能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年9月13日木曜日

NHK BS時代劇『薄桜記』第9回 文鳥



タイトルが『文鳥』。ポエトリーです。

今回のいい場面は女性がらみの二つ。


一つはお三との別れ。

お三:おでんをこしらえたり、お背中を流したり、お髭を剃ったり、耳掃除をしたり…ふふふ
典膳:女房でもないのに
お三:女房のつもりでしてよ……

お三;お武家様になるんでしょ
典膳;それも分からん
お三:…言いたくないですね…(略)あまり偉くなんないで下さいよ。街で出会っても知らんぷりしないで…時々はここへも寄ってください
典膳:そうする
(お三座りこんで泣く)
お三:…どうしましょ…なんだか涙が出ちまって…
(典膳、手を自分の肩に置かれたお三の手に重ねる)

 
……艶っぽいですね。しっとりといい感じ。ともさかさんは上手いなー。決して強制はせず、控えめに自分を抑えながらもすがる女。古風です。こういう場面では脚本家の方の経験が物を言うんだと思う。素晴らしいです。ほんとにいい。

お三の「お武家様になるんでしょ…」から続く台詞は、典膳が自分の手の届かない別世界にいってしまうことの哀しさがいっぱい。もうこの二人も2度と会うことはないんでしょう。だけど送り出すお三には何も出来ない。身分の違いはどうしようもないんですね。ただ黙って泣いて見送るだけ。ほんとこの場面はいい。

 

もう一つは千春さん。千春さんはほんとうに可愛い。典膳さんにとことん一途。好きで好きでたまらないのね。でも江戸の女性はまっすぐな自己主張が出来ない。お墓参りの場面で寄りを戻す話を出し、典膳が「ちょっとまて」と止めると「ご迷惑でしょうか…?」と顔を曇らせて口ごもる。

典膳とはいろいろとあって今までに何度も拒否されているからなのか、彼と一緒の時の千春さんはものすごく不安そうな顔をする。叱られた子供のような表情。典膳が死ぬかも知れぬといえば、自分も死ぬという。相手に否定されれば江戸の女性はどうすることも出来ないんですね。黙って耐える姿がほんとに可愛い。

その後、吉良の殿様夫婦と庭での場面。寄りを戻す話になり、吉良の殿様が典膳に「どうじゃ典膳、帳尻を合わせてみるか(寄りを戻すか)」と言い、典膳が「はっ」と答えると、千春さんは驚いて典膳の横顔をじっと見つめる。典膳を見つめる目には次第に涙が溢れてくる。嬉しい嬉しい嬉しいよねうんうん。そこに萬田奥様が「うれしいか…?」と千春さんに聞くと、涙声で「はい…」。私も泣きましたこの場面。

その後、典膳の部屋で文鳥を前にしての場面では、千春さんの瞳孔が開きっぱなし。もう嬉しくて嬉しくてたまらないんでしょう。ほんとに一途。演技とは思えない。可愛いです。

 

典膳さんも、一瞬あっと思う表情をする。お墓参りの場面で千春さんの姿を見た瞬間、嬉しそうなの。その直後にいつもの真面目な顔をして千春さんの方へ歩を進める。あの一瞬の嬉しそうは表情がほんとに細やか。

 

吉良の殿様が、庭先から典膳を訪ねてきて文鳥に話しかける場面もよかった。吉良の殿様は実は優しいおじさんなんですね。いいドラマというのは、こういう話の本筋とは全く関係のない場面で人物を描いていくんだなと思う。政治の話でもない。家来に向かった堅苦しい場面でもない。こんな微笑ましい場面があると人物像に奥行きが出る。この文鳥の場面も奥方との会話もそう。こうやって少しずつ吉良の殿様がどんな人なのかが見えてくる。

吉良の殿様がいい人かどうかなんて、一見話の筋には関係ない。だけどこんな小さな場面の積み重ねで吉良さんをちょっとずつ好きになる。そんなちょっと好きな人物が最後に追い詰められるんだと思うと、話に入りこまずにはいられない。人物に惹かれるから話に心を掴まれるんです。こういう話の本筋に全く関係ない場面が大きなドラマを作っていくんだなとつくづく思う。




2012年9月6日木曜日

NHK BS時代劇『薄桜記』第8回 両成敗



事件のその後。

濃い。濃い濃い濃いです。台詞が濃い。まあ会話の中での情報量の多いこと多いこと。例えば浅野家の正室に向かった家来達の台詞、吉良家の殿様と家臣とのやりとり、堀部安兵衛が堀内道場を訪ねた場面。丹下典膳と白竿屋の会話。全てに様々な方向からの状況説明がなされていながら台詞として自然。言葉のリズムもいい。これはもう脚本家の方の腕。無駄な言葉が一切ない。おまけにたまに投げ入れられるユーモアの数々。「討ち入り饅頭」なんてすごく可笑しい。すごいなと思う。こちらも内容についていくのに必死。台詞だけで緊張が伝わる。台詞そのものに緊迫感があると俳優さん達の演技が大げさにならなくても場面が引き締まる。そんな場面があれやこれやと沢山あった。このドラマは、そんな細かいところがすごく面白い。

言葉もまた痺れる。「つかえという持病、綸言汗の如し、御公儀、噛ませ犬、隠忍自重、心の臓、蟄居閉門、蛇の生殺し、火急の用件、恐悦至極…」

なんだかもう時代劇は(とくに江戸時代は)これぐらいコテコテに時代劇言葉が出てくるとそれだけでぐっときます。よく注意して聴いていないと情報を聞き漏らしてしまう(それぐらい私は時代劇に慣れていない)。難しい言葉は聞いて直ぐに漢字に脳内変換が出来なかったりする。だから一生懸命見る。すごく新鮮。そんなところも、ちょっと前時代的なんだろうけど、だからこそ面白い。

俳優さん達も気合が入ってます。それぞれお家の一大事なんで緊迫感いっぱい。俳優さん達はみんな2012年現在の俳優さんたちなのに、台詞だけでこれだけ雰囲気が出るのかと思うほど場面が引き締まって見える。特にベテランの俳優さん達の男らしい威厳が素晴らしい。やっぱり脚本だと思う。

老獪かと思えばどこかユーモラスで、決して憎めない吉良の殿様がまたいい。すごくオレ様の殿様。昭和の頑固親父そのまんま。長塚さんが本当に素晴らしい。現代劇で頑固親父をやってもなんだか哀しくなってしまうけど(現実に頑固親父は少なくなった)、こんな昭和っぽい時代劇ならこんな頑固親父風殿様もはまる。ステキです。このドラマの吉良さんは決して悪者ではないらしい。忠臣蔵のドラマなんて子供の頃に親と見た大昔の大河ぐらいしか覚えていないけど、いつもはもっと悪い人?なのにこのドラマでの殿様はどうやら運の悪い人。言葉が荒いから浅野の殿様と合わなかっただけだろうか。状況もおそらく吉良の殿様の言っていることのほうが真実。

それなのに街の声は浅野家の側。そのあたりを白竿屋が代表して台詞で言ってる。そのあたり、あの有名な忠臣蔵も、もしかしたら単なる街の集団狂気…いやそれは言い過ぎでも、ある部分では江戸の大衆のマスヒステリアが影響したのかもなどとも思えてくる。ともかく吉良の殿様が次第に追い詰められていくのを、ご本人一人が解っている描写が設定として面白いなと思った。

ともかくこのドラマ、吉良の殿様に限らず全ての登場人物が魅力的に見えるのもすごいなと思う。コメディ要員の伯父さんも、道場の師匠も、白竿屋の兄妹も、…今回は千春さんのダメ兄さえ良く見えてきた。人物それぞれの立場や都合が折り重なった話だからこそ、キャラがしっかりしているとそれだけでドラマになってしまう。面白いです。

千春さんは殿様の隣で小さくなってるのが可愛い。(準主役なのに)こういうお家一大事の場面では、この時代の若い女性らしく慎ましくしているのがとてもいいと思う。毎回着物がとても綺麗。

ダメなボンボンの千春さんのお兄さんは、やっと丹下典膳に「ごめんなさい」が言えてよかったね。それを「もう終わりじゃ」ときっぱりと許す典膳も男らしい。

さて典膳さんは、これで吉良家の側に付くことになったらしい。千春さんの側。堀部安兵衛とは敵同士。次回は文鳥を挟んでの恋話…?

 
 

2012年8月29日水曜日

NHK BS時代劇『薄桜記』第7回 殿中刃傷



事件が起きました。これまでが登場人物の身の上話で、この回から最終回に向かって話が盛り上がる構成でしょうか。なんだかサラサラっと繋ぎの回っぽかった。そこを恋愛要素で飾りつけ。

ほんとにちょっとだけなんだけど、この山本典膳さんと千春さんはいい。ちょっと照れますね(笑)。千春さんの一途な感じが可愛い。本当に山本さんを慕ってるような表情をする。それを年上の山本さんが受け止めるような表情がまたなかなかいい。ケミストリーがある。言葉少なくも慕い合うからこそ悲劇なのでしょう。

萬田さんが綺麗。

それから事件の報告を受けてる浅野家のお侍さんの一人が座ったままよろっと後ろにひっくり返ったのがツボ。思わず巻き戻して見てしまった。



2012年8月22日水曜日

NHK BS時代劇『薄桜記』第6回 用心棒




面白いです。テンポが良くてポンポンポンと話が進んであっという間に終わってしまう。やっぱり脚本が素晴らしい。今回はコメディっぽい場面が多かった。

 
またまた言葉に痺れる。「捕縛されたのか。早計でした。詮議に及ばず。滅相も無い。戯言を申すな。釈然とせぬ。」いちいちかっこいい。こういうのは時代劇の様式言葉で、時代劇なら普通に使われても珍しくないと思うのだけど他のドラマではどうなんだろう。近年はあまり聞いた記憶が無いかも。こういうのは私も意味は分かっても自分からは出てこない言葉。改めて注意して聞くと、こういう言葉が時代劇の格式を紡ぎだすんだなと感じる。いいですよね様式美。

 
 
紀伊国屋の江守さんと典膳の山本さんのやりとりは楽しい。やっぱり言葉の職人芸。

 紀伊国屋:(刀を)お返しいたします。
 典膳:わしに恥をかかせるのか。
 紀伊国屋:や、とんでもない。
 典膳:紀伊国屋にめったな物は贈れぬ。精一杯見栄を張ったのだ。
 紀伊国屋:おこころざしは、しかとこの胸に染み入りました。
 典膳:困ったな。
 紀伊国屋:お刀は武士の魂でございます。どうぞお大切になされませ
 典膳:丹下典膳に脇差は無用じゃ。
 紀伊国屋:は?
 典膳:2本刺しても腕は1本じゃ。
 紀伊国屋:やや…ぐっ(笑)…1本とられましたな。(←この場面のカメラの位置が可笑しい)


痺れる。演じるお二人もとても楽しそう。見ていてすごく楽しい。この後の場面ではなんと女性が逆立ちをしてましたヨ…。

 

お豊ちゃんはさなぎ太夫になって再登場。予想に反して再会は至極平和なもの。彼女も紀伊国屋さんに囲われて比較的幸せなんでしょうか。しっかりと自分の運命を受け入れている様子。安っぽくお涙頂戴でないところが流石だなと思う。そうか…遊女=不幸だなんて現代人が安易に考えることですね。時代柄、自己の運命を受け入れて堂々と優雅に微笑むお豊ちゃんのほうがずっとかっこいい。典膳先生も嬉しそう。そうそう紀伊国屋さんが、さなぎ太夫を典膳に紹介するときに「お臍の周りに黒子が3つあるそう…」と言う台詞もいい。こんな会話で場面にが出る。上手い。

 

新しいキャラも登場。口入れ屋の白竿屋長兵衛。口入れ屋の意味の説明も台詞の中でされているんだけどとても自然。鳶職や人足の請負をわりつけ…などというのを縄張り争いに絡めてサラサラッと説明。

高嶋政伸さんがまた上手いの。牢屋での下卑た笑い。へぇへへへへ…。だけど牢屋を出るとばりばりの実力者というのがありありと分かる。話をしていても目が怖い。口入れ屋に火消し。街のちょっと怖い実力者なんでしょうか。迫力満点。最後の火消しの場面はすごくかっこいい。

彼の場面でいろんな時代背景の説明もされた。全てが自然な台詞。「ごろつき」の謂れ(ひとかどの親分や侠客は五郎という名を好んでつけやす…)「お犬様」への文句で生類憐みの令。「由井正雪か」で幕府転覆願望…。由井正雪は思わず調べてしまった。ああ勉強になるわ…それも楽し。

 
お三さんも素晴らしい。なんともいえない女性らしさ。典膳の髯を剃るのもサバサバ振舞っているように見えてとても艶っぽい場面。大人です。色気とは押し倒すばかりではない見本。最後に「あ~らいい男!」というのもいい。


今週は堀部安兵衛がすごく綺麗になった。それから典膳の長屋の皆との別れの場面のコメディもいい。典膳の伯父さんもコメディ要員。「あのなぁ…はっきり言うておくがこの身体で(トントントンと典膳の左の空の袖を扇子で叩く)仕官は無理だぞ…」という時のカメラの位置が可笑しい。もう逐一痺れる。

 
山本さんは相変わらずいい男。背筋がぴしっと伸びてる。片手の納刀!

 
このドラマはほんとに楽しみです。これだけ楽しませてもらえたらもう他のものが全部吹っ飛んでしまう。ジェームス三木さんはすごいです。もうこのお方にいろんなことを教えていただくつもりで正座してこのドラマを拝見したい。それに演出の清水一彦さんというお方は以前大河の「風林火山」をなさった方だそう。1952年のお生まれ。ああやっぱり時代劇の出来る方は世代が違うのか。これは大変。今の40代以降の制作の方は、どうかこういう方から時代劇制作の遺産を受け継いで欲しい。





2012年8月16日木曜日

NHK BS時代劇『薄桜記』第5回 豪商紀文



こちらの日本語ケーブルTVでもBS時代劇『薄桜記』をやっている。どうやら日本と同時進行らしい。毎回自動録画したものを見ているが今週5回目だった。

初回から脚本がいいと思った。早速クレジットを見るとジェームス三木さん。このお方は昔『独眼竜政宗』を書かれたんですね。それに『葵徳川三代』とか本格大河時代劇の大御所。私は昔時代劇を見なかったので作品をきちんと見たことはないのだけど、時代劇ファンになってからこの方のお名前はネット上でもよくお見かけした。なんとこのドラマ、ジェームス三木さん脚本の時代劇なのだ。これは嬉しい。



さっそく第1回から見ている。ああ言葉のレベルが全然違う。このドラマは江戸元禄時代の話で言い回しも江戸の時代劇の様式美にのっとったものだと思うのだけど、まず言葉に痺れる。「狼藉を働いた」とか久しぶりに聞いた気がする。細かい台詞回しにいちいち痺れる。今回第5回は紀伊国屋さんのウサギと亀の掛け合い、それに浅野(津川さん)と上杉(草刈さん)の編集バトルが面白かった。言葉の職人芸のよう。すごく面白い。なんだかこんな風に時代劇の言葉で心を動かされるのって久しぶりな気がする。

全体の雰囲気もすごくいい。地味なの。だけどそれがいい。主人公丹下典膳と元嫁千春のシーンはしっとりとしてとてもいい。第1回目からいいと思ったが5回目でますます良くなってきた。

ほんとに微かなものなのだけど山本耕史さんの千春を見る表情がなんとも言えない。この二人にはケミストリーがあると思う。すごくいい。山本さんは今年の大河ではマンガのキャラのようだったが、このドラマでは落ち着いていて男らしくてすごくいい。声もいいのだと初めて気付いた。この俳優さんはバラエティなどで見かけると実年齢よりも若くてそれが欠点にもなりかねないと思ったのだけど、いやいい俳優さんですね。顔は若いのだけど、この役では非常に落ち着いて見える。背も高くて姿勢もよく全身のバランスが綺麗。この人もどこか細胞から綺麗で清潔な感じ。こんなに魅力的だとは思わなかった。千春さんを見る目は非常に優しいです。

千春さんの柴本幸さん。最初誰だか分からなかった。あの『風林火山』の姫様だとは全く気付かなかった。当時は若すぎたのか非常に表情が硬くて、潔癖な感じはしても女性的な柔らかさが皆無でどうしたものかと思っていたが、今回はなんと優しい女性になったんだろうと思った。女性は化けますね。表情がほんとに柔らかくなった。ちょっと昭和な感じのする美女なのはお母様の真野響子さんに似ているからだろうかと思う。はにかんだ感じや初々しい感じ、一途な感じが実にいい。目に涙をためながら典膳を見つめる表情では思わずほろっとさせられた。初回は明るい無邪気なお嬢さんという感じだったけど、今の思いつめたような表情もいい。佇まいが時代劇にすごくいいと思う。近年に多い目ばかり大きい小顔の現代的美人の女優さんには絶対に出せない雰囲気がある。時代劇にあう女優さんだと思う。こういう女優さんがいるととても嬉しい。

話はいかにも江戸の人情物らしいです。原作は全く知らないけど既に雰囲気にはまってしまった。演出もカメラワークも奇をてらっておらず普通なのだけど、そのため台詞や芝居に集中出来て落ち着いて見れる。もちろん今年の大河と比べて言ってます。

結局は脚本に尽きると思う。演出が普通でも俳優さん達の演技や表情で話を紡いでいるので、人のドラマとして惹きこまれる。一見地味なドラマだけどしっとりと落ち着いて見れるのがとても楽しい。

私は普段から多少日本文化にホームシック気味なので、好みが近年の一般的な時代劇のスタイルよりもずっと保守的ではないかと思うが、このドラマはとても楽しんでいる。何よりも脚本に痺れる。どこか古きよき時代の日本の時代劇という感じなのだ。千春さんの静かな佇まいも、丹下典膳の古風で律儀な性格もすごくいいと思う。とても懐かしい感じ。

まわりのキャラもいい。堀江安兵衛はコミカルで憎めない役。可愛いお豊が身売りするのもいかにも江戸の人情話。これから涙かな。それから大昔はバタ臭くて人気だった草刈正雄さんが、すっかり時代劇俳優になったのも面白い。この人にも渋みが出てきた。それに今回第5回目は、津川雅彦さんや江守徹さんなど大御所も登場。なんだか俳優陣からしてレベルが違うのかも。気合が入ってます。すごく楽しみ。



このように丁寧に作られた時代劇を見ると、ますますこういう古典的な日本のものを大切にして欲しいと思ってしまう。俳優さん達の殺陣を見ても(私は本当の殺陣を知らないのだけど)正しい殺陣が出来るのはそれだけで文化。着物の裾捌きもそれだけで文化。正しいお茶のいただき方も着物の着方も全部文化なんです。例えば殺陣でも所作でも決まっているだけで時代劇のドラマにも深みが出ると思う。

昔は日本全国で男の子達が普通に剣道を習っていたもの。だから今の中年以上の俳優さんなら殺陣もそれなりに出来る人が多いだろうと思う。そういう子供のための伝統芸を学ぶ機会は今もあるのだろうかと心配になる。これから日本はこういうものを本当に大切にしていって欲しい。こういうものこそ西洋がどんなに真似をしても真似出来ないからです。世界でグローバル化が進むからこそ日本の伝統を見直して欲しい。




2012年4月9日月曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」鑑賞終了!


ネタバレ注意


とうとう見終わった。大変満足です!

しかし内容は最後が近づくにつれてかなり薄くなってしまっていた。スケジュールが合わなかったのか、有名な史実を並べただけの構成になってしまい、ストーリーとして破綻してしまったのかも。心理描写もあるのだが、急ぎすぎたせいで秀吉の人格も行動も辻褄があわなくなっている。これは惜しい。やはりあと3ヶ月あれば…と思う。しかし史実の秀吉の行動を考えれば、やはり気持ちのいいドラマ化は大変難しいのだろうと思う。あまり酷い話も見たくないもの。

それにしても、晩年のおねを演じる沢口さんは素晴らしかった。こんなに表情豊かに演技をされるとは…。悲しむおねを見て悲しくなった。若い頃のおねと最後の頃のおねはまるで別人だ。あれだけの年齢の差と心理状態の違いを演技で表現されている。すごいと思う。

ところで、五右衛門の釜茹でだけは、あまりにも唐突だ。母ちゃんが亡くなってから何の前振りも無くいきなり釜茹でだもの。時間が無くなったから、有名な話だけをむりやりねじ込んだ感じだ。それから、この三成もあまりに酷い。そもそも真面目すぎるぐらいの人なのに、あまりにも悪者すぎる。この五右衛門釜茹での回だけはとんでもない茶番。五右衛門とおたきのキャラが好きだっただけに残念。とりあえずこの大河ドラマの大ファンとして正直に書いておきたい。


最終回は、出演者全員に対するお疲れ様でしたの回。1年間続いたドラマの最後なのだ。こういうのもいいなと思う。秀吉のその後のいろんないろんな醜いことを全部すっ飛ばして辞世の句だったけど、日に向かって走る最後は感動した。竹中さん、ありがとう…。それにしてもこの最後の回だけ、画面の印象(奥行き?)が何故か映画のようだった。どうしてだろう…。

一年分を一気に見たのでちょっとお腹いっぱいだ。でもほんとに楽しかった。面白かった。このドラマのおかげで、この頃の歴史をちょっと調べたのも楽しかった。またもう一回最初から見始めそうだ…(笑)。





2012年4月8日日曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」その後の秀吉


ネタバレ注意


茶々を側室にしたあたりから、秀吉は変わり始める。この大河ドラマ、一般的には本能寺の変までが傑作で、後は失速したと言われることが多いようだ。確かにそんな印象は否めない。信長の人気で本能寺の回の放送が数回後ろに送られたと聞いている。そのせいかその後の回は足早に過ぎる。史実を克明に追うというよりも、史実に沿った秀吉とその家族の心理劇になっている。戦の場面は一切ない。小牧・長久手の戦いも、九州攻めも、小田原攻めも、全て屋内の場面だけだ。戦国時代なのに室内シーンだけになってしまった。これが失速したと言われる第一の理由だろうと思われる。

史実の秀吉も、出世の階段をがむしゃらに駆け上がっているときは面白いが、山崎の合戦の後、家康との対決あたりからだんだんと人間的な面白みが無くなってしまう。関白を名乗るようになってからの彼は、ごり押しの腹黒い策略家だ。そんな彼に振り回される家族もあまり幸せそうではない。涙も多い。若い頃に一緒に働いた武将達も皆去っていき、(このドラマでは悪役の)石田三成が秀吉を要らぬ方向へと導いていく。華やかな合戦のシーンもない。秀吉は黒くなっていく。これでは見ていても楽しくない…。

しかし、このドラマの元々の意図はそこだったと思うのだ。

このドラマの前半は、皆に好かれるイイ奴が出世していく話。皆でワイワイ喜んで見て楽しめる話だ。しかし後半は180度の方向転換。天下統一を成し遂げた秀吉。誰も出来なかった偉業だが、その偉業はあまりにも大きすぎた。ドラマの後半は、ありえないほどの偉業を成し遂げた人間が、自分の成功の重さに押しつぶされていく話なのだ。

秀吉は誰も持てなかった最大の権力を手に入れた。…がその権力は脆いもの。しっかりとした跡継ぎもいない。この秀吉、あれだけの成功者なのにどこか自信がないのだろう。自分の築き上げた巨大な城に眠りながら、いつ火事になるか、いつ石垣が崩れるかと不安で不安でしょうがないのだ。その不安の火に三成が油を注ぐ。不安の火は広がるばかり。強欲な三成の行動はそれまでの大切な友人達を秀吉をから遠ざけていく。昔一緒に働いた武将たちも皆年老いて引退した。秀長の死。利休も死に追いやられる。最愛の妻おねも母なかも家族も全て脇に押しやられる。少しずつ少しずつ秀吉の周りから人がいなくなってしまうのだ。これは悲しい。映画『ゴッドファーザー Part』を思い出す(あの映画はⅡがあるからこそ傑作)


この『秀吉』の後半、そんな秀吉の心理ばかりを追ったドラマなのだ。戦いの場面は一切無い。本能寺の回のころ、あれだけ高松城水攻めの交渉に時間を割いたことを考えれば、違いははっきりしている。時間が足りなかったせいで、全てが足早に過ぎる構成になってしまった。時間さえあれば、九州攻めも小田原攻めも映像として挿入することができ、歴史ドラマとして、また重厚な心理劇としてすごいものになった可能性もあったと思う。もし、このドラマを年末に打ち切るのではなく、翌年の3月ぐらいまで引き伸ばして時間をかけられれば…と思うととても残念だ。非常に惜しい。




NHK大河ドラマ「秀吉」秀吉と茶々


ネタバレ注意

秀吉と茶々。この大河でどんな扱いなのかは非常に興味があった。茶々にとっての秀吉は、自分の伯父の家臣。若い娘ではあっても、元々は自分の方が格が上であることは解っている。それに秀吉は下賤の出自。変わり者の伯父に拾われて、幸運にも農民から大名になった意地汚い成り上がり者だ。ルックスも猿のよう。おまけに母、市の嫁いだ柴田勝家は秀吉その人に落とされた。母は義父と自害する。秀吉に殺されたも同然だ。茶々にとって秀吉は母の仇なのだ。母は秀吉のもとに下ることも出来ただろうが、そうしなかった。それは秀吉のような者に身を寄せることが屈辱だったからだろう。秀吉のもとに下るくらいなら死んだ方がましということだ。茶々はそんな母を見ている。
このドラマでも母は死ぬ直前に茶々にこう言う「美しいわが娘よ、その美しさであの猿を殺してしまえ。」この言葉、どのようにでも解釈できる。史実の結果を既に知っているのだから、この言葉がどのようにドラマとして料理されるのか興味があった。


これは参った。こんな演出をするとは思わなかった。
このドラマの茶々、若い松たか子さんが演じる。実はこの女優さんの演技、ほとんど見たことがない。近年、映画作品で主演女優賞を総ナメしたことを聞いている。上手いのだろうとは思うがとにかく想像ができなかった。いやー参った。こんなにすごい女優さんだとは知らなかった。この時の彼女は19歳。若いのにこんなに実力のある女優さんはめったにいない。末恐ろしいとはこういう人の事を言うのだろう。脚本もすごいのだろうと思うが、この天性の女優ぶりには舌を巻く。あーびっくりした。思わずまたしつこくブログを書いてしまう。


この茶々は非常に若い。ちょっと影があるようだが、普段は明るく無邪気に振舞うことのほうが多い。育ちが良すぎるのだろう、口調にも遠慮がない。まっすぐな性格で、何事にも臆することがない。視線が非常に強い。黙っていると何を考えているのか分からない。どんな相手も真っ直ぐ正面から見つめる目線は礼儀を欠く程だ。あの信長の姪であることから来る絶対的な自信だろうか。この怖いもの知らずの若い娘、あまりに松さんにはまっていて「あー梨園のお嬢様だからこんなオーラが自然に出るものなのだろうか」と思った。
時は過ぎ、この茶々、石田三成に心を寄せはじめる。そうか秀頼は三成の子か?と一瞬思わせる。だがそうではない。この茶々の心理、非常に複雑なのだ。そもそもは興味本位。恋に恋する娘なのだろう。この自信に溢れた美しい若い娘は自分の魅力をよく解っている。そんな自分の魅力を試してみたくてしょうがない。城の中の生活なんて退屈なのだ。三成はたまたまそばにいた。茶々は19歳、三成は28歳。ハンサムなのも都合がいい。ちょっとステキな年上の男性なのだ。
しかし彼女はただの若い娘ではない。母の遺言もある。自分の政治的な価値ももちろんわかっている。秀吉は時の最大の権力者だ。秀吉との運命も大方理解しているのだろう。だがそんな年老いた秀吉との関係は楽しいわけがない。目の前にいるのは若いハンサムな三成。ここで、もし三成と既成事実を作ってしまえば、そんな運命から逃れられるかもしれない。ただ三成には政治的な地位も力もない。そんな小物に自分から動きたくはない。でももし三成が動いてくれたら…。この娘は迷っている。三成は真面目な堅物だ。茶々は、彼が彼女に(簡単には)手を出せない事を知っている。そんなことを解っているからこそ三成を惑わせる。「もしかしたら…。」ああ若い娘はなんと残酷なんだろう(笑)。
この松さん、小悪魔美女オーラ全開なのだ。びっくりだ。この娘は危ない。若い娘の絶対的な自信で真田三成を誘惑。三成くんはタジタジだ。松さんの実年齢はこの時19歳だが、36歳の真田さんがドキドキしているのが手に取るようにわかる(笑)。大河ドラマでこんなシーンがあったなんて。見ものですよコレは。


さて、その後秀吉とはどうなったのだろう。この茶々、小娘なのに誰に対しても人を食ったような振る舞いをする。秀吉に対しても同じ。秀吉のことを「かわいい」などと正妻おねの前で言ったりする。困ったものだ。この時点で秀吉は、彼女の事を可愛い娘としか思っていない。家康の息子との縁談の話が出たときに初めて逆上し「茶々はどこにもやらん」と怒鳴りつける。この時秀吉も自分の激昂に驚いたかのようだ。
さてその後秀吉は三成の計らいで、夜寝室で茶々と二人きりにさせられる。さてここだ。どうなるのか?この時点まで、秀吉は茶々を娘としてしか見ていない。このドラマ、この時点までは善人秀吉のドラマなのだ。視聴者に嫌悪感を抱かせることなく、史実どうりに茶々と親密になる話を進めることができるのだろうか…。
結果は驚くべきものだった。まず二人の会話。突然、茶々が「お情けを下さい」と言う。秀吉は馬鹿ではない。「お市様に猿を殺せと言われてきたか。」「はい」と茶々。そこで、はっとさせられる。この娘、どうやら心を決めたらしいのだ。
母の仇を討つことが彼女の生きる理由であること。それは避けられないさだめであること。(言外に匂わせるだけであるが)母の仇を討つとは秀吉の女になること(この意味の詳しい説明はしていない)。目には大粒の涙がこぼれ出して止まらない。死んだ母に言いつけられた使命。出来なければ自害するしかない(それくらい母の意志は大きい)。でも若い娘個人としてはいやでたまらないのだろう。それとも運命に逆らえなかった悔しさだろうか。もう後戻りは出来ない。それが大粒の涙。そこに秀吉が心を動かされる。茶々の心を助けるべく茶々を受け入れるのだ。これなら秀吉は、色欲に駆られたいやらしいオヤジではない。このストーリー展開には仰天させられた。


その後、茶々の寝室から出てくる秀吉。母なかは本気で息子を諫める。いいかげんにせよと。そこで秀吉の顔が変わる。急に機嫌が悪くなる。その直後の三成との会話は全く茶々のことと関係ないのだが、秀吉の表情から彼の心が見えてくる。この男は後悔している。茶々と関係をもったことを非常に後悔しているのだ(もちろんこのドラマの中だけのこと)。このドラマの秀吉、破天荒ではあっても、道徳心は大変強い人として描かれている。簡単に道徳的な常識を覆すような人物ではない。上司には忠実な部下だし、友人を故意に裏切ることだってない。本能寺の変の後でも光秀を討つ正当な理由を見つけるまでにかなり時間がかかった人だ。そんな人だからこそ、この茶々との関係も単なる「よかったね」ではすまされない。
秀吉は茶々の心を救うために彼女を受け入れた。一瞬の心の迷いだ。だが、孫と言ってもいいほどのこの娘(32歳年下)は、あの主君信長の姪だ。お姫様なのだ。「自分は彼女を大切に守り育てる父親であるべきだった。」この時の秀吉は51歳。どんな理由であっても、この誠実な秀吉にとって主君筋の姫君と関係を持つことは大変なタブーなのだろう。後悔で頭がいっぱいなのだ。「道を誤った…もう取り返しがつかない」そんな表情だ。これは参った。こんな設定にするなんて(これは私の個人的な解釈。秀吉もその後は後悔したことなど忘れてしまう)。それに大陸出兵などというとんでもない構想もその後の迷走も、こんな小さな心の迷いから始まったとも言えるのだ。実際にこのあたりから秀吉はおかしくなる。大変だ。


私の脳は、完全にこの大河ドラマに参っているので、もう何があっても文句を言えない状態だ。すべてを深読みして、ああそうかそうかと無理にでも納得して喜んでいる。番組の放送当時も茶々の洋装が賛否両論だったりしたようだが、あれにもいっさい文句はない。(普通なら失笑ものの)あの洋装シーンで、松さんの体当たりの演技に圧倒された。演技がよければ衣装なんてどうでもいい。むしろ若い娘の心理描写としては大変面白いものになっている。
それにしても、秀吉をあくまでも善人として描くこの脚本には驚かされる。こんな設定はもちろん史実ではないだろう。史実の秀吉は好色で、本来なら手の届かなかった格上の女性達を次々と自分の側室にして喜んでいるような(ある意味)小さい男だ。他の多くの側室達と同じように、茶々だって自分の権力に任せて言いなりにさせた戦利品のひとつでしかないだろう(と私は思う)。
しかしこの善人秀吉、これでいいと思う。フィクションとして面白い。そもそも史実どおりに再現したら、この後の秀吉の暴君ぶりなんて放送禁止ものらしいのだ。それに400年前の個人の正確な心理状態の記録なんて一切残っていないのだから。ドラマの脚本では、過去の人物の残された行動の記録、手紙などを元に、作家、脚本家が、ドラマの展開に合うように人物像を作り上げればそれでいいのだ。納得できるのなら、秀吉が善人であろうと悪人であろうとどちらでもいい。この話は(この時点までの)秀吉を見事に善人として徹底させている。かなり強引だがすごいと思う。



2012年4月1日日曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」本能寺の変-4



このドラマ、脚本が、信じられないほど素晴らしいのだ。この本能寺にいたるまでの前二十数回、全て無駄が無い。猿のような若い頃の秀吉が一つ一つ成長していく様子、それを見守る信長、健気なおね、優しくユーモラスな母なか、そんな秀吉の家族と対照的な明智家の冷たい家庭。信長がなぜこれほどまでに光秀を嫌うのか、何度も何度も回数を重ねて二人の関係を見るにつれて納得させられるのだ。「本能寺」は避けられなかったと。あの二人は合わない。水と油なのだろう。学説では、この光秀の本当の意図が今も謎なのだそうだ。だからこそ、人物の人となりを決め、しっかりと筋立てをすれば、ここまで人のドラマとして輝く話にすることが出来る。平均視聴率30%というのには、はっきりとした理由があるのだ。

DVD完全版第弐集では、制作統括の西村与志木さんがコメントを寄せていらした。当時、暗い世相を元気付けるような大河ドラマを作りたかったこと。無名に近かった竹中さんを主役に据え、その彼が瞬く間にスターになっていくのを見たこと。この話が家族の物語であること。光秀の悲劇は、主君信長に母を事実上殺されたことから展開していったことが基本の流れとしてあったこと。いつもスタジオの外のソファに座って、竹中さんと長時間芝居について話し合ったこと。俳優、スタッフともに情熱を持ってこのドラマを作っていたことが、このドラマの核になっていると語っていらっしゃる。みんな真剣だったのだ。物を創るものにとって、ほんとうに幸せな制作現場だったのだろうと思う。

こんなドラマを見たら他の時代劇が霞んでしまう。この本能寺の変の前後だけでもDVDを買う価値があった。こういう時代劇が見たかった。過去のものではあっても、こんなドラマを作ってくださった制作の方々、熱演をされた俳優の方々には心から感謝したい。この作品はこれから何度も見直すだろうと思う。■




2012年3月30日金曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」本能寺の変-3


ネタバレ注意


信長
これほどドキドキした本能寺の変も他にない。凄まじい渡信長の殺陣。腰が入っていて重心が低い。力任せに本気で刀を振り下ろすのが怖い。誰か怪我をしたんじゃないかと思うくらいだ。追手を避けて足早に通り過ぎる廊下の障子戸の向こうに敵の声がすれば、刀を突き立て返り血を浴びる。扉の向こうに消え、火の中、素手で刀身を持ち、その後刀を首の後ろに回して自刃。強烈だ。割腹と違いこれなら即死だろう。その後床についた刀を杖にして立ったまま炎の中に消える。これほど凄まじい描写があるだろうか。この場面は1度見たら忘れられない。昔よくあった敦盛の舞も一瞬一節を唱えるだけだ。全てがリアル。非常に怖い

生意気なばかりだった森蘭丸が屈強な若者、主君に忠実な家臣として信長の最後を守る。この時蘭丸を演じた松岡昌宏さんは19歳(蘭丸は17歳)。こういう演技が出来る人は若い時から、もっと俳優として男を演じてもらいたかった。若いのに肝が据わっている。



他にも見所はたくさんある。光秀の意図に気付きながら信長に伝えなかった利休の揺れ動く心の描写。夫の本能寺での勝利を聞いた後、秀吉の居城、長浜城の城兵と女子供を皆殺しにせよと家臣に命じる光秀の妻ひろ子(そう「戦はいやじゃ」ではなく、戦国の嫁とはこれくらい肝が据わっているもの)。父に味方しなければ自害すると夫細川忠興に詰め寄る光秀の娘たま。それに本能寺の変の知らせを受け、女城主として采配を振るうおね。「おなごは強き男に惚れるもの…」から続く名台詞。可愛いかったこの娘がこの時点までに武家の女主人として成長していることに感動する。

みんな必死なのだ。明日の命は無いかもしれない。そんな状況での全ての人物の真剣さが胸に迫る。




2012年3月29日木曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」本能寺の変-2


ネタバレ注意



明智光秀
信長に母を事実上殺され、事あるごとに叱責され殴りつけられる光秀、この真面目な武将がなぜあのような、ありえない行動を起したのかを時間をかけて一つ一つ描写していく。家康への接待で信長に叱責され、その直後丹波・近江坂本の領地を没収される(敵地への領地替え)。大軍を率いる大名にはあまりにも酷い仕打ちだ。理不尽としか言いようが無い。この頃の光秀は顔が違う。常に4白眼。追い詰められて理性を失っていく様子が緻密に描かれる。妻ひろ子は母に姿を変え、母の声は幻聴として常に光秀を謀反へとたきつける。そこへ徳川家康がそそのかしにやってくる。信長との茶会を頼んでも千利休に断られる。このあたりの光秀をめぐる場面には、四方からじわじわと壁が迫ってくるような切迫感がある。

決心をした後は顔が変わる。心を決めた人の顔になる。「敵は本能寺にあり」は母への言葉として描かれる。そして本能寺。声も猛々しく覚悟を決めた目は1点を見つめる。目標はただ一つ、信長の首。戦いは終わり、夕刻利休が焼け跡に尋ねてくるが、この時すでに光秀は意志を無くし抜け殻になってしまっている。この表情で利休も視聴者も光秀の負けを知る。もう彼に未来は無い。結果は史実として解っているのに、どうしてそこでもうひと頑張りしないのだと、なんとも言えない気持ちにさせられる。悲しいのだ。どうしてそこであきらめる…。それくらいこの村上光秀に引き込まれる。村上さんの憑かれたような演技に圧倒されるのだ。この光秀、最後まで強い母親の意志の元、駒にさせられた悲劇の人という気がする。病弱だった妻がいつしか母の姿になるのも、彼自身がそんな強い母親をどこかで求めているからではないのか。


秀吉
高松城攻めで、いつものように無邪気に人夫達と雨乞いをして踊ったり、星を眺めたりしている。…が、63日の深夜から情報が届き始める。まず毛利への密使を捕える。黙り込む秀吉。その直後、信長の茶匠からの書状。顔色が変わる。表情が固まって動かない。一瞬叫び声をあげかけるが、数歩外に向かって進み、雨の中無言で崩れ落ちる。リアルだ。これほどリアルな(この時の)秀吉の描写は他に無いと思う。人は本当にショックを受けると言葉を無くす。同じ場面の他のドラマでの秀吉、ぎゃあぎゃあ泣き喚くものが多い。この描写のリアルさには驚いた。

これに続いて、この時の秀吉軍がいかに危ない状態にあったのかも知らされる。この時の秀吉軍、信長の後ろ盾を失い、もし毛利側が事情を知ったら総攻撃で全滅もしかねなかったのだという。安国寺恵瓊との和議。そこへ(まさか無いと思うが)足利義明が尋ねてくる。ここで安国寺はおおよその自体に気付くのだ。…が、無駄な戦はすまいと目をつぶる。ドラマなのに肝を冷やす。上手い。すぐにその場から撤退、姫路城につくころには秀吉の腹も据わっている。秀吉の順を追った心の変化が非常にわかりやすく描写されている。 山崎の戦いでの勝利の後、光秀の首実検のシーンから秀吉の顔も変わる。脚本も俳優もすごいと思う。





NHK大河ドラマ「秀吉」本能寺の変-1



ネタバレ注意


1週間前に『秀吉』完全版第弐集が日本から届いた。やっと昨日から見始めたが、あまりに素晴らしくて止められず、一晩で第28回「高松城水攻め」から第33回「光秀の首」まで一気に見てしまった。本能寺直前から光秀が死ぬまでの回だ。

今まで、いくつかのドラマの「本能寺の変」を見てきたが、この『秀吉』、おそらく史上最強ではないか思う。ここまで本能寺の変を真正面からとらえ、長い時間をかけて全ての出来事を緻密に再現したものは他にないだろうと思う。登場人物の善悪を安易に決めつけるのではなく、それぞれの人物の心理、行動の理由を描写し、信じられないほどの丁寧さで話を積み重ね、全て非の打ち所無くまとめあげた脚本家の手腕には言葉が無い。

ありえないほどの緊張感、信じられないほどの俳優陣の熱演(明智光秀の村上弘明さんにいたっては憑かれているとしか思えない)、緻密に丁寧でありながら、息をつかせる暇も無い話の展開はただのドラマのレベルを超えている。傑作とはこういうもののことを言うのだろうと思う。


本能寺の変をめぐる回は以下の通り
28回「高松城水攻め」追い詰められる光秀、高松城攻め中の秀吉
29回「敵は本能寺」光秀の決意、信長を待つ高松城の秀吉

30回「信長死す」本能寺の変(62日)、秀吉の家族の長浜城脱出、
    秀吉への知らせ(63日)
31回「天下への道 」毛利との和議(64日)

32回「夢を継ぐもの」秀吉中国からの撤退、光秀の孤立、
    秀吉姫路城での決意

33回「光秀の首」山崎の戦い(613日)、光秀敗走


本能寺直前から光秀の死までなんと全6回も使って話を紡ぐ。本能寺の変当日から山崎の戦いまで史実で11日。そのたった11日間に番組4も使っている。光秀、秀吉それぞれの時間ごとの行動の推移を克明に追う描写。そこに利休、おねを始めとする秀吉の家族の描写を絡める。62日早朝、信長が光秀軍に囲まれているその時、秀吉は秀長達と談笑しているのだ。この構成は緊張させられる。見ていて止められない。




2012年2月26日日曜日

源氏物語の映像化2-私のアイデア=妄想


前のエントリーで、源氏物語の映像化は、光源氏に読者それぞれのイメージがあって難しいと書いたのだが、その後アイデアが浮かんだ。これは私の妄想。

光源氏の顔を見せない「源氏物語」の映画化だ。 笑

この光源氏なら(誰にとっても)限りなく美しいまま。映画なら時間制約があるので、内容も彼の幼年期から20代までとする。ドラマチックな若い光源氏の女性遍歴の映画だ(いつもそうだけど…)。最後は「澪標」あたりで静かに終わる。紫式部&菅原道長カップルも要らない。原作を淡々と忠実に映像化すればいい。

この源氏は若い。地位も財力もあって甘やかされて育った世間知らずのボンボンだ。自信にあふれた成人の魅力的な男性というよりも、恵まれたバックグラウンドをもとに好き勝手に振舞う(ちょっと影のある)子供という感じでいい。そもそも10代から20代前半までの男性はホルモン過剰で善悪の判断も誤るほど情熱的なものだ。だからこそ、非常に一途で、素直で、正直で、直球。同時に驚くほど繊細でもある。純粋な子供のようにどの女性とも本気で恋に落ちる。だから始末に負えない。美しい人であるだけに周りの女性陣も彼に振り回される。こういう若い人なら実際にいそうだ。10代からのいろいろな経験を経て、20代後半の最後まで少しずつ成長していく。

もちろん、光源氏は画面に登場する。彼はスマートで背が高く、非常に美しい手をしている。首筋もすらりと清らかだ。美しい立ち姿、後頭部、温かみのある優しい声。…が、顔を画面上に決して見せない。カメラは彼の後姿、首筋、耳、顎と首のラインまでの接写、女性を抱く腕、髪を撫でる手、それに豪華な衣装、絹の艶やかで贅沢な質感など、若く美しい男の部品をとことん写しこむ。女性と倒れこんでも、見えるのは女性の顔。観客には、光源氏の背中と後頭部しか見えない。要は、後姿と魅力的な部品の映像で、ぼんやりとした若く美しい男の姿を抽象画のように作りこむのだ。(実は三浦春馬さんを見ていてイメージが浮かんだ。彼ぐらい若い人がいい)

あとは、女優達の腕の見せ所。観客は彼女達のめまぐるしく変わる表情、迫真の演技から、間接的にこの魅力的な光源氏を想像する。というのも、この源氏物語の始めの頃、光源氏その人の話のように見えて、実は女性達の話だからだ。この物語が1000年も昔に書かれていながら、今に至るまでずーっと魅力的であり続けたもうひとつの理由は、この本の女性達の光源氏を思う切ない気持ちが、女としてどんな時代であっても「わかる」リアルなものだからだ。さすが女流作家。そう思えば、この女性達のほうに光を当てて、映画化することも可能だろう。

女優陣はとことん贅沢な配役でお願いしたい。上手い女優さんたちをぜひ。若い女性には実年齢の子役や女優さんを、大人の女性には大人顔の美人を配役する。出来れば、手の届かないような美しさを表すために、女性陣のメークも最新の美人メークをするのではなく(時代が変わると安っぽくなる可能性あり)、リアルな眉なしにする(あの眉なしが時代考証に本当にあっているのか分からない。絵巻物をみると普通の眉かもしれないとも思う)。ちょっと怖いくらいがちょうどいい。黒澤明監督の『乱』の原田美枝子さんのように怖いぐらいでいい。全員室内で囁くような声で話す。照明もリアルに薄暗くやってほしい。

普通に考えられる映画作りのような、現代の俳優と現代風美人の女優が平安のセットで現代劇を演じるのではなく、(よくあるタイプのキラキラした映像化ではなく)、「かつて日本にはこんな時代があった」ぐらいの突き放したイメージがいい。あくまでも芸術的な雰囲気を大切に。カメラと俳優の関係もよそよそしいか、反対に近すぎるくらいの親密な接写で。衣擦れの音などの効果音も豊かに。CGも使わず重厚な雰囲気でお願いしたい。調度品、セットにはとことんこだわって贅沢にしてほしい。

イメージする重厚さは、ベルトリッチの『ラストエンペラー』あたりの室内の映像。人物の白い顔が暗闇からふぁっと浮き上がるような感じがいい。人物描写のみではなく、当時のリアルな雰囲気を映像に閉じ込めたような「芸術映画」枠で。(黒澤監督とか、勅使河原宏監督とか、どうして源氏を撮ってくれなかったんだろう。)

配役を一人リクエストしたい。今、大河「平清盛」で堀河局をやっているりょうさんに、ぜひ六条御息所を眉なしメークでお願いしたい。彼女は、美人画で有名な上村松園の「焔」=六条御息所のイメージ画にそっくり「コワうつくしい」のだ。

以上、源氏物語映画化の妄想。こういう企画にお金を出してくれる出資者はいないだろうな。


★去年の12月、日本で映画『源氏物語 千年の謎』が公開されたそうです。予告などをネットで見るといい雰囲気ですね。見たいな。ただ、この主演の生田さんがアメリカのコメディアン、ジミー・ファロンにそっくりなので、真面目に見れないかもしれない。でも機会があったらぜひ見たい。

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源氏物語の映像化1-なぜ源氏物語は映像化が難しいのか