世相と大河ドラマ
この大河「秀吉」の年1996年は平成8年なのだが、このドラマ、今見てみると話がベタベタの昭和の人情物で驚く。(今の若い人ならあきれてしまうのだろう)昭和の人情物にありがちな臭いせりふ、設定だらけだ。だが毎回毎回、非常に面白い。熱いのだ。どの回にも見せ場があって、DVDを見ていると次も次もと止められなくなってしまう。
原作は堺屋太一さん。1935年、昭和10年生まれ。戦前戦後に子供時代を過ごし後の日本の復興の真っ只中にいた世代だ。60年代を官僚として過ごし、その後作家、政治家、学者、博覧会のプロデューサーまで多彩な経歴をお持ちだ。昭和の激動の時代を第一線で生きてこられた方だ。戦国も激動の時代。もしかしたら原作者がそのようないろんな経験をされた戦前生まれの方だから、この戦国時代の話もこんなに面白いのではないだろうか。
戦国の時代の生きる難しさや辛さ。上司には絶対に歯向かえない厳しい上下関係、ひとつ間違えば命は無い。もとより命はあって無いようなものだ。女性の扱いも荒い。皆いつも死と隣りあわせだ。だが、そんな厳しい状況だからこそ、人物達が生き生きと輝く。こういう荒々しくも情熱的な熱いドラマが書ける人は、平成の今、もういないのかもしれないといったら言い過ぎだろうか。
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個人的な意見で申し訳ないが、去年の「江」には何一つ心に残る回が無かった。人物と人物の繋がりも薄い。ドラマが薄い。全てさらさらと流れるように話が進んだ。この「秀吉」と「江」、同じ時代を扱った話だとは思えない。
時代考証がどうこうと言う以前に、近年の大河ドラマでの場面、例えば小娘が、人を何百人と殺してきた戦国武将(時の権力者)を「猿、猿」と呼び捨てにし何度もくってかかる描写(江)、戦国武将の嫁が「戦はイヤじゃ」と事あるごとに泣き叫ぶ描写(功名が辻)、戦国大名上杉氏の家老が自宅で赤ちゃんのおむつを換えている描写(天地人)など、世間がこういうものを歴史時代劇として受け入れてしまえるのなら、もう時代が変わったんだろうなとしか言いようがない。
ドラマは、それが作られた時代(または作者の生きた時代)を反映する。この「秀吉」は昭和の原作者に描かれたもの。同じ戦国時代が、平成の若い脚本家の手にかかると違ってくるのも当然のことなのかもしれない。「江」や「大地人」のような時代劇にもそれ相応のファンがいるということは、つまりは現代が非常に穏やかな時代だということなのだろうと思う。たった16年前の大河ドラマ、こんなに違うということは、それだけ日本がこの16年で変わってしまったということなのか。
しかし、これでいいのだろうか。過去の時代を舞台とし、実在した人物を描いた歴史物語であるのに、その時代のルールや決まりごと、タブー、常識を完全に無視し、国営放送が製作する歴史ドラマとして、女性の痴話言をだらだらと一年間も放送して本当にいいのだろうか。大河ドラマとはそういう枠組みのドラマだったのだろうか。
今でもこういう内容で視聴率を取れるのかどうか、検討の余地はあると思うがどうだろう。それともこのような熱い面白い話は過去の遺産として楽しむしかないのだろうか。いずれにしても、これからの大河ドラマ、どうなっていくのか楽しみにしている。■