能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年6月5日火曜日

英国女王の「ダイヤモンド・ジュビリー」即位60周年記念式典/Queen's Diamond Jubilee



もう前回のJubilee Cerebrationから10年もたってしまったんだろうか。早いな。10年前の当時、私はバッキンガム宮殿に歩いていける距離に住んでいた。
前回のセレモニーは自宅のフラットで旦那ATVで見ていた。街の喧騒や祝砲(花火だと思った)、式典の最後に飛ぶ戦闘機の音などもフラットの窓の外に聞こえてきた。街の土産物屋には女王の顔を印刷したカップやお皿が連日並べられていたし、式典の前数日は祝日になった。式典の一環としてロックバンドやミュージシャンが集い大規模コンサートを開催。バッキンガム宮殿の屋上に、Queenのブライアン・メイがのぼり、英国国家“God Save the Queen/神よ女王(国王)を護り賜え”を一人奏でるという演出もあった。ああ懐かしいな。当時は旦那Aの仕事で移住した英国での生活にどっぷりつかっていて、あの国からよその国へ移住するなんて思っても見なかった頃。まさか、10年後に外国にいるとは思わなかった。

今年のDiamond Jubileeは、数日前にBBCを見ていて知った。ここアメリカでは式典のみの放送で、前日のコンサートは見られなかったけど、どうやら今年、バッキンガム宮殿の屋上では大昔のバンドMadnessが演奏したらしい。今Youtubeで見てきたけど、宮殿に投写した映像がすごい。ロンドンやっぱりすごいな。

さて、妙な時間帯に目をこすりながらLIVEで見た式典。BBCの司会やレポーター、コメンテーターなど懐かしい顔がならんでます。懐かしい街並み。ちょっとロンドンが恋しい。式典の行われたSt. Paul’s大聖堂がものすごく綺麗。数年かけて改装をしたのだそうだ。天井を見ているだけでくらくらしそうなくらい綺麗。私がいたころとは全然違う。昔はもっと暗かった。
ずいぶん待たされて最後に現れるロイヤルの方々。なんと今年、女王様の旦那様フィリップ殿下が前日に病気になられて欠席。女王は旦那様のエスコートもなくお一人で式典に出席されることとなった。長々と続けられる宗教の儀式。英国民は普段、宗教に無頓着な人が多いが、こういうときの宗教の力は大きい。ましてやこれは国家元首=国のお祝い事。Queenは英国国教会Anglicanの首長でもある。神様が国を守ってくれているという意味は非常に大きい。みな頭を下げて神様に感謝しご加護を祈る。この国の国歌は文字通り“GOD Save The Queen”なのだ。
式典の最後に参列者の全員が立って国歌“God Save The Queen”を歌う。国民も国中でTVを見ながら心の中では歌っているはずだ。その歌声が国中に響き渡る中、この銀色のスーツに身を包んだ小さな高齢の女性は、たった一人、口を一文字に結んでなんとなく寂しそうなお顔をなさっている。なんだか泣いてしまった。

この小柄な女性は英国そのものなのだ。彼女の60周年をお祝いするのは国をお祝いすること…英国がこの女性のもとで(いろいろあったけれど)ともかく平和に60年間を過ごすことができたことを国民全員でお祝いしているのだ。ただ一人の個人が60年間同じ仕事をしてきたのとは意味が違う。
この女性は(政治的な権限がないとはいえ)たった一人で、はるか古(いにしえ)に繋がる王室の存在を、決して動かない大きな岩のように静かに守り抜いてきた。国の元首として毎日職務に励む。延々とはてしなく続くQueenとしての毎日。それを神様から与えられた使命として、淡々と文句一つ言わず日々を送ってきた。彼女には事実上1日も休みがない。彼女が国そのものだからだ。Queenのタイトルは60年前に王座に座ったその瞬間から、彼女がこの世で最後を迎える日までつきまとう。彼女がQueenになったのは25歳のとき。小さな頭に大きすぎる王冠を載せて嬉しそうに笑う古い映像の中の彼女は、ため息が出るほど美しかった。
国民全員が喜んで国歌を斉唱している間、口を一文字に結んで彼女は何を考えていたのだろうと思う。60年間、ほんとうに長かっただろう。でもこれで終わりではない。この式典も彼女の人生の一つの通過点でしかない。

平均的な私の世代の日本人として(英国に住むまで)私は日本の皇室に特別な気持ちを持つことなく日々を過ごしていた。それなのに英国に来て5年も経たないうちにすっかりロイヤリスト(外国人なので本当の意味はないが)になってしまったのが我ながらおかしい。というのも、英国では王室の方々のメディアでの扱いが日本とは全く違うからなのだ。
英国には悪名高いタブロイドというものがある。いや高級紙でもそう。王室のメンバーは、常に一般庶民の関心事。メディアは毎日のように王室のメンバーの話題を書き立てる。私がいたころは、ダイアナ妃やチャールズ皇太子のゴシップが酷かった時期なのだが、それだけではない。彼らの人となり、何をやっているのか、どんなことに興味があるのか、恋人は、結婚は…など等、彼らに対するメディアの関心はとどまるところを知らない。結果的に王室のメンバーはどんなロックスターやサッカー選手も敵わないほどのスーパー・セレブリティになる
英国にもひねくれものはいる。税金を食いつぶす王室なんて無くしたほうがいいという人々も少数だがいる。しかしあれだけ毎日メディアに登場するスーパーセレブリティを本気で無くしたいと思う人は実際には少ないのだろうと思う。英国王室の方々は日々国民の娯楽として皆を楽しませ、そして、今回のような伝統にのっとった国のお祝い事には、いい意味でのフォーカルポイント(焦点)となる。

Queenは英国の国そのもの。彼女が皆に手を振り、国民全員が彼女を愛する。彼女を愛するということは、国を愛するということ。アメリカのオバマ大統領を愛しても、アメリカを愛することにならない事を考えたら、ちょっとだけ王室の意義も解るかと思う。昔から国家元首の力はそこにある。違いは国民が自分の国を愛せるかどうかということなのだ。英国の王室とメディアの関係も、そう考えればいろいろと興味深い。
あれだけのお金をかけて、あれだけ豪華に、たった一人の女性のためのお祭り。でもそれは同時に、一つの伝統ある国が国家として存在することを皆でお祝いするお祭りなのだ。なんだかいいなと思う。日本にも世界に誇れる天皇家がある。たとえ前時代的とはいっても、このような文化的、歴史的な遺産を継承していける国は、その伝統を大切にしていった方がいいと私は思う。

30代の全てを過ごした英国。10年の生活でそれはそれはいろんな事を学んだ。英国を出てからもう7年も経ってしまったけれど、未だに英国のことは忘れられない。 英国と私の関係は、まるで気難しい憧れの先輩に片思いをするような感じだ。一緒にいれば、ほんとうにいろんな事を学ぶことができる。でも私がどんなに愛しても、先輩は決して心を開いてはくれない。好きで好きでたまらないけど思いは届かない。それにそんな気難しい先輩は理屈ばっかり言って一緒にいてもあまり楽しくなかった。だからちょっとだけ嫌いにもなった。でもやっぱり嫌いになりきれない。 今でも好き。そんな存在だ。またいつか行きたい。

そんなことを大好きなエリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー式典を見ながら思った。おめでとうございます。女王様、どうかいつまでもお元気で。

追記:ありゃーJubilee Concert、翌日にABCでフルで放送したのね。ほとんど見逃してしまったわ。