2012年1月26日木曜日

いまさらの『ラストサムライ』論 - 2


日本人から見たこの映画の評価はおおまかに2つに分かれる。(ここで使う「外人」はそのまま多少の侮蔑的排他的な意味を含んだものです)
 
1.       外人なのに、こんなにすごい、すばらしい時代劇映画を作った。
2.       やっぱり外人だから、こんなに変な時代劇映画を作った。

いずれにしても、おかしいくらいに日本人のプライドを大変刺激される映画だということだ。それに実はこの両方の意見、ともにこの映画に対する評価として正論だったりもする。
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まず第一にこの映画、時代設定はともかく、見かけ上は戦国時代。これが言葉を無くすほどかっこいい。最初の森での戦いで、青い霧に包まれた木立の中、法螺貝が鳴り響き、そこからスローモーションで馬上の武士の兜の影が浮かび上がるとそれはそれは怖い。あの時点で観客はトムクルーズに感情移入しているので、霧の向こうに浮かび上がるのは得体の知れない魔物の群集だ。そのあと一気に速度が速くなって、周り中を馬上の侍達に取り囲まれおろおろしている間に、バタバタっとすべてが終わってしまう。最後まで緊張の頂点のままトムクルーズは捉えられる。そこへ、ケンワタナベがのしのしと出てくる。ものすごい迫力だ。

これが、ハリウッド流アクション映画のスピード感か。こんな見せかたをされると、いやがおうにも感情をゆさぶられてしまう。映画としてほんとに上手いなと思う。アクション場面の見せ場がものすごく華やか。それと対比するような静かな山村の場面は、厳かで細やかで大変美しい。善と悪の分かりやすいストーリー。そうやって、2時間、中だるみすることなく一気に見せてくれる。


「外人なのに、こんなにすごい時代劇映画を作った。こんなにかっこいいなんて。こんな見せかたができるなんて…」
凄腕の監督が140億円もかけて最高のスタッフで見せてくれたハリウッド流の映画の作り方。俳優達は日本人。材料は日本人が何十年と誇りをかけてやってきた時代劇。こんなに違うのか…。これが、私を含めた多くの日本人を仰天させた本当の理由だろうと思う。
 
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低評価の「やっぱり外人だから、こんなに変な侍映画を作った」という意見も至極まっとうなものだ。日本史に詳しくない私でさえ「それはないだろう」という、時代考証もめちゃくちゃな場面があったりする。少しでも歴史に詳しい人達からみればおかしな場面はいくらでもあるのだろう。
ただ、この映画は過去の時代を舞台としたファンタジーで、それがたまたま日本であっただけで歴史劇ではない。所詮アメリカ人が作った日本を素材にした娯楽映画だ。素材が近代日本史であったために、また映像自体にも妙なリアリティがあるために史実だと勘違いをしてしまいそうだが、日本側に専属の時代考証スタッフ、製作スタッフを求めていないことから見ても、この映画を史実として作ろうとしていたとは考えられない。むしろリサーチのみによって(架空とはいえ)ここまで昔の日本を作り上げられるハリウッドの製作陣の底力にはさすがとしか言いようが無い。これはハリウッドが出来る限りの努力をしてそれらしく作り上げた似非の歴史リアリズムだ。だからそんな映画を、日本人が重箱の隅をつつくように史実と違うなどと非難するのも妙な話だ。
 
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結果的にこの映画は、いろんな意味で日本の時代劇作りを変えたと思う。まず日本の時代劇の製作者にとってはいい刺激になっただろうと思う。もとより140億円も制作費にかけるようなハリウッド流をそのまま真似することは出来ないが、それでもカメラワークや演出など学べるところはたくさんあったはずだ。まず負けん気の強い製作者なら「時代劇は日本人のもの。外人などに負けてはいられない」と一念発起してもおかしくはない。いやそうであってほしいと思う。そんな結果のひとつが最近の「風林火山」「龍馬伝」、今年の「平清盛」などの、リアルさを追及した一連の大河ドラマだろうと思う。その影響力は私達が思う以上に大きかったのではないだろうか。


いまさらの『ラストサムライ』論 - 1
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