2013年6月18日火曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第24回「二本松少年隊の悲劇」



会津はもう負け戦に入ってるんですね。

先週は白河城が落城。その後奪回戦が3ヶ月ほど続いたそうですが、奥羽越列藩同盟軍は苦戦。結局城を奪回することはなかったそうです。歩を進める官軍には、板垣退助(加藤雅也)が300人の兵と共に参戦。奥州街道を登る作戦は板垣さんのものらしい。そして官軍は一つまた一つと圧倒的な武力をもって旧幕府側の城を落としていく。その間に秋田藩が官軍に寝返った。会津は後方も敵に狙われることになる。

官軍は勝ち進み二本松に到着。そこで迎え撃つのは幼い少年達の部隊。何よりも驚かされるのは少年達の年齢。13歳の子もいる。そんな子供達が銃の訓練を受けて戦場に出て行くという異常さ。史実だそうです。彼らの場面になってからは涙を抑えることが出来ませんでした。役者さん達ももちろん子役の男の子達。隊長の「誇りを持って戦え」という号令に「はいっ」と返事をする声も可愛い子供の声。

この時代というのは、それまで誰もが皆平和な江戸時代に暮らしていたわけで実戦の経験なんて全く無いはずなんですね。そこに急に戦争が始まってしまった。大人でさえ戦争なんて誰も経験したことが無い。武芸として磨いた腕も実戦では使ったことがない。大人も子供も全員が戦争を知らない世代。ドラマの後の「八重の桜・紀行」で、二本松の少年達がまるで修学旅行にでも行くようにはしゃいでいたとあったのですが、実際にそれぐらい皆無知でイノセントだったのだろうと思う。誰もが「殿のため、お家のため」と迷うことなく戦に赴いたんですね。


子供があたりまえのように戦場に送られる。それは現在21世紀の私達から見ればとんでもないこと。ところがこんな145年も前の信じられない話も、つい70年ほど前までは現実にあったことなんです。

実は今回を見ていて、太平洋戦争終戦間近の日本の、特攻隊の少年兵達のことを思い出してしまった。日本も70年ほど前までは少年達を戦場に送り出していたんです。戦争も終わりに近づき、もう負け戦と分かっていても最後の最後に玉音放送を聞くまで178歳の子供達がお国のために死んでたんです。それを素晴らしいことだと国民全員が信じてました。

みんなそう。このドラマで八重ちゃん(綾瀬はるか)が、殿のため、死んだ弟のために銃をとるのも、会津藩が負けると分かっていてもなお必死で官軍に抗戦するのも、幼い少年達が戦に出て行くのも、女性達でさえ薙刀を持って戦おうとするのも、西郷頼母(西田敏行)の家族が誰一人として「戦争はいやじゃ」なんて言わず「お家の名に恥じぬよう立派に…」と言うのも、太平洋戦争時代の日本と全く同じ。あの時代の人達もみな「お国のため」に迷うことなく戦ったんです。会津が無謀であればあるほど、愚かであればあるほど、頑固であればあるほど、まるで70年前の日本そのもの。だからこそ会津に肩入れしてしまう。負けると分かっていても応援したくなるんです。悲しいんですね。こういうふうな感情で見てしまうともう理屈で何が正しいのか何が悪いのかなんて言えなくなってしまう。

(特にここで説教をするつもりは無いですが)歴史上の、悲しい話でも苦しく醜い話でも正確に描写して、それで視聴者それぞれに考えさせることこそが、大河ドラマの本来あるべき姿。それを今年の大河ドラマは忠実にやってくれている。二本松の少年達を「厭戦反戦ボーイズ」にしなくて本当によかったです。彼らが純粋に「殿のため、お家のため」に必死で戦うからこそ悲しい。歴史の真実を描くからこそ後世の人間はそこから学べるんです。

近年のドラマで、戦国時代の人物達でさえ全員反戦モードなんて絶対におかしい。あの血生臭い時代を全て綺麗ごとのお姫様ごっこ話にするなんて間違ってます。歴史の真実を描いて、そこから学ぶことこそが歴史に散った人物達への供養になるんです。二本松の少年達に合掌。


このドラマの脚本のすごいところは、こういう悲しい話でも必要以上にひっぱらないこと。二本松少年隊の悲劇も大きな歴史の流れの一幕。八重ちゃんを絡めてもただのお涙頂戴話にはしていない。冷静に淡々と歴史を見つめる目がある。それが素晴らしい。淡々としているからこそリアルです。

官軍と旧幕府軍をはっきりと善悪で描いていないのもいい。むしろ驚くほどニュートラル。淡々と史実を追っています。官軍が勝つために情け容赦ないのも事実。会津が必死になって抗戦するのも事実。会津が未だに火縄銃で戦っているのも事実(火薬なんて関が原の時代のままの配合だというのにも驚いた)。会津に肩入れするドラマとはいっても、特に官軍が酷いようには描いていない。官軍の人物が少年兵を逃がそうとするのもその一つ。彼らもやるべき戦をやっているだけ。実際にはいろいろと酷い話もあったそうですが、そこに焦点をあてるとドラマの趣旨が変わってしまうため描写を避けたのだろうと思う。現代の私達に憎しみの感情を思い起こさせては本末転倒ですから。ただただ時代の大きな流れに飲み込まれた人々の様子をそのまま描こうとする意図なのだろうと思う。



会津藩内の軋轢も詳しく描いています。急に任せられた白河城戦で敗戦し、停戦を促す西郷頼母。しかし彼には現実が見えていない。停戦を申し出たところで今さら戦争が食い止められるわけが無い。他の藩士達は京都から今まで戦ってきた。犠牲も出した。敵のこともよく分かっている。もう後が無いことも分かっているんでしょう。結果頼母は白河口総督を解任。もう会津藩内もギリギリの崖っぷちなんです。

もし今回悪役がいるのなら岩倉具視(小堺一機)。彼だけは好きになれませんよね。それに私怨に駆られたように見える木戸孝允(及川光博)。彼らに対しての視聴者の気持ちを代弁したのが松平春嶽(村上弘明)。「会津の謝罪恭順の願いを握りつぶして、奥羽一円を戦争に巻き込み、罪無きものを罰し内戦を起すことが大政奉還なのか」「歪んでおる。あなた方のつくる新しい国は、踏み出したその一歩から既に歪んでおる。誰の為の国づくりぞ。とくとお考えあれ。」

実際にこういう事を言ったのでしょうか。現代的な視点ですから脚色ではないかと思いますが、これでバランスが取れるんですね。勝ったとはいえ官軍も決して正しいわけではない。歴史というもの、実際には勝った側の作っていく歴史なんだということも言っているんでしょう。それでも時代は動いていく。そのあたりのこの脚本の冷静なバランス感覚はすごいです。

会津戦争が終わって後の西南戦争も同じように描かれるのだとしたら、この激動の時代の不条理さと無常観のようなものが描かれるのかも。もしそうだとしたら凄いと思う。

最後に京都の覚馬(西島秀俊)。何度も牢番に妨害されながらも意見書「管見」を完成。それを時栄(谷村美月)に託します。この後彼はどうなるのでしょうか。