能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2025年2月27日木曜日

R3HAB, Mufasa & Hypeman, Mufasa & RANI - Believe (Shooting Stars)(2024)


いい曲 明るいダンス



R3HAB, Mufasa & Hypeman, Mufasa & RANI - Believe (Shooting Stars)(2024)
 
Believe (Shooting Stars) - Single
R3HAB, Mufasa & Hypeman, Mufasa & RANI
Released: October 25, 2024
A Virgin Records release; ℗ 2024 CYB3RPVNK, HMG, 
Mutineer, under exclusive license to Universal Music GmbH


少し前にUK upfront club chart かcommercial pop club chartに入っていたのかな。いい曲ですね。シンプルだけどリズムが気持ちいい。

MVの最初に男の子達が踊ってるのがかわいい。陽気💕この陽気なダンスのお方が Mufasa さん。曲の中で「ヘイ!ヘイ!ゴー!ゴー!」と騒いでいるのも Mufasa さんだと思う。 

「Mufasa x Hypeman spreading good vibes around the world- Bag Raiders- Shooting Stars」でYouTubeを検索するとMufasa さんのダンスビデオが出てくる。 ノリがいいね。一緒に踊りたい。😄😄😄 

他にもいろんな曲を踊ってるビデオが出てきた。面白い~!!! 😆


★R3HAB
Fadil El Ghoulさん。オランダとモロッコのDJ/music producer。1986年生まれ。DJ MagazineのTop 100 DJs では2012年から徐々に順位が上がって2021年には12位。大物スターとのコラボも多く、日本の嵐の「Turning Up」もこのお方のリミックス。

★Mufasa & Hypeman
Jeff Obengさん。現在米国ヴァージニア州在住。どうやらこのお方は Tiktok のインフルエンサーらしい。陽気なダンスで皆をハッピーにしているらしい。独特の"Obang" ダンスがウケているのだそう。有名アーティストのMVにも出演してる。

★RANI
Shannon Sewrani Hilversumさん。1999年生まれのオランダとスリナム共和国をルーツに持つ女性シンガー。いい声ですね。


Believe (Shooting Stars)
R3HAB, Mufasa & Hypeman, Mufasa & RANI
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ヘイ Mufasa (hmm)
ヴァイヴを広めてみる?
どこに広めるって?
世界中だよ (around the world?)
世界中! (around the world?)
世界中だ! (around the world?)
Let's go!3, 2,1, go!


Hey, hey, hey, oh
Go, go, go, oh
Hey, hey, hey, hey
Go, go, go, go



どうして どうしてなの?
私 正気を失ってる?
今もサムバディを探してるの
私 ず~っと一生迷ってばかり
でも私 大丈夫, ooh-whoa

流れ星を信じる?
暗闇の中にいるとき
Oh, oh, わかってる
あなたの場所への道がわかった
流れ星にお願いしてる, oh

流れ星を信じる?
流れ星を信じる?

流れ星を信じてる?
暗闇の中にいるとき
Oh, oh, わかってる
あなたがいる場所への道がわかった
流れ星にお願いしてる, oh
Oh, ooh-whoa


週末だけの恋を見つけるのは難しいわけじゃない
でも私には何か残るものが必要なの
あなたの心を頂戴 大切にするって約束するわ
夢中になろうよ

どうして 言ってよ?
私 正気を失ってる?
今もサムバディを探してる
ず~っと一生迷ってばかり
でも私 きっと大丈夫

流れ星を信じてる?
(Hey, hey, hey, oh, go, go, oh)
流れ星を信じてる?
(Hey, hey, hey, oh, go, go, oh)

流れ星を信じてる?
暗闇の中にいるとき
Oh, oh, わかってる
あなたの場所への道がわかった
流れ星にお願いしてる, oh
Oh, ooh-whoa

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Songwriters: Jack Glass / Christopher John Stracey / Lewis Beresford Hughes / Nick Audino / Kilian Wilke / Johannes Burger / Fadil Ghoul El / Lucas Hain / Felix Hain / Jeffrey Obeng



歴史メモ:1859年ソルフェリーノの戦い(Battle of Solferino)に至るまで・イタリア独立までの歴史



昨日、独ドラマ Netflixの歴史ドラマ『皇妃エリザベート/Die Kaiserin/The Empress』のシーズン 2 の感想を書いたのだけれど、旦那Aとこのドラマについて話していて出てきた疑問…

シーズン2の最後にハプスブルグの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が出陣した戦闘は「イタリア独立戦争」のどの戦だろう? 

答えは1859年。オーストリア対フランス・イタリア連合軍の大戦(6月24日ソルフェリーノの戦い)に向かって皇帝自らが出陣する様子が描かれていた。その戦に至るまでの政治情勢を調べたので記録する。



まずは戦に至るまでのオーストリアとイタリアの歴史から

ウィーン会議(1814年~1815年)
(Wiener Kongress/Congrès de Vienne/Congress of Vienna)
1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。オーストリアの外相メッテルニヒが議長を務め、ヨーロッパ諸国の代表が集った。会場はシェーンブルン宮殿。

フランス革命とナポレオン戦争終結後、ヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、オスマン帝国を除く全ヨーロッパ各国代表が集まり、1814年9月1日から開催された。

会議を主導したのは議長国オーストリアのほか、イギリス、プロイセン、ロシア。戦後の混乱の後、勢力均衡を維持し回復する力を有した欧州の大国同士が、相互に均衡を維持し合う国際秩序(ウィーン体制)を構築する目的で行われた。

オーストリア帝国からは…
君主:皇帝フランツ1世(フランツ・ヨーゼフ1世の祖父)
全権:外相メッテルニヒ公爵クレメンス・ヴェンツェル・ロタール


オーストリア帝国の北イタリア支配
ウィーン会議で決められたオーストリア帝国のイタリア支配とは…

イタリア北部のロンバルディアと旧ヴェネツィア共和国領を獲得、オーストリア皇帝が王を兼ねるロンバルド=ヴェネト王国とする。

オーストリア帝国が北イタリアを支配することが決定された。


ロンバルド=ヴェネト王国
(The Kingdom of Lombardy–Venetia/Regno Lombardo-Veneto/Königreich Lombardo-Venetien)
ウィーン会議にて1815年6月9日に公式に成立。

ミラノ公兼マントヴァ公であったオーストリア皇帝フランツ1世(フランツ・ヨーゼフ1世の祖父)がロンバルド=ヴェネト王フランチェスコ1世となる(在位:  1815 – 1835)。それ以後もオーストリア皇帝が国王を兼ねた。

次代皇帝はフランツ1世/フランチェスコ1世の長男・フェルディナンド1世(在位:1835–1848)(フランツ・ヨーゼフの伯父)。



1848年革命/Revolutions of 1848
1848年からヨーロッパ各地で起こり、ウィーン体制の崩壊を招いた革命。1848年から1849年にかけて起こった革命を総称して「諸国民の春/springtime of the peoples/Printemps des peuples/Völkerfrühling/Primavera dei popoli」とも呼ばれる。


1848年までのイタリアの状況
ウィーン体制下のイタリアは

南部に両シチリア王国(スペイン・ブルボン朝系)、
中部に教皇国家
北部にトスカーナ大公国(オーストリア・ハプスブルク朝系)、
   ルッカ公国(スペイン・ブルボン朝系)、
   パルマ公国(スペイン・ブルボン朝系)、
   モデナ公国(オーストリア・ハプスブルク朝系)、
   サルデーニャ=ピエモンテ王国
   ロンバルド=ヴェネト王国
   (オーストリア・ハプスブルク朝系)

が割拠しており、復古体制に対する不満は1821年のカルボナリの蜂起、1831年のジュゼッペ・マッツィーニの青年イタリア結成などに現れていた。


1848年革命時の北イタリアの状況
1848年---------------------------------------
1月、シチリアのパレルモで暴動が起こり、両シチリア王国からの分離独立と憲法制定が要求され(シチリア革命)、これを第一波として革命がイタリア各地に波及した。

3月にはオーストリアの支配下にあったロンバルディアとヴェネツィアの民衆が反乱を起こして現地のヨーゼフ・ラデツキーの率いるオーストリア軍に勝利し(ミラノの五日間、ダニエーレ・マニンのヴェネト共和国建国)、サルデーニャ=ピエモンテ国王カルロ・アルベルトに介入を要請した。要請を受けたカルロ・アルベルトは早くも3月23日にはオーストリアに宣戦を布告。第一次イタリア独立戦争が始まった。

しかし初めはサルデーニャ=ピエモンテに援軍を送っていた教皇国家と両シチリア王国が途中で戦線から離脱。それに対し本国からの援軍を受けて体勢を立て直したオーストリア軍はラデッキーの指揮の元、7月2425日のクストーツァの戦いでサルデーニャ=ピエモンテ軍を破る(オーストリア勝利)

8月6日にミラノはオーストリアに再占領され、ロンバルディア臨時政府は解散させられた。両国は8月9日に休戦。停戦協定が結ばれた。

1849年---------------------------------------
休戦後、革命は急進化し、1849年2月には教皇国家におけるマッツィーニのローマ共和国建国、トスカーナにおける革命の激化を見るに至って、サルデーニャ=ピエモンテはオーストリアに対する戦争を再開。しかし3月23日のノヴァーラの戦いに敗れて、サルデーニャ=ピエモンテ国王カルロ・アルベルトが退位7月には息子のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が即位した。

残るローマ共和国はフランスの軍事介入により6月29日に崩壊。ヴェネト共和国8月24日にオーストリアに降伏。ヴェネツィア臨時政府も解散させられ、イタリアにおける革命は打倒された。

こうしてイタリア全体に復古体制が復活する中、サルデーニャ=ピエモンテの新国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が立憲君主制を維持し、その後のイタリア統一運動の中心地となった。


1848年革命時のオーストリアの状況
宰相メッテルニヒが1815年以来ウィーン体制の維持に努め、ヨーロッパ諸国の民族主義、自由主義運動を弾圧していた。

1840年以来の不況と貿易赤字、1847年からの飢饉による農村の危機、多額の軍事支出によって国家財政は逼迫していたが、フランス二月革命の背景の一つである金融恐慌がウィーンにも及び、メッテルニヒ体制は動揺。

1848年フランスの二月革命/Révolution française de 1848の成功(王政が倒れ第2共和政となる)が伝えられた影響により、オーストリアの宮廷には自由主義的改革要求が提出された。3月13日に学生の一部が議事堂に押しかけてメッテルニヒの退陣と憲法の制定を要求、ウィーン市内に暴動が拡大。メッテルニヒは辞任してロンドンに亡命した(ウィーン三月革命)。5月15日には新憲法に反対の暴動が起こる。皇帝一家は避難。

その頃北イタリアでは、オーストリアのラデツキー軍が7月24日、25日のクストーツァの戦いでサルデーニャ=ピエモンテ軍を破る。オーストリア国内でも反革命が巻き返し民衆を鎮圧。

※参照
ヨハン・シュトラウス1世作曲
『ラデツキー行進曲/Radetzky-Marsch/Radetzky March』
この曲は1848年7月クストーツァの戦いでのラデッキー軍の大勝利の祝典のために書かれた曲だそうだ。帝政が廃止された現在のオーストリア共和国でも国家を象徴する曲であり、国家的な行事や式典でたびたび演奏されている



10月6日にはハンガリー支配の反対派がウィーンにて蜂起、市街戦となる(ウィーン十月蜂起)。皇帝一家は避難。

11月21日にシュヴァルツェンベルクが首相に就任。12月2日に皇帝フェルディナント1世が退位。弟フランツ・カールの長男・甥のフランツ・ヨーゼフ1世に譲位。

フランツ・ヨーゼフ1世は18歳で皇帝に即位。同時にイタリアのロンバルド=ヴェネト王国の国王フランチェスコ・ジュゼッペ1世(在位;1848 – 1859)として即位。



フランスの介入…イタリアとの同盟
その前に…
1851年、ナポレオン1世の甥・ルイ・ナポレオンが国民議会に対するクーデターを起こし独裁権力を掌握。1852年に皇帝に即位して「ナポレオン3世」と名乗るようになる。

フランス皇帝ナポレオン3世はイタリアの解放運動に対して好意的であり、フランスの国益などの複合した思惑からイタリア介入を決意する。

1858年7月サルデーニャ=ピエモンテ王国の首相に就任したカミッロ・カヴール伯爵がフランス皇帝ナポレオン3世と会談、「プロンビエールの密約」を調印…反オースリア同盟を締結。

それによりサルデーニャ王国がオーストリアから攻撃を受けた場合、フランスはサルデーニャ王国を援助すること、そしてサルデーニャ王国はオーストリア領のロンバルド=ヴェネト王国、パルマとモデナの両公国それに教皇国家のレガツィオーネを併合することになるが、その見返りにサルデーニャ領のサヴォワとニースをフランスに割譲することを決めた。

フランスにとっては敵国であるオーストリアを弱体化させる意図があった。またトスカーナ大公国は、教皇領の一部を加えた上で中部イタリア王国とし、君主をハプスブルク家からフランス皇帝の従弟のプランス・ナポレオンに替えること、そして南部の両シチリア王国は現状のままとされた。


オーストリアと南伊・両シチリア王国の同盟
その頃1859年 2月、オーストリア・ハプスブルグ家皇后エリザベート(バイエルン王ヴィッテルスバッハ家)の17歳の妹マリア・ソフィアが、両シチリア王国のフランチェスコ2世に嫁ぐ。この結婚には政治的な意図があった。
その様子はドラマ内で描かれていた

北イタリアを統治するオーストリアは、各地で起こっていたイタリア独立運動、それからフランスの北伊サルデーニャ王国への介入などに対抗し、イタリア南部の両シチリア王国と姻戚関係=同盟関係を結ぼうとした。



第二次イタリア独立戦争(1959年)
(Seconda guerra d'indipendenza italiana/Zweiter Italienischer Unabhängigkeitskrieg/deuxième guerre d'indépendance italienne)
1859年にフランス第二帝政とサルデーニャ王国の連合軍がオーストリア帝国と戦った戦争

1859年、フランスと同盟を結んだサルデーニャ王国カブール首相はオーストリア国境近くでサルデーニャ軍を行軍させてウィーン当局を刺激。オーストリアは4月23日にサルデーニャ軍の動員を解除するよう要求するが聞き入れられず。オーストリアは4月29日にサルデーニャに宣戦布告、ピエモンテに侵攻。フランスも参戦することになる。

● オーストリア軍:兵士19万8000、大砲824門
 総指揮官・フランツ・ヨーゼフ1世
● サルデーニャ軍:兵士5万6000、大砲90門
 総指揮官・国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
● フランス軍:兵士12万8000、大砲312門
 総指揮官・ナポレオン3世

6月4日 マジェンタの戦い
イタリア勝利。オーストリア軍はロンバルディアの大部分から撤退
ナポレオン3世とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はミラノに入城
6月24日 ソルフェリーノの戦い
イタリア勝利=フランス=サルデーニャ連合軍の勝利。ナポレオン3世とオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が陣頭に立った戦闘では両軍とも3万人近い死傷者を出した。オーストリア軍はヴェネツィアの背後にある四角要塞地に後退。

ドラマのシーズン2の最後にフランツ・ヨーゼフ1世が軍を率いてイタリアに出陣する様子が描かれていた


ソルフェリーノの戦いの意味
第二次イタリア独立戦争中の1859年6月24日イタリア北部ロンバルディア地方のソルフェリーノを中心に行われた戦闘。

ナポレオン3世率いるフランス帝国軍と、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世率いるサルデーニャ王国軍の連合軍が、フランツ・ヨーゼフ1世率いるオーストリア帝国軍と戦った。

フランス・サルデーニャ連合軍が勝利した。

この戦いは世界戦史上、交戦当事国の君主が親征に出て軍を指揮した最後の大きな戦闘としても知られている。

この戦いの後、フランスとオーストリアの間で和平条約が結ばれ、オーストリアはイタリアに対する影響力を喪失した。

ちなみに、この戦いの後戦場を目撃したアンリ・デュナンは、戦場の惨状に強い衝撃を受け「ソルフェリーノの思い出」と題した書籍を出版。ジュネーブ条約と国際赤十字の設立につながるプロセスに着手した


終戦と戦後
ソルフェリーノの戦場を視察したナポレオン3世は犠牲者の多さに仰天、ヴェネツィアを征服するために要する時間と犠牲を恐れ、また国内からの反対や、プロイセンの介入の可能性、そして強力になりすぎるサルデーニャ王国への懸念も相まってフランスはこの時点で講和を模索。

1859年7月11日、ナポレオン3世は同盟国のサルデーニャ王国に伝えることなく、ヴィッラフランカでフランツ・ヨーゼフ1世と会見。停戦に合意した(ヴィッラフランカの講和)オーストリアはヴェネツィアを保持するが、ロンバルディアはフランスに割譲、フランスが即座にこの地をサルデーニャ王国に譲渡することになった。その他のイタリアの国境は現状維持する。

カヴール首相は戦争遂行を主張したが、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が却下したため辞職。12月、トスカーナ、モデナ、パルマ、レガツィオーネは中央統合諸州に統一され、サルデーニャ王国との合併が表明された。1860年3月までにサルデーニャ王国は北部と中央イタリアのほとんどを支配した。



南イタリアとイタリア王国の成立
カヴール首相は南イタリアを支配する両シチリア王国を併合することは考えていなかった。1860年5月軍事家ジュゼッペ・ガリバルディが千人隊(赤シャツ隊)を率いて、両シチリア王国のメッシーナ、パレルモで起きた民衆の反乱を援助し、9月に両シチリア王国を滅ぼした。そして10月、征服地をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上してイタリア統一に貢献した。

1861年3月14日、サルデーニャ議会はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世をイタリア王と宣言し、イタリア王国が成立した。



※参照
映画『山猫/Il Gattopardo/The Leopard (1963)』
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
1860年、イタリア統一戦争のさなかのシチリア島。シチリアの名家の当主でサリーナ公爵であるファブリツィオはパレルモの近郊に住む貴族。ガリバルディの赤シャツ隊がシチリア島に上陸すると、甥のタンクレディはガリバルディの軍に合流する。シチリア王国の貴族の若者がガリバルディのイタリア統一運動に参加する様子が描かれている。その後タンクレディはサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の政府軍に加わっている。

◆ 映画『夏の嵐/Senso (1954)』 
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
1866年、第三次イタリア独立戦争の頃のオーストリア占領下のヴェネツィアでの、イタリアの伯爵夫人とオーストリア軍の将校との恋を描いた。





2025年2月26日水曜日

独ドラマ Netflix/Sommerhaus Serien『皇妃エリザベート/Die Kaiserin/The Empress』(2024) シーズン 2:目線を変えれば最高の素材なのに





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『Die Kaiserin』(2024) TV Series-Season 2/独/カラー
/約50分・全6話/制作:Katharina Eyssen』
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シーズン2を見終わった。お姫様物語としては勢いがなくなった。しかし反対にもっと面白くなったとも言える。


私はシーズン1の感想で、このドラマは「重厚な歴史ドラマで面白くなりそうだ」などと書いたのだけれど、ネット上で他の人の感想を読んでみると…、皇妃エリザベート(の周り)の史実を知っている人ほど「史実と違う茶番である」と怒っているようで…。 私が少し前に『マリー・アントワネット』のドラマを見て憤慨していたのと同じように、歴史ファンのなかにはこのドラマにがっかりした人々もいたようだ。史実に詳しいと、ドラマを見る目はどうしても厳しくなりますね。

その史実と違うシーズン1の問題とは…、
フランツ・ヨーゼフ皇帝の弟のマキシミリアンがエリザベートに惹かれ、またマキシミリアンが兄のフランツ・ヨーゼフをライバル視していて、そのためロシアのプリンスをけしかけてフランツを困らせて…などというのはとんでもない話だそうだ笑。それに革命家のApafi 伯爵夫人が宮殿に忍び込むのもありえない、それから人物達の髪型や衣装も時代に合っていない…などなど気に障ることが結構多いらしい。

まぁともかくそれはおいといて…



さてシーズン2は、そのようなトンデモな内容はあまりなかったのではないかと私は思ったけれどどうだろう。このシーズン2では…誰と誰が好きで嫌いでライバルで嫉妬して…などのゴシップ的なものはあまり無く、むしろハプスブルグ家のオーストリアと周辺国との関係はどうなっているのか…などの歴史的な話がよく描かれていたように思った。

皇帝の弟のマキシミリアンはベルギー国の王女シャルロッテと結婚。イタリアのロンバルディア州ミラノに総督として、またロンバルディア・ヴェネトの副王としてイタリアに居住。

ハプスブルグ家の支配に抵抗していたイタリアの民衆の様子が描かれ、またそのイタリアの後ろにはフランスのナポレオン3世がついていて、(反オーストリアの)イタリアにフランスが武器提供をしている…などなど政治情勢が描かれているのがとても面白い。

ハプスブルグ家と軍隊がドイツ語を話し、イタリアの民衆はイタリア語で文句を言っている。フランツ・ヨーゼフとエリザベートが北イタリアを訪ねれば民衆の目線が厳しくていたたまれない。そして場面が変わればオーストリアとイタリアの様子を見守るフランスのナポレオン3世がフランス語で話している。

3つの国がそれぞれの言語で会話をしているのに興奮する。そうそうヨーロッパの歴史を描くのであればそうでなくちゃ…言語が変わるだけで私は無茶苦茶興奮した。この辺りの歴史には疎いのでネットで調べて勉強。なかなかいい。ヨーロッパの政治情勢をハプスブルグ家を通して描いているのが本当に面白い。…「ピエモンテ州が立ち上がった」と聞けばGoogle mapを開いてチェックする。面白い~。


しかしながらこのシーズン2、主役のエリザベートにはあまり輝く場面がない。それがこのドラマの根本の問題だと思った。

結局(わかっていたことではあるのだけれど)このエリザベート皇后というお方は、ティーンの頃にハプスブルグ家の皇帝に見染められて嫁入りするのはいいけれど、その後は不幸が続くことが多く、女性視聴者の喜ぶような色恋などのふわふわした話はほぼ描けないお方。…不幸が引き金になって彼女はオーストリアの宮廷生活にも馴染まず、子供も義母に取られ、結果宮廷での生活を避けていつも旅ばかりしているような女性で…、考えてみれば(おそらく)Netflixが期待したような「お姫様物語」が描けるような人ではない。彼女はそのような素材ではない。


しかし彼女が生きた時代の欧州は歴史的に見てかなり面白い時代…もしNetflixが意を決して欧州の激動の時代の大河ドラマを描こうとするならば最高の素材。例えばこのままの配役で(エリザベートはもっと似ている女優さんを連れてきて端役にして)、タイトルを『Habsburg/ハプスブルク』などにして当時のオーストリアの状況を描いた大河ドラマをつくればとても面白かっただろうに。いや~本当にもったいない。

それにもかかわらずこのドラマシリーズは、そこそこ知られている「悲劇のオーストリア皇后」のドラマを彼女のネームバリューだけで作ろうとしたのではないか。


というのもこのシーズン2を見た後でWikipediaを見たら、このドラマ…シーズン3で完結なのだそうですよ。あと6話で終わってしまうのだそうだ。なんとなんとなんと…え~本当か。ということは…せめてマキシミリアンのその後(メキシコ)は描かれるだろうとしても、おそらく息子ルドルフのマイヤーリンクは描かれませんね。あと6話だけなら無理だろう。それにエリザベート皇后も(ハンガリーとの関係以外は)ますます旅に出るばかりでウィーンの宮殿に寄り付かなくなってしまう…となれば宮殿での暮らしを描くこともできない。やっぱりこれは元々長続きする素材ではなかったのだろう。


しかしもったいないな~。できればハプスブルグ家の最後の様子をフランツ・ヨーゼフを中心に描いてもらいたかった。うん それなら見たい。本当に見たい。

イタリア語とフランス語とドイツ語が出てきて、そこにハンガリー語とロシア語、英語などの台詞が加わるドラマだったら面白かっただろうな~。いつかそういうドラマを作って欲しい。ドイツかオーストリアが本気を出してそういうドラマを作ってくれないものかな。





2025年2月25日火曜日

Ferreck Dawn - Mirror Machine (feat. Aurelia Ray)(2025)



歌詞は何だろう?



Ferreck Dawn - Mirror Machine (feat. Aurelia Ray)(2025)
Mirror Machine (feat. Aurelia Ray) – Single
Ferreck Dawn
Released: February 14, 2025
Spinnin’ Deep, ℗ 2025 Spinnin’ Records



先々週からUK upfront club chart に入ってきた曲。ちょっと音の趣が違うので面白い。まだ歌詞がネット上に出ていないのだけど何を歌っているのかな?

★Ferreck Dawn
Freek Coppensさん。DJキャリア17年目。名の知られたダンス・レーベルから曲をリリースしている。メジャーのデビューは2018年からなのかな?シングル「In Arms」が2018年のイビザのクラブでの人気曲となり、Beatportのチャートで1位。Spotifyにて1500万回ストリーミングを記録。他DJやアーティストのコラボ多数。

★Aurelia Ray
(作曲かな)彼女が関わった2024年のBebe Rexha「I'm the Drama」やDom Dolla「Saving Up」「Girl$」などがヒット。DJとしてアーティストClementine Douglasさんのツアーに同行。ダンス曲の後ろでの仕事が多かったが近年スポットライトを浴び始めた。イタリアとチリにルーツかな?


2025年2月20日木曜日

映画『ロミオとジュリエット/Romeo and Juliet』(1968):シェークスピアで泣く?傑作です!







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『Romeo and Juliet (1968)/英・伊/カラー
/2h 18m/監督: Franco Zeffirelli』
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少し前にマリア・カラスのことを調べていて、もう一人の20世紀のソプラノ、ジョーン・サザランドの歌を思い出し、数年前に見たグノーのオペラ『ロメオとジュリエット/Roméo et Juliette』のことを思い出し、ここに書いた感想文を読んで思いを巡らせた。

…そういえば映画の『ロミオとジュリエット (1968) 』ってきちんと見たかな?

見たことはある。いくつかのシーンは絵で覚えている。しかし見たのは私が高校生の頃の1980年頃。テレビで日本語の吹き替え版を見た。とりあえず見たことはあるけれど、ずいぶん前の話なのできちんと見たとは言えない。もう1回見たいと思い Amazon Prime を探したら出てきた。レンタル可能。それで週末に見ることにした。


ま~~~素晴らしかったわ。本当に素晴らしい素晴らしい素晴らしい。この映画はティーンの時にティーン映画として見て「面白かったね」とそのまま忘れるだけなのはもったいない映画。芸術的な傑作だと思う。本当に素晴らしい映画です。


この映画は1968年の映画。そんなに古い映画だとは知らなかった。原作はもちろんシェークスピア。古典で時代劇だからなのか、1968年制作にも関わらず全く古びた感じがしない。今見ても本当に美しい映画です。それも驚いた。

私の中では『ロメオとジュリエット』映画でこれを超えるものはないとあらためて確信できた。本当に素晴らしい作品。


イタリア人の監督のフランコ・ゼフィレッリ/Franco Zeffirelli 氏の名前は1980年代まではよく聞こえてきていた。まず私が覚えたのはこの『ロメオとジュリエット (1968)』の監督だということ。そして彼はまた1981年のブルック・シールズの映画『エンドレス・ラブ Endless Love (1981)』の監督でもあった。たぶんそのあたりで彼の名前を覚えていたのだと思う(あの映画は2回シアターで見た)。


ゼフィレッリ氏は、イタリア・フィレンチェでファッション・デザイナーと羊毛とシルクの商人の不倫の末に1923に生まれた。6歳で母親を亡くす。その後イタリアの英国人のコミュニティーの中で育ったため、英語とイタリア語に堪能なバイリンガルとなる。ところで余談だが、彼はレオナルド・ダ・ヴィンチとの血縁関係も証明されたそうだ。

その後、ゼフィレッリ氏とイタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ/Luchino Visconti 氏の繋がりを知ったのはヴィスコンティ監督のことを調べていた時。ゼフィレッリ氏はヴィスコンティ監督の元で、舞台の美術を担当したり映画の助監督としても働いた。その経験を経てゼフィレッリ氏が45歳の時に監督したのがこの1968年の『ロメオとジュリエット』。


英語を解するイタリア人のゼフィレッリ氏が、シェークスピアの脚本を使い、出来る限りストーリーが描かれた当時の時代の再現を試みてイタリアで撮影した映画…というのはなかなかない黄金の組み合わせだろう。この脚本がイタリア語での翻訳の書き直しの脚本ではなく、シェークスピアの脚本をほぼそのまま(多少脚色しているそうだ)使ったこともこの映画が英語圏(世界で)成功した理由の一つだろう。この映画は商業的にも大成功を収めた。


元々の『ロメオとジュリエット』のアイデアは中世以前にまで遡るそうだ。時を経てイタリアやフランスで既に出版され演じられていた演劇の脚本からインスパイアされて、シェークスピアが加筆をして描いたのが有名なシェークスピア・バージョン。なんとシェークスピアの脚本は全てオリジナルではなかったのですね。


この映画の配役は、登場人物の実年齢に近づけたキャスティングで、撮影はイタリアで行われた。シェークスピア作の脚本なので、言語は1597年の古典演劇英語。しかし舞台はイタリアのヴェローナ(Verona)。イタリア人の監督が、英語の古典の脚本のまま、イタリアのティーンのロマンティックな悲劇を描いた。



まずタイトル画面に William Shakespeare’s Romeo and Juliet と出たので「これは古典英語か」と察した。続いて見続けるがなんとも難しい英語。わかったようなわからないような…。すると旦那Aが「これわかんないでしょ、字幕付けたほうがいいよ」と言うので「確かに、わからん」というわけで字幕を出したがそれでも…はて全体的に見て80%も聞き取れたかは疑問。映画は一度見ているし話もわかっているので問題なく楽しめたけれど、後から旦那Aと話していて、どうやら聞き取れなかった情報も沢山あったらしいことに気づいた。16世紀のシェークスピア英語はやっぱり難しかった。

しかしだからこそまた驚いた。この映画のロミオとジュリエットの役者さん達はお若い。撮影時に17歳と16歳なのにシェークスピア英語の芝居を納得できる演技で演じている。それに舌を巻く。

シェークスピア英語は舞台劇の英語なので、多少芝居がかるのは納得。それでもこの映画の若者達がしっかりと演技をしていることにとても感心した。...Convincing enough。すごいな~と思った。みんな上手なのね。


それからこの映画に出てくる若者達が皆全て美男ばかり。…まぁ私の偏見なのだろうけれど、ゼフィレッリ監督はゲイの方で、ましてやヴィスコンティ氏の元で仕事をしていた方で…だから美的感覚も相当なものだろうと。それでキャスティングも「芝居が上手くてルックスもいい役者」…そのようなこともかなり考えての配役だったのではないか。

主役のオリヴィア・ハッセーさんもレナード・ホワイティングさんも本当に綺麗です。イノセントで…しかし純粋過ぎるからこそ一途。あまりにも一途過ぎる若者の恋が信じられる。感動します。シェークスピアで泣けるってなかなかない。芝居が上手いからでしょう。年寄りは若者の瑞々しい恋を見るだけでも泣けるのよ。

この映画は目の保養。(撮影時の) 1967年のイタリアで、まだ古い建物や荒れた街並みが残っていた時代に、中世を再現して、英国から集めた美しく若い俳優さん達を使い、しっかりと演技指導をし、シェークスピア英語を巧みに喋らせて、耽美派のイタリア人の監督が、本格シェークスピア映画を撮る…そのようなドリーム・プロジェクトに私には見えてしまった。もうこのような設定でこのテーマの映画が撮られることはないだろうとさえ思った。傑作だと思う。

見て本当によかったです。あらためて昔日本で見た時の吹き替え版のティーン向け青春悲劇映画とは全く違う印象で少なからず驚きました。芸術作品。これは本当に見てよかった。


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少し面白いのでシェークスピア英語と現代英語を比べてみよう

第三幕・第5場
ロミオの台詞から
二人が共に夜を過ごして、朝立ち去るつもりのロミオがジュリエットに話す台詞。太字はシェークスピア。その下に現代の英語と訳。

* * * * * * * * * *

Let me be ta'en, let me be put to death;
   Take me away, put me to death;
   僕を連れていけ 死を我に

I am content, so thou wilt have it so
   I accept it if that's what you want.
   君が望むのなら 僕はそれを受け入れよう

I'll say yon grey is not the morning's eye,
   That gray light is not the dawn;
   あの灰色の空は夜明けではない

'Tis but the pale reflex of Cynthia's brow;
   it’s just the faint reflection of the moon's face.
   ただ月の女神(シンシア)の顔がかすかに反射しているだけ

Nor that is not the lark, whose notes do beat,
The vaulty heaven so high above our heads:

   And that’s not the lark, whose song fills the vast sky above us.
   あれはヒバリじゃないよ、
   僕たちの頭上高く大きな空に響くあの声は

I have more care to stay than will to go:
   I’d rather stay here than leave.
   僕は立ち去るよりもここにいたいんだ

Come, death, and welcome! Juliet wills it so.
   Come, death, I welcome you! Juliet wants it this way.
   来るがいい 死よ 僕は歓迎する ジュリエットが望んでいるんだ

How is't, my soul? let's talk; it is not day.
   How are you, my love? Let’s speak; it’s still not day.
   どう 僕の愛しい人? 話そうよ まだ日は明けない

* * * * * * * * * *

字幕を見れば何とか雰囲気はわかるけれど聞くだけではまずわからないですね。無理だこれは。現代英語とは言葉のリズムが違っていて意味がわからなくなる。旦那Aは聞くだけでもわかるのだそうだ。日本人が歌舞伎の台詞がなんとなくわかるのと同じようなものか。16歳の若い役者さん達がこの台詞で上手い芝居をしているのがすごいねと思う。ところでシンシアとはギリシャ神話の月の女神だそうだ。


2025年2月19日水曜日

亀のフルーツ話:ココナツ・プリンとブルーベリー・ソース



久しぶりのフルーツ話。

普段からあまりフルーツを有難がらないので時々こういうものを作ると記録したくなる。


ブルーベリーです
Whole Foodsで購入。オーガニックのせいなのか粒が小さい。ペルー産。これも輸入品ですね。こういうのも値上がりするのかな。
小さいホーロー鍋に砂糖とレモンジュースを絞って入れる
火にかけるとすぐに水分が出る。
ここからもう少し煮るとブルーベリーが崩れてくる。
ソースなのであまり煮詰めない。水分は多い方がいい。
ココナツプリンはローカル産のココナツミルクを
レシピはネット検索で最初に出てきたもの。ココナツミルクに牛乳と砂糖を加えてゼラチンで固める方法。簡単です。
ラメキンに分けたら
6個と半分できた。冷蔵庫に入れて数時間。
出来ました
色がすごく綺麗。うそみたいに簡単なのにすごくおいしい。これ年末年始に作ったらインロー様にもウケた。

ココナツプリンの味はすごく繊細なので、ブルーベリーソースは写真よりも少ない方がいいです。ブルーベリーの味と香りが強いのでココナツの繊細な香りが負けてしまう。

1パッケージで作ると量が多くて食べきれないので冷凍した。凍らせても適度に柔らかいので扱いやすい。ヨーグルトに最高のフルーツソース。

ブルーベリーの色素が強くてホーロー鍋に青い色が移ります。びっくりした。


2025年2月18日火曜日

Olly Alexander - When We Kiss (2025)



オリ―君


Olly Alexander - When We Kiss (2025)
Live 歌うまい
Album: Polari
Olly Alexander
Released: February 7, 2025
A Polydor Records Release; 
℗ 2025 Universal Music Operations Limited



オリ―君の声が好き。今までにも何度か取り上げてますがすごく好きな声。オリ―君は最初に取り上げたときは若い男の子ですごく可愛くて(なんか小さい男の子みたいな感じ)、今もそのイメージがあるのだけれど彼ももう34歳なのですね。彼の曲はいい曲が多くて、とてもいいソングライターなのだろうと思う。

もう彼も大人だからMVもセクシーなイメージだけれど海亀オバチャンは照れる。オリ―君は細くて柔らかい中性的な感じが魅力。ゲイのアーティストは表現に肉体のイメージを使うことが多くて、やっぱり肉体だとか性エネルギーというのは彼らにとってとても大きなアイデンティティなのでしょうね。


★Olly Alexander
Oliver Alexander Thorntonさん。英国ヨークシャー出身のsinger、actor、LGBTQ activist。1990年生まれ。キャリアの始めは俳優から…映画やドラマに出演、ウェストエンドのステージにも立った。現在も俳優としてのキャリアを継続している。また2010年からはポップ・バンドYears & Yearsのボーカルとして人気に。Years & Yearsは英国で2つのアルバムがアルバム・チャートの1位。そしてシングルチャートでも1位が1曲、そして5曲がトップ10入りを果たす。2021年からYears & Yearsは彼のソロ・プロジェクトになる。Years & YearsとしてBrit Awardsに6回ノミネートされた。2024年にYears & YearsからOlly Alexanderに名前を変更。


When We Kiss
Olly Alexander
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[Verse 1]
僕を離さないで
ここに救う価値のあるものがある
僕と一緒にいて
津波が 僕たちを引き裂いている
(Right n—, right n—)
僕のすぐ横で
君の声の中に聞こえる
僕の隣に横になって
僕らは選べるんだ 
運命を変えられる

(When we kiss )

[Chorus]
パワーは君の手の中に
僕にはわからない
どうしてこんな風になったんだろう?
君の目には涙 僕らがキスする時

どう正当化すればいい
僕らが後ろに置いてきた愛
どうしてこんな風になったんだろう?
君の目には涙 僕らがキスする時


[Verse 2]

Ooh, 僕にはわからない これが終わりなのか始まりなのか
Ooh, 僕はこの残り火を燃やし続けるためなら何でもするよ
Ooh, 昔の僕らからどうしてこんなに遠くまで来てしまったんだろう?
だから僕の隣に横になって
僕らは選べるんだ 
運命を変えられるんだよ

(When we kiss )

[Chorus]
パワーは君の手の中に
僕にはわからない
どうしてこんな風になったんだろう?
君の目には涙 僕らがキスする時

どう弁明すればいい
僕らが後ろに置いてきたLove
どうしてこんな風になったんだろう?
君の目には涙 僕らがキスする時


[Bridge]
僕らは太陽に落ちたのだろうか? (The sun)
全ては情熱だったのか?(Was)
誰かを「大切な人」に出来る?
「大切な人」?(The one)

僕の隣に横になって (Go, lie next to me)
君の声の中に聞こえる (Voice)
僕の隣に横になって (Next to me)
僕らには選べる (Yes),
僕らの運命を変えることが

(君の目には涙 僕らがキスする時) Ooh
(君の目には涙 僕らがキスする時) Ooh-woah, was
Nah-nah (君の目には涙 僕らがキスする時)
(君の目に涙) 

(When we kiss )

[Chorus]
パワーは君の手の中に
僕にはわからない
どうしてこんな風になったんだろう?
君の目には涙 僕らがキスする時

どう正当化すればいい
僕らが後ろに残してきた愛
どうしてこんな風になったんだろう?
君の目には涙 僕らがキスする時

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Songwriters: Olly Alexander & Danny L Harle