この映画の監督エド・ズウィックは過去に黒澤明に傾倒し、日本の歴史を学び、その中でとりわけ西郷隆盛に感銘を受けたと言っている。ドラマの脚本、監督、プロデュース等を手がけた後、映画監督として活躍するようになるのだが、その頃から、この西郷隆盛と西南戦争を題材にした作品を作りたいとずっと企画を暖めてきたのだという。
要は、このラストサムライ、監督本人自ら過去に日本史を学び、そこから武士道の哲学も学び、それに感銘してくれたからこそできた映画なのだ。一般の西洋人が日本人や日本の歴史に興味を持つことはほとんどない。トムクルーズが単なる話し手として登場するのも、ズウィック本人が、アメリカをはじめとする世界の観客に、彼の大好きな日本の侍文化を紹介したかったからなのだ。ズウィックがたまたま日本史好きで、たまたま優秀な映画監督だったから140億円もかけてこんな大作を、ありえないくらいの愛情をこめて作ってくれたわけで、このような偶然はなかなかあるものではない。いやむしろ奇跡だと言ってもいい。もうこんな映画は二度と作られないだろうと思う。そんな稀有な偶然の結果から生まれたこの映画に私はまず感謝したいと思う。
西洋でもおおむね高く評価されている。封切からもう10年近くたっているのに、IMDB(映画データベースサイト)では、10点評価で7.7点。なかなかの高得点だ。同じジャンルの歴史大河でグラディエーターが8.4点、ラストエンペラーが7.8点、キングダムオブヘブンが7.1点などを見ても、このジャンルのものとして大変高く評価されているのが分かる。トムクルーズの人気に負うところも多いだろうが、何よりも魅力的な悲劇のラストサムライ達への賞賛が高得点の理由だろうと思う。
イギリスでの評判もよく、映画館の客席は何度行ってもよく埋まっていた。とくにマイノリティと言われるアジア人や黒人、中近東人をよく見かけた。しばらくたってから郊外でタクシーに乗ったら、運転手さんが、ラストサムライに感銘して日本史の本を読んでいると話してくれたこともあった。いい思い出だ。封切られた週には、イギリスで一番の新聞
Times誌の日曜版にも長文のレビューが載っていた。ただ評価は中ぐらいだったのだが、批評家が「19世紀の日本を現在のアフガニスタン、明治政府を彼の地の新政府、勝元の一族をタリバン、トムクルーズを当時タリバンに入隊して捕まったアメリカ出身の白人の男性」だと例えたときには、さすがに頭を抱えてしまった。
ともかく話は長くなったが、この映画のおかげでで私の娯楽の幅もずいぶん広がった。それまで、時代劇など見向きもしなかったのに、この映画の後から、憑かれたように時代劇を捜し求め、日本史の資料、小説なども読み漁った。2005年から2年間一時帰国をしたときにも出来る限り歴史物を見るようにした。そして日本では歴史物は映画よりもやっぱり大河ドラマが一番かなとも思うようになった。過去の大河ドラマのDVDまで買って見たりした。まだまだ見ていないものも多い。これからも楽しみは無限にある。それにしてもイギリスに10年住んでまさかこんなに日本史ファン時代劇ファンになるとは思わなかった。人生は分からないものである。■
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