能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2021年12月30日木曜日

TBS 金曜ドラマ『最愛』 全10話・感想



年末ホリデーをエンジョイ中でブログを休んでますが、ちょっと忘れないうちにドラマの感想を書いておこう。


TBS 金曜ドラマ『最愛』。日本での放送は10月15日から12月17日まで。

このドラマの脚本とスタッフは、2014年の同TBS金曜ドラマの『Nのために』と同じ方々が多いらしい。ああ…あのドラマも素晴らしかったのですよ。あのドラマは結構感動して、このブログにもうまいことを書こうとしたら気負ってしまって感想そのものを書けなくなってしまった。だからこのドラマは、忘れないうちに感想を書いておこうと思った。たった今最終回の録画を見終わった。


いいドラマ。十分楽しんだ。真ん中あたりで話が右に左にうろうろしているように思えて「もしかしたらスタイルばかりのリアリティのないファンタジー・ドラマ???」と一時は思ったのだけれど、最後まで見てよかったです。

一言で言うなら… Entertaining/面白がらせてもらえたドラマ。 傑作とか感動の物語…というほどではないけれど、所謂Whodunit/誰がやったのだ?/(日本語で言うなら)ミステリーものとしては面白かったし、とにかく色んな面で楽しめた。


タイトルが『最愛』ですが、これは加瀬さんの愛なのかな。…ということですよね。そう思えばあらためてマイルドに感動もしてしまったかも…。そういうことですよね。


彼がそうだったのか…というのは最後になるまでわからなかったのだけれど、全部を見終わって今思えば、実はドラマの始めの頃に少しだけヒントがあったと思い出した。このドラマは1話ごとの冒頭に、登場人物のモノローグが流れるのだけれど、第3話か4話あたりだったか(録画が残ってないので確認できない)、加瀬さんが真田家の家族に対して「僕を家族のように受け入れてくれたこの人々=家族に全てを捧げよう」とかなんとか…そのようなことを話していたのですよ。それを聞いてほんの少しだけ「ん~?」とは思った。しかしその後、彼を直接事件に結びつけるヒントはあまりなく、結局は最後に事実がわかるまで上手い具合に騙されました。やられましたね。面白かった。楽しんだ。

脚本も演出も役者さんも巧み。最後に事実が明かされるまで「誰がやったんだ」と予想する。その対象は…時には朝宮梨央(薬師丸ひろ子)であったり、後藤信介(及川光博)であったり、やっぱり加瀬賢一郎(井浦新)か…とそれぞれに疑いの目を向け、いやもしかしたら朝宮梨央(吉高由里子)本人の記憶が弟の優君(高橋文哉)のようにあやしいのでは、彼女ではないのか…とも疑う。そんな風に見れば見るほど最後の結末が知りたくなった。


ドラマが終わってしまって十分楽しめたのだから今は何の文句もないのだけれど、途中には、実はあまりの演出のかっこよさが鼻につき、また俳優さん達のあまりにそろった美麗さも鼻につき、音楽のかっこよさや、いかにも狙った音楽の挿入の仕方も鼻につき、カメラワークのかっこよさも鼻につき…笑笑笑「んも~いろいろとこのドラマはやる気満々でついていけないわ笑」などと、斜めから見ていてのだけれど、

結局すっかり話に飲み込まれてしまってましたね。ヤレヤレ。面白かったわ。


美麗でいかにもトレンディ(←死語か)な俳優/女優さんたちを見ても…、なんだかなぁ~もっと泥臭い人がいてもいいのね…などと思ってました。なんつーか、今どきの日本の役者さんは美しすぎるのよ。井浦新さんかっこよすぎ。加瀬さんなんてもっと美麗ではない地味なおじさんでもよかったんじゃないの笑…と昭和の人間は思うのだ。すみません。

だって今どきの日本の俳優さん達は、みんな綺麗だから時々ドラマのリアリティが薄くなるのですよね。それはこのドラマだけの問題ではない。先日見終わった『日本沈没』も、数名のベテランの役者さん達を除いて、特にあの「日本未来推進会議」のメンバーが若い役者さんばかりで全くリアリティがなかった。いやあのドラマは全てにリアリティが無さ過ぎて感想を書くのもやめたのですけど。


ただこのドラマは、リアリティが無いとは言っても楽しめたのた。それで十分。驚いたのは田中みな実さんの声が低いこと…ルックスとの印象が違っていてびっくりした。そして、一番嬉しかったのは真田梓の薬師丸ひろ子さま。彼女は同世代。だから彼女がデビューした時のこともよく覚えてるし、有名な「カ・イ・カ・ン…」もそうだし…とにかく私世代にとって彼女は同世代の大スターなのです。その彼女が、今も麗しい麗しい麗しい…。ほんとに薬師丸さんはお綺麗なのですよね~。上品で。声も素敵。でもあの「恥ずかしがりやの隣の少女」の印象だった彼女が、こんなに優美な「ザ・女優さん」になられるなんて、なんだか嬉しいわ。ほんと。ちょっと薬師丸さんに感動した

というわけで、最後まで見たらいいドラマでした。みんな上手いな。後藤信介の及川さんがいかにも悪そうなお顔をしていたのに、最後は穏やかなお顔になっていたのをみて「いや~やられたわ、騙された」と笑う。面白かったです。



2021年12月24日金曜日

もう年末である 🎄


 

🎄  Wishing You  🎄

Happy Holidays

 🎍  And a Wonderful New Year  🎍




🎄🎄🎄🎄🎄🎄🎄


2021年12月22日水曜日

Ella Fitzgerald & Count Basie - On the Sunny Side of the Street (1963)



エラおばさん最高



Ella Fitzgerald & Count Basie - On the Sunny Side of the Street (1963)
Album: Ella and Basie!
Ella Fitzgerald & Count Basie
Released: September, 1963
This Compilation ℗ 1997 The Verve Music Group, 
a Division of UMG Recordings, Inc.



NHKの朝ドラ『カムカムエブリバディ』の安子編が終わったので、今日は「On the Sunny Side of the Street」を少し研究した。色々と聴いてみた。この歌は元々ミュージカルの歌だそうですが、今までに色んな人が歌っているのね。

ルイおじさんも世良さんもいいが、エラおばさんもいいぞ。エラ・フィッツジェラルド/Ella Fitzgerald様。かっこいいわ~。最高。軽快でね。歌い回し…リズムの取り方が最高にかっこいい「With those blues on parade」とか「 On the sunny side of the street」いいねぇ これは歌ってみよう。

優雅なバンド。タイトでステディで自然にまったり身体が揺れるリズム。ステップを踏みながら肩が上下に動く。このバンドはカウント・ベイシー・オーケストラ/ Count Basie and his orchestra。このまったりとしたペースがたまらん。たまらん。最高にかっこいい。間奏の音と音のスペースが最高。かっこいいわ~❤❤❤❤ さっきから何度も何度も繰り返して聴き続けてる。はまるね。


On The Sunny Side Of The Street

Song by Jimmy McHugh with lyrics by Dorothy Fields
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コートを掴んで
帽子も手に取ったら
心配事はドアステップに置き去りにして
足を向けるんだよ
ひなたの道に向かって

ピタパタって聞こえる?
あのハッピーな音楽は君の足音
人生は素敵だ
陽のあたる道を歩けば

昔は日陰の道を歩いてた
憂鬱な哀しみを見せながら
でももう怖くない
この彷徨い人は明るい側に渡ったんだ

1セントも持ってなくても
私はロックフェラーみたいにリッチだ
足元には金の粉
ひなたの道の上なら

昔は暗い道を歩いてた
憂鬱な哀しみを皆に見せながら
でも私は怖がっていない
この彷徨い人も明るい側に渡ったんだよ

1セントも持ってなくても
私はロックフェラーみたいにリッチだ
足元には金の粉も舞う
陽のあたる道の上なら
陽のあたる道の上なら

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Source: LyricFind
Songwriters: Dorothy Fields / Jimmy McHugh
On The Sunny Side Of The Street lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC, Reservoir Media Management Inc




ずいぶん乱暴だなぁ…安子編 完『カムカムエブリバディ』第8週 ~38話



安子ちゃん編が終わってしまった。
すいぶん乱暴な展開になってましたぞ。驚き。

最後は色々と問題の多い展開でしたが、ガミガミと怒る気にならないのは、このドラマの最初の頃…初期第3週までの安子ちゃんと稔君の純愛が素晴らしかったから。あの頃はよかった。

あれから5週…時代で言えば1945年~1951年ぐらい…6年間ぐらい経ったのか。ずいぶん様子が変わりました。大変なことになった。そして今週の安子編最後は怒涛の大どんでん返し。最後の37話から38話は、まぁ~びっくりしたわ。

なんだかドミノ倒しのようだった。この回は何度か思わず「ちがうやろ!」とテレビに向かって大声が出た。


★ネタバレ注意

流れ
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 安子に求婚
安子 困る
サンタと安子 橘を立て直そうと話す
 楽しそうな安子とロバートを目撃
安子 その場で妙な取り繕い、言い訳をする
 飲んで荒れる
  酔って帰宅。
  雪衣と一晩 ☚やめろおぉぉ
サンタ 朝 それを目撃
    信用金庫に行くと雉真家を出る
安子 るいに雉真家を出ると告げる 
   るいは雉真に残るようにと言う
   「でも会いに来るわ お弁当も作るし」
サンタ 行方をくらます ☚ばかやろぉ
    大阪に行ったらしい
安子 サンタを捜しに大阪へ 
   ロバートに相談 ☚またロバートか
   過労で倒れる ロバートに助けられる ☚なぜ都合よく
   「ただ当たり前の暮らしがしてえだけじゃのに」☚だったら勇君と結婚しろ
ロバート 安子に求婚 ☚だめ怒 ちがうそれ
安子 断る
   「るいが私の幸せ。るいを置いては行けない」
るい 安子を追って大阪へ
   安子とロバートのハグを目撃 帰宅
安子 帰宅
るい 「I hate you, mom.」
安子 ふらふら雨の中
ロバート またやってくる ☚都合よく神出鬼没
安子 「私をアメリカに連れて行って」☚ちがうやろそれは怒

…んで、雪衣さんはどうしたの?誰の子
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ずいぶん乱暴な展開。

安子ちゃんはさぁ、るいちゃんが大切なら、どうして勇君と一緒にならないの? 彼はそんなにイヤ? どう考えても安子ちゃんは勇君と一緒になるのが一番自然なのですよね。なによりも勇君は今までもず~っと安子ちゃんの理解者ですごく親切だったのですよ。昔安子ちゃんが大阪に行った時も、勇君がお金を渡して家を出るように応援してくれた。勇君はいつもいい人だった。すごくいい人。

安子ちゃん そろそろ勇君の優しさに気付いてもよかったのでは。

勇君と結婚すれば、安子ちゃんはるいちゃんと堂々と一緒にいられる。義父の千吉さんもいい人で、彼女の橘家への未練も許してくれている。そして雉真さんちは大金持ちなのですよね笑。るいちゃんの教育とかこれからのことも安心だし、それに安子ちゃん本人の生活だって安定している。今後もなにも心配はいらない。おまけに、夫になる勇君は安子ちゃんにぞっこん。初恋の安子ちゃんと結婚できたら彼も幸せ。きっと安子ちゃんを大切にしてくれる。彼は安子ちゃんの稔君への想いも理解してくれている。これ以上いい結婚相手はいないと思う。最初は違和感があっても時間をかけたらきっと幸せになれる。女は愛されて結婚したほうがいい。

安子の優先順位の一番はるいちゃん。

そのるいちゃんの幸せを考えても、勇君との結婚は理にかなってる。

安子ちゃんがなぜ勇君を拒むのかがよくわからない。そんなに嫌い?なぜ?生理的にイヤなのかな。おかしいですね。だって勇君も十分かっこいいもんね。


そこに突然求婚するアメリカ人。それも変だ。ロバート君とは今までふわふわとした友人関係だけですよね。特に愛を温めるような関係でもなかったような。それなのに突然ロバート君が「結婚してクダサイ」と言う。おかしい。

で、安子ちゃんもさすがにYESとは言わない。「るいと離れられない。るいが私の幸せ」と言って断る。それなのにるいちゃんに「I HATE YOU.」と言われて、都合よくやってきたロバートに泣きつき「私をアメリカに連れて行って」と言う。
なんじゃそら
なんじゃそら
なんじゃそら
なんじゃそら!

おかしいやろ。おかしいっすよそれ。
やすこちゃん、稔君も泣くぞ。なんでアメリカンなの????


ちょっ、ちょっとちょっとちょっと待って。アメリカンはやめた方がいいって。悪いことは言わない。やめたほうがいい。外国に行く事をそんなに簡単に決めてはいけません。それに今の時代ならともかく、安子ちゃんの時代は1951年だ。戦争からまだ数年しか経っていない。苦労しますよ。大変なことだ。本当にやめたほうがいい。

う~ん…唸るね。これは安子ちゃんを擁護できない。結局るいちゃんを捨ててるように見えるのですよ。まずいだろそれは。

ほんっとに…アメリカ人なんてやめたほうがいい。1951年にアメリカの白人なんか最悪だ。ロバートさんはきっといい人。でも彼の家族や親戚や友人や、彼の住む街の人々…会う人会う人皆がいい人だとは限らない。皆に「敵国の女がやってきた」と思われてもおかしくない。

勇君と結婚して雉真家の嫁になる苦労と、ロバートさんと結婚してアメリカに住む苦労を比べたら、天国と地獄みたいに違うと思う。アメリカに行ったら、まずるいちゃんと離れ離れ。それに当時は一旦アメリカに行ったら簡単には帰ってこれない。るいちゃんに二度と会えないかもしれない。そして今後、肝心のロバートさんとも継続して上手くいくかどうかはわからない(どんな結婚も必ずしも上手くいくとは限らない)。それにロバートさんにもし何かあったら助けてくれる人もいないかも。ロバートさんの帰るアメリカの地が都会だったらともかく、もしトウモロコシ畑に囲まれたド田舎の町だったらどうする?周りがいじわるな白人ばかりだったら?。アメリカって2021年になっても未だに #StopAsianHate なんて運動が起こるような国よ。1951年に日本人の嫁入りなんて大変すぎる。

そもそも安子ちゃん、ロバートさんのために全てを捨ててでも…どんなに苦労をしても彼と一緒になりたいほどロバートさんを好きじゃないですよね。今までの二人にそんな強い愛は育っていないはず。

な~んか…ものすごく心配。尋常じゃない。
安子ちゃん、昔はあんなにしあわせそうな女の子だったのに泣。
もうなんだか悲劇だとしか思えないのだこの話。どうすんのよ。


というわけで、ドラマの展開に怒るというよりも、安子ちゃんがものすごく心配になってしまった。それにしてもロバートもイイカゲンな奴だ怒。そんな…ろくに知りもしない元敵国の女性に安易に求婚なんかするなよ。イノセントな日本の女性を惑わすな。私はロバートの方に頭にきてる。

…と溜息をつく。
海外嫁入りを甘く見ないほうがいい。
白人と結婚したからすんなりと幸せになるとは思わないほうがいい。
ほんと。そういうドラマも苦手だわ。


それはともかく岡山編(安子編)は良かった。

さすがに最後はぐだぐだだったと思うけれど笑、全体にはすごくいいドラマでした。登場人物がみないい人(サンタは酷すぎだけど)。特に初期の頃の、戦前の昭和のいい雰囲気がすごくよかったから、あれから色んなものが壊れていったのがとても悲しい。もし安子ちゃんが勇君と結婚して雉真にいてくれたら、もう少しあのいい昭和の雰囲気が続きそうだったのにね。

俳優さん達もみんな素晴らしかったです。特に主演の上白石萌音さん。本当に素晴らしい女優さん。最初の頃の15歳くらいの女の子はかわいかったし、戦後はお母さんの顔になってた。すごい女優さんだと思います。大きな拍手。おつかれさまでした。



2021年12月20日月曜日

米ドラマHBO Max『And Just Like That...』(2021) Episode 1 & 2:50代・女リアル?






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『And Just Like That...』 (2021)
TV Mini Series/米/カラー
/約42 - 44分・全10話/
制作:Michael Patrick King, Darren Star』
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米のサブスクのサービス HBO Maxでリリースされているドラマ。12月9日公開スタート。うちはHBO Maxに入っていないので見る事が出来ないのだけれど、ドラマのプロモーション用に第1話2話がテレビのHBOチャンネルでフリー放送されているのを発見。録画して視聴。


このドラマ、かの有名な『Sex and the City』のその後の話。
女性達は50代半ば。

元々の『Sex and the City』は、1998年から2004年までの6シーズン。当時のニューヨークの30代半ばの裕福な女性達の日々を描いて大人気だったドラマ。主演のサラ・ジェシカ・パーカーが1965年生まれなので、メインの4人の女性達もだいたいそれぐらいの年齢…2000年頃の時点で皆35歳前後だろうか。

彼女達は皆それぞれ仕事もしっかりと…恋も盛んなニューヨーカーの裕福な女性達。スタイリッシュでハイソな生活を謳歌する自立したニューヨークの女性達のドラマは世界中で大ヒット。私もシーズン3か4ぐらいから見ていた。

このドラマは、最初は30代の女性達の自由なセックスライフが主題だったらしいが(私は見ていない)、シーズンが進むにつれて30代の女性のリアリティを描くようになった

派手な生活をする美しいニューヨークの女性達も、30代後半には己の年齢を気にするようになる。独身女性の孤独と老いへの恐れ。母になる者もいれば、大病を患うものもいる…そんなリアルな30代後半の女性達のストーリーは、描かれたキャラクター達が私と同世代だったこともあって実に面白かった。毎週真剣に見た。このドラマの女性達と共に笑い、心配し、恐れ、時には涙した。心震えた。

2000年頃のニューヨークの成功した女性達。
(1980年代ヤッピーの時代の男達に15年ほど遅れて)2000年当時30代半ばの彼女達は、物欲と性欲を満たし人生を自由に楽しんでいるように見えた。派手なニューヨーカーの女性達のドラマは見て楽しかった。


そんな彼女達が2021年、50代の中年になった。


さて、どうしよう。HBO Maxをサブスクするつもりはないし(Netflixで十分だ)、いつかHBOのテレビチャンネルに降りてくる事を希望するしかないが、私はいつこのドラマを全10話見ることができるのだろう?

今は私はプロモ用に公開された1話と2話しか見ていない。だからあまり一方的に批評を決定してしまうわけにもいかないのだろう。



しかし…これは…、結構イタいね。イタタタタタタ…。結構キツイ

…と思ったのは第1話。オリジナルのメインの4人のうち、一人欠けた3人でストーリーは始まる。一番明るくて派手で面白いサマンサはロンドンにいるそうだ。


さてこの3人、どうやら全く変わっていません。ノリが以前と同じ。ミランダは30年間勤めた仕事を辞めて大学院に通う学生。シャーロットはティーンの女の子2人のお母さん。キャリーは子無しの既婚(夫は‘BIG’)で、時々若者向けの性情報ポッドキャストに参加。それぞれ活き活きとやっているように見えるけれど…、

(…最初からとってつけたような薄っぺらい台詞の脚本…不自然すぎて耳を疑う。そんな会話をする中年夫婦はいねぇよ…気持ち悪いわ…はとりあえずおいといて…)

現在50代半ばの彼女達、実はどうやら年をとり過ぎて、今の時代や若い世代の人々の常識やスタンダードについていけず、度々違和感を感じたり、居心地悪くなったりしている様子。


そうなのだ。時代は変わったのですよ。今はもうマノロの靴やエルメスのバッグを集めてニヤニヤする時代ではないのかもしれません。ニューヨークでさえそうなのかもしれないのだな…。 シャーロットの娘は綺麗なブランド物のドレスを着たがらないし、街の人々の服装も以前よりカジュアルでクリエイティブ。それに彼女達の周りには以前よりももっと様々な人種や多様な性的指向の人々も存在している。

たぶんそれらの描写は、今のBLM運動sustainability志向LGBTQの一般化(知識上では)や、#MeTooなどなどを反映し、今の50代の彼女達の違和感や戸惑いを通して、今の時代は変わったのだ…2000年頃とは違うのだと強調しているのだろうと思う。 しかしそれにしても私と同世代の50代の彼女達が、それらの「今のスタンダード」に対して妙なリアクションをするのも不自然に思える。

ミランダはなぜ、ブレイドの髪の女性を見てバリバリに(反)偏見的な反応をするのか?…BLMの時代に「正しい白人」であろうとして過剰反応をする姿が大変見苦しく不自然。 なぜキャリーはポッドキャストで露骨な性テーマの会話に戸惑うのか?…自分が出る番組の傾向ぐらい事前にわかっているだろうに(ノリに付き合えないのなら参加しなくてもよい)。 なぜ彼女達は今の2021年の時代に、いかにも20年前からそのまま抜け出してきたようなぎこちない反応をしているのだろう? おかしくないか? 特にミランダの人種に対するリアクションはかなり不快で驚く。

50代半ばの彼女達は今の世の中に馴染んでいないのだろうか? それはおかしい。彼女達はあのニューヨークに長年住み続けている女性達なのだ。それに今は『RuPaul's Drag Race』が人気番組の時代じゃないか。なぜだ。なぜ彼女達はそんなに時代遅れに見えるのだろう?…なぜ彼女達は今の時代に必死に追いつこうとしている…無理をしているように見えてしまっているだろう?


人間は、20年間全く変わらないものではないと思うぞ。好みも意識も変わる。
それに人間50代半ばにもなったら少しは落ち着くものではないか。


例えば(自分語りで申し訳ないが)…私にとって、人種とは…LGBTQとは…なんだろう。もう今は全く違和感のない当たり前のこと。みんな違ってあたりまえ。

それからなによりもモノに対する意識が変わった。2000年ぐらいまでは私の中にも確かに存在したConsumerism/コンシューマリズム/消費主義的な志向も、今はほぼなくなった。そのほうが意識が高くてお洒落だからとか…そういうことではなくて、

ただ私は年を取った

それだけの話。

バッグ、ドレス、靴…嫌いじゃないけれどもう必要を感じない。物欲が極端に減った。特にこのコロナでモノに対する意識は180度ぐらい変わった気がする。

必要の無い物はいらない

そうなのだ。いやミニマリズムとか…そういうつもりではないけれど、物欲が減ったのはまず私が年を取ったからだろうと思う。 


それは私だけではない。おそらく世の中もそちらの方向に向かっている。「sustainable云々…志向」などなど…無駄な消費を止めてモノを大切にする生き方は、今の若い人達にはもっとあたりまえのことになっている。若い人達は私達の世代に比べてもっと環境に対する意識も高いと思う。

あらためてこのドラマを見て、『Sex and the City』の女性達の世代…1965年前後生まれの世代が謳歌した1980年代1990年代の消費主義と、都会ならではの「見栄の文化」がいかに古臭く見えるのかにも驚いた。

無駄はいらない。 今の若い世代の人達はもっと現実的に自分達の将来を考え、思慮深く彼らの未来をもっといいものに…気持ちよく暮らせる時代しようと皆が健全な意識を持っているのではないか。時代は変わってきている。

あ~そうか…インスタの「映え…文化」「インフルエンサー文化」あれは今も「見栄の文化」だな。若者も人それぞれか…。

(考え始めたらわからなくなってきた。私の勘違いかもしれぬ)



ともかく、そんなわけで20年前とちっとも変わらない50代後半の白人のリッチな有閑おばさんたち3人を見て、なんだか正直ゲンナリしたのはしょうがない。それは時代が…私が変わったからなのだろう。


しかしこれは制作側が意図したものかもしれません。とりあえず、第1話で…お洒落で相変わらず浮き足立ったおばちゃん達を見せて「彼女達はまだ同じ事をやってるのか」と視聴者たちを呆れさせ、その後でどっかーんと爆弾を落とす。第1話の最後。びっくりですよ。こわいわ。マジ。

というわけで、第2話から急にトーンが変わった(もちろんキャリーはキャリーだからスタイルを諦めるはずは無いけれど)。 しかしドラマとしては掴みが上手い。これは続きが見たいですもん。しかしこれからどうなるんですかね。私はいつこのドラマの続きが見れるようになるのだろう。


いろいろ書きましたけど、年を取ると、以前は「良」と思っていたものに全く魅力を感じなくなるというのもあるのだな…と思わされた。この同世代の女性達のその後、見たいかな。彼女達は変わるのか?どうだろう。 きっとキャリーはまた新しい恋人を見つけるんだろうな。そういうドラマですよね。しかし女55歳。どうなのよ。人間のエネルギーにも限りがあるだろう。元気じゃなきゃ恋もできないだろう。恋愛が肉体ばかりのものだとも思わないが、しかしキャリーさんは男性に知性や落ち着きを求める人でもないだろうし。だからどうなるのだろう。そのあたりを、できるなら事細かにリアルに描いてほしいと思った。


年と取るって、人間みんなに平等に訪れて、みんなそれぞれ初めての経験。だからみんな戸惑ったり苦しんだり、諦めたり、かえって自由になったり、ふっきれたり…いろんな形の老い方があると思う。55歳ぐらいなら、もう一度花を咲かせるもよし。達観して仙人になるもよし。 みんなそれぞれの女性の老い方を見せてほしいと思う。いつか第3話以降が見れる日まで楽しみに。

彼女達の派手なカラフルなドレスはちょっといいな。
私も派手な色が着たいね。



2021年12月16日木曜日

お猫様H:きみが嬉しければ



それでよし
きみが幸せならば
すべてよし
人間もしあわせ





2021年12月14日火曜日

BBC 『HARD TALK』作家ポール・オースター「読書について」



今でもテレビはよく見るほうだと思うのだけれど、それでもアメリカに来てからライブで流れるテレビ番組を受動的に見ることはほぼなくなった。たいていは、見たい番組、面白そうな番組を事前に見つけて録画機に予約して見る。

そんななかで最近録画するようになったBBC World Newsチャンネルの『HARD TALK』シリーズ。英国人らしいキツいインタビューアー・Stephen Sackur氏が好きなようにやってるインタビュー・ショー。政治家を追いつめることもあれば、芸術家と楽しい時間を過ごすこともある。時々面白いインタビューがあったりもする。

そんななかで最近見たインタビュー。作家のポール・オースター/Paul Auster氏が本や読書について語っていた言葉が素敵だったので記録する。最初の放送は2021年12月5日。


オースター氏のことは知らなかった。本も読んだことがない。全く知らない…と思ったのだけれど、彼は1995年の映画『Smoke』『Blue in the Face』の脚本を書いた方なのですね。いい映画だった。特に『Blue in the Face』はお洒落な映画だった。そういえばあの映画にはRuPaulさんやMadonnaも出ていた。


それにしても最近は本を読んでいない。年を取ると本が読めなくなるのか。それとも落ち着いて座って本を読めなくなったのは、便利なデジタル・ディバイスのせいなのか。 家には沢山の積読(つんどく)の本があるのだけれど、もう私が死ぬまでに読めないんじゃないかと思い始めた。なんとかしなきゃ。どうしたのだろう…昔はよく本を読んでいたのに…。

このオースターさんが語っている読書の素晴らしさも理解できるだけに、なんとかしなきゃなと思った。


それではオースター氏の言葉。書き起こした。

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A book is read by one person at a time.  And the book, in spite of everything, it's the only ....a novel, for example, is the only place I think in the human world, where two stranger can meet on terms of absolute intimacy.

And that space that is created in the book is something very beautiful and precious.   And whether ten people read the book or 10,000 people read the book or ten million people read the book, it doesn't matter.  The person reading it is alone with the writer.  And the two of you, the reader and the writer are creating the book together.   And every reader reads a different book.  This is what's so beautiful about it.  We all bring our own lives, our own sufferings, our own joys, our past to whatever it is we encounter in the world, and nothing never more so than when we 're encountering art, and particularly literature, which requires time.   I can look at the paintings on the wall in a glance and see what's there.   But if I pick up the 750 page book, no, I can't take it all in at once.   I have to give it time.  And that time is the beautiful thing about it.

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本はたった一人で読むもの。本とは…様々な事柄の中でも…たったひとつの…、「小説」…例えばね…、それは人の世界で唯一の…見知らぬ者同士のふたりが、完全な親密さの中で出会う事が出来る場所なのです

そして本の中に創作されたそのスペースは、とても美しく貴重なものです。(例えば)10人の人が本を読んたとしても、1万人の人が読んでも、1千万人の人が読んでもそれは関係ない。  本を読む人は作家と二人きりになる。そしてそのふたり…読者と作家は、本を共に創作しているのです。だから全ての読者達は、それぞれ個々に違う本を読むことになる。それはとても美しいものです。 私達は皆、自分の人生、個々の苦労、それぞれの喜び、それぞれの過去から何事であれ…私達が世界で遭遇する事柄を思い起こします。それは何にも増して私達が芸術に触れるときに…特に時間が必要な文学に出会うときにね。(例えば)壁の絵を一目で見て、私にはすぐに何があるのかがわかります。 しかしもし私が750ページの本を手に取ったら、いや、それをすぐに理解することはできませんよね。私はそれ(本)に時間をかけなければいけない。その時間こそが美しいものなのです。

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読書とは、作家と読者がふたりきりで沈黙の中で会話をしながら親密に「その世界」をつくりあげる作業。そのプロセスにかかる時間が美しいものだとおっしゃってます。ああ…ほんとにそうだわ。本を読む楽しみとはそういうことですね。

そしてその作業を経てそれぞれの読者が作家と共につくりあげるものは、それぞれ皆違っていて、どれひとつとして同じものはない。

このオースターさんの言葉…読書への想いそのものが美しい。素敵な方です。