交渉。交渉決裂。

比企能員

建仁3年(1203年)9月2日 (比企能員の変)
時政から比企能員に和議の申し出。比企能員が北条の館に平服で出かける。

比企能員「武家のルールとして丸腰を斬ったら末代までの恥」だから心配しなくてもいいと家族に告げる。しかし迎える北条家は武装していた。うろたえる比企能員。武者のルールを比企が話せば、
時政「お前さんは坂東生まれじゃねぇから分からねぇだろうが、坂東武者ってのはな、勝つためには何でもするんだ。名前に傷がつくぐれぇ屁でもねぇさ」(←時政がちょっとかっこいいなと思った)。比企能員、謀反の罪で北条の館で討ち取られる。


その後、御家人達が比企の館を襲う。比企家は全員討ち取られる。比企能員の室・(堀内敬子)も娘のせつも。

せつ

一幡は行方知れずと政子に報告される。

千幡が次の鎌倉殿で事が進むことになる。

そんな時、急に頼家が目覚めた「一幡に会いたい」と言う。
頼家は自分の頭が剃られていること=出家させられたことに気付く。

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『吾妻鏡』での 比企能員の変 

建仁3年(1203年)9月2日

比企能員が娘若狭局を通じて頼家北条時政を討つように訴えると、頼家は時政追討を承諾した。これを政子が障子の影から立ち聞きし時政に知らせる。時政は大江広元に能員征伐を相談すると広元は同意。そこで時政は仏事にこと寄せて能員を名越の時政邸に呼び寄せる。

能員は一族に危険であると引き留められるが平服で時政邸へ向かった。時政邸では時政とその手勢が武装して待ち構え、天野遠景・仁田忠常が廷内に入った能員の左右の手を掴んで竹藪に引き倒し誅殺した。

逃げ帰った能員の従者が能員遭難を知らせると、比企一族一幡の邸である小御所に立て籠もる。するとこれは謀反であるとして政子が比企討伐の命を下し、軍勢が進発する。

北条義時を大将とする北条泰時、畠山重忠、三浦義村、和田義盛、土肥維平(実平の孫)、仁田忠常らの軍勢が小御所へ襲来する。

戦闘は申の刻まで続き、ついに力尽きた比企側は館に火を放ち、それぞれ一幡の前で自決し、一幡も炎の中で死んだ。

慈円の『愚管抄』では

頼家は大江広元の屋敷に滞在中に病が重くなったので8月30日に自分から出家し、あとは全て子の一幡に譲ろうとした。これでは比企能員の全盛時代になると恐れた北条時政が、9月2日に能員を呼び出して仁田忠常に刺し殺させた。そして広元の屋敷に武士を送って頼家を監視下に置き、同時に小御所にいる一幡を殺そうと軍勢を差し向けた。一幡は母が抱いて逃げ延びたが、残る比企一族は皆討たれた。11月3日になって一幡北条義時の手勢に捕らえられ殺害された。

今回13人から抜けた人…比企能員




2022年8月16日火曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第30回「全成の確率」8月7日放送



実衣と阿野全成の回。前回、北条時政とりくに頼まれて「頼家を病に臥せさせるため」にと頼家を呪詛した全成。頼家と打ち解けて呪詛もとりやめたのに、木人形を回収し忘れて呪詛が発覚。頼家の名前が木人形に貼り付けられていたらしい。

梶原景時が滅ぼされてから、鎌倉では比企家と北条家の対立が高まっていた。運悪く木人形は比企の知るところとなり、全成は比企の北条打倒のコマとして追い詰められる。


阿野全成 ❤ 実衣


この回は悲しかった。以前から少し冷めかけていた全成と実衣夫婦が、前回打ち解けたと思ったら今回は悲しい別れの回となった。

実衣と全成の最後の別れのシーン。実衣が捕らえられた全成に会いに来る。全成は流罪が決まって二人はしばらく離れ離れになる。この時の全成が優しい。とても優しい笑顔。「誰も恨んではいけないよ」と実衣に話しかければ、その言葉を聞いた実衣は小さな子供のように頷く。この二人は本当にかわいい。

そして全成の壮絶な最後。見ていて苦しかった。絶命して全成の顔に日の光が射した時、ああ彼はもう苦しまなくてもいいとほっとした。

その後、全成の最後の様子を義時に問う実衣。この場面の宮澤エマさんが素晴らしかった。本当に上手い女優さん。こんなに悲しい泣きの演技は久しぶりに見た。もらい泣きした。

…最初は気丈に振る舞う。全てを聞いた後で「…あの人はそういうお方なんです。私にはわかってた」と涙ながらに夫を称え、少しの笑顔を見せ「やってくれましたね、最後の最後に…」と涙が溢れ出る。秒ごとに表情が変わる。すごい演技。今これを書きながらもシーンを思い出して泣きそうになる。

このお二人は、このドラマのコミック・リリーフだったのですよね。鎌倉で他がどろどろしていても、この二人は常に微笑ましい。実衣は様々な事柄を人に漏らしては事をオオゴトにしてしまうし、全成の呪術はあてにならないからまたこれも微笑ましい。色々と物騒な鎌倉で、癒し系のかわいらしい夫婦だったのに。全成が亡くなってしまったのは悲しい。これからの実衣に笑顔はあるのだろうか。



さて阿野全成のことは、どう記録されているのか?
この全成というお方は、

源義朝の七男。源義経の同母兄で、源頼朝の異母弟。治承4年(1180年)、以仁王の令旨が出されたことを知り東国に下った。石橋山の戦いで異母兄の頼朝が敗北した直後の8月26日、佐々木定綱兄弟らと行き会い、10月1日、下総国鷺沼の宿所で頼朝と対面を果たした。頼朝の妻・北条政子の妹である阿波局と結婚する。阿波局は建久3年(1192年)に頼朝の次男千幡(後の実朝)の乳母となった(Wikipedia)。

しかし『吾妻鏡』にはほとんど記載がないらしい。彼のキャラクターは三谷さんの脚色みたいですね。

最後の記録では、正治元年(1199年)に頼朝が死去し、嫡男の頼家が鎌倉殿を継ぐと、全成は実朝を擁する舅の北条時政と結び、頼家一派と対立するようになる。建仁3年(1203年)5月19日・子の刻(午前0時頃)、先手を打った頼家は武田信光を派遣し、全成を謀反人として捕縛し御所に押し込めた。全成は5月25日に常陸国に配流され、6月23日、頼家の命を受けた八田知家によって誅殺された。享年51。



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前回の終わり、呪詛の木人形を手に取っていたのは、以前から鎌倉在住の平知康(矢柴俊博)だった。知康は蹴鞠師匠の役を解かれてもうすぐ帰京するとのこと。

丁度その頃、源頼家(金子大地)が病に倒れる。平知康が見つけた木人形は比企能員(佐藤二朗)に届けられていた。疑いは全成(新納慎也)に向かう。動揺する頼家。

文官の大江広元(栗原英雄)が北条義時(小栗旬)を詰問。←この事を義時は知らなかったのか? 前回、義時が(実衣からの伝えで)全成の行動を知った時、彼は呪詛されているのは比企能員だと思っていたのかも。

義時は全成に「頼家にこのことを問われても決して認めてはならぬ」と告げる。

比企能員が全成の館の家宅捜査。呪詛の道具などを見つけて全成を連行。比企は全成を拷問して自白させようとするが全成は口を閉じたまま。比企能員はこのことを北条家と結びつけ、北条を潰そうと企む。

義時は、実衣(宮澤エマ)を姉の政子(小池栄子)のところに避難させる。

義時が、御家人達の嘆願書を集めて全成を救おうとする。

三浦、義時、畠山、和田

頼家から送られた若者5人衆が政子の元を訪ね、実衣を引き渡すように迫るが、政子は仁田常忠(高岸宏行)を使って5人衆を追い返す。

戦士の横顔 仁田常忠

頼家の元に比企能員、義時、政子、大江広元が集まる。御家人達の嘆願書が頼家に届けられる。結果実衣は許され、全成は常陸へ流罪と決まる。

実衣と全成の最後の会話。全成は半年ほどで帰ってくると言う。

建仁2年(1202年) 北条時連(瀬戸康史)が改名。時房になる。

頼家と比企能員が御家人達への土地の分配でぶつかる。頼家は比企の土地を取り上げて他の御家人達に分配すると脅す。憤る比企。

比企が全成を訪ね「実衣が危ない」から頼家を呪詛するようにと呪詛の道具を渡す。断る全成。

しかし全成は隠れて呪詛を始めていた。その事が八田知家(市原隼人)から鎌倉へ伝わる。比企が全成の謀反だと断定。八田知家が全成成敗に常陸へ向かう。

建仁3年(1203年)6月23日 全成 斬首される。

そのことが北条家に伝わる。悲しむ実衣。憤る義時と政子。
「どうすればいいのか考えなさい」

義時が覚醒。比企を問い詰める「比企殿には鎌倉から出て行ってもらう。…鎌倉殿の元で悪い根を断ち切る」

頼家が倒れた。



2022年8月8日月曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第29回「ままならぬ玉」7月31日放送



ドラマの感想と言うよりも、鎌倉時代の歴史メモという感じになってきた。このドラマを機会に歴史を学んでます。そんなわけでドラマに描かれた場面と、記録に残る日付をWikipediaから探してきてメモしてます。



翌正治2年(1200年)正月20日 梶原景時一族が討ち取られる。←前回からの続き。戦いはすでに終わっていました。首桶が頼家と御家人達の前に並ぶ。厳しいですね。つい先日までお互いに話をしていたのに。

梶原景時がいなくなって北条と比企が争うことが予想される。

義時に雇われた善児(梶原善)が養女のトウ(山本千尋)を連れてきた。この子は以前範頼が暗殺された時にいた農民の娘ですよね。善児が育てたのですね。


このトウのアクションがすごいのでスタントかと思ったら、山本千尋さん御本人がアクション・スターだそうだ。彼女は武術太極拳選手として世界ジュニア武術選手権大会で金メダルを2度獲得なさったそうです。すごい~。かっこいい。

善児と言えば、裏キャラで例えば…恐ろしい殺人鬼なのに実は子猫を可愛がってた…とかだったらいいのにと思っていたら、なんと女の子を育てていたとは…面白いですね。


梶原景時の死の3日後の正治2年1月23日(1200年2月9日)三浦義澄(佐藤B作)が死去。病没。享年74。

正治2年4月26日(1200年6月9日) 頼朝に仕えてきた安達盛長(野添義弘)が死去。生涯無位無官のままだったそうだ。享年66。←このお方が痛い思いや辛い思いをすることなく穏やかに旅立つ事が出来てよかった。安達さんおつかれさまでした。

癒しの安達さん

宿老達の数も減り頼家(金子大地)が自ら政をやりたがる。比企能員(佐藤二朗)の介入を喜ばない。この頃、頼家はまだ18,19歳。

正治2年(1200年)4月1日北条時政(坂東彌十郎)が遠江守に任じられ、源氏一門以外で御家人として初めて守としての国司となった。(Wikipedia)


同年、頼家の室・つつじ善哉を生む。乳母夫は三浦義村(山本耕史)。

頼家の子供達
一幡…母・せつ(山谷花純)===比企家
善哉…母・つつじ(北香那)===三浦家+北条家


北条のりく(宮沢りえ)は比企に対抗して、頼朝の次男/頼家の弟・千幡(母・政子)を頼家の後継者にしようと画策。全成(新納慎也)を焚きつけて、頼家を呪詛するよう指示。全成は千幡の乳母夫であったこともあってそれに同意。


全成の様子を目撃した実衣(宮澤エマ)がそれを義時(小栗旬)に伝える。→ 義時が 時政とりくを咎める「比企と争う時期は終わった」


建仁元年(1201年)9月22日までに、北条頼時(坂口健太郎)の名前が「江馬太郎殿泰時」に変わっている。(Wikipedia) 

建仁元年(1201)9月、坂東は台風により大きな被害を受ける。蹴鞠をしてばかりの頼家を頼時/泰時が咎める。義時の弟・時連(瀬戸康史)は頼家を見守ると言う。
時連…蹴鞠に堪能なことから頼家の側近として随従する。頼家が重用した比企能員の息子達とも気脈を通じていたが、北条氏一門のための間諜の役割を果たしていたとも考えられる。(Wikipedia)


伊豆の農民達の問題を解決する命を受けて、泰時が伊豆に送られる。
泰時…人格的にも優れ、武家や公家の双方からの人望が厚かったと肯定的評価をされる傾向にある。この回の農民に対するエピソードは、後の寛喜の飢饉(1230年(寛喜2年)から1231年(寛喜3年)の際、被害の激しかった地域の百姓に関しては税を免除したり、米を支給して多くの民衆を救ったという逸話からだろうか。彼は公家や民衆からも評判がよかったそうだ。


建仁2年(1202年)7月22日
 頼家が従二位に叙され征夷大将軍に宣下される。(Wikipedia)

建仁2年(1202年)8月23日、泰時が三浦義村の娘(矢部禅尼)/(福地桃子)を正室に迎えた(Wikipedia)。


せつが頼家に近づく。
頼家、一幡を跡継ぎにと考える。

全成が頼家の呪詛をとりやめる。


今回13人から抜けた人…三浦義澄、安達盛長




2022年7月28日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第28回「名刀の主」7月24日放送



梶原景時の失脚。三浦義村のたくらみ。

今回は難しかった。それにしても話の展開が速いですね。頼朝が1199年1月に亡くなってから、4月に13人の合議制が決まり、その翌年1200年の1月には梶原景時が失脚。討ち取られて梶原一族は滅亡。速い速い。


梶原景時の変
正治元年10月25日から翌正治2年1月20日(1199年11月15日 - 1200年2月6日)にかけて鎌倉幕府内部で起こった政争。今回はそのドラマ化。

『吾妻鏡』に記録されている説に、三谷さんが脚色したものですが、最後に梶原景時の失脚は三浦義村の陰謀であった…ということかな?

今回はWikipediaに頼って実際に何があったのかを書き、そこに脚色の内容を加えてみようと思う。


梶原景時の変
正治元年(1199年)秋 
鎌倉での13人による合議制成立の半年後、将軍御所の侍所で、結城朝光が頼朝の時代を懐かしみ「忠臣二君に仕えずというが、あの時出家すべきだった。今の世はなにやら薄氷を踏むような思いがする」と述べた。


結城朝光

Drama -----------------------------------------------------------------------
 結城朝光(高橋侃)は弓の練習中に、仁田忠常 (高岸 宏行)や善児(梶原善)の前で愚痴をこぼす=それが現鎌倉殿・源頼家(金子大地)への批判と受け止められる

 その頼家への批判の言葉は善児から梶原景時(中村獅童)に伝えられ、結城朝光は謹慎の身となる。

 結城朝光は実衣/阿波局(宮澤エマ)の琵琶のレッスンの先生。以前から実衣と親しくしていた結城は、謹慎のことを実衣に伝え助けを求める。←この時の実衣の表情が乙女でかわいい。表情豊か。

 頼家の女性問題による…鎌倉殿への御家人達の不信感を正すため、梶原がみせしめに結城を死罪と決める。大江広元(栗原英雄)がそれに異を唱える。

 実衣が義時(小栗旬)、三浦義村(山本耕史)、和田義盛(横田栄司)、畠山重忠(中川大志)に助けを求める。
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実衣/阿波局

翌々日、御所に勤める女官である阿波局(実衣)が朝光に「あなたの発言が謀反の証拠であるとして梶原景時が将軍に讒言し、あなたは殺されることになっている」と告げた。

驚いた朝光は三浦義村に相談し、和田義盛ら他の御家人たちに呼びかけて鶴岡八幡宮に集まると、景時に恨みを抱いていた公事奉行人の中原仲業に糾弾状の作成を依頼した。

10月28日、御家人66名による景時糾弾の連判状が一夜のうちに作成され、将軍側近官僚大江広元に提出された。景時を惜しむ広元は躊躇して連判状をしばらく留めていたが、和田義盛に強く迫られて将軍頼家に言上した。



Drama -----------------------------------------------------------------------
 実衣から相談を受けて、義村、和田、畠山が発起人となり梶原弾劾の署名を集め始める。以前から梶原に不満を持ち、その署名に名前を連ねた御家人達は66人となった。

 侍所に集る御家人達。土肥実平 (阿南 健治)が「内輪もめはよくない」と止めに入り、皆が騒ぎ始めたところで梶原がその場に現れる。書状は大江に預けられる。大江が連判状を留めていたが、和田が怒る。
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11月12日、将軍頼家は連判状を景時に見せて弁明を求めたが、景時は何の抗弁もせず、一族を引き連れて所領の相模国一宮(神奈川県寒川町)に下向した、

謹慎によって御家人たちの支持を得たので景時は12月9日に一端鎌倉へ戻ったが、頼家は景時を庇うことができず、18日、景時は鎌倉追放を申し渡され、和田義盛、三浦義村が景時追放の奉行となって鎌倉の邸は取り壊された。29日、結城朝光の兄小山朝政が景時に代わって播磨国守護となり、同じく景時の所有であった美作国の守護は和田義盛に与えられた。



Drama -----------------------------------------------------------------------
 頼家に提示された二つの書状。
 ① 梶原景時による、結城の謀反の疑い。…謀反の疑いは晴れる
 ② 御家人66名による梶原景時糾弾の連判状
結果梶原景時は役目を解かれ謹慎。

 ここまでの流れが、実は三浦義村の計画…「結城が実衣に相談すること」が義村のアイデアだったという設定。梶原排斥のために義村が結城にその指示を出したことになっている。「全てうまくいった。梶原にいられると物事が進まない」
 これ。ストーリー的にはここでびっくりの種明かしなのだけれど、しかし計画としては無理がある。実衣が義時らに相談することで66人の署名が集まった流れなのだが、それは「結果」であって始めからそれを謀ることは難しいのでは。だからと言って4,5人の署名では梶原の失脚につながるのかも疑問。
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翌正治2年(1200年)正月20日、景時は一族とともに京都へ上る道中で東海道の駿河国清見関(静岡市清水区)近くで偶然居合わせた吉川氏ら在地武士たち、相模国の飯田家義らに発見されて襲撃を受け、狐崎[注釈 1]において合戦となる。子の三郎景茂(年34)・六郎景国・七郎景宗・八郎景則・九郎景連が討たれ、景時と嫡子景季(年39)、次男景高(年36)は山へ引いて戦ったのち討ち死にし[注釈 2]、その首は隠されていたが翌日探し出され、一族33名の首が路上に懸けられた。頼朝の死から1年後のことであった。


Drama -----------------------------------------------------------------------
 後鳥羽上皇(尾上松也)が梶原を京に呼び寄せようと思いつく。梶原もその気になる。それを義時が止める。

 そのことが頼家に伝わり、梶原は奥州に流罪となる。

 翌正治2年(1200年)1月 梶原が頼家の嫡男・一幡を人質に比企家に立て篭もる。一幡を連れて上洛したあとで一幡を鎌倉に送り返すと言う。止める義時に、梶原は彼の上洛の意向をなぜ頼家にチクッたのかと聞く。義時「朝廷との争いの火種になるから」

 梶原は一幡を比企に返し、これから流罪先に出発すると言う。善児を義時に託す。梶原が義時へ「源氏は飾りにすぎぬと。忘れておらぬな。己を貫きとおせ」

 義時、頼時(坂口 健太郎)へ京へ向かうであろう梶原を追って討ち取るよう指示。「梶原殿は、武士らしく戦で死ぬおつもりだ。」

 結局景時を討ち取るのですね。助けるつもりなんか最初からないのだな。
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その他

頼家は今も13人の合議制が気に入らない。自分のチーム6人衆には鎌倉の風紀取締りを言いつける。

頼朝の次女・三幡が死去。享年14。正治元年6月30日(1199年7月24日)。その乳母夫・宿老の一人であった中原親能(川島潤哉)が出家し鎌倉を去る。

この頃、つつじがご懐妊。

頼家のわがままが止まらない。父・頼朝の忠臣・安達盛長(野添義弘)の息子・安達景盛(新名 基浩)の妻・ゆう(大部恵理子)と浮気。頼家はまだ17歳。…頼家が安達盛長・安達景盛にゆうを譲るようにと言う。安達盛長が頼家を叱る。反発する頼家。梶原の介入。政子の介入。義時も頼家を叱る。 ←あの穏やかな安達さんの怒鳴り声がす~ごくかっこよかった 💕


今回13人から抜けた人…中原親能、梶原景時

1199年夏
1200年11月


2022年7月20日水曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第27回「鎌倉殿と13人」7月17日放送



新しい鎌倉殿は北条頼家(金子大地)。

この頼家君が大変わかりやすくイキってイキってアティチュードがバリバリなので、どうしたものかと思ったらなんとこの時の頼家君は18歳だそう。お若い。まだ頼朝パパに色々と教えてもらう前だったのですね。そうか大変だな。だからあんなに強がっているのか。本当は自分が未熟で無知なことがわかっているのだろう。しかし人に弱さを見せたくない。負けず嫌いかな。小さい時から比企家で可愛がられておぼっちゃんだろうし、我も強い、プライドも高いのだろう。それがよくわかる脚本。三谷さんすごい。

なぜか頼家は(このドラマでは)彼を助けるために組まれたはずの…訴訟の裁断の合議制のための「13人」を敵視していた自分が信用されてないから選ばれた13人だと思ったらしい。

しかしそんな頼家もみんなの前では強がっているのに、義時(小栗旬)から13人のことを聞き、「わしはそんなに頼りないか?」と問う。そして「義時はその13人に入ってないよね」と問い、義時がその13人の一人だと答えれば「もう北条は信じない」と不機嫌になる。

そして頼家が泣く。表情を全く変えないのに大粒の涙が沢山こぼれた。あ~この子は本当にプレッシャーを感じてる。自分の不甲斐なさが悔しいのだろうね。かわいそうになった。

それでもやっぱり頼家君は負けていない。「13人」が正式に発表されると、頼家はいきなり御家人達に向かってわたしは騙されない。お前たちを信じてはいない。」と宣言し、自ら選んだ若い近習5人を連れてくる。

頼家君、全方向にぶつかりますね。前途多難。御家人のおじさん達もあきれてます。でも18歳なら…わかるわ。リアルですね。頼家が13人に反発したのは本当の話だそうです。


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というわけで今回はどのような流れで鎌倉の合議制の13人が決められたのか…の話。

まだ反抗期

頼家君は18歳。負けん気が強すぎて危なっかしいのは明らか。お世話になった比企にも北条にも「特別扱いはしない」と宣言して誰にも頼ろうとしない。三善康信(小林隆)に教わった仕事…御家人達同士の揉め事などの訴訟の裁断もできず、途中で席を立って他所に行ってしまう。

その様子を見て心配する義時に、頼家の子供時代を知る(比企家出身の)比奈(堀田真由)がアドバイス…頼家は助けてと言えない性格。本当は助けて欲しいのでは。

そんなわけで、義時は梶原景時と相談して有力御家人達による訴訟の合議制を思いつく。

最初のメンバーは文官4人…中原親能(川島潤哉)二階堂行政(野仲イサオ)三善康信(小林隆)大江広元(栗原英雄)。そして梶原景時(中村獅童)の5人。

そこに比企能員(佐藤二朗)が加わる。
負けじと北条時政(坂東彌十郎)が加わる。
比企が安達盛長(野添義弘)を引き込む。
北条が三浦義澄(佐藤B作)を。
そしてまた北条が和田義盛(横田栄司)を。
比企が八田知家(市原隼人)を。
そして北条が足立遠元(大野泰広)を。
最後に政子が北条義時(小栗旬)を。
悩みが多すぎ

それで13人決定。
建久10年/正治元年(1199年)4月 十三人の合議制が開始。

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それ以外のこと…

建久10年/正治元年(1199年)2月 
京の「三左衛門事件」。頼朝を失ったことで主家が冷遇される危機感を抱いた一条能保・高能(木戸邑弥)父子の遺臣が、権大納言・源通親/土御門通親(関智一)の襲撃を企てたとして逮捕された事件。僧・文覚(市川猿之助)も捕らえられた。

建久10年/正治元年(1199年)4月 
13人の合議制に反発して、頼家は若い近習5人を選び仲間のチームを作った。いかにも18歳の男の子が考えそう。若者は800年前も同じね。面白い。メンバーは小笠原長経、比企宗朝、比企時員、中野能成…そして北条頼時(坂口健太郎)と北条時連(瀬戸康史)。頼家はこの取次ぎチーム…彼らでなければ頼家への目通りを許さず、またこれに手向かってはならないという命令を出した(wikipedia)。

阿野全成と実衣夫婦に隙間風
実衣(宮澤エマ)は阿野全成(新納慎也)が鎌倉殿にならなかったことにがっかりしたらしい。趣味で始めた琵琶のレッスンで先生の結城朝光(高橋侃)に出会う。恋?

頼家の嫁問題
頼家の子供を生んだせつ(山谷花純)が正室のつつじ(北香那)をマウンティング。女の戦い。