秀吉と茶々。この大河でどんな扱いなのかは非常に興味があった。茶々にとっての秀吉は、自分の伯父の家臣。若い娘ではあっても、元々は自分の方が格が上であることは解っている。それに秀吉は下賤の出自。変わり者の伯父に拾われて、幸運にも農民から大名になった意地汚い成り上がり者だ。ルックスも猿のよう。おまけに母、市の嫁いだ柴田勝家は秀吉その人に落とされた。母は義父と自害する。秀吉に殺されたも同然だ。茶々にとって秀吉は母の仇なのだ。母は秀吉のもとに下ることも出来ただろうが、そうしなかった。それは秀吉のような者に身を寄せることが屈辱だったからだろう。秀吉のもとに下るくらいなら死んだ方がましということだ。茶々はそんな母を見ている。
このドラマでも母は死ぬ直前に茶々にこう言う「美しいわが娘よ、その美しさであの猿を殺してしまえ。」この言葉、どのようにでも解釈できる。史実の結果を既に知っているのだから、この言葉がどのようにドラマとして料理されるのか興味があった。
これは参った。こんな演出をするとは思わなかった。
このドラマの茶々、若い松たか子さんが演じる。実はこの女優さんの演技、ほとんど見たことがない。近年、映画作品で主演女優賞を総ナメしたことを聞いている。上手いのだろうとは思うがとにかく想像ができなかった。いやー参った。こんなにすごい女優さんだとは知らなかった。この時の彼女は19歳。若いのにこんなに実力のある女優さんはめったにいない。末恐ろしいとはこういう人の事を言うのだろう。脚本もすごいのだろうと思うが、この天性の女優ぶりには舌を巻く。あーびっくりした。思わずまたしつこくブログを書いてしまう。
この茶々は非常に若い。ちょっと影があるようだが、普段は明るく無邪気に振舞うことのほうが多い。育ちが良すぎるのだろう、口調にも遠慮がない。まっすぐな性格で、何事にも臆することがない。視線が非常に強い。黙っていると何を考えているのか分からない。どんな相手も真っ直ぐ正面から見つめる目線は礼儀を欠く程だ。あの信長の姪であることから来る絶対的な自信だろうか。この怖いもの知らずの若い娘、あまりに松さんにはまっていて「あー梨園のお嬢様だからこんなオーラが自然に出るものなのだろうか」と思った。
時は過ぎ、この茶々、石田三成に心を寄せはじめる。そうか秀頼は三成の子か?と一瞬思わせる。だがそうではない。この茶々の心理、非常に複雑なのだ。そもそもは興味本位。恋に恋する娘なのだろう。この自信に溢れた美しい若い娘は自分の魅力をよく解っている。そんな自分の魅力を試してみたくてしょうがない。城の中の生活なんて退屈なのだ。三成はたまたまそばにいた。茶々は19歳、三成は28歳。ハンサムなのも都合がいい。ちょっとステキな年上の男性なのだ。
しかし彼女はただの若い娘ではない。母の遺言もある。自分の政治的な価値ももちろんわかっている。秀吉は時の最大の権力者だ。秀吉との運命も大方理解しているのだろう。だがそんな年老いた秀吉との関係は楽しいわけがない。目の前にいるのは若いハンサムな三成。ここで、もし三成と既成事実を作ってしまえば、そんな運命から逃れられるかもしれない。ただ三成には政治的な地位も力もない。そんな小物に自分から動きたくはない。でももし三成が動いてくれたら…。この娘は迷っている。三成は真面目な堅物だ。茶々は、彼が彼女に(簡単には)手を出せない事を知っている。そんなことを解っているからこそ三成を惑わせる。「もしかしたら…。」ああ若い娘はなんと残酷なんだろう(笑)。
この松さん、小悪魔美女オーラ全開なのだ。びっくりだ。この娘は危ない。若い娘の絶対的な自信で真田三成を誘惑。三成くんはタジタジだ。松さんの実年齢はこの時19歳だが、36歳の真田さんがドキドキしているのが手に取るようにわかる(笑)。大河ドラマでこんなシーンがあったなんて。見ものですよコレは。
さて、その後秀吉とはどうなったのだろう。この茶々、小娘なのに誰に対しても人を食ったような振る舞いをする。秀吉に対しても同じ。秀吉のことを「かわいい」などと正妻おねの前で言ったりする。困ったものだ。この時点で秀吉は、彼女の事を可愛い娘としか思っていない。家康の息子との縁談の話が出たときに初めて逆上し「茶々はどこにもやらん」と怒鳴りつける。この時秀吉も自分の激昂に驚いたかのようだ。
さてその後秀吉は三成の計らいで、夜寝室で茶々と二人きりにさせられる。さてここだ。どうなるのか?この時点まで、秀吉は茶々を娘としてしか見ていない。このドラマ、この時点までは善人秀吉のドラマなのだ。視聴者に嫌悪感を抱かせることなく、史実どうりに茶々と親密になる話を進めることができるのだろうか…。
結果は驚くべきものだった。まず二人の会話。突然、茶々が「お情けを下さい」と言う。秀吉は馬鹿ではない。「お市様に猿を殺せと言われてきたか。」「はい」と茶々。そこで、はっとさせられる。この娘、どうやら心を決めたらしいのだ。
母の仇を討つことが彼女の生きる理由であること。それは避けられないさだめであること。(言外に匂わせるだけであるが)母の仇を討つとは秀吉の女になること(この意味の詳しい説明はしていない)。目には大粒の涙がこぼれ出して止まらない。死んだ母に言いつけられた使命。出来なければ自害するしかない(それくらい母の意志は大きい)。でも若い娘個人としてはいやでたまらないのだろう。それとも運命に逆らえなかった悔しさだろうか。もう後戻りは出来ない。それが大粒の涙。そこに秀吉が心を動かされる。茶々の心を助けるべく茶々を受け入れるのだ。これなら秀吉は、色欲に駆られたいやらしいオヤジではない。このストーリー展開には仰天させられた。
その後、茶々の寝室から出てくる秀吉。母なかは本気で息子を諫める。いいかげんにせよと。そこで秀吉の顔が変わる。急に機嫌が悪くなる。その直後の三成との会話は全く茶々のことと関係ないのだが、秀吉の表情から彼の心が見えてくる。この男は後悔している。茶々と関係をもったことを非常に後悔しているのだ(もちろんこのドラマの中だけのこと)。このドラマの秀吉、破天荒ではあっても、道徳心は大変強い人として描かれている。簡単に道徳的な常識を覆すような人物ではない。上司には忠実な部下だし、友人を故意に裏切ることだってない。本能寺の変の後でも光秀を討つ正当な理由を見つけるまでにかなり時間がかかった人だ。そんな人だからこそ、この茶々との関係も単なる「よかったね」ではすまされない。
秀吉は茶々の心を救うために彼女を受け入れた。一瞬の心の迷いだ。だが、孫と言ってもいいほどのこの娘(32歳年下)は、あの主君信長の姪だ。お姫様なのだ。「自分は彼女を大切に守り育てる父親であるべきだった。」この時の秀吉は51歳。どんな理由であっても、この誠実な秀吉にとって主君筋の姫君と関係を持つことは大変なタブーなのだろう。後悔で頭がいっぱいなのだ。「道を誤った…もう取り返しがつかない」そんな表情だ。これは参った。こんな設定にするなんて(これは私の個人的な解釈。秀吉もその後は後悔したことなど忘れてしまう)。それに大陸出兵などというとんでもない構想もその後の迷走も、こんな小さな心の迷いから始まったとも言えるのだ。実際にこのあたりから秀吉はおかしくなる。大変だ。
私の脳は、完全にこの大河ドラマに参っているので、もう何があっても文句を言えない状態だ。すべてを深読みして、ああそうかそうかと無理にでも納得して喜んでいる。番組の放送当時も茶々の洋装が賛否両論だったりしたようだが、あれにもいっさい文句はない。(普通なら失笑ものの)あの洋装シーンで、松さんの体当たりの演技に圧倒された。演技がよければ衣装なんてどうでもいい。むしろ若い娘の心理描写としては大変面白いものになっている。
それにしても、秀吉をあくまでも善人として描くこの脚本には驚かされる。こんな設定はもちろん史実ではないだろう。史実の秀吉は好色で、本来なら手の届かなかった格上の女性達を次々と自分の側室にして喜んでいるような(ある意味)小さい男だ。他の多くの側室達と同じように、茶々だって自分の権力に任せて言いなりにさせた戦利品のひとつでしかないだろう(と私は思う)。
しかしこの善人秀吉、これでいいと思う。フィクションとして面白い。そもそも史実どおりに再現したら、この後の秀吉の暴君ぶりなんて放送禁止ものらしいのだ。それに400年前の個人の正確な心理状態の記録なんて一切残っていないのだから。ドラマの脚本では、過去の人物の残された行動の記録、手紙などを元に、作家、脚本家が、ドラマの展開に合うように人物像を作り上げればそれでいいのだ。納得できるのなら、秀吉が善人であろうと悪人であろうとどちらでもいい。この話は(この時点までの)秀吉を見事に善人として徹底させている。かなり強引だがすごいと思う。