能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2018年8月22日水曜日

TBS 日曜劇場『この世界の片隅に』第5話



こちらでは1週間遅れて今週5話が放送された。また感想を書こう。このブログはTVのドラマは最終回に全体の感想をまとめて書く事が多いのだけれど、このドラマは一話ごとについつい感想を書きとめておきたくなる。

名場面が2つありましたね。
1.すずを訪ねてきた水原さん(村上虹郎さん)。
2.息子を亡くしたお母さん(仙道敦子さん)。
 
それぞれのシーンが素晴らしかったです。まず役者さんの演技が素晴らしい。その演技を引き出す脚本もいい。こんなに心動かされるTVドラマは近年あまりないかもしれませんよ。
 
 
1.周作の複雑な心

まず水原さん関連。これは…深い。3人の登場人物の心理描写が複雑です。切ないのよね水原さん。北條家を訪ねて来た水原さんをめぐる一晩の話は、周作君も水原さんもすずちゃんも本当に素晴らしかった。
 
実は私はこの「周作が夜、すずを水原のいる納屋へ送り出すエピソード」を映画のアニメ版で見たときには理解できなかったんですよ。戦時中とはいえ夫が嫁を差し出すなんて…まさかそんなことはしないだろう…と思った。ところが、このドラマではわかったと思ったんですね。上手い脚本と演技で理解できたと思った。たぶん。
 
私はこう解釈しました。間違ってるかも知れないけれど。
 
水原は青葉で戦闘を経験し、戦友を何人も亡くした後に陸に上がってきた。「…活躍も沈没もせず、同期も靖国へいってしもうて…」
 
彼がすずの嫁ぎ先の北條家をわざわざ訪ねてきたのは、死ぬ前にどうしてももう一度すずに会いたかったから。ただ彼女の顔が見たかったからなのだろうと私は思います。幼馴染みの女性の嫁ぎ先に泊めてくれ…なんてずいぶんずうずうしいような気もしますが、彼にとってはすずに会えればそれでいい。もう死ぬのだからどうしてもすずに会いたい。彼の意図はおそらくそれだけだったのだろうと思う。
 
それでも最初、周作は突然尋ねてきたこの男にむっとしているのね。食卓ですごく嫌な顔をしている。水原も(自分には後がないと思っているせいなのか)北條家の食卓ではずいぶん遠慮なくずけずけと色んな事を言う。すずを自分の女のように「すずがお世話になりよります。ま、もしあれじゃったら遠慮のう言うていただければ連れ帰ります(笑)」。水原は周作がおとなしいからついマウンティングをしてしまったか、それとも北條家のお父さんがいなかったせいでつい騒いでしまったのか。
 
その水原のずうずうしさを止めたのはすず。水原に向って真正面から文句を言う。二人とも幼馴染だから言い合いぐらいは普通に出来る。ところがそれを見て周作がまた驚く。そんな風に男に真正面から口答えをするすずを周作はそれまで見た事がなかった「俺の知らぬすずさん…すずさんはこの男とそんなに親しかったのだろうか?」
 
その後(すずがお風呂に入っている間の)水原と周作の会話。水原が青葉での様子を語り「死に遅れるというのは、焦れるものですのぉ。いよいよ次が最後かのぉ…」 それで周作は全てを察してしまう…いや察し過ぎてしまう。周作は水原がすずと一晩を過ごすために訊ねてきたと勘違いしてしまった。
 
私は水原は、すずの顔を見る以上のことは考えていなかっただろうと思います。ところが周作は、水原の語る「次が最後かのぉ」の言葉に過剰に反応。周作は水原とすずの関係を勝手に察してああいう行動をとってしまう。………あれは気の弱い男のすることだわ…大変迷惑。
 
もちろん周作の心もわからないわけではない。周作は当時の男達が皆そうであったように自らも戦地に行ってお国のために戦いたかった。ところが(身体のせいなのか)戦場に行く事が出来ない。それを周作は申し訳なく思っている。だから既に戦闘を経験し今度出撃したら最後だろう…と語る男の願いはかなえてあげなくてはならないと思ってしまう。
 
だから彼が家の中で水原に「ここに泊めるわけにはいかん」と言った時は、周作はもう心を決めているんですよ。まさか同じ屋根の下で他所の男と自分の嫁にそんな状況を許すわけにはいかない。だから二人を納屋に送り出す。
 
周作は水原の願いをかなえてあげようと勝手に一人で決心しているわけです。そしてお風呂から上がってきたすずに、水原に行火と持っていけと言う。「ゆっくり話でもしたらええ。もう会えんかもしれんけえのぉ」もちろんそこにすずの気持ちへの配慮はない。
 
すずももちろん周作の意図を理解していない。
それで突然玄関で寝間着のまま締め出されてびっくりしてしまう。
 
一方水原は、納屋の階段をひとりで上ってきたすずを見て周作の意図を理解する…すずの夫からGOサインが出たと。それで一歩踏み出そうとする。…いい雰囲気になったところで、すずが「あの人のこと…」と言う。水原もすずの心を直ぐに察する。
 
「ほうか…謝るのはわしのほうじゃ。困らせたのぉ。悪かった。甘えとった。一日ぐらい、今日ぐらい、甘えとうなった。許せ。ほうか…馬鹿な奴じゃ思っとってくれるか」
すずが「うん」と言うと、水原は一瞬寂しそうな顔をする。
「普通じゃの。すずは。当たり前のことで怒って、当たり前のことで謝りよる。ええなぁそういうの。そうじゃないことだらけじゃけえのぉ。じゃけ、すずが普通で嬉しいわ。安心した。ずーっとこの世界で、普通で、まともでおってくれ。わしが死んでもな。わしが死んでも、いっしょくたに英霊にして拝まんでくれ。笑うてわしを思い出してくれ。それが出来んようなら忘れてくれ。な。」

この場面の村上さんが本当に素晴らしかった。すずを真正面から見つめる時は訴えかけるように少し微笑みながら話しかけ、目をそらした時にふと寂しそうな顔をする。もうたまらないこの場面。
 
余談ですけど、私はこの状況なら水原さんに抱かれるかもしれない(世の中の皆様大変申し訳なく候)。これから死に行くと言っている人を拒否できるだろうかと思う。しかしそうなれば夫の周作との仲は決して元には戻らないでしょうね。周作君は真面目な人ですからね。何かあったらその後は夫婦の間に必ず溝が出来ますよね。すずちゃんが水原に抱かれなかったのは、現代のドラマだからなのかなとも思う。あの時代にあの状況で何もないとは…ないでしょう…うーん困った。水原さんがかわいそうだ。周作君は余計な事をする。
 
翌朝、旅立つ時に水原が言う「すず、お前、べっぴんになったで」私はここで泣きました。もう最後かもしれんもんね。切ないわ。道でおじいちゃんが「御武運を」と敬礼すれば水原「ありがとうございます。いってまいります」と敬礼。軍人の顔に戻っている。これも泣く。
 
その後の周作君の嫉妬。すずちゃんも昨晩のことを怒っているから二人とも何も話していないんですよね。…で周作がすずちゃんを睨むようにじーっと見る。うわーこれも嫌ですねぇ。自分から嫁を差し出したのに。彼もサバサバしていないな。周作君はなかなか複雑な人ですね。それだけすずちゃんのことが好きなんですけどね。すごいドラマだと思う。
 
最後は仲直りできてよかったですね。
 
 
2.息子の死を認めないお母さん
 
この仙道敦子さんのお母さんがまた素晴らしかった。彼女の場面は比較的短い時間。それでもこの場面での仙道さんのお母さんには泣けました。彼女は素晴らしい女優さん。
 
このお母さんは、息子の死を受け入れていないのね。拒絶している。

台所で娘達に向って「ちがう。要一と違う。死んどらんよ、あの子」。これは錯乱しているわけではないんですよ。たぶん心の奥底では息子の死を理解していても、気持ちがそれを事実だと認めることを拒否している。娘達に「ちがうのよ」と言葉に出して言う事で「本当に違うんだ」と自分にも言い聞かせているんですよ。「息子は死んでいない。これは間違いだ」息子の死を認めないためなら、どんな事柄もその証拠にしてしまう。遺骨がなければ=息子は死んでいない。

息子の遺骨の入った箱を開けるなと軍に言われても、
「うちは開けてみたよ。息子の骨を見んでおられる母親なんておらんでしょうが。開けてみんの、あたりまえじゃ」…そのとおりです。

うっかり開いてしまって転げ出た石を見れば、
「あの子は死んどらんのよ。帰ってくるわ。そのうち。ね」

周作が遺骨の無い理由を説明すれば
「なに言うとるん。あの要一が簡単に死ぬわけなかろ。」と言いながら、大きな目に涙が溢れ出て…泣き崩れる。

このお母さんの演技はすごかった。気丈に振舞っていて、とにかく息子の死を認めない。絶対に認めない。遺骨も無いなら亡くなった証拠がない。だから息子は生きている。きっと帰ってくる。

脚本もすごいが、仙道さんが本当に素晴らしい。このすずの兄の戦死の場面は、深く掘り下げた描写がないからこそお母さんの悲しさが強く心に響きました。このドラマは俳優さん達が本当に素晴らしいです。

またまたついつい書いてしまいましたが、今後も感想が書けるかどうかわからない。