能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年6月11日月曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第23回「叔父を斬る」



今回もよかったと思います。びっくり。重厚歴史大河ドラマ。ほとんど以前とは別物。ものすごく真面目な歴史ドラマになってきた。

これなら清盛マラソン、完走間違いなし。


その前に、まずダメ出しから。

●音楽。今回の音楽はほんとに邪魔。処刑の場面のうるさいピアノなど論外。うるさくってしょがない。これほどメロディーのはっきりした曲だと、歌を歌うようにそっちに気をとられてしまう。人物達は迫真の演技をしているのに台詞も聞き取れない。音楽だけMUTEボタンを押せないものかと思った。ああもったいない。そのちょっと前、由良御前が鬼武者と話す場面からの一連の流れで使われたオーケストラの曲もうるさい。ばらばらな短い場面を一つの曲を流すことでまとめるのはやめたほうがいい。ともかく全体に音楽の使用と選択に繊細さを欠いている。劇的な場面に劇的な音楽を使うのは稚拙な演出。これはセンスの問題で、他に例を挙げてこれがいいと断言が出来ないだけに非常に難しい。

●清盛君、叔父さんの死刑宣告を受けてから落ち込んで出てきた時、なんで階段でずっこけるのかなぁ…また笑っちゃったよ、んもー。

●今回の話でまず事前に心配したのは、親族の罪人の処刑に番組1回分をまるまる使ってお涙頂戴劇にしてしまうのだろうドラマの構成そのものだったのだが、あにはからんや思った以上に良かったので前言撤回。確かに処刑で番組1回分なだけに尺を長く取りすぎた場面もあったが気にはならなかった。なのでこれに関してのダメ出しは無いです。

ともかく処刑がらみで引っ張りながらも、そのまわりの政治的なもの…特に源氏と平氏があれだけ辛い思いをしているのに、天皇を始めとする貴族達が、何事も無かったようにへらへらしているのが対照的で非常に良かった。説得力のある話の展開だったと思う。満足です。



今回、話の流れが良かった。

平忠正叔父さん、源為義パパも、それぞれ本人達は覚悟を決めている。なので苦悩するのは残された者達。

まず平家側。叔父さんが自分の身代わりになったと苦悩する弟・頼盛。自らの甘さゆえに叔父を救えなかったと苦悩する清盛。皆も気持ちは同じだ。義姉・池禅尼も、忠正に言った「いざというときは平家をたのみます。」の言葉がこのような結果になるとは思っていなかっただろう。そもそも忠正は、この義姉を悲しませないために頼盛の身代わりになったようなもの。うわー悲しい。そんな彼は供に死んでいく息子達を前にして「断じて平家一門を怨むではない。怨むならこの父を怨め。」(泣)ああぁ。身支度を整えた忠正と息子達を、一族揃って皆涙を流しながら静かに送り出す場面はとても美しく悲しい。

今回の清盛君も今までと違って別人のよう。叔父の死刑を宣告されると声を落として信西に詰め寄る。今回全編を通して声を抑え非常に男らしく見えた。心を決め叔父を自ら処刑する。すぐに息子達も。その後力尽きてその場に倒れこむ。短い描写で引っ張らなかったのがよかった。

一方の源氏側は、義朝の驚くほど感情的な描写に驚いた。まず父の死刑の宣告をされた時、信西へ取り乱しながら抵抗。帰宅してからいきなり由良御前を「余計な事をした」と張り倒す。その後も呆然として時を過ごす。そこへ父為義が揺れる息子を諭す。「親兄弟の屍の上にも雄雄しく立て。」(泣)

処刑場でもそう。清盛が最後に苦しみながらも自ら処刑を遂行したのに、義朝は出来ずじまい。まさか弟を殺しても平気だったこの人を、こういう風に描写するとは思わなかった。当然これは平家側の清盛と対比させたもの。清盛が心を決めたのに比べて、義朝は出来なかったということなのだろう(父親を殺す方がずっと辛いのだが)。源氏側の処刑は義朝の忠臣正清が行うことになる。初めて弱さを見せた義朝の描写がとてもよかった。

義朝の苦悩をめぐる家族の描写も素晴らしい。夫に張り倒された由良御前、まだ小さい鬼武者に、お祖父さんがパパに殺されるので見て来いと言い聞かせる(これはすごい台詞)。全てを見届けた鬼武者は、その後義朝に向かい元服したいと名乗り出る。鬼武者はこんなに小さいのに、初めて弱さを見せた父・義朝を見て、自分がしっかりしなくてはと思ったのだろうか。将来の源氏の棟梁の姿が見える。源頼朝元服。この流れはすばらしかった。その後、由良御前は頼朝を強い武士に育てると言う。立派。



それから後白河天皇に呼ばれて戦勝の祝宴。今までなら清盛君は「いやだいやだ」とわめくところだが、今回は黙って耐える。武士がこれだけ辛い思いをしているのに、呼ばれて行った御所では貴族達が何事も無かったように華やいでいる。得子さんもとても綺麗。清盛君は憤懣やるかたない様子だが黙って耐えている。清盛君にとっては辛い場面だ。これも良かった。これで視聴者も清盛君の気持ちに添うことが出来る。

極めつけはオレ様後白河天皇。ほんとにいつものことだけどこの人のオレ様ぶりは最高。あの自信満々な顔が画面に出てくるだけでまさにゾクゾクする。こんなトンデモ親分が権力を握っている限り、平家も源氏も犬のまま。この対比は最高に素晴らしい。

清盛君がこの華やかな場でいつものように、いつ反抗期の子供のような事を言い始めるのかとひやひやしたが、なんと今回黙って耐えている。立派。大人になりました。大変結構。そうです、そうやって耐えて耐えて耐え抜いた後にドッカーンと爆発すればよろしい。非常に楽しみになってきた。ほんとに今回は清盛君が立派。あとはもう少し声を落として腹から声を出すようにすればもっといい。今回は信西との対決で声が裏返ってたけど、全体には声も抑えて確実に良くなっている。最後に一族を集めての「一蓮托生(事の善悪にかかわらず仲間として行動や 運命をともにすること)」宣言もいい。いいぞがんばれ。

それから深キョン。殆ど出番が無かったけど、この人が深刻な表情で静かに苦悩しているのはとてもいい。裏返った声でおかしなことをしゃべるよりも、黙ってしんみりしてたほうがずーといいです。非常に美しい。それに最後、滋子に向かってつとめに出るよう命じた声も非常に落ち着いていてよかった。この女優さんは立派に大人が演じられるんだと初めて思った。女優さんも俳優さんも脚本と演出次第。どうかこれからも今回のように大人の時子を演じて欲しい。(清盛君もそうなのだが)声の響きは非常に大切です。


またまた人物の評価で終わってしまったけど、良かったです。極限の状況だからこそ登場人物全員が真剣なのが素晴らしかった。特に清盛君の変貌ぶりにはびっくり。反対に義朝は弱さを見せたところがまたいい。見所もたくさんあった。豊原さん=忠正叔父さんの堂々たる男振り。最後まで息子を気遣う優しい小日向さん=為義パパ。素晴らしかったです。このお二人がいなくなるのは本当につらい。

最後にもう一つ。処刑の場面で一切の血を見せなかったNHKさんの英断には拍手を送りたい。為義パパの首らしいものが一瞬落ちたのが見えただけでそれ以外は全て暗転や画面の外。斬首という処刑そのものが非常に残酷なものなので一切の血を見せなくても陰惨さは十分に伝わってきた。特に小さな鬼武者を画面内に入れた源氏側の描写は非常に陰鬱。映像での残酷さを娯楽にしがちな昨今、よくあそこまで抑えてくださったと心から感謝したい。(地面に広がった血だまりぐらいはあってもよかったかも)



最後に清盛紀行で、義朝が自ら父を処刑したと言っていたのに驚いた。清盛と義朝が親族を自ら処刑したのは、このドラマを劇的にさせるための脚色だとばかり思っていたのだが、実際にそういうことだったそうだ(清盛のことは不明)。辛かったろうと思う。ほんとうの義朝とはどういう人だったのだろう。

それから、いまさら言うのもなんだが清盛の持っている宋剣に非常に違和感があるのだけれど、あれは史実なのだろうか。(痛すぎると思います) 以前、刀鍛冶の方のインタビューで、日本の刀作りは鎌倉時代が最高で、現在でも再現が難しいぐらい高い技術が当時既に完成されていたと聞いたのだが、このドラマのちょっと後の時代にそれほど高度な技術があったのだとしたら、この時代も日本刀を持っているのが自然じゃないだろうか。それともこの宋剣の記録が残っているのだろうか…。




2012年6月10日日曜日

映画『メン イン ブラック 3/Men in Black 3』:夢の中へ



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Men in Black 3 2012年)/米カラー
 106分/監督; Barry Sonnenfeld
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ネタバレ注意

ちょっと前に見て、レビューをするのかどうか迷ったのだけどこれも記録の一つ…ということで書くことにした。


寝てしまいました。ああぁぁ。



トミー・リー・ジョーンズが老けメイクをしていると思ったら、なんと第一作目から10年目なんだそうだ。え、じゃあ、あのウィル・スミスの変わらない若さはなに??

この映画大好きだったんですよ。1作目は特に。2人のコンビも面白いし、なによりも初期のウルトラ兄弟のシリーズを見て育った世代の者としては、こういう単純怪獣ものは無条件に「見に行かなくては!」と思ってしまう。

ウィル・スミスが好き。もーかわいいかわいい。あの2人がイヤになるくらいキモい宇宙人と戯れるのは面白くてしょうがない。

ところが…本作、ちょっとゆっくり過ぎた。中華街で魚のお化けが出るあたりまでは面白かったんだけどな…。その後、怪獣らしい怪獣もあんまり出なくなったし、今回のメインの敵は余りにも魅力が無さ過ぎた。だって目が痛そうなんだもん。見た目も人間とあんまり変わらないし…。やっぱ怪獣が出てきてくれなくちゃ…。ウィル・スミスが過去に遡って、ジョシュ・ブローリンに会うあたりから目が開かなくなった。

目が覚めたら、ウィル・スミスのちっちゃい子が出て来て、パパが…という場面をやっていた。ありゃー。

反省しております。映画を見に行って寝てしまうとすごく悲しい。文句をブーブー言って「金返せ」のほうがまだ映画さんに失礼をしていないと思う。ほんとうにゴメンナサイ。


映画『少年と自転車/The Kid with the Bike』:あなたには出来るだろうか




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Le gamin au vélo---The Kid with the Bike2011年)/ベルギー、仏、伊
カラー 87分/監督; Jean-Pierre Dardenne、Luc Dardenne 
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ネタバレ注意


リアルです。映画的な演出は一切無し。まるでどこかで現実に起きている事を目撃しているような気にさせられる。ものすごく地味。静か。普通の人達のちょっとした日常の問題。

この映画、何よりもリアルさがすごい。最初はそれが解らなくてちょっと困った。だってあのガキが余りにもかわいくないから。リアルにひねくれてて手が付けられない。まぁ困ったもんです。映画だから「まぁこの子はこんな目にあって可哀想に…」などと思えるけど、現実にあんなに反抗的な子供が目の前にいたら、即刻施設へ送り返すと思う(ゴメンナサイ)。…という以前に、まず今までに会った事もない子供を、そんなに気楽に受け入れたり出来ないです。よくあの親切な女性はあんな厄介者を引き受けたもんだとあきれるくらい。私なら正直係わり合いになりたくないだろうと思う。

だけど、まてよ。これ映画じゃないの。このかわいくない子供の演技、ぜーんぶ事前にリハーサルして脚本どおりに演じたものなのだ。そんなことを全く忘れてしまうくらいリアル。脚本も演出もすごいし、子供ながら主人公のこの俳優さんもすごいと思う。


映画内の出来事に至るまでの、それぞれの人物達の過去の説明や解説的なものは一切無し。なので、あんな気難しい子を気楽に引き受ける女性の心理も理由も解らない。…だけど現実の私達の日常でも、(日々出会う)いろんな人達のいろんなことが必ずしも明確ではないのは普通のこと。そんなときに私たちは「人それぞれだから…」とか「彼女なりの理由があるんでしょう…」なんて見て見ぬ振りをしたりするもの。この映画もそんな現実の日常のように、なんの説明も無し。私は「もしかしたらこの女性は以前に子供を亡くしたのか…」とか「離婚した旦那に子供をとられたのか…」などと余計なことまで想像してしまった。そんな風に思わせるところまでリアル。もちろん子供をいやがる父親の解説も皆無。だただた自己中のいやな親父なだけ。そんな風にどの登場人物も一切の説明がなされない。

だからこそ、「あれはこうなのか…」「なんでこの人はこうなんだろう…」などと映画を見ながらいろんな事を色々と考えてしまうのも最近の映画では非常に珍しい。少なくとも近年のハリウッドの作る映画でこのようなものは見たことが無い。こんな無骨な映画作りは、現代のものというよりも、大昔のヨーロッパのリアリズムの映画(よくは知らないけど)だかなんだかそんなものを思い起こさせる。

時間が経つにつれ、このひねくれ者のシリル君もだんだん心を開いてくる。だけど私にはこの子がまだまだ信じられない。これからティーンになれば、もっと本格的な反抗も始まるはずだ。うわー大変じゃないかな。だけどそんな風に思わせるのも、リアルな映画だからこそなんだろう。

無骨です。ぶっきらぼーな語り口。だけどこの映画のそんな無骨なリアル感は(実際には)計算に計算を重ねて緻密にフィクションとして構築されたもの。繊細な作り手の目があるから可能なのだ。 シリル君のひねくれ具合も、(パパに拒絶されて)心がキューンと苦しくなるような寂しさも全てリアル。だから見ていて結構つらい。本当はとても可愛いんです、シリル君。

最後も(脳震盪を起したのか)暫く気を失った後、起き上がってフラフラしながら(シリル君が)うちに帰っていく場面で唐突に終了。ほんとにこの子は大丈夫なのか…。いやきっと大丈夫だろう…。どうかな…。などとまたいろいろと考えながら映画を見終わった。


西洋の世界では子供は社会に属するものだと聞く。親がだめなら社会が子供を育てるのは当たり前。この映画のような状況が現実の日常で起こっても、誰かが子供の里親になるべく名乗り出るものなのだろう。彼らが子供に手を差し伸べる優しさの源はキリスト教の教える慈愛の心なのだろうと思う。素晴らしいことだ。だが実際に子供を引き取るなんて簡単なことではない。この映画のシリル君も難しい問題を突きつける。それでもこの映画の女性は一貫して彼を救おうとする。どうしてそこまで…。

この映画を見た者は、誰でもちょっと居心地悪く自問せざるを得ない。「私にはできるだろうか…。」なんだかいろいろと考えさせられた。



2012年6月8日金曜日

Madonna - Lucky Star (1984)



マドンナはこの曲で大きくなったんです。
 

Madonna - Lucky Star (1984)

Album:  Madonna
Released: 27 Jul 1983
℗ 1982, 1983 Warner Bros. Records Inc.


Like a Virginでドッカーンと大売れする直前に「あの娘、誰?」とみんなに思わせたのがこの曲。Like a Virginの直前に大衆の目を彼女に向けさせたのがこの曲。私も見ていた。

当時始まったばかりのMTV(日本では深夜にどこかのチャンネルでやっていた)で見たBurning UpPVとラジオでかかった何曲かで興味を持ち、早速貸しレコード屋へ。ファーストアルバム『Madonna』は全曲が踊れるかなりいいダンスアルバムで早速気に入ってよく聴いていた。それから少したって、このLucky StarPVTVで流れて「あっ」と思った。これはいい…。


曲はまったりして踊りやすい曲ではない。だけど何よりもこのダンスにクギづけ。真っ白なバックを背に踊る3人。2人のバックダンサーは普通に上手いんだけど、あっと思ったのはマドンナのダンス。空気の少し抜けたゴムが分厚い(ちょっと反応の鈍い)ボールのようなダンス。ちゃんと音にあわせて跳ねてるのに、なんだか重い感じのするリズム感。膝の関節が柔らかいんだろうか、ふわふわしてるのに粘り気があるリズム? なんかもってりしてるの。世間はこれをセクシーと呼んでいた。それまでマイケル・ジャクソンのカチっとしたダンスを見ていた目には新鮮だった。このステップを振りコピした。

それにビデオの半分はカメラ目線で「どうよ、どうよ」と言わんばかりにおへそを見せながら床をのた打ち回る映像。全身の筋肉がうっすらと脂肪につつまれたマシュマロのような白い肌。目の大きな童顔のかわいい顔、なのにこちらを睨みつける目線。赤い口の右上のほくろ。鼻息の荒い気の強そうな顔。強烈だった。私もこのビデオで大ファンになった。

「いったいこの娘は誰だろう…?」とみんな思ったんだろうと思う。


当時、毎週雑誌でBillboard Hot 100のチャートをチェックしていたのだけど、この曲がトップ100に入ってからなかなか圏外に落ちなかったのをよく覚えている。この曲の前のシングルHolidayといっしょになってチャートに延々と居座り続けた。さっき調べたらBillboard Hot 10018週間(4ヶ月以上)も残ったそうだ。

この曲で世間にも知られるようになり(米国中の女の子が彼女の格好を真似し始めた)その後時間をおいて十分に期待させた後「Like a Virgin(処女のように)」を発売。まるで時限爆弾です。こんなビデオの後にそんなタイトルの曲がうけないわけがない。その後発売した同名のアルバムは、当時泣く子も黙るナイル・ロジャースのプロデュース。これで彼女は大スターになった。メディアは彼女を「現象」だと呼び、文字通り時代が動いているような感覚があった。すごかった。


その後も休むことなく、マリリン・モンローそっくりのPV、映画の挿入歌、映画にも自ら出演、全米ツアー、ハリウッド・スターとの結婚…等など一切とどまることなく大スターの道を駆け上っていったマドンナ。その成り上がりぶりは前例の無い桁外れなスケール。成功につぐ成功。何から何まで(スキャンダルでさえ)全て自分の味方に変えてしまうカリスマと頭脳、意志の強さ。小柄なこの人がこれだけ大きくなるとは誰も思わなかった…。

そんなマドンナの大ブレイクのきっかけになったこの曲。私はこの曲がなかったらその後のマドンナもなかったかもしれないと思う。

この曲の入ったファーストアルバム『Madonna』は捨て曲無しのダンスアルバム。今でも聴ける。ダンスアルバムとしては『Like a Virgin』よりずっと上。傑作です。



2012年6月7日木曜日

最近のPefume:氷結「Magic Moment」 編



また新しいの来ました。

氷結「Magic Moment」 編



キリンの氷結の新しいCM、「Magic Moment 」編。メイキングもオフィシャルのページにあがってます。また、ハリウッドで撮影らしいです。またアメリカに飛んだんだろうか。それとも前回の時に撮りだめしたんだろうか。それにしても忙しいスケジュール、すごいですね。

相変わらず3人とも美しいです。ほんとに綺麗なお姉さん。一瞬だけど、かしゆかのスタイルの良さがすごいです。もう見てるだけで幸せ。

注目は、新曲の「Hurly Burly」。またいい曲です。いいノリ。よく踊れます。ほんの数秒のサビだけなのに、もういい曲なのがわかる。もっと聴きたい。早く聴きたい…。

中田さんに捨て曲無し!

前回のSpring Of Life も今回の新曲もダンス曲でうれしい。今度のアルバムは、ダンス・アルバムを希望…なんて話が早すぎる…(笑)。




2012年6月6日水曜日

国と誇り/Queen's Diamond Jubilee




昨日QueenJubilee Cerebrationについて長々と書いたのだけど、2日遅れてバッキンガム宮殿前で行われた大掛かりなコンサートがアメリカABCでも放送された。残念ながら殆どを見逃してしまって気付いたときには既に最後のポール・マッカートニーが歌っていた。この人はいつまでも若い。後で好きな人だけYoutubeの映像を探そう。

この日、Queenの旦那様のフィリップ殿下は病院にいたらしく欠席。


ポール・マッカートニーが終わった後で、Queenとチャールズ皇太子、カミラ妃がステージに現れた。Queenが話すことはなかったけど、チャールズ皇太子が観客と彼女に向けて非常に温かでチャーミングなスピーチをした。

“Mummy, thanks for making us all so proud to be British.”(ママ、僕達みんなに英国人でいる事を誇らしく思わせてくれてありがとう)。うわーちょっと泣ける。

Queenもチャールズ皇太子の時々飛ばす軽い冗談に笑う。病院のフィリップ殿下に話が及ぶと唇をかみしめた。彼女の60年の治世を称え、上記の英国の誇りに話が及ぶと、ステージを囲んだ2万を超える観衆から歓声があがる。そこへ国家“God Save The Queen”。宮殿を取り囲んだ見渡す限りの人人人が国を愛して国家を歌う。最後にQueenが国中に灯された4200に及ぶかがり火の最後の火を灯す。

 
その直後、宮殿の上に打ち上げられる大掛かりな花火。奏でられる音楽はホルストの“Jupitar(木星)”とエドガーの“Pomp and Circumstance(威風堂々)第1  Land of Hope and Glory(希望と栄光の国)”。これで気持ちがうわーっとアガル。この2曲は英国では何かあるたびに流れる曲。私も馬鹿みたいにこの曲を聴くだけで気持ちがあがるようになった。マジで泣きそうになる。宮殿に投写された赤白青のライト。画面は宮殿の上空を飛ぶヘリコプターの映像に切り替わる。花火と宮殿がものすごく綺麗だ。

英国には、いや国家にはたまにこういうものが必要なんじゃないかとも思えてくる。こんなに幸せそうな英国の国民。国を愛して誇りに思う国民。今年はオリンピックもある。…だけど去年は警察も手が付けられないほどの暴動が起こった国でもあるのだ。去年ロンドンは炎上した。世界中のこととはいえ英国の景気も悪いと聞く。失業者の数も増えた。そもそも普段の英国人は悩みも多く常に斜に構えたような人も多い。国中に不満が充満しているかもしれないのだ。

だからこそそんな日々、国としてたまに国民に愛国心を呼び起こさせ、幸せな気持ちにさせるのは決して悪いことではないと思う。自分達を誇りに思うなんて、普段の英国人はそんなこと大声では決して言わない人達なのだ。こんな風にわざわざ機会を与えて国民をいい気持ちにさせることも国として必要なのではないかと思えてくる。

どこかいつも自信が無くて、自分に誇りを持つことも躊躇しがちな謙虚すぎる日本。自信たっぷりすぎて、自分の間違いに気付けないアメリカ。いつも反省ばかりして文句も多いけど、時々皆で誇りを取り戻すためにお祭りをする英国。もしかしたら、日本も国のあり方を考える時にきているのかもしれないと思う。


2012年6月5日火曜日

英国女王の「ダイヤモンド・ジュビリー」即位60周年記念式典/Queen's Diamond Jubilee



もう前回のJubilee Cerebrationから10年もたってしまったんだろうか。早いな。10年前の当時、私はバッキンガム宮殿に歩いていける距離に住んでいた。
前回のセレモニーは自宅のフラットで旦那ATVで見ていた。街の喧騒や祝砲(花火だと思った)、式典の最後に飛ぶ戦闘機の音などもフラットの窓の外に聞こえてきた。街の土産物屋には女王の顔を印刷したカップやお皿が連日並べられていたし、式典の前数日は祝日になった。式典の一環としてロックバンドやミュージシャンが集い大規模コンサートを開催。バッキンガム宮殿の屋上に、Queenのブライアン・メイがのぼり、英国国家“God Save the Queen/神よ女王(国王)を護り賜え”を一人奏でるという演出もあった。ああ懐かしいな。当時は旦那Aの仕事で移住した英国での生活にどっぷりつかっていて、あの国からよその国へ移住するなんて思っても見なかった頃。まさか、10年後に外国にいるとは思わなかった。

今年のDiamond Jubileeは、数日前にBBCを見ていて知った。ここアメリカでは式典のみの放送で、前日のコンサートは見られなかったけど、どうやら今年、バッキンガム宮殿の屋上では大昔のバンドMadnessが演奏したらしい。今Youtubeで見てきたけど、宮殿に投写した映像がすごい。ロンドンやっぱりすごいな。

さて、妙な時間帯に目をこすりながらLIVEで見た式典。BBCの司会やレポーター、コメンテーターなど懐かしい顔がならんでます。懐かしい街並み。ちょっとロンドンが恋しい。式典の行われたSt. Paul’s大聖堂がものすごく綺麗。数年かけて改装をしたのだそうだ。天井を見ているだけでくらくらしそうなくらい綺麗。私がいたころとは全然違う。昔はもっと暗かった。
ずいぶん待たされて最後に現れるロイヤルの方々。なんと今年、女王様の旦那様フィリップ殿下が前日に病気になられて欠席。女王は旦那様のエスコートもなくお一人で式典に出席されることとなった。長々と続けられる宗教の儀式。英国民は普段、宗教に無頓着な人が多いが、こういうときの宗教の力は大きい。ましてやこれは国家元首=国のお祝い事。Queenは英国国教会Anglicanの首長でもある。神様が国を守ってくれているという意味は非常に大きい。みな頭を下げて神様に感謝しご加護を祈る。この国の国歌は文字通り“GOD Save The Queen”なのだ。
式典の最後に参列者の全員が立って国歌“God Save The Queen”を歌う。国民も国中でTVを見ながら心の中では歌っているはずだ。その歌声が国中に響き渡る中、この銀色のスーツに身を包んだ小さな高齢の女性は、たった一人、口を一文字に結んでなんとなく寂しそうなお顔をなさっている。なんだか泣いてしまった。

この小柄な女性は英国そのものなのだ。彼女の60周年をお祝いするのは国をお祝いすること…英国がこの女性のもとで(いろいろあったけれど)ともかく平和に60年間を過ごすことができたことを国民全員でお祝いしているのだ。ただ一人の個人が60年間同じ仕事をしてきたのとは意味が違う。
この女性は(政治的な権限がないとはいえ)たった一人で、はるか古(いにしえ)に繋がる王室の存在を、決して動かない大きな岩のように静かに守り抜いてきた。国の元首として毎日職務に励む。延々とはてしなく続くQueenとしての毎日。それを神様から与えられた使命として、淡々と文句一つ言わず日々を送ってきた。彼女には事実上1日も休みがない。彼女が国そのものだからだ。Queenのタイトルは60年前に王座に座ったその瞬間から、彼女がこの世で最後を迎える日までつきまとう。彼女がQueenになったのは25歳のとき。小さな頭に大きすぎる王冠を載せて嬉しそうに笑う古い映像の中の彼女は、ため息が出るほど美しかった。
国民全員が喜んで国歌を斉唱している間、口を一文字に結んで彼女は何を考えていたのだろうと思う。60年間、ほんとうに長かっただろう。でもこれで終わりではない。この式典も彼女の人生の一つの通過点でしかない。

平均的な私の世代の日本人として(英国に住むまで)私は日本の皇室に特別な気持ちを持つことなく日々を過ごしていた。それなのに英国に来て5年も経たないうちにすっかりロイヤリスト(外国人なので本当の意味はないが)になってしまったのが我ながらおかしい。というのも、英国では王室の方々のメディアでの扱いが日本とは全く違うからなのだ。
英国には悪名高いタブロイドというものがある。いや高級紙でもそう。王室のメンバーは、常に一般庶民の関心事。メディアは毎日のように王室のメンバーの話題を書き立てる。私がいたころは、ダイアナ妃やチャールズ皇太子のゴシップが酷かった時期なのだが、それだけではない。彼らの人となり、何をやっているのか、どんなことに興味があるのか、恋人は、結婚は…など等、彼らに対するメディアの関心はとどまるところを知らない。結果的に王室のメンバーはどんなロックスターやサッカー選手も敵わないほどのスーパー・セレブリティになる
英国にもひねくれものはいる。税金を食いつぶす王室なんて無くしたほうがいいという人々も少数だがいる。しかしあれだけ毎日メディアに登場するスーパーセレブリティを本気で無くしたいと思う人は実際には少ないのだろうと思う。英国王室の方々は日々国民の娯楽として皆を楽しませ、そして、今回のような伝統にのっとった国のお祝い事には、いい意味でのフォーカルポイント(焦点)となる。

Queenは英国の国そのもの。彼女が皆に手を振り、国民全員が彼女を愛する。彼女を愛するということは、国を愛するということ。アメリカのオバマ大統領を愛しても、アメリカを愛することにならない事を考えたら、ちょっとだけ王室の意義も解るかと思う。昔から国家元首の力はそこにある。違いは国民が自分の国を愛せるかどうかということなのだ。英国の王室とメディアの関係も、そう考えればいろいろと興味深い。
あれだけのお金をかけて、あれだけ豪華に、たった一人の女性のためのお祭り。でもそれは同時に、一つの伝統ある国が国家として存在することを皆でお祝いするお祭りなのだ。なんだかいいなと思う。日本にも世界に誇れる天皇家がある。たとえ前時代的とはいっても、このような文化的、歴史的な遺産を継承していける国は、その伝統を大切にしていった方がいいと私は思う。

30代の全てを過ごした英国。10年の生活でそれはそれはいろんな事を学んだ。英国を出てからもう7年も経ってしまったけれど、未だに英国のことは忘れられない。 英国と私の関係は、まるで気難しい憧れの先輩に片思いをするような感じだ。一緒にいれば、ほんとうにいろんな事を学ぶことができる。でも私がどんなに愛しても、先輩は決して心を開いてはくれない。好きで好きでたまらないけど思いは届かない。それにそんな気難しい先輩は理屈ばっかり言って一緒にいてもあまり楽しくなかった。だからちょっとだけ嫌いにもなった。でもやっぱり嫌いになりきれない。 今でも好き。そんな存在だ。またいつか行きたい。

そんなことを大好きなエリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー式典を見ながら思った。おめでとうございます。女王様、どうかいつまでもお元気で。

追記:ありゃーJubilee Concert、翌日にABCでフルで放送したのね。ほとんど見逃してしまったわ。