能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2023年7月10日月曜日

Armin van Buuren & Punctual - On & On (feat. Alika)(2023)



大御所



Armin van Buuren & Punctual - On & On (feat. Alika)(2023)
On & On (feat. Alika) – Single
Armin van Buuren, Punctual
Released: March 31, 2023
℗ 2023 Armada Music B.V. 
under exclusive license from Armin Audio B.V.



久しぶりのアーミン・ヴァン・ビューレンさん。大御所です。トランスの大家。今はトランスのレーベル、Armada社の社長としての方が忙しいのかと思ったら、今年の3月にアルバムを出していたそうだ。その中の曲。

歌詞はリピートばかりで音もおなじみの質感ですが、いい。結局踊りやすくノリやすい曲はあまりメロディーも歌もいらないのねというのがよくわかる。気持ちがいいので記録。Alikaさんの声に特徴がありますね。

★Armin van Buuren
オランダのプロデューサー・トラックメイカー(ビートメイカー)・作曲家・編曲家の音楽アーティスト、DJ。1976年生まれの現在46歳。オランダ・ライデン出身。ジャン・ミッシェル・ジャールの曲に感化されてDJを始めた。ライデン大学で法学を学んでいたがDJ業が忙しくなって休学。後に2000年代に復学して卒業した。現在、EDM、プログレッシブ・トランスを代表するDJ。DJ MagazineによるDJ Mag Top 100において2007年・2008年・2009年・2010年・2012年に1位を獲得、その後も上位をキープ。また2003年にはMaykel Piron、David Lewisと共にダンス・ミュージック専門の独立系レーベルArmada Musicを立ち上げた。

★Punctual
英国のSongwriter/Producer/DJ duo。メンバーはWill LansleyさんとJohn Morganさん。

★Alika
ボーカル担当。ロンドン出身在住のラッパー/シンガーソングライター。


On & On
Armin van Buuren & Punctual
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延々と続く
あなたは私の一番好きな曲のように
ビートを一晩中鳴らして
朝の早い時間まで
(Repeat)

It goes on and on, on and on...

延々と続く
あなたは私の一番好きな曲のように
ビートを一晩中鳴らして
朝の早い時間まで
(Repeat)

On and on
All night long...

延々と続く
あなたは私の一番好きな曲のように
ビートを一晩中鳴らして
朝の早い時間まで
(Repeat)

It goes on and on
All night long

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Songwriters: Alika McGillivary / Armin Van Buuren / Carl Ryden / John Dirne / John Morgan / William Lansley






2023年7月9日日曜日

NHK大河ドラマ「どうする家康」第26回「ぶらり富士遊覧」7月9日放送・武田勝頼がかっこよかった





武田勝頼がかっこよかったわ。

ま~本当にかっこいい眞栄田郷敦さん。暫く前から武田勝頼が登場するたびに「いいな~この役者さんはかっこいいわ~」と感嘆していた。Gordon Maedaか。名前が西洋風だ。このお方はただただお顔が好きだ。私は普段はお若い方を見てお顔がいいから好き💕などとは決して思わないのですけれど、眞栄田郷敦さんは例外!すごくかっこいい。

この武田勝頼はすごいカリスマ。眞栄田さんは戦国武将がお似合いになる。さすが武田信玄の息子。最初に登場した時から「おおおおおおおっ」っと見入りましたよ。かっこよすぎ。ミステリアス。お若いのに威厳がある。眞栄田さんがまだ23歳と聞いて驚いた。確かにお顔は可愛らしいと思うのに威厳があってなぜかちょっと怖い。黙っていても凄みを感じる。とにかくかっこいい。

声もいい。眞栄田さんのお声は千葉真一さんのお声に似ている。この勝頼で「あれ?似てるかも」と何度も思った。声の高さは違うのに似ているように聞こえるのは発声が似ているのだろうか。

今回で勝頼も終わってしまったけれど、あまりにもかっこよかったので記録します。


さて家康の話も面白くなってきた。家康の徳川家は大企業・織田の下請け子会社でしょうか。親会社・織田の傲慢な社長・信長に無理難題を押し付けられて毎回困っている。

先週、瀬名と信康が亡くなってそれで家康は心を閉ざしました。秀吉も変化に気付いているし、信長も家康は「心を見せないようになった」と言う。以前はよくうろたえて泣いていた家康もやっとそれらしくなってきたか。

この大河では明智光秀がいや~な感じなのがまた面白い。『麒麟がくる』の光秀は不器用だが実直な男に描かれていたけれど、このドラマの光秀は嫌味。しかし実際に宣教師のルイスフロイスは光秀のことをかなり悪く書いているらしく、今回はそのようなイメージのキャラクター設定かもしれませんね。

今年は毎回の感想は書いてませんが毎週気楽に楽しんで見てます。最初は演出に戸惑うこともあったけれど、だんだん馴染んで面白くなってきた。



2023年7月6日木曜日

映画『オクトパスの神秘: 海の賢者は語る/My Octopus Teacher』(2020):中年の僕がタコ先生に癒される話



YouTubeに日本語字幕の映像も出てます


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『My Octopus Teacher (2020)/米/カラー
/1h 25m/監督:Pippa Ehrlich, James Reed』
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またまた旦那Aのオススメで見た映画。以前見て面白かったから見ろと言う。最近は見る映画のほとんどが旦那Aがらみだ。いかんね。見たいものは自分で探さなきゃ。

原題の直訳は『僕のタコ先生』。Netflixにて。この作品は2021年度、第93回米アカデミー賞の長編ドキメンタリー映画賞を受賞。その他各種受賞。


この映画、私はてっきり海洋生物学者の実験モノだとばかり思っていた。そのような動物もののドキュメンタリーはよくある。動物学者たちは昔はゴリラに手話を習わせていたし、犬や猫はもちろん、カラスにゲームをさせて知能のテストをしたり、オウムやインコに芸をさせたりする。このタコ先生の話もタコにそのような実験をし、観察して記録したドキュメンタリーなのだろうとばかり思っていた。もちろん主役はタコ。あくまでもタコの映画だろうと思っていた。

ところがこの映画は違った。主役はあくまでも中年のおっさんだ。中年のおっさん/クレイグ・フォスターさんが(たぶん)Midlife Crisis/中年の危機で落ち込んでいた時に海で素潜りをしていたらタコに出会い、1年をかけてそのタコ先生と親しくなる間に元気を取り戻したという話。あくまでもおっさんのリカバリー/再生の物語である。

気になったのはその語り口だけなのですけどね。最初は戸惑った。「僕が、僕が…」と主人公のおっさんが身の上話をしているので「私は何を見ているのだ、実験は?早くタコ先生を出せ」と思いながら見た。そしてクレイグさんが海に潜り始めてタコ先生に出会う。その頃には美しい映像に魅了されていたけれど。


★ネタバレ注意

あらすじ
南アフリカ出身のクレイグ・フォスター氏は元々野生動物を撮影する映像作家。以前はアフリカのライオンを撮ったりしていた。カメラ機材にも触りたくないほど気持ちが沈んだ時期があって、癒しを求めて海に潜り始めた。そこで出会った不思議な生物・タコ。タコへの興味が彼をまた撮影に向かわせた。1年をかけて毎日観察を続け、撮影が終わった後にはクレイグさんはすっかり回復していた。


PROS

映像が美しい。それだけでも見る価値がある。タコ先生もいいが、それ以上に南アフリカの海の中の風景がとにかく素晴らしい。Kelp/昆布の林を抜けて泳ぐ景色にうっとり。まるでスターウォーズの映画の風景かと思うような異世界。とにかく美しい。

最近はやっていないけれどシュノーケリングは私もやる。ハワイの海は色々と潜った泳いだ/浮かんだが、あの青い水の中を泳ぐ心地はなかなか他とは比べられない。水が肌に馴染み、目に見える景色の美しさに心奪われながら、同時に(身の危険への)恐れを常に頭の隅に感じ続ける。自然に浸り、心を無にして神経を集中させる。確かに海の水に馴染むことは心の状態を良くする効果があるのだろうと思う。この映画のクレイグさんもスキューバのタンクを背負うことに違和感を感じてシュノーケルのみで潜っていたけれどその気持ちはわかる。自然を邪魔しないようにひっそりと海に馴染む。いいですねぇ。あの昆布の林は泳いでみたい。

全編、美しい海を見てうっとりする。撮影もプロのチームだから映像の全てが美しい。海がとにかく綺麗。それだけで十分OK。

タコ先生との友情も(100%信じられるとは思わないが)かなり面白い。信じて感動するというよりも「本当だろうか」と驚いたり疑ったり。素直に受け取れないのは私の中にある偏見のせい。これが脊椎動物・魚やペンギンやラッコとの友情ならもっと納得したと思う。しかし相手がタコ先生だからこそこの映像は特殊で貴重。


CONS

前述の誤解のせいで最初は随分戸惑った。語り口が「自由に生きるタコ先生に救われる僕のストーリー」だからだ。実際にはタコの観察日記なのに語り口があくまでも人の回復の物語なので、BBCあたりの動物モノのドライなドキュメンタリーに比べると随分ウェットでセンチメンタルな印象でそれに暫く慣れなかった。「おっさんが癒される話」がメインならそういう話だと事前に知っておくべきだったのかもしれぬ。

International Movie Data Base(IMDB)でスコアを低くしたレビューアーの文を読むと、同じような印象を持った人は私だけではないらしい。彼らの中には「タコ先生とトモダチになったのなら、なぜタコ先生がサメにやられるのを助けなかったのか」と憤っている人もいるがそれは私は気にならなかった。BBCのドキュメンタリーなどを思えば、自然の弱肉強食の様子を撮影するのはあたりまえ。動物モノの映像はドライに撮影するのが普通なので、クレイグさんもプロとして自然をそのまま撮影したのだろう。確かにそのような自然の動物の撮影のドライさと、「僕のタコ先生」への愛情の表現が、度々入り乱れるため多少混乱させられるのは事実。

個人的にもっと気になったのは、この話がどこまで脚色でどこまでが本物だったのかが不明なことだろうか。語り口はあくまでもクレイグさんとタコ先生の…一人と一匹の話なのだけれど、現実にはクレイグさん以外にも撮影スタッフがいることは明らか。彼の泳ぐ様子を、スタッフが近くから遠くから撮影している映像が度々出てくる。

また映画の詳細を見たら、脚本があるのですね。もちろん監督もいる。当り前の話だけれどこの映画は、「男性がタコとの友情を独白するドキュメンタリー」のように見せながら、実は数名の撮影スタッフが常に一緒にいて、(クレイグさん御本人ではなく)監督がいて脚本があって…と、意図的にストーリーが作られた(編集された)ドキュメンタリーなのだろうと後から知って少し萎えた。

この映画は、おそらく『人とタコ先生の友情物語』のパーソナルな語り口がエンタメとして観客を魅了したことで結果沢山の賞を受賞することになったのではないかと想像するが、私個人的にはその「作られた部分」がむしろ気になった。

例えば最後にタコ先生が繁殖期に入る前、クレイグさんと別れのハグをする様子があったけれど、あれはまさか本当じゃないだろう。「餌を持ってるんじゃないか」と勘ぐった。申し訳ない。

動物モノのドキュメンタリーは、私はあまり人間の「意図や感情」が出てこないほうがいい。だからBBCのドライな自然モノのドキュメンタリーやNHKの『ダーウィンが来た!』の方が単純に感動したりする。


というわけで語り口の好みの問題で多少は戸惑ったけれど、それでも十分面白かったです。映像がとても綺麗だった。

タコは頭がいい生き物だということは以前から聞いていた。もしかしたら将来はタコかイカが陸に上がって知的生物として闊歩する時代もあるかもしれぬ…というドキュメンタリーを以前(これも)BBCで見たけれど、本当にそうなら実際にタコの知恵も見てみたいものだと思う。ゲームの実験などできないものだろうか。

それから、知恵と感情は別のものだと思うので、この映画で実際にクレイグさんとタコ先生が本物の友情を育んだのかどうかは私には信じられなかった。やらせ…の言葉が頭に浮かんだのは致し方なし。だってタコが人間を好きになるかね?友情を感じるのか?そもそもタコに友情のコンセプトなど理解できるのか? その辺りの本当のところも知りたいものだと思う。

文句を言いながらもこれだけ色々と考えているということは、動物モノのドキュメンタリーとしていい作品のだろうと思います。もう1回見ようかな。



2023年7月2日日曜日

お猫様H:夏至の頃まで



5月22日 11:29
6月9日 11:42
6月15日 11:06
6月20日 11:10 翌日は夏至
6月13日 11:58 階段はキャットタワー


2023年6月29日木曜日

Maia Wright and NOTD – AM:PM (2023)



良曲


Maia Wright and NOTD – AM:PM (2023)
AM:PM - Single
NOTD , Maia Wright
Released: March 24, 2023
An EMI Sweden release; ℗ 2023 NOTD AB, 
under exclusive license to Universal Music AB



アメリカのダンスチャートに入っているとYouTubeで見たのだけれどWikipediaの情報ではチャートインしていない。しかしすごくキャッチーないい曲。

ポップでメロディも親しみやすく音も凝っていて、ポップスとダンスの中間ぐらいの質感。すごく心地よい曲。今どきこういう気持ちのいい曲はなかなかない。なんだかちょっと前のPerfumeの曲の音にも聞こえますね。キラキラ。


★NOTD
スウェーデンの人気音楽プロデューサーのデュオ。メンバーはTobias DanielssonさんとSamuel Brandtさん。大物アーティストのコラボ多数。

★Maia Wright
Maia Linnea Wrightさん。1997年生まれのスウェーデンのシンガーソングライター。デビューは2017年。


このストーリーの二人はどうやらバーにいるらしくて、
And I feel the night fading
…の意味は、夜も更けて夜の賑わいも静かになり始めたころ…ということらしいです。それで彼女は「まだ眠くない、帰りたくない」と言っている。スキスキモードだな。
 


AM:PM
NOTD , Maia Wright
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私すぐに恋に落ちるの
それにダメになるまで複雑にしてしまう
私ちょっと怖がってる
だから もうお喋りはおしまい
流れにまかせよう この成り行きのまま
そばにいて

ずっとこんな気持ちでいたい
ちょっと無謀かも, babe
私達何でも好きなことができるわ
Yeah, ずっとこんな風に感じていてもいいでしょ
あなたに私の目の前、真ん中にいて欲しいの
私はあなたの日常になれるから, ooh

Ooh, 欲しいのはあなただけ
あなたの全ての愛を四六時中ちょうだい
午前も午後も
Ooh, 欲しいのはあなただけ
私達このまま進んで 止まらない
AM:PM

AM:PM

一秒だって無駄にしてない
夜が終わりかけてるのを感じるけど 
でも私は眠くない まだ行きたくない
だから これを無駄にしないで
いいわよショットを飲み干して 私の唇はチェイサーね
家には帰らない

永遠にこんな気持ちでいたい
ちょっと無謀かな, babe
何でも好きなことができるでしょ
Yeah, ずっとこんな風に感じていたい
あなたに私の目の前、真ん中にいて欲しい
私はあなたの日々のルーティンになりたい, ooh

Ooh, 欲しいのはあなただけ
あなたの全ての愛を 四六時中ちょうだい
午前も午後も
Ooh, 欲しいのはあなただけ
私達このまま進んで 止まらない
AM:PM

AM:PM

永遠にこんな気持ちでいたい
ちょっと無謀よね, babe
私達好きなことをしてもいいでしょ
Yeah, ずっとこんな風に感じていたい
あなたに私の目の前、真ん中にいて欲しい
私はあなたの日常のルーティンになりたい, ooh

Ooh, 欲しいのはあなただけ
あなたの全ての愛を 四六時中ちょうだい
午前も午後も
Ooh, 欲しいのはあなただけ
私達このまま進んで 止まらない
AM:PM

AM:PM
AM:PM

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Songwriters: Samuel Brandt / Tobias Danielsson / Maia Wright / Grant Boutin / Devan Glover



2023年6月28日水曜日

ANOTR, Abel Balder - Relax My Eyes (2022)



リラックス


ANOTR, Abel Balder - Relax My Eyes (2022)
Relax My Eyes – Single
ANOTR, Abel Balder
Released: November 4, 2022
℗ 2022 NO ART


この曲はここ数週間、英国と米国の両方でダンスチャートに入っている。単調でちょっと昔の音に聴こえるので、どうしようかと思ったのだけれどやっぱり記録しておこう。

もしかして今のダンス曲界隈って2000年頃のアシッドジャズあたりの音がまた流行ってるのか。ロンドンで2000年頃に聴いてたアシッドジャズのバンド Down To The Bone の音によく似ている。1970年代のディスコやフュージョンの影響を受けた2000年ごろのロンドンの音が、2023年の今また流行っているのか。今こんな感じの曲は他にもチャートにあがっていますね。

それにしても今どきの若者達の集うダンスフェスだかなんだかの映像が上がってますが、本当に今の若者文化は私達の頃とは違う。私の世代が若かった頃は、バンドがいて、ステージ上のバンドに観客が一方的に声援を送るのがライブのスタンダードだったのだけれど、今のDJのショーは、若者達が集って観客の仲間同士がお互いを見ながらわいわい騒ぐ…という楽しみ方らしいですね。世代が違うわ。私にはできないぞ。


★ANOTR
オランダ・アムステルダム在住のDJデュオ。メンバーはJesse van der HeijdenさんとOguzhan Guneyさん。2012年に活動開始。自分達のレーベル「NO ART」を2017年に設立。様々なフェスに呼ばれて人気だそう。ハウスでありながらも新しいアプローチを探しているそうで、その影響はdisco, soul, funk, jazzなどなど。温故知新ですね。

★Abel Balder
この曲では歌を担当。オランダ・アムステルダムのアーティスト。インストのダンス曲がSpotifyで2.5億のストリーミングされるほどの人気だそうだ。ANOTRのデビューアルバム『The Reset』に最初はギターで参加。そしてこの曲「 Relax My Eyes」では歌を担当することに。その声の評判が良く、御本人もこれからは歌を表現の方法として取り入れようとしているそう。ボーカリストとしての目覚めだな。


歌詞は「皆でリラックスして踊ろうよ」と繰り返し歌っているのですが、大きな権威に騙されないようにとのメッセージがちょっとだけ出てくる。
● I feel the rise in the brother's eyes but we're not alone
の意味がわからなかったので旦那Aに聴いてみたら、これはオーウェルの『1984』のビッグ・ブラザーのブラザーではないかと言った。若者を監視するビッグ・ブラザーの目の力が強くなりつつあるのを感じるけれど、
● We'll see the signs when the kingdom dies and we'll all be free
(権威の)王国が死に絶える兆しが見えるだろう、そして僕らは皆自由になる。…とかなんとか。ああ確かにそうかも。納得。ということでそのような訳。正しいとは限りませんが。


Relax My Eyes
ANOTR, Abel Balder
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Relax my eyes, フラッシュライトが見える、僕らは孤独じゃない
君は元気?向こう側で 君を近くに感じるよ
僕は生きてるって感じる。ドラムの音は高く、ベースは低く
心を開いて 一晩中踊ろうよ 他に行きたくない

社会の嘘から 僕らの心を解放して 自分でコントロールしよう
ブラザーの目が力を増しているけれど でも僕らは一人じゃない ● 
王国が死に絶える兆しが見えるだろう そして僕らは皆自由になる ● 

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2023年6月26日月曜日

映画『さよならゲーム/Bulls Durham』(1988):男目線の古クサい野球浪漫・女性の描き方が古い





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『Bull Durham (1988)/米/カラー
/1h 48m/監督:Ron Shelton』
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この映画のリリースは1988年。私が最初にこの映画を見たのはたぶん1990年ごろ、日本でのTV放送で吹き替えだったと思う。スーザン・サランドンの役が野球選手のグルーピーだったことだけ記憶していた。

1988年といえば、アメリカのヒットチャートではマドンナやプリンスが常連だった頃。日本はバブルの真っ只中。ニューヨークでは不動産王ドナルド・トランプがブイブイ言わせていた頃で、アメリカも日本も色々と派手で元気がよかった時代。

監督は『White Men Can't Jump』でも知られるRon Shelton氏。1945年生まれの彼は1988年当時43歳。1950年代から70年代にアメリカに育った男なら、誰もが愛しく懐かしく思うだろう田舎町のマイナーリーグ。この映画はアメリカの中年男にとっての…彼らが子供の頃に親しんだマイナーリーグを思い起こさせる懐かしい雰囲気の映画なのだろう。 

1988年頃…アメリカの都会は騒々しく派手な時代だったけれど、田舎町のマイナーリーグには昔と同じおだやかな時間が流れていた。米国の映画界がまだまだ男の世界だった80年代後半に、男の目線のみで作られたユーモラスでノスタルジックな男のための野球浪漫おとぎ話。


実は私が1990年頃にこの映画を最初に見たときの印象は「グルーピーの話」というものだけ。当時の私は野球に全く興味がなく、メジャーやマイナーが何かもわからないほどの無知。だからマイナーリーグを描いたこの映画には「グルーピー」意外の言葉に引っかかるものが何一つなかった。

そもそも当時はアメリカのことも全く知らなかった。マドンナやプリンスを聴き米国に関するノンフィクションの本や雑誌の記事を読んでアメリカに憧れても、現実のアメリカのことなど知るよしもなし。この映画も「ふ~ん、アメリカの野球の話か…」ぐらいの薄い印象しかなかったのだろう。「アメリカの女性はさばけているな」と。「野球選手のグルーピー…彼女は自立していて自由恋愛を楽しむアメリカの強い女性なのだな、マドンナも強い女だもんな、アメリカの女性はすごいもんだね」と、どちらかと言えばポジティブな感想を持ったのだろうと思う。

今回見て、スーザン・サランドンの相手がティム・ロビンスとケビン・コスナーであることを思い出したが(私は忘れていた)、あの二人とのロマンスなら「いいですね」ぐらいは思ったかもしれぬ。あの頃の私はとにかくアメリカの女性は進歩的で自由だと感心したのだろうと思う。


今回この映画を見たのは、旦那Aがまたまた勝手にTVでの放送を録画して「見よう」と言ったから。「それグルーピーの話でしょ。あまり覚えてないけど」「僕もあまり覚えてないんだよ。まぁ野球の話だから面白いよきっと」。というわけで見始める。見始めたら私には結構退屈で「これよりも今日のMLB好プレー番組『Quick Pitch』の方が見たいなぁ」などと思ったりした。

あらためて2回目に見たこの映画はかなり時代遅れな印象。それにしてもこのグルーピー、結構年を取ってますね。スーザン・サランドンってこの時42歳?え~っ?これって40代か30代後半のグルーピーの話だったの?

一番の問題はそこ。これはただのロマンティックコメディではない。すごく色んな事情が後ろに見える。もう深読みし始めたら…なんだろうね…これ、かなり酷い話じゃないか。しかし最後はハッピーエンド。哀愁か。浪漫に哀愁。あ~そうか中年男がうるうるしそうな話か。


見終わって旦那Aは「いい映画だったね」と言う。彼は子供の頃、地元のマイナーリーグの試合を見に行ったことを思い出したらしい。ノスタルジア。中年のアメリカの男にはほのぼのとしたいい映画なのだろう。1980年代の古臭いイメージも心地よいのだろう。男にとっては「いい映画」なのだろう。懐かしい浪漫なのだろう。


しかし女のワタクシは…色々と思うところがありましたよ。というわけでそのことを書く。

若い頃に見た時と自分が中年になった今とで、これほど印象の変わった映画も珍しいかもしれぬ。
1回目にはどちらかと言えば(無邪気に)スーザン・サランドンのキャラに感心していたのに、今は…現実が見え過ぎて悲しすぎる。この年老いたグルーピー、悲惨じゃないか。男には優しいお姉さんだろうけれど。女性には…色々とキツイ映画。 

ちなみにこの映画はその年の賞取りレースで沢山賞を取っているらしい。特に(アカデミー賞を含む)脚本賞を6つも受賞している。びっくりだ。私は「うわ~台詞がクサいクサい、こんなに安っぽい台詞を言うのかね」などとあきれていたのに笑。いや~わからんな。時代が違うのか。1988年は遠くなりにけり。


これから書くことは辛口なので、映画をまだ見ていない人、純粋に楽しみたい人はお読みになりませぬよう。これは私の自分用のメモ。なぜ私がこの映画に違和感を感じたのかを書く。無粋でみもふたもない感想だと思います。

この映画の印象があまりにも前と違うということは、私があの時代からそれだけ変わったということなのだろう。

アメリカに直接関わって、今なら私にもアメリカのことが少しはわかる。年を取ったから女の生き方、女の幸せを考えてきた時間も長い。この映画の印象が前とは全く違う…つまり35年前と今の私は全く違う人間なんだね…ということがよ~くわかった。個人的にそれがすごくショックだったし面白いとも思った。



★ネタバレ注意

ストーリーは、米国ノースキャロライナ州の(実在の)マイナーリーグ・シングルA(1980年代当時)のチーム Durham Bulls のワンシーズンの話。シングルAのチームとは、メジャーから数えて5番目に位置する下位のマイナーリーグ。そのリーグの順番とは上から…

 ・Major League(メジャー)
 ・Triple-A / AAA (トリプルA)
 ・Double-A / AA (ダブルA)
 ・High A / A+ (ハイA)
 ・Single-A / A (シングルA)
 ・R / ROK (ルーキーリーグ、またはコンプレックスリーグ)

そのDurham Bullsに才能のある若いピッチャー(ティム・ロビンス)がやってきた。無邪気で陽気なその若者を地元のグルーピーのお姉さんアニー(スーザン・サランドン)がお世話する。また同チームには年を取って上リーグから下りてきた選手クラッシュ(ケビン・コスナー)もやってくる。彼は過去に21日間だけメジャーでプレーしたことがあった。映画はこの3人の関係を描く。


アニーは何よりも野球を愛する女性。近くのコミュニティーカレッジで教師をしているが、余暇には野球のために人生を捧げている。彼女は自分の意志でそのような生き方を選んだ。誰にも迷惑はかけていない。そんな彼女は毎年、若い選手をかわいがってシーズン中のお世話をする。

今の私にはこの女性アニーが大きな問題。以前(アメリカのことを何も知らずに)この映画を見たときには違和感を感じることもなく、むしろ彼女の自由な生き方に内心感心していたぐらいなのに、今彼女を見ると辛い。アメリカのことが今なら多少わかるから、表には描かれていない彼女の裏の生活も見えてしまう。あまりにも現実の悲惨さが生々しく想像できて苦しくなる。


アニーは30代後半の女性。女優さんが当時40代なのでアニーの設定もそれに近いのだろう。彼女は野球を愛し趣味はグルーピー活動…毎年若い男の子を自宅に呼んでお世話をしながら野球のこともアドバイス。そうやってシーズン中に若者を育て上げる。そしてひと夏の大人の関係が終わったら、また翌年も違う若者を見つけてお世話する。そんなことを彼女はもう20年ぐらいやっているのだろうか。

このキャラクターは監督の考える理想の女性像なのだろうか。シーズン中だけと割り切って選手のお世話をしてくれるお姉さん。彼女はシーズン後の関係を選手に求めないから後腐れもなし。若い女の子のように鼻息荒く本気で選手に結婚を迫ることもない。めんどくさくない女。若者をかわいがってくれる美しいお姉さま。この監督は、スーザン・サランドンを使って「男にとっての理想のお姉さんキャラ」をつくりあげた。

監督、ふざけんじゃねえよ…と思ったわ笑。


ほんとに男はしょーもない。1988年はまだまだ現実に男社会だったのだろうとつくづく思う。こんな自己犠牲的な女性がヒロインなんて、本当にどうしようもない映画。

なんて哀しい彼女の人生。いくら野球が好きだからって彼女はもう30代後半。マイナーリーグ野球選手の有名グルーピーの彼女の評判はそのローカルのチームの界隈にもよく知られている。同時にノースキャロライナ州の保守的な田舎町なら、彼女は近所でもよく名の知られた罪深いふしだらな女なのだろう。そんな罪深い女を心から愛してくれる男性や親しい女友達は、保守的な町にはいないのだろう。彼女は人に後ろ指さされる人生を長い間生きてきて、もう後戻りができなくなっている。しょぼい田舎町のマイナーリーグで、延々と20年間もグルーピーをやってるなんて…。そんな人生あまりにもひどすぎる。

彼女はなぜいまだに30代後半になってまでグルーピーをやってるのか?なぜなら毎年過去20年間も沢山の野球選手との恋を楽しんでいながら、彼女にはそれまで誰一人として「俺と一緒にメジャーに行こうよ」と本気で愛してくれた人がいなかったからだ。

彼女はいつグルーピーを始めたのだろう?輝くほど美しかった20代前半。もしかしたらティーンの頃だったのかもしれない。彼女はなぜそんなことを始めたのか…その理由は、彼女がただかっこいい野球選手に近づきたかったから。若い頃はそれがとても楽しかったのだろう。

しかし現実の今の彼女は毎年ワンシーズンだけで使い捨てされるだけの(男にとっての)便利な女。そんなことをもう20年間もやっている女が、本当に「私は野球そのものを愛しているのだからそれで幸せ」などとと言えるだろうか?言えないと思う

この映画の彼女のキャラクターはあくまでも男性から見て「都合のいい理想の女…ちょっとかわいそうだが愛すべきいい女」なのだろう。彼女はホイットマン、スーザン・ソンタグ、ウィリアム・ブレイクの名前を会話に散りばめるインテリ。1970年代の女性解放運動/ウーマンリブの時代を経て、80年代の新しい時代を生きる彼女は、自分の意志で男達と刹那的な恋を楽しむ現代的な女。そして「野球への愛」の名のもとに自分からは何も要求することなく、毎年若い野球選手のお世話係を務めている。彼女は一見イケてる進歩的な女。しかしあまりにも長い時間が流れ過ぎた。一番の問題は、彼女が自分自身を長年粗末に扱ってきたことに気づいていないこと。

そんな女性を男目線で「愛すべき女性」に仕立て上げ、大人のラブストーリーの映画を撮った古臭い監督の価値観に私は頭がくらくらするほど唖然とした。このような女性像を描いた脚本に賞を与えた当時の映画業界にも驚いた。当時は価値観が今とは全く違っていたのだろうと思う。

最後はケビン・コスナーが「ものずき」で親切な男でよかったですね。彼女にもとうとう本命のいい男が現れた。しかしその恋の設定も「かわいそうな女をいい男が救ってくれる話」にすぎない。彼女は自分で自分を救えなかった。彼女の幸せは男次第。なんと古臭い話だろう。

しかし現実には、彼女のような女にケビン・コスナーなんて現れない。

古臭い昔の男の目線のみで男の子供じみた戯れとノスタルジーを描いただけの映画。中身は無い。ヒロインは男に救われる哀れな女。それをロマンティック+ノスタルジックな映画としてリリース。それが1988年の名作と呼ばれる。 …1980年代後半の時代と今の時代との価値観の違いにあまりにもショックを受けたために、肝心の「ユーモラスなマイナーリーグの話」の部分が私の頭にはほとんど響かなかったのは残念。これが名作映画なんて冗談だろうと思う。まぁ「男だけで勝手に懐かしがってくださいね」と思った笑。