義経が周りに振り回される…辛いね
★あらすじ
義経失踪まで
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●京
1185年 夏 京に戻ってきた源義経(菅田将暉)。
義経の叔父・源行家(杉本哲太)が義経に鎌倉を攻めるよう誘う。
義経は乗らない「兄とは戦いたくない」
義経の不運① トラブルメーカー叔父 |
●鎌倉
前回、義経を鎌倉に入れなかった源頼朝(大泉洋)。
今回は義経をねぎらいたい…会いたいと言う「詫びてくれれば」
義経を伊予守にして検非違使を辞めさせて鎌倉に呼び寄せよう。
しかし後白河法皇(西田敏行)は義経を検非違使のまま伊予守に命じる(8月16日)
義経が検非違使を辞めていないと聞いて頼朝が怒る。
それなら父・義朝の供養をしようと阿野全成(新納慎也)がアイデアを出す。
父の供養のために義経を呼び寄せよう。
●京
北条義時(小栗旬)が京へ。父の供養の話に義経が喜ぶ。
しかし叔父・行家が義経の鎌倉行きを止める「殺されるぞ(10月13日頃)。
後白河法皇も義経を止める。
その頃 義経の京での人気は落ちていた。
義経をめぐり里(三浦透子)と静(石橋静河)が争っている。
里が嫉妬から僧兵・土佐坊昌俊(村上和成)を雇い、義経と静御前を襲わせる(堀川夜討 10月17日)
行家は、それが鎌倉からの刺客だと言い、また義経に挙兵を促す。
文治元年 1185年
10月18日 後白河法皇が義経に頼朝討伐の宣旨を下す。
●鎌倉
頼朝を恐れた法皇は、今度は頼朝追討の宣旨を取り消し、
頼朝に義経追討の宣旨を下す(11月11日)。
●鎌倉
頼朝軍、鎌倉に引き返す(11月8日)。
●京
北条時政(坂東彌十郎)+義時が京都守護として千騎の兵を率いて上洛(11月24日)…行家と義経を捕らえるため西国諸国を鎌倉が治めること…「守護・地頭の設置」を法皇に認めさせる(文治の勅許)(11月28日)←鎌倉が法皇に圧力をかけた。(時政の京での在任期間は4ヶ月間)
夜、時政と義時の京の宿所に義経が現れ、別れを告げる。
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★問題は雪ダルマのように
流れを書きましたけど、なんだか義経は周りに振り回されていますね。周りの皆が義経にああしろこうしろと指示を出し、アドバイスをし、頼み、宣旨を出し、行動を止めさせ、一方で鎌倉の頼朝はいちいち義経に腹を立てる。そしてどんどんこじれていく。
なんだかな…もどかしいね。この兄弟の関係のこじれって、前回、義経が平宗盛親子を鎌倉に連れて帰った時に、頼朝が義経を鎌倉に入れなかったことがいけなかったのですよね。あれがすごくもどかしかった。二人があの時点で会って話をしていれば、頼朝の義経に対する不安もこれほど大きくならなかったのでは。頼朝はなぜ義経に会わなかったのだろう。
頼朝は表では義経に怒るのに、プライベートではメソメソ泣く。なんだそれ。そんなに義経が可愛いならなぜあの時鎌倉に入れて会わなかったんだよ…と文句も言いたくなる。頼朝はよくわからん人。
というわけで、それでもう決裂かと思ったら、また今回「義経に会いたい、労いたい」と言う。ええええええ?まだ義経に未練があるの?
なんかね…頼朝が小さい男なんですよ。あれだけ大勢の御家人達に囲まれてるのに、なぜ義経を怖がるのだろう? 義経が後白河法皇と仲良くしてるから怖くなったのですよね。頼朝は義経を信じることができない。今回も結局義経の行動を誤解し、びびって全軍率いて京に攻め入ることにした。
問題はトラブルメーカーの叔父・行家と天狗の後白河法皇。
…義経を襲った土佐坊昌俊が、妻の里が手配したことになっていることは明らかにフィクション。『吾妻鏡』では、土佐坊昌俊が鎌倉から送られたという話らしいのだけれど証拠はないらしい。
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★愛を求める義経
さて義経。せっかく平家を倒したのに、その後にこれだけの災難がふりかかる。なぜ?
戦では天才…勝つためのアイデアが湧いて、勝つために無茶をすることも躊躇しない。勇敢。大胆。そして実戦で勝ち続ける。まるでゲームのように戦を楽しむ人。
波に乗っている時は人の意見も耳に入らない。ルールも常識も無視。目標しか見えていないから周りが見えない。だから周りの賛同を得られない、嫌われる。しかし戦場ではそれが彼独自の「正しいやり方」。そうと決めたら決して曲げない。そして勝つ。そこが天才型。
目標を達成して燃え尽きる。心が落ち着いてから見回すと周りに誰もいない。皆がそっぽを向いている。誰も寄ってこない。皆が自分を避けている嫌っている恐れている。不安になる。
こういう天才型の人、いますよ。結構リアル。だからかわいそうになる。
そして政子には母親の愛を夢見た「九郎は御台所の膝の温かさ、生涯忘れない」 悲しいね涙
今回の最後、北条時政が父親のように義経に話をしている。
「自信をつけるには何が要るか。経験でござるよ。まだまだこれからじゃ」
こういう人が義経の上にいてくれたなら…。
そして義経は去っていく。
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★範頼はまだ宝剣を捜しているらしい
★静御前は妊娠中
前回、義経を鎌倉に入れなかった源頼朝(大泉洋)。
今回は義経をねぎらいたい…会いたいと言う「詫びてくれれば」
義経を伊予守にして検非違使を辞めさせて鎌倉に呼び寄せよう。
しかし後白河法皇(西田敏行)は義経を検非違使のまま伊予守に命じる(8月16日)
義経の不運② 京の天狗 |
義経が検非違使を辞めていないと聞いて頼朝が怒る。
それなら父・義朝の供養をしようと阿野全成(新納慎也)がアイデアを出す。
父の供養のために義経を呼び寄せよう。
●京
北条義時(小栗旬)が京へ。父の供養の話に義経が喜ぶ。
しかし叔父・行家が義経の鎌倉行きを止める「殺されるぞ(10月13日頃)。
後白河法皇も義経を止める。
その頃 義経の京での人気は落ちていた。
義経をめぐり里(三浦透子)と静(石橋静河)が争っている。
義経の不運③ 強気な女二人 |
里が嫉妬から僧兵・土佐坊昌俊(村上和成)を雇い、義経と静御前を襲わせる(堀川夜討 10月17日)
行家は、それが鎌倉からの刺客だと言い、また義経に挙兵を促す。
文治元年 1185年
10月18日 後白河法皇が義経に頼朝討伐の宣旨を下す。
●鎌倉
10月22日 その情報が鎌倉に届く
頼朝激怒。
頼朝激怒。
行家が去る(行家はその後鎌倉軍に殺害される 翌年の5月)
義経、静御前との別れ。里は義経に同行。
義経 京を離れ落ち延びる、失踪(11月3日)。
義経、静御前との別れ。里は義経に同行。
義経 京を離れ落ち延びる、失踪(11月3日)。
たすけて 義経 |
頼朝を恐れた法皇は、今度は頼朝追討の宣旨を取り消し、
頼朝に義経追討の宣旨を下す(11月11日)。
●鎌倉
頼朝軍、鎌倉に引き返す(11月8日)。
●京
北条時政(坂東彌十郎)+義時が京都守護として千騎の兵を率いて上洛(11月24日)…行家と義経を捕らえるため西国諸国を鎌倉が治めること…「守護・地頭の設置」を法皇に認めさせる(文治の勅許)(11月28日)←鎌倉が法皇に圧力をかけた。(時政の京での在任期間は4ヶ月間)
夜、時政と義時の京の宿所に義経が現れ、別れを告げる。
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★問題は雪ダルマのように
流れを書きましたけど、なんだか義経は周りに振り回されていますね。周りの皆が義経にああしろこうしろと指示を出し、アドバイスをし、頼み、宣旨を出し、行動を止めさせ、一方で鎌倉の頼朝はいちいち義経に腹を立てる。そしてどんどんこじれていく。
なんだかな…もどかしいね。この兄弟の関係のこじれって、前回、義経が平宗盛親子を鎌倉に連れて帰った時に、頼朝が義経を鎌倉に入れなかったことがいけなかったのですよね。あれがすごくもどかしかった。二人があの時点で会って話をしていれば、頼朝の義経に対する不安もこれほど大きくならなかったのでは。頼朝はなぜ義経に会わなかったのだろう。
頼朝は表では義経に怒るのに、プライベートではメソメソ泣く。なんだそれ。そんなに義経が可愛いならなぜあの時鎌倉に入れて会わなかったんだよ…と文句も言いたくなる。頼朝はよくわからん人。
というわけで、それでもう決裂かと思ったら、また今回「義経に会いたい、労いたい」と言う。ええええええ?まだ義経に未練があるの?
なんかね…頼朝が小さい男なんですよ。あれだけ大勢の御家人達に囲まれてるのに、なぜ義経を怖がるのだろう? 義経が後白河法皇と仲良くしてるから怖くなったのですよね。頼朝は義経を信じることができない。今回も結局義経の行動を誤解し、びびって全軍率いて京に攻め入ることにした。
問題はトラブルメーカーの叔父・行家と天狗の後白河法皇。
特に法皇。困ったなぁこのジジイ。 しかしやっぱり武家は法皇のパワーには逆らえないのですかね。義経もぐずぐずせずにとっとと鎌倉に単身でこっそり帰ればいいのにね。だめ?
なんだか拗れて拗れて拗れきってるからよくわからん。なぜそんなに後白河の顔色を伺わなければならないのか?法皇の具合が悪かろうがそんなの知るもんかって思いますよねぇ。しかし中世の天皇家のパワーは絶対なのだろうな…。
それから、(フィクションだけれど)奥さんも土佐坊昌俊を連れてきて…などと余計なことをする。(行家の言葉で)義経はそれを鎌倉からの刺客…頼朝の指示だと信じてしまう。
なんだか拗れて拗れて拗れきってるからよくわからん。なぜそんなに後白河の顔色を伺わなければならないのか?法皇の具合が悪かろうがそんなの知るもんかって思いますよねぇ。しかし中世の天皇家のパワーは絶対なのだろうな…。
それから、(フィクションだけれど)奥さんも土佐坊昌俊を連れてきて…などと余計なことをする。(行家の言葉で)義経はそれを鎌倉からの刺客…頼朝の指示だと信じてしまう。
里さんと静さんの揉め事も、義経が自分で蒔いた種だとはいえ拗れてます。
…義経を襲った土佐坊昌俊が、妻の里が手配したことになっていることは明らかにフィクション。『吾妻鏡』では、土佐坊昌俊が鎌倉から送られたという話らしいのだけれど証拠はないらしい。
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★愛を求める義経
さて義経。せっかく平家を倒したのに、その後にこれだけの災難がふりかかる。なぜ?
戦では天才…勝つためのアイデアが湧いて、勝つために無茶をすることも躊躇しない。勇敢。大胆。そして実戦で勝ち続ける。まるでゲームのように戦を楽しむ人。
波に乗っている時は人の意見も耳に入らない。ルールも常識も無視。目標しか見えていないから周りが見えない。だから周りの賛同を得られない、嫌われる。しかし戦場ではそれが彼独自の「正しいやり方」。そうと決めたら決して曲げない。そして勝つ。そこが天才型。
目標を達成して燃え尽きる。心が落ち着いてから見回すと周りに誰もいない。皆がそっぽを向いている。誰も寄ってこない。皆が自分を避けている嫌っている恐れている。不安になる。
そんな時に彼の心の隙につけこんで利用してくる者がいる。不安だから寄って来る者を簡単に信じて踊らされる。そして問題が大きくなる。
「私の何がいけなかった?」
こういう天才型の人、いますよ。結構リアル。だからかわいそうになる。
義経は純粋過ぎる。子供のよう。この義経は戦以外ではあまり能力もなく、意志も強くないのかも。彼は周りの人の言葉に簡単に惑わされる。人に振り回される、人を疑わないということは…実は己の中に強い信念が無いということかもしれない。
こんな義経は…懐の大きな主人が抱えて可愛がって面倒を見る。そしてまた戦になったら褒めて活躍の場を与える…褒めてうまくあやして側に置いておけば、義経は主人にとっても強力な駒になったはず。
それなのに…兄の頼朝は人を信じられない男。
義経が藤原秀衡に可愛がられたのは、秀衡の懐が大きかったからなのだろう。義経に必要だったのは父親のように全てを受け止めて愛情を与えてくれる人。義経は愛情を求めていた。頼朝にも後白河法皇にもそれを求めたが、彼らはただ義経を利用しただけ。
こんな義経は…懐の大きな主人が抱えて可愛がって面倒を見る。そしてまた戦になったら褒めて活躍の場を与える…褒めてうまくあやして側に置いておけば、義経は主人にとっても強力な駒になったはず。
それなのに…兄の頼朝は人を信じられない男。
義経が藤原秀衡に可愛がられたのは、秀衡の懐が大きかったからなのだろう。義経に必要だったのは父親のように全てを受け止めて愛情を与えてくれる人。義経は愛情を求めていた。頼朝にも後白河法皇にもそれを求めたが、彼らはただ義経を利用しただけ。
そして政子には母親の愛を夢見た「九郎は御台所の膝の温かさ、生涯忘れない」 悲しいね涙
今回の最後、北条時政が父親のように義経に話をしている。
「自信をつけるには何が要るか。経験でござるよ。まだまだこれからじゃ」
こういう人が義経の上にいてくれたなら…。
そして義経は去っていく。
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★範頼はまだ宝剣を捜しているらしい
★静御前は妊娠中