能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2023年4月26日水曜日

映画『イースターラビットのキャンディ工場/Hop』(2011):最初の10分だけ珠玉






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『 Hop (2011)/米・日/カラー
/1h 35 m/監督:Tim Hill』
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先日イースターの頃にテレビでやっていた。ウサギとひよこ?かわいいな。見たいわ。というわけで再度録画予約。やっと見た。



★以下冒頭のシーンネタバレ注意




まずウサギの偉人の肖像画を見せられる。そして軽快なリズムで映画スタート。海上を飛ぶカメラからの映像が島に徐々に近づいていく。ワクワクする。岸壁にはモアイが並んでいる。イースター島ですね。そしてカメラがモアイの頭にフォーカスすると、頭の上で子ウサギがドラムを叩いている。

うわ~~~~かわいい💕
かわいいかわいいかわいいかわいい💕
心が溶ける。これはきっといい映画よ。

そしてパパうさぎがやってきて子ウサギと会話。一緒にパパの経営するキャンディー工場へ行く。その工場のカラフルで美しいこと美しいこと。ひよこが沢山いる。目を見開いてわ~すご~い…とわくわくする。嬉しアドレナリンが出る。この工場ではイースター用のキャンディーやチョコレートを作っているのですね。

そして出来たお菓子は、パパウサギの操るイースターひよこ車で世界中の子供たちに届けられる。深夜に目を覚ました主人公の少年。少年が目撃するイースターひよこ車。…ああなんと夢のある。なんと美しい。なんと素敵な…。

ここでこの映画は終わりでよし。



★ネタバレ注意



少年のシーンが終わるとすぐに「その20年後」になる。少年も大人になった。

この大人になった青年…20年後のフレッドは30歳ぐらいだろうか? 彼はずいぶんいいかげんで子供っぽい30歳。そのフレッドを演じるのがJames Marsden。

一方イースター島の子ウサギE.B.も10年後には大人になっている。イースター島で育ち、パパの後を継いで工場長になるように言われているが、本人は都会に出てドラマー(ミュージシャン)になりたいと言う(夢を追うウサギ)。その声を演じるのは英国のコメディアンRussell Brand。


なんだろうな…こりゃ。なんか…う~ん。なにがいけないんだろうと考えたくなる映画。全てにおいて中途半端。

あくまでも子供向けの映画なのですよね。小さい子供が見て喜ぶ映画。ウサギのキャラクターはかわいい。ひよこもたくさん出てくる。私もそれに魅了された。冒頭のCGのシーンには確かにわくわくした。

それなのに、実写の人間が出てきてから全く面白くない。なんでこんなに面白くないんだろうと考えたくなるほど。なぜだろう。


まずJames Marsdenさんが子供っぽい大人30歳を演じているのが妙。子供向けの映画だとはいえ、こんな30歳は実際にはいない。それが全編違和感につながる。

軽薄でいい加減な青年のキャラは全てがわざとらしい。演技も、無理して元気に明るく面白く演じてないか?それに彼は行動が乱暴気味なのもいけない。あまり魅力的な人物ではない。いやあのキャラで30歳ならむしろ不快。なぜフレッドのキャラを、冒頭から10年後に設定して20歳ぐらいの若い俳優にしなかったのだろう?

Marsdenさんにフェアであるよう記しておこう。インタビューで彼は「CGとの共演(撮影の方法)が難しかった」と言ってます。だから演技も妙な感じに見えたのかも。


ウサギはかわいい。Russell Brandの声も問題ない。CGは十分良し。CGのウサギが人に抱っこされたり、走る犬の背中に乗っていたりするのも自然。うまいものだと思う。


ストーリーは…

単純ですね。夢を追う若ウサギが都会で波にもまれ…最後になぜか人間を島に連れ帰る。そしてパパの工場はあやうく悪ひよこに乗っ取られようとしていた。連れ帰った人間とともに、悪ひよこをやっつける。そしてめでたしめでたし。

もっと大きな普遍的フォーマットというのなら、この話は…ウサギにとっては「若者が都会に出て波に揉まれ、その後故郷に帰ってきて落ち着く…サマセット・モームの『人間の絆』みたいな話(ウサギの絆、ひよこの絆)」だろうか笑。ウサギは大人になったのね。 人間フレッドの話としては全くわからん話だけれど笑。


色々ときつく批評したけれど、子供向けの映画は見て嫌な思いはしないのですよ。だからそれほど嫌いではない。ただあまり優れていなかったね…という程度。 ウサギはかわいいし、(鶏に成長しない)スペイン語訛りの悪ひよこも珍妙、彼らのかわいらしさだけでニコニコ見ていられる。だから「変な映画だわね」と言いながらも結構楽しめた。。


年を取ったせいなのか、ここ数年、若い頃に面白かったタイプの映画(恋愛もの、サスペンス緊張系、大人セクシー系、謎解き頭使う系、社会問題系)を真面目に見て唸るのがめんどくさくなってきている。特に歴史ものは…素材にそれなりに思い入れがある場合は…今の制作の現場の世代とのセンスが違い過ぎて違和感を感じるものがとても多い。そして暴力描写はことごとく避けたい(痛いから)。ブロックバスターのジェットコースターライドも疲れる。

そうなると、まぁ子供用映画は人畜無害。それでよしよし。特にCGアニメのきらびやかさにはやっぱり心を奪われる。色が綺麗なのはいい。

子供向けのCGの映画はこれからも見ていこうと思います。



2023年4月19日水曜日

映画『エルヴィス/Elvis』(2022):もっとエルビスを見せて!






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『 Elvis (2022)/米・豪/カラー
/2 h 39 m/監督:Baz Luhrmann』
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オースティン・バトラー 100点!いや130点!200点!座布団100枚!
編集・映画そのもの   20点 長過ぎる うるさい編集
トム・ハンクス     マイナス50点!出てくるだけで苦痛


去年の年末に見た映画シリーズ。テレビでやっていたので録画した。

まず尺が長過ぎ。編集が細切れで落ち着きがない。トム・ハンクスが出過ぎ。これはエルビスじゃなくてパーカー大佐の映画ですね。騙された感じ。トムハンクスが出てくるたびにうんざり。トムハンクスを編集で外して90分みっちりオースティン・バトラーを見せてほしい。

オースティン・バトラーのエルビスは素晴らしかった💕


監督はあの『Moulin Rouge!』(2001)のBaz Luhrmannさん。あの映画は確かに面白かった。華やかで楽しくてゴージャスで猥雑で嘘っぽくてすごくよかった(1回しか見ていないけれど)。あの軽いゴージャス・エンタメのノリでエルビスの映画を撮ったということかと最初は思った。


最初から忙しい編集には閉口。それでもまぁBaz Luhrmannだからしょうがないよねと我慢。それよりもオースティン・バトラーがいいじゃん。かっこいいじゃん…というわけで見続ける。しかしそれにしても忙しい編集だ。

ところが編集の落ち着きのなさを我慢しながら1時間、1時間半…と進んでいくうちに首を捻り始める「これってエルビスの映画なのか?」「エルビスのかっこいいステージの場面や活躍が全部ぶつ切りで、全部トムハンクスが被せて喋ってるじゃん」。

そう。トムハンクスが出過ぎ。すごく邪魔。イライラさせられる。あのアクセントも声のトーンも、もう頼むからトムハンクス出てこないでくれ。



もったいないのですよ。オースティン・バトラーが素晴らしいから。彼のエルビスが素晴らしいの。このエルビス役に金髪のバトラーさんを選んだキャスティング・ディレクターに大きな拍手。素晴らしい素晴らしい。


私はエルビスのファンであったことはない。アメリカ人と関われば、エルビスがアメリカのスーパースターだったという評判はよく聞こえてくるけれど、私は彼の音楽もルックスもそれほど好きなわけではない。時代が違い過ぎる。

だからこそ私は映画でエルビスの輝きを再現してくれることに期待した。エルビスの魅力を見せてくれればそれでいい。この映画をきっかけにエルビスに興味を持てればもっといい。最初はまったく期待していなかったのだけれど、

オースティン・バトラーがかっこいい


それでOK、OK。いや~かっこいい。しかしよくあの明るい印象の俳優さんをエルビスみたいな濃厚なキャラにキャスティングしたものだと思う。むんむん。素敵。彼のエルビスを見るだけでもいい。

こういう(現代のスターの)伝記ものの映画は、どうしても俳優さんのモノマネ大会になってしまうのが普通なのだろうけれど、バトラーさんのエルビスはモノマネ以上。雰囲気がいい。声がいい。私はエルビスの古い映像を見てもかっこいいと思ったことはないけれど、バトラーさんのエルビスはいい。

確かにこの映画の撮影チームはエルビス/オースティン・バトラーの魅力を捉えることには成功しているのですよね。文句なし。本物のエルビスと役者さんを比べて、顎の大きさや身体の厚みを考えれば、必ずしも本物のエルビスにそっくりだとは言えないのだろうけれどこのエルビスは魅力的。それならいい。

こういう映画なら、エルビスがステージで輝く様子を見せてくれればいい。ステージで歌う男の魅力をキラキラさせてくれればそれでよし。当時の女性達にとってエルビスがどんなに魅力的なスターだったのかを想像させてくれれば…そして観客の一人の私もほぉ~と言わせてくれればそれでよし。バトラーさんはその仕事をきちんとやっていると思う。そして彼の魅力を捉えた撮影もいい。


だからこそ問題は編集。うるさいうるさい。この監督さんは今の若者をターゲットに映画を撮ったのだろうか…とにかく編集に落ち着きがなくてイライラさせられる。いい場面かな~と画面に見入ると3秒で他の映像に切り替わり、また戻ってきたからエルビスを見ているとすぐに他の映像に切り替わる。そしてトムハンクスの声が絡んでくる。

なんだか映画のトレーラーか総集編をみているようだ。

画面が秒ごとにコロコロ切り替わって落ち着いて見ていられない。エルビスのステージの様子をぶった切りにして画面を切り替える編集にだんだんイライラして疲れてきて、最後は「もうトムハンクスひっこめうざ~」と文句も言いたくなる。そして「早く終わんないかな…」だってこの映画、2時間30分超えですもん。長いわ。長過ぎ。トムハンクスを全部カットして90分ぐらいに編集しなおして欲しい。

トム・パーカー大佐のナレーションとか、彼がいちいち何を考えていたのかとか、彼がその後どうなったのかとか、全くいらない。パーカー大佐なんて全く興味なし。全然なし。

エルビスが出演した映画の撮影の話をもっとして。ステージをもっと見せて。もっともっとエルビスの活躍を見せて!

そもそもこの映画のタイトルは『Elvis』。それなのにこの映画はパーカー大佐がエルビスを見て、経験して、考えた映画…これは大佐の映画なのだと2時間以上見続けた後で気付いてがっかり肩透かしで文句ブーブー。


そんなわけで近年稀に見る

もったいないな~



と思った映画でした。エルビス/オースティン・バトラーのかっこよさに魅了されて、もしこの映画をエルビスのステージの様子を中心にエルビスの視点で彼の人生を描いたらどんなにいい映画になっていただろうかと思う。惜しい。もったいない。実にもったいない。

オースティン・バトラーは髪の色を濃くしたことで、青い目が強調されて本当に素敵。できればオースティン・バトラー/エルビスのステージのシーンの映像を再編集してMusic Videoとして全曲分見せて欲しい。

このエルビスはいい。それだけは本当によかった。💕



2023年4月12日水曜日

映画『パディントン/Paddington』(2014):ニコル・キッドマンにもっと毒を






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『 Paddington (2014)/英・仏・米・中/カラー
/1 hour 35 minutes/監督:Paul King』
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去年のクリスマスの頃に見た映画の感想メモ・シリーズ。Netflixで。

これも見ていなかったので見ようと思った。去年のエリザベス女王のPlatinum Jubileeの映像で出てきたPaddington熊。女王様に向かって熊が「マーマーレード・サンドイッチはいかがですか?もしもの時のためにいつも持ってるんですよ」と問えば「So do I. I keep mine in here./私もよ。私もここに持ってるの」と女王様が答える。あのPaddington熊。そういえば映画を見ていなかったな。じゃあ見ようか。


ここのところ思い立って去年の年末に見た映画の感想をメモしておこうと見た映画をリストアップして感想文を書き始めたのだけれど、実はこの映画のことはすっかり忘れていた。見たことさえ忘れていた。印象に残らなかったということだ。

トレイラーを見ていて思い出した。あ そうそう ニコル・キッドマンが悪役だっけ?

英国の子供向け映画。原作もあるらしい。そのキャラクターは昔から有名。ぬいぐるみも売っていた。Paddingtonの駅に行った時も「あの熊の…」と思った記憶があるので、Paddingtonのキャラクターぐらいは知っていたのだろうと思う。

というわけで見て…まぁ普通の子供向け映画。あんまり面白くないですかね。

一番の問題は中途半端なニコル・キッドマンの悪女ぶり。
ニコル・キッドマンがらみのプロットに無理がある。
そして熊があまり可愛くない。


この映画のInternet Movie Databaseのスコアは10点満点の7.3点。Rotten Tomatoesでのプロの批評家のスコアは驚くなかれ97点!ほおおおそうか。すごいハイスコアなのね。おまけにBAFTA Awards (British Academy Film Awards)では2カテゴリーにノミネートされ、Writers’ Guild of Great BritainではBest Screenplay受賞。Empire Awards, UKではベストコメディ賞…などなど他にもノミネートと受賞がいくつか。

まぁこういう映画に文句を言ってもしょうがないか。しかしこれそんなに面白い?子供には面白いのか。『デイブは宇宙人』があれほど低評価なのになぜこの映画はこれほど高評価なのだ?不条理。



★ネタバレ注意

そうだ 予告トレイラーを見ていてニコル・キッドマンが悪役だと思い出した。配役としては面白い。しかしもっとぶっちぎりで怖い女になって欲しかった。

ニコル・キッドマンのルックスにもっと毒が欲しかった。あのキャラは中途半端でしょう。普通の服の普通の美人だもの。そのあたりが映画全体も記憶に残らない理由だろう。『101匹わんちゃん』のクルエラドビルのグレン・クローズはノリノリでよかったぞ。ニコルさんにもあれくらい思い切って欲しかった。

…それになぜ彼女は熊を殺しに来るんだっけ?

お父さんの発見を証明したいのなら、生きた熊でもいい。街の人々も喋る熊を見てあまり驚かないし。剥製にしてもあまり意味がなさそうだ。なによりもお父さんが喜ばないだろうに。

ロンドンを舞台にした映画はいいんですけどね。街が懐かしいわ。


2023年4月11日火曜日

映画『ジミー・O・ヤン 人生はお買い得/Jimmy O. Yang: Good Deal』(2020):おもしろいヤンさん






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『 Jimmy O. Yang: Good Deal TV Special (2020)/米/カラー
/57 minutes/監督:Marcus Raboy』
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Amazon の Prime Video 。

香港生まれでアメリカ育ち…アメリカ人の中国系コメディアン ジミー O ヤンさんのスタンドアップコメディ。これも去年のクリスマスに落ち込んでいた時に見て大笑い。

私は(前も書いたけれど)コメディでなかなか笑わない人間でして。脚本として書かれたものも笑わないし、瞬間芸やリアクションもほとんど笑わない。昨日書いた『デイブは宇宙船/Meet Dave』では珍しくゲラゲラ笑ったけれど、そもそも私は日本にいたときもコメディではあまり笑っていなかったような…あ、『ひょうきん族』では笑ったな。アダモちゃん。それからコロッケさんのものまね。でもあのころは私も若かった。…なぜか知らねど今の私はコメディではあまり笑わないのですね。なかなか沸点にまでいたらない。

日本でもそんな風だからアメリカのコメディ関連はほぼ全滅。スタンドアップ・コメディで笑った記憶は一度もない。最近のサタデー・ナイト・ライブも全然笑えない(昔のやつは結構おかしいと思うが)ので見ていない。英国にいたときはちょこちょこおかしいものもあった。でもそれでもにやにやするぐらい。笑いの沸点が高いのだと思う。日常ではすごく面白がり屋なのに。

旦那Aは笑いの沸点の低い人で、どのコメディを見ても大声で笑う。おめでたき人。まるで漫画のように「うわっはっはっはっは~」と毎日最低2、3回は笑う男。夫婦でなかなか同じレベルで笑えない。


というわけでこのスタンドアップコメディもそれほど期待はしていなかった。見ようと思った理由は以前に見たヤンさんの映画『ラブ・ハード/Love Hard』で彼がすごくいいキャラだったから。すごくかわいいし面白かったから。

というわけで見たら…ヤンさんおかしいわ爆笑。なぜ?なぜ?なぜなぜなぜ?すっごいおかしい。これって…なんだろう?アジア人の笑い?すごくおかしかった。

内容は「アメリカのアジア人」であることがテーマ。だから見ていて「うんうんうん」と頷くことがすごく多い。予想もしていなかったところで不意をつかれた感じ。面白いです。目の付け所がおもしろい。なるほどね~と感心もする。

アメリカに暮らす(白人の文化圏で暮らす)アジア人であることのアイデンティティ…自分の中のアジアの位置や、マジョリティ/他人種からのアジア人に対しての偏見やステレオタイプ。またアジア人の家族のあり方、伝統的なアジア人のあり方を、モダンなアメリカの若者として観察する視点。…などなど私が見ていても「わかるわかるわかる」の連続。すごく面白い。

お父さんとの関係が最高。お父さんは彼のことを「ジミャ、ジミャ」と呼ぶ。小さな「ャ」が最後にくっついている笑(私も旦那Aの名前の最後に「ョ」を付けて呼ぶ)。そしてお父さんがテレビを見ながらいつも「ぅんんんんん~」と唸り、くしゃみをしてまた大声で叫ぶのがおかしい笑笑笑。わかるわかるわかる日本のお父さんも同じよ笑。そこで笑いが止まらなくなった。ノイズ音の沢山出るアジアのお父さん笑笑笑笑笑笑笑。

ヤンさんは頭がいいお方なのですよね。数学がよくできた(いかにもアジア系のステレオタイプ)と言ってますがすごく頭がいい人なのだろう。異文化を比べてこんなにおかしく話せるなんてすごいと思う。尊敬。

そしてかわいい。何をやっても言ってもかわいい。またそれがジョークのネタにもなってる。うまいね。

多少品がないのはアメリカのスタンドアップコメディのお約束。放送禁止言葉とか下ネタが絡むのはどのコメディアンを見ても同じ。そういうノリ。今の生のコメディはそういうもの。お約束だからそういう口調になる。それでも彼はかわいい。

というわけでアメリカのコメディで珍しく笑えた作品。ほぼ1時間で全編おかしい。またヤンさんがこういう映像を出したら見る。


彼はその後も順調に俳優として活躍なさっているそうだ。これから彼の出ているNetflixのドラマ『Space Force』も見ようと思う。

『Space Force』には、ヤンさんのお父さんRichard Ouyangさんもご出演なさっているそう。息子のジミーOヤンさんが俳優を始めたのを見て「お前にできるなら わしもやる」とオーディションを受けて実際に俳優を始め、もうすでに7つの映画やドラマに出てるらしい。TVコマーシャルにもいくつか出てる。なんか親子でおもしろいヤンさん家。すごいね。




2023年4月10日月曜日

映画『デイブは宇宙船/Meet Dave』(2008):エディの顔芸






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『 Meet Dave (2008)/米/カラー
/1 hours 30 minutes/監督:Brian Robbins』
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先日感想を書いたNHKのドラマ『超人間要塞ヒロシ戦記』。その話と同じ設定の2008年のアメリカの映画です。人間型の宇宙船に乗り込んだ宇宙人が地球にやってきたという話。

去年の年末、クリスマスの頃にワタクシは暗かったのですけど、TVチャンネルをパラパラ変えていたらこれをやっていたので再放送を録画予約(アメリカはTVチャンネルが何百もあるため同じものを何度も再放送する)して見た。

この映画の面白さはエディ・マーフィーの顔芸。とにかく彼がおかしい。顔芸・身体芸を見るだけでおかしい。彼の大きな目鼻の表情が変わるたびに異様なくらいヒステリックに笑う。クリスマスで落ち込んでいたのにこの映画を見て大爆笑。

いや~エディ・マーフィーっておかしいんだね。久しぶりに見たな。彼の映画はあまり見ていない。何を見たかな。『48 Hours』『Beverly Hills Cop』『Coming to America』は見たけどあまり覚えていない。面白かったと思う。『The Nutty Professor』は子供だまし『Daddy Day Care』それから『Shrek』シリーズのロバ。…あまり役者としては記憶に残っていないか。スーパースターなのにね。

それでもこのデイブ・ミンチャンの顔芸には笑った笑ったははははh。夫婦で笑い転げる。すんご~い。こんなに身体の芸の可笑しい人だったんだねと見直した。なんか最近では『Shrek』のロバしか記憶になかったもんね。こんなに面白い人だったんだ。ツボにはまったわ。

無邪気な子供向けのSF調コメディ。ドタバタ。お気楽にゲラゲラ笑えばよろしい。好きですよこういう無邪気なコメディ。なごむ。楽しいわ。とにかくエディ・マーフィーの顔芸がおかしい。全部おかしい。すごいと思う。リスペクトだ。

そして脚本も(特に前半は)いちいち笑わせにくる。人間を観察して学ぼうとするときの宇宙人の曲解がおかしい。母親の子供へのキスを暴力的だと言って目をむき、名前を聞かれて「地球で一番多い名前」をネットを検索…中国風の名前ミンチャンになる(実際に世界で一番多い名前はWang/王さんとかLi/李さんだそうです。)。また笑う。無邪気。とにかく無邪気。

楽しければよし。大変よし。


私はなかなかお笑いでは笑わない人間で普段はコメディにも馴染みがないのだけれど、このエディさんの顔芸はツボにはまった。ストーリーも無邪気。

実はこの感想を書くために数日前に録画をもう一回見たのだけれど、顔芸というのは瞬間芸と同じで最初が一番笑う…のね。だから2回目は1回目ほどは笑わなかった。でも好きですよ。かわいい話。

最後に脱出する時宇宙人がEW&Fの「Shining Star」でみんなで踊るのもいい。楽しいわ。キャラクターがみんなかわいい。この映画は出演者もみんな楽しかったのだろうと思う。いい映画です。

Internet Movie Data Baseのスコアを覗いたら10点満点で5.1点。おぅ みんな厳しいね。私は面白かったけどなぁ。

あまり頭を使わなくていいコメディはいい。楽しかった。音楽が80年代風キラキラなのもいい。なごむ。


2023年2月21日火曜日

映画『めまい/Vertigo』(1958):画面が芸術的・古い名作は若い時に見るべし






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『Vertigo (1958)/米/カラー
/2 hours 8 minutes/監督:Alfred Hitchcock』
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コロナ禍が始まってまるまる3年。今もまだ映画館で映画を見るまでに至っていない。

コロナ禍以前に映画館に行っていた時は、まず新作の映画の宣伝を見てそれをRotten Tomatoesなどの映画評サイトでチェックし、良さそうなら映画館に行ってみようか…という具合だったのだが、その習慣もすっかりなくなってしまった。
その代わり、今は思いついた時にテレビで昔の映画を録画して見たり、Netflixやアマゾンプライムでドラマや新作を見ている。 それにしても配信サービスの新作なら世間一般で流行っている時に見ることも出来るのに、実際には勝手な時間に勝手なタイミングで見ることの方が多く、そんなわけで全体的に「今が旬の映画作品」を見ることはほとんどなくなってしまった。

去年の年末は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の感想を書くことに時間を取られていて、見た映画の感想も書かずにそのままになってしまっていた。そろそろ書き留めておこう。


ヒッチコックの『めまい』は1958年の作品。出演はジェームズ・ステュアートにキム・ノヴァク。名作だそうだ。そういえばこの映画は今まで見ていなかった。たまたま年末にテレビでやっていたので録画して鑑賞。

昔のハリウッド映画です。ヒッチコック作のサスペンス映画。原作はフランスのミステリーだそうだが、映画の舞台は米国サンフランシスコ。
タイトルは『めまい/Vertigo』。主人公のスコティ(ジェームズ・ステュアート)の高所恐怖症によるめまいの症状から。彼のめまいがストーリーの大きな鍵。


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映画の感想の前にアメリカのニュー・シネマについて書いておこう。

アメリカの映画は1970年以前と以降ではまったく別のものに変わる。

(今調べたのだけれど)1968年以前、アメリカの映画界にはヘイズ・コード/Hays Codeというものがあり、それにより様々な表現の規制があったのだが1968年以降にその規制がなくなった。また同時期には欧州を中心に「ニューシネマ運動」が世界中で起こっていて、映画の表現方法が若い世代により実験、開拓されていた。

…だから私が子供時代から見ていた70年代以降のアメリカの映画は暴力的でリアルでセクシーで生々しいものだったのか…

『イージーライダー』『真夜中のカーボーイ』『明日に向かって撃て!』『キャバレー』『チャイナタウン』『カッコーの巣の上で』『大統領の陰謀』 それらの60年代後半~70年代に名作と言われるリアルで荒々しい表現の映画は、それ以前のキラキラしたハリウッド映画とは全く別もの。1960年代半ば生まれの私は、そのような70年代の名作映画を見て「映画とは生々しくリアルであればあるほど良い、リアルで生々しい表現こそが映画の醍醐味である」と信じて育った。それらの映画は日本では「アメリカン・ニュー・シネマ」などと呼ばれ、また英語圏では「New Hollywood」「The Hollywood Renaissance」「American New Wave」などと呼ばれている。
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このヒッチコックの映画は、その「New Hollywood」以前に制作された映画。

いかにも作られたフィクション。おとぎ話。人が亡くなる事件を扱ったサスペンスなのに、画面はキラキラと美しい。ミステリアスな女「マデリン」を演じる女優さんは(英国人ヒッチコックの好みなのだろう)骨太大柄ギリシャの彫刻のような男顔美女キム・ノヴァク…彫刻のように美しいが頑丈な印象の女優さん。そしてフリーの探偵「スコッティ」を演じるジェームズ・ステュアートはスタイリッシュでお洒落。美男美女が出てくるマーダー・ミステリー。あまりリアリティはない。

この映画に1970年以降のリアリズムを求めて文句を言うのは意味がない。最初からリアリティなどは無い前提で作られている映画。事件があって展開があって捻りがあって、終わったかと思ったらまた先があって…としっかりフィクションとして書かれた脚本はまるでミステリー小説/本を読んでいるかのよう。この映画の人物達に繊細な感情の動きなどを求めてはいけない。俳優さん達は台詞を喋って、行動して、それにより何かが起こって…と、まるで舞台劇のようにストーリーは進む。

ひとつひとつの場面は絵画のように美しい。画面上のレイアウトや演出、カメラワークは冒険的。色彩も鮮やか。画面の中の色の配置がいちいちデザインされている。しかしそれがますます「嘘っぽさ」を強調しているようにも思える。

 
★ネタバレ注意
(ネタがなんぼの話なので未見の方はお読みになりませぬよう)



そしてストーリー。

ミステリー小説をそのまま映像化した…というのか舞台劇風というのか、ストーリーもいかにもフィクション。それでも女主人公マデリンがスコッティを騙そうと仕掛ける様々なトリックがいかにも嘘っぽいとわかっているのに、観客もいつのまにかそれを信じ始めてスコッティと共に騙されそうになるのが面白い。ふむふむと頷きながら見る。

そして一旦ストーリーは落ち着いて次のパート…マデリンにそっくりなジュディが出てきた時からまたまた嘘っぽさが増加。マデリンとジュディは明らかに同じ女性なのにスコッティがいつまでも騙されるわけがなかろう笑。スコッティさん騙されすぎ。

その嘘っぽさがいかにも昔のハリウッド映画で、それはそれで楽しめばいいのだけれど、どうしても「なんだよそれ~」と笑いが漏れるのはしょうがない。

そして最後はああそうか…そうなっちまったか…とふむふむ、そうかそうかと頷いて見終わる。そうですかそうですか。

やっぱりこういう嘘クサい話というのはどうものめりこめない。たぶん世代的なものもありますね。ワタクシは映画を沢山見過ぎた年寄りなのでこういう「いかにもな作り話」を素直に楽しむことはできなくなっているのかもしれぬ。この映画も18歳ぐらいの時に見たら間違いなく感動していたと思います。名作は若い時に見るべし。


見てよかったか?よかった。なぜ?あのヒッチコックの『めまい』だから。一度見ておいて損はない。じゃあ映画として面白かったか?うん。しかし感動はしない。ああそうか…とオチにもあまり心動かされず淡々と見終わった。結構尺が長い。何が良かったか?画面が絵みたいに綺麗。画面が美しくデザインされている。演出、カメラワークも冒険的で面白い。芸術的な価値があると思う。昔の観客にはかなりショッキングな映画だったのだろうと思う。衣装が綺麗。キム・ノヴァクはギリシャ彫刻のようだ。ごついけど。英国人の男には一定数ああいう彫刻のような大柄な女性を好む男がいますね。いるいる。

それにしても、あのスコッティがマデリンにそっくりなジュディを見つけた後「面倒をみてやる」と言いながらジュディにマデリンの髪型をしろだの、マデリンと同じ服を着ろだの、ジュディ本人を全く見ることなく、マデリンのコピーを作ろうとしているところには腹が立ちましたねぇ。最低の男でしょう笑。最悪だな。そんな男は殴ってさっさと逃げ出しなさいよジュディちゃん。

というわけでヒッチコックの名作は一度見ておいて損はない。古い名作はイノセントな若い時に見るべし



2023年1月31日火曜日

映画『ドント・ルック・アップ/Don't Look Up』(2021):今の世を憂う・よくできたSatire






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『 Don't Look Up (2021)/米/カラー
/2 hours 18 minutes/監督:Adam McKay』
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恐ろしいほど現実を映したSatire(風刺/皮肉/現状批判)。

今のアメリカのメディアや政治を見ていると、あぁこの映画とほぼ同じことが起こっているよねぇと思わずにはいられない。映画だから全てを現実よりも数倍大げさに描いているとはいえ、今の時代がどういうものなのかはかなりリアルに描かれていると恐ろしくなった。

この映画、ほぼ現実の世の中を模している。
これは今の私達の世の中。
今の世界はこの映画のまんま。

最初はただ悪ふざけなフィクションのブラック・コメディかと笑っていたが、情け容赦なく現実を思い起こさせる描写が次々に出てきて、そのリアルさに次第に背筋が寒くなった。怖い。笑うよりも怖くなる。悲しくなる。

今の私達。この世の中。ちょっとヤバいんじゃないか?大丈夫なのか?
今の世の中って、この映画とそれほど違わない…。


★あらすじ
ミシガン州立大学の天文学博士課程のケイト(ジェニファー・ローレンス)と彼女の師ミンディ博士(レオナルド・ディカプリオ)。この二人が「地球に巨大彗星が衝突し、ほぼ100%の確率で地球が破壊される」ことを発見。「衝突までの時間は約6ヶ月」。もうあまり時間がない。二人はそのことを世間に知らせようとする…政治家、国民に知らせるために二人は必死に駆け回るのだけれど、誰も気にかけない。理解しようともしない。さて地球はどうなるのか?


★ネタバレ注意

問題は、今の世の中には情報が溢れ過ぎていて、人々は迷い、どの情報を信じていいのかもわからず、結果世界中の皆が「一番の重要事項、今何に目を向けるべきなのか」を見定めることが出来なくなっている状態だということ。

「地球に巨大彗星が激突する。全てを燃えつくし生物全てが死ぬ。地球が死ぬ」
科学者のレオナルド・デカプリオとジェニファー・ローレンスが人々に伝えようとしているのはただそれだけ。そのことを彼らは政治家(大統領)に伝え、メディアを通して世界に公表するのに、誰もそれを理解しようとしない。耳を傾けない。


(以下細かくネタバレです)

科学者の二人は、まず米国大統領にその情報を告げに行く。しかし大統領もスタッフも「そんなたわごとよりも、今度の中間選挙の方が大切だから…」と二人の話にとりあわない。

大手の新聞社は、SNS上での読者ウケを重要視し、二人の持ち込んだ重大な事実をウケないからと取り上げない

二人はまたテレビの朝のトークショー番組に出演。国民に地球の危機を伝えようとするが、司会は「そんなことよりもポップスターと元カレのゴシップのニュースを見てみましょう…」と二人の警告を問題にしない。

ようやく「彗星に核ミサイルを当てて地球を救う」計画が実行されることになるが、それでさえも大統領(トランプ氏を思い出す)の宣伝材料の扱い。

そしてその「彗星爆撃計画」も突如中止させられる。ハイテク企業BASHのCEO(テスラ/イーロン・マスクを思い起こさせる)が、その巨大彗星がレアアース資源の宝庫だから資源を採掘したいと言う…結局は金儲けが優先される。 その間にも巨大彗星は地球に近づいてくる…。


デカプリオの博士がテレビで国民に向けてやっと事実を伝える場面…博士が司会者を黙らせ「地球に危機が迫っている」ことをカメラに向かって怒鳴る場面(国民に知らしめる場面)は、映画が始まってから1時間30分過ぎ。その場面まで、彼ら科学者の言う「地球の危機」が世間にまともに受け止められることはない。狂っている。


終末の日は近づいている。科学者の二人も次第に狂った世界に個人のレベルで飲み込まれていく。彼らも判断を迷う場面がある。そこもリアル。

もうどうでもいい。もうどうにもしようがない。そしていつしか「巨大彗星の激突」は、人々の空虚な論争のお題…つまりは「地球壊滅の危機」でさえ個人同士の相手を打ち負かすことだけが目的の低レベルな言い争いのお題になってしまう。SNS上では戦いが繰り広げられる。

(科学者+リベラル側は)「営利企業に抗議するキャンペーン」としてJust Look Up/ただ上を見て(←現実を見ろ)と世間に呼びかけ、ポップ・スターは「最後の地球救済ライブ」でキャンペーン・ソング「Just Look Up/ただ上を見て」を歌う。

一方大統領は「Don’t Look Up /上を見るな」(←現実を見るな)のスローガンと共にキャンペーン活動。サポーター達はそのスローガンの刺繍された野球帽を被り気炎を揚げる。

そして「Don’t Look Up /上を見るな」を信じていた保守の群衆は、次第に大きくなる空の彗星の光を実際に目にして「政府は嘘をついていた!」と暴動を起こす。群衆が暴れ始め街が破壊されていく…。

全てがあまりにも現実を思い起こさせる。


例えばこの映画の巨大彗星を、

現在の地球温暖化や環境問題に置き換えることは簡単だろう。それ以外にも食料問題、アメリカの銃規制…等々の問題と置き換えて考えてみれば、この映画がいかに現実を反映しているのかが見えてくる。

警告 ですね。

しかしながら現実は、
この映画を見たからといってアメリカの現状が変わるはずがない。
だからこそ、この映画のエンディングはああいうことになった。


もう私達には何もできないのではないか。 


映画を見終わったうちの二人は無口になり言葉もなく、それぞれソファーを立ち上がってコーヒーを飲みにいったり他のことを考えたり、猫を触ったりし始めた。二人ともたぶん息苦しくなったのだと思う。

Satire(風刺/皮肉/現状批判)だとわかっていても、あまりにもアメリカの現状をリアルに示していることに驚き、悲しみを感じた。キューブリックの1964年の映画『Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb/博士の異常な愛情』を思い出す。しかしあの映画を私が見たのは1980年代。あの映画には驚いたが、それでも当時は笑っていられた。

しかし今この映画を見て私達は心から笑えるのか?


アメリカではあたりまえの常識が通じなくなくなりつつある。実際にそう感じる。いや世界中、今の世の中はそうなのかもしれぬ。

米国のジャーナリズムはエンタメに変わり人の気を引くためのセンセーショナリズムに汚染され、メディア上の人々は怒鳴っているかのような大声で一方的な主張を繰り返す。ニュースは公平な情報を知らせるというよりも、視聴者が見たい聞きたい/視聴者が要求する一方的な情報をがなり立てるものばかり。そこに公正さや知性は感じられない。

政治家は人気商売。政治家は自分の票稼ぎのことしか考えない。政治家や専門家(と呼ばれる人々)の言葉は本当に信じるに値するのか。

メディアの情報には必ずマーケティングがついてくる。記事もニュースもテレビ番組も人々に何かを売りつけるための宣伝メディアとなってしまった。今の時代の情報は、どれが本物で、どれが宣伝目的ではないのかがわかりずらくなっている。そしてメディアそのものもウケを狙ってコマーシャリズムに身売りしている。

そして皆に与えられた平等な表現の場=ネット上には、知識も知性も常識も無い+思慮深くもない個人個人の声が、プロのジャーナリストの言葉さえ搔き消すように大音量で鳴り響く。そのようなSNS上の雑音は人々を日々惑わす。

今の時代は情報が多すぎて、私達が何を信じればいいのかがわからなくなっている。



そんなわけで、あっぱれ。この映画の監督さん、脚本家に制作の方々、よくやった、あっぱれと伝えたい。大きな拍手。よくもこのような恐ろしくリアルな映画ができたものだと驚く。そしてこの脚本がコロナ禍前に書かれたと知ってまた驚いた。

よくできた映画。現状を目の当たりにして苦しくなる映画。もうどうしようもないのかな…。わかりませんね。


主人公たちの最後の晩餐は…実際にあのような事があるのなら、人間はあのような状態に落ち着くのだろうと思う。とても自然に思えた。そこも上手い。

破滅に向かう時間に、時々挟まれる自然の映像が悲しい。動物の映像、ミツバチ、ホッキョクグマ、そして山に降り注ぐ火玉の前で祈りの舞を捧げるネイティブ・アメリカンの場面。…そんな映像がとても悲しい。本当に悲しい。しかし美しい。映像もよくできた映画だと思います。

この映画は心に残りますね。影響を受けて今も考えている。



思い出した映画
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか/Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb (1964):ブラックコメディ
ソイレント・グリーン/Soylent Green (1973):ディストピアSF映画、環境問題や食糧問題などで度々思い出す
ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ/Wag the Dog (1997):政治風刺、政治家の情報操作



2022年8月11日木曜日

映画『AI崩壊』(2020):大作にありがちの欲張りな映画+詰めが甘い







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『AI崩壊(2020年)/日/カラー
/131分/監督:入江悠』
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少し前にTV Japanで放送されたものを録画していた。


どこかで聞いたような話(2001年、火の鳥)だとはいえ、人がスーパーコンピューターに管理される未来…いつかはそのような未来にならないとも限らない…と今の時代は皆が感じているのではないか。日本のマイナンバーの話も聞こえてくれば、これからの日本はこういう方向に行くのかと思えなくもない。SFのテーマとしては大変面白い。このテーマの作品は私が知る以上にもっとあるのだろうと思う。
 

あらすじ
2030年。人々の生活を支える医療AI「のぞみ」。しかし突然「のぞみ」が暴走を始める。警察は「のぞみ」の開発者の桐生浩介(大沢たかお)を、「のぞみ」のAIを暴走させた犯人だと断定。日本中に張り巡らされたAI監視網が逃亡者・桐生を追い詰める。



★ネタバレ注意


最初の40分ぐらいは面白かった。設定もいい。映像もCGも美しい。2020年代のテクノロジーの進歩を速いテンポで見せるのも心地良い。そして理想的な未来の様子を見せた後で、スパコン「のぞみ」が突然暴走を始める。最初の40分ぐらいを見ていて、これはタイトルの「AI崩壊」そのままに「パニック映画」なのだろうと思っていた。

「タワーリング・インフェルノ」「ポセイドン・アドベンチャー」。あの類のパニック映画を期待した。こういうテーマの映画やドラマで期待するのはあくまでも「パニック映画」であること。阿鼻叫喚が見たい。グロを避けながらも(←大切)人々のパニックの様子が恐ろしくリアルであればいい。「パニック映画」にはそれを期待する。サイドストーリーもあるけれど「タイタニック」もその類の映画だろう。

というわけで「AI崩壊」で東京にどのようなことが起きるのだろうと見ていた。ところが始まって40分を過ぎたあたり…「のぞみ」が暴走し始めてすぐ後に、ストーリーは「主人公の逃亡劇」になってしまう。逃走する主人公の桐生を、警察のスパコンに繋がった監視カメラが追う。SWATチームが桐生を追いかける。その間に「AI崩壊」も継続して起こっているのだけれど、話の中心はあくまでも桐生の「逃亡劇」。

最初からパニック映画を期待していたので、長々と詳しく描かれた桐生の逃亡劇で次第に退屈し始めてしまった。様々な問題が起こっているはずの街の様子、社会の様子はほんの少ししか描かれず、画面は警察の地下施設でのデータの分析と桐生の逃亡の様子を交互に映すばかりになってしまう。

桐生の逃亡劇が30分以上続いたために集中できなくなった。逃げる桐生を追うテクノロジーは、監視カメラもドローンも大変面白いのだけれど…さて果たしてこれはスパコンの暴走の話ではないのかと頭をひねった。


内容を確認するために再度見た。理屈では理解できたが色々と無理に内容を詰め込んだ印象は否めない。

まず「AI崩壊」のコンセプトがあって、医療をはじめとするインフラがやられて街にパニックが起こる。 そして近年、中国などで開発/実行されているらしい顔認証システムと監視カメラの連結。それを駆使したビッグ・ブラザーが見ている的「逃亡劇」も盛り込む。 そして暴走したスパコンの社会の効率化のための大量殺人計画を追加。その3つのテーマが見えてくる。

① AI崩壊のパニック(インフラの崩壊)
② 顔認証システムと監視カメラから逃げる人物/犯人
③ スパコンの大量殺人計画

それぞれのテーマで別の映画が撮れると思う。
①は街の阿鼻叫喚を描く+専門家チームの頑張り
②は何かの事件の犯人の逃亡劇と最新テクノロジーを使う警察の戦い。
③はプログラマー/ハッカーと暴走スパコンとの戦いの室内劇。

昔なら3つの映画を撮っていただろう。昔の映画がシンプルでわかりやすかった理由はそれ。上記のパニック映画「タワリング・インフェルノ」や、スピルバーグのただ逃げ続ける「激突!」、ただ宇宙人に会いにいくだけの「未知との遭遇」モンスターに襲われる「エイリアン」。90分の間に見せたいモノを集中して見せる。だからインパクトが大きいしわかりやすい。

この映画の軸がブレて見えるのは盛り込みたい内容が多すぎたからではないか。上記の①②③のそれぞれのシーンはよく出来ているしアイデアも面白いので、全部同時進行させる事で焦点がぶれたのはもったいないと思う。


テーマの詰め込み過ぎの上に、リアリティの上で細部の詰めが甘いのも問題。
桐生の逃亡がうまくいき過ぎて嘘に思える。東京を逃げ回り、仙台を目指して東京の港から貨物船に乗り込み警察のヘリに攻撃されて海中にジャンプ。もうダメだと思ったら運よく漁師に救われる。そして閉鎖された昔の研究所に行けばまだ電気が通っている。東京から突然やってくる弟・悟。その後桐生はいつの間にか車で東京に帰ってくる。渋滞はどうなった。

警察のSWATチームはAIの暴走を止められるはずの「のぞみ」の設計者・桐生を射ち殺そうとする。まず彼に話を聞かなければ…。日本の小さな道路でのカーチェイス。ああいうシーンはハリウッドの真似でしょう。

桐生の娘こころをスパコン部屋に閉じ込めるのも、最後に「観客を感動させるためのツール」にしか見えない。閉じ込められた部屋の温度はマイナス4度。小さな子供が何時間も中にいたら凍死する。

最後に、プログラムをこころの小さな鏡に反映させて「のぞみ」に伝える展開も茶番。その後「のぞみ」が美しい開発時の過去を思い出しておとなしくなる…というのも情緒的過ぎで甘過ぎる。

その後全て丸く収まって世の中は元通りになった。平和が訪れたようなのだけれど。あの「AI崩壊」の間に亡くなった人々は大勢、インフラが崩壊して壊れてしまったものも多かったはず。復旧にも時間がかかる。人々の「のぞみ」への不信感や不満も溜まっているはず。危機ががすぐに収まるとは思えないのに、桐生は笑顔でシンガポールに帰っていく違和感。

そういえばこれと同じような詰めの甘さを少し前のドラマ・TBS系『日本沈没』でも感じた。



こういう映画を撮るのなら必ずしもハッピーエンドにする必要はないのではないかとも思った。キューブリックの「Dr. Strangelove/博士の異常な愛情」は最悪のエンディング。なのに記憶に残る。なぜならそれがショッキングだから。恐ろしいから。このような映画は、もしかしたら近未来に起こるかもしれない危機を描いているのだから、警告の意味も込めてもっと怖いエンディングでもいいのではないかと思った。


テーマと部品はいいのに「お題」を詰め込み過ぎてブレた印象。パーツはお金をかけていてよく出来ているし映像も迫力があっていいのに、全体にリアリティの詰めが甘くてもったいない映画。でもこのテーマは面白いので、またこういう映画が見たい。日本ならではのSFを頑張ってほしい。



2022年8月2日火曜日

映画『勝手にふるえてろ』(2017):氷を溶かす「好き」のパワー





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『勝手にふるえてろ(2017年)/日/カラー
/117分/監督:大九明子/原作:綿矢りさ』
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随分前にTV Japanで放送されたものを録画していた。やっと見た。


こじらせ女子あるある。わかる。わかるから爆笑。リアルです。かなりリアルで驚いた。すごいぞ。いい映画。わかる人にはわかる主人公ヨシカの生きづらさ。 主演の松岡茉優さんが素晴らしい。大きな拍手。最後に心が温かくなるいい話。…これ、これです。どうやって人は人に出会うのか? うまいね。いい映画。



★ネタバレ注意

それにしてもこのヨシカさんはどうしてこんなにこじらせてしまったのだろう。なぜ彼女は24歳になるまで14歳の頃の思い出の男の子「いち」をひきずったのだろうか。まさか過去10年間、全く他の誰にも惹かれなかったということはないだろう。もしかしたら中学以降の高校や大学生の頃に、人との関係で傷ついたり…なにか辛いことがあったのだろうか。だから13、14歳の頃に好きだった男の子を神格化してしまったのだろうか?

ヨシカは彼とクラスメートだった10年前の中学の頃でさえ「いち」とろくに話をしていない。彼女はその「いち」のことが一方的に好きなだけで、彼とはその後の10年間一度も交流することなく、それなのに24歳になっても未だにその「いち」を強く想い続けている。

これ、彼女にとっての「いち」は実体のある人ではないのですよね。「いち」は彼女が自ら作り上げたイマジナリーボーイフレンド/想像上の理想の人。彼女は現実の「いち」がどういう人なのかを全く知らない。それでもいいと思っているのは彼女が自己完結型だからだろうか。


ヨシカは臆病。異常なくらい傷つくことを怖がっている。だから自分の繭の中に篭ってしまう。そして彼女は心の自給自足型、自己完結型の人。元々内気なのだろうが、一人っ子だというのもその大きな理由。彼女は独りでも自分だけの楽しみを見つけられる人。そして楽しみに没頭している時には寂しさも感じていない。彼女は劣等感に苛まれているようにも見えない。心の自給自足、自己完結でそこそこ人生を楽しめている人なのだろう。

金曜深夜の「タモリ倶楽部」を楽しみにする…普段から金曜の夜にも外出せず一人で過ごしているヨシカ。誰にも理解されなくても大好きな古代生物を愛でるヨシカ。彼女のおひとりさま充実人生のサインは様々なところに散りばめられている。うまい。


彼女は一般的に言えば「変わり者」…しかし彼女は、世間が自分を「変わり者」だと呼ぶことは嫌なのだろうと思う。彼女は世間的にまっとうなイケてる女でいたい。人に「変」だと言われて傷つきたくないから正直に自分をさらけ出せない。それは彼女のプライド。

しかし彼女はそもそも他人にあまり興味がなさそうだ(人の名前も覚えない)。あまり人と深く関わらないから、他人から見れば彼女はどういう人なのかも分かりづらいだろう。おとなしい人。不思議ちゃん。そんな風だから彼女は人の記憶にも残らない。しかし彼女自身も普段はそのことをあまり気にしているようにも見えない。


そんな彼女の「おひとり様人生」に突然インベーダー/侵入者が現れた。同じ会社の同期の「に」。この人がまぁうざい。彼は一方的に彼の「好き」な気持ちを押し付けてくる。それは確かに「好意」ではあるのだけれど、そもそも人との密な関係が苦手なヨシカには、彼はただただ迷惑。そしてその「わけのわからないうざい人」がデートしたいと積極的に迫ってくる。そのうざい人「に」は初デートで醜態をさらす。ロマンも何もない。そして告白される。寒い冬の川釣りデートにも連れて行かれる。彼女はただただ戸惑うばかり。

しかし「に」がヨシカに投げた小石は、彼女の心にさざなみを起こす。少し自信がついたのだろうか。ぼやを出して死を意識したヨシカは、ダメもとであの「いち」への接触を試みる。「いち」を想い始めてから10年後、彼女がやっと動き始める。いつもの彼女からは考えられないほどの勇気と行動力。しかしヨシカのせいいっぱいの試みは、撃沈に終わる。

「いち」は彼女の名前さえ知らなかった。

そのことが彼女を現実に引き戻す。(彼女の自己完結型の生き方のために)世間がヨシカをどう見ているのかを彼女はあらためて実感する(まさかそのことを初めて知ったわけではないだろう)。誰にも見えていない透明な自分。「いち」にも彼女は見えていなかった。ヨシカは孤独のどん底に落ちる。

奈落の底に落ちたヨシカに「に」が温かく微笑みかけてくる。「この人は私を見てくれている。興味を示してくれている。つきあいたいと言ってくれている」。ヨシカは「に」の温かさに癒される。二人は卓球をしたり動物園デートに出かけて楽しそうだ。次第に私にも「に」がかわいく見えてくる。 

それまでの過去10年間、誰にも心を開く事なく、そのために自分の周りに氷のバリアを張ってコチコチに身の回りをガードしていたヨシカ。その氷は氷山くらいに育っていたのかもしれぬ。その氷山が少しずつ溶け始める。拍手。

その後もいろいろとあって、最後には雨降って地固まる。めでたしめでたし。



いい話。二回見たけどいい映画。

私はこのブログで、以前から様々な日本のドラマの感想で、女性に向けて…「好きだ」と言ってきてくれる男性も悪くないぞ…と何度も書いている。 相手を好きになって追いかけるのも楽しいが、はっきりと自分に「好意」を示してくれる人も悪くない。

この映画はそういう話だと思う。

自分からの「好き」はもちろん大切。最初から「100%タイプじゃない」人を受け入れるのは確かに難しい。しかし人は…特に女性は、必ずしも全ての男性に対して「好き」か「嫌い」かの白黒を、出会って一瞬で決定するものでもないだろうとも思う。

女性が出会う人々の中で、すごく好きなタイプの人が上20%ぐらい、絶対にダメなタイプが下20%ぐらいだとしたら、残りの60%ぐらいはグレーエリア。伸びしろのある60%。もし「好きだ」と言ってくれる人が60%の範囲内にいるとしたら、その人と上手くいく可能性はある。人とはそういうもの。

特にこの映画のヨシカのように臆病な女性ならなおさらのこと。もし「好き」だと言ってくれる60%範囲内の人がまっとうな温かい好意を示してくれるのなら、その臆病な女性も相手を知ることでその人のよさが見えてくることもあるだろう。その人を好きになることもあるかもしれない。


この映画はそんな話。 ヨシカにとって最初の頃の「に」はたぶん60%の下の方の人。しかし傷ついたヨシカが彼に心を開いたあたりから「に」がだんだんいい人に見えてくる。演出も演技も脚本も見事。

色々あった後で、最後に「に」が雨の日に訪ねてきてくれた場面…隣人に喧嘩を見られて「に」が玄関に押し入ってくる。その足元の靴を映した映像で、「あ…かっこいいかも」と私も思ってしまった。「に」君いいじゃん…。 そしてその後の二人の会話では、二人とも正直に、特にあの頑ななヨシカがすごく正直に自分をさらけ出している。それでも「に」はヨシカのことを「好き」だと言う。彼女のそのままを受け入れてくれている。いい場面。ほ~んと。よかったよかった。嬉しいわ。ヨシカちゃんの心がやっと溶けた。いい映画。


上手い脚本。テンポも速く流れも自然で、コミカルで時にシリアスで、沢山の情報が描かれていて画面から目が離せない。演出も役者さん達も皆素晴らしい。ヨシカ=松岡茉優さんのあの「こじらせ女の独り相撲」の演技のリアルさ、上手さ、おかしさ、表情の巧みさ。本当にすごい。 そして渡辺大知さんの「に」のあの最初のうざさ。うっぜ~男から…次第にちょっといい男じゃん…と思えてくる変化の巧みさ。 最後に玄関で抱き合うシーンで「に」のヨシカの背中に回した手がすごく綺麗だったのも印象的。な~んだ渡辺大知さんて、背は高いし手足が長くてスーツ姿も素敵だし、実際すごくかっこいい男の子ですよねぇ。あの最初の頃のうざさはなんだったのだろう…不思議だ。

詩的な映像の場面がいくつかあった。会社の休憩室の暗闇で眠る女の子達のスマホがひとつひとつ明るくなるのが綺麗だった。

面白かった。ヨシカちゃんが現実の恋に一歩踏み出した。よかった。ハッピーエンド。前向きであたたかい。いい話。



2022年7月25日月曜日

映画『シング:ネクストステージ/Sing 2』(2021):面白く楽しい良作しかし馬鹿っぽい悪ふざけユーモアは減った





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『Sing 2 (2021)/米・日/カラー
/1h 50min/監督:Garth Jennings, Christophe Lourdelet』
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前作『シング/Sing』(2016)でお馴染みのキャラクター達がさらなる高みを目指す。今度はラスベガスのステージ!

正確にはラスベガスではなくてレッド・ショア・シティ。そこのクリスタル・タワー・シアターで、あのお馴染みのメンバーがショーを成功させるというお話。

面白かったです。楽しい。期待を裏切らない。誰にとってもお勧め。王道のエンタメです。

こういう話は、最初から夢がかなう前提で話がスタートしているので気負うことなく、な~んにも考えずに楽しめる。実際楽しい。


★ネタバレ注意

Netflixにあったので何の前知識も無く見たのだけれど期待を裏切らず面白かった。さらさらっとすんなりと楽しめた。

今回は出演者が大物。それにびっくり。実は誰が出ているのか知らなかったので、後からクレジットを見て驚いた。まだ1回しか見ていないのだけれど…劇中、U2のBonoが「I Still Haven't Found What I'm Looking For」を歌っているのはわかったものの、彼があのライオンの喋る声もやっているとは全くわからなかった。今もまだよくわかっていない。Bonoってあんな声でしたっけ?

その他にもPharrell WilliamsやHalseyがいる。そういえばメインのキャラクター達も、マシュー・マコノヒーとかリース・ウィザースプーンとかスカーレット・ヨハンソンでしたね。みんな大物。主人公のムーンはマコノヒーがやっているだけで笑える。

監督のGarth Jenningsさんは英国人なのですね。あぁ音楽好きのお方なのだろう。音楽とショーとステージが好きだからこんな映画を撮るのだろう。前作の『シング/Sing』の時も、いかにも音楽とショーが好きな人が作った映画なのだろうと思ったのだけれど、もちろん今回も楽しい。音楽が好きならきっと楽しめる。


Cons

…悪いというわけではないのだけれど新鮮味はなくなった。ストーリーも成功する事が前提なのがわかっているので(わかりやすい子供向けのアニメーション)、驚くことや心配することはほとんど無い。途中で(メンバー達にとっての)多少の困難はあるものの、それほどの大きな問題には思えない。

レッド・ショア・シティの白狼オーナーがマフィア系なのかな。だからちょっと怖いのだけれど、それほどでもない。これも「全てきっとうまくいく」とわかっているので困難とは言ってもスパイス程度。思い起こせば前作『シング/Sing』では、主人公のムーンが破産したり(?)シアターが水に流されて破壊されたりたりして…かなりハラハラさせられたと思う。それに比べれば、今回のライオンの話も白狼のマフィアの話もあまり深刻な困難には思えなかった。

それから前作『シング/Sing』の…頭のネジが一本抜けたかと思うようなアホ場面…腹を抱えて大笑いして笑いが止まらなくなるほどの馬鹿馬鹿しい面白場面も今回はなかった。前回のムーンの平泳ぎとか最高だったもんね。そんなアホな面白さが今回は足りなかった。

前作のそんな面白さの一つが、日本人アイドルのレッサーパンダの女の子達。あれもすごく面白かったのに、今回彼女達は数秒しか出てこない。あの子達はあれからまだアメリカに留まって頑張っていたのね笑。今回彼女達はハリネズミ/アッシュのライブで観客として盛り上がるシーンだけ。もうすこしあの妙な日本語を喋って欲しかった。それから豚の子供達のシーンも前回の方がずっと面白かったです。


というわけで、映画としては間違いなく楽しめる。音楽が楽しく、見てゴージャスですごく楽しい映画。キャストに大物ミュージシャンを迎えてそれも楽しい。しかし前作『シング/Sing』のような馬鹿っぽい悪ふざけ風の面白味はなくなった。ストーリーにもハラハラさせられて驚くほどの刺激は少ない。個人的にはもう少し馬鹿馬鹿しくハジケて欲しかった。

でも迷うことなく良作。なんの心配もなく楽しめる。欧米のアニメーション映画はゴージャスで楽しい。

これシリーズ化するのかなぁ。いつかメタリカとか出るかな。


10点満点で…
音楽 9点
楽しさ 8点
親しみやすさ 10点
安心感 10点
ゴージャス 9点
かわいらしさ 8点
ストーリーの面白さ 5点
ユーモア 4点
ばかばかしさ 4点
驚き 3点
感動 6点
日本のアイドル味 1点
キャストの大物度 9点
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2022年6月14日火曜日

映画『糸』(2020):もっと若者のユーモアとエネルギーを!





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『糸(2020年)/日/カラー
/130分/監督:瀬々敬久』
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TV Japanにて。今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で義経を演じた菅田将暉さんがご出演なさっているとのことで鑑賞。それに菅田さんは共演の小松菜奈さんと今年4月にご結婚なさったそうだ。きっとこの映画がきっかけなのだろう。おぉそれならとゴシップ的な興味もあって見てみようと思った。

綺麗な映画。ファンタジーかな。原案は中島みゆきさんの曲「糸」だそうだ。

「平成元年に生を受けた2人の男女が出逢いと別れを繰り返し、平成の終わりに再び出逢うまでの18年間の軌跡を壮大な愛の物語」。



★ネタバレ注意


Pros


映像の美しさ
明らかに映像の美しさが魅力の一つ。どのロケーション、人物達の存在するどの場面も美しく撮られている。北海道の広大な台地、草原、夏の花火、雪の風景も、東京のタワマンからの眺めも、沖縄の風景も、エキゾチックなシンガポールも…、全てが綺麗。

今の若い人の夢見るお洒落な…
現代の若者のストーリーなのですよね。設定がお洒落。若い人達(特に若い女性)が憧れる風景や職業が山のように出てくる。驚くほど沢山の夢の実現…。

中学でわけあって離れ離れになった幼馴染の男の子・高橋漣(菅田将暉)と女の子・園田葵(小松菜奈)。 8年後に友人の結婚式で二人は再会。葵はモデル風美女になっていた。葵の恋人は金融界のやり手…東京での豊かな暮らし。その後沖縄へ移住…優しい風景。そしてエキゾチックなシンガポールでの暮らし…彼女自身も事業主として成功。その間に北海道に残った漣はチーズ作りで成功

…これだけありとあらゆる「若者が憧れるようなこと」をたった十数年の間にやり遂げる。今どきの「若者のやりたいこと」をこれほど山積みにしてよく話を成り立たせたものだと驚く。正直詰め込みすぎだが(後述)、綺麗なイメージビデオ的なものとしては十分楽しい。葵さんのキャバクラでさえなんだか東京の華やかなかっこいい仕事に見えてしまう。それは俳優さん達が美しくてお洒落で映像が綺麗だからでしょう。

俳優さん達が上手い
豪華なキャスト。上手い俳優さん達を集めた。この映画の俳優さん達を見ると、ああ日本にもいい俳優さん達のプールがあるんだなと思う。特に主人公の高橋漣の菅田将暉さんは上手い。繊細な演技をなさる役者さん。TVで義経を見た後でもう一度菅田さんの演技を確認したかった。見てよかった。彼の子供時代を演じた南出凌嘉さんもいい。それから演技で印象に残ったのは、榮倉奈々さん、二階堂ふみさん。ベテランの役者さん達がうまいのはもちろん。若い役者さんたちもみんないい。

ファンタジー?
最初から歌『糸』の歌詞がアイデアの元なので、主演のお二人が結ばれるのは予想できる。驚きはないけれど…そこは制作の意図に乗って気持ちよく楽しめばいい。私は今の日本の若い人々の生活がわからないので、それが見れただけでも楽しかった。

Cons


若者向けの美しいファンタジーにリアリティ・チェックで文句を言うのも無粋だけれど、とりあえず思った事を書いておく。

冒険が多過ぎて話にリアリティがない
女性客をターゲットにした映画のせいなのか、女性主人公の園田葵のストーリーがあまりにもドラチック過ぎて現実味を感じない。この映画、尺が長くて2時間強なのだけれど、それにしても10代から31歳までのたった十数年の間の葵さんの人生は色々とあり過ぎ。確かにそれぞれの場所で綺麗な風景は撮れるし、映画としてはそれぞれ楽しく見られるのだけれど、ずいぶん詰め込んだ印象。そして個々の話は薄い。十分に掘り下げていない。イメージビデオを並べたようにも見えてくる。リアリティがなければ、感情移入も難しい。

苦労話を詰め込む
高橋漣のストーリー。地元に残ってコツコツと職人の技術を磨く青年が、20代の間に結婚してパパになるのはリアルだと思う。しかしその奥さんが亡くなってしまうのはドラマチック過ぎ。漣の20代にそれほどの苦労を詰め込む必要があるのか?そして彼には子供までいる。そんな男性がいつまでも中学時代に別れた女の子への気持ちを引き摺るのかも疑問。現実的ではない。

葵さんは落ち着けるのだろうか?
一番の疑問。「何があっても糸で結ばれた二人」はこの映画の主題なので、ここでリアリティをつついてもしょうがないことはわかっているのだけれど。気になるので書いておく。個人的意見。

故郷を出て広い世界を知った葵…自由に生きてきた葵が、一度も地元を出なかった職人肌の漣と小さな町でこれから上手くやっていけるのか???

葵が故郷を出てから長い時間が過ぎた。葵は様々な場所に住み、外国でビジネスも成功させたような活発で勇敢な女性だ。彼女が今まで故郷に帰らなかったのは前を向いて生きてきたからだろう。前を向いて生きる人はホームシックにもならない。長い間外の世界で自由に生きた葵が、辛い思い出しかない故郷の町に帰って来て落ち着けるのか?葵はまだ31歳。またシンガポールに行ってやりなおしたいと思わないのだろうか?

そもそもこの二人は離れ離れになってからの18年間ほとんど交流もしていない。そんな二人が出会ってすぐに結婚する…あまりリアルではないだろう。そこがファンタジー映画なのだろうと思った。

もったいぶり
全体にペースがゆっくり。ゆるい。テンポが悪い。役者さん達の会話のペースが落ち着いていて、そして言葉と言葉の「間」が多い。そのせいか人物達に覇気がなく見えてしまう。だから退屈になる。全体の尺も長い。 しかしそのゆっくりなペースは意図的なものだろう。おそらくこの映画を「深刻で、芸術的な、美しい映画に仕上げたい」という制作の意図があるからではないかと思う。真面目過ぎる映画。

表情を丁寧に捉えるカメラワークも、人物の顔のアップを中心にして浮くようにゆっくりと動くカメラも、(台詞に「間」が多いからなのか)ただでさえぎこちない雰囲気をますます強調する。「日本人てこんなにゆっくりと会話するんだっけ?」と首を傾げた。

そのような間延びした雰囲気を作っているのは脚本。それにしても若い人達の話なのだから、もう少し楽しく気楽で、時には滑稽で微笑ましくおもしろおかしいシーンがあってもいいのにと思った。どうも全体に不自然なくらい雰囲気が重苦しくペースが単調。確かに美しい映画なのだけれど。


しかし見てよかったです。

菅田将暉さんがいい役者さんだということが確認できてよかった。これからも楽しみな役者さん。そして(ゴシップ的に)主役のお二人の小松菜奈さんと菅田さんに化学反応があるかなぁ…などと見れてそれも楽しかった。お互いに微笑みあう場面の笑顔はやっぱりお二人とも嬉しそうなのですよね。いいですね。お幸せに 


2022年5月27日金曜日

映画『ラスト・レター/Last Letter』(2020):鏡史郎は大丈夫なのか






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『ラスト・レター(2020年)/日/カラー
/120分/監督:岩井俊二』
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随分前にTV Japanでの放送を録画したもの。そのままになっていた。

全く情報を調べずに見始めた。いい雰囲気。綺麗です。
ストーリーはファンタジーかな。思慕。すれ違い。悲劇。邂逅…。
雰囲気がとても美しく上品で、最後はいい話としてエンディング…のタイプの映画だと思うのだけれどストーリーの結末は甘い。そこがファンタジーだと思った。



★ネタバレ注意

一番気になったのは、乙坂鏡史郎(福山雅治/神木隆之介)は本当に大丈夫なのか?…ということ。

彼は44歳。彼は高校の初恋の相手・遠野未咲(広瀬すず)が忘れられずに想い続けて20年も過ごした人。大学時代に一度は未咲と付き合ったのだから、片思いの淡い記憶だけではない…未咲との関係、未咲の人となりにも彼自身の想いにもかなり実感があったはず。大好きだった彼女…その彼女を他の男・阿藤(豊川悦司)に奪われた。未咲は自分で選択して鏡史郎から離れたのだろうか。

色々とあって未咲は苦労した。なぜ阿藤みたいなダメ男と結婚したのか。その未咲の間違った選択が彼女を不幸にした。

鏡史郎は未咲のことを想い続けた。彼女のことを小説にまで書いた。


未咲と別れてから20年ほど過ぎた後に出席した同窓会で、鏡史郎は三咲の妹・岸辺野裕里(松たか子)と会い、未咲のその後を知ることになる。

鏡史郎は今まで未咲がどうなったのかを全く知ることなく、未咲への想いと思い出を温めて20年間も過ごしてきた。鏡史郎はそんな一途過ぎる男。そんな重い男が、自分の人生を賭けて想い続けてきた女性の不幸を初めて知る。

鏡史郎が同窓会から未咲の全てを知るまでどれくらいの時間が過ぎたのだろう。数ヶ月のことだろうか。20年間、たった一人の女性を思い続けてきた男がたった数週間や数ヶ月で、そのなによりも大切だった女性の不幸な人生を知る…。かなりキツイと思う。

鏡史郎は後悔すると思う。

鏡史郎は思いつめるタイプなのだろう。20年間も一人の女性を想い続けたのなら、もしかしたら彼はまた20年間、後悔し続けるのではないか?

もし未咲が病気で亡くなったのならまだしも、未咲は大変苦しんで亡くなったわけで。おまけに鏡史郎は未咲の不幸の元・阿藤にも会ってしまう。そして阿藤が悔い改めるどころかとんでもなく酷い男のまま。あんな男グーで殴ればいいのに。

未咲の苦しみを知り、彼女の苦しみが長かったことを知り、彼女がその苦しみから立ち直ることなく亡くなったことを知り、その上阿藤が下衆のまま全く反省もしていないことを知る。辛いですよ。鏡史郎は立ち直れないほど後悔すると思う。

「自分はなぜ彼女を救えなかったのか…?」

そして畳み掛けるように未咲の妹・岸辺野裕里(松たか子)には「あなたが(姉と)結婚してくれてたら」、娘の鮎美(広瀬すず)には「早く会いに来て欲しかった」と言われる。ダメージが大きすぎる。何度も何度も殴られるようだ。かなりキツイぞ。

鏡史郎の大きな後悔は、未咲が実は長い間鏡史郎の小説や手紙を宝物として彼との思い出を温めていた…だけでOKになるものではないと思う。そんなに簡単じゃない。

最後は鏡史郎が、裕里や娘の颯香(森七菜)そして鮎美と和んで、それでなんとなくOKになってしまう。本当にそれでいいのか?この鏡史郎は本当に大丈夫なのだろうかと思いながら映画を見終わった。


ホルゾイがいいね。ホルゾイの成犬を買えるところなんてあるのか?
裕里の義母の英語の先生の波止場正三(小室等)が上品なオジサマで素敵。
裕里の父・幸吉が鈴木慶一さんでニヤニヤする。
いい俳優さん達。特に颯香の森七菜さんが自然な演技で上手いと思った。



2022年1月24日月曜日

映画『時の面影/The Dig』(2021):大英博物館で実物を見たい






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『The Dig (2021)/英/カラー
/1h 52min/監督:Simon Stone』
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週末に見た映画。Netflixにて。

英国の東海岸の側…イースト・アングリアのサフォーク州ウッドブリッジ近く。同地での1939年の考古学的大発見の再現映画。実際の出来事を元に書かれたJohn Prestonによる小説の映画化。


1935年.サフォーク州の海岸沿いに広大な土地を所有する未亡人エディス・プリティが、アマチュア考古学者バジル・ブラウンを雇い、その土地にある墳丘墓を発掘。考古学上の大発見をする。ほぼその再現映画

時代は1935年。20世紀に起こった事実を元にした話の再現なので当時の資料も多く、ほぼそのまま…ドラマチックな脚色も少なく事実を再現したもの。淡々とストーリーは進み、映画としてはそれほど面白いものではないかもしれぬ。

面白いと思うかどうかは、その考古学上の大発見にロマンを感じるかどうかだろう。旦那A、それから遠方の年配の男性の友人は面白いと言った。私は淡々と見た。


この大発見で発掘された宝物は大英博物館に展示されている。

英国にいた頃に大英博物館には数え切れないほど行った。渡英したばかりの頃は、数日かけて一部屋一部屋全てのものを丹念に見た。残念ながらこのSutton Hooの宝物を見た記憶や記録(写真)はないのだが、この発掘での宝物は考古学上英国最大級のものだというので、見ていないはずはない。ガーネットを施した金の装飾品には見覚えがあるような気もする。

こういう話は、映画を見たあとで実際に博物館に行って実物を見てみたい。ロンドンに住んでいた頃はそれが出来ていた。なんと贅沢な。

このSutton Hooの場所も、英国ナショナル・トラストの管理で観光地「The Royal Burial Ground at Sutton Hoo」として訪ねることが出来るらしい。いいな。英国に住んでいたら訪ねていただろう。


ともかく自分の所有の土地を試しに掘ってみたら、とんでもないものが出て来た…というロマンのある話。これは…映画で見たあとで、実物を見てみたくなりますね。英国は遠いわ。


ネタバレ注意


Sutton Hoo/サットン・フー とは

イングランド東部イースト・アングリアのサフォーク州ウッドブリッジ近くで発見された6世紀から7世紀のアングロサクソン時代の船葬墓。1939年に発掘され、豊かな副葬品が出土した。中世初期のイングランドを知るうえで極めて重要な考古学的資料で、最も著名なイギリスの考古遺跡のひとつである。出土した多数の副葬品は現在、ロンドンの大英博物館に展示されており、豪華な金銀の装飾品や武具、武器などがある。 また西暦625年の銘をもつ金貨が出土していることから年代も絞られ、624年に死去したイースト・アングリア王レドワルド(英:Rædwald)の墓ではないかと推定されている。(Wikipedia)

ちなみに発見された27 mの木造の船は、1935年の発見当時も、1300年の間に酸性の土により朽ちて残ってはいなかったそう。しかし船の型が(腐った木による土の色の変化などで)土地に残っていた。それをを掘り起こしたのだそうだ。



2022年1月11日火曜日

映画『ラブ・ハード/Love Hard』(2021):アジアの男よ自信を持て!





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『Love Hard (2021)/米/カラー
/1h 44min/監督:Hernan Jimenez』
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去年のクリスマスの頃に見た映画。ロマンティック・コメディです。かわいかった。いい映画です。これもNetflixオリジナル。


若い人向けのロムコムになぜ興味をもったのか? 男の子がアジア人だったからです。アジア人の小柄な男の子+南寄りの欧州系ミックス(かな?)の女の子…の二人のストーリーらしいのでいったいどんな話だろうと興味を持った。

すごくいい話だった。ほっこり心温まるクリスマス映画。結構おかしい笑。


ロサンゼルス在住の女の子ナタリー。ランダムにデートアプリで出会った人とデートし、その失敗ストーリーをレポートするライター。今回見つけた相手はニューヨーク州の北レイク・プラシッドの男の子ジョシュ・リン君。何度か電話で話してみたらイイ感じなので、ナタリーはクリスマス・ホリデーにジョシュ君をアポ無しで訪ねて行く事にする。



★ネタバレ注意


…アポ無しで会いにいったら、アプリ上のプロフィール写真のジョシュ君は違う人だった。ジョシュ君は小柄で肌の綺麗なつるんとした男の子。しかし彼が載せたプロフィールの写真は面長+髭面+アゴがでかい…いかにもモテそうなオトコクサイ・アジアンミックスの若者=友人タグ君の写真。ジョッシュ君はルックスのいい友人の写真を載せていたのですね。泣  (←こういうオンラインのデートサイトでなりすましに騙されることをbe catfishedと言うらしい)

それでもかわいいの。このジョシュ君が。かわいい~。それにいい人。いい子。優しい。繊細な心。頭もいい。頼りになる。…私の年齢から見ればすごくいい男の子…と娘にもおすすめ。かわいい息子だ。


しかしね、場所はアメリカ。アメリカの女の子達はみんな「いい男のステレオタイプ」をメディアに刷り込まれてるのですよね。「いい男のステレオタイプ」とは…

大柄。肩幅が広い。腕が太い。筋肉質。背が高い。足が長い。顔は面長か四角。アゴががっしり。大きな口。鼻はまっすぐ。髭が濃い…剃っても青い/伸ばせば熊。眉毛が太い。ほりが深い。表情豊かな温かい眼差し。睫がバシバシ。全身毛深い。ワイルドワイルドワイルド………ってこれ全部白人寄りのルックスだわ。

確かに…ジョシュ君が使った友人タグ君の写真は、アジアンミックスとは言ってもそのようなワイルドなパーツが多いお顔。モテるオトコクサイ系。…ナタリーさんもそのルックスに惹かれたのですね。 そうか…

そしてジョシュ君ご本人も、自分のルックスの世の中での立ち位置というのがよくわかっているのですよね。だからも~~~家族写真までひかえめに…泣…涙なしには語れない……抱き締めてきっと大丈夫、大丈夫やでと言ってあげたい。


ナタリーももちろんジョシュ君を見てびっくりする。しかしはるばる西海岸から東北の果てにやってきたのだからなんとかしたい。というわけでジョシュ君に協力してもらってなんとかプロフィール写真の本人タグと仲良くなろうと試みる。

まぁそんなわけで二人はナタリーとタグを結びつけるために長い間時間を一緒に過ごすうちに…という話なのですが。

いい話だった。ラブリー


だってあのロッククライミングでナタリーが降りれなくなった時、助けてくれたジョシュ君はかっこよかったよね。そうなのよ。いろいろと彼の事を知れば知るほどステキに見えてくる。ナタリーのアドバイスで自信を持ち始めるジョシュ君もいい。すごくいい。そうよそうよ。ステキやんジョシュ君。

というわけでいい話でした。ちょっと泣いた笑。クリスマスのハート・ウォーミングなお話でした。ジョシュ君の家族も温かい。いいね。

人を好きになったら正直に。誠実に。



昔、10月頃にドライブ旅行でレイク・プラシッドに一度行った事がある。あそこは寒いぞ。冬は。小さな町ですが昔1980年に冬季オリンピックをやったらしい。スキーのジャンプ台があった。ローカルの体育館に行ったら地元の高校生がアイスホッケーの練習をしてた。空気が澄んで綺麗だった。


ところで小柄なアジア系の男性と白人女性のカップル。実はこの南の島では珍しくないのです。結構見かける。街でも普通に出会います。人種も民族もルックスもそれぞれ違う色んなカップルがいる。知り合いにもアジア系の男性と結婚している(または結婚していた)白人女性が数名いる。いろいろと混ざって平和。いいところ。



2022年1月10日月曜日

映画『ロスト・ドーター/The Lost Daughter』(2021):女であり母であり/悦びと後悔と





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『The Lost Daughter (2021)/ギリシャ・英・イスラエル・米/カラー
/2h 1min/監督:Maggie Gyllenhaal』
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数日前に見た映画。これもNetflixのおすすめに出てきて良さそうなので見た。これも賞取りシーズンでノミネートされている良作らしいし、中年女性の話ならなお良し。


中年女性レダが主人公。彼女はギリシャの海辺の町にホリデーでやってきた。イギリス人だが、現在は米国のハーバード大で文学の教授をやっている。48歳。一人旅。ビーチで出会った家族…若い母親ニナとその娘の様子が、過去のレダと彼女の娘二人を思い起こさせる。


中年女性がたった一人、ギリシャのビーチでホリデー。彼女は不機嫌で気難しそうだ。彼女がビーチで和んでいると騒がしい家族がやってきた。彼女はその家族を観察し始める。特に美しい母親と小さな娘に興味を持ったらしい。

映画の最初の20分ほどの彼女の様子を見て、これは女版『ベニスに死す』だろうかと思った。美しい母と娘を見て、中年の女が一人…海辺で哲学をするのかと思った。しかしそのような話ではなかった。

この映画は女の映画でした。

女性の作家(Elena Ferrante)の小説を
女性の監督(Maggie Gyllenhaal)が映画化

女性が女性を描く映画。

女とは…母であることと女であることの間で揺れ動く。



ネタバレ注意



ギリシャの海辺に休暇にやってきた中年女性レダが過去を思い出す。レダの若い頃のあやまち。レダは過去に不倫をして娘二人と夫を3年間捨てた。彼女に一生付き纏う後悔。


これは母親の恋の話。母親の不倫は罪…だと世間は言う。それは母親本人が一番わかっているはず。それならなぜ彼女達は母親でいながら恋に落ちるのか? いや母親であることと恋は関係ないのか?

母であること、女であることに引き裂かれる女性。


レダのストーリー

彼女は若くして結婚し子供を持った。子供はかわいい。しかし子供はぐずる。子供は四六時中母親に欲求し続ける。泣き叫ぶ。子供の欲求が満たされることは無い。子供は母親に「休憩」をくれない。それは永遠に続くようにも思える。母は子供の欲求に振り回される。

レダは優秀な女性。勤勉で常に上を目指し努力を続けてきた。自分を磨いて学んでもっともっと上に上る。彼女は博士号を取って教授になるぐらいの女性だ。レダには常に夢と野心があった。その彼女が今、一日中止むことの無い子供の欲求に時間を取られ続けている。

結婚して子供を持つのが早すぎた。

そんな時、大学にスター教授ハーディがやってきた。文学の世界では有名な教授だそうだ。彼女にとって彼は、ロックスターやスポーツのスター選手が身近にやってきたようなもの。そしてハーディーは彼女に個人的な興味を示してくれた。

ハーティはレダに「君の名前。レダとはprovocative(扇情的)な名前だね(=エロい名前だねと同じ意味)」などと言って誘惑する。

……レダはギリシャ神話の女性。全知全能の神ゼウスは美しいレダに惹かれた。ゼウスは自らを白鳥の姿を変えレダの元に舞い降り彼女と交わる……

そのハーディの誘いに若いレダも反応する。彼女はその頃、英国の詩人イェイツの作品『レダと白鳥』をイタリア語に翻訳していた。二人はインテリ同士の言葉で誘い誘われ酒に酔い、結局レダはその教授と関係を持つ。

まさかあの髭面の教授ハーディが白鳥だとは思えないが、それでも、それまで様々な理由で煮詰まっていたレダにとってハーディは白鳥のようにも見えたのかもしれない。全能の神ゼウスにさえ見えたのかも。大きな力のある魅力的な男がやってきて愛を囁いてくれた。


その場面。女として正直な気持ちを言うならあの場面のレダの気持ちは苦しいほどわかる。もちろん彼女は家族を裏切っている。しかし彼女の気持ちはわかる。彼女が頬を紅潮させ興奮するその気持ちの高ぶりはよくわかる。


ぐずる子供が原因ではない。子供がいるのにたまたま外の男性に惹かれた。誘われた。好きになった。そんなつもりはなかったのに。そして彼女は家を出る。子供を夫の元に残し家を出る。そして教授と3年間暮らした。

子供はかわいい。かけがえの無い宝物。家族を去るのは苦しい。決断力を要する。しかしレダは情熱に負けてしまう。そしてその後その事を一生後悔し続ける。

情熱は止められなかった。あやまちを犯す。3年間の夢。娘達に対して一生続く後悔。それでもいい。彼女の恋は止められなかった。


それにしてもレダは酷い女性なのですよね。子供にも夫にもひどい。許されるものではない。しかし彼女は自分を止められなかった。女性はず~っと我慢してある時ぱっと思い切ってしまう。そうしたら彼女を止めることはもうできない。そしてそんな「自分を止められない経験を持った女性」は、きっと結局は女である自分として後悔はしていない。周り中の皆を傷つけて全員に「こめんなさい」を言い続ける一生だったとしても、きっと女としての彼女自身はそのことを後悔していない。


昨今日本ではメディアやSNSで不倫をした者を糾弾する風潮があるようだ。不倫は罪。もちろんそうだ。しかし人にはそれぞれのストーリーがある。

人間は正しく生きるべき。それはまっとうな考え方だ。しかし人は「正しくあること」を指針に/人生の目標にして生きるべきではないのかもしれないとも思う。「正しいことの定義」は時代によって変化する。

しかし人の愛や情熱や喜びはどんな時代であっても変わらないものだ。

人が「正しいことの定義」のみに従って生きるのはむしろ問題だと思う。人間とは不完全なもの。不正確なもの。あやまちも犯す。しかしどんな時代にも、人間はそのあやまちを芸術として昇華してきた。人の人生にはエラーが起こる。バグもある。そんな人間のエラーやバグは、いつの時代にも文学や芸術の糧になってきた。



旦那Aがこの映画の最後に聞いてきた。

「若い母親ニナは、若い頃のレダと同じ間違いを犯そうとしている。レダはなぜニナを止めないのか?なぜ説得しないのか?」 実は正直私も同じ事を思った。しかし男の旦那Aが知りたがったから女の私はこう答えた。

「女にとって婚外の関係は、崖からジャンプするのと同じ。ものすごいリスクを背負う。それでもジャンプしてしまうのは、その瞬間、彼女達が無上の喜びを感じられるからだろう。気持ちの異様な高まり、興奮。熱情。それほどの喜びを感じることは他にないのかも。その喜びは何ものにも変え難いから。

レダが、若い母ニナを説得も止めることもしないのは、その喜びを彼女が一度経験して知っているからだろう。皆を不幸にしようがどうなろうが、情熱に駆られる女を止める事ができないのは、レダが自らの経験から知っている。

どうせ家は借りた誰かのアパート。鍵を渡せばレダに責任は無い。ニナはニナのやり方で勝手にやればいい。女は皆それぞれだから」



いろいろと書きましたけれど…情が薄く堅物な私が想像で書いている。女成分の強い女性とはそのようなものなんだろうね…と憧れとともに眺めたりする。

この…女が描く女の映画の主旨はそのようなものなのだろうと思うけれど、それにしてもサスペンス風味で、時々理解できないシーンがあったのは戸惑った。

松ぼっくりは木から落ちてきたのか?それとも誰かが投げたのか?
レダはなぜ人形を盗んだのか?盗んだシーンが無いから、私は誰かが彼女のバッグに人形を勝手に入れたのだろうと思っていた。
それにレダはなぜ人形を家族に返さなかったのだろう?
そして最後のシーン。レダが刺された後で何時間も過ぎた朝、海水に漬かった状態のまま目を覚まし、彼女はまだ生きていて、その上で娘と電話で話している。あの最後のエンディングが全くわからなかった。もしかしたらレダは刺された傷で瀕死の状態で幻覚を見ているのではないかと思った。


女とはなんだろう…と色々と考えさせられた。私はレダのような経験をしたことはない。それでも彼女のような女性を非難することはできない。人間のエラーは浪漫でもあると思いたい。子供がいないからそういうことを考えるのだろうと思う。


監督はインテリ・セクシー女優(そんな印象)のマギー・ジレンホールさん。女成分の強そうな女優さん。彼女にはすごく女哲学がありそうだ。初監督だそうです。脚本も担当。すごいね。

女優さん達も素晴らしい。うまい方々。

2時間の長い映画なのに中だるみもなく惹き付けられた。
やっぱり女を描く映画は面白い。




2022年1月9日日曜日

映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ/The Power of the Dog』(2021): 怒りの鎧を纏う男





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『The Power of the Dog (2021)/英・加・豪・新/カラー
/2h 6min/監督:Jane Campion』
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既に巷で話題になっている映画。先週Netflixで鑑賞。
原作の小説は読んでいない。


冬の賞取りシーズンで目立つところに出てくるであろう作品。様々な賞にノミネートされ、おそらく主演のカンバーバッチ氏は何かの賞を受け取ることになるのだろうと予想される。…と思ったら、今日ゴールデン・グローブ賞で作品賞を取ったらしい。

アメリカのインディーズ作品かと思ったら、ニュージーランドの女性監督Jane Campion氏の作品。ああ、それでアメリカ西部の話の主人公を英国人のカンバーバッチ氏が演じているのかと思う。それならアメリカ風味とは少し趣が違うのだろう。

ほぼ前知識の無い状態で見る。あらかじめ目にしたタグはLGBTQモノ?の印象。カンバーバッチが西部劇?…そんな程度の情報。ただ名作らしいと聞いたので見ようと思った。


★1925年のモンタナ州の大牧場。経営者はフィルジョージのバーバンク兄弟。フィルは荒野の荒くれ者カウボーイ。弟のジョージは穏やか。ジョージが食事処の女将ローズと結婚。ローズには医者を目指す繊細な息子ピーターがいる。



★ネタバレ注意

すぐにネタバレの話をするので、映画をまだ見ていない方は読まないほうがいいと思います。



ズバリ見所は…、
…「これはこういう話ですよ」…と最初に提示された情報が、映画の最後に向かって反対の方向に変わっていくことだろうか。メインの二人のキャラクターの立ち位置の変化を見て唸る映画。

荒野の荒くれ者フィルと、彼の弟ジョージと結婚したローズの連れ子・繊細なピーターの二人の関係が話の主軸。この(一見)正反対の二人の関わりを描くストーリー。


映画を見終わって少し読んだレビューで、この映画の題名「The Power of the Dog/犬の力」の解説…最後にピーターが開く聖書のページの一節=Psalm 22:20:

Deliver my soul from the sword; my darling from the power of the dog./私の魂を剣から、私の最愛の人を犬の力から救い出してください(←ネット上で拾った訳)

に触れ、ピーターが「犬=邪悪なもの=荒くれ者フィル」から「最愛の人/母ローズ」を守った話…だというのをいくつか読んだのだけれど、しかし私はそれが主題の映画ではないと思う。たぶん。結末の説明だけで全てを納得できるとという映画でもないだろう。


最後にショッキングな結末を持って来たことで、そればかりが印象に残るのかもしれないが、この2時間の映画の主旨は、カンバーバッチ演じる主人公・荒野の荒くれ者のフィルの内面を知る過程…彼の内面の苦悩を知る事だろうと思う。

フィルは苦悩の人。これ以上ないほど孤独な人物。しかし誰も彼の苦悩の本質を知ることはない。なぜなら彼は己を恥じ、彼自身の本質を誰にも知られないように自分の周りに巧妙に壁を築き、そこへ誰も踏み込ませない人生を送っているから。彼の荒野の荒くれ者のキャラは、彼の本質を隠すための鎧

その彼の本質とは
彼が同性愛者であること。
男性を愛することを指向する男性であること。
そして彼はそのことを誰にも言えない。


1925年のアメリカで…ましてやモンタナ州の荒野+田舎町で、男性が同性愛者であることは大変な問題。口にも出来ないほどのご法度。(この事柄については私も全てを理解しているわけではないのだが)アメリカの本質…神の国、正義の国、正しい国、キリスト教の教えの元に新しく築かれた国のルールとして、同性愛は大変なご法度だったらしい。とある説では(聖書の解釈次第によって)同性愛とは神に反する背徳行為である…罰せられて当然の行いである…そう思う人々もいる。迫害されることも少なくなかった。

今から100年も前の20世紀初頭のアメリカは同性愛者には大変生きづらい国だった。

その同性愛が「大変なタブー」だという感覚は、日本人には理解することも難しい。というのも日本なら歴史のわき道の話をほんの少しでも読めば、信玄や信長や前田利家あたりの衆道の話を目にするし、近代なら三島由紀夫氏が有名…。だから日本人はそのような話を聞いても「神に逆らった罰当たり。罰せられて当然の背徳者である」などと思う者はあまりいないだろう。同性愛者に対して日本人が(アメリカの人々が感じるような)根本的なタブーを感じることはあまりないのではないか。

しかしアメリカには同性愛者にとことん厳しい歴史があった。フィルの苦悩を理解するためにはまずそれを知る必要がある。


フィルのように、19世紀の終わり頃にアメリカで同性愛者として生まれた男性の苦悩は想像も出来ないほど。彼は裕福な牧場経営の家庭に生まれ、優秀で大学にも進学した。大学を出たら街でホワイトカラーの職に就くこともできたはず。牧場は弟に任せるか、または誰かを雇って経営さえすればいい。

その彼がなぜモンタナ州の荒野で自ら荒くれ者のカウボーイをやっているのか?

おそらく彼は大学で欧州の文学やギリシャの歴史などに触れ、自分の性的指向に気付いたのだろう。しかし時代は20世紀初頭。同性愛者への世間の目は厳しい。そして彼自身もまたそんな時代の厳格な環境/考え方の中で育った。だから彼は自分を許せない。己の性的指向が許せない。しかしどうすることもできない。苦しむ。その苦悩を隠すために荒野に出て荒々しく振舞う。いかにも荒くれ者で過剰に男らしく、男の中の男のように。彼は「荒野の荒くれ者」の鎧を纏い自分の本質を隠して長い間暮らしてきた。

その彼の苦悩が玉葱の皮を剥くように次第に明らかになっていく。それがこの映画の主題だろう。この映画はそれだけでOK。それ以外はおまけでもいい。

フィルは孤独。孤独は彼の人生に常に付き纏う。だから弟のジョージが結婚することにも腹を立てる。ジョージは女と幸せになった。ジョージは女に取られてしまった。ジョージの嫁ローズが憎い…。 

己の本質に正直に生きれば社会から迫害されることがわかっている男フィル。彼は常に心に不満と怒りを抱えている。そして彼の怒りは、自分よりも弱い者=女性と繊細な若者へと向けられる。


ストーリーは進む…

そんな鎧を被った荒くれ者のフィルの前に、ローズの息子・繊細なピーターが登場。そのピーターをフィルは苛める。紙で造花を作るピーターを女みたいな奴だと笑う。フィルは自分を抑えてきた苦悩から、ピーターの男らしくない繊細さにイライラさせられるのだろう。

しかしピーターはただの繊細な男の子ではなかった。


この映画のレビューをいくつか読むと、ピーターも同性愛者ではないかというものが多い。旦那Aもそうだろうと言う。しかし私は、彼が同性愛者である必要はないと思った。確かにピーターは一見繊細。しかし繊細なヘテロの男性は存在する。それに一見繊細そうに見えても、ピーターは優しい思いやりのある人物には見えない。いやピーターは恐ろしいほど冷酷。

一見女性的でヤワな青年に見えるものの、ピーターはそのような人物ではない。もしかしたら予測不可能な恐ろしいタイプ。実はサイコパスではないか。彼は常に無表情で心が読めない。小動物を顔色一つ変えずに殺せる…のはそれだけでかなりヤバくないか?

ピーターの性的指向がどのようなものかはストーリーにはあまり関係ないだろう。そのように描いているわけでもない(と思う)。

しかしフィルは思い違いをした。ピーターの繊細そうな外見や物腰から、フィルはピーターを彼の性的指向への理解者=同じ同性愛者だと思い、うっかりピーターに心を開いてしまう。

フィルは、彼がなぜ伝説の「ブロンコ・ヘンリー」を崇拝しているのかの理由もピーターに話して聞かせる。ブロンコ・ヘンリーとの思い出はフィルの大切な宝物。

フィルはピーターに隙を見せた。


そしてピーターの計画的行動。フィルの死。そしてその後、劇中の最後に聖書の一節「私の魂を剣から、私の最愛の人を犬の力から救い出してください」が出たことから、ピーターの本音がわからなくなってしまったようにも見えるが、彼の本質はただただ冷酷なサイコパス。彼の意図は「邪魔者は消せ」。 それにもしピーターに同性愛の指向が無いのだとしたら、ピーターはむしろフィルの事を「神へ逆らった背徳者は罰せられるべし」と思ったとも考えられる。

ピーターの心は読めない。冷酷で心が無いようさえ見える。もしかしたら彼は母ローズへの愛が異常に強すぎて、過去には自分の父親も殺したのかもしれない。そして将来もしかしたらジョージも…背筋が寒くなる。ピーターはまともな人間ではないのかも。


そんなわけでこの映画は対照的な二人の人物の立ち位置の逆転

フィル
「迫害する者・荒くれ者」から「苦悩を抱える孤独な男 時代の犠牲者」へ
ピーター
「迫害される者・繊細で物静かな青年」から「冷酷なサイコパス 殺人鬼」へ

…彼らの変化を見て唸る映画です。


カンバーバッチ氏が苦悩の男を熱演。しかし彼は目の色が薄いせいか表情が読み辛い。意図的な配役なのかも。彼は何か賞をとるかも。

そしてピーターのKodi Smit-McPhee氏はこれまた読めない。怖い。ウサギの場面あたりから何かやらかすんじゃないかとヒヤヒヤした。


音楽はRadioheadのJonny Greenwood氏。神経を張り詰めたような雰囲気が2時間。キリキリと緊迫した空気のせいか尺が長過ぎるとも感じなかった。引き込まれた。ロケはニュージーランドだと思うが、広大な荒野が美しい。



2021年11月28日日曜日

映画『Fake Famous』(2021): インフルエンサーは作られる・ゆるいドキュメンタリー






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『Fake Famous (2021)/米/カラー
Documentary/1h 27min/監督:Nick Bilton』
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週末に見たドキュメンタリー。また秋の夜長をつまらないドキュメンタリーを見て過ごしてしまったぞ。旦那Aがまたまた勝手にHBOチャンネルから録画していた映画。

A「こういうの興味あるでしょ」
亀「え、何?」
A「フォロワーとかサブスクライバーとかお金を出して買えるって言ってたでしょ」
亀「ああ…え~興味ないよワタシ…」
A「そんな話してたじゃん、ま、見よ見よ」

そんなわけでしぶしぶ視聴開始。


3人の若者…女優の卵、ゲイの不動産セールス、服飾デザイナーの男の子…をオーディションで選び、インフルエンサーに仕立てるべく実験開始。

彼らのインスタグラムに、嘘の(演出された)写真を大量に上げ架空のフォロワー(BOT)をお金で買い、いかにも世の中で人気だと見せかける。様々な嘘で塗り固めて「人気者のインスタグラマー像」を作ったら、実際に現実のインフルエンサーとしてどこまで成功するのか…を実験する。

結局男性2人は途中でリタイア。女優の卵の女の子だけが生き残った。そして彼女は結構成功する。


魅力的な写真をそれらしく演出するのはまず第一。
そしてその上に、架空のフォロワー(BOT)をお金で買う

架空のフォロワー/架空のID(BOT)とは、
プロのサービス会社が、世界中のインターネットのスペースから膨大な量の人々のアイデンティティのパーツ…顔写真、メールアドレスやSNSのアカウント、誕生日や好みなどなど…人々のありとあらゆるパーツを集めてバラバラにして、バラバラのパーツをまたランダムに組み合わせて実際には存在しない架空の人物を大量に作り出す。そうやって作られた「架空の人々」を(個人が)何千人、何万人の単位で購入…そしてそれらをフォロワーやサブスクライバーとして彼等のSNSアカウントに反映させる。例えば7500人のフォロワーは数百ドル/数万円で誰でも購入できるらしい。

そうやって(嘘の)魅力的な写真と(嘘の)フォロワー数を大量にインスタに追加していくと、いつの間にかそれが実際に世間の興味を惹くようになってくる。嘘で固めたインスタがいつのまにか本物のインフルエンサーを作り出す。この映画の女の子も実験としてほぼ成功する。すげえな。


そしてそんな個人のインスタグラマーが、世間的に人気者のインフルエンサーだと認定されると、今度は彼らの元に様々な企業から商品や製品がただで送られてきたり、旅行のパッケージが送られてきたりするようになる。彼等/彼女等は既に人気のインフルエンサーなのだから、彼等/彼女等が企業の製品をインスタに取り上げて使ったり、旅行に行って写真とともに感想を書くだけで、企業にとっては効果的な広告になる。確かにその通り。

そういえば私もここ1年以上、新型コロナが流行ってから外出を控えてお店に行かなくなったのだけれど、それで時々ネットショッピングの参考にするのがYouTubeの動画。例えば新作の口紅やファンデーションのことが知りたい時は、YouTubeで製品名を検索。それで出て来たコスメのレビュー動画を参考にしたりする。人気の女の子の動画を見ていると「昨日シャネルが新作口紅全色を送ってきてくれたのよ~」などと言って全色を代わる代わる口に塗って見せてくれたりする。面白いし参考になる。そんなわけで私は数週間前、とあるインフルエンサーの動画を見てファンデーションをオンラインで買った。
 

問題なのは…
今の時代は、個人が人気者のインフルエンサーになろうと思ったら、その人気を簡単にお金で買えるということ。嘘で嘘を固めて演出しても、それなりのインフルエンサーになれることの実験をして成功したということ。面白いですね。

またインフルエンサーになったその女優の卵の女の子は、後にテレビ・コマーシャルのオーディションにも合格。審査する側が彼女のインスタを見たのだそうだ。なんと彼女はインスタでの人気を現実でのキャリアアップにもつなげている。


なるほどな~。しかし興味ないですね~ないない全くない。実はこの映画も途中で数分寝てしまった。 しかしそんな私でさえもインフルエンサーの出してくれている情報を利用していたのですよね。なるほど。

それにしてもすごいなと思う。有名インフルエンサーになる方々は心臓が強い。自分の顔を晒し、己の言動にもますます責任をもたなければならないだろうし、有名なインフルエンサーになるって実際には大変な仕事ですよね。ほんとに。

個人のインフルエンサーとは、芸能プロダクションの保護の無い芸能人のようなものだろうか。だとしたら結構危ない仕事なのではないか。日本の有名なインフルエンサーの方々は芸能プロダクションに所属していらっしゃる方も多いみたいだけれど、アメリカのユーチューバーやインフルエンサーはどこかのマネジメントに属しているのだろうか。誰かに守られているのかな。 ともかく今の時代はそんなふうに個人が自分自身を宣伝してFAMEで商売をする活動もプロとして収入を得る仕事として認められるようになってきているのですよね。すごい時代になったものだ。


え~しかし私にはそういうものは全くわからない。名声なんて…自分の事が人に知られることさえ嫌。むしろ怖い。昔BABYMETALの事を書いてた時にヒットカウントが増えるとびびっていた笑。今はずいぶん落ち着いた。

人の名声に対する欲というのには大きな個人差がありますね。 昔若い頃に女優の卵の友人がいたのだけれど、彼女はスポットライトを使った撮影の現場を見て「あの光の中に入りたい」と言った。それに答えて私は「あのライトを持つ人やカメラマンになりたい…憧れるのは彼らの方」だと彼女に言った。 彼女はスポットライトの中に入りたいし、私はスポットライトの中なんて絶対に嫌。…それぐらいそういうものの感じ方には個人差がある。 インフルエンサーというのは元々スポットライトの中にいることが好きな方々なのだろう。彼等/彼女等にとって自分で自分を自由に演出できる今の時代はいい時代なのだろうと思う。



2021年11月17日水曜日

映画『Count Me In』(2021): ドンツッドドドンツッツードンドン…秋の夜長の暇つぶし




トレイラーの方がかっこいいわ


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『Count Me In (2021)/英/カラー
Documentary/1h 21min/監督:Mark Lo』
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Netflix。

秋の夜長…先週の週末に見た軽いドキュメンタリー。有名なロック系ドラマーの逸話を他のドラマーが喋り、またそれぞれのドラムへの思いを語るという内容。テレビで見て丁度いい軽さ。ドラマーの歴史かと思ったら、70年代のジャズやフュージョン系のドラマー達を全部すっとばして、有名どころのクラシック・ロックのドラマーだけを軽く取り上げたもの。アメリカの制作かと思ったら英国製。やっぱりクラシック・ロック雑誌レベルなのはそのせいか。

※追記:…と思ったのだけれど、今ちょっとパラパラ見直したら…結構いろんな事を喋ってますね。どうも編集がよくないのかも。ジンジャー・ベイカーとディープ・パープルのイアン・ペイスのシーン(リッチーとのデュオ)が良かった。
  

Ringo (Beatles)
Charlie Watts (Rolling Stones)、
Keith Moon (The Who)
John Bonham (Led Zeppelin)
Ginger Baker (Cream)

…等等のレジェンド達から始まって…

Roger Taylor (Queen)
Ian Paice (Deep Purple)
Nicko McBrain (Iron Maiden)
Nick Mason (Pink Floyd)
Topper Headon (Clash)
Stewart Copeland (The Police)
Clem Burke (Blondie)
Bob Henrit (the Kinks)
Rat Scabies (the Damned他)
Jim Keltner (Traveling Wilburys, Ry Cooder他)

…等等のベイビー・ブーマー/もうすぐレジェンドのドラマーの方々と、

Cindy Blackman Santana (Sanatna+カルロス・サンタナの奥さん)
Chad Smith (Red Hot Chili Peppers)
Stephen Perkins (Jane's Addiction)
Taylor Hawkins (Foo Fighters)
Abe Laboriel Jr. (Paul McCartney)

…等の中堅どころ、そして

Ben Thatcher (Royal Blood)
Samantha Maloney (Hole, Mötley Crüe)
Jess Bowen (The Summer Set)
Emily Dolan Davies (The Darkness, Bryan Ferry)

…等の若手ドラマーが登場して逸話を語る。ドラムへの愛も沢山色々喋ってます。


それぞれの年代のドラマーが「あの、あのドラマーはすごいんだよ。あのドラムは素晴らしい…」などと話す。まぁそれだけの印象。ほんとに雑誌の軽い記事を読んでるような内容。

※追記:↑これも…印象はそんな感じなのだけれど、2回目に見たら結構いろんな事を喋ってました。印象が軽いのは編集が散らかってるからかも。それぞれのエピソードの流れが滑らかではなくブツ切りに感じる。


それでも、80年代に流行っていた馴染みのあるバンドのドラマーを久しぶりに見れたのは面白かった。クラッシュのトッパー・ヒードンが結構爺さんでびっくり。ロジャー爺は相変わらずお元気そうだ。それからチャド・スミスが沢山喋ってた。それからサンタナの娘さんかと思ったら、奥さんだったという…シンディー・ブラックマンさん。彼女のことをもっと知りたい。

それから驚いたのは、2000年頃にモトリー・クルーのツアーでドラマーをやった女性ドラマーのサマンサ・マロニーさん。びっくりしましたねぇ。彼女はコートニー・ラブのホールのドラマーで、顔ぐらいは覚えていたけれど、まさかモトリー・クルーですか…。それはすごいわ。驚き。女性であのバンド…とは信じられない。びっくり。トミー・リーはどうしたのよ…と思ったら、その頃はトミー・リーはバンドを抜けていたらしい。へ~知らなかった。

というわけでクラシック・ロック雑誌風の軽~い逸話集でした。ビギナー向け。


ドラマーのドキュメンタリーならもっとテクニックのことを詳しく話して欲しい。例えばスティーブン・パーキンスがキース・ムーンの面白いドラミングの話をしているのに、そのすぐ後にキース・ムーンがいかにハチャメチャだったのかを数名に喋らせる。それでキース・ムーンがハチャメチャな印象しか残らない。印象は軽い。…それは編集の問題ですよね。

秋の夜長の暇つぶし。それでも往年のスターの今を見れたのは楽しかった。そういえばフィル・コリンズ爺は何処にいった?


ところで今、昨日から家の中に入ってきて窓に向かって大きな音を出して騒いでいた…大きな蛾を窓から逃がすことに成功。今すごく嬉しい。



2021年11月11日木曜日

映画『マネーボール/Moneyball』(2011): 安く効果的にチームを構築する





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『Moneyball (2011)/米/カラー
/2h 13min/監督:Bennett Miller』
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野球好きにはますます面白い映画。

今年の夏、生まれて初めて野球にはまった。夏の間中、毎日MLBの結果を見て一喜一憂。テレビの画面から聞こえてくる歓声も賑やかで楽しい。すっかりはまった。特にポストシーズンにはまった。

それ以上に旦那Aが夢中になった。私が大谷翔平さんを見るために試合の中継やまとめ番組を見て、じわじわと「野球面白いね」などと言い始めるよりも前に、旦那Aがまず野球にはまった。
…週末に野球の中継を見て大声で「あ~」だの「お~」だの言いながら応援する。そして時々試合の中継を一時停止して「あのね、ここが一番大切なのよ。これなんだよ。これがねぇ…」と解説を始める。大変迷惑。時々我慢できずに「ちょっと…黙っててようるさいわぁ」などと私も文句を言いながら中継を共に見る。

そんなふうに夏の日々を過ごしていた頃、旦那Aがこの映画のテレビ放送を勝手に録画していた。「メジャーリーグの話よ。見ようぜ」と言うのだけれど、私はなかなかその気になれずそのままになっていた。旦那Aは一人で見ていた。

11月になりMLBのポストシーズン…ワールド・シリーズも終わり、海亀は少し野球ロスになった。そんなわけで録画機に入っていたこの映画を見ることにした。もちろん旦那Aの解説付き。



面白かったです。

大雑把なあらすじは…
予算の少ないメジャーリーグのチーム、オークランド・アスレチックス/Oakland Athleticsが、ゼネラルマネージャーのビリー・ビーン(ブラッド・ピット)の手腕で…貧乏なチームながらも安いプレイヤーを効果的に配置し…勝利チームへと躍進するという話。ほぼ実話だそうです。なんと素晴らしい。



★ネタバレ注意

冒頭に2001年のアメリカン・リーグ、ディビジョンシリーズでの、ニューヨーク・ヤンキースオークランド・アスレチックスの試合の様子。もちろんアスレチックスは負けるわけですが、その後上手い選手達がアスレチックスを抜けてもっとお金持ちのチームに行ってしまう。さぁ大問題。そもそもこの二つのチーム、予算が桁違い。ヤンキースはお金持ち。アスレチックスは貧乏。要するにそういうことです。

貧乏なチームは優秀な価値の高いプレイヤーを雇えない。

有能な上手いプレイヤー達は人気者だから高い報酬を払わなければチームに来てくれない。結果上手い選手は、大抵ヤンキースとかドジャースなどのお金持ちのチームに取られてしまう。

結局お金なのか。貧乏なチームにチャンスはないのか?


それにチャレンジしたのがこの映画の主人公ビリー・ビーン…彼も元々は野球選手。しかし成績は振るわずその後スカウトに転身。 

2002年。ビリー・ビーンは、2001年のシーズンの後で上手い選手達を失ったアスレチックスの再構築をしようとプレイヤーのスカウトに奔走する。そんな彼に…具体的な数字で新しいスカウトのやり方…を示したのはピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)。クリーブランド・インディアンスのオフィスで仕事をしていたピーターは、イエール大学で経済を学んだ秀才。ピーターは、各種統計から選手を客観的に評価する「セイバーメトリクス」を用いて、他のスカウトとは違う尺度で選手を評価していた。 ビリーはピーターを引き抜き、(ピーターの)統計を元にした選手の再評価により、安価なプレイヤー達をアスレチックスに雇い、効果的に配置して強いチームを構築していく。

そのプロセスが面白い。もちろんお約束は…感動的な結果に繋がる。アスレチックスは強いチームに変わるわけです。興奮する。すごい話。


の統計を元にした選手の再評価とは…

例えば…スコット・ハッテバーグ/Scott Allen Hatteberg。
彼は元々キャッチャーだった。ところがキャリアの途中で肘の怪我。そのために強いボールを投げられなくなってしまった。キャッチャーが上手く投げられないのは大問題。というのもキャッチャーは、敵のランナーの一塁から二塁への盗塁を見たら素早くホームから二塁へボールを投げなければならない。また一塁や三塁に投げるケースも多い。しかし彼は肘を負傷してボールが投げられない。致命的。どのチームもキャッチャーとしての彼に高額の報酬を払いたいとは思わない。むしろ安く叩かれてしまう。

投げられないキャッチャーは使い物にならない。しかし彼は打てる。それなら彼を一塁手に育てたらどうだろう。一塁手なら、キャッチャーに比べて大きく投げる場面は少ない。一塁手は球を受け取る場面のほうが多い。一塁手なら彼にも出来る。そんなわけでアスレチックスはハッテバーグを95万ドルで契約。そして彼は打者として、一塁手として大活躍する。


そんなふうにアスレチックスは、負傷した選手、年をとり過ぎた元スター選手、素行の悪いやんちゃ選手…等等を比較的安価で契約し新しくチームを構築。プレイヤー達の個々の成績…出塁率/長打率/選球眼/慎重性/投手/与四球/奪三振/被本塁打数/被長打率…などなどを数字で分析し、それにしたがってプレイヤー達を適材適所に置いて最大限の効果を引き出す。そうやって出来たチームは、驚くほど強く成長した。


いい話です。ひととおりMLBのシーズンを楽しんで、様々なニュース等を見て知識を得た後で見るととても解かりやすかった。もちろんわからない事があれば旦那Aの…大得意で説明してくれる…便利な解説付き。すごく面白かったです。

なによりも、金さえ出せば上手い選手を買い放題の金持ちのチーム達を相手に、予算の足りない貧乏チームが立ち向かい孤軍奮闘する様子には燃える。そしてしっかり結果を出す。興奮する。すごいね。ほぼ実話だそうだ。


映画の元になった話は、マイケル・ルイスによるノンフィクション書籍…このアスレチックスの成功を記録した『マネー・ボール~奇跡のチームをつくった男/Moneyball: The Art of Winning An Unfair Game』による。
…オークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャー(GM)に就任したビリー・ビーンが「セイバーメトリクス/Sabermetrics」と呼ばれる統計学的手法を用いて、MLB随一の貧乏球団であるアスレチックスをプレーオフ常連の強豪チームに作り上げていく様を描いたもの(wikipedia)…それを元に映画が制作された。


ブラッド・ピット演じるゼネラルマネージャー(GM)ビリー・ビーンは実在の人物
経済を学んだイェール大学卒のGM補佐=ピーター・ブランドのキャラクターの、実際の人物の名前はポール・デポデスタ。彼はハーバード大学で経済学を学んだ。クリーブランド・インディアンスのフロント・オフィスからオークランド・アスレチックスに移り、GM補佐としてGMのビリー・ビーンを5年間支えた。デポデスタ氏は映画で実名が使われて有名になることを好まなかったらしい。そこでピーター・ブランドのキャラクターが作られた。


MLBの裏話が見れて面白かった。この『マネーボール』のアスレチックスの話は2002年。もう20年も前の話だ。 

今年のMLBもシーズンが終わって、今の季節は各チームが新しいプレイヤーの獲得に奔走しているはずだが、この映画で描かれた「セイバーメトリクス」の方法は、現在どのチームも採用しているのだそう。またアメリカの主要なスポーツメディアは、セイバーメトリクスの各種の指標を選手成績として公表しているそうだ。まさに革命的な事件だったのですね。すごい話。



2021年10月26日火曜日

映画『オー・ルーシー!/Oh Lucy!』(2017): コメディではないのだろう




▲この日本の予告の最後の
「人生の可能性に気付かせてくれる希望の物語…」は嘘ですよ笑


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『Oh Lucy! (2017)/日本・米/カラー
/1h 35min/監督:Atsuko Hirayanagi・平柳敦子』
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HDに去年録画した映画。TV Japanでの放送は去年の11月27日。


結構不快な映画。きつい。苦しくなる。しかし映画としては上手いのかも。しかし少し設定に無理があり過ぎではないか。そもそも話の展開が極端すぎないか。


主人公・節子はやさぐれた独身のOL43歳。

最初、彼女の日々は淡々と過ぎていくように見えた。何も面白いことのない陰鬱な日々。それでも日々は過ぎる。様々なものを諦め、孤独を自覚し、それでも淡々と生きている…そんな女性なのだろうと思って見ていた。

ある日節子は姪の頼みで怪しい英会話学校に通うことになる。若いアメリカ人のジョン先生に「友情のハグ」をされて…妙なスイッチが入ってしまう。(学校を辞めて帰国した)先生を追いかけて、節子は姉とアメリカまで出かけていく。


最初私はこの映画を中年女性のどたばたコメディだとばかり思っていた。だから前半の東京での節子の暗い日常は、節子がアメリカに行ってから明るく弾けて自由をエンジョイする前のプロローグだろうと思った。東京の生活がどんなに暗くても、一旦カリフォルニアに行ってしまえば、コメディ映画らしく明るい空の下での面白いエピソードも沢山出てくるのだろうと思っていた。そうではなかった。

節子は暴走する。10歳ぐらい年下だろうか…若いジョンに一方的に欲情。ろくに会話も出来ないのに本気で好きになったらしい。そして彼女の行動は異常になっていく。


★ネタバレ注意

東京の英会話教室での先生との「ハグ」。それでスイッチが入った。ただそれだけ。たったそれだけで若い外国人に本気で恋をする。そして暴走。白人でちょっと顔が良かったからときめいたのか。それともイケメンのガイコクジンなら誰でもいいのか。あまりに強引。迷惑。相手のことなど全く考えてはいない。ただただ一方的に感情をぶつけて…戸惑うジョンに「I love you」と迫り「You are crazy, I don’t love you.」と怒鳴られ泣く。あたりまえだ。ただ頭がおかしい。

そしてジョンだけでなく、他の人々との関係もずたずたにして暴走した挙句、姉と姪からは絶縁。失意のまま帰国し、出社したらまた災難が降りかかる。


最後に節子を救う役所広司/トムとの場面だけが唯一まとも。彼だけが…もしかしたら節子を救ってくれるのかも。最後はほんの少しだけ可能性を見たような気がして映画は終わる。


リアルなのだろうか。よくわからない。物の多すぎる雑然とした部屋に篭る孤独な中年女性が、ある日イケメンガイコクジンのハグでスイッチを入れられる。彼女は過去にも色々とあったようだ。しかしだからといって、あのような行動が許されるはずもなし。

気になる事が二つある。

①. 彼女が崖っぷちなのは理解できる。43年間いろいろと上手くいかなかったらしい。しかし彼女のトラウマの元…姉と元彼の話も(姪が20歳ぐらいなのだから)…20年も前の話だ。彼女が傷ついたのは23歳ぐらいだろうか。引き摺るには若過ぎる。23歳でだめなら、25歳、27歳、29歳 30歳、35歳、40歳…と20年の間に立ち直るチャンスは何度かあったはずだ。なぜそんなに長い間彼女は立ち直れなかったのか? 

②. そしてガイコクジンのジョンに対する行動は…人に対する尊敬に欠けている。一度ハグされてぽ~っとなって欲情。相手の都合も考えず押しかけていく。しかしあんな強引なやりかたは相手に失礼。ただ強引に暴力的に自分の感情を相手にぶつけて「I love you.」などと迫る。相手に対しての尊敬は微塵も無い。

そもそもなぜそのようなことが出来るのか?

ジョンがガイコクジンだからではないか。ガイコクジンが相手なら少し羽目を外してもいいと思ったか。それなら旅の恥は掻き捨てと同じだ。結局ジョンはガイコクジンというモノでしかないのだろう。それがどれほど相手に対して失礼なことなのか、彼女は気付かない。

あ…そうか。そういえば役所広司/トムさんに対しても同じように迫ってましたね。 トムさんが冷静だから救われた。


もっと相手を、そして自分を大切にしたほうがいい。彼女は人を傷つけ、同時に自分を傷つける。彼女のあのやり方では、人に大切に扱ってもらえないだろう。愛されることも難しいと思う。



少し考えさせられた。

女性の40代は、本来人として魅力的な年代であるはずだ。十分に人生経験を積み、知性を蓄え、落ち着いていて心のゆとりがあって、そして金銭的にも余裕がある大人の女性。人として円熟する中年期だからこそ…大人の男女の出会いだってもっとあってもいい。

ただ日本でそれは可能なのか? メディアやネット上での情報でしかわからないが、よく聞こえてくる日本の男性の声は「女は若ければ若いほどいい」。もし本当に日本の男性の多くがそう思っているのだとしたら大きな問題だろう。

もし日本の男性が「女は若ければ若いほどいい」と実際に思っているのだとしたら、節子のように40歳を過ぎた女性が(誰かといい関係を育む)希望や、(出会いに関する)心のゆとりを持つことは難しいのかもしれない。節子の異常な行動は、もしかしたらそんな社会が彼女を追いつめた結果かもしれない。


見ていて苦しくなった。ストーリーの展開も極端。それなのに話にはぐいぐい引き込まれて95分の長さも短く感じるほどだった。映画としてうまいのだろう。俳優さん達も全員素晴らしい。


一見アイデアはコメディなのに、内容が暗いのでどう受け取ればいいのか戸惑った。ここには真面目過ぎるダメ出し説教感想を書いてしまったが、もっとお気楽にこの映画を見ればいいのだろうか。しかしこの節子さんの暴走はコメディと言うには中途半端で妙にリアル。だから苦しくなる。彼女を見ているとおかしいというよりも悲しくなってしまう。


それにしても「若い女性」ばかりを好む日本の男性は、精神的に成熟した女性と共に楽しい会話をして、いい時間、豊かな時間を共に過ごそうとは思わないのだろうか。女性と尊敬し合い、信頼し合い、助け合ういい友情を育みたいとは思わないのか。


最後の駅のシーンの二人はまるで夫婦のようだ。もし節子さんがこれからトムさんとの交流を始めるのなら、まず穏やかな友人関係から始めればいいと思う。のんびり茶飲み友達でいい。二人が恋愛前提ではない…落ち着いたいい友人同士になれればいい。