能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2022年11月21日月曜日

旦那Aの手術・腎臓結石 レーザー結石破砕術



長いけれど記録しておきます


きっかけ
7月のある日 旦那A が腹痛を感じたらしい。下腹部が固まったような痛み。便秘だろうと思ったそうだ。しかし1日で治まった。

9月の2週目、旦那A が「おなかの調子が悪い。便秘かな。お腹に圧を感じる」と言う。左側の腰の後ろも痛むそうだ。週末にかかりつけの病院に行って便秘の薬だけもらってきた。その時もそれで治まった。

10月の3週目、 旦那A がまた「お腹の調子がおかしい、腹部に圧を感じる、また腰の後ろも痛い」と言う。 
その日、仕事が忙しかったため旦那Aがストレスを受けているのは知っていた。しかし夜に血尿が出たと言った時は驚いた。そして左側の腰の後ろがとても痛いらしい。膀胱炎だろうか?かかりつけの病院を予約。


発見
翌日、病院で尿検査と血液検査。やっぱり血尿が出ていた。しかし菌が出なかったので膀胱炎ではないとのこと。この時点でかかりつけのDr. Aは腎臓結石ではないかと予想。数日後にレントゲンを撮ることになる。

そしてレントゲンの結果は、腎臓結石ができているとのこと。大きさは8 mmだそうだ。結構大きい。すでに腎臓からは出て尿管に降りてきているらしい。


専門医へ
専門医に紹介されて、まず電話での問診。早速手術をすることが決まる。

手術は、身体に内視鏡を入れてレーザーを直接結石に当てて砕く方法。「レーザー結石破砕術」と呼ばれるそうだ。担当のお医者さんDr. Tについて調べると、ローカルの雑誌の「ベスト・ドクター」のリストに名前があるのが見つかった。少し安心。


手術は4週間後。11月17日の木曜日


手術まで
手術までの数週間、旦那Aがほとんど痛みを感じることなく過ごせたのは幸運だった。石がたまたま神経に触らない場所にあったのか、旦那Aは一度も痛み止めを飲むことがなかった。
いつものように自宅で仕事をし、週末はスーパーに行き、歯医者の定期健診に行き、壊れた蛇口の修理に立ち会い、私の壊れたPCの修理(データリカバリー)でお店へ付き合ってくれて…。 あいかわらず今年の秋も(異常なくらい)忙しかったが、旦那Aは日々を普通に過ごすことができていた。


全身麻酔のこと
手術日までの日数を数えていた頃に、その「レーザー結石破砕術」が全身麻酔の手術であることを旦那Aに聞いた。それで少し私がうろたえた。その手術は部分麻酔だとばかり思っていた。とても心配になった。

全身麻酔の手術は2018年の年末に私も経験した。そのことはこのブログにも書いた。手術はそれほど辛くはなかったが、とにかく全身麻酔が身体から抜けるまでがただひたすら苦しかったと記憶している。手術後4時間ほどで帰宅したが、その後も1日以上ふらふらしていてとにかくきつかった。

今回は旦那Aが全身麻酔をする。麻酔から醒めたばかりのふらふらの旦那Aのケアが、小柄な私にできるのだろうか?もし彼が倒れたり歩けなくなったりしたらどうする? それに…当然のことだが…車も私が運転することになる。高速を時速80 kmで飛ばして病院と家を往復する…それも苦しむ病人を乗せて…緊張するではないか。ドキドキである。当日がくるまで毎日緊張しながら過ごす。


手術の週
11月14日・月曜日にはCTスキャン。それで石の位置を確認。
11月16日・水曜日に担当のDr. Tとのミーティング。
CTスキャンの画像を見ながら説明を受ける。手術の内容と手順を知らされる。Dr. Tは経験豊富な熟年のお医者さん。60代前半だろうか。きびきびと元気な先生。陽気なお父さんみたいな先生。このお方なら安心だ。いい先生だとほっとする。さすがベスト・ドクター!

手術は40分ほどの予定。手術中は私は待合室で待つ。手術が終わったらすぐにDr. Tが待合室にやってきて手術の説明をしてくださるとのこと。


手術当日
 
11月17日・木曜日、当日の深夜0時から、患者は水分も食べ物も一切取ってはいけない。そして朝6時30分に起きて身支度。7時に家を出た。

8時前に到着してチェックイン。手術室のあるフロアは4階。手術の準備室に入る。大部屋をカーテンで仕切った準備室で旦那Aは服を脱いで後ろの開いたガウンに着替える。そしてベッドに横になる。ナースさん達が細々と動き回って様々な準備。麻酔医、Dr. Tがやってきて話をする。

Dr. Tやナースさん達と雑談をしていて、私達が東京で出会ったと言えば、Dr. T「東京は行ったこがないな。でも日本は…僕は昔ミリタリーにいてそれで一度だけ行ったよ。みさわっていう所。すごく寒いところだった」とおっしゃる。みさわ…はて、どこだろう。後で調べて、青森県の三沢飛行場だということを知った。青森なら寒いはずだ。Dr. Tは昔米軍のお医者さんだったらしい。


さていよいよ手術。旦那A、がんばれよっ!午前9時に旦那Aは手に管を通され、数名のナースさん達にベッドを押されながら準備室を出る。その後を追って廊下の角まで見送った。「またね、がんばれ」と声をかける。

私は待合室へ。




待合室の経過スクリーン
待合室には、その日行われている全ての手術の経過を告げるスクリーンが置いてある。患者には番号がつけられ、担当のドクターの名前が掲示されている。患者の番号を追えば、その患者の手術の経過がわかるようになっている。

・準備中
・手術室で手術中(in operating room=in OR)、
・手術が終了(Closing)、
・麻酔後回復室 I(post-anesthesia care unit=PACU I)、
・目が覚めたら 麻酔後回復室 II(PACU II)に移動する
・退院可

手術の経過がライブでスクリーンに色で示される。待合室の家族はこれを見れば患者が今どこにいてどんな状態にあるのかがわかる。まるで空港の発着掲示板ようだ。

この大型病院の手術用の階にはいったい何部屋の手術室があるのか…。旦那Aの手術を待つ間、ピンク色の手術中(OP)の患者さんの数を数えたら全部で12人だった。なんと同じ時間に12人の手術が行われている!すごいものだと驚く。

このスクリーンにはまた、ドクター達の当日の次の手術の予定も表示されている。その日、旦那Aの手術をしたDr. Tは、旦那Aの前に一人の患者さんを手術していて、旦那Aの後に2人…同じ日に全部で4人の手術をすることになっているらしかった。すごい。そういえば私の耳鼻科の先生も、同じ日に4人の患者さんの手術をしたと聞いたことを思い出した。お医者さんてすごいですね。


旦那Aの手術の経過

9:09 
手術開始
10:15 終了

「ああ今終わった」と思っていたら、すぐにDr. Tが待合室にやってきた。おおっ先生がもうやってきた。Dr. Tは優しい先生。「大丈夫だよ~終わったよ~」とニコニコなさる。その後、今後の様子や痛み止めの話などを話してくださる。ともかく手術は成功したらしい。感謝を伝える。

その後、壁のスクリーンは
10:40 OK to DCからPACU I
10:41 PACU II

手術が短かったせいか、麻酔後回復室のIからIIにすぐに移動。早いな…と思ったら若いナースの男の子が私を呼びに来てくれた。 麻酔後回復室に向かいながら、ナース君は旦那Aがもう目を覚ましていると話してくれた。え、すごく早いですね。

回復
カーテンで仕切られた部屋に入れば、眠そうな顔の旦那Aがいる。「お~いどぉ~。大丈夫?」「まだ眠い」「うん休んでて休んでて」「トイレ行きたい」「あぁそうそう私もそうだった」「もうすこし横になってる」「うんうん」「Dr. Tと話した?なんて言ってた」「全部うまくいったって。あと痛み止めの薬を処方してもらったよ…」などなどともう普通に会話もできる。

しばらくしたらDr. Tがやってきた。優しいDr. T。「うまくいったよ。もう大丈夫。お水をたくさん飲んで…」などなどとお話をなさって、私達は「Thank you.」と立ち去る先生に感謝する。先生はこれからまた次の手術に向かわれる…。


病院の方々
私の手術の時にも書いたけれど、今回もナースさんたちが皆いい人ばかり。本当にいい人ばかり。若い方々も、中堅の方々も、経験豊かなベテランの方々も、みんなみんなフレンドリーで優しい。ハワイに来てなにが一番いいって…、出会う人々が皆フレンドリーでいい人ばかりなことだと思う。フレンドリーがこの地のスタンダード。この地にやってきて暮らせることの幸運にただただ感謝する。ありがとうありがとうありがとう。


退院
1時間が過ぎたあたりで、ナースさんたちが「もう行ってもいいですよ~」と言い始める。そろそろ退院する時間らしい。…そうなのだ、今回の手術は、手術とは言っても切ったり縫ったりする手術ではない。手術の時間も1時間ほど。麻酔も長い時間ではなかったわけで回復も早いのかもしれぬ。

旦那Aがナース君に付き添われてトイレに行き、私は処方された痛み止めの薬を買いに1階の薬局へ。4階に戻ってきたら、あまりの部屋の多さに廊下で迷子になる。「麻酔後回復室はどこでしょう」と廊下で出会うナースさんに聞いてようやく部屋にたどり着く。そうしたら旦那Aがすでに服に着替えて帰る準備をしていた。

ナースさんに「Aさんを車椅子で玄関まで連れていきますから、奥さん(海亀)は駐車場から車を出して玄関の前に止めて下さい」と言われる。皆にお礼を言って外の駐車場へ。玄関前に車を止めると、旦那Aが前の座席に乗り込んできた。あれ、後ろでゆっくりしなくてもいいの?「大丈夫大丈夫」


そんなわけで、ドキドキ緊張の高速に乗って時速80 km、2回ほどレーンを変えて無事家に帰りつく。ふぅ。 

病院を出たのはお昼過ぎだったろうか。帰り着いたのはだいたい午後1時ぐらいだったかと思う。なんと全てがほぼ5時間ぐらいで終わってしまったのか。早かった。


帰宅後
その日の旦那Aは、思ったより大丈夫そうで、仮眠を取ったり、起きてテレビを見たり、夕食も普通にダイニングの椅子に座って食べたり…私が事前に心配していたようにふらふらする様子もなく、嘔吐もなく、結局全身麻酔の影響をほとんど受けずにその日の夜を過ごしていた。なんだ~よかったねA君。 ただ施術の後にステントという管を通していて、それがかなり痛いそうだ。歩くのも大変。辛そう。


鎮痛剤
病院では強い痛み止めの薬を処方してもらったのだが、それがHydrocodone/ハイドロコドン…なんと悪名高いオピオイド鎮痛薬である。アヘン系の麻薬です。アメリカではこのオピオイド鎮痛薬の中毒が大きな問題になっている。今もまだ処方されているのか。Dr. Tが「ま…飲まなくてもいいけど…一応出しておくよ。飲まなくてもいいけどね。痛いかもしれないから」とおっしゃっていたのは、これがオピオイド系だったからなのだろう。 実はこのハイドロコドン、以前歯を抜いた時に私も処方されて飲んだことがある。ところがこれが私の身体に合わなくて10分ほどで吐いてしまった。具合が悪くなった。旦那Aもそのことを覚えていて、またオピオイドの薬害のことも聞いているので頑なに「おれはこれは飲まない」と言う。「じゃあアセトアミノフェン鎮痛剤のTYLENOLがあるよ。飲む?」しかし自然派気味の旦那Aは飲まない。頑なに拒否して痛がっている。かわいそうに。

週末はただただのんびりと過ごしてもらう。


そして今日
11月21日・月曜日 午前8時45分のアポイントメント。旦那Aのステントを抜きにまた病院へ。もちろんまた私がドキドキ運転。しかし何度も運転しているせいか、高速にも少し慣れてきた。

私は部屋の外で待つ。しばらくしたら部屋に呼ばれて、担当の先生(別の人)にその後の食事で気を付けることなどを教えてもらう。

そして午前10時前には帰宅。昼食時、どうも旦那Aの元気がない。「どうした?」「なんかまだ痛い、お腹に大きな圧を感じる。ちょっとシャワーを浴びてくる」…そしてシャワーを浴びて出てきたら、急に調子が良くなったと言う。緊張して固まっていた筋肉が緩んだのだろうか。「暖かいのがいいのかな。そうだ温湿布しよう」などと言いながら、旦那Aは濡れタオルをレンジでチンしてジップロックに入れ、タオルで巻いた簡単温湿布を持って仕事部屋に上がって行く。

もう大丈夫そうだ。A君が完全に元に戻るのは、あと1、2週間かかるのだろうが、もう心配することはなさそう。よかったよかった。


今後
取り出した結石はラボに送られて検査中。どのような成分なのか…それで原因もこれからの栄養の取り方もわかる。1週間ほどで結果が出るそうだ。

それから今後の検査は1か月後。もう一度ソナーで検査して、結石が残っていないかどうかをチェックするそうだ。

旦那Aおつかれさま💕無事終わってよかったね。