範頼の運命、大姫の選択
頼朝の不安が止まりません。彼はとうとう一番信頼できる身内をも疑い始め、それは強迫観念になっていく。強大な権力を持った者が次第に周りの者を疑い始め、それが意味の無い粛清に繋がっていく。それは古今東西よくある話なのかも。心理的なパターンがありそう。この頼朝の時代は約1000年も前の昔で、頼朝の心理がどこまでそのパターンをなぞるのか実際には謎だけれど、このドラマの流れは十分納得できる。
しかしそれにしてもこのドラマの範頼はただただ惜しい。
●範頼
頼朝一行が巻狩り(建久4年(1193年)5月6月)から鎌倉に帰ってきた。
源頼朝(大泉洋)は、前回の曾我兄弟の暗殺未遂の報で、弟・範頼(迫田孝也)が自身に代わって鎌倉殿の座に就こうとしたと範頼の背信を疑い始める。範頼の野心の証拠は、気を利かせて三善康信(小林隆)が京に送った文。その文は梶原景時(中村獅童)の手に入り頼朝へ届けられていた。
範頼を焚きつけた比企能員(佐藤二朗)は範頼を拒絶。義時は範頼に比企の関与を訪ねるが、範頼は比企を庇う。建久4年(1193年)8月2日 範頼は「謀反ではない」との起請文を頼朝に届ける。その起請文に大江広元(栗原英雄)が言いがかり…源姓を署名したのは範頼の野心の証拠だと言う。それを問われて範頼は引き下がる。
頼朝を政子(小池栄子)が説得。安達盛長(野添義弘)が呼んだ比企尼(草笛光子)も頼朝を説得するが、猜疑心に苛まれる頼朝は聞く耳を持たない。
建久4年(1193年)8月17日 範頼は伊豆の修善寺へ幽閉。
思うようにならぬ京/朝廷への進出に苛立つ頼朝は、その理由が誰か…範頼の呪いだと思い始める。頼朝の命で梶原から送られた善児(梶原善)が範頼を暗殺。
あっさりと暗殺されてしまった。すごくいい人だったのですよね範頼。もったいないなぁ。律儀な人で、これからも頼朝の力になったろうに。ところでまたまた善児ですが、なんだかこう何度も繰り返されると嫌になってきますね笑。驚きがない。彼が出てくると「ああそうか」と思う。
気持ちを新たに大姫は京の帝へ嫁ぐことに同意。父母の役に立つのならと健気。
建久6年(1195)2月 頼朝2度目の上洛。頼朝は京の各方面に金銀をばら撒き、大姫と政子は丹後局(鈴木京香)を訪ねる(3月29日)…各方面へのコネを求めたものの丹後局に「田舎者、厚かましい」と侮辱される。
大姫は傷ついた。寝所を一人抜け出して雨に降られていたところを三浦義村(山本耕史)に救われる。義村が大姫に説く「姫は姫の生きたいように生きるべきです…人は己の幸せのために生きる。当たり前のことです」。←これ。本当。本当に本当。基本です。素晴らしい幸せのための哲学。
大姫、病に倒れ鎌倉に帰ってくる。容体は悪化。大姫「私は私の好きにしてもいい。好きに生きると言う事は好きに死ぬということ。死ぬのは怖くない。死ねば義高様に会える。楽しみ」。建久8年7月14日(1197年8月28日)大姫死去。享年20。
本当にかわいそうだった。この大姫の話はちょっと涙が出そうになった。辛いね。でも義高君に会えたかな。だったらいいな。
●岡崎爺
岡崎義実(たかお鷹) このドラマでは前回の曾我兄弟の仇討ちへの関与で出家引退。記録では彼は建久4年(1193年)8月24日に老衰であるためとして出家したそうだ。そして亡くなった時は89歳。すごい!
岡崎さんは最初の頃に出て来た時は穏やかなお爺ちゃんかと思ってたのに、出てくるたびに坂東武者一番の武闘派。何度も何度も頼朝への不満を述べ、千葉常胤と共に直ぐに武器を取って戦い始めそうな様子。何度もびっくりした。 今回出家した後、訪ねてきた梶原景時が昔の話をし、「そういうことも… あったな」と言う。一瞬の場面なのに様々な思いの巡る表情。いい役者さん。
●巴さんが幸せそうだ
よかったです。本当によかった。以前義仲と頼朝軍の戦で彼女が捕らえられた場面で「敵の武将の手に落ちるのは屈辱だろう」と書いたのですけど、和田さんがよほどいい人だったのだろう。気性の激しい女性を大切に大切にして心を開かせたのだろう。和田さんすごい。この巴さんが和田さんの家に入ったという話は一部の記録にも残っているらしいです。本当だったのかどうかは不明。でもここでは幸せな話になっていてよかったです。眉毛も分かれてた。綺麗。
●意地悪な丹後局
鈴木京香さんがお綺麗なのですよ。彼女は何をやっても美しいお方。それなのにこの丹後局では容赦なくいけずなババアをなさっている。すごいね。しかしキツイな。さすがうまい女優さんだ。素晴らしいです拍手。もう笑えないほどハンパなく底意地が悪い。素直な大姫ちゃんが病むのも納得。
●頼朝はだいじょうぶか
政子でさえ鎌倉殿はおかしいと言う。彼は怯えているらしい。娘の大姫を亡くしたその場で次女の三幡の入内の話を進めろと言うのは異常。そして最後にはナレーションで「自分の死が迫っていることがわかっている」。
●大姫
京/朝廷との繋がりを強固にしようとする頼朝。大姫(南沙良)の後鳥羽天皇との縁談が棚上げになったことから、大姫を公家に嫁がせようとするが、大姫は頑なに心を開かない。大姫はまだ木曽義高が忘れらない。それでも長い時間が過ぎて、大姫は記憶の中の義高の面影が薄れてきていると言う。それで巴(秋元才加)に相談するため和田義盛(横田栄司)の館を訪ねる。巴は前に進むようにと大姫を説く。気持ちを新たに大姫は京の帝へ嫁ぐことに同意。父母の役に立つのならと健気。
こわい 丹後局 |
大姫は傷ついた。寝所を一人抜け出して雨に降られていたところを三浦義村(山本耕史)に救われる。義村が大姫に説く「姫は姫の生きたいように生きるべきです…人は己の幸せのために生きる。当たり前のことです」。←これ。本当。本当に本当。基本です。素晴らしい幸せのための哲学。
横顔の綺麗な 大姫 |
大姫、病に倒れ鎌倉に帰ってくる。容体は悪化。大姫「私は私の好きにしてもいい。好きに生きると言う事は好きに死ぬということ。死ぬのは怖くない。死ねば義高様に会える。楽しみ」。建久8年7月14日(1197年8月28日)大姫死去。享年20。
本当にかわいそうだった。この大姫の話はちょっと涙が出そうになった。辛いね。でも義高君に会えたかな。だったらいいな。
●岡崎爺
元気爺 |
岡崎義実(たかお鷹) このドラマでは前回の曾我兄弟の仇討ちへの関与で出家引退。記録では彼は建久4年(1193年)8月24日に老衰であるためとして出家したそうだ。そして亡くなった時は89歳。すごい!
岡崎さんは最初の頃に出て来た時は穏やかなお爺ちゃんかと思ってたのに、出てくるたびに坂東武者一番の武闘派。何度も何度も頼朝への不満を述べ、千葉常胤と共に直ぐに武器を取って戦い始めそうな様子。何度もびっくりした。 今回出家した後、訪ねてきた梶原景時が昔の話をし、「そういうことも… あったな」と言う。一瞬の場面なのに様々な思いの巡る表情。いい役者さん。
●巴さんが幸せそうだ
よかったです。本当によかった。以前義仲と頼朝軍の戦で彼女が捕らえられた場面で「敵の武将の手に落ちるのは屈辱だろう」と書いたのですけど、和田さんがよほどいい人だったのだろう。気性の激しい女性を大切に大切にして心を開かせたのだろう。和田さんすごい。この巴さんが和田さんの家に入ったという話は一部の記録にも残っているらしいです。本当だったのかどうかは不明。でもここでは幸せな話になっていてよかったです。眉毛も分かれてた。綺麗。
●意地悪な丹後局
鈴木京香さんがお綺麗なのですよ。彼女は何をやっても美しいお方。それなのにこの丹後局では容赦なくいけずなババアをなさっている。すごいね。しかしキツイな。さすがうまい女優さんだ。素晴らしいです拍手。もう笑えないほどハンパなく底意地が悪い。素直な大姫ちゃんが病むのも納得。
●頼朝はだいじょうぶか
政子でさえ鎌倉殿はおかしいと言う。彼は怯えているらしい。娘の大姫を亡くしたその場で次女の三幡の入内の話を進めろと言うのは異常。そして最後にはナレーションで「自分の死が迫っていることがわかっている」。