能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2018年5月31日木曜日

映画『この世界の片隅に/In This Corner of the World』(2016):日常を破壊する戦争


 


 
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『この世界の片隅に2016年)/日/カラー
129分/監督:片渕須直』
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Netflixで先週の週末に見たもう1本の映画。
 
普通の…本当に普通の若い女の子が、戦争のあった時代をどう生きたのか…そのとてもリアルな再現映画なのだろうと思います。普通の人々にとっての戦争とはどのようなものであったのか。
 
主人公のすずは朗らかで気立てのいい女の子。おそらく当時の多くの女性達がそうであったように、彼女も親の決めた結婚に文句一つ言わず、嫁いだ先の家族の一員として日々健気に働く。
 
戦前~戦中~戦後にかけての日々がすずの目を通して描かれる。この映画では実際に彼女が見て彼女が聞いて彼女が経験したことのみが描かれる。すずの身近に起こったこと以外は、潔いほど描かれていない。
 
だから戦争の時代の映画でありながら、真珠湾攻撃のことも詳しくは描かれないし、その後の戦況が詳しく伝えられることもない。大人達が日々どんな新聞の記事を読んでいて、南洋ではどういう戦いがあって…などということもほとんど知らされない。描かれているのは一人の若い女性が日々見ていることだけ。戦争の映画としてはかなり思い切った描き方なのではないかと思うが、当時の多くの若い女性達にとっての戦争とは実際はこういう感じだったのかもしれない。
 
 
★ネタバレ注意
 
広島から呉に嫁いできたばかりのすずは、穏やかな日々をいつもと変わりなく過ごしている。日本が戦争をしていて、どこかで戦闘が行われていることを実感することはほとんどない。丘の上から見る呉の海には誇らしく軍艦が浮かぶ。大きな戦艦大和の浮かぶ綺麗な風景…彼女は絵を描くのが好き。
 
そんな彼女の日常に戦争はひたひたと水が満ちるように静かに近づいてくる。
 
いつしか食料は配給制になり、その配給の食料も日々少なくなる。それでも雑草を摘んでおいしい料理を作るのは、すずにとっては日々の小さな喜びなのだろう。着物を裁断して動きやすい服に作り変える。近所の人々と防空壕を掘る。闇市への買出し。生活は少しずつ変わっていくけれど、それでもまだ日々が穏やかであることは変わらない。
 
しかし戦争は水が満ちるように日常に静かに侵入し続ける…まるで少し前までは足首までの深さだった水が今は胸まで届いているように。戦地の兄から手紙の返事がこないと思ったら、兄は戦死していた。

 
そしてある日、頭上を敵の戦闘機が飛ぶようになる。夜も空襲警報に起こされて防空壕へ逃げこむ。空からは毎夜焼夷弾が落ちてくる。睡眠不足になる。外にいたら敵機が頭上にやってくる。撃たれないように地に伏せれば、頭上を砲撃の破片が飛び散る音が聞こえる。もし破片の一つが頭に当たっていたら…。
 
ついに戦争が現実になる。戦争は人々の日常に襲いかかる。もう戦争から逃げられない。休憩もない。日々をただ生きのびるしかない。
 
ある日一緒に暮らしていた義理の姪・晴美がすずの目の前で命を落とす。大切な幼い命、繋いでいた右手、大好きだった絵を描くこと。もしかしたらすずも命を落としていたかもしれない。
 
8月、突然の閃光。家屋が揺れて空には大きなキノコ雲。
 
そして終戦。玉音放送の後、それまで穏やかだったすずが感情をあらわにする。今まで感覚が麻痺したように極限の状況を耐え続けたすずの感情が堰を切ったよう溢れ出る
 
空襲がなくなる。戦争は突然終わって普通の日々が戻ってくる。日々が戦後に変わっていく。
 
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数ヵ月後、広島の家族を訪ねてきたすずに告げられる両親の死。原爆症で倒れた妹。そして母親を失った女の子の描写。街ですずを頼ってきた女の子の記憶から広島のその日の様子が描かれる。怖い。この数秒が本当に怖い。たった一人の女性の死の描写だけなのに、この場面がとてつもなく恐ろしいのは、広島の街ではこのような場面の何十万倍の…想像も出来ないほどの恐ろしい破壊が実際に起こったのだということを私達が知っているからなのだろう。

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映画は養女になった女の子とすずの家族の戦後をエンドロールで描いて終わる。北條家が女の子を迎え入れ、皆で戦後の日々を歩んでいく様子にほっとして心救われる。


実際に若い女性が経験した戦争とはこういうものだったのかもしれないと思う。この映画の中で世界の状況、戦況、それらを知らせるニュースが全く描かれないのは、すずがそれらを見なかったから。家族と共に日々を健気に生きる…彼女のような女性は当時の日本中に沢山いたのだろうと思う。戦争は知らない間に水が満ちるように日常に忍び寄り、そして戦争はある日突然始まって平和な日常を残酷に破壊し始める。幸せに暮らしてきた街が戦場になる。戦争が日常になる。その残酷な日常が終戦まで続く。普通の人にとっての戦争とはおそらくこういう感じなのだろう。


1970年代ぐらいまでは戦争を経験した世代の方々がまだ多くいらっしゃった。私も子供の頃に家族からすずが経験したような話を何度も聞いた事がある。頭上を飛ぶ戦闘機。防空壕。焼夷弾。火事…。過去に家族から聞いた話の記憶がこの映画で描かれた場面と重なる。

すずとほぼ同世代の家族のことを思い出した。彼女がもしこの映画を見たらなんと言っただろうか。


人々がつつましく穏やかに暮らしていた時代。空襲が始まるまでの人々の日々の暮らしの様子が心に沁みた。無邪気に遊ぶ子供達。若い娘が嫁ぎ先に馴染もうと健気に働く様子。最初は仲たがいしていても次第に寄り添い労わり合う家族。遠慮がちに愛を育む若い夫婦。人から人への思いやり。隣近所もあたりまえのように助け合う…。小さな幸せを積み重ねる普通の人々の静かな暮らし。いくつかの場面でふと涙が出そうになった。
この映画の主題は戦争なのだけれど、また同時にこの映画は、戦前の普通の家族の日常を細やかに描いた映画でもあるのだろうと思います。
素晴らしい映画でした。