年末から録り溜めしている番組をぼちぼち見ているんですけど、新年初の『生さだ』を昨日見ました。この『今夜も生でさだまさし』シリーズは、去年のいつだったか…TVでやっているのを知ってから録画予約をして見るようになりました。もう半年くらい見ているのかな。
番組はまったりと昭和の時代のラジオの深夜放送のようなノリ。いいですねぇ。ちょっと懐かしい。和みます。どうやらこの番組は2006年から始まったらしく…ひゃ~全く知らなかった。
さださんが画面の真ん中に座って視聴者からの葉書を読む…ほぼそれだけの番組なのですが、ワタクシのような年寄りには懐かしいノリ。まったりほのぼの…さださんのユーモラスな口調にクスクスと笑う。なんとなく内輪なノリも…和みます。
…というわけでこの日の回は大晦日のカウントダウンライブの後だったのだろうか…この『新年の生さだ』はいつもと違って大きな会場・両国国技館。ゲストも岩崎宏美さんや、コロッケさん、さかなクンさん、ももクロちゃんと豪華…とは言っても番組の殆どはさださんが葉書を読むだけなんですけど。面白かったです。以前からこの番組のことを書こう書こうと思っていて丁度いい機会なので書いておきましょう。
さだまさしさんは、正しい大人の方…正しい人生の先輩だと思います。彼のこの番組を見ているとしみじみと思う。毎回心に響くのは、さださんの人々に対するお心遣いです。葉書を書いてくださった方々にも、会場の方々にも、スタッフさんにも、さださんは常に思いやりをもって接していらっしゃるように感じます。大人です。ユーモアに溢れながらも常識的で、人々への優しい思いやりを忘れず…番組を拝見しているとそれがとても心地よくて…。そんなさださんの優しさはもしかしたら今の時代には大変貴重なものかもしれないとも思います。
そしてさださんは綺麗な日本語をお話しになる方。葉書を読む時も、ゲストの方々に対しても、ユーモアを交えながら(過剰に堅苦しくなることなく)丁寧な日本語をお話しになる。それがまた心地いい。
今のメディアは今の人々が作るもの。言葉は時代と共に変わっていくことも理解しています。しかし日本語も変わりましたよね。特に尊敬語はもしかしたらメディアから無くなりつつあるのではないかとさえ思います。近年はNHKでさえ敬語…特に尊敬語ををほとんど使わない。あれはNHKが「尊敬語はもう使わない」とある時から社内で決めたのではないかと思ったほど。そんな風に言葉とは時代が変わるにつれて変わっていくものなのだろうとも思います。
しかし昔の時代を知る者には、綺麗な日本語はやっぱり気持ちがいいわけです。この「生さだ」のさださんの言葉はとても綺麗です。さださんは、私から見て大人の世代の方。ちょっと前の日本の常識…人との関係ではまず相手を尊重することを普段からあたりまえのようになさっている…さださんは正しい大人な方なのだろうと思います。この番組を見ていると毎回それを感じてしみじみといいなぁと思います。
一見地味な番組ではあるものの、毎回必ず何か心に響く場面があるのもすごいです。毎回心が温かくなったり、ちょっと心動かされたりしてます。視聴者の方々からの葉書の内容にも、さださんのコメントにも、どこで心動かされるのか予想はできない。感動は突然やってくる。それもこの番組の大きな魅力。
…そんなことを前々から書いておきたいな…と思ってました。
ここで余談ですが…
私のさださんの思い出を書いておこう。
ず~っと記憶に残っている若い頃の一場面。1978年か79年頃…その頃巷では、さだまさしさんとゴダイゴが流行っていました。私はゴダイゴの「ガンダーラ」と、さださんの「天までとどけ」の両方が好きでした。
ゴダイゴの「ガンダーラ」はシングル盤を買った。
さださんの「天までとどけ」もシングル盤を買った。
そんな中学生の頃のある日、私は「ゴダイゴ」と「さだまさし」を並べて考えた。
どちらのファンになろうか…?
さださんの「天までとどけ」の裏面の「惜春」は素晴らしい曲。この曲の詩を見て「さださんのファンになったらこんなに美しい日本語の詩ともっと出会えるのだ」と思った。そしてまた同時期に、ゴダイゴの「ガンダーラ」や「モンキーマジック」を聴いて「ロックバンドで英語の歌はかっこいいな」とも思った。
さてどちらにしようか。
どちらのファンになろうか?
もしさださんのファンになれば、日本語の詩や言葉にもっと親しむようになるだろう(文学少女への道)。もしゴダイゴのファンになれば、バンドの音楽や英語の歌に親しむようになるのだろう。…その二択のうちのどちらかを選べば、それがこれからの自分の音楽の嗜好や興味の方向を決めるのだろうと、かなり真剣に考えたこともよく覚えている。なぜ両方を好きになればいい…と思わなかったのだろう。
結果私はゴダイゴのアルバムを買い始めた。日本語の歌詞よりもバンドの音と英語を選んだ。そして英語の歌詞に馴染んだことで、次第に興味は海外のバンドへ。そしてQueenのファン…洋楽全般のファンになっていった。
…だから今でも思うわけですよ。もしあの時、私がもしさださんを選んでいたら、私の人生はどうなっていたのだろうと。もしあの時、さださんのファンになっていたら、私はきっと日本語で文章を書いたり詩を楽しむ人間になって、英語を好んで勉強しなかったかもしれない。英語に馴染まず、洋楽も聴かなければ、私の人生は今とは全く違ったものになっていただろう。
さださんにはそんな思い出があるのです。
「惜春」が大好きでした。詩の言葉がとても綺麗。心に沁みます。
薄墨の中に沈みゆく愛を
涙と交互に掘り起こせば
出逢うのはいつもあたたかな嘘と
わずかばかりの夢の切れはし
「木蓮の香り降る夕暮れ」もいいなぁ…。まさかあれから40年も過ぎて、またさださんのお姿をテレビで拝見できるとは思っていませんでした。本当に嬉しいです。この番組の昔のラジオ番組のようなまったりとしたノリも本当に懐かしい。この番組に感謝してます。
これから隠れマサシタンになるのもいい。