2011年12月30日金曜日

Perfume を海外へ-17 海外遠征でのリスク

最後に、海外展開へのリスクの話しを少し。海外に出ることには危険が伴うことも事実です。前述海外戦略のレベル2から3までの範囲なら、今の活動の延長線上なので、それほどの危険もないでしょうが、456の段階は、本人達が海の向こうの遠くにまで出かけていくわけで、時間もエネルギーも膨大に必要になってきます。成功するかどうかは、その土地での楽曲の売れ方次第でしょう。また遠征中に後に残された日本市場でのリスクも考えなくてはなりません。今後のことを考えても、あくまでも活動の拠点は日本に置くべきでしょう(あたりまえのことですが)。

そんな海外進出が命取りになった極端な例をひとつ。昔ピンクレディーというアイドルがいて、その時代の小学生の女の子で彼女達の曲の振りを踊れない子はいないと言ってもいい程の超スーパーアイドルだったのですが、76年デビューで78年までの2年間に前例が無いほどのヒットにつぐヒットを飛ばし続けたにもかかわらず、79年に入って急に失速していきます。理由は様々だと思いますが、その時期、彼女達の海外進出があったことも事実です。

ピンクレディーは、当時の日本人としては体も大きくルックスも非常に魅力的でダンスも面白く、アメリカ側からのオファーでアメリカに行ったらしいのですが、日本でのアイドルとしてのイメージを完全に捨てての海外進出だったんですね。アメリカで発売した曲もアルバムも全部アメリカ人の作曲とプロデュース。ビルボードで37位のシングルを出した後(それはそれですごいですが)帰国した時には彼女達の日本での居場所は無くなっていました。ほんのちょっとアメリカに行っている間=彼女達を取り巻いていた大人たちが海外海外と喜んでいる間に、日本の子供達は彼女達を忘れてしまいます。アイドルとしての彼女達の人気もすさまじいものでしたが、それだけに凋落も早かった。

たった3年足らずの日本での活躍の後の急な海外展開は、今思えばあまりにも性急すぎたものだったのでしょう。パフォーマーとして才能も可能性も十分にあった彼女達ならもっと息の長いスターでいられただろうと思います。そんな海外進出の直前に出したシングルが「ジパング」です。

結局、海外遠征は持ち出しがあまりにも多くてお金にならないと言われることが多いですし、本格的な進出はリスクも大きいです。音楽の配信で受け皿を作った上での単発ライブが現実的な考え方でしょう。実際に本格的な海外進出となると、Perfume本人達にはあまり楽しくないかもしれません。係わり合いになってくる全ての人々の労力を吸い込んで日本のファンも巻き込んでの大バクチとなるでしょう。