能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年3月22日木曜日

祝 Spring of Life 解禁!


たった今聴いたぜ。 ぎゃー! これはいい。コレハイイ。
この曲は踊れる。ガンガン踊れる! ぎゃーもう踊りたい。
これはいいっ!  大興奮!

この曲は、間違いなく世界クラス。 コレはいける!
この曲がかかったら、わらわら踊り狂うのが目に見える。
ループでノンストップにしたい。
世界中のクラブで、世界中の皆さんにガンガン踊っていただきたい。

中田さん、Glitterあたりから、なんか抜けた感じ? 締まったね。
直球ですコレ。攻めてます。
中田さんもユニバーサルで勢いづいたか(笑)?
ほんとにすごい人です。

iTunes出すのかな。これは世界中でヒットして欲しい。
もう音楽的には向かうところ敵なし。
ハンデはアジア人であることだけ。 なんとかならんものか…。
Youtubeでもぜひフルを流して世界を洗脳してください。
Perfume Global Siteの扉もそろそろ変えたほうがいいかも。
せめてあそこから、この曲に楽にたどりつけるように。
一度聴いたらみんな吹っ飛ぶと思う。

 
追記:何時間もループして聴いている。止まらない。これ今までのPerfumeの曲で一番踊れる。タメが全然ないんだもん。本気。


最近のPerfume:Sprig of LifeのTeaser/氷結CM /MTV-CM



最近のPerfume、いろいろと話題が多くてうれしいですね。いつも、動画サイトでちょっとずつ遅れて見るのだけれど、イイカンジ。


Sprig of LifeTeaserのビデオも、んまーっうれしいです。3体のロボットだ、Made in Japanの女性型ヒューマノイドだとさんざん言ってたの、そのまんまのイメージなんだもの…。これはうれしい。やっとやっと軌道修正……だと思うな。(いや綺麗な女の子風もいいんだけど、それだけだと普通すぎて面白くないんだもの。時々これくらいのギミックで遊んでくれた方がいい) これはまた面白くなりそうだ。この世界観はたまらない。ほんとのロボットみたい。ちょっと怖い…(笑)

彼女達はスタイルに恵まれているんで、こういうのがピタッとはまる。ほんとにビジュアルをやる製作側のアーティストには、たまらない素材じゃないでしょうか。サウンドも氷結CMのサビほどキラキラしてなくて低音バリバリ。で、このイントロ(?)を聴いた後にまたCMのサビの部分を聴くと、ちゃんと同じリズムでつながるのね。この曲は踊れる。これ欲しいな。これも海外にiTunesで出すのかな。



もうひとつの氷結のCMもおしゃれ。あ~ちゃんが「シェルブールの雨傘」のカトリーヌ・ドヌーヴみたい。全体的になんとなく60年代風。かしゆかのヘアバンドもそうだし、ドレスも60年代風ミニ。狙ってますね。のっちツイッギーみたいに横分けにしてください(笑)。…そうかPerfumeはミニが売りなんで60年代風そのままでイケるんだ。上手いな。



それから、MTVの司会のCM。いやー参りました。もうPerfumeはオトナね。肌を出さなくても十分色気がある。色気以上に美しい。和風でミステリアス。皆ほんっとに綺麗になった。彼女達はやっぱり長年(10年以上も)休むことなく踊ってるんで、体の動線が綺麗。ダンサーの体なんですね。だからこんないつもの彼女達と全然違う事をやっても完璧に決まる。これで彼女達の素材のよさが改めてハッキリしました。もうなにをやっても綺麗にこなしますよ彼女達は。完璧にプロだ。年齢的に、これで成人した女性としてルックスも安定しただろうから、これから後30歳くらいまでこういう綺麗な姿でやっていけるはず。これはますます楽しみです。



それにしても、33様非常に魅力的で、それぞれがもう揺らぐことの無いスターとしての地位を確立したなと思いますね。顔も全員全く違うんだけど、それぞれがスターの顔になってきたなと思う。オーラが出てきた。これは今まで積み重ねてきた経験や成果、作り上げてきた結果から滲み出てくる自信みたいなものだと思う。スターはみんな持ってるんですよ。いままで見てきた世界的なスターもみんな同じ。「ああっ変わった!」と思う瞬間がある。今のPerfumeがたぶんそれ


2年前の「不自然なガール」の頃は、まだまだ成長途中の子供な感じだったのに、今、全然違う。まるで別人。「Voice」の頃はまだ不安が見えたし「ねぇ」でちょっと自信がついてきて、「レーザービーム/微かなカオリ」でちょっと一休み(この頃一番心配した)。「スパイス/グリッター」で余裕が出てきて(まずここでびっくり)、今回「Spring of Life」。まだ氷結のCMMTV司会のCMしか見てないけど、もう自信がみなぎっていてスターオーラ全開。これはユニバーサルへの移籍とか、全国長期ツアーの成功とか、彼女達の周りの状況がどんどん変わってきてることが顔に出てるんでしょう。ほんとにたいしたもんです。


たぶん私のような年齢の方々は覚えていると思う。昔マドンナがLike a Virginの頃までのガツガツしたやる気満々の鼻息の荒い小娘から、 Papa Don’t Preachでいきなり洗練されたスターになってびっくりしたこと。で、Like a PlayerExpress Yourselfの頃にはもう押しも押されもせぬ大スターのオーラバリバリになってしまったこと(この頃のマドンナは見てるだけで面白かった)。


国内規模であれ、世界規模であれ、どこかで生まれ育った普通の子が、何年かの努力の結果、ある日突然スターの顔になる時が必ずあること。それからまた同じように変わることなく努力を続けていくと、また顔が変わる瞬間が来ること。それが本物のスターになっていく道なんですね。今のPerfumeもワンレベル上がったんだなと思う。嬉しいです。



2012年3月21日水曜日

再考-不思議の国ニッポン-2=どこまでいくのか東京:サイバー同人文化=初音ミク遊び=Perfume遊び


もうちょっと、カワイイ以外の事も書いておこう。

漫画やアニメ…(もうここでは全部書かないけれど)等、様々な日本の若者文化がじわじわと広がっていくのも面白い。ファッションはともかく、昔は漫画もアニメもゲームもオタク文化と言われて、私たちの世代には抵抗のあるものだったのだけれど、そんなことがCOOLなのかUNCOOLなのかの境界線もほぼ無くなりつつある。世界から見ると特にそう。創造性がそんな境界線を蹴散らしてしまったかのようなのだ。

その中で一番すごいのが、日本の進みすぎた若者文化。サイバー空間同人文化・サイバー二次創作文化とでも言おうか。動画サイトなどで見れる、普通の若い人達のサイバー空間での遊びが、信じられないほど、怖いくらい面白い。初音ミクもPerfumeも共にサイバー同人文化のスターだ。

まず初音ミク。もともと単なるボーカロイド機能付きの作曲ソフトだったのに、(誰かが作った)楽曲が数万曲も集まり、たった一つのパッケージのイラストから、様々な遊びの動画が作られ、3Dアニメーションソフトが作られ、サイバースぺース上のみで踊る女の子が、CDをリリースし、いつしか生バンドを率いて海外でもコンサートをやるという。こんなSF小説も真っ青の芸当が出来るのは、まちがいなく日本人だけ。それにああいうバーチャルアイドルに本気に恋して、ライブで大騒ぎ出来るのも日本人だけ。自由すぎる。まさに近未来世界の中に生きていると言っていい。(LAでのライブの成功は日本のファンがYoutubeでお手本を見せてくれたから。頭の固い外国人にはああいうバーチャルなものに自らノリノリになるのは無理です)日本人のその辺のセンスは他に類を見ない

最近、Perfumeのグローバルサイトでのポリゴンダンスが、さっそく3人のかわいい初音ミクに描き換えられてる動画を見て心臓がドキドキした。すごいですよ。Perfume関連でも一番驚くのが、実は同人的な二次創作ものの動画で、もう想像を絶する量のリミックスやMASHUP、踊ってみた、踊らせてみた、弾いてみた、つなげてみた、いじってみた、神々の遊び、ミク関連…、日本人すごいです。ほんとに。こういうものを(人知れず)誰かが短期間でさらさらっと作って、それを普通のこととして大衆が当たり前のように喜んで見ていることが、どれほど高度な、どれほどハイレベルなことなのか日本の若い方々は自覚した方がいいと思う。もっともっと自信をもっていい(海外でも多少の同人的遊びは存在するが、日本人のほうが桁外れに高度。せいぜいニャンキャットぐらいか(?笑))。そんな日本のサイバー同人文化、かっこよすぎる。

20年くらい前にはこういうコンピュータ関連ものを「電脳」と言っていたのだ。当時の日本では「アメリカで“インターネット”というものが始まって“ネットサーフィン”なんてものをやってるらしい。カリフォルニアの若い人達がやってるんだって。」などとAppleMacintosh IIcxIIciあたりを苦労して触りながらアメリカに憧れていたのだ。それから20年、日本がこんなに「電脳空間」で面白い国になろうと誰が予想しただろう。これは昔からの日本の同人文化のおかげに違いない。たまたまサイバー空間がそういうものに合っていたんだろうと思う。こんなに大勢の日本の若い人達が、昔のように何でもビジネスに結びつけるのではなく(すぐ金儲けにするのではなく)、ただただ楽しいからと、他に真似の出来ないくらい高度な遊びを優雅にやっているのを見るとほんとうに涙が出るほど感動してしまうのだ。日本の若い方々には、これからもこの調子で創造力豊かにいつまでも独走していってほしい。創造力は全てを凌駕するのだ。もうすでに世界一です。


話が長くなったが、とにかく東京=日本は面白いことになってきている。前述のNHKの番組「東京カワイイTV」も、私の世代から見れば「いったいぜんたいアノNHKが何をやっているんだ」とびっくりするのだ。昔はNHKというだけで、チャンネルを回す(笑)くらい古臭いものの代名詞だったのに…。ちょっと前の同番組なんて、全身ラバーフェティッシュの(ちょっと前なら超アンダーグラウンドの危な系の)デザイナーが、明るいトーンで紹介されていて…?? 日本どうなってるんだ?(アートに関して非常に進歩的な)英国BBCを超えたかもしれん。それとも、やっぱりNHKにとりあげられるくらいなのだから、実はもう5年ぐらい前に終わっちゃってることなのか…。ああ解らない。それにしても面白すぎる日本。これからもますます元気でいてほしい。誇りに思います(嬉涙)。



2012年3月20日火曜日

再考-不思議の国ニッポン-1=過去30年でどれだけ状況は変わったのか:東京カワイイTV、ファッション


前々から書こうと思っていたNHKの「東京カワイイTV」。これ、いったいどんな番組なんだろう。海外に長年住んだせいで、日本懐かしさから、ついつい「西洋かぶれ」ならぬ「日本かぶれ」になってしまっているのだけれど、この番組はまさに面白不思議ニッポンの情報だらけで面白い。もちろんいまさら渋谷系だのギャルだのが気になる年齢ではないのだけれど、この番組を見ていると、日本(東京)もここまで変わったか…と考え深いものがあるのだ。


私が美大生だった頃の20云年前、雑誌an.anは当時のトンガリ学生のおしゃれのバイブルだった。たぶん同じ時代だったと思うのだが、世間ではニュートラとかハマトラとかいうものが流行っていたと思う(よく知らない)。そんないいとこのお嬢さん風ファッションに逆らって、美大生や専門学校生は妙な格好をしていた。当然、大変少数派だった。

当時、覚えてるのは生成りのガーゼ生地で出来たよれよれの服、東南アジアだかアフリカあたりのテーマの皮のベルト。ガーゼの靴下にヌメ革サンダル。布の切れ端をただ頭に巻きつけたヘア(幾重にも巻いたの布すき間から髪の束を四方に出す)。または蛍光色の小物。派手な靴下にドクターマーチン。裾を切り落としたTシャツ。膝下カットのパンツ。クラスメイトの女の子には頭の後ろの下半分を刈り上げにして、長めに伸ばした上の髪をオレンジに染めた逆ちょん髷みたいなヘアをした子もいた。

こういうの、みんなロンドン発の若い子達のストリートファッションを真似していたのだ。70年代後期のパンクが下火になって、ロンドンにはニューウェイブ、ニューロマンティックあたり前後から派生したお洒落なバンドがいっぱいいた。バウワウワウ、トンプソンツインズ、カルチャークラブ、バナナラマ、ハワード・ジョーンズ、等々…妙な格好が面白かった。

それからすぐにニューヨークでマドンナやシンディ・ローパーが、ターバン頭に蛍光口紅、ゴム輪の腕輪、下着に鎖じゃらじゃらの手作りネックレスでMTVに登場し始めた。もちろん、そんな格好もすぐにコピーした。髪に赤や青や銀のスプレーをして、学校のあった郊外から友達と電車に乗って都心に出かけた。

当時、日本でああいう妙な格好をしていた子達は、物を創る分野やファッション関係の学生が多かった。ロンドンファッションにすぐ飛びついていたようなトンガッた子達が、学校を卒業すると、ヘアメイク、ファッション関係、広告業界、製作プロダクションなどに職を見つけた。物を創ったり、デザインしたり、雑誌のページのレイアウトをしながら「何がカッコイイのか、何がお洒落なのか」を作り出す側になった。

あれから、30年近く経つ。(おっと…)


話が長くなったが、言いたかったのは、この「東京カワイイTV」を見ていて思うこと=「今の東京は30年前のロンドンやニューヨークと同じ位置にいる」ということなのだ。東京の若い子達が世界に向かって「最先端のおしゃれ」を発信し(というよりも勝手に楽しみ)、それに(少数ではあっても)世界中のトンガリっ子たちが飛びついているという図式、30年前のロンドン発信のものと全く同じなのだ。デザイナーブランドが創ったものではない流行。どちらかといえば世間や親はあまりいい顔をしないファッション。自由な創造力。渋谷や原宿のおしゃれな子達がここ15年ほど(だろうか)で徐々に作り上げた独自のファッション。そんなものが、世界のオシャレっ子にうけているらしい。

録画していた番組は、東京に、世界中から選ばれた「カワイイファッション」の女の子達が集まって、TOKYO GIRLS COLLECTION  の舞台に立つべくオーディションを受けるというもの。日本代表の2人がセンスの良さだけで選ばれたように見えるのに対して(日本人は自分の意見を話す訓練を受けていない)、ニューヨークやマレーシア、中国、フランスから来た子達は意志も主張も思想もしっかりとしていて、まるでアートスクールの授業で発言しているように見えるのも対照的で面白い。がんばれ日本ガールズ!


以前の「Perfumeを海外へ」のエントリーでもいろいろと書いたのだけれど、こういう状況はほんとに面白い。こういう海外で日本のファッションに入れ込んでくれてる世界中のトンガリっ子達が、もしかしたら将来、世界で未来の流行を作ってくれるかもしれない。このオーディション参加者の中でニューヨークから来てる子は、今アートスクールで映像を学んでいたと思う。ほら、昔ロンドンのストリートファッションを追いかけてた日本の美大生と同じじゃないか。これはかなり嬉しい。日本=東京が世界のクリエイティブ系の若い人達の憧れになってきていることに、改めて時代の変化を感じるのだ。もう今の日本は西洋を追いかける必要が無い

余談だが、もっと面白いのは、そんなフランスのトンガリっ子のあいだで、日本のビジュアル系のバンドが人気らしいのだけど、ちょっとまて…。そもそも日本のビジュアル系は、大昔のロンドンのバンドJAPAN DURAN DURAN、BAUHAUSあたりを真似していたんじゃないのか(おっと、タイプが違うのか…?)。それに一部に人気のロリータファッションだって、もともと日本人の女の子がフランス人形の格好を真似したものではないのか?? それをフランス人の女の子が「『ベルサイユのはら』を読んでマリーアントワネットが好きだからこういう格好をするのよ。日本にはあこがれるわ。」などと、もうね…なんだかよく解らないけど、いろんなことがいろんなところをぐるぐる回っているみたいでシュールです。

2012年3月18日日曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第11回「もののけの涙」


ますます朝廷ダークサイドに突入のようだ。得子さんはいやだな。嫌われキャラまっしぐら。崇徳帝の棒の妙な感じがやんごとなきお方らしくていい。それにしても、この時代の天皇家、ほんとにいろいろと大変だったんだなと思う。権力と富と暇がありすぎると人間どこまでも堕落していく見本のようなものだろうか。あたりまえのことだが天皇家の人々も同じ人間なのだ。無論このような話日本だけではない。イギリス王室でも、フランスでも中国でも、あちらもこちらも権力の上に立つ人々のこういう類の話、世界中にころがっている。

この時代の頃の歴史を全く知らないので、宮中の権力争いがらみのことには毎回「へぇ~」などと驚いているのだが面白いなと思う。やっぱり、こういう楽しみは長い時間をかけて話を紡いでいける大河ドラマならではだろうと思う。感謝したい。欲を言えば、このあたりの話をもう一歩踏み込んで詳しくやって欲しい。

時代考証云々や人物の描き方など、こうしてくれればもっといいのになどと要望もあるが、もう文句だけを言うのは止めにした。それよりも楽しもうと思う。大河ドラマだもの。



今回は大好きな2人の女性がいなくなってしまって悲しい。たまこさまは出家するし、明子さんは亡くなってしまった。悲しい。この2人の美女、お2人ともそろって声が美しい。美人の定義ではまず顔が一番なのだと思うが、それ以上に女性の声というのもずいぶん印象が大きいものだと思う。得子さんがいじわるくがなりたててるのにたいして、この2人、声だけで美人だ。たまこさまがいろいろと乱れていたのに、どこか純粋で憎めなかったのも彼女の声のせいかと思う。明子さんの声も彼女の美しい顔と同じくらい涼やかで美しかった。もう、このお二人の声が聞けなくなるかと思うとかなしい。

余談だが、昔ロンドンに住んでいた頃、金髪の背の高いかっこいい青年が、大変小柄なインド人の女性にメロメロになっているのを目撃したことがある。バーとかそんな状況ではなく、単に会社の受付の女性と話していただけなのに、このスーツを着た育ちのよさそうな白人の青年、彼女と話しながら明らかにデレデレしていたのだ。階級社会の英国で白人のホワイトカラーの青年が異人種の女性に惹かれることはあまりない。この女性、見た目も可愛かったが、声が「」可愛いかったのだ。ちょっと面白い光景で記憶に残っている。いい声の女性は強力な武器を持っていると自信を持っていいと思う。ふふふ


ところで、関東の源氏サイドはずいぶん荒々しい。京都で比較的チャラチャラしている清盛君達と違って、義朝くんはかなり男っぽい。短い場面で残念だがこちらの話も面白そうだ。

それから清盛君、お坊さんを蹴飛ばしてはいかんと思うよ。お坊さんが可哀相だ。明子さんが亡くなったシーンで、こちらももらい泣きしていたのに、直後のこのシーンでまたまた大爆笑してしまった。あははははははは…まだまだ野蛮人ですね。こういうものも、ただゲラゲラ笑って楽しもうと思う。



映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙/The Iron Lady 』:英国の現代史をもっと見たい





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The Iron Lady 2011年)/英・仏/カラー
105分/監督;Phyllida Lloyd
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★ネタバレ注意

まず、メリル・ストリープさん、アカデミー賞おめでとうございます。100%納得。いつものことだけど彼女は素晴らしい。最初は、なんでイギリスの誇りみたいな人をアメリカ人が演じるのだなどと思っていたのですが、参りました。あまりのすごさに言葉が無い。英国訛りも何もかも全て完璧。スクリーンに映るメリルさんはサッチャーさんその人である。あまりのなりきりぶりに、まさに息を呑むとはこのことか。メリル・ストリープとは、本当に歴史に残る偉大な女優さんなのだと思う。

と書いた後で映画評に移ろう。


この映画、あまり良くない。期待はずれと言ったほうがいい。というのも、この映画、あのサッチャーさんなのだから。あの、あの、偉大な鉄の女の伝記映画なのだから。実際これはひどいと思う。

ストーリーはサッチャーさんの現在から始まる。彼女はリタイアしたお年寄りだ。最愛の旦那様デニスさんもすでにお亡くなりになっている。時々娘が会いにくるし、自伝の本にサインをしたりと仕事らしいこともちょこっとやっているのだが、時折、亡くなったはずのデニスさんが話しかけてくる。どうやらサッチャーさん認知症らしいのだ。 え?? そんな現代のサッチャーさんが昔を振り返るという構成で話は進む。

思い出の中の彼女は若い。オックスフォード大学で化学を学び、研究者になり、そのころから政治に興味を持ち始める。1959年に34歳で保守党で政界入りする。そんな彼女のサクセスストーリーはびっくりするほど足早に過ぎていく。

問題はそこなのだ。彼女のサクセスストーリーが波に乗ってくると中断され、現在のお年寄りのサッチャーさんにもどってしまう。そこで、うだうだと1015分と過ぎていく。その後、ずいぶん多くの出来事をはしょってまたサクセスストーリーは再開する。そして、また現代に引き戻され…過去、現代、過去、現代…。こうやって、映画全体の半分は、幻覚や幻聴に悩まされる不安なお年寄りの話しに費やされる。それはないぞ!


だって、このサッチャーさん、ありえないくらい規格外の偉大な女性なのだ。まさに歴史に残る人とはこういう人のことをいう。コネもいっさいない若い女性が(女性に対して信じられないほど排他的な男性優位の)保守党に受け入れられ、それだけではなく、努力と、意思と、考えられないぐらいの聡明さで、周り中の頑固おやじ達をうならせ、その保守党のトップにまでのぼりつめ、ついには先進国の中で史上初めて、女性として国民に選ばれたリーダー=首相の席を勝ち取り、沈みかかった国を建て直し、必要とあらば、国を守るため軍を率いて戦争に突入するという。そんな普通では想像もできないほどの偉業を成し遂げた女性なのだ。かっこよすぎる。おまけに2児の母親だったりもする。

過剰な社会保障や、潰れかかった国営産業をかかえていた70年代の英国。1979年に54歳で首相に就任すると、それらをばっさりと切り捨てた彼女の英断は、他の人には出来なかったかもしれないといわれる。その独断の政策は「血も涙も無い」と言われるほどで、英国ではいまだに彼女に対して複雑な感情をもつ人も多い。あまりにも意思が強くて感情に動かされないことから「鉄の女」と呼ばれ(元々は1976年に敵国ソ連の新聞が貶す目的でつけた渾名。「融通のきかないガチガチ頭の鉄のような女」の意味。後日彼女本人が「強さ」を強調するものとして気に入って使用。瞬く間に国際社会でも知られるニックネームとなる)、問題があれば、多少の犠牲を払ってでも大鉈を振るうその政策は、多くの人の反感をかったりもしたのだが、結局、英国は彼女のおかげで立ち直ったのも事実なのだ。


それだけではない。彼女はまず女性だ。そもそも保守党というのは伝統を守りたい人が多い。彼女が政界入りした1959年、他に女性はいなかった。そんな時代に、この食料雑貨屋の娘は、たった一人で、自らの知性と意志の強さで自分の道を切り開いていく。最初は誰も彼女に期待なんかしていなかったはずなのだ。そんな男尊女卑のいじわるなおやじ達に笑われながら、歯を食いしばって人生を一歩一歩勝ち抜いていく。一つ成果をあげ、また一つ成果をあげ、そうやって保守的なおやじ達をひとりひとり自分の見方につけ、そして最後は首相にまでのぼりつめたのだ。それだけで、大興奮の映画ができてしまうではないか。

そんな女性なら、彼女の人生そのものがドラマであるはずだ。年取った彼女を見て面白いと思う人がいるのだろうか。それともあの偉大な女性を一般人と同じレベルに引き摺り下ろして、やっぱり同じ人間だと感傷的な話にしてしまうことがいいと思ったのだろうか。それなら、あの偉大な女性に対して大変失礼だと思う。

もし英国国内で、複雑な感情がまだ残っているのだとしたら、観客に改めて評価を問うような映画を作ってもいい。彼女の政策のために職をなくしホームレスになった人もたくさんいる。彼女のせいで大変な思いをさせられた人々の側の真実のストーリーを語ってもいいのだ。そうやって、政治家としての彼女の姿と、街の現実を対比させてもいい。

また、彼女には双子の子供がいる。この映画も多少子供達とのことに触れてはいるが、さらっと上をなぞっただけで、詳しいエピソードとしては描かれていない。仕事と家庭の両立、いつも心強い見方だった最愛の夫デニスとの夫婦愛。働く女性の大先輩として、それはそれはいろいろなドラマや葛藤があったはずなのだ。それが、あきれるほど、描かれていない。もう少しなんとかできなかったものか。


「鉄の女」と呼ばれ、誰にも出来なかった事を余裕でやり遂げた政治家、先駆者、偉大な女性。そんな彼女の話を見たかったと思う。

2007年、 81歳のとき、英国国会議事堂内に彼女の銅像が建立されたのだが、そのときのコメントがまたいい。「あら、私は鉄の像の方が良かったんですけどね、ま、銅像でもいいでしょ。錆びないしね。」まだまだお元気でいていただきたいもんです(笑)。

いっしょに映画を見たうちの米国人旦那Aも、かなりがっかりしたらしく、「もっとすごい映画になったはずだったのに、あんなに(神がかり的に)上手いメリル・ストリープの才能がもったいない」としばらく文句を言い続け、挙句にその勢いでアマゾンから絶版になったサッチャーさんの分厚い伝記を購入して、いま読みふけっている。ほんとにずいぶん不満の残った映画だった。

でも、メリル・ストリープはすごい。映画としてはともかく、もしすばらしい女優の演技を見たいと思うのなら、大変前向きにお勧めしたい。

2012年3月16日金曜日

映画 『ノルウェイの森』:雰囲気の映画





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『ノルウェイの森(2010年)日本/カラー/133分/
監督; Anh Dung Tran
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原作は45年前に読了。もう若い人の気持ちに共感できるような年齢でもなく、この本の感想も「なんでコレがベストセラー???」。実はこの本が発売された頃もよく覚えているのだが、あまりにも評判だったので、ひねくれものの私はそんなもの意地でも読むものかと思っていたのだ。それから20年放置。結果、この本を読むべきだった時期をずいぶん昔に通り過ぎてしまったのだろうと思う。ともかくこの本の印象は、登場人物達が性に対してあまりにも深刻で、もう…いいよ…どうでも…という感じだったのだ。なので、思い入れもいっさいなし。
映画化への興味はあった。監督は、あの『青いパパイヤの香り』のベトナム人の監督。そのパパイヤの映画、単純な話しながらとにかくみずみずしくて綺麗でいい映画だった。今回、どういうつながりでこの人が監督をすることになったのか知らないけど、原作も読んだことだし、これは見なくてはと思っていた。

これはよかった。まず、絵がきれい。寮の汚い壁、昔の服装、昔よくあった白のほうろう製の赤い花柄と赤い蓋の鍋、チープな蛍光灯に照らされた小さな台所、マニアックな個人経営のレコード屋さん。そんなちょっと懐かしい風景が、ものすごくおしゃれだ。これは、このフランス育ちの監督さんの映像なんだろうか。撮影は中国の方らしい。とても美しい。全てどこかのファッション誌から出てきたようだ。これはこの監督さんと美術さん、撮影さんの力なのか。
さて最大の問題は直子だ。この映画も「美しい人」を映像化しなくてはならない。非常に難しい課題だ。直子をどう描くか、誰がやるのか。私は香椎由宇さんあたりを思い浮かべていた。菊池さんは、バベルで見ていいと思ったけど、まさか直子だとは思わなかった。最初は違和感があった。ところがこの人、上手い。声も不安定な目線もそう。見ているうちにだんだん不思議な魅力を感じてくる。繊細で傷ついた痛々しい直子像がリアルに見えてくる。彼女が自分の心情を語り慟哭するくだりは、どーんと内臓をつかまれたように苦しくて、見ているのが辛い。彼女の心情が痛いほど伝わってきて苦しくなってくる。本で読んでいた時は「なんだかめんどくさい女だな」と思っていたのに、この映画では彼女を理解できた気がした。これには驚いた。原作とは違う人物なのかもしれないが(よく覚えていない)、これはこれで納得できる。これは菊池さんの演技力だと思う。
緑ちゃん。可愛い。かなり考えていた印象に近い。この人がほんとに可愛い。実は演技は棒なのだけど脚本の口調の固さとあいまってなのか、なんだか昔の青春映画の女優さんを見ているような気がした。(石原裕次郎さんあたりの映画に出てくる女優さんたちの話し方)これがいい。あまり多くの場面はなかったけれど、1場面1場面で、とても印象に残っている。原作でもこのキャラクターが非常に可愛らしくて大好きだったのだか、この配役はとてもありがたかった。ほんとに可愛い。小さい頭、毛穴のない陶器のようなつるんとした肌、ほんとに美しい。
さて、問題のワタナベ。平清盛の松ケン。顔は癖がある。ものすごく癖がある。手放しでステキなどという顔ではない。演技ももっさりしている。しかしいいと思った。このワタナベ、地方から出て来てまだ12年。真面目で青臭くて、未熟で、毎日戸惑いだらけなのだろう。純粋で若いからこそ繊細だ。自信なんてあるわけない。19歳なんてまだまだ子供なのだ。そんな普通の大学生を25歳の役者が演じている。いいと思う。最近の20代の他の俳優さん達を思い出しても、こんなもっさり感や戸惑いを出せる人はあまりいないのではないか。だから貴重だ。だってワタナベ君は60年代半ばの若者なのだ。もっさりしていて当たり前。配役、上手いなと思う。

全体に想像していたよりずーっとよかった。実はこの映画を見て「もしかしたら、原作の良さを理解してなかったのかも。もう1回読み直そうか」とさえ思ったほどだ。とくにレイコさんがらみのいやな部分をほぼ全部カットしてあったのがよかった。監督が脚本を書いているらしいのだが、フランス語で書いて日本語に書き換えたのだろうか。実は、極めつけというほど素晴らしい台詞がけっこうあったのだ。これは監督の原作の解釈から出た言葉だったのだろうか。だとしたらすごいもんだと思う。
ところで劇中、糸井重里、高橋幸宏、細野晴臣を見つけてすぐに、あ、この映画はただものではないのだなと思った。こんな団塊世代のインテリを連れてくるなんて誰のアイデア? もうこれでインテリおしゃれ枠は間違いない。いったい、どんな経由でベトナム(フランス)人の監督に撮らせることになったんだろう。ほんとに製作者全員が原作を愛して作った映画なのだろうと思う。それにしても、20年以上前のベストセラー。それだけに、深い思い入れのある人も多いだろうし、読者それぞれ独自のイメージがあるのも事実で、まあよくこんな難しい素材に挑戦したものだと感嘆する。素晴らしい結果だと思う。