頼朝が倒れた後、亡くなるまでの鎌倉の様子。落馬してからのストーリーを1話を使って丁寧に描く。贅沢。頼朝が昏睡する間、周りの人々はどう動いたのか。
鎌倉は分裂する。
頼朝の後継者をめぐって鎌倉が割れた。
★阿野全成を推す---北条時政とりく
そして
★源頼家を推す---比企家
話の軸は頼朝の後継者を誰にするか…での比企と北条の対立/政子と実依の対立なのですが、実は今回一番印象に残ったのは頼朝の穏やかな最後と政子。
これからの話は…昔『草燃える』を見て/後に再度DVDで総集編を見た以外はあまり知らないのだけれど…あまり歴史を調べずに、ドラマでのストーリーの展開にあらためて驚いたりびっくりしたりしようと思います。
「頼朝が亡くなって義時は伊豆に帰ると言うが、政子に頼家を守るようにと引き止められる」
今まで北条義時は頼朝の便利なツールとして動いていたのだけれど、これからは主役。彼が自分の意思でどう変わっていくのか楽しみ。
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建久9年(1198)12月末に落馬した源頼朝(大泉洋)が鎌倉に帰ってきた。頭を打ったらしく眠っている。医師はあと数日の命だと言う。
●政子(小池栄子)
頼朝ラブ。頼朝を看病。彼女こそ頼朝を心から愛していた。
●北条義時(小栗旬)
頼朝の忠臣であることは間違いないのだけれど、それにしても「頼朝の状態を誰にも知らせるな」と言いながら皆に話を広めているのは彼ですよね。物事を動かすために伝えなければならない人々がいるとはいえ、結局皆に頼朝のことを喋っている。一応「内密に」と口止めはするが、結局噂は広まる。どんどん広がる。全然内密になっていない笑。いかにも三谷さんらしい流れ。
▶ 梶原景時(中村獅童)と畠山重忠(中川大志)
頼朝の落馬を見た者を口止めさせる。
▶ 北条時政(坂東彌十郎)と時連(瀬戸康史)
→三浦家に行って義澄(佐藤B作)に水垢離につきあわせる
→りく(宮沢りえ)にも伝わる。
建久10年(1199年)1月11日 頼朝は死の直前に出家。髻を落としたら観音像が出て来た。これは比企尼が言っていた観音像?大切に髻に隠していたのですね。
最後に頼朝は起き上がり、政子に「これはなんですか?」と尋ねる。そして倒れる。死去。建久10年(1199年)1月13日 享年52(満51歳没)。
荼毘に付し、頼朝の遺骨は持仏堂へ。安達盛長(野添義弘)が哀しむ。
北条時政や比企能員が誰が後継者かで言い争うが、政子が頼家を説き伏せる。
頼家が御家人達の前で鎌倉殿就任を宣言。
北条家は揉めている。
阿野全成と実依を押していた時政とりくは不満。「頼家は気が強く女好き。いつかボロを出す」りくにはアイデアがありそう。
伊豆に帰ると言う義時を政子が止める。頼朝の観音像を義時に渡す。
▶ 比企能員(佐藤二朗)
→妻・道(堀内敬子)と娘・せつ(山谷花純)に告げる。
▶ 八田知家(市原隼人)は極秘に火葬の準備
●比企能員の野心
後継者は頼家(金子大地)に。比企は頼家の乳母夫
●北条時政…りくの野心
りくは比企家にライバル心を燃やしている。時政を説き伏せ、頼朝の弟・阿野全成(新納慎也)を後継者にするように指示…娘の実衣(宮澤エマ)は御台所に。それを全成と実衣に打診。
●義時のアイデア
頼家を後継者に推している。頼家の正室のつつじ(北香那)に子供が生まれたら、比企に対抗するため、三浦義村(山本耕史)にその子供の乳母夫になってほしいと伝える。
●政子の意向
頼朝の後継者はもちろん息子の頼家。
●実依の野心と全成
実衣に御台所になる野心が芽生える。政子と対抗。
●頼家
「わしが後を継ぐ」頼朝のことを公にするようにとの指示
●御家人達
集まって皆に頼朝のことが伝えられる。皆騒ぐ。
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→妻・道(堀内敬子)と娘・せつ(山谷花純)に告げる。
▶ 八田知家(市原隼人)は極秘に火葬の準備
●比企能員の野心
後継者は頼家(金子大地)に。比企は頼家の乳母夫
●北条時政…りくの野心
りくは比企家にライバル心を燃やしている。時政を説き伏せ、頼朝の弟・阿野全成(新納慎也)を後継者にするように指示…娘の実衣(宮澤エマ)は御台所に。それを全成と実衣に打診。
●義時のアイデア
頼家を後継者に推している。頼家の正室のつつじ(北香那)に子供が生まれたら、比企に対抗するため、三浦義村(山本耕史)にその子供の乳母夫になってほしいと伝える。
●政子の意向
頼朝の後継者はもちろん息子の頼家。
●実依の野心と全成
実衣に御台所になる野心が芽生える。政子と対抗。
●頼家
「わしが後を継ぐ」頼朝のことを公にするようにとの指示
●御家人達
集まって皆に頼朝のことが伝えられる。皆騒ぐ。
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建久10年(1199年)1月11日 頼朝は死の直前に出家。髻を落としたら観音像が出て来た。これは比企尼が言っていた観音像?大切に髻に隠していたのですね。
最後に頼朝は起き上がり、政子に「これはなんですか?」と尋ねる。そして倒れる。死去。建久10年(1199年)1月13日 享年52(満51歳没)。
荼毘に付し、頼朝の遺骨は持仏堂へ。安達盛長(野添義弘)が哀しむ。
北条時政や比企能員が誰が後継者かで言い争うが、政子が頼家を説き伏せる。
頼家が御家人達の前で鎌倉殿就任を宣言。
北条家は揉めている。
阿野全成と実依を押していた時政とりくは不満。「頼家は気が強く女好き。いつかボロを出す」りくにはアイデアがありそう。
伊豆に帰ると言う義時を政子が止める。頼朝の観音像を義時に渡す。