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『 Addams family Values (1993)/米/カラー
/1h 34m/監督:Barry Sonnenfeld』
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この映画はたぶんもう5、6回は見ている。最初に見たのは90年代にビデオ屋でレンタルした時。私は20代で独身の東京住まい。笑った笑った。なんだろうこの面白さ。何度も大声で笑った。
それから後はテレビで放送になったものを何度か見た。そして数日前、またテレビをつけたらやっていたので録画。途中からだけれど旦那Aと再度鑑賞。また笑う。わかっているのにゲラゲラ笑う笑う。
やっぱりこの映画が好きだ。なんだこの愛着は。なぜこんなにおかしいのだろうこの映画。何度見ても笑う。(今まで考えたこともなかったけれど)この映画、間違いなく私のフェイバリット映画リストに入る…とあらためて思った。
キャラクター達が愛しくて愛しくてたまらん。アダムスさんちの家族がみんな好きだ。
ウェンズデーちゃん。クリスティーナ・リッチさんの女優魂。撮影時には12歳ぐらいだったのだろうか。それほど若い年齢であのブラックユーモアの中身を完璧に理解して演じていることに舌を巻く。いや…もう本当にすごいと思うぞ。あのウェンズデーちゃんは見事。本当にお見事。
ダンディーなゴメスさんは色男。モーティシアさんはエレガント。フェスタ叔父さんはかわいい。地味なウェンズデーちゃんの弟パグズリー君。髭の映えた赤ちゃん。みんなみんないい。そして彼らは幸せなんだよな。みんな変だけど幸せな家族なのね。
そしてファミリーへの侵入者・悪女のデビーが最高。おもしろいわ~ジョーン・キューザック。全力投球の力技。デビーを見て笑えない人はいないと思う。
彼女はこのデビー役でアカデミー賞を取るべきだった!最高、最高やで!綺麗でかっこいいしセクシー…なのに毎回彼女が出てくるたびに爆笑。なんだなんだなんだ…これは。デビーのキャラは脳の知覚リミットを超える面白さだと思います。
これ
「はみ出し者」の映画なのですよね。全員がはみ出し者。変な人々。だからなのだろうな、私がこの映画が好きなのは。きっとそうだ。
人間の生きづらさは
、環境の中での自分の位置が定まらないこと、または
自分で自分のアイデンティティの把握が難しいと感じる時だろう。私は誰?どうすれば居心地よくこの場に属することができるのか?…それに悩む時、人は生きづらさを感じる。
はみ出し者とはなんらかの理由で
世の中の「まっとう」からはずれた人。
そしてまたはみ出し者とは、他人の自分に対する妙な反応を見て
「自分ははみ出し者に違いない」と自意識を持った人。
なんらかの理由で、本人が自分をまっとうだと思えない、まっとうになりたいけれどなれない、それとも本来まっとうなはずの自分の中に「異なるもの」を見つけてそれを否定できない者。
…そんな風に考えれば「
世の中の多くの人々はなんらかの理由で皆はみ出し者だと考えることもできる」
重要なのは当事者がそのような自意識のために苦しんでいるのかどうか。もし
本人が「人と違うこと」に苦しまないのであれば、はみ出し者にはなんの問題もなし。「変わり者」や「はみ出し者」が周りにあたたかく受け入れられ、その場に居心地よくいられるのなら、はみ出し者であっても幸せになれる。
アダムス・ファミリーとは、そのような
少し「普通じゃない人々」が幸せに暮らしている話なのだろう。だから彼らを見ていると私もなんだか嬉しくなる。
「
世の中の多くの人々は皆なんらかの理由ではみ出し者だと考えることもできる」
しかし人の歴史は、常に「正しい者」「正統な者」「まっとうな者」を世の中の「正義」だとしてきた。個人が、人生のある時期に「もしかしたら自分はまっとうではないのかもしれない」と思う時、それが苦しみを生み出すこともある。
この映画が面白いのはこの映画の真ん中あたり…
子供たちのサマーキャンプのシーンで、この映画がいかにも「アメリカのスタンダードで保守的なまっとうな
正義の人々」を、もう身も蓋もないほどとことんバカにしつくして悪者に仕立て上げ笑いものにしていること。驚くほどに辛辣に 笑。
ルーザー達の大逆襲!…それがあのウェンズデーとパグズリーの送られたサマーキャンプでの出来事。
私がアメリカの「まっとうな人」と結婚してもう25年以上が過ぎた。まっとうな男・旦那Aを通してアメリカの「スタンダードで保守的な正義の人々」にも触れた。今の私は「まっとうなアメリカの人々」を十分知っているので、
この映画の捻くれ具合に…もうこらえ切れず大爆笑。笑いがとまらん。だって私は間違いなくルーザーの側だものへっへへへへ。
いいと思いますよ。まっとうな人々。彼らは常に正しいし実際彼らからは学ぶことも多い。だけどま~なんというか…彼らはつまんない人々なのよ。常に「正しく」あろうとして型にはまっているから、
彼らに関することは全てが凡庸。あまりそこは非難しちゃいけないんだろうな。それはいいんだけれど…。
しかし………人によるけれど………アメリカの正義な人の中には超排他的な人々がいる。正義を振りかざす人々。自分たちが世界で一番優れていて、何も間違っていないと自信満々、胸を張って正義を振りかざす高身長にブロンドで青い目の人々。そのようなアメリカの正義の人々は、きっとアジア人で外国人で見るからにはみ出し者の私の存在が気に入らないのだろうと思う。…上等じゃねえか ですね。そのような方々はいつまでも一生トウモロコシ畑で芋を焼いていればよろしい。
そのような人々と不幸にも交流があったものだから、私は己のはみ出し具合をますます意識せざるをえなかった…本当にアンラッキーなめぐりあわせ。だからこの『アダムス・ファミリー2』をもう一度見て、その内容の
「アメリカの正義」への辛辣な非難にあらためて驚き、そして嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらんたまらんたまらんうひゃひゃひゃひゃ…。いいぞ!もっとやれ!もう楽しくてしょうがない。溜飲を下げるとはこういうことだろうね。 旦那Aも笑っているのですけど。あなた元々あちら側の人じゃん 笑。 ちなみに旦那Aは私が「正義の人々」に文句ブーブーなことをよく理解している。
サマーキャンプでのウェンズデー姉弟の矯正洗脳の場面で『サウンド・オブ・ミュージック』の曲が流れて私は膝を叩いて大喜び。ワタクシあの映画があまり好きではない。一方的な正義礼賛の映画。旦那Aに出会った頃「私あの映画見たことないよ」と言ったらものすごく驚かれた。そんなあなたたちのスタンダード、しらんがな。…そんなことも思い出して今回二人で大笑い。
少し個人的な思いで、サマーキャンプの事ばかり書いたけれど、映画全体もとても面白いです。ジョーン・キューザックには毎回爆笑する。いい映画です。
実はこの映画の後で1991年リリースの『アダムス・ファミリー』も見たけれどほとんど記憶がない。『2』の方が面白いです。
はみ出し者の映画には心惹かれる。『アダムス・ファミリー』シリーズも、『ロッキー・ホラー・ショー』も『シザーハンズ』も『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』その他ティム・バートンの映画もみんな好きだわ。『グレーテスト・ショーマン』にも泣いたな。
それにしてもこれだけ「正義のアメリカ」を嘲笑している映画なのに、アメリカでそのことに文句を言っている感想をあまり見かけないのは不思議。もっと文句が出そうなのにね。昔の映画だから知らないのかな。