能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2020年1月30日木曜日

NHK 『おしん』 (1983) -1 ・感想



数週間前に見終わった。TV Japanではなく、この地の日本人+日系人向けのローカル放送局で英語の字幕付きで放送されているものを視聴。去年から放送されていて、今年1月の半ばに全エピソードが完了した。私が放送に気付いたのは途中から。おしんはもう田中裕子さんになっていた。竜三と結婚したあたりから視聴を開始。そして今年完走。長かった。

この有名なドラマシリーズは今回初めて拝見。このドラマが放送時に高視聴率だったことは聞いていたし、それに世界各地で絶賛されたということも聞いていたので機会があったら見てみたいと思っていた。


感無量。すごいドラマ。


今の時代に見るこのドラマは、過去を振り返って見る女性の20世紀史。おしんの生まれは1901年だそう。オリジナルの放送時は1983年なので、その年でおしんは82歳。だからこれは1901年から1983年までの女性の人生のドラマ。

NHKの日曜の大河ドラマは、(大抵は)歴史上の実在の人物の一生を描いたものだけれど、この「おしん」さんのドラマも(フィクションだとはいえ)明治~昭和の女性の(ほぼ)一生を描いた大河ドラマにも見えますね。


なぜすごいドラマなのか?


それは日本という国が、1901年から1983年までの間に、戦争の時代を経て世界でも類を見ないほど短期間で大きく成長、発展して、人々の生活も常識も80年の間にすっかり変わってしまったから。「昭和は激動の時代」とはよく言われるけれど、まさにそのとおり。『おしん』とは、その激動の時代に日本の女性達がどう生きたのか…を描いたドラマなのだろうと思う。


もうこのようなドラマは現代の日本人には絶対に作れないだろう。


脚本家の橋田壽賀子さんは1925年のお生まれ。大正14年生まれの橋田さんは、おしんと同じ時代(戦前~戦中~戦後~高度経済成長期)…彼女が実際に生きて見た時代を脚本にお書きになった。また橋田さんが、ご家族や先輩の女性の方々から聞いた過去の女性達の話は、1900年から1940年頃までのストーリーの基盤ともなった…彼女が実際に聞いた女性達の苦しみもこのドラマには多く描かれている。

このドラマのような明治・大正・昭和のリアリティは今の脚本家には書けない。このドラマの人物達の心情やそれに伴う台詞は、今の日本人とはあまりにも違いすぎるのだ。


★ネタバレ注意
 
田中裕子さんの演じるおしんの若い頃の回から見たのだけれど、彼女の人生はとにかく波乱万丈。地方出身のハンサムなお坊ちゃんと結婚。東京で事業を成功させるが、地震で全てを失い夫の実家へ移住。その佐賀での鬼姑からの壮絶な嫁いびりは放送史上最悪のものではないか。
 
放送当時、あれだけ史上最悪の意地悪な姑を演じられた高森和子さんのご心労をお察しする。放送当時のことは全く知らないのだけれど、高森さんは本当にお辛かっただろうと思う。もちろん「おしん」の田中さんも大変なのだけれど、しかし脚本に書かれた姑・清のキャラクターはあまりにも酷く、演じた女優さんにとって当時の世間はどんな様子だったのだろうと心配になるほど。
 
あの佐賀編のストーリーの流れは辛く辛く、もう途中で視聴をやめようかと思ったほど。優しい旦那様の筈だった竜三は、絵に書いたようなアホぼん…妻が苦しんでいるのに母親に何も言えないろくでなし。本当に役立たずの馬鹿野郎。「もうおしんちゃん、もう逃げ出しちゃえ、もう行っちゃえ、こんな男も家族も捨てちまえ」と思わずTVに呼びかける。彼女も一度決心をするのに、裏切りにあって計画は頓挫。ああああああ…そして手を負傷…髪結いの希望もなくなる。本当にあのあたりの話は辛かった。
 
だから、彼女が佐賀を出る決心をして姑に対峙した時は思わず大きな声が出た。拍手拍手拍手拍手拍手「そうっ。そうだっ。よしっ。よく言った。よく決心した。もう出て行こうっ。よく決心したっ!」
 
 
その後も延々といろんな事が起こりますが…、加賀屋のお加代さんの話は辛かった。彼女が亡くなったのは1931年だそう。あの時代は、裕福な家のお嬢さんでも家が潰れたらあんなことになるのかと絶句。橋田さん…それはないだろう…あんまりだ…。 お加代さんは以前おしんちゃんの飯屋を手伝ってるときは楽しそうだったのにね。泣
 
それから戦争。アホぼん竜三がまた調子にのる。そして…息子・雄、それから竜三の最後。ぁぁぁぁどうして? 橋田先生どうしてよ?こんな人生ある?あんまりだ。
…訪ねて来た姑・清に、おしんが竜三の意志を庇って対峙する場面にも驚いた。あの場面では清も老い丸くなっていて、おしんを労わり息子の勝手な決断を非難する。それなのにおしんは「旦那さんは立派だった」と言う。いや竜三は無責任なひとでなしでしょう。びっくりした。こういう台詞こそ…今の脚本家には絶対に書けないと思う。すごいなと思う。奥さんはどんなに苦労をしてもとことん旦那さんの味方
 
確かに竜三さんは、時代が穏やかなときはいい旦那さんで、子供好きのいいお父さんだったけれど。泣
 
 
おしんが本当に辛かったのは終戦まで。しかしこの辛い時代がこのドラマの見どころ。このドラマが海外でも受けたのは、この「終戦までのおしんの苦しみ」に共感した女性達が世界中に数多くいたからなのだろう。苦労に苦労に苦労に苦労を重ね、何度も何度も立ち上がるおしんに励まされた女性も多かったのだろう。
 
 
辛い人生だからこそ人々の思いやりは心に沁みる。東京で味方になってくれた源じい。お師匠さんの渡辺美佐子さん。頼りになる健さんのガッツ石松さん。佐賀の舅・北村和夫さん。最後は味方になってくれた義理の姉のつね子さん。伊勢の赤木春恵さん。そして浩太さんの渡瀬恒彦さん…もっといたかもしれない。戦前の苦しい時代に、おしんが出会ったこれらの人々の親切は忘れられない。人の優しさは心に残る。
 
 
戦後の話はまた別の人の人生のよう。おしんも乙羽信子さんに代わって、昭和の時代の家族の話になった。子供が大きく成長し、結婚して家族が増え、事業を拡大し、成功し、おしんが姑になり…。
 
人生は続く。昭和の時代に日本の経済が発展したように、おしんも一歩一歩階段をのぼる。悩みは日常の小さな心配事のレベルになる。確かに独りよがりな息子仁と扱いにくい嫁道子の問題などなど…いろいろとあるけれど、もう戦前のような苦しみはない。のぞみ君は独立し、養女の初ちゃん(キャンディーズのスーちゃん)は常にそばにいて力になってくれる。時代も徐々に私の知る昭和の時代に変わっていく。馴染みのある(1983年当時の)現代の人物達のドラマになる。
 
 
Wikipediaを読んでみた。「おしんの幼年期の苦労を描いただけではなく、義理や周りを見ることなく他人を押しのけてまで銭儲けをしてもいずれ自分を追いやってしまう、人として本当に大切な物は何かというメッセージが、おしんが人生の歩みの中で出会ってきたたくさんの恩人の言葉を通して散りばめられている。」とあった。ああそうだ。乙羽信子さんの時代になって、そういうメッセージはよく息子・仁への言葉としても告げられていた。
 
おしんというネーミングの由来は「信じる、信念、心、辛抱、芯、新、真」などの「しん」とされており、「日本人は豊かになったが、それと引き換えに様々な『しん』を忘れてしまったのではないかと思って名付けた」とのこと。考えさせられますね。
 
橋田さんは、おしんのモデルを「苦難の時代を生き抜いてきた全ての日本人女性です」とおっしゃっているそう。そして「明治世代の人の苦労を伝えるのは、自分達の世代の義務だと感じた」とお考えになったそうだ。だからこのドラマが存在する。橋田さんが描こうと思い立ってくださったからこそ、私達の世代も、またこれから後の世代の人々も、20世紀に生きた名もない日本の女性達の人生に心を寄せることが出来る。


橋田壽賀子さんに心から感謝いたします。


最初の放送時にこのドラマが高視聴率だった理由は、1983年当時にはまだこのドラマに描かれた時代を覚えている年配の方々が日本に沢山いらっしゃったからなのだろう。その頃からもう37年が過ぎた。時代は流れていく。おしんの子供時代はもう今から100年も前の話なのだと気付いて驚いた。