能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

この度の能登半島地震で 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 一日も早い復興をお祈りいたします。 ★NHK による様々な支援情報 能登半島地震 義援金・支援金の受け付け始まる 窓口まとめ 【随時更新】 https://www.nhk.or.jp/shutoken/ne...

ラベル 鎌倉殿の13人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 鎌倉殿の13人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年7月15日金曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第26回「悲しむ前に」7月3日放送



頼朝が倒れた後、亡くなるまでの鎌倉の様子。落馬してからのストーリーを1話を使って丁寧に描く。贅沢。頼朝が昏睡する間、周りの人々はどう動いたのか。

鎌倉は分裂する。

頼朝の後継者をめぐって鎌倉が割れた。
阿野全成を推す---北条時政とりく
そして
源頼家を推す---比企家


話の軸は頼朝の後継者を誰にするか…での比企と北条の対立/政子と実依の対立なのですが、実は今回一番印象に残ったのは頼朝の穏やかな最後と政子。



とうとう頼朝が亡くなってしまった。なんだか寂しい。今まで主役でしたもんね。頼朝はスーパースター。やっぱり頼朝が立ち上がってこその鎌倉…今まで鎌倉の全ては頼朝を中心に回っていた。そのスターの頼朝がこれからのストーリーにいないのだと思うとどうも寂しい。とうとう頼朝の時代が終わってしまった。

これからの話は…昔『草燃える』を見て/後に再度DVDで総集編を見た以外はあまり知らないのだけれど…あまり歴史を調べずに、ドラマでのストーリーの展開にあらためて驚いたりびっくりしたりしようと思います。

「頼朝が亡くなって義時は伊豆に帰ると言うが、政子に頼家を守るようにと引き止められる」

今まで北条義時は頼朝の便利なツールとして動いていたのだけれど、これからは主役。彼が自分の意思でどう変わっていくのか楽しみ。


-------------------------------------------

建久9年(1198)12月末に落馬した源頼朝(大泉洋)が鎌倉に帰ってきた。頭を打ったらしく眠っている。医師はあと数日の命だと言う。

政子(小池栄子)
頼朝ラブ。頼朝を看病。彼女こそ頼朝を心から愛していた。

北条義時(小栗旬)
頼朝の忠臣であることは間違いないのだけれど、それにしても「頼朝の状態を誰にも知らせるな」と言いながら皆に話を広めているのは彼ですよね。物事を動かすために伝えなければならない人々がいるとはいえ、結局皆に頼朝のことを喋っている。一応「内密に」と口止めはするが、結局噂は広まる。どんどん広がる。全然内密になっていない笑。いかにも三谷さんらしい流れ。

 ▶ 梶原景時(中村獅童)と畠山重忠(中川大志)
  頼朝の落馬を見た者を口止めさせる。
 ▶ 北条時政(坂東彌十郎)と時連(瀬戸康史)
  →三浦家に行って義澄(佐藤B作)に水垢離につきあわせる
  →りく(宮沢りえ)にも伝わる。
 ▶ 比企能員(佐藤二朗)
  →妻・(堀内敬子)と娘・せつ(山谷花純)に告げる。
八田知家(市原隼人)は極秘に火葬の準備

比企能員の野心
後継者は頼家(金子大地)に。比企は頼家の乳母夫

北条時政…りくの野心
りくは比企家にライバル心を燃やしている。時政を説き伏せ、頼朝の弟・阿野全成(新納慎也)を後継者にするように指示…娘の実衣(宮澤エマ)は御台所に。それを全成と実衣に打診。

義時のアイデア
頼家を後継者に推している。頼家の正室のつつじ(北香那)に子供が生まれたら、比企に対抗するため、三浦義村(山本耕史)にその子供の乳母夫になってほしいと伝える。

政子の意向
頼朝の後継者はもちろん息子の頼家。

実依の野心と全成
実衣に御台所になる野心が芽生える。政子と対抗。

頼家
「わしが後を継ぐ」頼朝のことを公にするようにとの指示

御家人達
集まって皆に頼朝のことが伝えられる。皆騒ぐ。

-------------------------------------------

建久10年(1199年)1月11日 頼朝は死の直前に出家。髻を落としたら観音像が出て来た。これは比企尼が言っていた観音像?大切に髻に隠していたのですね。

最後に頼朝は起き上がり、政子に「これはなんですか?」と尋ねる。そして倒れる。死去。建久10年(1199年)1月13日 享年52(満51歳没)。

荼毘に付し、頼朝の遺骨は持仏堂へ。安達盛長(野添義弘)が哀しむ。

北条時政や比企能員が誰が後継者かで言い争うが、政子が頼家を説き伏せる。

頼家が御家人達の前で鎌倉殿就任を宣言。


北条家は揉めている。

阿野全成と実依を押していた時政とりくは不満。「頼家は気が強く女好き。いつかボロを出す」りくにはアイデアがありそう。

伊豆に帰ると言う義時を政子が止める。頼朝の観音像を義時に渡す。


2022年7月12日火曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第25回「天が望んだ男」6月26日放送



頼朝最後の日々。

前回の最後に「頼朝は自分の死が迫っていることがわかっている」とあった。頼朝が亡くなったのは52歳(満51歳)だそう。Wikipediaには「原因は落馬とも病気とも言われるが定かではない」とある。もしこのドラマのように「自分の死が迫っている」のがわかっていたのなら、頼朝は身体の調子が悪い自覚があったのだろうか。当時の51歳はどんな様子だったのだろう。

ネット上を検索してみると鎌倉時代の平均寿命が出て来た。24歳だそうだが、これは当時の乳幼児死亡数が多かったことによるもので、実際は貴族なら40~50歳ぐらいほどだったそう。

ということは、頼朝が51歳まで生きたというのは平均寿命か…比較的長寿。そろそろ加齢により具合が悪くなる年齢だったのかも。当時の権力者は比較的栄養バランスのとれた食事ができて健康的で、特に鎌倉の武士達は貴族的な生活を送った平家よりも健康的だったという情報もあった。彼らの死因はもちろん戦死も多い。ストレスによる病死もある。戦の前線にほとんど出なかった頼朝が51歳まで生きたのは幸運だったのだろう。平清盛の63歳も長寿。それにしても前回24話で調べた岡崎義実が89歳というのは…彼は超人、仙人レベルですね。



というわけで今回は(身体の具合が悪かったのか)不安になった源頼朝(大泉洋)が、縁起の悪い物事を避けようとしてバタバタするお話。その縁起の悪い物事とは…弟の阿野全成(新納慎也)が言ったデタラメのリスト。その頼朝の様子がコメディ。場面場面が漫画のような構図。すごく面白い。



その縁起の悪いこと、気をつけることのリスト

① 陰陽五行では相性のよくない色…平家の赤
② 久方ぶりの者が訪ねてくるのはよくないことの兆し
③ 自分に恨みを持つ者の縁者には気をつける
④ 昔を振り返ること
⑤ 人に先を託す
⑥ 仏事神事は欠かさぬこと
⑦ 赤子を抱くと命を吸い取られる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

① 平家の赤
政子の指示で義時の異母兄弟・北条時連(瀬戸康史)が赤いほおずきを頼朝の部屋に飾る


② 久方ぶりの訪問者
土肥実平(阿南健治)と千葉常胤(岡本信人)が久しぶりに訪ねてきた。


③ 自分に恨みを持つ者の縁者には気をつける
多過ぎて数え切れない。比企能員(佐藤二朗)は? 北条時政(坂東彌十郎)は? 頼朝は和田義盛(横田栄司)の館に住む巴御前(秋元才加)を訪ねて謝罪。

④ 昔を振り返ること
和田の館に巴御前を訪ねて昔の話をする。巴に謝罪。
相模川の橋の落成供養では政子(小池栄子)としみじみ。しかしこの場面の頼朝は気にしていない。

⑤ 人に先を託す
比企能員や大江広元(栗原英雄)三善康信(小林隆)が集まって頼朝の後継者を話し合っていた場に頼朝が現れて激怒。しかし相模川の法要の後には、北条義時(小栗旬)に源氏の未来を託す頼朝。


⑥仏事神事は欠かさぬこと
建久9年(1198年)12月27日。北条時政の四女の夫・稲毛重成(村上誠基)が、亡くなった妻のために相模川に橋をかけ、その橋の落成供養を行う。頼朝はそれに呼ばれて参加。しかし法要の後、悟りを開いた頼朝は神仏には頼らず好きに生きると言う。


⑦ 命を吸い取る赤子
頼家(金子大地)と比企能員の娘・せつ(山谷花純)が長男・一幡を連れてきた。

孫に会えてよかったねぇ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    
頼家の嫁問題。
頼家には比企家のせつとの子供がいるが、せつを正室にするつもりはない。つつじを正室にしたいと言う。三浦義村(山本耕史)が頼家に紹介したつつじの母は頼朝の叔父・鎮西八郎為朝の娘。頼家はすでにつつじと夫婦の契りを結んでいると言う。頼家は手が早い。頼朝はつつじが源氏の血筋だと大変喜ぶ。

頼家君がすごく嬉しそうだ

頼朝は北条家による相模川の橋の落成供養に出かける。縁起を担いで方違え(忌むべき方角を避けて外出)により和田義盛の館に立ち寄る。一旦館を出るが、途中の道が八田知家(市原隼人)の指揮のもと工事中。和田の館に引き返して巴に会い謝罪。


相模川の法要で頼朝は時政の妻・りく(宮沢りえ)と初めて会う。時政の本心を探るが、りくは時政にそのような野心はないと言う。りくは頼朝に「共に京育ち。りくは強いお方が好き」と頼朝に京にのぼるよう促す。現れた時政も「不満などない」と言う。

この場面の宮沢りえさんが最高。さすがの美女。やっぱり美女はこうでなくちゃね。男性を色香で惑わす美女。いいですねぇ。もうね、宮沢さんの色っぽい表情が最高。素敵。りくさんはどんどん男を色香で惑わせてください。

政子と和む頼朝の顔は明るい。義時には「頼家を支えてやってくれ」と告げる。頼朝は大御所となると言う。そろそろ引退しようと思っているらしい。「人の命は定められたもの。甘んじて受け入れよう。好きに生きる。怯えて過ごすのは無駄。」 頼朝、悟りを開いたか? 神仏には頼らぬということか?

頼朝は安達盛長(野添義弘)と共に帰路に就いた。二人、思い出話を始めたところで頼朝が落馬。

あれっ?わだっちがすごくイイ男でびっくりしたわ

その瞬間、それぞれの人物達が鈴の音を聞く。それまで頼朝が聞いていたのと同じ鈴の音。その音は義時には聞こえていない。なぜだなぜだなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ?


今知った。このドラマの元になっている『吾妻鏡』には、頼朝の死の記録が抜けていて、「落馬」のことに触れられているのは頼朝の死の13年後だそうだ。不思議ですねぇ。


とうとう頼朝が落馬してしまう。これで頼朝も最後か。それにしてもこの大泉さんの頼朝は素晴らしかった。大泉さんは色んな引き出しのある役者さんなのですね。最初はこのドラマはコメディ仕立てだとばかり思っていた。初回からちょっと面白系だった。それなのに回が進むに連れて頼朝はどんどん変わっていった。

上品な源氏のぼんぼん。女好きで手が早い。やる気のない若者から密かに野心が芽生え、リーダーとしての自覚を持ち、上総介との対面では源氏の棟梁の威厳を見せた。大軍を抱えるトップとして指示を出し、それでも女好きは止められない。警戒した部下の処刑。親族の討伐。平家討伐。冷酷。狡猾。残酷。親族の処刑、暗殺。京への野心。家族も犠牲にする。猜疑心。不安。そして悟り。

すごいと思います大泉さん。様々な顔を持つ頼朝が全て一人の頼朝として納得できました。面白かったです。三谷さんの脚本が素晴らしいのはもちろんのこと。大泉さんの頑張りに大きな拍手。



2022年7月1日金曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第24回「変わらぬ人」6月19日放送



範頼の運命、大姫の選択

頼朝の不安が止まりません。彼はとうとう一番信頼できる身内をも疑い始め、それは強迫観念になっていく。強大な権力を持った者が次第に周りの者を疑い始め、それが意味の無い粛清に繋がっていく。それは古今東西よくある話なのかも。心理的なパターンがありそう。この頼朝の時代は約1000年も前の昔で、頼朝の心理がどこまでそのパターンをなぞるのか実際には謎だけれど、このドラマの流れは十分納得できる。

しかしそれにしてもこのドラマの範頼はただただ惜しい。


範頼
頼朝一行が巻狩り(建久4年(1193年)5月6月)から鎌倉に帰ってきた。

源頼朝(大泉洋)は、前回の曾我兄弟の暗殺未遂の報で、弟・範頼(迫田孝也)が自身に代わって鎌倉殿の座に就こうとしたと範頼の背信を疑い始める。範頼の野心の証拠は、気を利かせて三善康信(小林隆)が京に送った文。その文は梶原景時(中村獅童)の手に入り頼朝へ届けられていた。


範頼を焚きつけた比企能員(佐藤二朗)は範頼を拒絶。義時は範頼に比企の関与を訪ねるが、範頼は比企を庇う。建久4年(1193年)8月2日 範頼は「謀反ではない」との起請文を頼朝に届ける。その起請文に大江広元(栗原英雄)が言いがかり…源姓を署名したのは範頼の野心の証拠だと言う。それを問われて範頼は引き下がる。

頼朝を政子(小池栄子)が説得。安達盛長(野添義弘)が呼んだ比企尼(草笛光子)も頼朝を説得するが、猜疑心に苛まれる頼朝は聞く耳を持たない。

建久4年(1193年)8月17日 範頼は伊豆の修善寺へ幽閉。

思うようにならぬ京/朝廷への進出に苛立つ頼朝は、その理由が誰か…範頼の呪いだと思い始める。頼朝の命で梶原から送られた善児(梶原善)が範頼を暗殺。

あっさりと暗殺されてしまった。すごくいい人だったのですよね範頼。もったいないなぁ。律儀な人で、これからも頼朝の力になったろうに。ところでまたまた善児ですが、なんだかこう何度も繰り返されると嫌になってきますね笑。驚きがない。彼が出てくると「ああそうか」と思う。  


大姫
京/朝廷との繋がりを強固にしようとする頼朝。大姫(南沙良)の後鳥羽天皇との縁談が棚上げになったことから、大姫を公家に嫁がせようとするが、大姫は頑なに心を開かない。大姫はまだ木曽義高が忘れらない。それでも長い時間が過ぎて、大姫は記憶の中の義高の面影が薄れてきていると言う。それで(秋元才加)に相談するため和田義盛(横田栄司)の館を訪ねる。巴は前に進むようにと大姫を説く。

気持ちを新たに大姫は京の帝へ嫁ぐことに同意。父母の役に立つのならと健気。


建久6年(1195)2月 頼朝2度目の上洛。頼朝は京の各方面に金銀をばら撒き、大姫と政子は丹後局(鈴木京香)を訪ねる(3月29日)…各方面へのコネを求めたものの丹後局に「田舎者、厚かましい」と侮辱される。

こわい 丹後局

大姫は傷ついた。寝所を一人抜け出して雨に降られていたところを三浦義村(山本耕史)に救われる。義村が大姫に説く「姫は姫の生きたいように生きるべきです…人は己の幸せのために生きる。当たり前のことです」。←これ。本当。本当に本当。基本です。素晴らしい幸せのための哲学。

横顔の綺麗な 大姫

大姫、病に倒れ鎌倉に帰ってくる。容体は悪化。大姫「私は私の好きにしてもいい。好きに生きると言う事は好きに死ぬということ。死ぬのは怖くない。死ねば義高様に会える。楽しみ」。建久8年7月14日(1197年8月28日)大姫死去。享年20。

本当にかわいそうだった。この大姫の話はちょっと涙が出そうになった。辛いね。でも義高君に会えたかな。だったらいいな。


岡崎爺
元気爺

岡崎義実(たかお鷹) このドラマでは前回の曾我兄弟の仇討ちへの関与で出家引退。記録では彼は建久4年(1193年)8月24日に老衰であるためとして出家したそうだ。そして亡くなった時は89歳。すごい!

岡崎さんは最初の頃に出て来た時は穏やかなお爺ちゃんかと思ってたのに、出てくるたびに坂東武者一番の武闘派。何度も何度も頼朝への不満を述べ、千葉常胤と共に直ぐに武器を取って戦い始めそうな様子。何度もびっくりした。 今回出家した後、訪ねてきた梶原景時が昔の話をし、「そういうことも… あったな」と言う。一瞬の場面なのに様々な思いの巡る表情。いい役者さん。

巴さんが幸せそうだ
よかったです。本当によかった。以前義仲と頼朝軍の戦で彼女が捕らえられた場面で「敵の武将の手に落ちるのは屈辱だろう」と書いたのですけど、和田さんがよほどいい人だったのだろう。気性の激しい女性を大切に大切にして心を開かせたのだろう。和田さんすごい。この巴さんが和田さんの家に入ったという話は一部の記録にも残っているらしいです。本当だったのかどうかは不明。でもここでは幸せな話になっていてよかったです。眉毛も分かれてた。綺麗。

意地悪な丹後局
鈴木京香さんがお綺麗なのですよ。彼女は何をやっても美しいお方。それなのにこの丹後局では容赦なくいけずなババアをなさっている。すごいね。しかしキツイな。さすがうまい女優さんだ。素晴らしいです拍手。もう笑えないほどハンパなく底意地が悪い。素直な大姫ちゃんが病むのも納得。

頼朝はだいじょうぶか
政子でさえ鎌倉殿はおかしいと言う。彼は怯えているらしい。娘の大姫を亡くしたその場で次女の三幡の入内の話を進めろと言うのは異常。そして最後にはナレーションで「自分の死が迫っていることがわかっている」。


2022年6月23日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第23回「狩りと獲物」6月12日放送



源頼朝が行った富士の巻狩りと、曾我兄弟の仇討ち。


富士の巻狩り
建久4年(1193年)5月8日から6月7日までの1ヶ月間
源頼朝(大泉洋)が多くの御家人を集め駿河国富士山麓の藍沢(現在の静岡県御殿場市・裾野市一帯)・富士野(静岡県富士宮市)にて行った壮大な巻狩。

5月16日に頼朝の嫡男・万寿/頼家(金子大地)が初めて鹿を射止めた。初鹿狩りは将軍後継者たる頼家を周囲の御家人に認めさせる契機であった。


万寿=頼家
万寿君はどうやらインドア派かな?あまりスポーツが得意ではないらしい。矢が獲物に当たらない。それに比べて北条家の金剛/頼時(坂口健太郎)はそこそこ上手い。そんなスポーツが苦手な万寿君ですが、後の曾我兄弟の敵討ちの夜…緊急の事態にはリーダーらしくキビキビと下の者に指示を出してました。実はデキる人?

子供時代の万寿くん(鳥越壮真)

お子さん達が今週から急に成長しました。子役さんと大人の俳優さんが皆それぞれなんとなく似てますね。キャスティングがいい。この大河の子役さん達はみんな本当にかわいい。



曾我兄弟の仇討ち 
建久4年(1193年)5月28日
富士の巻狩りの際に曾我祐成/十郎(田邊 和也)と曾我時致/五郎(田中俊介)の兄弟が父親の仇である工藤祐経(坪倉由幸)を富士野にて討った事件。

このドラマでは曾我兄弟が源頼朝を暗殺しようとした話になってます。前22回では、曾我兄弟がその暗殺計画に北条の兵を使うと言い、そのことを知った梶原景時(中村獅童)がそれを北条義時(小栗旬)に伝える場面で終了。

今回はその暗殺計画を義時が父の北条時政(坂東彌十郎)に告げる。しかし巻狩りの中止はできない。ということで時政達は頼朝の警護を強化することを打ち合わせ。

事件当日の夜、頼朝は比奈(堀田真由)を訪ねようと寝所を抜け出した。工藤祐経を自分の身代わりに寝所に残す。

そして比奈の元に現れた頼朝。しかし比奈の側には義時。がっかりしてその場を去る頼朝。雨が降るので一時雨宿り。

その頃、曾我兄弟は暗殺計画決行。まず兄の曽我十郎が、異変に気付いた仁田忠常(高岸宏行)に討ち取られる。しかし弟の五郎は頼朝の寝所に押し入り、そこに頼朝の身代わりで寝ていた工藤祐経を殺害「源頼朝討ち取ったり」

皆が慌てているその場に、頼朝が帰ってくる。

鎌倉では
頼朝襲撃の一報は、留守を任された鎌倉の範頼(迫田孝也)と比企家に届けられる。比企能員(佐藤二朗)は御所に出向き範頼に次の鎌倉殿になるように進言。また三善康信(小林隆)は京の帝に範頼が鎌倉殿を引き継ぐことを報告をしようとアドバイス。事を進め始める。

さこっちの範頼はお顔が好き時代劇の似合うイイ男

富士 翌日
事後処理・義時のアイデア…頼朝の治める坂東で謀反など起こってはならぬ。しかし曾我五郎を殺せば頼朝が不満分子を口封じしたと言われる。それなら謀反を装った敵討ちとしよう。しかし巻狩りを乱した罪で曾我五郎は斬首し鎌倉で晒し首。一件落着。…時政は冷酷な義時を心配し、梶原景時は義時を警戒し始めたかも。

悩みは尽きない 義時 かっこいいよね

頼朝が弱気になる?
「いつも、はっきりと天の導きを感じた。昨日は何も聞こえなかった。小四郎、わしがやるべきことはこの世に残ってないのか」

帰ってきた鎌倉で
大江広元(栗原英雄)が、頼朝の留守に範頼が鎌倉殿になったように振る舞っていた…範頼に野心がありそうだと頼朝にチクる。←この大江さんはなぜ頼朝の弟を貶めるのかな?源兄弟の仲たがいをさせて彼は何がやりたいのだ。そういえば以前も彼が上総介を貶めましたね。


比奈の恋
おっと…比奈(堀田真由)さん気持ちが変わったのね。彼女は比企家から政治的ツールとして頼朝の元に送られた比企尼の孫。結局政子の指示で義時の元に送られたのに義時に拒絶され、比企家に帰って来て「たらいまわしだ」と文句を言っていた。前回は義時のことを「むっつりしてる」と言っていたのに今週は「ご迷惑?もう少し側にいさせて。私の方を向いてくれとは言わない。私が小四郎殿を見ていればそれでいい」と義時に言い寄っている。いつの間に好きになったのだ?笑 彼女はしっかり者っぽい。頼りになりそう。



2022年6月18日土曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第22回「義時の生きる道」6月5日放送



歴史が動きます。とうとうあの有名な「イイクニツクロウ」の年…いや今の時代は、鎌倉幕府の成立は1185年説が一般的なのだそうだ。

さてこの回にもまた繰り返し出てくる坂東武者達の頼朝に対する不満。平家が滅び、戦がなくなって坂東武者達は迷っている。頼朝は文官と取り巻きだけを優遇すると皆不満。

そんな状況で曾我兄弟が親の敵討ちの計画。
そこには敵討ち以上の計画もあった。


流れ
-------------------------------------------------------------

八重を失った北条義時(小栗旬)は、子供達の世話で忙しい。金剛(森優理斗)と鶴丸(佐藤遙灯)は兄弟のように育っている。

安達さんち親子


(建久元年(1190年)11月3日  頼朝 鎌倉を立つ)
(建久元年(1190年)11月7日  頼朝 千余騎の御家人を率いて入京)




建久元年(1190年)11月9日
源頼朝(大泉洋)。大群を率いて上洛。後白河法皇(西田敏行)に拝謁。
頼朝「戦の無い新しい世のため朝廷の力が必要。力をお貸しください」
頼朝 全国の守護を請け負うことを認められる。


頼朝に率いられて上洛した後家人達が集まって頼朝に対する不満を話している。
大江広元(栗原英雄) 和田義盛(横田栄司) 北条義時 畠山重忠(中川大志) 三浦義村(山本耕史)
…頼朝は飲み会に来ずに工藤祐経(坪倉由幸)と歌会に行った。

別の部屋では
三浦義澄(佐藤B作) 千葉常胤(岡本信人)、岡崎義実(たかお鷹)、比企能員(佐藤二朗)、土肥実平(阿南健治) 源範頼(迫田孝也)
…鎌倉殿は法皇に取り入るために我らを利用した。鎌倉殿と身内の者だけがいい思いをする。


公家・九条兼実(田中直樹)は娘を後鳥羽天皇(菊井りひと)に輿入れさせていた。


(12月14日、頼朝は京都を去り29日に鎌倉に戻った)
(翌年3月22日の建久新制で頼朝の諸国守護権が公式に認められた)

建久3年(1192年)3月 後白河法皇が崩御
 


建久3年(1192年)7月12日
後鳥羽天皇によって頼朝は征夷大将軍に任ぜられる

建久3年(1192年)8月9日 政子(小池栄子)に三男(政子の子としては次男)千幡/実朝 誕生
乳母は阿野全成(新納慎也)と実依(宮澤エマ)の夫婦

北条をライバル視する比企能員が姪の比奈(堀田真由)を頼朝の元に送ろうと計画。しかし政子の指示で比奈は後妻にと義時のもとへ送られる「比企と北条の架け橋に」 義時は辞退


建久4年(1193年)5月
北条時政の家人になっていた曾我兄弟。
 曾我十郎(田邊和也)

 曾我五郎(田中俊介)

彼らの父・河津祐泰(山口祥行)は、祖父・伊東祐親を恨んだ工藤祐経に討たれた。二人は父の敵討ちをすると言う。←北条時政(坂東彌十郎)が二人を応援すると言うのだけれど、工藤祐経は頼朝にとって便利な存在。勝手に頼朝の家人を討っても問題ないのか?

その裏話
曾我兄弟は頼朝も討つと言う。それをサポートする岡崎義実が比企能員にその話を告げる。
 曾我五郎「文官ばかりが出世する。」

岡崎も頼朝に不満を抱えている。
「新しい世を作るために我らは戦ってきた。それなのに平家がのさばっていた頃と何も変わらない。頼朝に近い者だけが得をする」

曾我兄弟はその計画に北条の兵を20人ほど使うと言う。曾我兄弟の烏帽子親は北条時政。しかし時政は曾我兄弟の頼朝暗殺の計画を知らない。

比企能員…もし曾我兄弟の頼朝暗殺計画が失敗すれば北条は失脚する。もし成功すれば比企が後見人の万寿が後を継ぐことになる。どちらに転んでも都合がいい。

梶原景時(中村獅童)が義時に、曾我兄弟の「謀反の気配」を告げる。義時の父・時政がそれに関わっているかも。



2022年6月8日水曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第21回「仏の眼差し」5月29日放送



★あらすじ
頼朝、奥州に攻め込み藤原氏を滅ぼす。坂東武者達は義経を惜しむ。頼朝は上洛の準備。北条家の人々。八重が事故で亡くなる。


----------------------------------------------------------------------

義経が討たれ、北条義時(小栗旬)が悔やむ。
土肥実平(阿南健治)「なぜ死ななければならなかったのか?もったいない」
彼らが立っている丘は…鎌倉の建長寺?あのお寺の辺りの後ろの丘/山から鎌倉の町を見ているのかな。あの丘にはハイキングコースがあるのですよね。昔1度歩いた。

八田知家(市原隼人)登場。鎌倉の土木工事をやっているらしい。

文治5年(1189年)7月
源頼朝(大泉洋)は全国から兵を集め、義経を失った奥州を攻めて圧勝。奥州藤原氏を滅ぼした。頼朝は天下を取った。

坂東武者達が義経を惜しむ。
「義経は強かった。神がかり的。梶原景時が鎌倉殿に余計なことを言わなきゃ死ななくてすんだんだ九郎殿はよぉ」

ムシャおじさんたち 好き好き
和田 千葉 土肥
岡崎 畠山

武者達は頼朝のやり方に皆疑問を持っている。彼らは義時が義経の死に関わった事を知らない。皆、梶原景時(中村獅童)が平家攻めの時の義経の勝手な行動を頼朝にチクったせいだと思っているらしい。

北条時政(坂東彌十郎)が京から鎌倉に帰ってきた。どうやら彼は双六で一緒に遊んで後白河法皇(西田敏行)に気に入られたらしい。

頼朝が法皇からの奥州攻めの褒美を断る。後白河法皇は不満。法皇が平家や義仲、義経まで懐かしがる。←全てあなたが悪い。


北条家

りく(宮沢りえ)+時政に赤子。

大姫(南沙良)はオカルトにハマっているらしい。
こうきたか。三谷さんうまい。1979年の大河『草燃える』では、病む大姫のキャラがわざとらしくて不自然だった。昭和の脚本のせい。しかし今回大姫はオカルトにハマる。それなら自然。うまい。一見普通だけれどちょっと変だよね…という感じなのだろう。

畠山重忠(中川大志)は時政の娘ちえ(福田愛依)を娶り、子供ができた。

時政の末娘あき(尾碕真花)は稲毛重成(村上誠基)の嫁に

時政の三男・時連(瀬戸康史)、後の北条時房

似てないけど美人の絵は難しいのよ 八重

八重(新垣結衣)の孤児院は15人

八重 水難事故で亡くなる
季節はいつだったのだろう?冷たい水に入って心臓麻痺だろうか。義時は辛いね。八重さんが亡くなってびっくり。彼女は義時とずっと一緒にいるものだと思っていた。八重さん綺麗でした。「逃げ恥」から印象が変わりました。大人の女性だった。

アーティストはカジュアルが許される 運慶

伊豆の願成就院(文治5年(1189年)6月)

時政が奥州攻めの時に創建。
運慶(相島一之)の阿弥陀如来。
↑ああそうか、運慶ってこの時代か。すごいなぁ。運慶はいつ見たかな。国立博物館か。像が結構並んでた記憶。とにかくあんなものすごい彫刻が大昔の鎌倉時代に作られていたということに驚く。驚愕。なぜなら日本の絵画は長い間、ルネッサンス以降の西洋の絵画のように立体的にならなかったのですよ。ずーっと平面のまま。それなのに彫刻では1000年ぐらい前の大昔にあれだけリアルな像が作られていた…(彫刻はその前の飛鳥も奈良もすごいのですけど)。こういうのを見ると、じゃあなぜ日本では立体的な表現をする絵画が生まれなかったのだろうと不思議になる。空間を把握する能力があれば、立体的な絵だって描けただろうに…何故?不思議。


ところでこのドラマ、登場人物が毎回増えがる。すごいぞ。本当に沢山人が出てくる。毎回新しい人が出てくるので似顔絵が追いつけない。主人公の義時くんもう少し待っててね。


2022年6月2日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第20回「帰ってきた義経」5月22日放送



「帰ってきた義経」の意味 泣


★あらすじ
文治3年 1187年 源義経(菅田将暉)が平泉に戻ってきた。藤原秀衡(田中泯)が温かく迎えるが程なく死去。源頼朝(大泉洋)は北条義時(小栗旬)を奥州へ送り、後を継いだ藤原国衡(平山祐介)泰衡(山本浩司)兄弟を争わせ、義経を討たせるよう命じる。計画は成功。義経は泰衡に討たれる。

藤原秀衡


まず奥州で何があったのかWikipediaから
文治3年(1187年)
2月10日 藤原秀衡義経を受け入れる
10月29日 秀衡 死去 
側室腹の長男・国衡と正室腹の次男・泰衡の仲は険悪。後継者は正室の生んだ次男・泰衡。秀衡の命により、長男・国衡には父の正室の藤原基成の娘を娶らせる…兄弟が争わぬよう国衡と泰衡を義理の父子関係とした。
秀衡の遺言は「義経を主君として給仕し、三人一味の結束をもって、頼朝の攻撃に備えよ」
文治4年(1188年)
2月と10月頃 頼朝は朝廷に宣旨を出させて泰衡基成義経追討を要請
文治5年(1189年)
2月15日、泰衡が末弟の頼衡を殺害
2月、3月、4月、頼朝 奥州追討の宣旨を朝廷に要請
(ドラマで義時が平泉に出向いたのは閏4月頃)
閏4月30日、泰衡 従兵数百騎で義経の起居していた衣川館を襲撃。義経と妻子、彼の主従を自害へと追いやる(衣川の戦い)。館を平泉の兵に囲まれた義経は、一切戦うことをせず持仏堂に篭り、まず正妻の郷御前と4歳の女子を殺害した後、自害して果てた。享年31
6月13日、泰衡 義経の首を酒に浸して鎌倉へ送り恭順の意を示した。


京から逃げた義経が奥州に入り、藤原泰衡に討たれるまでの話。

奥州の藤原氏と義経を警戒した頼朝が、朝廷に働きかけて泰衡と基成に義経追討を要請したり、奥州追討の宣旨を要請したりと藤原氏にプレシャーをかけ続け、その圧に負けた泰衡が義経を討ったのが記録にある本当の話らしいです。


とうとう義経が死んでしまったわ泣。もう少し最後の場面を描いて欲しかった。弁慶の立往生も。古典的見せ場が見たかったと思った。


------------------------------------------------

今回は多少無理があると思った設定があったので書いておこう。文句ではない。脚色を面白がってます。ドラマはすごく面白いです。

★義時はどっちの人?
このドラマはフィクションの設定で、義時が奥州に使者として出向く話。義時はフォレスト・ガンプの様に様々な事柄に関わってます。

しかしだからこそ不自然でもあったりする。

義時はストーリー上、今でも「いい人」扱いなのだろうか? 頼朝に「九郎を生かして連れて帰るな」と言われる。それで頼朝に言われるまま自らのアイデアで藤原泰衡に義経を討たせるように仕向ける。結局義経を殺したのは義時のようなもの。粛々と冷静に計画を実行している。

この回の頃の義時はほぼ26歳。頼朝に仕えて結構な時間が経ってる。以前の上総広常や義高、それに静御前の子供などなど…もうそろそろ義時も頼朝のやり方に慣れただろう。もう「義経を殺せ」と言われても驚かないのでは。義経に関してはいずれこうなることもわかっていただろうし。しかし義時、この回も頼朝の言葉を聞いてショックを受けたような顔をする。まだ慣れないのかな。

今回義時は、義経に静御前の事を話して意図的に義経を苦しませ怒らせ、その義経の怒りを泰衡に報告し、泰衡に義経を討つよう進言している。義時は結構な悪人ですよね。義経を助けようなんて微塵も思っていない。

それなのに、義経とは最後まで友人のように親しく話をしているのもまた変。う~む。そろそろ義時は自覚のある悪い奴になった方が自然かも。粛々と仕事をする義時は頼朝の道具。(主人にとっての)善児のあり方とそれほど変わらなくなってきているのかも。

★義時は善児と兄・宗時のことを知っているのか?
知らないのだろう。

★義時は奥州出張が怖くなかったのか?
義時は奥州に出向いて討たれると思わなかったのか?もうすでに藤原氏は頼朝を警戒していただろうし、あちらには義経がいる。義経が「義時の首を鎌倉に送り返せ」と言いかねない。


★義時と善児は何故捕らえられない?
義時が泰衡に義経を討つ事を進言している場面。泰衡の弟の頼衡(川並 淳一)が義時を疑い始め刀を抜いた場面で、いきなり善児が頼衡を刺してしまう。藤原氏の館内で(敵対する)鎌倉からの使者が、泰衡の弟を彼の目の前で殺害する。あれは本来なら義時も善児もその場で討ち取られるか捕らえられるだろう。家人達がやってこないのも変。 藤原氏はあの場で義時を斬って、義経を総大将とし、鎌倉と全力で戦をした方がチャンスがあったかも。


★義経はなぜ義時を殺さない?
義時と義経の最後の場面。ドラマとして義経の言葉を聞くための場面なのだろうけれど、あの場面では義経が義時を斬るほうが自然。なぜ逃がす?義経はもう全て諦めていてどうでもよかったのかな。 

★そして頼朝の涙?
あの頼朝は義経の首を抱えては泣かないだろう。彼の弟への愛情は全く無いと思う。それよりも義経の首など見たくないのでは。あの時代は恨みだの呪いだの…そういうものを信じていた時代だろうから、頼朝は義経の恨みもが恐ろしいのではないか。自分が殺した弟のことは早く忘れたいと思う。もう1回言う、頼朝の義経への愛情はゼロだったと思う。頼朝びびりだし。
 
------------------------------------------------

義経
素晴らしかったです。奥州に帰って来て父親のような秀衡に初めて平家を滅ぼしたことを褒められて泣く。やっぱり彼は誰かに心から褒めて欲しかったのですね。頼朝のことを「兄にとって私はそこまで邪魔なのか。そう思うと、どうでもよくなった」。彼は最後まで頼朝との兄弟の絆を信じたかったのだろう。 菅田将暉さんは上手い俳優さん。この義経のことは忘れない。

弁慶
「弁慶の立往生」は木の板を着ていたからなのか。なるほど。アイデアに納得。最後の義経とのやりとり「武蔵坊世話になった」「やめてください」がよかった涙。

弁慶

松尾芭蕉
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
奥州藤原氏のことだったのか。
杜甫『春望』 
「國破れて 山河在り 城春にして 草木深し」

里さん
本音をぶつける女。いい。胸に迫ります。こんなところに来たくなかったとか、畑仕事もしたくなかったとか言ってましたがリアル。そりゃ里さんは辛かっただろう。自分勝手な義経のような男に嫁いだばかりに…。彼女が静御前のことを「いい気味だ」と言うのもわかる。やっぱり義経のことが好きだった。好きだから義経も静御前も憎い。 あのような状況で義経に文句を言ったのは自分も「これで最後」だとわかったからだろう。 前回の京での堀川夜討を、里さんが手配したと義経に告げて義経に刺される…あのフィクションの設定はここに繋がった。 ちなみに里さん(郷御前)の父・河越重頼(母は比企尼の次女)は、義経との関わりから頼朝に誅殺されたらしい。里さんは鎌倉にも帰る場所はなかったのだろう。

静御前
彼女も気が強くていい。強い女はいい。ただ可哀想な女ではなく意地を通した女だからいい。比企の道(堀内敬子)に蔑まれて反発し、自ら静御前だと名乗ったけれど、嘘をついてプライドを飲み込むには彼女はまだ若かったのかな。 静御前のその後は不明なのだそう。様々な伝承が各地に残っているらしい。

大姫
セミの抜け殻で義高のことを思い出す。細やかな表現。うまい脚本。彼女を後鳥羽天皇に入内させようと頼朝が考えている。政子と大姫が静御前を憐れんだことも記録に残っているらしい。

八重
子供の数が増え孤児院が大きくなっている。



2022年5月24日火曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第19回「果たせぬ凱旋」5月15日放送



義経が周りに振り回される…辛いね


★あらすじ
義経失踪まで


----------------------------------------------------------------------


1185年 夏 京に戻ってきた源義経(菅田将暉)。
義経の叔父・源行家(杉本哲太)が義経に鎌倉を攻めるよう誘う。
義経は乗らない「兄とは戦いたくない」

義経の不運① トラブルメーカー叔父
鎌倉
前回、義経を鎌倉に入れなかった源頼朝(大泉洋)。
今回は義経をねぎらいたい…会いたいと言う「詫びてくれれば」
義経を伊予守にして検非違使を辞めさせて鎌倉に呼び寄せよう。

しかし後白河法皇(西田敏行)は義経を検非違使のまま伊予守に命じる(8月16日)

義経の不運② 京の天狗

義経が検非違使を辞めていないと聞いて頼朝が怒る
それなら父・義朝の供養をしようと阿野全成(新納慎也)がアイデアを出す。
父の供養のために義経を呼び寄せよう。


北条義時(小栗旬)が京へ。父の供養の話に義経が喜ぶ。
しかし叔父・行家が義経の鎌倉行きを止める「殺されるぞ(10月13日頃)。
後白河法皇も義経を止める。

その頃 義経の京での人気は落ちていた。
義経をめぐり(三浦透子)と(石橋静河)が争っている。

義経の不運③ 強気な女二人

里が嫉妬から僧兵・土佐坊昌俊(村上和成)を雇い、義経と静御前を襲わせる(堀川夜討 10月17日)
行家は、それが鎌倉からの刺客だと言い、また義経に挙兵を促す。

文治元年 1185年
10月18日 後白河法皇が義経に頼朝討伐の宣旨を下す。

鎌倉
10月22日 その情報が鎌倉に届く 
頼朝激怒。

義経の不運④ 人間不信の兄ちゃん

(10月24日 父・義朝の菩提寺・勝長寿院落成供養)
10月29日 頼朝軍が義経+行家討伐に鎌倉を出発。


京の義経には兵が集まらない。
行家が去る(行家はその後鎌倉軍に殺害される 翌年の5月)
義経、静御前との別れ。里は義経に同行。
義経 京を離れ落ち延びる、失踪(11月3日)。

たすけて 義経

頼朝を恐れた法皇は、今度は頼朝追討の宣旨を取り消し、
頼朝に義経追討の宣旨を下す(11月11日)。

鎌倉
頼朝軍、鎌倉に引き返す(11月8日)。


北条時政(坂東彌十郎)+義時が京都守護として千騎の兵を率いて上洛(11月24日)…行家と義経を捕らえるため西国諸国を鎌倉が治めること…「守護・地頭の設置」を法皇に認めさせる(文治の勅許)(11月28日)←鎌倉が法皇に圧力をかけた。(時政の京での在任期間は4ヶ月間)


夜、時政と義時の京の宿所に義経が現れ、別れを告げる。

----------------------------------------------------------------------

問題は雪ダルマのように

流れを書きましたけど、なんだか義経は周りに振り回されていますね。周りの皆が義経にああしろこうしろと指示を出し、アドバイスをし、頼み、宣旨を出し、行動を止めさせ、一方で鎌倉の頼朝はいちいち義経に腹を立てる。そしてどんどんこじれていく。

なんだかな…もどかしいね。この兄弟の関係のこじれって、前回、義経が平宗盛親子を鎌倉に連れて帰った時に、頼朝が義経を鎌倉に入れなかったことがいけなかったのですよね。あれがすごくもどかしかった。二人があの時点で会って話をしていれば、頼朝の義経に対する不安もこれほど大きくならなかったのでは。頼朝はなぜ義経に会わなかったのだろう。

頼朝は表では義経に怒るのに、プライベートではメソメソ泣く。なんだそれ。そんなに義経が可愛いならなぜあの時鎌倉に入れて会わなかったんだよ…と文句も言いたくなる。頼朝はよくわからん人。

というわけで、それでもう決裂かと思ったら、また今回「義経に会いたい、労いたい」と言う。ええええええ?まだ義経に未練があるの? 

なんかね…頼朝が小さい男なんですよ。あれだけ大勢の御家人達に囲まれてるのに、なぜ義経を怖がるのだろう? 義経が後白河法皇と仲良くしてるから怖くなったのですよね。頼朝は義経を信じることができない。今回も結局義経の行動を誤解し、びびって全軍率いて京に攻め入ることにした。

問題はトラブルメーカーの叔父・行家と天狗の後白河法皇。

特に法皇。困ったなぁこのジジイ。 しかしやっぱり武家は法皇のパワーには逆らえないのですかね。義経もぐずぐずせずにとっとと鎌倉に単身でこっそり帰ればいいのにね。だめ?

なんだか拗れて拗れて拗れきってるからよくわからん。なぜそんなに後白河の顔色を伺わなければならないのか?法皇の具合が悪かろうがそんなの知るもんかって思いますよねぇ。しかし中世の天皇家のパワーは絶対なのだろうな…。

それから、(フィクションだけれど)奥さんも土佐坊昌俊を連れてきて…などと余計なことをする。(行家の言葉で)義経はそれを鎌倉からの刺客…頼朝の指示だと信じてしまう。
里さんと静さんの揉め事も、義経が自分で蒔いた種だとはいえ拗れてます。

…義経を襲った土佐坊昌俊が、妻の里が手配したことになっていることは明らかにフィクション。『吾妻鏡』では、土佐坊昌俊が鎌倉から送られたという話らしいのだけれど証拠はないらしい。

----------------------------------------------------------------------

愛を求める義経

さて義経。せっかく平家を倒したのに、その後にこれだけの災難がふりかかる。なぜ?

戦では天才…勝つためのアイデアが湧いて、勝つために無茶をすることも躊躇しない。勇敢。大胆。そして実戦で勝ち続ける。まるでゲームのように戦を楽しむ人。

波に乗っている時は人の意見も耳に入らない。ルールも常識も無視。目標しか見えていないから周りが見えない。だから周りの賛同を得られない、嫌われる。しかし戦場ではそれが彼独自の「正しいやり方」。そうと決めたら決して曲げない。そして勝つ。そこが天才型。

目標を達成して燃え尽きる。心が落ち着いてから見回すと周りに誰もいない。皆がそっぽを向いている。誰も寄ってこない。皆が自分を避けている嫌っている恐れている。不安になる。

そんな時に彼の心の隙につけこんで利用してくる者がいる。不安だから寄って来る者を簡単に信じて踊らされる。そして問題が大きくなる。

「私の何がいけなかった?」


こういう天才型の人、いますよ。結構リアル。だからかわいそうになる。


義経は純粋過ぎる。子供のよう。この義経は戦以外ではあまり能力もなく、意志も強くないのかも。彼は周りの人の言葉に簡単に惑わされる。人に振り回される、人を疑わないということは…実は己の中に強い信念が無いということかもしれない。 


こんな義経は…懐の大きな主人が抱えて可愛がって面倒を見る。そしてまた戦になったら褒めて活躍の場を与える…褒めてうまくあやして側に置いておけば、義経は主人にとっても強力な駒になったはず。

それなのに…兄の頼朝は人を信じられない男。

義経が藤原秀衡に可愛がられたのは、秀衡の懐が大きかったからなのだろう。義経に必要だったのは父親のように全てを受け止めて愛情を与えてくれる人。義経は愛情を求めていた。頼朝にも後白河法皇にもそれを求めたが、彼らはただ義経を利用しただけ。

そして政子には母親の愛を夢見た「九郎は御台所の膝の温かさ、生涯忘れない」 悲しいね涙

今回の最後、北条時政が父親のように義経に話をしている。
自信をつけるには何が要るか。経験でござるよ。まだまだこれからじゃ
こういう人が義経の上にいてくれたなら…。

そして義経は去っていく。

----------------------------------------------------------------------

★範頼はまだ宝剣を捜しているらしい
★静御前は妊娠中



2022年5月19日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第18回「壇ノ浦で舞った男」5月8日放送



義経あっぱれ!


★あらすじ
源義経の軍が四国の平家を西に追い、源範頼の軍が平家の行く手を九州で塞ぐ。平家と義経軍の壇ノ浦での海戦。義経軍勝利。安徳天皇が入水し亡くなり三種の神器のうちの宝剣が海に沈む。京で義経は後白河法皇に気に入られる。義経の都での評判もあがる。義経は平宗盛を鎌倉へ送るが、彼への不信感を募らせた兄・頼朝は義経を拒否する。



義経の壇ノ浦の戦いのシーンが最高。時間は短かったのに手に汗握る。義経がかっこよかった。手段を選ばぬ戦い方で味方をも困らせていましたが、この義経は憎めない。彼の言葉「戦は勝たねば意味がない」にも納得。このキャラクターの義経は妙に説得力があって好ましく見てしまう。戦は勝たねば意味がない…その通りその通り。

それにしても(過去に何度も描写されてきた)平家の人々の最期の場面…宗盛以外の平家方の言葉や感情が全く描写されなかったのもよかった。これは源氏側から見た平家の滅亡。妙にリアル。戦闘状態だから源氏方も海に身投げする平家の人々をすぐに救いには行けないだろうし…実際に一瞬の出来事だったのだろうと思った。「波の下にも都が…」なんて台詞があるよりもずっと生々しい。心が苦しくなるような描写。淡々とリアルだから辛いし悲しい。脚本も演出も素晴らしい。

このドラマを見ながら歴史を少し学びなおしているのですけど、この壇ノ浦で亡くなった安徳天皇の母親の建礼門院徳子は助かったのですね。母親の時子と息子を目の前で亡くし一人生きた徳子。辛かったろう涙。


さて今回で一番気になったのは梶原景時の「チクり」。頼朝がもともと人間不信がちで、戦に強すぎる義経を恐れるのは理解できる。大江の腹黒さもまぁ解かる。しかし景時はなぜ余計な事を言って源兄弟不仲の火種を撒くのだろう。彼は義経を貶めてなにか得になるのか?

というわけでWikipediaで調べてみる。景時が義経の独断とわがまま勝手を恨みに思っていたのは本当だそうだ。彼だけではなく周りの御家人達も義経に困らされていたらしい。

「主に西国武士を率いて平氏を滅亡させた義経の多大な戦功は、恩賞を求めて頼朝に従っている東国武士達の戦功の機会を奪う結果になり、鎌倉政権の基盤となる東国御家人達の不満を噴出させた」などということもあったらしい。

そんな様子だったから「後に義経が後白河法皇から頼朝討伐の院宣を得て挙兵した時も(平氏討伐戦で義経が華々しい戦勝をしていたにもかかわらず)これに応じる武士はわずかしかいなかった」のだそうだ。やっぱり義経は戦の天才ではあっても自分勝手すぎて人から賛同を得られない人物だったらしい。

…ということはこのドラマの景時もただただ義経への不満を頼朝に訴えていただけなのかもしれぬ。なんだか意図的に義経を貶めようとしているように見えたけれど。


それでもこのドラマの不器用な義経のキャラクターはかわいい。そしてちょっとかわいそうだ。最初は「問題児だなぁ」と思ってたのにだんだんかわいくなった。

ツッパリ義経。誰にも止められない。実は素直。この義経は天才的なところが魅力的で、(正しくはないとはいえ)彼の「勝つならなんでもOK」な戦哲学も納得できる。しかし彼は感情が激しすぎて予測不可能でわがまま。直情的で人の気持ちも裏も読めず、思うままに行動するから政治的な計算も出来なかった。でもこういう人、なんだか憎めない。だって人の顔色を伺ってチマチマ人の裏を読んで今後のことを計算して…なんてめんどくさいもの。私も苦手。梶原さんより義経の方がずっとわかりやすくていい。
まぁ書物に残っている義経はかなり問題人物だったみたいですけど。

菅田将暉さんが役にぴったり。面白い。はまり役。彼の代表作になるのでは。


--------------------------------------------------------------

鎌倉 
前回の木曽義高の殺害から心沈む大姫(落井実結子)。


--------------------------------------------------------------

前々回の一の谷の合戦の後、平家は四国に逃げ屋島に陣を構える。
 
 義経軍は東から。
 源範頼の軍は平家の逃げ道を塞ぐため九州の平家を攻める。

元暦2年 1185年

周防(山口県)松崎天満宮。
範頼(迫田孝也)軍…北条義時(小栗旬)和田義盛(横田栄司)三浦義村(山本耕史)
東からの義経軍は遅れている。範頼軍は九州へ。筑前へ攻め込む。平家は逃げ道を断たれた。

摂津国 
義経(菅田将暉)軍…畠山重忠(中川大志)比企能員(佐藤二朗)梶原景時(中村獅童)三浦義澄(佐藤B作)
時化で海が荒れている。義経と梶原の逆櫓論争。皆が反対するにもかかわらず、義経が荒れた海を出陣すると言う。

澄んだ瞳の
何を考えている

2月 義経、5艘150騎で海を渡り屋島平家に奇襲をかける。

平家 不意を突かれ屋島を捨て長門の彦島へ落ち延びる(屋島の戦い)。

鎌倉 
頼朝「総大将は梶原景時に。九郎は戦に出すな」と文。

長門 壇ノ浦 
義経軍 頼朝からの文が届く 義経、頼朝の命に反発。

元暦2年(1185年)3月24日 朝 (壇ノ浦の戦い)

義経軍と平家軍との海戦。(午の刻(12時ごろ)開始) 
九州の岸には範頼軍…北条義時、和田義盛、三浦義村

平家軍は500艘。
↑なんと平家が500艘。大軍だ。びっくり。ドラマで描かれたCGでの海の様子もあんな感じだったのかな。すごいね。

義経「船の漕ぎ手を射殺せ」ためらう家人達を脅して従わせる。形勢は逆転。義経大活躍。

すご~い!

平宗盛(小泉孝太郎)「もはやこれまで」。平家の者達が船から飛び降り始める。驚きうろたえる義経軍。海に飛び込む平家を止める事はできない。

夕刻 戦いは終わり。海岸には死屍累々。義経「策が当たった。戦だ。多少の犠牲はやむを得ぬ。勝たねば意味がない」

↑義経には戦いに関しての哲学がある。これはある意味正しい。う~ん。今どきの常識で1000年前の戦のやり方の是非を問うことも難しいが、この義経の言い分は理解できる。目標を決めて最も効率のいい方法で目的達成。戦は勝たねば意味がない。その通り。

義経「義仲も死に、平家は滅んだ。この先私は誰と戦えばいいのじゃ。私は戦場でしか役に立たぬ」←ご自分の事をよくわかってますね。

それにしても、この海戦の場面は素晴らしかった。平家の船は500艘だったことを今回初めて知った。死屍累々の海岸のシーンも生々しい。激しい戦闘シーンの興奮と、その勝利の後の悲しさとむなしさ。目的を達成して心に虚無を感じる義経のシーンも素晴らしい。

--------------------------------------------------------------

鎌倉 
頼朝「山木攻めから5年。早かった。天皇と宝剣を失った。九郎のやつを叱りつけてやる」しかし政子と二人の場面では「九郎がやってくれた」と泣く
↑ やっぱり頼朝は複雑だ。表と裏の顔がある。現実でもそうですけど、こういう人は私には理解が難しい。

 御所
後白河法皇(西田敏行)が義経を労う。

長門 壇ノ浦 
範頼は海で宝剣探し。

鎌倉 
梶原景時が鎌倉に帰ってきて頼朝に報告。
そして義経の常軌を逸した振る舞いを訴える。また京では義経の評判がいいとも。

 
義経のファンクラブができている。義経は鎌倉に帰りたがる。
鎌倉からは比企の(三浦透子)も来ている。

一途

 御所 
義経平宗盛父子を鎌倉に送る役目で鎌倉行きを許される。

鎌倉 
頼朝 検非違使を辞めていない義経に不満。
梶原「法皇は九郎を気に入っている。九郎を鎌倉に入れてはいけない。何を企んでいるかわからない
頼朝「九郎には会わん。腰越で留め置け。御所に入れてはならぬ」
義時 また静かに絶望。何も言えず。
↑この時の梶原は義経を悪く言って頼朝の不信感を増幅させていますよね。梶原は意図的に義経を頼朝から引き離そうと…義経を貶めようとしてるの?なぜ?

腰越
宗盛だけ鎌倉御所へ。憤る義経宗盛が頼朝への文を書いてあげると言う。

鎌倉
頼朝、義経からの文に不満(腰越状)5月24日

(6月9日頼朝 義経、宗盛父子に帰洛を命じる)
義経「私は法皇様のために生きる。京で源氏の名に恥じぬように生きる」

(宗盛・清宗父子は京への帰還途上の近江国で斬首された。)


2022年5月11日水曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第17回「助命と宿命」5月1日放送



粛清の回。

重苦しい回。人質だった木曽義高の結末は知っていたので上総介の時のような驚きはなかったもののやはり悲しい。脚本では義高が逃げて「伊豆山権現で出家する…それを頼朝も許す」という設定になって少しほっとしたところで、藤内光澄が首桶を持ってやって来るという…わかっちゃいるけれど辛いね。その後も武田信義の嫡男・一条忠頼が暗殺され、また義高を討った藤内光澄も死罪に。ダークな話になってきた。


あらすじ
木曽義仲の嫡男・義高の死罪を頼朝が決める。義高を救おうと画策する政子や義時達。しかし義高自らの心変わりで計画が狂う。義高無念。甲斐武田の頼朝への服従。義経は京で後白河法皇から検非違使に任じられる。


---------------------------------------------------------------------

工藤祐経、八重の孤児院?
北条義時(小栗旬)は鎌倉に戻ってきている。八重(新垣結衣)の従兄・工藤祐経(坪倉由幸)が鎌倉御所の仕事が欲しいと義時+八重を訪ねてきた。頼朝(大泉洋)に目をかけてもらい所領を取り戻したと言う。


八重は子供達の世話がしたいと言う。

--------------------------------------------

木曽義高の助命・逃亡計画と運命
頼朝「木曽義高は義時が討て」「世を治めるためには鬼にならねば。それを義時にわかって貰う」←それを義時に教えるのは何のためだ?

義高(市川染五郎)幽閉される

木曽義高 Ver.1 なんと美しい横顔
義高Ver.2
上の絵を修正してたらイイ感じになったのでこれも貼っておこう
政子(小池栄子)と大姫(落井実結子)が義高の死罪を止めようとする。
義高を逃がす計画。伊豆山権現に匿ってもらう。
義高は最初は断るが…、

和田義盛(横田栄司)が捕らえた義仲の愛妾・巴御前(秋元才加)が義時に会いたがっていると言う。義時を通して巴が義高義仲の文を届ける。義仲の文「鎌倉殿を敵と思うな。平家討伐は頼朝が成し遂げる。源氏の悲願成就を見届けろ」。義高、逃げて生きることに同意。


寿永3年(1184年) 従者の海野幸氏(加部 亜門)が義高に成りすましている間に、義高は女人に化けて(八重が世話をする)子供達に紛れ逃げる。

御所を出たら東の観音堂へ。翌日船で伊豆へ移動する計画。

和田義盛と畠山重忠(中川大志)が、家人達に「逃げた義高は信濃に向かった」と西を捜すように偽の指示

ところが義高が観音堂から逃亡。一人西へ向かった。「義時のことが信じられない」と文を残す。

4月26日 義高が武蔵国で捕らえられ、入間河原で(事情を知らぬ)藤内光澄(長尾卓磨)に討たれる。義高 享年12

その頃、政子と大姫は頼朝に義高助命の嘆願。頼朝がついに聞き入れる。
そこへ義高の首が届けられる。


義時、頼朝の命で藤内光澄を死罪。

(海野幸氏はその後も頼朝に仕えて鎌倉幕府の御家人となった)

--------------------------------------------

甲斐武田の親子
武田信義(八嶋智人)が、戦功を挙げた嫡男・一条忠頼(前原滉)への恩賞を求めて共に鎌倉を訪ねてくる。頼朝は、恩賞は法皇が決めることだと取り合わない。

武田信義一条忠頼が幽閉されていた義高と密会「共に頼朝を討とう」と義高を促すが義高は拒否。その密会を頼朝が知るところとなる。忠頼が再度義高を訪ねると独房から義高が消えていた。義高の逃亡発覚。


その後、一条忠頼義高との密会が謀反だとして、忠頼は殺害される。

武田信頼が「頼朝に逆らわない」との起請文を書く。義時「これで鎌倉勢が甲斐に攻め込むことはない」。信頼「わしは頼朝を主人だと思ったことはない」

(その後、甲斐源氏は鎌倉殿の御家人という扱いへと転じていく)

--------------------------------------------

京の義経
御所 義経(菅田将暉) 一ノ谷の戦いの勝利で後白河法皇(西田敏行)に褒められる。法皇から京の検非違使に命じられる(8月6日)「頼朝のことは忘れてよい」

祝いの宴で静御前(石橋静河)に出会う。


鎌倉では、比企能員 (佐藤二朗) の娘・(三浦透子)の義経との婚姻が決まる。義経が鎌倉に帰ってきたらお祝いの予定。