能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2022年5月6日金曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第16回「伝説の幕開け」4月24日放送



木曽義仲散る。義経+範頼の源氏軍、平家を追撃。一の谷の合戦。

義経の菅田将暉さん最高。この義経は面白い。強ければよし。悪くてもよし。しかし敵に回したらたまらんな。そして実直な木曽義仲の最期無念。巴御前が美しかった。


あらすじ
鎌倉を出た源氏本軍が義経と合流。1184年1月 宇治川の戦いで義仲軍敗北。その後源氏軍は西に進み、福原の平家軍に襲い掛かる。一ノ谷の戦いで義経の活躍。



義経+範頼の軍の動き
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本軍 鎌倉を出発
後白河法皇(西田敏行)の「頼朝追討」の院宣が出された。法皇の背後に木曽義仲(青木崇高)がいる…ということで、源頼朝(大泉洋)は計画通り先発の義経(菅田将暉)を追って本軍を派兵。総大将は源範頼(迫田孝也)。軍奉行は梶原景時(中村獅童)。


本軍は、
和田義盛(横田栄司)土肥実平(土肥実平)畠山重忠(中川大志)千葉常胤(岡本信人)岡崎義実(たかお鷹)他。
頼朝が「平家の所領を分け与える」と御家人達を奮い立たせる。

鎌倉に残るのは、
源頼朝(大泉洋)と北条時政(坂東彌十郎)比企能員(佐藤二朗)。


寿永3年(1184年) 年が開けて本軍が鎌倉を出発。
墨俣で義経の軍と合流。

義仲と義経
京の義仲義経に「共に平家を討とう」と文を送るが、義経は使者を殺して返す。

義経の策「我らの兵を1000人だと噂を流せ」
義仲「(義経の軍)恐るに足りず」 ←義経の策に騙される。

宇治川の戦い
1月15日 義仲軍が宇治川で対峙した義経の軍は大軍だった。

この時の
義仲の軍 約400騎 +今井兼平(町田 悠宇)の500余騎(瀬田の唐橋)
義経の軍 25000騎 +範頼軍 30000騎

義経、宇治川を突破。京に入る。激戦。
義経 後白河法皇を確保

義仲、京から退却「北陸に戻り再起を図る」

義経 土肥実平(阿南健治)を連れて御所へ。
後白河法皇のねぎらいの言葉に、義経は休まないと言う。
「これより義仲の首をとり、西に向かって平家を討つ。休んでいる暇はない!」 
後白河法皇が喜ぶ。

巴御前との別れ 義仲の最期
義仲 京を出て近江に向かう

木曽義仲
勇猛 今井兼平

義経が追う

1月16日 義仲の向かう先に範頼の軍が待つ 激戦。
義仲 巴御前(秋元才加)に別れを告げる。意図的に「捕らえられて鎌倉へ行き嫡男・義高へ文を届ける」ことを指示。

別れ 巴御前

巴御前 和田義盛に捕えられる
1月20日 義仲 討ち取られる(粟津の戦い)

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武将達から鎌倉への戦果の報告
 土肥=乱筆 殴り書き
 和田=イラスト付き
 義時=細かすぎ 冗長
 梶原=簡潔で読みやすい
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平家討伐の軍議

平家の本陣は福原

義経の策「福原の北・三草山の平家軍に夜討。東西の平家の軍を散らす。そこで敵の予想外の方向から責める。また法皇に平家への和議の文を書いてもらう=平家軍を油断させる。義経の軍は法皇の指図を知らなかったとして平家に攻め込む。騙まし討ちの何が悪い」

法皇が「平家への偽の和議の申し入れ」の話に乗る…福原の平宗盛(小泉孝太郎)に源氏との戦を止めるよう文を送る。

戸惑う宗盛

平宗盛

三草山の戦い
寿永3年2月5日(1184年3月18日)
義経軍、三草山で平家軍に夜討ちをかける。義経勝利。

義経軍早朝、次の攻撃のため三草山から福原に向かって現地の下見。鵯越は敵も予測しやすい。鉢伏山から降りる。まず馬を行かせる。その後で人が降りる…と計画。

2月6日(福原の平家一門へ、後白河法皇から源氏との和議を命じる文の使者)

一ノ谷の戦い
治承8年2月7日(1184年3月20日)
義経軍の70騎が鉢伏山の断崖の上。一ノ谷の平家陣営の裏手に向かって進軍。

(塩屋口の西城戸 熊谷直実・直家父子平山季重らの5騎で開戦+土肥実平率いる7000余騎が駆けつけて激戦)

午前6時 福原の東・生田口 範頼軍布陣。
範頼軍と平知盛(岩男海史)軍が激突
平家軍2万騎 × 範頼軍 梶原景時、畠山重忠以下の大手軍5万騎)

(生田口、塩屋口、夢野口で激戦)

義経軍の70騎 突然崖から義経軍の兵が降りてきた!一ノ谷の平家陣営の裏手から義経軍が襲いかかる(一ノ谷の合戦)。義経奮戦。

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戦地では
和田を始め御家人達が梶原景時に反発。まだ上総介の件がしこりを残している。
義経のルール違反(偽の情報を流し、後白河法皇を巻き込んだ偽の和議の申し出)
義経のルール違反に眉をひそめながらも義経の戦の才に感服する梶原景時「戦神・八幡大菩薩の化身のようだ」
木曽義仲のいい人ぶり。法皇には頼朝が平家を討ってくれると告げて京を去る。
和田巴御前が捕らえられる。

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鎌倉

・義時の嫡男 頼朝命名=「金剛」。ストロング金剛か。

北条時政が鎌倉に帰ってきた。前回の上総介の件で「頼朝に逆らうと滅ぼされ、所領は御家人達に分け与えられる」ことが明らかに。御家人同士の馴れ合いは終わり。源氏に取り入るのが北条の生きる道」

政子(小池栄子)は御家人達の駆け込み寺になると意思をもつ。また義仲が討たれたことを知り、義高(市川染五郎)を守ろうとする。

・関東に残る三浦義村(山本耕史)が八重(新垣結衣)を訪ねて母を亡くした赤子を託す。

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松尾芭蕉義仲LOVE。彼はお墓を隣にしたぐらい義仲のことが好き。このドラマの義仲はすごくいい人。芥川龍之介も義仲LOVEだそうだ。私もこのドラマで好きになった。実直な義仲。もっと義仲のことを調べようと思った。

巴御前が綺麗だった。義仲との別れの場面の一瞬の涙の表情が忘れられない泣。彼女は和田さんに捕まったけれど、敵に捕まるのは屈辱だろう。私達は和田さんがいい人だとわかっているけれど、巴さんには辛いですね。

武者達の鎧姿が美しいなと思う。大変美しい美術工芸品。それを着る人々も美しい。惚れ惚れ。

前回の上総介も今回の義仲も…いい人達が頼朝にやられていく。そういう流れのドラマなのだろう。頼朝側がどんどん邪魔者を粛清して自分が突然死。その後北条が乗っ取るということだ。今の北条義時はまだおとなしい。前回も今回も頼朝や義経の言う事をおとなしく聞いていて彼らに反抗しない。彼はまだ21歳とか22歳ぐらいかな。後半とのコントラストでしょう。