能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

この度の能登半島地震で 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 一日も早い復興をお祈りいたします。 ★NHK による様々な支援情報 能登半島地震 義援金・支援金の受け付け始まる 窓口まとめ 【随時更新】 https://www.nhk.or.jp/shutoken/ne...

2012年6月30日土曜日

日本人はスーパースターになれるのか-14

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察




これからのアジア・将来への可能性 -2-------------------------

14-●これからのアジア

西洋で変わりつつある状況をまとめてみよう。


中国の経済発展にともなって、もっと認識される中国=アジアの存在
中国映画産業の発展
 究極の近未来的に進歩した日本から発信される面白いもの
インターネット上のグローバル化・若者文化の交流
大量の質の高いK-POP
それにアジア各国が政治的に安定し、少しづつではあってもそれぞれ独自の文化を輸出できるようになってきていること
世界でますます増え続けるアジア製の製品。


…等など、こんな様々なことが混ざり合って、西洋から見たアジア全体の印象が、20世紀の頃の発展途上のイメージから少しずつ脱皮し、何か面白いものとして認識されしつつあるらしいことが見えつつあるのだ。西洋も現実として、これから発展する中国とその周りの地域をビジネス上の大きな市場として無視することはできない。「対西洋」という図式で言うのなら、インドの成長が著しいことも無視できないだろう。こういう西洋以外の国々の発展の意味は非常に大きい。国の経済的な力関係が変われば、それに伴って文化の交流が起こることも必然だからだ。私たちは今歴史の転換の真っ只中にいると言っていい。過去も現在もハードウェア(車、機械等)しか西洋に売れなかったアジア。そんなアジアが西洋に向かってこれからソフトウェア(文化、娯楽)を売れる時代が来るかもしれない。


あと10年、30年、50年かかるだろうか、将来ビルボードチャートにアジア人のスターがヒット曲をあたりまえのように送り込めるようになるまでに…。アジア人のセレブリティーがハリウッド映画でその名前だけで客を動員出来るようになるまでに…。いやハリウッドではなく、中国の映画産業がハリウッド以上に巨大になって、独自に世界クラスのスターを生み出すようになるかもしれない。今アジアが出来ることは、頭の固い西洋に対して出来る限り挑戦し続けることだろう。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる…いや上手くなければいけない。そうやって絶えることなく質のいいソフトウェアを発信し続けることによって、いずれ少しずつでも何らかの結果を出すことが出来るようになるはずだ。


中国映画もそう。K-POPもそう、日本のファッションもアニメも漫画もそう。こういうものが、ますます発展しつつあるアジアの経済とともに、アジアからの大きな風となって西洋に届けばいいと思う。いや現実には既に届き始めているのだ。




 

2012年6月28日木曜日

Perfume 3rd Tour「JPN」初回限定盤DVD オンライン分は売り切れデス


ぎゃーたまたまクレジットカードの更新の時期でもたもたしている間に、海外からネット上でも買える初回限定盤売り切れましたよ売り切れました。もうずいぶん前に気付いたのだけど、追加プレスがあるかと思い黙ってましたが、半月が過ぎてもまだ出ない。ユニバーサルさんオネガイ。もう一回私にチャンスをください。もう一回プレスして。

発売日12日で売り切れちゃうなんて(オンライン分)、プレス数が足りないとしか思えない。だって発売日の1ヶ月も前なのにもう転売のプレミアムの値段がついてるという噂。そんなのアリ?

もう一回出して下さいよ。海外組は店頭予約が出来ないんだもの。もうこれでおしまい? もう一回お願いします。通常盤なんて買わないもんね。だって限定盤ブックレット付きでしょ。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい…。

このツアーの動員数、およそ20万人だと聞いているけど、せめて20万枚はプレスしてるんだろうか。だって参加した人20万人に、チケット買えなかった人、物理的に行けなかった人、海外組…なんて考えたらうん十万プレスしても売れると思うんだけどな。
後の転売のプレミアムの値段を上げるためだけのような最近のPerfumeの初回限定盤。じゃあ最初からたくさん売りましょうよ。ドームの初回限定盤の中古なんて2万円もするのよ。だったら最初っからたくさん売った方がいいですよ。今の売り上げはプレスした分全部の値段が回収できるんだもん。オネガイシマス。6000円以上出しても平気な人が何十万人といるんだから、とりあえず売って売って売りつくして発売日を過ぎてから売り切れるぐらいにして下さいよ…。
ユニバーサルさん、オネガイ。もう一回チャンスをください。




日本人はスーパースターになれるのか-13

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察




これからのアジア・将来への可能性 -1-------------------------


13-●変わりつつあるアジア人の位置


実はそんな保守的で排他的なアメリカの大衆の意識がここ数年、ほんの少しずつではあるが、変わってきている。過去10年ほどの間に世の中は確実に変わってきている。西洋がアジアにも目を向け始めたのだ。ここでは、そんな動きを追ってみた。

近年、ビジネスの世界では中国経済の劇的な成長に興味の目が向けられている。例えばアメリカの知識層の間で、子供に中国語の個人レッスンを受けさせるのがここ10年ほど流行っていると聞く。世界的な投資家のジム・ロジャースは2002年に家族をつれてアメリカからシンガポールに移住した。彼の幼い娘は英語と中国語を流暢に話すそうだ。近い将来、ビジネスのチャンスを予想してのことなのだろうが、昔は考えられなかったことだろう。

そんな噂が聞こえるようなった頃から、中国の経済もますます発達し、国民の娯楽として中国国内の映画産業が急速に発達し始めた。現在中国は、国を挙げて映画産業をサポートしているという。その結果、質の高い中国映画も数多く西洋に輸出されるようになってきた。近年一番印象的だったのは『グリーン・デスティニーー/Crouching Tiger, Hidden Dragon』の西洋での爆発的なヒットだろう。チャン・ツィイーは文字通り世界的な大スターになった。その後中国映画産業は、既に世界で有名な香港スター達も取り込んでますます規模を拡大している。現在は西洋でも何ヶ月かごとに大掛かりな中国映画が封切られるようになってきている。

チャン・ツィイーが西洋でも名前を知られるようになった頃、日本を題材にしたハリウッド映画が次々にリリースされたのも記憶に新しい。『ラスト・サムライ』『ロスト・イン・トランスレーション』『サユリ』『バベル』これらの映画に描かれた日本人は、もう短躯で出っ歯で七三分けの分厚い眼鏡をかけた日本人ではない。驚いたことにこれらの映画にはハリウッドからの日本文化への賛辞、憧憬さえ感じられた。


ちょうどその頃日本映画も話題になった。『たそがれ清兵衛』がアカデミー賞の外国語映画賞ににノミネートされ、長編アニメーション部門作品賞を受賞した宮崎駿の名前は誰もが知ることになり、その後『おくりびと』は上記の賞を勝ち取った。


若い世代の間では、インターネット上で人種間の隔たりがなくなりつつある。アジア系アメリカ人の女の子のメーク指南の動画、東京ファッションに関するブログ(東南アジア人女性の個人のブログが世界中で人気らしい)。日本発のファッションや若者文化が少数ではありながらも、ネットなどを通じて世界に広まりつつあるらしい。 Perfumeの動画サイトでの人気もそのひとつになるだろうか。「Manga」「Japanimation」等の言葉も一般にも認識されるようになってきた。

それにここ5年ほどの(もっと前かな)非常にアグレッシブなK-POPの戦略。前述したように、彼らは非常に難しい市場に真正面から挑戦している。まだまだ大きな結果は出ていないらしいが、様々な戦略で大量に送り込まれるアジア人のシンガー達がいずれ何らかの形でマークを残すことになるのは明白だ。以前はアジアのものだからと興味を持たなかったアジア系アメリカ人が、徐々にK-POPを自分のルーツに近い誇れる存在として受け入れ始めている。それは、K-POPがアメリカのチャート曲を聴きなれた彼らの耳にも十分に受け入れられるレベルであること、それにK-POPの質の高い華やかなパッケージが魅力的なためだろう。すでにアメリカでは「K-POP」という言葉が認識されている。


それから西洋のブランドショップの広告にアジア人モデルが使われ始めたのも興味深い。現在、エンポリオ・アルマーニ(最新のキャンペーン映像は東京が舞台)と、ギリシャの宝飾ブランドのフォリフォリは、広告展開にアジア人モデルを使っている。もともとは中国の富裕層をターゲットにした広告展開なのだろうが、これらのイメージが西洋の市場にも使用されている。ブランドイメージの広告にこれほどあからさまにアジア人モデルが使われることは以前はなかったことだ(芸術的として人気だった山口小夜子を除く)。当然西洋のファッション誌にもアジア人モデルをよく見かけるようになった。

こういうアジア人モデル達が西洋の街角で壁面の広告のボード、雑誌に登場することの意味は大きい。こういうイメージは明らかにアジア人モデルを異国風でかっこいい存在として使っているからだ。それらが一般の西洋人に与える影響力を考えれば、世の中が変わってきていると言っても過言ではないだろうと思う。




2012年6月27日水曜日

NHK ドラマ10『はつ恋』第5回-True Heart



これはすごいです。このドラマはほんとにいい。すっかりはまりました。なのでうだうだ書きます。


まず、はっきりと言おう。このドラマの設定、全くありえないです。昼メロも昼メロ(いや見たことはないけど)のとんでもない筋書き。前回も言ったけど、妊娠までした初恋の元カレが現在おフランスの世界的な名医で、20年後、既婚の元カノの命を救う。その元カレは元カノのことが今も好き。(おまけに今回)2人は無事に別れるのに、1年後に今度は元カレがわざわざ静岡の元カノの元へ患者として現われる…。こんな話あるわけ無いですよーいい加減にしてくださいよー…。

それなのに、こんなに惹きこまれてしまうのは、脚本の絶妙な台詞、それから役者さんたちの演技が信じれらないくらい素晴らしいからです。これはいいものを見せていただいてます…。彼らがあまりにもリアルで、人物それぞれの人となりが信じられるから、ついつい真剣に見てしまう。役者さんたちがこんなに上手いと、もうそれだけで話に説得力が出てきてしまう。すごいですね。



潤ちゃん(青木崇高さん)。この役者さんは上手い。こういう人います。超いい人。この誠実な男性は、穏やかに毎日毎日こつこつと丁寧に幸せを紡いでいく人。こういう旦那さんを持った奥さんは幸せです。こういう人が女性を一番幸せにするの。派手ではないけど誠実。自分から奥さんを好きになって結婚した。そんな小さなことにも感謝しているような人。子供がステキな作文を書くと、つい嬉しくて泣いてしまう人。どちらかといえば自分が地味なこともよく解ってるんでしょう。だからそんな日々の幸せにほんのちょっとの陰りが見えると、心配で心配でたまらなくなるんですね。不安でしょうがない。その不安な表情が本当にリアル。全部信じられる。こういう人います。私は潤ちゃんが好き。こういう旦那様を不幸にしちゃあいけません。大切にしましょう。



緑さん(木村佳乃さん)。彼女もそんな潤ちゃんのことが大好きなの。それは間違いない。心から幸せな奥さん。この女性はそんな日常の、ささやかでも確実な幸せの価値をしっかりと解ってる。彼女も家族がなによりも大切なんです。この夫婦はお互いが一緒にいられることの幸せを感謝できてる夫婦。だから見てるこちらも幸せ。

じゃあなぜあの日(前回のキスシーン)わざわざ三島先生に会いにいったのか。下心があったのか…。下心なんてないです。もう一回だけ会いたかったっていうのはあるのかもしれないけど、肉食的に何かを求めて会いに行くような人ではない。ただ、うーん…運命というのか…抗いきれない力(フォース)ですかね…、無意識に引き寄せられるように会いに行ってしまう。 今回もまたそんな風に会いに行った。抵抗できないの。これがまたリアル。大人の恋愛物の一番盛り上がるポイントは、こういう抗い難いフォースに必死で抵抗している時です。

ましてや相手はいわくつきの初恋の人。これは辛い。携帯に送られてきた「出会ってから君を想わなかった日は一日もない」っていう三島先生のメッセージを、とまどい迷いながらも消去してため息をつく。これは消せないな…私なら。でも彼女は消すの。この真面目な女性は、自分の日常の幸せを守ろうと必死で抵抗してます。そんな緑さんの潔癖さやとまどいが、痛々しいほどリアルなのも、木村さんのような清潔感のある女優さんが演じているからなんです。ほんとに素晴らしい配役。(なんだか…延々と書き続けそうだ…)

今回の最後のシーンで、部屋にいた三島先生に対面した時の表情なんてすごいです。一瞬で額に血管の筋がぱーっと広がってびっくりしてるの。恐怖に近い表情。ほんとに驚いてる。こっちまで心臓がとまりそうになる。こんな演技を見せられると話に入り込まずにはいられないです。



三島先生(伊原剛志さん)。この大人の恋愛を成立させているのも、まずこの俳優さんの魅力、これにつきるでしょう。全身から滲み出るような男臭さ。こんな大人の男のかっこよさは、20代や30代の今どきのか細いイケメン君達が50人束になってもかなわない。お医者さんなんて知的な職業で完全にコントロールされているのに野獣みたいな感じ。レストランのバルコニーの手すりに肘をついた後ろ姿の白いシャツの背中がまた大きい大きい。実年齢が50歳ぐらいだからなのかウエスト周りにもそれなりのボリュームがあるのがまたいい。こういう人を見ると綺麗に引き締まった若い人の体なんてつまんないなと思う。

そんな大人のオヤジなのに、三島先生は緑さんといる時、表情が男の子に見えるときがある。レストランで緑さんに謝ってる時も、バス停で困ったように思いつめた表情も小さな男の子みたい。あー切ないんだろうな…。前回緑さんが最後に会いに来たときも、もう切なくて切なくてたまらない表情をしていた。想いを理性でやっと抑えてるんでしょう。そんな表情を見てるとちょっと可哀想にもなる。

この三島先生というのは突然やってきて、いきなり緑さんの心を乱すというそれはそれはもう大変な厄介者なんです。迷惑千万。でも潔癖で真面目な緑さんでさえも、どうしても抗えないような圧倒的な魅力を放っているわけです。伊原さんの配役は最高。こんなむせかえるような大人の魅力でこられたら誰も抗えません。だからドラマ。



こういう俳優さん同士が役柄で非常によく合っているとき、英語ではケミストリー(化学反応)などと言いますが、この2人にも間違いなくあります。切ないです。俳優さん達の繊細な表情の積み重ねが、話にどんどん臨場感を持たせます。すごいです。このドラマは一場面一場面が丁寧に丁寧につくられているんだろうと思う。素晴らしいです。

風景も綺麗。静岡の茶畑がとても綺麗。緑さんの自宅を出ると外に広がる茶畑のシーンがすごくいい。海を臨むバス停のシーンも、イタリアまがいのバルコニーのシーンもとても綺麗だった。このドラマ、綺麗なシーンが多いです。音楽もいい。

来週もまちがいなく大問題。手を重ねて筆記具を持たせてたり…ああいうのはもう作ってる人がしっかり確信犯でしょう。どうかこのまま、先に進み過ぎることなく抵抗し続けて欲しい。潤ちゃんを悲しませたくないわ。タイトルが「Endless Kiss」なんてかなり心配…前進しちゃいけませんヨ…。




日本人はスーパースターになれるのか-12

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察


西洋での有名人とは…アジア人の可能性は? -3-------------------------


12-●外国籍アジア人ポップスターの可能性

さて、それでは外国籍のアジア人はどうなのか。

こういうアメリカでの状況にに対して、K-POPは独自の戦略をとっている。彼らは、訓練に訓練を重ねて質を高く高く、英語で歌って英語でMCを行い、売れるためにアメリカの市場に真正面から挑戦している。しかし、そんな戦略は実は非常に難しいのだ。彼らは英語でアメリカ人のように歌うことにより、アメリカで生まれ育ったアメリカ人のシンガー達と真正面から競争をしていることになる。外国人なのにアメリカ人と並んで売ろうとしているのだ。これはよほど質を上げないと難しいだろう。アジア国籍であることが、強み(異国風の面白み)であると同時にハンデ(コピーと見られる可能性)にもなりかねない。唯一可能性があるとすれば、アジア発であるというなんらかの特異性、商品として大変魅力的なパッケージに、質のいい楽曲と、質のいいパフォーマンス、有無を言わせぬ実力で勝負すること。それから数を打って出てどれだけ当たるかに賭けてみるということだろうか。実際に現在のK-POPの戦略はそのあたりにある。


それ以外に、もしアジア国籍のスターに可能性があるとしたら、アジア国籍であることを最大限にいかして、その国からの独自のパッケージとして売ることだろう。国を背負って売れたアジア国籍の映画スター達と同じ売り方だ。この場合、その国の独自性というのは、必ずしも伝統的なイメージである必要は無い。特に今の日本なら近未来的なイメージも独自性として使えるはずだ。楽曲の質の高さは言うまでもない。ミステリアス、手の届かない存在、誰も真似の出来ない(西洋人には真似の出来ない)圧倒的な独自性、もちろん有無を言わせぬアーティストとしての実力も必要だ…そんなものが武器になる。英語など話さなくてもいいかもしれない。ただしそんな特殊な市場を狙った売り方だから、万人が認めるスーパースターには成りえないだろう。ビルボードHOT100も難しいだろうと思う。私が以前のエントリーで「Perfumeの海外展開での成功の目標は、チャート競争ではなく、記憶に残るアーティストになること」と書いたのも理由はこの辺りにある。

その売り方で、音楽のみで言うのならアイドル(偶像)=スターとしての売り方をばっさりと切り捨てる方法もある。特にエレクトロ、トランス、ハウス…(いろいろあってよく分からないが)などのダンスミュージックは、基本的に機能優先の踊るための曲。極論を言えば、曲がダンス曲としての機能さえ果たしていれば歌っているボーカルは誰でもいい。カエルでもいいのだ(笑)。だからこそ、そういう売り方ならアジア人であるハンデを気にする必要が全く無い。むしろアジア人である特異性(面白み)が武器になる可能性も大きい。以前「Perfumeを海外へ」のエントリーでも書いたのだが、私はPerfumeはこの売り方がいいのではないかと思っていた。過去のYMOの、西洋から見た「(誰がやっているのか知らないが)面白い極東のテクノバンド」の位置付けもこれに近かったと思う。


ともかく、アジア国籍のポップスターにとって西洋の市場は非常に厳しい状況だ。そもそも西洋社会ではアジア人に対する受け皿が小さいのだから、単純に曲の質を上げたり、歌が上手いからと言って状況は簡単に変わるものではない。


では、ほんとうに全くダメなのか。いや実は変わってきている。

次は、アジアと西洋の変わりつつある位置関係について述べたい。




2012年6月26日火曜日

日本人はスーパースターになれるのか-11

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察


西洋での有名人とは…アジア人の可能性は? -2-------------------------

11-●米国国内のアジア系ポップスターの可能性

現在、アメリカの国内でアジア系アメリカ人のスーパースターは可能か? いや今は無理だろうと思う。(ここにテクニカルなタイプのミュージシャンは含まれない)


前述した、アメリカの70%以上の白人、それに12%の黒人人口。その他の人種を含む85%以上を占める人口が、アジア人を憧れの目で見ることはほとんどないからだ。理由は前述したとおり。たった5%に満たないアジア人のアメリカ国内での人口、それにアジアそのものに対する興味や期待感の欠如、マイノリティはマイノリティ、憧れの存在にはなりにくいということだ。


言い換えれば、アジア人をカッコイイと思う人がほとんどいないということ。残念なことだが、これがスタービジネス=人気商売では致命傷となる。ルックスだけなら、まだ可能性はある。アジア系のモデルは多くいる。彼らのエキゾチックな外見はファッション関係なら特殊なカッコイイモデルとして存在可能だ。 また、役柄(付加価値)次第で大変魅力的になれる映画スターにもチャンスは多いだろう。しかし問題はアジア人(系)のポップスターが、一個人として、自分の意見をしっかりと持ち、話術も巧みで面白く、人として魅力的で、アメリカの排他的で保守的な白人一般人のライフスタイルのお手本になり、彼らの心の琴線に触れる歌を歌い、彼らにとっての崇拝の的、あこがれの的=アイドルになれるかということだ。現実には非常に難しいだろうと思う。


それでは、5%とはいってもアメリカ国内に1400万人いるアジア系アメリカ人全てが、アジア系のポップスターを応援するのか。それも難しいだろう。なぜならアメリカ在住のアジア人は、いままでの白人主流の文化にどっぷりとつかっていて考え方も嗜好もほぼ平均的なアメリカ人と全く同じだからだ。いやアメリカ人そのものだと言うべきだろう。だからアジア人だからといって、ただそれだけのシンガーに飛びつくことはありえない。


唯一可能性があるとすれば、黒人との混血によって(いや混血でなくてもいいのかもしれない)黒人枠のR&B系やヒップホップ系のスターとして、または白人との混血によるルックスのいい白人枠でのスターとしての売り方だろうか。前述のCassieや俳優のキアヌー・リーブスのようなタイプなら可能性もあるのかもしれない。


極論を言っているようだが、アジア系アメリカ人のポップスターとしての現状と可能性はこのようなものではないかと思う。現実は非常に厳しいと言えるだろう。


日本人はスーパースターになれるのか-10

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察



西洋での有名人とは…アジア人の可能性は? -1-------------------------

10-●西洋での有名人(セレブリティ)の定義

それなら今度は、西洋での有名人(セレブリティ)の定義ついて考えたい。

そもそもハリウッドのセレブリティやポップスターというものは、一人の人間をアイドル(偶像、崇拝される人や物、あこがれの的)として売る商売の結果だ。過去の英国のダイアナ妃にもマイケルジャクソンにもマドンナにも共通しているのは、彼らが何らかの理由で憧れの存在であるということだ。


仮に女性のスーパースターがいたとする。その場合のファンの心理とは、

彼女みたいになりたい、彼女みたいに踊りたい、歌いたい。彼女の着ている服が着たい。メイクも真似したい。彼女の生き方にあこがれる。彼女は私の気持ちを歌ってくれる。友達になりたい。恋人になりたい。手紙を書きたい。プレゼントを渡したい。握手したい。追いかけたい。CDが欲しい、チケットを買って彼女を見に行きたい。雑誌を買って彼女のインタビューを読みたい…彼女が……etc.


これがファンの心理。マイケルも、ビヨンセも、マドンナも、スーパースターにはみんなこのようなファンがついている。音楽業界なら、こういうファンを持つスター達は、アルバムを出すごとに全ての曲をヒットチャートに送り込む。それはファンが彼らの全てを欲してサポートするからだ。そうやって記録はどんどん上がるばかり。これがポップスターの定義だ。


曲がいいから、歌がいいから…もちろんそれだけでも曲は売れる。だが、スターの場合はそれだけではない。曲の良さもアレンジの上手さも、結局はスター本人の力に還元されるのだ。マドンナのような既に大スターの地位にいる人達は、逆に曲がぱっとしなくても馬鹿みたいに売れてしまう。ビルボードのトップ100などに入る曲にもこんな理由でチャートインするものが少なからずある。結局は歌うスター次第なのだ。


憧れの存在=ポップスター。現在アジア人が西洋でそんなスーパースターになれるだろうか? 

いや今は無理だろう。