能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年4月15日日曜日

映画『ハッピーニート おちこぼれ兄弟の小さな奇跡/Jeff, Who Lives at Home』;小さなサインの積み重ね





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Jeff, Who Lives at Home2011年)/米/カラー
83分/監督;Jay Duplass, Mark Duplass
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現在公開中のアメリカ映画『Jeff, Who Lives at Home』。直訳は“うちに住むジェフ”かな。

忘れないうちに感想を。

主人公はアメリカのひきこもり君。30歳で母親の家の地下室に住んでいる。階上にめったに上がらないと言っているので、ほぼ地下に独立したアパートを間借りしてるようなものだろううか。当然未婚、無職。身なりにも構わない。ちょっと前のメル・ギブソン主演の映画『サイン』を見て何か啓発を受けたらしい。ぶつぶつ言っている。ガールフレンドは高校生のころからいない。お兄さんは彼とあまり係わり合いになりたくないみたいだし、母親は彼にせめて「ソファーから動いてほしい」と心配して用事を言いつける。

日本だったらネット中毒のひきこもり君を想像してしまうけど、この映画、このひきこもり君が外の世界に出て行くお話。このタイトルで誤解をしてしまう方も多いかもしれない。話の展開も地味。だんだん話の輪郭が見えてくるのは半分以上過ぎてから。なので、若い人がデートで見るのには向かないと思う。ある程度人生に経験のある年齢層の方が向いていると思う。

結果は満足。最近アメリカのインディーズ映画によくあるタイプ。可愛くて、ほほえましくて、ちょっと考えさせられる話。小さな喜びの映画。傑作ではないが、こういう映画にあまり文句は言いたくない。

★ネタバレ注意
30歳になってもひきこもっているジェフ君。ほんとに情けない。映画の主人公なのでかろうじて心配するけど、実際にこういう人がいたらかなり苦しい。無職でひきこもりなのはともかく、わけの分からないスピリチュアルな事を呟いててちょっと危ない。イイ奴だけどかなり心配だ。唯一本人が非常にマイペースなのが救いだろうか。

話が進むにつれて、ジェフ君のお兄さんの夫婦間の危機、それに退屈でつまらない日々を送っていると嘆く母親、そんなジェフ君の周りの人々の小さな問題が浮き彫りになってくる。ともかく「サイン」を探し続けるジェフ君。ゆるいコメディ・小さな幸せ系の映画。

この手の映画、ここ1015年ぐらいだろうか…アメリカ映画に増えてきた。『アメリカンビューティー』の冴えないサラリーマンがきっかけだろうか(あれはバリバリにハリウッド映画だったけど)。『アメリカンスプレンダー(2003)』『リトルミスサンシャイン(2006)』『サイドウェイズ(2004)』『Barney's Version (2010)』…。これらの映画、どれも悩み多き普通のアメリカ人の話だ。殺人事件も起こらない。スーパーヒーローもいない。美男も美女も出てこない。主人公はうだつの上がらないサラリーマン、事務職のおじさん、凸凹ファミリー、冴えないワイン通…等など、どこの町にもいそうな普通の人達だ。面白いのは、こういうインディーズ系のこの手の映画、英語圏では非常に評価が高い。特に中流のインテリ層が好きそうだ。どうやら「見ていろいろと考えさせられる映画」ということらしいのだ。

数が増えてきたせいで、最初は斬新で真摯で面白かったものが、だんだんと鼻につくこともある。あまり立て続けにこういうタイプの映画を見ると、無性にトムクルーズあたりの映画が見たくなる。要は地味な映画なのだ。アメリカの私小説風文芸映画と言ってもいい。この映画もそのタイプ。最初かなりペースが遅いので、いつ面白くなるかと心配になる。

基本は、ジェフ君とお兄さんが町中を走り回る話。ジェフ君は「サイン」を、お兄さんは彼の問題を追いかける。それに全く関係の無い母親のオフィスの話。この2つの話がストーリーの軸になる。一つ、二つと小さいけれど印象的なシーンが少しづつ話を構成していく。ジェフ君は「サイン」の意味を見つけるし、お兄さんは彼の問題を解決。母親も彼女の問題を解決するのだ。最後は皆やんわりとハッピーになる。

問題はジェフ君の「サイン」なのだが、この最後の「サイン」がらみの話のオチを、観客が受け入れられるかどうかで、映画の評価も大きく変わってくるかと思う。たぶんぎりぎりのところで成功しているのではないか(誰も殺さなくてほっとした)。特に2人の女の子が「パパが助からなかったら…」とTVのインタビューで答えるところに、ジェフ君の亡くなった父親の事を重ね合わせればその意味も大きくなる。もともとはジェフ君を疎んじていたお兄さんも、その日1日ジェフ君と一緒にいたことで大切なことに気付かされる。

サイドストーリーとして、母親の話は唐突にも思われるが、中心の兄弟の話とは別に、面白いスパイスとして見れると思う。本来ならこれだけで話が作れたかもしれない。問題のキスシーンは不快に思う人もいるのかもしれないと思うが、それほど直接的な意味は無いだろう。この母親の話、彼女が退屈な日常の中で人生を一緒に楽しめる友人を見つける話と思えば納得できる。彼女がそのことに気付く「滝」のシーンが詩的だと思った私は単純かもしれない…(笑)。

なんと言ったらいいか…。この映画、たぶん功名に出来た傑作ではない。しかし言いたいことはなんとなく分かる。ジェフ君のサインがそうであるように私たちの人生もたくさんの偶然や小さなエピソードが日々重なっている。そんな小さなサイン(偶然)に気付けば、人生、もっと違ったものになるのではないか…。それに小さいけれど大切な日々の事にももっと気をつければ、もう少し幸せになれるのではないか…。そんな話かと思った。

余談だが、ジョン・アービングの本『オウエンのために祈りを』を思い出した…。あれも、小さな偶然(必然)の積み重ねに神様の存在を見る話だったと思う。こういう映画が評価されるのならアメリカも捨てたもんじゃない。トムクルーズの映画の世界は、結局私たちの日常生活には何の関係もないことを、多くのアメリカ人もとっくに気付いているのだ、アメリカが日常の幸せというものに真摯に向き合ったFeel Good映画。小さいけどいい話だと思う。

追記;大昔(1986年)C. Thomas Howell主演のコメディ『ミスター・ソウルマン』に出ていて可愛かった女優Rae Dawn Chongが見事に中年のおばさんになっていてびっくりしたぞ。

 

2012年4月13日金曜日

Spring of Life:海外 iTunes でイイカンジです


Perfumeの新曲「Spring of Life」、今日海外のiTunesをいろいろと覗いてみたのですが、各国のPerfumeカテゴリー内で、アルバム『JPN』のどの曲も抜いて、人気のダウンロードリスト1に上がってますよ。それから感想もざっと見たら、「コミュニケーション」も配信してくれとずいぶんたくさんの要望があがってました。それから各曲のインストも。こういうの、ほんとにどんどん出した方がいいと思う。


それから昔のアルバムも早く配信した方がいいと思う。とにかく持ち駒を海外に全部出して、どんどん買わせたほうがいい。『JPN』や『Spring of Life』を聴いて昔のアルバムをさかのぼって買う新しいファンも絶対にいる。配信での販売は、PCでたまたま曲を聞いた人が、部屋から一歩も出ることなく、簡単に1曲単位を思いつきで買えること。1ドルちょっとなんて、思いつきで買ってもいい値段なんです。そんな手軽さが、売る側にとっても最大のメリットなので、とにかく駒を出した方がいいです。それから配信のもう一つのメリットは、今現在の売り上げだけをどーんと期待するのではなく、今後継続して配信すれば、継続してファンを拡大していけるということ。これからも動画で見てあっと思って、そのまま思いつきで1曲だけ買う人もたくさんいると思う。過去の曲も配信してファンを拡大してほしい。




2012年4月12日木曜日

最近のPerfume:みんなで一緒に世界に行こうよ!(泣)


Spring of Lifeの初回限定盤シングル、海を越えて届きました!(なぜかポスターまで入ってたぞ) やったっ! 曲も聴いたし、DVDも見たし…でも聴いて見終わるとなぜか原因不明の脱力感…イヤ満足感…(笑)(あ、 PVの感想を…。もー素晴らしいです。あの感じエレワあたりの頃から一番好き。お話になってるのもいい。切ない。全員ほんとに可愛い。)

ここ最近のニュースは、このシングルがiTunesで全世界配信開始。それからアジア各国にも『JPN』のアルバムの発売が決まったそうです。順調ですね。

ネットには最新のインタビューもUPされてました。

今までのPerfume変えないでそのままいきます。日本語の歌をそのまま海外にリリース。それで日本のことにも興味を持って欲しい。好きになって欲しい。

正しいです。正論、正論。Perfume、ブレてません。

英語の歌詞にも言及

Perfumeが英語で歌うことは求められてないので。世界中の人に日本語を好きになってほしい。…もし今後そういうことが求められるのであれば応えていきたいなとは思っています。」
そうそう、それでいいと思います。ああいうのは、たまにやるからいいんです。西洋の人は日本からやってきた3人娘には英語の歌を求めないでしょう。かろうじて日本語訛りの英語がちょっと可愛く聞こえることもあるでしょうけど、全部を英語にする必要は全く無い。特にダンスミュージックなら日本語の音がかえって面白いはず。 Capsuleなんてそのあたりが非常に上手いと思う。

それから、
Perfumeを変えるとしたら日本の中で変える。日本でPerfumeをどんどん進化させて、もっと良い方向に進んでいって、その成果を日本で見せてから海外でも出していきたいです。」
正しい。そのとおり! それが一番の正論! ただし、その進化の方向を、日本のファンが求める「大人なのに可愛いアイドル像」にするのか、海外にもうけるだろうもう少し硬派なイメージにするのかは検討の余地あり。変わらなければいけないのは日本のファンかもしれません。あ、でもこれもMTVCMなどで少しずつ変わってきているのかな…。

「私たちが海外に行くっていうことは、中田さんの音楽が海外に行くっていうことなんですよ。私たち自身も中田さんの大ファンだから、中田さんの音楽をもっとたくさんの人に聴いてほしいっていう気持ちがあって…。」
大正解! 冷静ですね。この方々は全くブレてません。素晴らしい。
海外展開をするって言うから、英語で全曲歌ったりし始めるのかと危惧しておりました(そのうちやるのかもしれないけど…)。Perfumeの国内での活動もそのままみたいですね。動画サイトでみたインタビューなんかも、今までどおり可愛いおもしろ3人娘をやってるみたいです。

なによりも嬉しいのは、彼女達が自分達の成長をとても楽しんでいるらしいこと。毎日楽しいんだそうです。いいですね。まさに人生の春。中田さんともガッツリ意思疎通が出来たそうです。順調、順調。
ところで海外のフェスは大変です。行く前に、スタッフを何人かどこかのフェスに事前に送り込んで調査をしてください。

曲を配信、アジアにはアルバムも出して、あとは天命を待つということでしょう。もう何事も暖かく見守りたい…。Perfumeが幸せでありますよう…。

追記:ところで、Communicationのインストがいい!!



2012年4月10日火曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第14回「家盛決起」


まず、良いところから。今回、画面が綺麗です。確実に改善しました。黒はくっきりと黒。顔も明るいので表情もハッキリ見える。室内の画がはっきりくっきりでとても綺麗です。顔が見やすいと、人物の内面もよく見えるような気がする。外はそのままのようだけど、室内の場面ならこれでTVの画としては十分満足です。

それから、玉木義朝君はいいですね。最近あまり見かけない激しい男キャラがいい。うん


さて本題に…。辛口でいきます。

へぇ~~~っと思った今回。頼長さん、そういうお方なんですか…。そうですか。それにしても、今年のNHKは勇気があるというのか…無謀というのか…。宮中の男女のウダウダもそうだけど今度は男色か…。いいんですよ、うん、いいんです。しかし、本筋の政治的なお話が霞んでしまっています。お話もコーンスターチが舞っている。正直くだらない。人間、みんな男女のことや、よそ様の閨の事は興味津々だろうけど、はっきりと申しましょう、こういうもので視聴者を釣るのは最低ではないか…。

もし話が描けているのであれば、男色も大いに結構。まったく結構。しかしこの大河、最初からどうも話が薄いです。男色も、鳥羽院やたまこさま、得子さんがらみのウダウダもいいけれど、肝心の登場人物の人となりの構築と、その行動の心理:政治的な裏工作、権力欲、派閥同士の争い、嫉妬、妬み…、それにそんな世の中だからこそ光る正義感、友情、希望、家族愛…等など、複雑な人の感情を描かないと話が薄いままで終わってしまう。人物がなぜそんな行動を起しているのかの心理をきちっと描いてないと、何をやっても唐突にしか見えない。

清盛君は今回も脇。明らかに今もってダメダメ君。後にあんな大業を成し遂げた人なのに、将来性の片鱗も見えない。主人公でさえ一貫性をもって描けてないのではないか。ちょっと前に「オレは平家を背負うていく男よ」と宣言したのに、今週は弟にあっさり「お前が後を継げ」。…どっち? これでは、ちょっと役者さんが可哀想。

平忠正叔父さんも、最初は怒ってばっかりの真面目な頑固者だったのに、最近はお茶目キャラ? 西行となった義清も、最初は優雅な詩人なのに、ある日突然ストーカー件幼児虐待男。家盛もちょっと前までお兄ちゃん大好きっ子だったのに、ママの一時的な苦悩を目撃しただけで、ころっとお兄ちゃん嫌い。和久井ママは清盛を心から可愛がっているのに、未だに30年前のよその女に苦悩している(旦那さんはその女となんの関係も持っていない)。時子は野蛮人なんか嫌いなはずなのに、いつの間にかその野蛮人と結婚して光の君と呼んでいる…。どうも人物達に一貫性がない。もちろん人の感情が時間の経過につれて変わるのは当たり前だけど、このドラマではその変わった理由も経過も十分に描かれていない。

頼長も家盛と仲良くなるのはいいけれど、どうしてそんなに早く自分の魂胆をバラしてしまうのだ。早すぎる。あんな話なら最後まで騙して一人薄ら笑いをするぐらいのほうが面白いのに…。それに男色なんて当時から普通にあっただろうから男が手篭めにされたからといって、それほどショックを受ける必要もなかろう。若い女性じゃあるまいし、既婚の成人男性の貞操なんてないと思うが…。(史実はどうだったのか知らないけど)

なによりも、演じていらっしゃる俳優、女優の方々が素晴らしいのにもったいない。今回の和久井映見さん、家盛の大東駿介さんなんてほんとに素晴らしいのにどうも唐突な印象。「あたりまえの母」というのも妙な台詞…。普通は言わないと思う。

それから、今回のタイトルの「家盛決起」。なんと家盛くん、あのまま落馬して来週亡くなってしまうのですね。決起してないじゃない。家族の会話が決起なのか…。(この時代の歴史は全く知らないので)決起なんて言うからプチ戦が始まるのかと思ってた。こんな程度で決起とは言わないと思うが、もう言葉の感覚があわないのだろうか。


今年も脚本との相性が悪いらしい…。話は非常に面白いのに。


追記:来週、この家盛と頼長の関係が重要な話として使われるらしい。くだらないぞ。くだらんっ! あんなものあの時代には普通にあった事らしいのに、まだひっぱるのかっ。パパ忠盛でさえそんな噂があった時代なのに…。




2012年4月9日月曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」鑑賞終了!


ネタバレ注意


とうとう見終わった。大変満足です!

しかし内容は最後が近づくにつれてかなり薄くなってしまっていた。スケジュールが合わなかったのか、有名な史実を並べただけの構成になってしまい、ストーリーとして破綻してしまったのかも。心理描写もあるのだが、急ぎすぎたせいで秀吉の人格も行動も辻褄があわなくなっている。これは惜しい。やはりあと3ヶ月あれば…と思う。しかし史実の秀吉の行動を考えれば、やはり気持ちのいいドラマ化は大変難しいのだろうと思う。あまり酷い話も見たくないもの。

それにしても、晩年のおねを演じる沢口さんは素晴らしかった。こんなに表情豊かに演技をされるとは…。悲しむおねを見て悲しくなった。若い頃のおねと最後の頃のおねはまるで別人だ。あれだけの年齢の差と心理状態の違いを演技で表現されている。すごいと思う。

ところで、五右衛門の釜茹でだけは、あまりにも唐突だ。母ちゃんが亡くなってから何の前振りも無くいきなり釜茹でだもの。時間が無くなったから、有名な話だけをむりやりねじ込んだ感じだ。それから、この三成もあまりに酷い。そもそも真面目すぎるぐらいの人なのに、あまりにも悪者すぎる。この五右衛門釜茹での回だけはとんでもない茶番。五右衛門とおたきのキャラが好きだっただけに残念。とりあえずこの大河ドラマの大ファンとして正直に書いておきたい。


最終回は、出演者全員に対するお疲れ様でしたの回。1年間続いたドラマの最後なのだ。こういうのもいいなと思う。秀吉のその後のいろんないろんな醜いことを全部すっ飛ばして辞世の句だったけど、日に向かって走る最後は感動した。竹中さん、ありがとう…。それにしてもこの最後の回だけ、画面の印象(奥行き?)が何故か映画のようだった。どうしてだろう…。

一年分を一気に見たのでちょっとお腹いっぱいだ。でもほんとに楽しかった。面白かった。このドラマのおかげで、この頃の歴史をちょっと調べたのも楽しかった。またもう一回最初から見始めそうだ…(笑)。





2012年4月8日日曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」その後の秀吉


ネタバレ注意


茶々を側室にしたあたりから、秀吉は変わり始める。この大河ドラマ、一般的には本能寺の変までが傑作で、後は失速したと言われることが多いようだ。確かにそんな印象は否めない。信長の人気で本能寺の回の放送が数回後ろに送られたと聞いている。そのせいかその後の回は足早に過ぎる。史実を克明に追うというよりも、史実に沿った秀吉とその家族の心理劇になっている。戦の場面は一切ない。小牧・長久手の戦いも、九州攻めも、小田原攻めも、全て屋内の場面だけだ。戦国時代なのに室内シーンだけになってしまった。これが失速したと言われる第一の理由だろうと思われる。

史実の秀吉も、出世の階段をがむしゃらに駆け上がっているときは面白いが、山崎の合戦の後、家康との対決あたりからだんだんと人間的な面白みが無くなってしまう。関白を名乗るようになってからの彼は、ごり押しの腹黒い策略家だ。そんな彼に振り回される家族もあまり幸せそうではない。涙も多い。若い頃に一緒に働いた武将達も皆去っていき、(このドラマでは悪役の)石田三成が秀吉を要らぬ方向へと導いていく。華やかな合戦のシーンもない。秀吉は黒くなっていく。これでは見ていても楽しくない…。

しかし、このドラマの元々の意図はそこだったと思うのだ。

このドラマの前半は、皆に好かれるイイ奴が出世していく話。皆でワイワイ喜んで見て楽しめる話だ。しかし後半は180度の方向転換。天下統一を成し遂げた秀吉。誰も出来なかった偉業だが、その偉業はあまりにも大きすぎた。ドラマの後半は、ありえないほどの偉業を成し遂げた人間が、自分の成功の重さに押しつぶされていく話なのだ。

秀吉は誰も持てなかった最大の権力を手に入れた。…がその権力は脆いもの。しっかりとした跡継ぎもいない。この秀吉、あれだけの成功者なのにどこか自信がないのだろう。自分の築き上げた巨大な城に眠りながら、いつ火事になるか、いつ石垣が崩れるかと不安で不安でしょうがないのだ。その不安の火に三成が油を注ぐ。不安の火は広がるばかり。強欲な三成の行動はそれまでの大切な友人達を秀吉をから遠ざけていく。昔一緒に働いた武将たちも皆年老いて引退した。秀長の死。利休も死に追いやられる。最愛の妻おねも母なかも家族も全て脇に押しやられる。少しずつ少しずつ秀吉の周りから人がいなくなってしまうのだ。これは悲しい。映画『ゴッドファーザー Part』を思い出す(あの映画はⅡがあるからこそ傑作)


この『秀吉』の後半、そんな秀吉の心理ばかりを追ったドラマなのだ。戦いの場面は一切無い。本能寺の回のころ、あれだけ高松城水攻めの交渉に時間を割いたことを考えれば、違いははっきりしている。時間が足りなかったせいで、全てが足早に過ぎる構成になってしまった。時間さえあれば、九州攻めも小田原攻めも映像として挿入することができ、歴史ドラマとして、また重厚な心理劇としてすごいものになった可能性もあったと思う。もし、このドラマを年末に打ち切るのではなく、翌年の3月ぐらいまで引き伸ばして時間をかけられれば…と思うととても残念だ。非常に惜しい。




NHK大河ドラマ「秀吉」秀吉と茶々


ネタバレ注意

秀吉と茶々。この大河でどんな扱いなのかは非常に興味があった。茶々にとっての秀吉は、自分の伯父の家臣。若い娘ではあっても、元々は自分の方が格が上であることは解っている。それに秀吉は下賤の出自。変わり者の伯父に拾われて、幸運にも農民から大名になった意地汚い成り上がり者だ。ルックスも猿のよう。おまけに母、市の嫁いだ柴田勝家は秀吉その人に落とされた。母は義父と自害する。秀吉に殺されたも同然だ。茶々にとって秀吉は母の仇なのだ。母は秀吉のもとに下ることも出来ただろうが、そうしなかった。それは秀吉のような者に身を寄せることが屈辱だったからだろう。秀吉のもとに下るくらいなら死んだ方がましということだ。茶々はそんな母を見ている。
このドラマでも母は死ぬ直前に茶々にこう言う「美しいわが娘よ、その美しさであの猿を殺してしまえ。」この言葉、どのようにでも解釈できる。史実の結果を既に知っているのだから、この言葉がどのようにドラマとして料理されるのか興味があった。


これは参った。こんな演出をするとは思わなかった。
このドラマの茶々、若い松たか子さんが演じる。実はこの女優さんの演技、ほとんど見たことがない。近年、映画作品で主演女優賞を総ナメしたことを聞いている。上手いのだろうとは思うがとにかく想像ができなかった。いやー参った。こんなにすごい女優さんだとは知らなかった。この時の彼女は19歳。若いのにこんなに実力のある女優さんはめったにいない。末恐ろしいとはこういう人の事を言うのだろう。脚本もすごいのだろうと思うが、この天性の女優ぶりには舌を巻く。あーびっくりした。思わずまたしつこくブログを書いてしまう。


この茶々は非常に若い。ちょっと影があるようだが、普段は明るく無邪気に振舞うことのほうが多い。育ちが良すぎるのだろう、口調にも遠慮がない。まっすぐな性格で、何事にも臆することがない。視線が非常に強い。黙っていると何を考えているのか分からない。どんな相手も真っ直ぐ正面から見つめる目線は礼儀を欠く程だ。あの信長の姪であることから来る絶対的な自信だろうか。この怖いもの知らずの若い娘、あまりに松さんにはまっていて「あー梨園のお嬢様だからこんなオーラが自然に出るものなのだろうか」と思った。
時は過ぎ、この茶々、石田三成に心を寄せはじめる。そうか秀頼は三成の子か?と一瞬思わせる。だがそうではない。この茶々の心理、非常に複雑なのだ。そもそもは興味本位。恋に恋する娘なのだろう。この自信に溢れた美しい若い娘は自分の魅力をよく解っている。そんな自分の魅力を試してみたくてしょうがない。城の中の生活なんて退屈なのだ。三成はたまたまそばにいた。茶々は19歳、三成は28歳。ハンサムなのも都合がいい。ちょっとステキな年上の男性なのだ。
しかし彼女はただの若い娘ではない。母の遺言もある。自分の政治的な価値ももちろんわかっている。秀吉は時の最大の権力者だ。秀吉との運命も大方理解しているのだろう。だがそんな年老いた秀吉との関係は楽しいわけがない。目の前にいるのは若いハンサムな三成。ここで、もし三成と既成事実を作ってしまえば、そんな運命から逃れられるかもしれない。ただ三成には政治的な地位も力もない。そんな小物に自分から動きたくはない。でももし三成が動いてくれたら…。この娘は迷っている。三成は真面目な堅物だ。茶々は、彼が彼女に(簡単には)手を出せない事を知っている。そんなことを解っているからこそ三成を惑わせる。「もしかしたら…。」ああ若い娘はなんと残酷なんだろう(笑)。
この松さん、小悪魔美女オーラ全開なのだ。びっくりだ。この娘は危ない。若い娘の絶対的な自信で真田三成を誘惑。三成くんはタジタジだ。松さんの実年齢はこの時19歳だが、36歳の真田さんがドキドキしているのが手に取るようにわかる(笑)。大河ドラマでこんなシーンがあったなんて。見ものですよコレは。


さて、その後秀吉とはどうなったのだろう。この茶々、小娘なのに誰に対しても人を食ったような振る舞いをする。秀吉に対しても同じ。秀吉のことを「かわいい」などと正妻おねの前で言ったりする。困ったものだ。この時点で秀吉は、彼女の事を可愛い娘としか思っていない。家康の息子との縁談の話が出たときに初めて逆上し「茶々はどこにもやらん」と怒鳴りつける。この時秀吉も自分の激昂に驚いたかのようだ。
さてその後秀吉は三成の計らいで、夜寝室で茶々と二人きりにさせられる。さてここだ。どうなるのか?この時点まで、秀吉は茶々を娘としてしか見ていない。このドラマ、この時点までは善人秀吉のドラマなのだ。視聴者に嫌悪感を抱かせることなく、史実どうりに茶々と親密になる話を進めることができるのだろうか…。
結果は驚くべきものだった。まず二人の会話。突然、茶々が「お情けを下さい」と言う。秀吉は馬鹿ではない。「お市様に猿を殺せと言われてきたか。」「はい」と茶々。そこで、はっとさせられる。この娘、どうやら心を決めたらしいのだ。
母の仇を討つことが彼女の生きる理由であること。それは避けられないさだめであること。(言外に匂わせるだけであるが)母の仇を討つとは秀吉の女になること(この意味の詳しい説明はしていない)。目には大粒の涙がこぼれ出して止まらない。死んだ母に言いつけられた使命。出来なければ自害するしかない(それくらい母の意志は大きい)。でも若い娘個人としてはいやでたまらないのだろう。それとも運命に逆らえなかった悔しさだろうか。もう後戻りは出来ない。それが大粒の涙。そこに秀吉が心を動かされる。茶々の心を助けるべく茶々を受け入れるのだ。これなら秀吉は、色欲に駆られたいやらしいオヤジではない。このストーリー展開には仰天させられた。


その後、茶々の寝室から出てくる秀吉。母なかは本気で息子を諫める。いいかげんにせよと。そこで秀吉の顔が変わる。急に機嫌が悪くなる。その直後の三成との会話は全く茶々のことと関係ないのだが、秀吉の表情から彼の心が見えてくる。この男は後悔している。茶々と関係をもったことを非常に後悔しているのだ(もちろんこのドラマの中だけのこと)。このドラマの秀吉、破天荒ではあっても、道徳心は大変強い人として描かれている。簡単に道徳的な常識を覆すような人物ではない。上司には忠実な部下だし、友人を故意に裏切ることだってない。本能寺の変の後でも光秀を討つ正当な理由を見つけるまでにかなり時間がかかった人だ。そんな人だからこそ、この茶々との関係も単なる「よかったね」ではすまされない。
秀吉は茶々の心を救うために彼女を受け入れた。一瞬の心の迷いだ。だが、孫と言ってもいいほどのこの娘(32歳年下)は、あの主君信長の姪だ。お姫様なのだ。「自分は彼女を大切に守り育てる父親であるべきだった。」この時の秀吉は51歳。どんな理由であっても、この誠実な秀吉にとって主君筋の姫君と関係を持つことは大変なタブーなのだろう。後悔で頭がいっぱいなのだ。「道を誤った…もう取り返しがつかない」そんな表情だ。これは参った。こんな設定にするなんて(これは私の個人的な解釈。秀吉もその後は後悔したことなど忘れてしまう)。それに大陸出兵などというとんでもない構想もその後の迷走も、こんな小さな心の迷いから始まったとも言えるのだ。実際にこのあたりから秀吉はおかしくなる。大変だ。


私の脳は、完全にこの大河ドラマに参っているので、もう何があっても文句を言えない状態だ。すべてを深読みして、ああそうかそうかと無理にでも納得して喜んでいる。番組の放送当時も茶々の洋装が賛否両論だったりしたようだが、あれにもいっさい文句はない。(普通なら失笑ものの)あの洋装シーンで、松さんの体当たりの演技に圧倒された。演技がよければ衣装なんてどうでもいい。むしろ若い娘の心理描写としては大変面白いものになっている。
それにしても、秀吉をあくまでも善人として描くこの脚本には驚かされる。こんな設定はもちろん史実ではないだろう。史実の秀吉は好色で、本来なら手の届かなかった格上の女性達を次々と自分の側室にして喜んでいるような(ある意味)小さい男だ。他の多くの側室達と同じように、茶々だって自分の権力に任せて言いなりにさせた戦利品のひとつでしかないだろう(と私は思う)。
しかしこの善人秀吉、これでいいと思う。フィクションとして面白い。そもそも史実どおりに再現したら、この後の秀吉の暴君ぶりなんて放送禁止ものらしいのだ。それに400年前の個人の正確な心理状態の記録なんて一切残っていないのだから。ドラマの脚本では、過去の人物の残された行動の記録、手紙などを元に、作家、脚本家が、ドラマの展開に合うように人物像を作り上げればそれでいいのだ。納得できるのなら、秀吉が善人であろうと悪人であろうとどちらでもいい。この話は(この時点までの)秀吉を見事に善人として徹底させている。かなり強引だがすごいと思う。