ここ数年、水仕事をしていて気になることがある。
手が乾かない。
料理をしたり食器を洗ったりした後、私の手はタオルで拭いてもなかなか乾かなくなった。どうも勝手が違う。それにとても不便だ。
例えば野菜を洗ってタオルで手を拭く。すぐに冷蔵庫のドアを開けようとして手がまだ濡れているのは困る。手が湿っていれば戸棚からガラスのコップを取り出すのも困る。猫のお皿を洗い終わって猫と遊ぼうとしても、手が濡れていてはすぐに猫にさわれない。なぜなら湿った手には猫の毛がよくくっつくからだ…また手を洗いに行かねばならなくなる。普段からよく手を洗う人間なので、次の事を始める前にいちいち手を乾かさねばならぬのはまた時間の無駄。それでも手を洗わないわけにはいかぬ。…そんな風だから手が乾かないのは大変不便。
以前の私の手は、手を洗った後でもタオルで軽く抑えればすぐに乾いていた。手が乾かなくて不便だなんて考えたこともなかった。なぜだろう? 皮膚の質が変わったのかも知れぬ。
自分の手などは毎日見ているわけで、その肌の質が変わったなどと日々確認などはしていなかった。手のケアも殆どしていない。クリームの類もあまり好きではない。手がベタベタすればそれはそれで不便だし、それに猫が舐めたら彼女の身体に悪そうではないか。
じっと手を見る。確かに肌のハリは無くなっている。よく見れば甲の皮膚がしわしわと元気がない。そういえば最近猫の写真を撮ったら、写り込んだ自分の手があまりにみっともないので慌てて写真をトリミングして手をカットしたこともあった。またある時は外出時の車の中で干からびた自分の手の甲にギョッとして…慌ててハンドクリームを車に持ち込んだこともあった。
要は年を取って手の皺が増えたということなのだ。手の甲を見れば縮緬のようにチリチリヨレヨレと細かな皺のようなものが増えている。手を甲の側に80度ほど反らせれば、甲側の手首に5本ほどの大きな皺が寄る。もう全体にシワシワなのである。そして潤いも無いから、そのシワシワの皮膚に水がつけば若い頃のように弾かないまま水は皺に留まる。だからなかなか乾かないのだ。
それに問題はもう一つある。
手の形も変わったかも知れぬ。最近の私の手は掌の肉付きが良くなっている。それほど体重が増えたわけでもないはずなのに、指は以前よりも太くなっている。全体に丸くなった。先日、もう15年くらい着けていない結婚指輪を着けようとしたら薬指に入らなくなっていた。手首も前より太くなった。確かに昔とは形も違っている。おばちゃんの手になっている。げげ
女には若い頃がある。25年以上も前の女友達の手は皆細くて綺麗だった。彼女達の手は皆「娘」であり「女」だった。私の手も当時はそれなりに「若い女」の手だったのだろう。
同じ頃に見た母の手は「お母さんの手」「おばちゃんの手」、料理の上手な叔母の手も「おばちゃんの手」だった。彼女達はおばちゃんなのだから彼女達の「おばちゃんの手」は当たり前なのだと当時の私は納得していた。また「彼女達の手はいつ、なぜおばちゃんになったのだろう?」とも密かに思った。
その「おばちゃんの手」が目の前にある。女は手がおばちゃんになったらもう本格的におばちゃんなのだと認めるしかない。もう「女の手」を持つことは二度とないのだろう。まぁそんなものなんだろう。そういう年齢になったということだ。
昔の母の手もおそらく今の私ぐらいの頃に「おばちゃんの手」に変化したのだろう。50を過ぎた頃から、女の手は「おばちゃんの手」に変化する。それは身体の中からの変化で起こる現象で止めようがない。水仕事の時のゴム手袋とか、クリームとか、マッサージとか…その変化をゆっくりにする方法はあるのだろうが、身体の中に起こる大きな変化は止められるものではない。な~んだ…そういうことなのか。それは誰も教えてくれなかったことだ。誰に尋ねたわけでもないけれど。
女の手は姿・形を変える。女はある日そのことに気付いてギョッとするのだ。以前から欲しいと思っていた繊細なデザインの指輪はもう私の手には似合わない。石はもっと大きい方がいい。
…いや指輪よりも、大根の皮をむいたりパンの生地をこねた方が似合う手になったということだ。それはそれで悪くない。
これも記録しておこう。おばちゃんにとっても日々ますますおばちゃんになるのは生まれて初めての経験なのだ。こんな風に時々驚かされるのです。