能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2013年12月9日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第49回「再び戦を学ばず」



もう残りの回もあと一つ。そろそろまとめに入った感じです。今回、久しぶりにいい台詞があった。


●日清戦争が始まりそうな状況から、山本家の会話。
覚馬「(教育勅語から)教育の名のもとに人を縛ることになってはいかん」
佐久さん若い人が錦絵でしか戦を知らねえから、勇ましいとこしか見えねえんだべ」
八重「浮ついた気持ちでは、いざという時役に立たねえ…」

◆理論で戦争を危惧する覚馬と、実戦を経験した八重と佐久さんの具体的な心配の対比がいい。


●そこへ山川健次郎が訪ねてくる。会津戦争についての問答
覚馬「勤皇の志は薩長も持っていた。戦をせず国を滅ぼさぬ道もあったはずなのだ。」
八重「望んで戦をしたわけではねえ。私達の御城下に敵が土足で踏み込んできた」
覚馬「大君の義 ・一心大切に忠勤を存ずべし…御家訓のこの一条に会津は縛られてしまった。いくつもの不運があった。謀にのせられもした。それでもまだ引き返す道はあったはず。」
健次郎「会津にも義があった。」
覚馬「向こうも同じように思っていただろう。誠を尽くすことは尊い。それだけでは人を押しつぶす力を跳ね返すことはできねえ。」
八重「(捨松の結婚などに触れ)…皆恨みばかり抱いたわけではねえ。だけんじょ、亡くなった仲間達を思うと会津が間違っていたとは決して言えねえ。」

あの八重ちゃんが帰ってきた。ほっとしますね。これが自然。やっぱり八重ちゃんはこうでなくちゃ。戦争などの極限状態は、後で理屈で理解はできても感情の整理は簡単にはできない。会津戦争を経験した八重と健次郎が感情から会津の義を・正当性を語り、実戦を経験していない覚馬が「もしかしたら避けられたかも…」と理屈を語っている対比は理解できます。


●その後の八重と覚馬の会話
覚馬「また戦が始まる。国を失う痛みは会津が一番よく知ってる。人間の知恵や知識で戦が避けられねえのならば学問など無駄なのか
八重「兄さまは学問は武器だと言った。学問をすれば答えが見つかると。…(同志社設立に貢献できた事に触れ)…私はその中に答えを見つけた。自分の力で考え抜く人であれ…。」

理論だけでは戦争は避けられない…。とは言っても、賢い八重ちゃんは学問にそれなりの答えを見出した。「何事も自分で考えろ」そうそうこれはいつの時代も正しいことです。

こういう流れは上手いですね。会津戦争を経験しなかったことから、覚馬の戦争観が八重ちゃんや健次郎のものと違っているのは納得できる。会津戦争中も有名な『管見』を書いて「内戦よりも国をこういうふうに創ろう」と言っていたような人なので、何事も理論で語ろうとする人だったんでしょう。それに比べれば八重ちゃんは目の前で父親を殺されたりしてるんですから感情的になるのは当然のこと。このあたりの温度差も理解できます。以前、脚本に無理があるのではないか…と思った「戦をしないために学問をする」に関する内容も、「自立した考えを持つために必要」だと結論付けたのは上手い。正しい。


●そして待ってました…容保公
容保公「(孝明天皇宸翰について)…これだけが会津が逆賊でないこと、ただ一つの証。」
山川兄弟が「何故出さなかった、これを世に出せば殿の汚名は雪がれたはず」と問うと、
容保公都の争いとは勅を得た者が正義となった。なれば御宸翰が再び戦の火種となる、それだけは避けねばならぬと…。武士の忠義を貫き通した代わりに儂は会津を死地へと追いやった。」
山川浩「殿…あの時、会津までが徳川を見捨てていたならば、この国に真の武士などはいなかったことになります。」
容保公「いつか御宸翰を世に出してくれ。会津がいかに誇り高く戦ったかを、死んでいった者達の心を、ただし再び同じ道を辿らぬよう、戒めとしてこれをそなたたちに託したい…。」

◆くーっ泣けますな…。私にとってこの大河は、今まで全く興味の無かった会津について知ることができたことが一番大きい。会津・京都守護職編は、今まであまり描かれなかった会津の視点からの戊辰戦争への流れを描き、いかに会津が理不尽にも明治維新(革命)の犠牲になっていったのか…を再現したものだったので、この会話にはぐっときます。

ここで容保公が語っている京都守護職時代の都での状況=立場が逆転して最後には賊軍にされてしまった経緯というのも史実。(上記の)覚馬が言った「いくつもの不運があった。謀にのせられもした」というのもそうだし、八重ちゃんの「敵が土足で踏み込んできた」というのも事実。そして山川浩さんの「会津までが徳川を見捨てていたならば、この国に真の武士などはいなかったことになります。」というのもそのとおり。この言葉が一番泣ける。容保公の「会津がいかに誇り高く戦ったか」ももちろん事実。新政府軍に命をかけて時代を変えていく強い信念があったのなら、会津にも命をかけて貫くべき義があったことも事実。もしあの時代に会津藩士として生まれ育っていたなら誰でも彼らのように考え、行動するだろうと思う。会津戦争は、生真面目で律儀、頭の固い古風な会津藩だからこそ起こった悲劇なんでしょう。

どこの国であれ、明治維新ほどの大掛かりな変革・革命が起これば、どこかに犠牲が出るのはやむなし。古い時代を壊す人がいれば、守る人がいるのも当然のこと。絶対王政を壊した西洋も同じ。西洋でも啓蒙思想から革命が起こって王様を処刑したりしている。あの時期の日本で(どういう形であれ)いずれ封建的な徳川の時代が終わるのは必然だったでしょう。戊辰戦争は産みの苦しみの戦。しかしそのために犠牲になった会津の人々のことを思うとあまりにも悲しい。今まで全く知らなかった(興味も無かった)幕末のもう一つの歴史、時代の激流に巻き込まれた会津の人々のことを、この大河ドラマで学べたことは本当に良かったです。山本/川崎八重という一女性とその家族から見た会津戦争には本当に心を動かされました。

劇中で無理に会津戦争の是非の結論を出すことなく、登場人物達がそれぞれ複雑な思いを抱えているように表現した描写は、感慨深く素晴らしいと思います。



●最後に覚馬の同志社英学校・卒業式での生徒に向けての言葉
「どうか弱いものを守る盾となって下さい。日本は戦に向けて歩き出した。どうか聖書の一節を心に深く刻んで下さい。
    その剣を打ち変えて鋤となし、
    その槍を打ち変えて鎌となし、
    国は国 に向かいて剣を上げず,
    二度と再び戦いのことを学ばざるべし
諸君は一国の、世界の良心であって下さい。いかなる力にもその知恵で抗い、道を切り開いてください。」

◆いい言葉なのですが、これ本当に覚馬の言った言葉なんでしょうか。それともTV向けの脚色?理想家の彼であれば本当の言葉だった可能性も十分ありえますが、正直、当時の世界状況を思えば、綺麗ごとは言っていられないのでは…と思ってしまった。キリスト教の教えを日本に伝えた西洋というのは、実際には同じ時代に東南アジアなどで非情な植民地経営をやってましたから。理想はあくまでも理想。現実には、優しいことを言っていては他国にやられる時代ではなかったのか…どうなんでしょう?

というわけで、今回は日清戦争前夜でいろいろと考えさせられる内容が良かったです。西島さん1年間お疲れ様でした。


八重ちゃんはやっぱり外見が若いのが残念。最愛の夫を亡くし、最愛の兄まで亡くして泣く八重ちゃんを見ると、ただただ「この娘はだいじょうぶか…」としか思えない。当時の40代後半はかなり老けていたはずで、白髪の数も多ければ、身内の不幸も乗り越えて生きるたくましい大人の女性が表現できたと思う。あんなに若いとただ可哀想なだけ…。演出的にもったいないと思う。