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『The Crown』(2016-2023) TV Series – Season 6 Volume 1.
/英/Netflix/カラー/約58分
Creators: Peter Morgan
Season 6 Volume 1 (Episode 51, 52, 53, 54)
US Release Date: November 16, 2023
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このドラマはリリース初年の2016年から見始めた。毎年楽しみに鑑賞を続けてきた。シーズン1、シーズン2と見ながらもつい感想を書きそびれたので(いつものことだが思い入れのありすぎる作品は感想が難しい)、「それなら全部が終わってから書けばいいか」と個々のシーズンの感想を書くのは諦めた。全シーズンをコンプリートしてからにしようと思っていた。
さて今シーズン6は、エリザベスII世と英国の王家を描いたこの大河ドラマシリーズの最終章。いよいよ私がロンドンに住んでいた頃の話となった。当時の空気はよく覚えているのでドラマへの興味はますます募る。先日サンクスギビングの夜にシーズン6がリリースされたことを知り夫婦で鑑賞開始。そのまま週末に現在リリースされているVolume 1 (第51, 52, 53, 54話) を見終わった。
感無量。これは何か書いておきたいと思った。当時メディアで見ていた王室の話が、そのまま再現ドラマになっている。もちろん脚本家Peter Morgan氏による創作も多いのだろうけれど、それにしてもなんと上手いドラマの作り方だろうかと驚いた。
シーズン6のVolume 1とは、先にリリースされたシーズン6の前半の4話。ダイアナ元妃の事故の前の2か月とその後を描いたもの。来月12月には第5話から最終話までがリリースされる予定になっている。
感想を書く前にまず私のスタンスを書いておこう。私はダイアナ元妃のファンではない。それからダイアナ元妃に関するゴシップにもそれほど興味を持っていたわけでもない。現チャールズ国王をことさら咎める気持ちもない。重要なのは英国の王室の歴史と伝統と遺産。そしてそれを守り続けてきたエリザベス女王は尊敬している。
1997年に、ダイアナ元妃と当時恋人とされたドディ・アルファイド氏が共に亡くなった自動車事故は、時代を動かすほどの大事件だった。英国国民のみならず世界中が大きなショックを受けた。特に当時を知る者にとってあの事件は、皆それぞれに独自の記憶や思い入れがあるほどの大きな事件。だからこそドラマ化することは難しいはず。全ての視聴者を納得させるのはほぼ無理だろう。だからこの『The Crown』シリーズが、あの事件をどのように脚色しドラマ化するかには特に興味があった。いったいあの「事件」をどのように作れば人々からの批判や非難を最小限に抑えることができるのか?と心配した。
しかしドラマを見てその心配はなくなった。ストーリーテリングの巧みさに感嘆する。さすが英国。なんという知性。このドラマのプロダクションのチームとPeter Morgan氏に敬意を表したい。この事件のドラマ化では、今後これ以上のものはほぼ望めないだろうと私は思った。
★ネタバレ注意
これだけショッキングで大きな事件、またその事件が非常にセンシティブな内容であるにも関わらず、ドラマの制作チームが、感情に飲まれ過ぎることなく、センセーショナリズムに走ることもなく節度を保ち、登場人物達へ最大の敬意を持って作品化に望んだ様子が伺えた…まずそのことに驚いた。(フィクションが多いであろうアルファイド親子の描写には疑問が残らないでもないけれど)それでも父モハメド氏の…王室からの拒絶に嘆くシーンでは彼の苦悩を描き、また息子を失った父親の哀しみも十分に描いていると私は受け取った。
さすが英国人が脚本を書いて、英国人の制作チームが作ったドラマ。英国人の愛する英国王室の話を、王室に対する敬意と共に、(特に)英国の国民に向けて、出来る限り誰も非難せず、最大の思慮深さと配慮を持ってこの「事件」を丁寧に再構築したこのドラマの質に感嘆する。なかなかできることではない。
1997年当時、ダイアナ元妃は人気の絶頂。その状況は…彼女がただの人気者だという以上に、とにかく全メディアを巻き込んで毎日英国中を「お騒がせ」し続けるというもの。彼女は文字通り「時の人」。時を騒がせていた人。
ダイアナ元妃は、ティーンの頃からフェアリーテイルのプリンセスとしてメディアに登場。20歳で王室に嫁ぐ。綺麗でスタイルもいいからファッション・アイコンになるのも自然なこと。そのプリンセスはすぐに絵にかいたように若く美しい母親になる。それにもかかわらず数年後に彼女の結婚は破綻。夫に一方的に裏切られた被害者の妻…かと思えば御本人もちゃっかり恋人を作っていた噂。メディアに煽られて夫婦ともに世間をひっくり返すほどの大騒動。晴れて離婚が成立(未来の国王の離婚そのものが大変な事件)。その後、彼女は自らのスター・パワーを使ってエイズ問題や地雷除去問題など慈善活動への取り組みを本格化。彼女が動けば世の中が動くように思えた。そしてイスラム教徒の恋人(英国にとってはいわくつきの大富豪の息子)との夏のバカンス。保守派は眉をひそめたが、メディアは我も我もとスクープ記事を掲載。それを英国国民全員が日々うんざりしながらも飽きずに消費する。当時ダイアナ元妃の顔が英国のメディアに登場しない日はなかった。そんな時に事故は起こった。
世の中が止まった。
そのような「事件」をドラマ化するのがどれほど大変なことかは想像を絶する。このドラマ化の成功の理由は…全ては制作側の知性。描く対象に対する揺らぐことのない敬意だろう。
主な登場人物は、ダイアナ元妃、ドディ・アルファイド氏とその父・モハメド・アルファイド氏、そして当時のチャールズ皇太子、二人の王子達、エリザベス女王、エディンバラ公フィリップ王配を始めとする王家の人々。
Volume 1・最初の3話は、王室を出てなお人気爆発中のお騒がせダイアナ元妃とドディ・アルファイド氏との関係。ドディ氏の後ろには父親のモハメド氏。彼は英国上流階級への野心を持つ大富豪で、息子を野心達成の駒に使おうとしていた。そして起こった交通事故。二人は死去。その事故の様子はこのドラマでは一切描かれない。
第4話で描かれるのはその後の王家の人々の様子。事故がどのように王室を動かしたのか。…皇太子と離婚し王室にとっては「外」の存在となったダイアナ元妃の死を、女王と王家のシニアのメンバーは「外」の事件として扱おうとする…それは王室の規範であった。また当時王家はスコットランドで夏の休暇中。王室は沈黙した。 しかし彼らの冷たい姿勢に国民の怒りが爆発。新聞は「Show us you care, Ma’am/国民にお心を見せてください女王様」を見出しに打つ。人々もメディアも王家に抗議し始める。その様子を見て女王は(ドラマでは)「革命のようだ」と嘆く。
それに対し(王室の若い世代の)チャールズ皇太子が「王室の変化の必要性」を女王に迫る「もう今までのように王家をプライベートな存在にはできない」。チャールズ皇太子の台詞「ダイアナは人々が必要とするものを国民に与えていた。彼女は、どんなに美しく特権をもつ存在であっても痛みや哀しみは皆と同じだと証明した。人々はだからこそ彼女を愛した」「王室はもっと国民の気持ちに寄り添わなければならない」と皇太子は母親に説く。その後王家の人々はロンドンへ帰り、女王はTV放送で国民に向かい「ダイアナに個人として哀悼の意を捧げる」とスピーチする。王室が国民の要求に対して折れた瞬間だった。
第4話に出てくるダイアナ元妃とドディ氏の姿は多くの視聴者を困惑させるのではないかと思うが、脚本家の意図は、おそらく(二人に会う)人々の心の中の自問自答、それにより彼らが自らを癒し、答えを導き出す様子を具体化させたものだろうと私は受け取った。ドディ氏の父親も、チャールズ皇太子も、女王も、皆それぞれが思いを巡らす様子を描いたのだろう。巧みな脚本だと思う。
ダイアナ元妃は女王に「王室の規範を超えて国民に個人としての心を示す」ことを囁く。「誰もが覚えている限り、あなたは国民に英国人であることの意味を教えてくださった。たぶんあなたも(新しいことを)学ぶつもりだと示す時がきたのかもしれません」これは女王が自問した言葉だと読むこともできる。
チャールズ皇太子はダイアナ元妃に向かい「後悔している」と涙を流す。ダイアナ元妃は「(あなたの涙を)受け取って持っていくわ」と告げる。二人は和解する。
ドディ氏の父親モハメド・アルファイド氏は、息子に向かい「君はパーフェクトな息子だ」と告げる。息子ドディ氏は「もう西洋に憧れ過ぎるのはやめたほうがいい」と父親の野心を窘める。
そのように皆それぞれが(亡くなった者の助けにより)自ら答えに至る様子が描かれる。創作による脚色だが、脚本家が心を砕いて脚色をしていることが伺える。これほどセンシティブな内容で…もし語り口を間違えば(今まで5シーズンも継続して高いクオリティを保ってきた)この王家の大河ドラマを台無しにさえしかねない…大変難しいプロジェクトだったと思うが、この制作チームは見事に人々の心に迫るドラマを作り上げたと私は思う。
(前述のように)実際の事件のインパクトがあまりにも大きかったからだろう、このドラマに対する意見は様々なようだ。プロの批評家のスコアを集めたRotten TomatoesこのSeason 6, Volume 1の平均スコアはなんと55/100点。なんと厳しい。
興味があっていくつか読んでみたけれど、理由は様々
・ダイアナ元妃の再現ドラマになり過ぎている
・全てがメロドラマ風
・人の哀しみを題材にシーンを撮る不謹慎さ
・創作された台詞だけで難しい話を構築する趣味の悪さ
・王室メンバーを良く描きすぎ
・事実から棘を抜いて綺麗な話に脚色しすぎている
・幽霊の演出が安っぽく馬鹿馬鹿しい
・アルファイド氏の野心に必要以上に焦点が当てられている
・事実から棘を抜いて綺麗な話に脚色しすぎている
・幽霊の演出が安っぽく馬鹿馬鹿しい
・アルファイド氏の野心に必要以上に焦点が当てられている
・人種差別的である
など他にもあったか…
要はあの「事件」は皆それぞれ思い入れのある題材なので、それぞれが「これは違う」「これは悪趣味」「これは不謹慎だ」と文句を言っている様子。それだけ難しい題材だったということだろう。
現在の英国は…、去年エリザベス女王が崩御され皇太子はチャールズIII世として国王となられた。彼の側にはカミラ王妃。彼女も国民に受け入れられている。ウィリアム皇太子には子供達もいて未来へ王家が続いていくことも明らか。ヘンリー王子は少しお騒がせのようだが、今のところ英国王室の土台が揺らぐことはなさそうだ。
そんな今になって、またあの「大事件」を呼び覚ます危険性。それは誰もが心配したはずだ。しかしこの制作チームは不必要に寝た子を起こすことなく、思慮深い脚本で登場人物達への敬意、また現在の王室への配慮も忘れることなく、驚くほど巧みなキャスティング、心に迫るそれぞれの俳優達の演技、美しく効果的な演出で、あのセンシティブな「事件」のドラマ化を成功させた(たとえそれがセンチメンタルなメロドラマ風であったとしても)。あくまでも私の個人的な意見だけれど、あの事件のドラマ化としてこれ以上のものはほぼ不可能だろうと思うほどの成功だと思う。
当時の思い出を書いておこう。1997年の8月31日のその日、私はドイツのミュンヘンにいた。30日にロンドンを発ちミュンヘンに着いて1泊し翌朝テレビでそのニュースを知った。翌1日にドイツの南東Berchtesgadenに移動。それから2週間かけてドイツ南部を車で旅した。英国に帰ってきたのは14日。そんなわけで(上では知ったようなことを書いているが)あの時私はロンドンにはいなかった。
ニュースは毎夜テレビで追った。ドイツ各地を回った旅だったので泊ったホテルによってはドイツ語のニュースしかなく閉口した。当時はスマホもタブレットも無く情報はテレビか新聞。それでもかなりの情報は見ることはできたのだろうと思う。当時のメディアの記事を今でも覚えているのは、ドイツ国内を観光で回りながらも毎夜ニュースを見て、度々英字新聞を買って読んでいたからだろう。イギリスの人々の王室に対する不満も聞こえてきたし「Show us you care, Ma’am」のヘッドラインもどこかで見た。そして6日の葬儀はMittenwaldのホテルのテレビで見た。
14日にロンドンに帰ってきて、翌日15日には一人でケンジントン宮殿に様子を見に出かけた。野次馬だ。葬儀は9日前の9月6日だったにもかかわらず、宮殿のフェンスの中にはまだ枯れて集められた大量の花束が山になって積まれているのに驚いた。遠い昔の記憶だ。
など他にもあったか…
要はあの「事件」は皆それぞれ思い入れのある題材なので、それぞれが「これは違う」「これは悪趣味」「これは不謹慎だ」と文句を言っている様子。それだけ難しい題材だったということだろう。
現在の英国は…、去年エリザベス女王が崩御され皇太子はチャールズIII世として国王となられた。彼の側にはカミラ王妃。彼女も国民に受け入れられている。ウィリアム皇太子には子供達もいて未来へ王家が続いていくことも明らか。ヘンリー王子は少しお騒がせのようだが、今のところ英国王室の土台が揺らぐことはなさそうだ。
そんな今になって、またあの「大事件」を呼び覚ます危険性。それは誰もが心配したはずだ。しかしこの制作チームは不必要に寝た子を起こすことなく、思慮深い脚本で登場人物達への敬意、また現在の王室への配慮も忘れることなく、驚くほど巧みなキャスティング、心に迫るそれぞれの俳優達の演技、美しく効果的な演出で、あのセンシティブな「事件」のドラマ化を成功させた(たとえそれがセンチメンタルなメロドラマ風であったとしても)。あくまでも私の個人的な意見だけれど、あの事件のドラマ化としてこれ以上のものはほぼ不可能だろうと思うほどの成功だと思う。
当時の思い出を書いておこう。1997年の8月31日のその日、私はドイツのミュンヘンにいた。30日にロンドンを発ちミュンヘンに着いて1泊し翌朝テレビでそのニュースを知った。翌1日にドイツの南東Berchtesgadenに移動。それから2週間かけてドイツ南部を車で旅した。英国に帰ってきたのは14日。そんなわけで(上では知ったようなことを書いているが)あの時私はロンドンにはいなかった。
ニュースは毎夜テレビで追った。ドイツ各地を回った旅だったので泊ったホテルによってはドイツ語のニュースしかなく閉口した。当時はスマホもタブレットも無く情報はテレビか新聞。それでもかなりの情報は見ることはできたのだろうと思う。当時のメディアの記事を今でも覚えているのは、ドイツ国内を観光で回りながらも毎夜ニュースを見て、度々英字新聞を買って読んでいたからだろう。イギリスの人々の王室に対する不満も聞こえてきたし「Show us you care, Ma’am」のヘッドラインもどこかで見た。そして6日の葬儀はMittenwaldのホテルのテレビで見た。
14日にロンドンに帰ってきて、翌日15日には一人でケンジントン宮殿に様子を見に出かけた。野次馬だ。葬儀は9日前の9月6日だったにもかかわらず、宮殿のフェンスの中にはまだ枯れて集められた大量の花束が山になって積まれているのに驚いた。遠い昔の記憶だ。