すごい話になってきましたね。こんな話があったなんて知らなかったです。
世良修蔵(小沢仁志)という人物がいたこと、それに薩長から仙台藩に対して、会津を攻撃するようになんて話があったことも全く知りませんでした。うわーすごいな。なんで会津はこんな事になってしまったのか…理不尽すぎる。
やっぱり以前、頼母さんが反対したように、会津藩が京都守護職を受けたことが全ての始まりだったとしか思えない。
徳川に忠義を尽くすために会津は京都守護職を受け、京で孝明天皇に信頼されて言われるままに長州を排除。ところが孝明天皇が急逝してから朝廷のバランスが逆転。公家と組んだ長州と薩摩がのし上がってきた。将軍家茂も急逝。薄情な慶喜公が徳川を継いだが、会津藩は都合よく使われるだけ。大政奉還。新政府軍=官軍と旧幕府軍の戦争になったとたんに、将軍慶喜公はさっさと責任を逃れて引退。将軍が引退した後に残った会津は、当然旧幕府軍=賊軍の代表にされてしまう。頭に血が上った薩長軍は戦争がしたくてたまらない。その標的はもちろん会津…。
これはたまらないですよ、ほんとに。容保公の立ち回りが悪かったというのも確かにあるだろうけど、それだけじゃないですよね。運命というのか、このあたりの歴史の成り行きはあまりにも理不尽。やはりどう考えても京都守護職が間違いだったとしか思えない。何も悪いことはしていないのに。会津は悪くないです、決して悪くない。それなのに戦争は避けられない。犠牲になるのは会津の民。なんて歴史は残酷なんだろうとつくづく思う。
そんな状況を見ていた奥州の他の藩も、やっぱり黙って見ていられなかったんでしょう。交渉中も最初から会津寄りなんですよね。そりゃそうだ。薩長人なんて官軍とは言っても、得体の知れない西の外れの野蛮人。言葉も振る舞いも一切馴染みの無い外国人のようなものだったんじゃないかと思う。
たまたま血の気の多い世良修蔵という人が奥羽鎮撫総督府下参謀になって送られてきたことも運が悪い。この人がこういう荒っぽい人でなかったら、ここまで事がこじれることもなかったのでは。そもそも薩長は会津と戦争をしたくてたまらないのだから、この時点では何が起こっても会津が自動的に全ての責めを負うことになってしまう。奥州が一致団結したのはいいけれど、結果、国を西と東に二分した大規模な内戦に突入することになってしまった。そこに将軍の姿は無い。いったい誰の為に戦っているんだ。もう言葉も無いです。本当に史実を知れば知るほど怖いなと思う。
世良修蔵さんの描写も興味深い。この人は元々庄屋の息子が努力をして士分になったとあるので武家の出身ではないらしいんですね。そんな人が奥州で、大名や家老クラスの人達に横柄な態度をとるのも異常事態。時代の常識からすれば考えられない。とんでもないことですよ。当時はまだガチガチの身分制度があたりまえだった時代。保守的な奥州の藩ではまだまだ身分制度がしっかりと残っていたはず。そんな土地柄で、いかにも成り上がりの人間がああいう無礼な態度をとるとどうなるか…。結果は見えてますよね。
脚本も仙台藩の藩士に世良さんのことを「成り上がりの下郎が」と言わせてる。史実でも世良修蔵さんはかなり荒っぽい人だったらしいです。元々出自の低い彼が、身に余る大役を命じられて張り切りすぎた感は否めない。あの礼儀に欠いた尊大な態度もコンプレックスの裏返しだったのかもしれません。仙台藩の藩士達が彼のような人物にキレたのも当然。歴史は生身の人間の行動や感情、思念で動かされていくということです。ほんとにどうにもならない事が重なって歴史を作っていくということ。すごいです。
新政府軍がこういう人物をとりたてたのも興味深い。過去の大河『龍馬伝』では、身分制度に不満を抱える下士達が新しい世を作っていくという話でしたが、今回のドラマは全く反対側からの目線。西からの新しい風が入らなかった奥州の士族達にとっては、260年も続いてきた社会の体制を守るのはあたりまえ。いきなり賊軍といわれても寝耳に水。今回の話も、奥州の上・中流階級の藩士達が、西の成り上がり者に無理難題を押し付けられてコケにされ、あまりの酷さに耐えられなくなり立ち上がるというもの。奥州側に心を寄せれば、彼らのやったことも十分理解できることなんです。
だから歴史ドラマは面白い。見ているこちらもドラマの内容によって、西の側になったり東の側になったりする。もちろん今年は旧幕府軍の側。結末は分かっていても奥州31藩が結束して奥羽越列藩同盟を立ち上げたと聞いてなんだか嬉しくなった。もう脳内は奥州連合イケイケですよ。会津の藩士達と共に生きているような感覚。一緒になってドキドキしてます。
それにしても今年はことごとく史実を再現しているみたいです。今回のドラマを見てから世良さんの事を多少調べたのですが、襲撃された時の場面なんてかなり正確らしい。処刑は河原だったことが違うだけ。史実がすごいと何の脚色も必要ないという一例ですね。
ドラマは細やかに、それぞれの人々の状況を平行に描いていきます。
会津藩が仙台藩や米沢藩と交渉を続けている間、八重ちゃん(綾瀬はるか)とその家族は三郎と覚馬の死から立ち直ろうとしています。そんな頃、新撰組の近藤勇(神尾佑)の死の知らせも(←この俳優さんはもっと見たかった)。世良さんが暗殺されてから1968年6月10日に白河城にて戦争開始。城は10日で落城。奥州31藩の奥羽越列藩同盟成立。官軍を敵にして奥州が結束することになりました。
そのちょっと前に、慶喜公は江戸を引き揚げて水戸に行くことになったらしい。勝さんと話してます。この人のあきれるほどの情の薄さ、面の皮の厚さは、いかにも「我関せず」の上流階級そのもので可笑しくなるほど。成り行きとはいえ会津が全ての責めを負っていることも分かっているだろうに、
「勝君、君はボクのこと好き?それとも幕府の為だから働いたの?。ボクに会津君ちみたいな家臣はいたっけ…」と不安な表情。
それでも「徳川は残ったし、江戸も戦火を免れた…よかったね。でも会津君は大丈夫かな……………………でもまあいいや…。」
これで退場。この人は全く変わっていない。人の情が一切無い。全ての危ない状況をスルスルとすり抜けて、ご自分は全く火の粉を浴びない。周りがどんなに苦しんでも、所詮「しもじものこと」なんですね。あまりにも別世界に住んでいる人なので憎む気も起こらないほど。見事です。あの綺麗な顔でここまで薄情だと憎むことすら忘れてしまう。この慶喜公はこのドラマ一のはまり役でしょう。もう出てこないのかな。