能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2018年12月7日金曜日

お猫様H:私がお姫様だから





よそ様の優しい猫さんは「悲しむ人間や病気の人間に寄り添ってくれるらしい」というのを聞いた事がある。

さて、ここのところ色々とあった海亀ですが、うちのお猫様はどういう反応をしたでしょう?

冷たい
おまけに警戒する おい…ぉぃ…

手術から帰って来た日とその翌日、猫さんは私を怪訝な目でじっと見つめてあまり近くに寄ってこなかったぞ…ぉぃ。いや寄ってきたのかもしれないけど覚えていない。実はどうにもならないくらい苦しかったので正直お猫様どころではなったのです。
 
手術の日から私は翌日までベッドルームに篭って、夕方からキッチンに下りてきたのだけれど、どうも猫さんが冷たい。一定の距離を置いてじーっとこちらを見つめている。鼻先をこちらに向けて遠くから「すんすんすん」と私の匂いを嗅いでいる。なんだ冷たいな。
 
どうやら病院の匂いが気になるらしい。…なるほど、彼女は昔(うちに来る前に)シェルターで避妊の手術を受けている。もしかしたら消毒液の匂いなどを覚えているのかもしれぬ。確かに手術はトラウマだったのだろう。
 
その夜、私が首から下だけシャワーを浴びた後には、彼女はいつもどおりに接してくれるようになった。…とは言ってもこちらはまだ普通の状態ではない。旦那Aも何かと気にかけていつもより私の方を気遣ってくれる。どうしても猫さんに構わずに人間二人で会話を始めてしまう。
 
すると猫さんはピンと尻尾を立て、私達を横目で見ながらツンとして前を通り過ぎる。時々私をキッと見て何度も前を通り過ぎる。まるでこう言っているかのように…

「海亀姉さん、お姫様はあなたじゃないわ。わたしがお姫様だから。忘れないで」

後から旦那Aに聞いたのだけれど、私が休んでいた2日間、彼女はいつも以上に彼に愛情を要求したのだそうだ。ベッドルーム以外の家中を走り回り、彼の足元に纏わりついてすぐにコロンと床にひっくり返って手足をバタバタさせ「ヤーン」と鳴く。まるで子供が赤ちゃん返りをするように甘える…どうやら人間二人があまり構ってくれないので不安になったらしい。
 
彼女は愛を受け取る猫さんなのだ。「いつも私を愛して、いつも私を構って、いつも私を見ていて、いつもあなたの一番でいさせて」と愛を要求する猫さんなのだ。彼女は本物のお姫様なのです。
 
私の状態が落ち着いてきて、いつものように彼女に話しかけ「いろいろとびっくりさせてごめんね」と謝り、ブラッシングをしたりチューしたりベタベタと触る時間が増えていったら、またいつもの彼女に戻った。コロコロキュルキュルと鳴いて嬉しそうに愛を受け止めている。そんな彼女を見て人間二人もほっとするのです。

2018年12月6日木曜日

耳下腺腫瘍の摘出手術の記録

 
※12月9日・内容の追加、修正をしました。 
 
 
今まで数日間ブログが書けなかったのはこのせいです。今週の123日月曜日に病院で良性の腫瘍の摘出手術をしてきました。今日は6日木曜日で手術後3日目。うちにいます。自分用に何が起こったのかを記録します。

生まれて始めての全身麻酔の手術なのでドキドキ。ちょっと怖い。日本で同じ手術をなさった方々のブログによると、日本では手術後に1週間程入院をするらしい。それなのに、ここの病院で手術前に言われたのは「日帰り」だそうで…ぇええええええ…不安。アメリカって乱暴よね…。


★発見から手術まで

耳の下に8 mmほどの小さなしこりを見つけたのは4年前。そのままにしていたら去年末頃から少し大きくなってきた(1 cmほど)。今年の7月に医者に相談、8月から耳鼻科の専門医によりCT検査で腫瘍を確認 → 穿刺吸引細胞診で悪性ではないことを確認 → 手術の日時を決定。今年は秋にコンサートが沢山入っていたので、手術は12月を希望する。

耳下腺腫瘍とは耳の下にある唾液腺にできる腫瘍。良性でもそのままにしていると悪性に変わる可能性があるので摘出手術が一般的らしい。女性に多いのだそうだ。

全身麻酔の手術は生まれて始めてだ。かなり不安。手術をすることになってまず思ったのは既に他界している両親のことだった。「お父さんお母さんごめんね」彼らがこのことを知ったらきっと悲しむだろうと思った。そんなことを考えるとは自分でも不思議だった。


担当の耳鼻科の先生は笑っちゃうくらいハンサムな青い目のイタリア人。中高年モデルみたい。ありゃ~私は超イケメンは苦手なのよねー。年齢は60歳ぐらいらしい。名医だそうだ。この地のメディアで選ばれる「Top Doctors」のリストの中に彼の名前を見つける…ちょっとほっとする。

手術の前日までに家中の大掃除を済ませる。このような手術は始めてなので、手術後にどのような状態になるのかわからない。もしかしたら暫くベッドに寝たままかもしれないので、元気なうちに家事を片付ける。

前日、手術の8時間前から食べ物、水分は一切禁止。早めに就寝。

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★月曜日・手術当日

手術の開始時間は朝の730分。朝4時に起床。シャワーを浴びてすぐ病院に旦那Aと車で向う。530分にチェックイン。

この大きな病院では毎日まるで工場のように数多くの手術が行われているらしい。私がチェックインした5時半の時点で、もう既にいくつかの手術の準備が始まっていた。早朝から午後まで毎日何十件の手術をやっているそうだ。

すぐに準備室へ。着ているもの全てを脱いで消毒布で身体を拭く。割烹着のように後ろの開いたガウンを着てベッドに横になる。そのベッドのまま手術室に運ばれるらしい。しつこいほど私がこの手術の患者であることを確認される…患者を間違っては大変なのである。

待ち時間はすぐに過ぎてもうすぐ手術。男性のナースさんが二人やってきた。手の甲に太い針が刺され管が固定される。これで麻酔薬等を入れるらしい(←これは間違っているかもしれない よくわからない)「さあ行きましょう」 部屋にいる旦那Aに「バイバイ」と言ってベッドに乗せられたまま準備室を出る。それからすぐに意識が消えた。実は準備室から出た記憶さえ無い。全く覚えていない。

★月曜日・手術後

うとうとしてうっすらと意識が戻る。もう全て終わっているらしい。旦那Aがいる。ナースさんがいる。喉が渇いている。声はかすれる。「ハロー」などと言っただろうか?「I’m OK.」などと言っただろうか。

少しずつ意識がはっきりしてくる。イタリア人の先生がカーテンを開けて様子を見にきた。薄目を開け両手をパーに開いて振って「Thank you…」と言うがかすれ声しか出てこない。「歯を見せて」と言われたのでニーと笑うと「おう大丈夫だね」と言われる。なにやら手術はとても上手くいったらしい。先生はハンサムなお顔をくしゃくしゃにして笑顔…嬉しそうだ…きっと上手くいったのだろう。

しばらくはボーっとしていて身体に力が入らない。また暫く眠る。

次に起きたら目が覚めた。担当のナースさんはケリーさん。27歳ぐらいだろうか。綺麗な女の子。彼女が優しい。本当に優しい。昨夜からお水を一滴も飲んでいないのにトイレに行きたくなる。点滴で入れられた水分だろうか。ベッドから出たらふらふらしてうまく立てない。ケリーさんが車椅子を押してトイレまでついてきてくれた。

ケリーさんは手術担当のナースさんなので、今後はもう会うこともないだろうけれど、彼女の優しさは決して忘れない。心から感謝してます。本当にありがとう。他のナースさんも皆優しかった。ナースの皆さんありがとう。

結局朝7時半からの手術に(予定より1時間オーバーの)2時間45分がかかって、その後休憩。病院を出たのは午後3時半過ぎ。旦那A1日中病院で待ってくれた。ありがとう。病院から車で家へ向う。30分ほどの高速ではほとんど喋ることもかなわず。どうにも気持ちが悪い。早く家に帰りたい。

★月曜日・帰宅

家についた途端に気持ちが悪くなる。トイレに行って嘔吐。これは事前に聞いていたのだけれどちょっとびっくりした。いつものことだが私は化学物質に弱い。そのままベッドへ直行。なんとか歩けるのだけれどふらふらする。何かを口に入れたいとは全く思わない。

夜になって起き上がる。少しは楽になったかと思ったが動けばまた気持ち悪くなる。全身がだるい。しばらく旦那Aと話をしてまたベッドに戻る。

鏡で見ると耳の下から後ろ側へテープが貼ってある。これが傷痕らしい。そのテープの端の皮膚に管が差し込まれその管には試験管が繋がっている。中には赤い液体。その試験管はテープで胸に止めている。ドレーンといって傷から出る血液や体液を外に出すものらしい。耳の下には大きな凹み。これが腫瘍を取ったあとなのだろう。

手術をした日は一日中乗り物酔いのような状態が続いた。全身がだるくとても気持ちが悪い。かなり辛い。それでも目を覚ますたびに少しずつ良くなっているとは感じる。その日は殆ど何も口に入れずに過ごした。

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★火曜日・翌日また病院へ

翌日の朝起きて、吐き気はなかったが、それでもまだ全身がだるい。手術後の最初のチェックは翌日の朝10時半。またイタリア人の先生に診てもらう。最初は薄い青色の目が冷たいと思った先生もなんとなく打ち解けてきたかも。ニコニコしてる。 …ちなみにこの先生、昨日の月曜日は私を含めて4人の患者さんの手術をしたらしい。ほぉー…

しかし問題はドレーン…手術翌日の1回目の検診で首からぶらさがるドレーンを引き抜くことになる。先生ちょっと早くないですか?…というのも日本の方々のブログによると、日本でドレーンを抜くのは23日後。大丈夫なんですかね。…もちろんそんな文句は言わない。この地に住むならこの地のルールに従うしかない。

ドレーンの管は大きな針で首に刺さっていたのだろうと思う。引き抜く時はとても痛い。先生が「今度の手術で一番痛いでしょ」と言う。「はい痛いです。でもそれより麻酔が抜けるまでの乗り物酔いのような気持ち悪さのほうがずっと辛かったです。まいりました」。先生ニコニコ「今まで手術しなかったからラッキーだよ。これも経験だねぇ」「はぁ」などと雑談。やっぱりまだ全身がだるい。すぐに帰宅。

★火曜日・その後

家に帰ってきてまた眠る。食欲はない。水もあまり飲めない。結局手術の翌日の(この日の)夕方まで水を少し飲んだだけで何も食べなかった。目が覚めた夕方になってやっとものが食べられるようになった。夕方にバナナを食べ、夜は普通にスープで食事をすることも出来た。やれやれ。手術から身体が普通の状態に戻るまでに30時間ほどかかったことになる。

この日の午後、先生から電話。摘出した組織を改めて検査した結果は良性だったそうだ。もう何も心配はいらない。

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★水曜日・2日後

手術後まだ2日目なのでだらだらのんびりする。頭の中はもう普通だと思う。身体もほぼ普通だけれど、傷が大きいので無理はいけない。幸いなことに耳の下から後ろにかけてのほぼ7センチに及ぶ切り傷は殆ど…いや全く痛まない。傷があることを忘れるほど痛みが無いのは不思議。ただ傷の周りは昨日よりも腫れている。病院に写真を送って問い合わせると大丈夫らしい。

顔面の神経にはほとんど異常が無い。表情も感覚もいつもどおり。腫瘍のあった近くの耳の前の頬の一部は皮膚の感覚が無いが、これは元に戻るらしい。残念ながら耳たぶの感覚は無い。これは事前に言われていたのだが耳たぶの感覚は戻らないらしい。

ご飯もお昼から普通に食べられた。ソファーでだらだら録画したテレビを見て、うとうとして眠る。人間の身体の回復には眠るのが一番だと思う。夜も普通に食事。洋風雑炊。

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★木曜日・3日後

そして今日。ほぼ普通。もう元気だと思う。無理はしていないが、今日は一度も眠ることなく家中を歩き回り、いつものようにブログも書いている。料理もする。キッチンで思わず鼻歌を歌いながらステップを踏んでひょこひょこ踊ったりもした。全く病人の感じはないのだけれど、先程ヘッドホンをしようとして「おっといけない」と思いとどまった。暫くヘッドホンは使えない。

耳の周りは腫れているが、こういうものなのだろう。昨日よりはマシだろうか。これは元に戻るまでに時間がかかるのかもしれない。ともかくこんな状態なので外出はできない。暫くは家でだらだらするしかない。

というわけで、こういう状態なので12月はのんびりと過ごそうと思います。ファンキーな曲を聴いて頭を振ると首が痛い。おっとっと…

LIVE★Tower of Power/タワー・オブ・パワー Live!!!– 30 November 2018





またまたライブに行って来た!まーなんと忙しい年末だろう。毎週ライブだもの。さすがに疲れる。しかしこれで一段落。

今回のTower of Power2回目です。前回は2013年の126日(かな?)、場所は 7000人キャパのアリーナでしたが今回はジャズクラブ。なんと贅沢な…。元々アリーナクラスのバンドなので6回のクラブでのライブは全て売り切れです。

会場につくともう長い列。毎回早く来れば…と思うのだけれどとりあえず会場に入れればよろしい。今回も目当ての席には座れなかったけれど気にしない。テーブルで相席です…たぶん15歳以上年上の先輩カップル。ゴージャスなお姉様がとてもフレンドリー。大柄なお兄様はTower of Power70年代…カリフォルニア州オークランド時代からのコアなファンらしい。おぉリスペクト。彼等は70年代の元祖DISCO & Soul Train世代に違いない。素敵。

そういえば、前回Tower of Powerを見た時には、もうじきボーカリストのLarry Braggs/ラリーさんがバンドを卒業するとの話だったので、今回のボーカルは別の方。楽しみ。ちなみに前回のラリーさんは現在Temptationsのメンバーになっていた。

Tower of Powerというのはとにかく音楽がかっこよくてファンキーで楽しいのでライブはとにかく見に行く。しかし曲は正直1曲しか知らない。それでも全曲ノリがいいのですごく楽しい。結局今回も予習をせずにただ見に行った。

メンバーが出てくると客席が賑わう。さてボーカルは?上手い!元気がいい。流石やね。コミカルでノリのいい若いボーカリストはMarcus Scottさん。すごいねぇ。アメリカはこういう上手い人がいくらでもいるんだろうなぁ。彼はMCも楽しい。

全曲ノリがいい。時々ふらふら立ち上がって写真を撮ったりちょっと踊ったりし始める。リーダー・サックスのEmilio Castilloさんは今年68歳だそう。すごいですね。アンコールの前の最後の曲はWhat Is Hip待ってました!客席が皆立ち上がる。相席の先輩カップルも立ち上がって踊り始めた。皆笑顔で一緒に踊る踊る踊る。さっきまで無口だったお兄様(たぶん60代後半)も笑顔で一緒にステップを踏む。最後は皆で大きなハグ。

ダンスってすごいな。皆お友達だもの。こういうことって多いんですよ。ライブを見に行ってわらわら踊っていつのまにか周りの人とお友達になっちゃうことは結構多い。今までそういうことが何度もあった。楽しいねぇ。

バンドのリーダー、エミリオさんが「また来る」とおっしゃっていたのでまた見に行きます Tower of Powerにハズレなし。毎回最高。これから1年に1回ぐらいで毎年来てくれれば嬉しいな。

今度こそはTower of Powerのベスト盤ぐらい聴いておこう。


TOWER OF POWER - "Soul With a Capital S" Live

▲今年のライブのお姿
 
 
Tower of Power Members
 Emilio Castillo – tenor and alto saxophones, backing and occasional lead vocals
 Stephen 'Doc' Kupka - baritone saxophone, backing vocals, oboe
 Francis Rocco Prestia - bass guitar
 David Garibaldi - drums, occasional backing vocals, percussion
 Roger Smith - keyboards, backing vocals
 Sal Cracchiolo - trumpet
 Adolfo Acosta - trumpet, flugelhorn
 Marcus Scott - lead vocals
 Tom Politzer - tenor saxophone
 Jerry Cortez - guitar, backing vocals


LIVE★Tower of Power/タワー・オブ・パワー!!! その2   ---2013/12/9
LIVE★Tower of Power/タワー・オブ・パワー!!! その1   ---2013/12/8

2018年11月28日水曜日

Todd Rundgren - Can We Still Be Friends (1978)



珠玉


Todd Rundgren - Can We Still Be Friends (1978)

Album:  Hermit of Mink Hollow
Released: Apr 1, 1978
 ℗ 1978 Bearsville Records. Marketed by Rhino Entertainment Company,
a Warner Music Group Company.


綺麗ですね。名曲。とりあえず映像抜きで曲を先に聴いたほうがいいと思う。コーラスが綺麗。プロモ用のMVはちょっと古臭いので、トッド先生の若い頃を見るためだけでいい。音楽を聴くのに映像が邪魔なこともある。



 

それにしてもトッド先生は外見も声も随分変わったのね。昔は細いな。いかにも70年代のお兄さん。声も優しいいい声。この声が好きだった。

この曲が1978年の曲だとは知らなかった。もしかしたら当時ラジオで流れていたのかもしれませんね。覚えていないけれど。

今のトッド先生はダミ声。今のキャラは何をやってもコミカルな不良オヤジ風。それはまたそれで面白いのでありました。