能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年1月29日日曜日

いまさらの『ラストサムライ』論 - 4


この映画の監督エド・ズウィックは過去に黒澤明に傾倒し、日本の歴史を学び、その中でとりわけ西郷隆盛に感銘を受けたと言っている。ドラマの脚本、監督、プロデュース等を手がけた後、映画監督として活躍するようになるのだが、その頃から、この西郷隆盛と西南戦争を題材にした作品を作りたいとずっと企画を暖めてきたのだという。
 
要は、このラストサムライ、監督本人自ら過去に日本史を学び、そこから武士道の哲学も学び、それに感銘してくれたからこそできた映画なのだ。一般の西洋人が日本人や日本の歴史に興味を持つことはほとんどない。トムクルーズが単なる話し手として登場するのも、ズウィック本人が、アメリカをはじめとする世界の観客に、彼の大好きな日本の侍文化を紹介したかったからなのだ。ズウィックがたまたま日本史好きで、たまたま優秀な映画監督だったから140億円もかけてこんな大作を、ありえないくらいの愛情をこめて作ってくれたわけで、このような偶然はなかなかあるものではない。いやむしろ奇跡だと言ってもいい。もうこんな映画は二度と作られないだろうと思う。そんな稀有な偶然の結果から生まれたこの映画に私はまず感謝したいと思う。

西洋でもおおむね高く評価されている。封切からもう10年近くたっているのに、IMDB(映画データベースサイト)では、10点評価で7.7点。なかなかの高得点だ。同じジャンルの歴史大河でグラディエーターが8.4点、ラストエンペラーが7.8点、キングダムオブヘブンが7.1点などを見ても、このジャンルのものとして大変高く評価されているのが分かる。トムクルーズの人気に負うところも多いだろうが、何よりも魅力的な悲劇のラストサムライ達への賞賛が高得点の理由だろうと思う。

イギリスでの評判もよく、映画館の客席は何度行ってもよく埋まっていた。とくにマイノリティと言われるアジア人や黒人、中近東人をよく見かけた。しばらくたってから郊外でタクシーに乗ったら、運転手さんが、ラストサムライに感銘して日本史の本を読んでいると話してくれたこともあった。いい思い出だ。封切られた週には、イギリスで一番の新聞 Times誌の日曜版にも長文のレビューが載っていた。ただ評価は中ぐらいだったのだが、批評家が「19世紀の日本を現在のアフガニスタン、明治政府を彼の地の新政府、勝元の一族をタリバン、トムクルーズを当時タリバンに入隊して捕まったアメリカ出身の白人の男性」だと例えたときには、さすがに頭を抱えてしまった。

ともかく話は長くなったが、この映画のおかげでで私の娯楽の幅もずいぶん広がった。それまで、時代劇など見向きもしなかったのに、この映画の後から、憑かれたように時代劇を捜し求め、日本史の資料、小説なども読み漁った。2005年から2年間一時帰国をしたときにも出来る限り歴史物を見るようにした。そして日本では歴史物は映画よりもやっぱり大河ドラマが一番かなとも思うようになった。過去の大河ドラマのDVDまで買って見たりした。まだまだ見ていないものも多い。これからも楽しみは無限にある。それにしてもイギリスに10年住んでまさかこんなに日本史ファン時代劇ファンになるとは思わなかった。人生は分からないものである。■


いまさらの『ラストサムライ』論 - 1
いまさらの『ラストサムライ』論 - 2
いまさらの『ラストサムライ』論 - 3
いまさらの『ラストサムライ』論 - 4



2012年1月26日木曜日

いまさらの『ラストサムライ』論 - 3


この映画の日本人「ラストサムライ」勝元とその一族は、大変に誇りたかく威厳に満ちた姿で描かれている。勝元達が(西洋が近代化で失った)清廉さ、誠実さ、高潔さ、気高さなどの古き良き時代の大変美しい象徴のような存在で描かれているのに対して、近代化西洋化を推し進める大村、バグリー大佐は悪として描かれている。その中間にトムクルーズ。元々悪のサイドから雇われてやってきて勝元(善)サイドの捕虜になり、村で暮らすうちに、そのサムライ一族の美しい生き方に魅了されていく。最後は勝元の側で戦争に参加し、奇跡的に生き残り、最後の生き証人として「ラストサムライ達」の哲学を天皇(日本人)に伝えるという役回りだ。トムクルーズは結局伝達者でしかない。この映画の英雄は、勝元率いるラストサムライ達であることは言うまでも無い。

端的に言って、これほど日本人の自尊心をくすぐる話もないだろう。勝元のサイドはただただ完全なる善として描かれ一切のよどみが存在しない。現代の日本人は近代化の結果こうなったわけで事実上は大村側なのだが、映画を見ている間はみんな勝元率いるラストサムライ達の側に立つ。私ももちろん勝元側に入れ込んで映画を見た。いろいろと妙な映画であることは間違いないが、これまでの映画史上、これほど日本人が外国人に真正面から褒められたこともないだろうと思う。私も多くの日本人もそれにころっと参ってしまった。いい気持ちだもの。

個人的な意見だが、こういう映画は日本人にはまず作れないだろうと思う。それは国内の内戦をこれほど明確な善悪で分けることは不可能であること、それにどう間違っても封建制度がユートピアで近代化は悪などという設定は、現代の日本人には考えられないからだ。美しい武士道とは言っても、それを支えていたのは窮屈は身分制度だったことを私達は常識レベルで知っている。それに近代化を進める大村を悪に仕立てることは間接的に明治時代以降の日本を否定することになりかねない。この映画の監督が外国人であるからこそそんな現実をばっさりと切り捨て、悲劇的な滅びゆく英雄として絶対的な善のラストサムライを作り上げることができたのだ。そんなことは私達日本人にはできないだろう。だからこの映画はエンターテイメントとして非常に面白いのだ。


いまさらの『ラストサムライ』論 - 1
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いまさらの『ラストサムライ』論 - 3
いまさらの『ラストサムライ』論 - 4



2012年1月25日水曜日

いまさらの『ラストサムライ』論 - 2


日本人から見たこの映画の評価はおおまかに2つに分かれる。(ここで使う「外人」はそのまま多少の侮蔑的排他的な意味を含んだものです)
 
1.       外人なのに、こんなにすごい、すばらしい時代劇映画を作った。
2.       やっぱり外人だから、こんなに変な時代劇映画を作った。

いずれにしても、おかしいくらいに日本人のプライドを大変刺激される映画だということだ。それに実はこの両方の意見、ともにこの映画に対する評価として正論だったりもする。
~∞~
まず第一にこの映画、時代設定はともかく、見かけ上は戦国時代。これが言葉を無くすほどかっこいい。最初の森での戦いで、青い霧に包まれた木立の中、法螺貝が鳴り響き、そこからスローモーションで馬上の武士の兜の影が浮かび上がるとそれはそれは怖い。あの時点で観客はトムクルーズに感情移入しているので、霧の向こうに浮かび上がるのは得体の知れない魔物の群集だ。そのあと一気に速度が速くなって、周り中を馬上の侍達に取り囲まれおろおろしている間に、バタバタっとすべてが終わってしまう。最後まで緊張の頂点のままトムクルーズは捉えられる。そこへ、ケンワタナベがのしのしと出てくる。ものすごい迫力だ。

これが、ハリウッド流アクション映画のスピード感か。こんな見せかたをされると、いやがおうにも感情をゆさぶられてしまう。映画としてほんとに上手いなと思う。アクション場面の見せ場がものすごく華やか。それと対比するような静かな山村の場面は、厳かで細やかで大変美しい。善と悪の分かりやすいストーリー。そうやって、2時間、中だるみすることなく一気に見せてくれる。


「外人なのに、こんなにすごい時代劇映画を作った。こんなにかっこいいなんて。こんな見せかたができるなんて…」
凄腕の監督が140億円もかけて最高のスタッフで見せてくれたハリウッド流の映画の作り方。俳優達は日本人。材料は日本人が何十年と誇りをかけてやってきた時代劇。こんなに違うのか…。これが、私を含めた多くの日本人を仰天させた本当の理由だろうと思う。
 
~∞~
低評価の「やっぱり外人だから、こんなに変な侍映画を作った」という意見も至極まっとうなものだ。日本史に詳しくない私でさえ「それはないだろう」という、時代考証もめちゃくちゃな場面があったりする。少しでも歴史に詳しい人達からみればおかしな場面はいくらでもあるのだろう。
ただ、この映画は過去の時代を舞台としたファンタジーで、それがたまたま日本であっただけで歴史劇ではない。所詮アメリカ人が作った日本を素材にした娯楽映画だ。素材が近代日本史であったために、また映像自体にも妙なリアリティがあるために史実だと勘違いをしてしまいそうだが、日本側に専属の時代考証スタッフ、製作スタッフを求めていないことから見ても、この映画を史実として作ろうとしていたとは考えられない。むしろリサーチのみによって(架空とはいえ)ここまで昔の日本を作り上げられるハリウッドの製作陣の底力にはさすがとしか言いようが無い。これはハリウッドが出来る限りの努力をしてそれらしく作り上げた似非の歴史リアリズムだ。だからそんな映画を、日本人が重箱の隅をつつくように史実と違うなどと非難するのも妙な話だ。
 
~∞~
結果的にこの映画は、いろんな意味で日本の時代劇作りを変えたと思う。まず日本の時代劇の製作者にとってはいい刺激になっただろうと思う。もとより140億円も制作費にかけるようなハリウッド流をそのまま真似することは出来ないが、それでもカメラワークや演出など学べるところはたくさんあったはずだ。まず負けん気の強い製作者なら「時代劇は日本人のもの。外人などに負けてはいられない」と一念発起してもおかしくはない。いやそうであってほしいと思う。そんな結果のひとつが最近の「風林火山」「龍馬伝」、今年の「平清盛」などの、リアルさを追及した一連の大河ドラマだろうと思う。その影響力は私達が思う以上に大きかったのではないだろうか。


いまさらの『ラストサムライ』論 - 1
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いまさらの『ラストサムライ』論 - 4



2012年1月24日火曜日

いまさらの『ラストサムライ』論 - 1





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The Last Samurai 2003年)/米/カラー/154分/
 監督・脚本・製作; Edward Zwick
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この映画の封切られた2003年当時、私はイギリスのロンドンに住んでいた。95年からの移住だったので、その年で8年目になる。最初の5年間の(右も左も)楽しい日々が終わり、西洋での生活の厳しい現実が見えてきた頃で、当時大変なホームシックにかかっていた。

その頃まで、歴史といえば西洋史にしか興味が無かった。子供の頃には西洋の童話が身近にあったもので、そんな西洋の王様やお姫様に対する憧れはいつしか西洋史への興味へと繋がった。イギリスに移り住んだときも、ここぞとばかりに英国史、西洋史の本を買いあさり、ロンドンでは日々博物館や美術館に通っては悦に入っていた。


ところが、外国に住んでしばらく時間がたつと、いろいろなことが見えてくるようになる。自分のその国での立ち位置も少しずつ分かってくる。馬鹿みたいな話だが「私は日本人であり、アジア人であり、決して西洋人ではない」ことにもやっと気づくようになる。それくらい平和な島国日本で育った西洋かぶれな私は無知だった。「人類皆兄弟」なんて理想に燃えてはいても、そんな自分のアイデンティティは他人に決められてしまう。私はどんなに英語を学んでもアジア人の外国人でしかない。彼ら(他人)にとっては、私が「日本人」かどうかさえどうでもいいことだ。そんなことに気づくのに5年近くもかかってしまった。いろんなことに自信も無くしかけていた。ちょっと悲しかった頃だ。
 
映画「ラストサムライ」を見たのもそんな頃だった。内容は後から書こうと思うが、とにかく頭をガーンと殴られたように痺れた。わっかっこいい。もう一回。うぁカッコイイ。またもう一回。そんなふうに映画館に5回も通ってしまった。ツッコミどころ満載というのも十分に分かっていたが、それでも若い中村七之助明治天皇の「We should not forget who we are or where we come from.  我々が何者でどこから来たのか決して忘れてはいけない」には、馬鹿みたいに毎回はらはらと涙した。これには参った。

当然日本での評判も気になる。ネットで調べてみると驚いたことに、当時日本でもこの映画は大変話題になっていた。殆どが大変な高評価。それに低評価な人々でさえやたらとムキになってこの映画をこき下ろすための理由を並べ立てたりしている。ともかく、日本人全体にいろんな意味でショックを与えたのは間違いないのだろう。


いまさらの『ラストサムライ』論 - 1
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いまさらの『ラストサムライ』論 - 4


2012年1月23日月曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第3回「源平の御曹司」

さっそく面白くなってきた。この松山ケンイチという俳優、おもしろいなぁー。この人の顔を見ているだけで45分あっという間に過ぎてしまう。

いつも三白眼の大友克洋のマンガみたいな顔。いつもガウガウ言って、気に入らないとすぐにふてくされ、パパに叱られると口をへの字にして大粒の涙をこぼし、びっくりすると黒目が左右に小刻みに動いてうろたえる。まるでハナタレ小僧のガキ大将のようだ…と思ったら、この清盛14歳だそうだ。またガウガウ言って、気まずくなるとバタバタドタドタとガニマタで走り去る。びっくりした時の、「え?」のタイミングが下手なコントよりずっとおかしい。ほんとにおかしい。まるで一場面一場面がギャグマンガのようだ。

この大河はこの面白い俳優さんを見てるだけで一年が終わってしまうかもしれない。上手いんだと思う。なるほど14歳の「将来の大物」ならこんな感じの設定でもいいのかもしれない。これから大物「平清盛」に化けるのだとすればこれは楽しみだ。

平家の歴史は全く知らないのだが、このまま面白く続いていくのなら何か読んでみようかな。いろいろと巷では視聴率が云々などと少し心配だけれど、NHKさんにはこの調子で思いっきり突っ走ってほしい。

この松山ケンイチさん、一度対談か何かでTVで見たけれど、素顔もなんだかもっさりとしていて、いまどきの若い俳優さん達の中では際立って男(の子)っぽく、どこか予測不可能な荒々しい感じもあってなかなかいいと思う。役柄への取り組みも毎回体当たりらしいし、東北訛りも「東京に負けない」ためにも治すつもりはないと言ったそうで、こういう癖のある俳優さんはますます楽しみだ。その素顔の感じが、どこか故松田優作さんを思い出させるので、ネットで二人の名前を検索したら、なんと本人がファンなのだそうだ。松田さんには過去の映画で強烈な印象があるのだが、松山さんにも松田さんと同じような荒削りな男臭さを感じる。こういう人は将来化けるかもしれぬ。これは楽しみな俳優さんだ。

2012年1月19日木曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」初回「ふたりの父」


録画しておいた「平清盛」の初回を見た。いい感じですね。最初の人間の登場が砂にまみれたふんどし姿のお尻群ですもの。笑

最近の大河は、女性向けのドラマと、映像リアリズムドラマと交互にやっているのだろうか。去年は甘すぎて好みに合わなくて頭を抱えたが、今年はまた適度な歴史リアリズムでやってくれるらしい。

白塗り眉なしの宮廷の人々、汚れだらけ血だらけしみだらけの武士に盗賊、煙ったような光、暗い室内…。2年前の「龍馬伝」の時も、映像のリアリズムが話題だったが、今回も同じようなカメラを使っているのかなかなかいい感じだ。

(あくまでも個人的な好みなのだが)歴史ドラマや歴史映画は出来るだけリアルにやってほしい。というのも以前から歴史物の映画でのリアルな表現を見て、昔の時代に思いを馳せるのが好きだからだ。映画やドラマを見て、もっとその時代のことが知りたくなり、小説を読み、資料を読み、いろいろと想像するのが楽しい。西洋の歴史映画は、「クレオパトラ」など60年代のいかにもハリウッド風な映像の時代を経て、ここ20年ぐらいは(?もっと前からかな)視覚的にリアルなものが多いように思う。「グラディエーター」「エリザベス」「キングダムオブヘブン」「王妃マルゴ」「ダントン」…等々例をあげればきりがない。その時代の空気感や匂いまで感じられそうな映像は、見ていて非常に楽しい。

詳しくはないが歴史が好きだ。政治云々などよりも、その時代時代の生活の様子を想像するのが楽しい。衣服はどんな感じだったのか、化粧は、髪型は、街の様子は、農民は…。何を食べていたのか、お風呂に入ってないのよね、夜の室内はどれぐらい暗いのか、十二単は重いのか、長い髪もやっぱり重いのか、刀はどんな音がするのか…。それからその時代の空気感。生き難さ、苦しさ、悲しみ、つつましさ、宗教の重み、男女間の位置、階級、習慣等々、言い始めたらきりが無いが、そういうものが(現代の私達が想像できる範囲内でいいから)納得できるリアルさで作りこまれていればいいなと思う。たかがドラマ、たかが映画、結局は娯楽でしかないのだが、歴史好きにとってはリアリズムこそが最高の娯楽になる。もちろん内容も正確であればもっといいが、ドラマ仕立てであることが前提でドキュメンタリーではないので、ストーリー上の多少の妥協はやむをえないと思う。いや仮説レベルの事柄を取り入れるのなら、それこそが歴史娯楽の醍醐味だとも思う。ともかく歴史物は面白い。


学生の頃は、西洋史が好きだったが、今は日本史も好きだ。日本の歴史物は大河ドラマが一番だ(そうあってほしい)と思うので、まず映像を含めたリアリズムに気合が入っているととても嬉しい。「風林火山」や「龍馬伝」の男男したうす汚い感じや、歴史上の場面場面の崖っぷちな緊張感はとても良かった。どうやら今年の「清盛」もそちら系らしい。このドラマの時代、平安末期のリアルな映像化はあまり見た事が無いのでとても嬉しい。

それにしても、血糊は飛ぶし、上皇はまず見た目が怖い上に孫の嫁とはいけない関係だし、清盛のお母さんはいきなり殺されるし…今年の大河はなかなか毒があっていい。中井貴一さんは男おとこしてるし、子供は松山ケンイチさんに似ているし、女優の化粧も薄いし、なかなか楽しみだ。 吹石一恵さんを初回で消してしまうのはもったいない気もする。綺麗ないい女優さんだ。出来れば三上博史さんにも、藤原忠実の國村隼さんのように眉を剃って麻呂眉を描いてもらいたい。

ひとつ気になったことを。これもリアリズムの解釈なのだろうが、人が斬られるときに「ブシュゥゥゥゥゥゥ」とか「ギュゥゥゥゥ」など、カタカナで書けるような大きな音がするのはいかがなものか。それから、舞子が矢で射られた瞬間に着物の厚みを通して血が吹き出てくるのもどうかと思う。血のしみが少し間を置いて静かに布地に広がるだけでいいのではないだろうか。これに限らず最近の日本の時代劇映画も血が不自然に飛び散るものが多くてどうもいけない。リアルじゃないと思う。残酷さを娯楽にする必要はない。

ところで、オープニンングのクレジットに「タルカス」と「キース・エマーソン」の文字を見た。????実際の音楽は良く知らないが、プログレ関係の人というのとアルマジロ戦車のアルバムジャケットぐらいは知っている。いったいどうしたんだろう。面白いな。

2012年1月16日月曜日

Perfume in 神戸…に思いを馳せる

Perfume神戸公演、無事終わったようですね。うぁ~、うらやましいな。

さて、ネットをいろいろと見回ってみましたが、どうやらすごいことになっているらしいですね。うれしいゾ。
ちょっとだけ拾ってきた感想など、
「…からすごい。…の…がすごい。…がすごい。神。涙。…が無くなったなんてとんでもない。もっとすごいぞ。…の…。…はびっくり。神。すばらしい。衣装もいい。脚がいい。みんな可愛い。綺麗だ。煽る煽る。はぁ~~~~~~、幸せだった…。涙…。」
いいですね。うらやましいなぁ~。でもウレシイ。Perfumeが日本国中に出かけていってみんなを幸せにしていくんだと思うととても嬉しい。


以前、東京ドーム公演のドキュメンタリーで、ショーの開始直前、観客からの大きな歓声と拍手を聞いたあ~ちゃんが、一瞬不安なのか恐怖なのか驚きなのか、もうなんとも説明できない子供ような顔をするのですが、あれを思い出すたびにこちらも涙が出そうになります。ショーの直前は怖いし緊張もするんでしょう。あれが22歳23歳の女の子の素顔なんだろうなと思います。それでもあの後自分達を信じて、不安な心に鞭打って、5万人の前に飛び出して完全燃焼のショーをやるわけです。すごいなと思う。

ほんとにPerfumeはドラマです。舞台や演出もすごいけど、彼女達がすごい。これからまたこのツアーで伝説を残してくれるのでしょう。楽しみです。

Have a wonderful time!