この文章は9月15日に書いています。日付を変えて9月11日に表示しています。
今年の9月11日は2001年の同時多発テロが起こってから25年。米国の本土の様々な場所で25周年の追悼の式が行われたそうだ。いつも見ている『NewsNation』でも当時を知る方々へのインタビューを放送していた。25年目の追悼式とは…節目となる四半世紀が過ぎたことを意味するそうだ。
25年が過ぎて、米国の同時多発テロへの反応と米国人の心を私は今あらためて学んでいるのだと思った。
私と夫は2001年当時英国のロンドンに住んでいた。日本から引っ越して一緒に暮らし始めて6年目、結婚してからはまだ3年。夫婦というよりも、若い二人がお互いの関係を実験のように試し合い、手探りをしながら暮らしていたような感じだった。
お互いにまだ完全に信頼し合っていたとは言えなかったのだろう。お互いのことも知らなかった。私は日本で育った盲目的に平和主義の無知な日本人。夫は白プロテスタントのアメリカ人…アメリカは素晴らしいと1ミリも疑わない明るくポジティブな人。
夫は義父の仕事の都合で高校時代をニューヨーク界隈で過ごした。大学を出てから数年間はニューヨークで勤務(ワールド・トレードセンター駅は通勤のルートだったそう)。その後東京に駐在。仕事を変わったら今度はロンドン駐在になった。義父もニューヨークの同じエリアで仕事をし、また親戚の1人はニューヨーク市内在住。ニューヨークは夫にとって若い頃を過ごした馴染み深い場所だった。
私は東京で出会った夫とともにロンドンに移住するまで政治のことは全く知ろうともしなかった。バブル時代を過ごした多くの若い娘がそうであったように私は楽観的で、政治に関しては「平和、戦争反対」ばかりを盲目的に唱える無知な小娘だった。そして無知なまま楽観的なまま、私はロンドンで初めての外国暮らしを楽しんでいた。
そして同時多発テロが起こった。
11日の午後、自宅で昼寝をしていたら夫が突然帰宅した。夫は赤い顔で「キ〇ガイがツインタワーに飛行機でつっこんだ」と言う。大変興奮しているのがわかった。夫はその後会社と連絡を取り合ってまた出社。私はテレビに釘付け。言葉を失った。恐ろしかった。
すぐに思ったのは「私はどういう状況に踏み込んだのだろう?アメリカ人との結婚とは?夫はニューヨークにいたかもしれない。なぜこんなことが起こっているんだ?どういうことだ?」
翌日から新聞を買い読みつくした。「なぜこのようなことが起こっているのだ?」の答えを探した。今も持っている当時の新聞を出してみた。
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| The Daily Telegraph と The Guardian は9月12日付け 右下の The Sunday Times は9月16日付け |
英国のメディアでは「距離のある分析記事」を多く見かけた。次第にそれを読む私も英国のメディアの論調に馴染んでいった。
一方、仕事上の関りから夫は当時のニューヨークの具体的な状況を日々耳にしていた。また後に夫は高校時代の親しかった友人が当日に亡くなったことを知った。
私は日本人で、米国から距離のある英国に住んでいて英国のメディア記事を読み…、だからもちろん米国の人々の気持ちがわかるはずもなかった。国民が旗を振り、アフガニスタンに報復攻撃をする米国に大きな不安を感じた。「盲目的な平和主義」で育った私には、証拠も無く報復攻撃をする米国が理解できなかった。
夫とはよく喧嘩をした。意見が全く合わなかった。彼の育った常識、私の育った常識がこれほど違うものかと驚いた。驚きは時には怒りと憎しみに変わった。そしてそのような複雑な気持ちは陰鬱な精神状態を引き起こした。「アメリカ人と結婚したのは間違いだったのではないか?」
陰鬱な気持ち…行き場のない恐怖と怒りを、私は毎日憑かれたように「情報を仕入れる」作業で紛らわせようとした。ネット上の大量の英国のメディアと米国のメディアの分析記事、中東のメディアの記事など、ありとあらゆる情報を見て納得できる答えを必死になって探した。
飛行機に乗ることが怖くなった。ロンドンから米国東海岸に住む夫の家族を訪ねるのが怖い。2001年の12月22日、私達はクリスマス休暇に義父の家族を訪ねるため、ロンドンから米国ワシントンDC行きの飛行機に乗った。その同じ日の同じ頃、フランスのパリ発・米国マイアミ行きの飛行機内で「靴爆弾テロ未遂」が起こっていた。そのことを空港に迎えにきた義父から聞いて驚いた。テロは身近にあった。
日本には毎年帰っていたが2002年以降は飛行機に乗ることが毎回恐ろしかった。(長距離の飛行のため)大量の燃料を積んで飛ぶ大型旅客機に乗ることが恐ろしかった。
その年まで、毎年2回も出かけていたヨーロッパへの旅行も行かなくなってしまった。夫は自宅で資格のための勉強をし休暇は試験を受ける。2002年以降、私達は楽しむための旅行にあまり行かなくなってしまった。私はおそらくマイルドな鬱を発症していた。
2005年の7月2日、ロンドンでも「ロンドン同時爆破テロ」が起こった。ロンドンの地下鉄の3か所(Circle Lineで2か所、Piccadilly Lineで1か所)がほぼ同時に、その約1時間後に2階建てバスが爆破され、実行犯4人を含む56人が亡くなった。
同じ頃、夫の東京への転勤が決まった。
今私はアメリカに住んでいる。今回25周年で私は初めてアメリカの人々の心を学んでいると思った。私が外国から observer/傍聴者として見ていた2001年の同時多発テロは、アメリカの人々にとってとても違う印象なのだということを感じた…そのあたりまえのことさえ私にはわかっていなかった。
あの時アメリカでは、なぜ皆が旗を振って国全体を勇気づけることが必要だったのか、なぜアフガニスタンへの報復攻撃が可決されたのか、そしてどのような経過で2003年にはイラクへの侵攻が可決されたのか。全てに賛同は出来なくてもとにかく「なにがあったのか」の情報を受け止めようと思った。
9月11日当日の、沢山の勇敢な人々の話、家族を亡くした方々の話、ハイジャックされペンシルバニア州に落ちた飛行機 United Airlines Flight 93 内の勇気のある乗客の方々の話、そしてその飛行機 Flight 93 がもしまた別の攻撃に使われたのなら…戦闘機で自ら体当たりして(Flight 93 を)撃墜するようにと命じられ飛び立った25歳の女性空軍パイロットの話(彼女は迷いもなく任務を実行するつもりでいたと言う)。沢山の沢山の…英国では十分に聞こえてこなかった話を聞いた。
もっと情報を知ること。もっとアメリカを知ること。全てを受け止めてアメリカの人々の心が少しでも理解できればいいと思った。もっと理解したいと思った。アメリカの人々に心を寄せたいと思った。
