穏やかな日常を描く。静かな中にも沢山の情報が描かれてます。まるで凝った模様の編み物のよう。
今回の目玉は実朝のカミングアウト。なんと…全然わからなかった。そうか~そうなのか…。なーんと千世さんとの結婚に悩んでいたのもそういうことなのか。
全く気がつかなかった。え~…じゃあ歩き巫女に「悩むのはお前だけではない」というのもその話だったのか。なるほど~。私はてっきり実朝は真面目で繊細で思いつめるタイプだから、幼くして鎌倉殿になったことや結婚の相手も自分で決められない…などなど自分の立場が不自由だとか自分のアイデンティティが不安定だとか…若者らしく悩みも多いのだろうとばかり思っていた。
今回それがはっきりわかった場面は弓の技比べ。鶴丸あらため平盛綱が上手に的を射て泰時と抱き合って喜ぶ…その二人を見て顔を曇らせる実朝。あ、そうか、嫉妬してる…。そして実朝は鶴丸を御家人にはさせぬと言う。義時に脅されて結局許すことになったけれど、実朝は泰時と鶴丸/盛綱の仲の良さに嫉妬してましたね。 そうか…。
そして実朝は泰時に「返歌ちょうだい。楽しみにしてる」と歌を渡していた。その内容は恋の歌。
「春霞 たつたの山のさくら花 おぼつかなきを 知る人のなさ」
(病み上がりでやつれて会いたくないけど会いたいな~❤)源仲章訳
その歌の意味を源仲章から教わった泰時。
実朝に、これは恋の歌ですよ、間違ってませんかと歌を返す。
そして実朝「ああ間違ってたね」と出した歌が
「大海の 磯もとどろに寄する浪 破(わ)れて砕けて 裂けて散るかも」
(私の心はわれて、砕けて、裂けて散ってしまった)
と失恋宣言。
この場面の柿澤勇人さんの繊細な表情が素晴らしい。
…そうか、そういうことなのか。そういうことなら尚のこと泰時の坂口健太郎さんの配役が素晴らしいですね。坂口さんは綺麗なお方ですもん。肌がすべすべ色が白くて清潔感溢れる…背が高くて手足が長く全体のバランスがとれていて、そんな美しい泰時に実朝が恋心を抱くのは理解できる。実朝は芸術系の人。美しいもの、美しい人が好きなのだろう。泰時は心もまっすぐで綺麗な人。なるほどだわ。
そして泰時も実朝のことをどうにもしてあげられないから悩んでいる。お酒を呑んでた。
そしてもっと悲しいのは奥さんの千世さん。彼女は優しい人。彼女は実朝の全てを受け入れるのか。実朝の信頼できるパートナーとして、女のベストフレンドとして生きるのか。彼女も辛いね。せめて添い寝だけでも。寒い冬ならハグして眠ってもいいじゃないか。ぬくぬくすればいいのに。実朝も女性を触るのも嫌なほど嫌いなわけじゃないだろう。
それにしても役者さん達もうまい。実朝の柿澤勇人さんの表情が素晴らしくて見ているこちらも切なくなる。みんないい。実朝は他に誰か見つからないのかね。泰時ほど美しい人はなかなかいないから難しいか。それに千世さんが辛いな。難しいですね。
●義時と和田関連
・八田知家(市原隼人)が政子(小池栄子)に御家人達の北条への不満を伝える。
・それを政子 が義時(小栗旬)に伝える
・和田義盛(横田栄司)が実朝(柿澤勇人)に上総の国司を直接リクエスト。それに答えようとする実朝。政子がそれを咎める。和田が義時に「鎌倉殿は上総守を約束してくれた」と言えば義時はそれを制する。「雨林もやめろ」と。
・和田義盛が義時に不満を持つ。
・義時と大江広元(栗原英雄)はすでに次の粛清ターゲットの話をしている。そのターゲットは和田義盛。理由は和田が御家人たちに人気だから「そしていずれはいなくなる」
・和田には三浦義村(山本耕史)がついている。
・義時「守護は2年ごとに改める」…御家人達の力を削ぐ目的。
・三浦義村も義時に不満を持つ。
・義時が実朝に凄む。「私のやることに口を挟むな。鎌倉殿は見守ってくれればいい」義時独裁か。
・義時への不満を募らせる和田と三浦が話し合う。「痛い目にあわせてやろう」
承元2年(1208)年 春 義時とのえ(菊地凛子)の間に子供が。
承元2年(1208年)2月 実朝疱瘡を患う。回復まで2か月かかった重症。
あいかわらず実朝には政治の決定権がない
実朝は千世(加藤小夏)と話すよりも和田義盛と話すほうが嬉しいらしい。
源仲章(生田斗真)が京からやってきた。
承元3年(1209年)7月5日、実朝が和歌30首の評を京の藤原定家に請う。
三善康信(小林隆)が落ち込むのを実朝が労わる。
八田知家は家具も作れる。やっぱりガテン系だ。
汗だく熱い男 八田知家 |
義時と比奈の息子は北条朝時(西本たける)次男。朝時は御所の女房に手を出した。朝時は父義時が大き過ぎて気おくれしているらしい。
義時 泰時(坂口健太郎)に伊豆にお土産を持っていけと言う。まだ時政と繋がっている?
鶴丸が平盛綱(きづき)に 承元3年(1209年)11月14日頃か。
北条時房(瀬戸康史)はバランスのとれたいい人。実朝に兄頼家の孤独を話し実朝を気遣う。
承元4年(1210年)正月14日 北条時房 は武蔵守となる
つつじと善哉(高平凛人)が鎌倉殿へあいさつ。