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『Youth – La giovinezza(2015年)/伊・仏・英・スイス/カラー
/241分/監督:Paolo Sorrentino』
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そろそろ去年見た映画の感想を書いておこう。ずいぶん怠けた。見てから1年以上も経っているので覚えてないことも多いと思うけれど、自分のための記録として書きとめておこう。見た時に感じた印象を記録。内容は間違っているかもしれません。真面目に考えたつもりだけれどいいかげんかも。
見たのは2016年の1月頃。
イタリア人のパオロ・ソレンティーノ監督の作品。この監督さんは2013年に『グレート・ビューティー/追憶のローマ=he Great Beauty /La grande bellezza』でアカデミー賞・外国語映画賞を受賞。あの映画はいかにも芸術的ヨーロッパ映画でした。
この監督さんはまだ40代なのに、『グレート・ビューティー/追憶のローマ』で描いたのは、初老のオヤジの黄昏と再生。あの映画は芸術的過ぎてよくわからないところもあったけれど、大変美しい映画でした。フェリーニの『甘い生活=La dolce vita』の主人公の数十年後の話…みたいな内容だった。
・映画『追憶のローマ/La grande bellezza/The Great Beauty』:ローマの薫りに酔う
さてこの映画もフェリーニ色が濃厚。疲れたオヤジが高級スパ+ホテルで療養するというのは『8 1/2』の設定に似ている。内容は違うけれど。
この映画は見てすぐには意味がわからなかった。茶飲み友達の爺二人が高級スパでうだうだするコメディ…だと最初は思った。
ところが2週間ほど経って外食をしている時に突然思いついた。
「あの映画は老いとプライドの話」であると。
映画の原題は『Youth=若さ、若々しさ、若い頃』主人公はマイケル・ケインとハーヴェイ・カイテル。二人とも大御所。それぞれの分野で若い時に傑作を書き、傑作を描いて大変な名声を得た。二人ともスイス・アルプスの高級スパ+ホテルで日々を過ごしている。
マイケル・ケイン/フレッドは著名な作曲家。娘に言われて、自然に囲まれた高級ホテルで療養中。過去の大傑作「シンプル・ソング」の公演を指揮して欲しいと英国王室から依頼されているが、それも断って頑なに引退を宣言。彼はもう過去の曲を指揮するつもりはない。
一方ハーヴェイ・カイテル/ミックは著名な映画監督。彼も過去の傑作で知られる。彼は今も現役。マイケル爺と同じ高級ホテルに滞在しながら次作の脚本の執筆に取り組む「次の作品は俺の最高傑作になる」。
お二人とも仲よくうだうだと時を過ごす。一見茶飲み友達爺二人の日常を描いた楽しいコメディ。ところが最後に大どんでん返しがやってくる。
★ネタバレ注意
この映画は二人の芸術家の老いの話ですね。老いとプライドの話。二人とも過去の栄光が忘れられず、そのプライドにがんじがらめになっている。二人とも「過去の俺は凄かった」と自負していて、同時に「もうあのような作品は作れない」こともよーくわかっている。しかしそれは世間には言えないし認めたくもない。あたりまえですね…で、お二人とも内心辛いわけだ。それぞれ自らの老いをうまく受け入れられずにいるわけです。
お二人のその苦しみに対する向き合い方は正反対。
マイケル・ケインの作曲家は完全リタイアを決め込んで逃げてしまっている。(指揮をするのに老いがどれほど関係あるのかわからないけれど)彼はもう人前に出て「あの「シンプルソング」の作曲家ね」とは言われたくない。過去の栄光にすがりたくない。今さら大昔の作品で「例のあの作曲家ね」と思い出されたくもない。プライドですね。もうお願いだからそっとしといて頂戴よ…と思っている。プライドで意固地になっているから、英国の女王様のリクエストでさえ彼を動かすことはできない。頑なです。
一方ハーヴェイ・カイテルの映画監督は、一見悠々自適。陽気。しかし実は彼も「もう過去のあのような傑作」が撮れないことはうすうすわかっている。しかし周りには「俺はまだやれるんだぜ」と現役宣言。若いスタッフを集めてミーティング。アイデアを出してニヤニヤ。…ところが実は自信が無い。だから周りに「傑作を撮るぜ」と言いながらも具体的な話はせず、マイケル・ケイン爺と冗談を言い合ってゲラゲラ笑ってお茶を濁し、真剣に映画製作に取り組んでいないわけです。彼も現実から逃げている。これも捩れたプライド。
お二人とも「俺はもうだめなんだよね」という事実をスマートに受け入れられず、だからといってそれに真剣に向き合うこともできず、隣人ウォッチをしたりプールでハダカの女を見て喜んだりしてお茶を濁している(笑)。逃げているんですね。映画の大半はそんな茶飲み友達のジジイ二人の日常を追いながら時間が過ぎる。面白いです。
ところが後半、大どんでん返しがやってくる。
悪魔のようなハーヴェイ・カイテルの
この老いても美しく気の強い
世の中には「言わなくてもいい事をわざわざ言ってしまう悪魔のような奴がいる」…それがジェーン・フォンダ
この場面でハーヴェイ・カイテル爺がどのような表情をしているのか覚えていないのですが、結局この場面がハーヴェイ爺のその後の行動を決めることになる。
そしてその後、最後にマイケル・ケイン爺が一念発起。なぜ考えを変えたのか、映画内でその説明がはっきりとあったのかどうか記憶にないのですが、ともかくマイケル爺はいろんなもやもやをクリアし、英国王室のための公演で観客の前で堂々と「シンプル・ソング」を指揮する…そこでエンディング。
…マイケル爺はハーヴェイ爺の悲しい結末を見て「俺はもう逃げ続けるのはやめよう」と思ったのかもしれません。自分なりのやりかたで老いを受け入れ老いと共に生きていこうと思ったのかも。
まーしかしこの映画の意味は見た直後はわからなかった。突然ハーヴェイ爺の件が起こって「は?なんで?」と思った。急に方向が変わるのですぐに内容を消化できなかった。 たぶんこの解釈で間違っていないと思うんだけれど、理解するまでに2週間もかかってしまった。こんな映画も珍しい。
色々と他の人物達の話も出てくるし、進行もゆっくりなので分かりづらいんだけれど、話の大きな軸はこういうことだと思います…と思ってネット上のみんなの感想を読んでみたら、こういう見方をしている人は殆どいない。あれ私間違ってるのか?
この映画もソレンティーノ監督の前回の映画『グレート・ビューティー/追憶のローマ』と同様、絵画のように大変美しい映画でした。しかしマイケル・ケイン爺とハーヴェイ・カイテル爺のやりとりがあまりにも微笑ましいので、最初はコメディ映画だとばかり思っていた。実は深い話でしたね。
それにしても、この映画もまた「男の老いと過去の栄光について」の話です。『グレート・ビューティー』もそうでした。この監督さんはまだ40代半ばなのに、どうしてこのようなテーマを描くのだろう?不思議。まだお若いのにね。
プールの場面で出てくる