能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年2月13日月曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」-8 -世相と大河ドラマ


世相と大河ドラマ

この大河「秀吉」の年1996年は平成8年なのだが、このドラマ、今見てみると話がベタベタの昭和の人情物で驚く。(今の若い人ならあきれてしまうのだろう)昭和の人情物にありがちな臭いせりふ、設定だらけだ。だが毎回毎回、非常に面白い。熱いのだ。どの回にも見せ場があって、DVDを見ていると次も次もと止められなくなってしまう。

原作は堺屋太一さん。1935年、昭和10年生まれ。戦前戦後に子供時代を過ごし後の日本の復興の真っ只中にいた世代だ。60年代を官僚として過ごし、その後作家、政治家、学者、博覧会のプロデューサーまで多彩な経歴をお持ちだ。昭和の激動の時代を第一線で生きてこられた方だ。戦国も激動の時代。もしかしたら原作者がそのようないろんな経験をされた戦前生まれの方だから、この戦国時代の話もこんなに面白いのではないだろうか。

戦国の時代の生きる難しさや辛さ。上司には絶対に歯向かえない厳しい上下関係、ひとつ間違えば命は無い。もとより命はあって無いようなものだ。女性の扱いも荒い。皆いつも死と隣りあわせだ。だが、そんな厳しい状況だからこそ、人物達が生き生きと輝く。こういう荒々しくも情熱的な熱いドラマが書ける人は、平成の今、もういないのかもしれないといったら言い過ぎだろうか。
~∞~

個人的な意見で申し訳ないが、去年の「江」には何一つ心に残る回が無かった。人物と人物の繋がりも薄い。ドラマが薄い。全てさらさらと流れるように話が進んだ。この「秀吉」と「江」、同じ時代を扱った話だとは思えない。

時代考証がどうこうと言う以前に、近年の大河ドラマでの場面、例えば小娘が、人を何百人と殺してきた戦国武将(時の権力者)を「猿、猿」と呼び捨てにし何度もくってかかる描写(江)、戦国武将の嫁が「戦はイヤじゃ」と事あるごとに泣き叫ぶ描写(功名が辻)、戦国大名上杉氏の家老が自宅で赤ちゃんのおむつを換えている描写(天地人)など、世間がこういうものを歴史時代劇として受け入れてしまえるのなら、もう時代が変わったんだろうなとしか言いようがない。

ドラマは、それが作られた時代(または作者の生きた時代)を反映する。この「秀吉」は昭和の原作者に描かれたもの。同じ戦国時代が、平成の若い脚本家の手にかかると違ってくるのも当然のことなのかもしれない。「江」や「大地人」のような時代劇にもそれ相応のファンがいるということは、つまりは現代が非常に穏やかな時代だということなのだろうと思う。たった16年前の大河ドラマ、こんなに違うということは、それだけ日本がこの16年で変わってしまったということなのか。

しかし、これでいいのだろうか。過去の時代を舞台とし、実在した人物を描いた歴史物語であるのに、その時代のルールや決まりごと、タブー、常識を完全に無視し、国営放送が製作する歴史ドラマとして、女性の痴話言をだらだらと一年間も放送して本当にいいのだろうか。大河ドラマとはそういう枠組みのドラマだったのだろうか。

~∞~
さて、この「秀吉」の視聴率、こんなに残酷で下品でベタベタの昭和ドラマなのに、1996年当時、平均視聴率は30%だったと聞く。この作品以降、大河ドラマで平均視聴率が30%を越えた作品は存在しないという。信長にいたっては助命嘆願まであったそうだ。もし今、こんな残酷男祭り昭和人情ドラマを大河枠に持ってきたら、16年前と同じように高い視聴率をとれるのだろうか。それとも、画面が汚い、人物が汚いとクレームの嵐なのだろうか。

今でもこういう内容で視聴率を取れるのかどうか、検討の余地はあると思うがどうだろう。それともこのような熱い面白い話は過去の遺産として楽しむしかないのだろうか。いずれにしても、これからの大河ドラマ、どうなっていくのか楽しみにしている。■



2012年2月12日日曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」-7 -残酷さ

「秀吉」と近年の大河ドラマを比べて見えてくる時代性

4. 残酷さ


この時代、戦国時代の演出、描かれ方ががずいぶん荒々しい。血なまぐさい場面もある。信長に嘘をついた僧侶の首が斬られるのだが(斬られる場面はない)次の瞬間、地面にゴムの坊主頭が転がっている(笑ってしまったけど)。演出として成功しているかどうかはともかく、信長のもとに仕える緊張感は良く出ていた。桶狭間では五右衛門が秀吉と全身泥にまみれて斬りあう。光秀の母は、敵からの密書が届けばその場で密使を自ら斬り殺す。浅井、朝倉の髑髏杯は有名な場面だろう。演出としての意図的な残酷さは好きではないが、戦国時代のような、今と全然違う時代を描くのなら、多少の荒々しさは必要だと思っている。汚い格好、多少の生臭さ、人の荒々しさや激しさは戦国の時代ならあたりまえのことだと思う。

数年前「風林火山」の演出がずいぶん荒々しくて、歴史時代劇らしい男のドラマだと喜んでいたら、これが親戚の女性達にことごとく評判が悪かった。あまりに汚くて見る気がしないのだと言う。その後彼女達が「篤姫」を楽しんだのは言うまでもない。面白いのは、そんな彼女達も1996年当時にはこの「秀吉」を喜んで見ていたはずなのだ。この違いはなんなのだろうかと思う。やはり時代の空気が変わったのだろうか。




NHK大河ドラマ「秀吉」-6 -恋愛


「秀吉」と近年の大河ドラマを比べて見えてくる時代性

3. 恋愛

そもそもNHK大河ドラマ、あくまでも歴史劇。歴史を作ってきた男達のドラマだ。まず歴史的な事件がストーリーの機軸になる。色恋の話など所詮どうでもいいことだ。この秀吉も、夫婦の愛情が描かれてはいてもあくまでもサイドストーリーでしかない。基本は秀吉ががむしゃらに出世の階段を駆け上っていく話だ。
私が最近の女性物大河で感じる違和感もそこだろうと思う。「功名が辻」の話の軸は、愛し合った夫婦。それに主人公ちよを取り巻く男達が皆彼女に恋をしているという設定。「江」も23度と再婚して、それが政略結婚であるにもかかわらず(実質人質)その相手といちいち恋に落ちる。それはともかく秀吉と熱烈な恋に落ちた茶々淀君にはびっくりした(あれは好色な秀吉の無理強いだと思う)。こんな風に全ての話を可愛らしくしなければ歴史時代劇も受け入れられない時代になったのだとしたら少し問題ではないだろうか。


2012年2月10日金曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」-5 -女性達


「秀吉」と近年の大河ドラマを比べて見えてくる時代性
2.女性達


劇中、女性の扱いも全く違う。女性は強くはあっても、前に出てくることは無い。もちろん主役は秀吉なのだから、女性を主役にした「功名が辻」「江」などとは設定が違うのだけれど、それでも全体的に女性の描かれ方はずいぶん違うものだ。一番自己主張をするのが秀吉の妻おねだろう。秀吉も一見嫁には頭が上がらないように描かれているのだが、結局秀吉は好き勝手に振る舞い、基本的に嫁に気兼ねするなどということはいっさいない。気に入らなければ嫁も怒鳴り散らす。出張で華やかな京都に行けば遊郭で若い女の子達を膝に乗せて、はしたなく騒いでいる。嫁は自宅で一人静かに泣くのだ。結局愛人も子供ごと受け入れ一緒に暮らし始める。そんなおねの心理的な葛藤が描かれているのだが、男社会だった昔はそういうものだったのだろうと自然に納得させられてしまう。遊郭と言えば、あの茶人、千利休まで遊女を膝に乗せている場面には驚いた。
前田利家の妻まつは、口も軽いが頭も軽い女性として描かれる。石川五右衛門の恋人の扱いなんてもっとひどい。わけあって遊女になり秀吉に囲われる。その後五右衛門とよりを戻すのだが、その再会の場面で五右衛門からいきなり首を絞めて殺されかける。男性の所有欲の表現なのだろう。殺すほど恋人を愛する男。所有される女ももちろん喜んでいる。熱いなと思う。感動的なはずの恋人同士の再会場面でそんなふうだ。現代の大河なら、おそらく手を取り合って泣いて喜ぶのだろう。
結局、女性は男社会において物扱いしかされていない。…が、だからこそ彼女達は輝く。彼女達は耐えて涙を流し、それでも愛する男達を健気に支え続け、したたかに生きる。だからドラマなのだ。こんな生き生きとした女性像はもう描かれないのだろうか。

2012年2月9日木曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」-4 -俳優の顔


「秀吉」と近年の大河ドラマを比べて見えてくる時代性
1.俳優の顔

さてこの大河、まあ男臭い画面だ。汚いし、荒々しいし、それはもう大変なものだ。1996年当時の製作者の歴史リアリズムなのだろうなと思う。たった16年前なのに俳優達の顔が今と全然違う。まず武将達がでかいし、毛深いし、黒いし、脂ぎってるし、いつも汗をかいて全員ギラギラしている。見た目からして怖いのだ。全員人を簡単に斬ってしまうんだろうなという感じだ。可愛いとか綺麗などという武将が一人もいない。だからいい。戦国武将は怖いくらい迫力があったほうがいい。武将とはあくまでも実戦での戦士なのだ。頭脳も大切だが、まず体力と力、それに強靭な意志と豪胆な性格が武将たるものの要だろうと思う。このドラマの俳優達は皆そんなオーラを放っている。彼らの後ろに立つエキストラ達もむさ苦しい。鎧を着て群集でいるとかなりな迫力だ。そんな男おとこした群集が、野太い声で吼えるように話す。この武将たちを見ていると戦国時代もこんなふうだったのかなと思えてくる。

武将達を演じた俳優達を挙げてみよう。竹中直人、高嶋政伸 、古谷一行 、渡辺徹、大仁田厚 、伊武雅刀、中条きよし、中尾彬 、篠田三郎 、村上弘明、上條恒彦、大杉漣。顔が思い浮かぶだけでも錚々たる面構えではないか。当時この俳優さん達は、30代から50代前半ぐらいまで。16年前の当時、団塊の世代の方々は40代だった。今の40代の俳優さん達は1962年生まれから1972年生まれだが、もっと上品な顔立ちの優男が多いように思う。もしかしたら近年こういう団塊の世代以前のような男らしいあくの強い顔の俳優さん達は減っているのかもしれない。これも時代の変化なのだろう。



2012年2月8日水曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」-3 -配役2


おね=沢口靖子
このドラマ以前のことを殆ど知らないのだけれど、こんなにいい女優さんだったとは知らなかった。笑うと子猫のように可愛いが、可愛いだけではない。気丈で賢く、あの型破りな夫を支え、つらいことにも耐え、それでも決して暗くならない、みんなに愛される健気な良妻を好演している。もともと美少女コンテストで選ばれた顔ありきの女優さんだとばっかり思っていた。昨今の若い女優さん達より格段に上手い。びっくりした。ほんとに素晴らしい女優さんだ。このおねはほんとに可愛い。

なか=市原悦子
この方、この秀吉の母ちゃんにぴたっとはまった。こんなにあたたかな、何があっても息子を支える母そのもののような人はそういるものではない。とことん息子を信じて何があっても応援する母親。どこまでもユーモラスであたたかい。比叡山焼き討ちの前、落ち込んで帰ってきた秀吉に「秀吉よ、母ちゃんがおみゃあの代わりに地獄う行ってやるで。(中略)おみゃあさんを信じとるよ…。」で思わず涙が出た。その一言で秀吉は立ち直って辛い仕事に帰っていく。こういう母親、昔の日本にはたくさんいたんだろうなと思う。今の日本にこんな母親いるんだろうか。秀吉があれだけ大きくなれたのもこの母の大きな愛があったからなのだろうと信じたくなってくる。

美(明智光秀の母)=野際陽子
母親つながりで、明智光秀の母、美。秀吉の田舎の母ちゃんと対照的なキャラ設定。彼女は武家の出の上品な母上様なのだが、気がハンパなく強い。昭和の教育ママゴンだろうか。光秀を出世しろ働けと常に叱り飛ばす。それまで光秀が仕えていた将軍足利義昭が落ちれば「なぜ首を取らなかったのだ」と息子をなじる。義昭からの密使が来れば刀を持って自ら斬りつける。怖い怖い。もちろん嫁も叱り飛ばす。嫁姑のだんらんなどこの女性にはありえない。こんな怖い母親も今どきいないだろうなと思う。信長に対して最後にぶち切れる光秀。もしかしたらあんなコトを起こしたのも、この厳しすぎる母親の育てかたのせいではないかと心理学的に考えてみたくなるほどだ。(もちろんこのドラマの中での話)
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これ以外にも脇を固める役者さん達が大変素晴らしい。脇役を見ているだけでも十分に楽しめてしまうほどだ。このドラマの強さは配役の素晴らしさにある。



2012年2月7日火曜日

NHK大河ドラマ「秀吉」-2 -配役1


織田信長=渡哲也
信長が怖い。おそらく史実の信長とは全然違うのだろうと思う。年齢のせいもあるのだろうが(渡さん当時55歳)実際の信長はあんなに重々しく落ち着いていないだろうと思う。が、あの存在感。キレたときのあの怖さは尋常ではない。あの信長は渡信長という特別なキャラクターなのだと思う。声が凄まじい。怒鳴られるとほんとに怖い。この人が怒ると急に場の空気が凍りつく。予想不可能な狂気、威厳、父性、それにとてつもない魅力を全て併せ持ち尚且つ「こういう人もいるかもしれない」と信じられる存在感は渡信長以外に考えられない。

秀吉が場面上臭いせりふを言ったりするのだが、カメラがこの人に移った途端、そんな臭いせりふも吹っ飛んでしまうほどの迫力。この渡信長と竹中秀吉のコンビは最強だと思う。渡哲也さんのような特別な存在感のある俳優さんは、もう日本には出てこないかもしれない。石原軍団を長年率いてきたリーダーの貫禄なのだろうか。すごいな。


秀吉=竹中直人
この竹中直人という人、私には彼のコメディアンとしての顔の強さのほうが強烈に頭にあって、どんな配役も同じに見えてしまっていた。ところが、この役はピタリとはまった。史実の秀吉、「人たらし」と言われるほど、天才的に話術の上手い人。あれだけ猿だ醜いなどと言われながら、実際に戦国の武将達を魔法のように説き伏せてしまう不思議。頭が非常に良かったというのがまず第一だろうが、変顔の、出自もルックスも良くない人間があそこまで上り詰めるのは歴史上の奇跡としか言いようが無い。それがこの竹中さん、ぴたっとはまった。

そもそも役柄のためのオーバーアクションとメイクのせいだろうが、まぁーそれはそれは変な顔。日焼けして真っ黒。大きな眼はいつも四白眼。米粒を口から吹き出し、まあ大いに変な顔だ。おまけにすぐに裸になる。それなのに、どこか惹かれてしまう。面白いし、とてもイイ奴なのだ。この人情味溢れる竹中秀吉は何をやってもどこか憎めない。その一生懸命な姿を応援したくなるのだ。可愛い奴なのだ。

最初の頃は先輩にもいやがられて足蹴にされていたのに、いつの間にか上位の武将達にも同僚として受け入れられている。まさか史実の秀吉がこんなに善人だとは思わないが、ドラマとして十分に納得できる設定だ。そもそも農民の倅が関白の位にまで上り詰めるこの人の人生そのものが奇跡なのだが、この竹中秀吉を見ていると「もしかしたらこういうふうだったのかな」などと思えてくる。史実の秀吉もこの竹中秀吉のように、人を魔法のように惹きつけて出世の階段を駆け上ったのだろうと思う。ともかく渡信長とともにこの竹中秀吉、すばらしい。


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何よりもこの二人の関係がこのドラマをひっぱっていく。絶対的な上司と部下の信頼関係。これに心を動かされる。これは秀吉の立身出世物語なのだが、同時にこの二人の信頼関係の話でもあると思う。この二人の場面はどれをとっても言葉に出来ないほど素晴らしい。