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『三度目の殺人(2017年)/日/カラー
/124分/監督:Hirokazu Koreeda』
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「三度目の殺人」をもう一回見た。昨日は1回だけ見てモヤモヤとしたまま感想を書いたのだけれど、煮詰まったので今日もう1回見ることにした。メモを取りながら見た。なんとか理解できた気がするので書いておこう。
自分なりにこの映画の主題とはこのようなものではないかと結論も出した。後で読んでもわかるようにまとめておきたい。昨日書いたものはずいぶん乱暴で間違っていたところもあったのでそれも修正していく。
映画を見ていない方はここでストップしてください。
★大いにネタバレ注意↓
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この映画は、運命に翻弄された社会的な弱者の話だと思った。弱者の辿るやり直しのきかない人生。一度つまづいて、また再度つまづく。三隅に起こった様々な出来事は…たまたま不運が重なったとしか言いようがない。本来なら人を裁き、場合によっては救いの手を差し伸べるはずの司法も、この弱者を救い出すことはできなかった。社会は時に意図的にそんな弱者を振るい落とすこともある。そして彼は、一つの光(咲江)を胸に、無言のまま消えていく。不条理。そんな話だと思った。
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★ストーリー
この主人公三隅は、元々人を殺すような人ではなかったのかもしれない。出身は北海道の元炭鉱の町。炭鉱が閉じられてから街ではヤクザが高利貸しをして人々を苦しめるようになった。三隅は当時結婚していて娘もいた。元々正義感が強かった上にキレやすかったのが災いした。人々の苦しむ様子を見ていられずに高利貸し2人を殺害。そして放火。それが30年前。一度目の殺人。
出所して関東に出てくる。前科者の彼を受け入れてくれた小さな町工場で働くが、そこでも問題にぶつかる。ある日、社長の娘・咲江から、彼女が父親に性的に暴行を受けていることを本人から聞いてしまう。見過ごすことは出来なかった。社長を殺す。二度目の殺人。
二回目の殺人は、たまたまぶつかった不運だとしか言いようがない。しかし過去に自分の娘を不幸にした三隅は、咲江の苦しみを見過ごすことができなかった。咲江を救おうと父親の社長を殺害…この殺人で、三隅は死刑を免れないと覚悟を決めたのだろう。
途中、三隅の計画が狂う。咲江が弁護士に父親との関係を話してしまった。彼女は三隅を救うために法廷で証言したいと言う。それは困る。三隅は咲江を救うつもりで彼女の父親を殺害したのに。
そこで「殺人をやっていない」と大芝居。そこから話はめぐって三隅は(計画通り)死刑を宣告される。三隅が(自分の死刑への流れを作った)三度目の殺人。咲江も証言をしなかった。彼女は守られた。
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ストーリーとして、昨日詰めが甘いと書いたのは、咲江が法廷で証言をすると言ったあと…三隅が急に「殺人をやってない」と言い始め、そこから死刑宣告までの流れが不自然たと思ったから。司法のことはよく解からないのだけれど、あの時点で三隅が突然「やっていない」と言っても、必ずしも裁判のやり直しにならないとは限らない。死刑が宣告される確証もない。(確かに以前から三隅の証言はコロコロ変わることは知られていたようで)最後にまた証言を覆すことは裁判官の心証を悪くするだろうし、結果も(計画どおり)死刑になったわけだが、確実なやり方ではない。それに咲江が証言をしないままでいる確証もない。
咲江が最後に法廷で「父に感謝している」と言った場面も不自然。無駄に混乱する。
また咲江は,重盛に三隅を救うために「証言をするな」と言われて従ったわけで、それで結果的に三隅が死刑になってしまったら、その後心穏やかに沈黙していられるのかも大きな疑問。
そのあたりが1回目に見て、混乱させられモヤモヤとした印象をもった理由だろうか。
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★三隅の人生
一度目、二度目と不運が重なり人を殺害し、司法からも(不都合だからと)振り落とされて死刑を宣告される三隅。最後は意図的に自らを死刑に仕向けるように行動する…それで自らに向けた三度目の殺人。
三隅がそうなった理由は、彼が一度目の殺人での刑期を終えた後、新しく始まった第二の人生で、また見逃すことの出来ない状況に不運にもぶつかってしまったから。
もう運命から逃れられないと思ったのだろう。
独房で、彼が小鳥に餌をあげようとした場面に静かな音楽が流れる。小鳥は、彼にとって唯一愛情を注げる対象だった。飼っていたカナリアを一羽だけ逃がしたのは、咲江を逃がすという意味だろう。冬に放されたカナリアが生きていけるのかはわからない。咲江がどうなるのかもわからないが、三隅は自分が彼女を救ったと思いたいのだろう。
最後に三隅が重盛に告げる
「ずっと生まれてこなければよかったと思っていた。私はいるだけで人を傷つける。でもあなたの言うとおりなら、こんな私でも誰か(咲江)の役に立つことが出来る。」
映画の場面ではあやふやな描き方をされているが、これは彼が本当に思っていることを言っているのだろう。
自らの人生に不運が重なって(避ける事が出来ずに)人を二度殺害した三隅は、せめて一人(咲江/一羽のカナリア)を救ってから自分の人生を終わらせようと思ったのだろう。
悲しい話ですね。
これはそもそも裁判の映画ではないのだろう。結論のある裁判映画だと思うから肩透かしを食わされる。しかし映画全体を、弁護士重盛との会話で明らかになってくる三隅の人生の話だと思えば納得できる。
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三隅も自分の人生や世の中に不満がないわけではない
劇中での三隅の本心らしい言葉を拾ってみた
・色んな事を見て見ぬ振りしなきゃやってられない
・生まれてこない方がよかった人間がいる
・人間の意志とは関係なく命を選別されてる
・理不尽に命を奪われたりする
・人の命を弄ぶ人がいる。理不尽だと言いたい
・彼らの意思とは関係なく命を選別されている
・裁判長には憧れた…人の命を自由にできる
・ずっと生まれてこなければよかったと思っていた
・私はいるだけで、人を傷つける
・でもあなたの言うとおりなら、こんな私でも誰かの役に立つ事ができる。それがたとえ人殺しでも。
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三隅が何度も証言を覆したのは、自分の不本意な人生と、不当に自分を裁くシステムに対する抵抗だったのだろう。三隅の事を「器」と言った意味は、自分の意思に関係なく運命に翻弄されていく彼の人生からきているものだろうか。
★弁護士の重盛や、咲江、咲枝の母親のこともまとめておこう。
咲江
父親から虐待を受けていた。私は彼女の脚の問題も虐待からではないかと思ったが、彼女が言うとおり、高所から飛び降りた時の怪我かもしれない。もし虐待が幼い時から始まっていたのなら、それが辛くて自傷として飛び降りた可能性もありますね。彼女は父親の殺害にはかかわっていない。河川敷での殺害の場面にもいなかった。昨日の感想では思い違いをしていた。三隅がタクシーに一人で乗っているのなら、彼女は現場にはいなかった。三隅に父親の殺害も頼んでいない。殺害は三隅が勝手にやったこと。
社長/咲江の父親
咲江を幼少時から虐待していたと思う。
母親/美津江
長い間。夫の娘への虐待を見て見ぬふりをしていた。咲江が重盛に「母みたいに見ないふりをしたくない」と告げる場面があることから、そうだったのだろう。酷い状況をわかっていても美津江は夫と離婚もせず、咲江にも「余計な事を言わないで」と虐待のことを黙っているように告げていた。咲枝に「お父さんだけが悪いわけじゃないでしょ」とさえ言っている。酷い母親。食品偽装の問題もわかっていても見ぬふりをしていた。そういう女性なのだろう。
三隅が美津江の保険金の話のデマを言った理由は、咲江を苦しめた母親・美津江を一時的にでも困らせようとしたのだろうか。
弁護士重盛
殺人犯の弁護はあくまでもビジネス。これまでもサバサバと仕事をしてきたのだろうが、三隅との長い対話の中で、人として、弁護士としての倫理を考えるようになる。彼が最後に十字路の真ん中に立っている場面は、これから十字架を背負って生きていくことを示しているのか、それともこの先に何かの行動を起こすことを示しているのか…。
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私は宗教的な十字架の意味をよくわかっていないので、この映画で何度も繰り返される十字架の意味がよく解からなかった。十字架を背負う意味で使われているだけではないような気がするのだけれど(小鳥のお墓の十字など)、どう解釈していいのかわからない。
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