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『Ender's Game(2013年)/米/カラー
/114分/監督:Gavin Hood』
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2回見ました。非常に知的な映画。見た後でいろんな事を考えさせられる。決して答えの出ない疑問を投げかけられたよう。俳優陣も素晴らしい。映像も綺麗。ただ一つ話の構成には好き嫌いがあるかも。しかし…
いい映画です。
内容は未来の地球。何十年も前に宇宙人に攻められてかろうじて戦いに勝ったが、敵はいつまた帰ってくるかわからない。そこで人類は、優秀な子供達を選択して、未来の戦争に向けての戦士をトレーニングしている…という話。
内容を書くとそのままネタバレになってしまうので、まず2つの点から感想を書きたい。
1. 俳優の素晴らしさ
2. 究極の疑問について
1. 俳優の素晴らしさ
・Asa Butterfield=エンダー
これはキャスティングの手柄。主役のAsa Butterfieldさん(現在16歳)があまりにも素晴らしい。キャスティングというのは、俳優の生まれ持った外見や身体的な特徴、声、それにその役柄に合った年齢がたまたまピタリと合った時に奇跡を生むものだろうと思うが、このキャラクターをこの俳優さんにこのタイミングで演じさせたのは奇跡だと思う。
Asaさんがエンダーを(いいタイミングで)演じられたのは、この映画を撮影した時期のみ。今現在、おそらく彼はもうエンダー を演じるには大きくなりすぎている。撮影は2012年2月からだとあるので、4月生まれの彼が15歳になったばかりの頃で最高のタイミングだったのだろう。
背ばかりひょろひょろと伸びて筋肉が全く付いていない細い身体。純粋さともろさ…と同時にとてつもない冷酷さを併せ持った透き通るような青い目。子供特有の癖の無い無表情な顔。それに屈託の無い無邪気な笑顔。何故かほくろが多いが完璧でないところに凄みを感じる。どこか荒い印象。何を考えているのか分からないような不気味さ。何から何までこのエンダーという「特殊な子供」のイメージにぴったり。文句のつけようがない。役柄と共に、彼のあまりのカリスマ性に映画を通してドキドキさせられる。
彼が画面に現れるだけで「特殊な子供」=エンダーがいると納得できる。声変わりしたばかりの若い声にあの氷のような青い目、冷酷な表情…見物ですよ彼は。ぶっちゃけ彼を見るだけのためにこの映画を見てもかまわないと思う。それぐらいこの俳優さんは素晴らしい。
子供が大きな責任を負わされるという設定にも言いようがないほど心を揺さぶられる。「特殊な子供」とはいえ、あの細い肩に背負ったものの大きさを考えると恐ろしくて心が震える。そんな難しい役をこの若い俳優さんは完璧に演じきっている。大きな拍手。
今年7月のイベントでの彼の写真を見たが、もう16歳の青年になっていてあの神秘性は無くなっていた。大きくなりすぎた。子供に自意識が出てくると表情が変わる。思春期に入ったばかりの少年=子供の神秘性は、もう二度と戻ってくることは無い。Asaさんも大きくなったら意外にに普通の青年になってしまいそうな気もする。ほんとによくあの時期の彼をキャスティングしてくれたもんだと思う。
トレーニング施設でのディレクター、ハリソン・フォードのグラフ大佐。彼は軍の目的のために子供達を犠牲にすることも厭わない。もちろん人なので善悪が存在することは分かっていても、軍の目的がまず第一だと言い切る。エンダーが内に秘めた凶暴性を見せるたびに、将来有望だと喜ぶ。子供を戦士に育てるというこのストーリーのタブーを、観客に問わせないための大きな岩のような存在。少なくとも映画を見ている間は彼に同調してしまう。エンダーを完璧な戦士に育てる父親のような目が優しい。
そのほかの人物達も素晴らしい。脚本にも無駄が無い。
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★以下、強烈ネタバレ注意
2. 究極の疑問について
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過去に敵が襲ってきた。また襲ってくるだろうと予測する。
被害を繰り返すことは避けなければならない。
子供には大人に無い能力がある
能力を持った「特殊な子供」を戦士にする為にトレーニングする
敵が襲ってくるのを待たずに、こちらから攻撃をしかける。
結果を出す
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この考え=戦略を、現実に私達の時代に置き換えてみると、この映画の見方が180度変わる。これをこのまま現存する国の海外戦略に当てはめてみると、これがいかに恐ろしいアイデアなのか…が分かると思う。もちろん敵は宇宙人ではなく、どこかの国という設定に変える。
「敵が襲ってくる前に攻撃をして敵を倒してしまう…。」現代に生きる私達にはあまりにも馴染みのある言葉ではないか…。2003年に始まった戦争を思い出すといい。原作は1989年に書かれたそうなので驚いたが、そのあたりの予言的な偶然も非常に興味深い。
究極の疑問とは、自己(自国)を守る為ならどのような手段を使ってもいいのか。「(自己を守る為)敵が襲ってくる前に攻撃をする」ことは正しいのか。(自己防衛のため)敵を徹底的に叩き潰す事は許されるのか。そもそも敵と分かり合うことは可能なのか。そしてまた悲惨な戦いの終わった後で敵を救う事にもまた救いはあるのか…。
この映画はそんな疑問を投げかけてくる。
正直に書くが、1回目に見たときはなんの疑問も持たなかった。この映画での敵(宇宙人)は「たかが虫…」だと思った。ハリソン・フォードがエンダーの凶暴性を見て喜べば私も喜んだし、エンダーが最後に結果を出せば、見ている私も迷うことなくハリソン・フォードやベン・キングスレーとともにエンダーを手放しで称賛した。だって敵は「虫」なのだ…。屋根裏の危険なスズメバチの巣は駆除して当然じゃないか。
そのため、結果を出したエンダーが慌てふためいて苦しみ、最後に卵を持ち出す場面の流れは、さっぱり理解出来なかった。なんでそんな余計な事をするんだろうとさえ思った。
ほぼ2時間の映画のほとんどを勧善懲悪イケイケゴーゴームードで見ていたのに、急に最後の15分ほど(もっと長いかも)で流れが変わり、あれっ?と思わされる。1度目に見たときは、とにかく沢山の?????が頭に浮かんで消化不良のようになってしまったので2度目の鑑賞。
2回目、じっくりと台詞を聞いていくと、次第にどういう意味を持った話なのかが分かってくる。設定を現存する国同士の戦争に置き換えてみると、上記のようにとんでもない話だということに気づかされてゾッとする。
劇中、その問題に正面から良心で立ち向かうのは主人公のエンダーだけ。そしてその行動も、まさにエンダーが「(他とは違う)特殊な子供」という証なのである。
それでも私の個人的な疑問は止まらない。例えば、平家を滅ぼした頼朝・義経兄弟はどうなのだ?エンダーがやっていることは、彼らを救った池禅尼と同じではないか。そもそも卵の話が(虫のような外見の)敵にも知性や感情があったとエンダーが理解したための救済であるとするのなら、そんな知性を持った「虫」が将来エンダーのやったことを知らずに済ますわけがないではないか…。
いやそれよりも、もし彼ら宇宙人がそもそも知性の無いただの「虫けら」なら、あの救済も必要なかったのか、それともやはり必要なのか…。
そんなことを考えると頭がぐるぐる回り始めて永久に答えが出ない。原作を読んだ旦那Aとも暫くの間、敵をゴキブリやスズメバチやウサギに例えて論議を重ねたが答えは出ていない。とにかくいろいろと考えさせられる。2時間の映画の最後のたった15分のために…。
ただ単純にSFのアクション映画だとばかり思って見に行ったら、ずいぶんいろいろと考えさせられることになった。だからこそこの映画は面白い。Asa Butterfieldの素晴らしいエンダーと共に、美しい映像、ショッキングな内容も娯楽として非常に楽しめる。特に音響のいい劇場で見ると宇宙酔いしそうになるほどの臨場感。それもまた楽しい。
最後の15分で急に流れが変わる構成は、好き嫌いがあるかもしれない。もうすこし時間をかけて最後を丁寧に描けば、もう少し違う印象の映画になっただろうとも思う。
最後の疑問
惑星の基地で、歩けるような近距離に虫がいることに、エンダー以外どうして誰も気づかなかったんだろう?