能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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この度の能登半島地震で 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 一日も早い復興をお祈りいたします。 ★NHK による様々な支援情報 能登半島地震 義援金・支援金の受け付け始まる 窓口まとめ 【随時更新】 https://www.nhk.or.jp/shutoken/ne...

2024年1月16日火曜日

Terry Dexter, Sweet Georgie – Come Find Me (Eric Kupper Mix)(2023)



Houseの基本



Terry Dexter, Sweet Georgie - Come Find Me (Eric Kupper Mix)(2023)
Come Find Me – EP
Terry Dexter, Sweet Georgie
Released: November 17, 2023
℗ 2023 Category 1 Music

オリジナルミックスもいい
Terry Dexter, Sweet Georgie - Come Find Me (Original Mix)(2023)
Come Find Me – EP
Terry Dexter, Sweet Georgie
Released: November 17, 2023
℗ 2023 Category 1 Music


現在英国のクラブチャートに入っている曲。

この曲に関わっている3名の方々のプロフィールを調べて驚いた。シンガーのテリー・デクスターさんは1998年のデビュー。そしてアレンジのDJ/Remixのお二人は1980年代半ばから初期の米国ハウス・ミュージックのジャンルの確立に関わった方々。気持ちいいです。Houseの基本。


★Terry Dexter
米国のコンテンポラリーR &Bシンガー+俳優。ミシガン州生まれ。父親の影響でR &Bを聞いて育つ。6歳で作曲を始め、同じころに叔父の教会のゴスペルコーラスで歌い始める。叔母もゴスペルシンガーで彼女からゴスペルを習う。9歳から14歳頃までシンガーとしてデトロイト近辺でバンド活動。11歳でプロのバックシンガーとして歌い始める。13歳でプロとして契約。1998年にデビュー。2枚のアルバムをリリースし、また多くのアーティストに曲を提供し作曲家として高く評価されている。

★Sweet Georgie
George Jackson/George G-Spot Jacksonさん。米国ミシガン州シカゴのDJ/プロデューサー。1986年から活動。初期の米国Houseの立役者。リミックス多数。ミシガン州、クリーブランド州で活躍中。

★Eric Kupper
リミックスはこのお方。米国の仏系keyboardist, arranger, songwriter, remix artist, DJ, and record producer。1980年代からキーボードやギター、作曲で多くのアーティストと活動。1986年からリミックスやプロデュースをした曲の数は2000曲以上。多くの大物アーティストを手がけ、特にDef Mix Productionsの仕事で知られる。1980年代から初期のHouse musicに関わりそのジャンルの基礎を築いたメンバーの一人。

2024年1月15日月曜日

2023年~2024年 年末年始 冬休み日記



年末年始の冬休みに何をやったのか記録する。冬休みは自転車に乗ると以前書いていたがあまり乗れなかった。やはり年末はバタバタする。忙しすぎる。ストレスが多いように感じるのは、実は自分の中に「こうあるべき」と(その必要もないのに)勝手に決まり事を作って勝手にテンパっているからなのだろうと思った。反省も含めて記録。


12月の2週目
旦那Aが米国の親戚向けクリスマスプレゼントのオンライン送付を完了。昔はショッピングモールを走り回ってハワイのお土産品をかき集め、郵便局発行の送料定額のボックスに入れて郵便局に並んで送り出していたが、コロナ以降はオンラインのギフト送付にしているのでずいぶん楽になった。ハワイ産のコーヒーやチョコやクッキー、受け取る人の現地の花屋でテーブルフラワーを送ったりする。結構喜ばれているようだ。あまり真心がこもっているとは言えないが。

12月13日(水)
ブログの感想文を書いた後で、米国向け、遅れ遅れのクリスマスカードを書く。毎年このプレッシャーが大きすぎる。もし住所を書き間違えたらどうする?もし封筒と中身を間違えたらどうする?多分クリスマスまでには届かないかも。どうしようどうしよう。暗い部屋で夜遅くまで老眼の目をシバシバさせながら細かい字を書き続ける苦行。しかしこれが年一の挨拶の人もいるのでやめるわけにはいかぬ。旦那Aの伯父とは毎年3Dの飛び出すカードを送りあっている。お互いに楽しみになっている。

12月14日(木)
日本向けのクリスマスカード書き。これもスケジュール遅れ。スケジュール伸ばし伸ばし。今年もたぶんまたまたクリスマスまでには日本に届かないだろう。それなのにやっぱり今日もついついPCに向かって感想文ブログを書いてしまう。

12月15日(金)
ずいぶん遅れたクリスマスツリー設置。やっと出した。少し前に納戸の上のマスターバスルームが水漏れしたので(2024年のいつか修理予定)なんだかあまり納戸を開けたくなかった。それで遅れた。…と言い訳。

12月16日(土)
昨日完成できなかったクリスマスツリーを完成。

12月17日(日)~22日(金)
プレッシャーの大きいクリスマスのプレゼントやカードを終わらせて少しリラックス。数日間ブログの文を書く。ダイニング・テーブルには赤いクロスを広げて気分を盛り上げる。

12月23日(土)
昨日から旦那Aがクリスマスホリデー開始。今日は遠くのペット用品店に猫のおやつを買いに行く。今まで近所のショップで見かけなかったロイヤルカナンの7歳以上向けのカリカリを見つけて購入。しかし獣医さんには「そろそろウェットの缶詰フード100%を目指してくださいね」と言われている。夕方自転車に乗る。

12月24日(日)
明日のクリスマス当日は店が全部閉まるので今日ディナーの材料を買う。買い物は旦那Aにお願いした。今年はビーフ。

12月25日(月)
クリスマス当日。ツリーの下の旦那Aからのいただきモノの一つはドジャースの帽子。オオオオゥ。え~嬉しいけどしばらくかぶれないよー。いかにも日本人のおばちゃんがドジャースの帽子って…いかにもじゃん笑 。

午前中に旦那Aの親戚と電話。今日は俺達の「イベント飯」日。近所に家族がいないのであれば、せめてご飯くらいはそれらしくしよう。旦那Aがシルバーウェアを磨き始める。私は午後3時頃からキッチンで作業開始。ところで実は私はさきほどの電話で少しカチンときていた。怒りを静かにおさえて料理を開始。

今年はブフ・ボギニョン/Boeuf Bourguignon …妙な響きの料理だが意味はブルゴーニュ風ビーフ・シチュー。うちには(絶対失敗しない)フランス料理の本がある。Carole Clements氏による『The French RECIPE Cook Book』。1995年に出版された米国の料理本だが、当時英国ロンドンで手に入れた。この本のフレンチはほぼ間違いがない。全部美味しい。ブフ・ボギニョンも過去に何度も作って成功している(煮込むだけで難しい料理ではない)。

ところで米国のクリスマスのメニューには決まり事がないらしい。英国のクリスマスは七面鳥が多いが、米国は七面鳥は11月のThanksgivingのメニューなので、クリスマスはハムやラムをローストしたりする。なんでもいいと聞く。

それなら好きなものにしようと今年はボギニョンになった。昨日旦那Aがブルゴーニュ・ワインを買ってきた。全て鍋に入ってあとは3時間煮込むだけ。暫く2階で猫と昼寝をして3時間が過ぎた夜7時半ごろ。…キッチンの旦那Aが「これ~…火が消えてるよ」「…え?…さっき弱火にして蓋をしたけど」…ルクルーゼの鍋はまだ温かいが、確かに電気クックトップの火が消えている…。フォークで肉を突き刺したら、まだホロホロまで柔らかくなっていない。 あ…終わった。


どこか遠くに行きたい…。 


午前の電話でも折れた。もういろいろと折れた。旦那Aごめん。また今年もダメだった。今年も私ハッピーな笑顔になれなかったわ。ごめんよ。

すぐに決断。「今日はこれは食べません。明日火を入れなおして明日食べましょう。今日はどうする。ツナマヨにしよう。もう夜8時だし」どこまでも人のいい優しい旦那Aは「だね。そうしよう」と同意。「それにしてもクリスマスはプレッシャーが多いんだよな…」と言いながら磨いたシルバーウェアを箱にしまう旦那A。私の様子を見て自分に言い聞かせているのだろう。旦那Aよ、すまない。

簡単なツナマヨサンドを食べたら「ちょっと外に出ようか」と、車で出かけて高級住宅地のクリスマスデコレーションを見にいく。私は気持ちを取り直したが、旦那Aには大変悪いことをした。

やっぱり毎年クリスマスはどうもいけない。私は暗くなる。去年も泣いた。あらためて考えたら、そういえばコロナ前は友人のパーティーや観劇や、やたらと増えるジャズクラブのライブなどなどと…クリスマスの憂鬱をほとんど感じないほどクリスマス・シーズンは大変忙しくしていたのだった。もっと前は親戚が訪ねてきて一緒に過ごしていた。そうだったな…。

親戚や友人などとメールやテキストでやりとり。

来年は教会に行こうか…などと話す。

12月26日(火)
遠方の友人からのメールで「自転車の写真が見たい」と言われたので、サンディビーチに自転車の撮影に行く。二人でポーズをして沢山の写真を撮った後、近所の住宅地で自転車に乗る。夕食は十分に火の入ったブフ・ボギニョンとマッシュポテト。副菜はなし。もうイベント感がすっかりなくなって赤のテーブルクロスもきちんとセットせず汚れ防止の普段のクロスをかけたまま。ワインはコップ酒。シチューにも使ったワインは薄いと感じるほど軽いワインだった。ワインのことはさっぱりわからないのだが値段のせいだろうか。22ドルだからか?それでもボギニョンは絶品。お肉はホロホロ。本当にあのレシピ本は素晴らしい。

小玉ねぎがなかったけど
遠くフランスから来たワイン 軽いよ

12月27日(水)

昨日撮った自転車とポーズの写真を遠方の友人にメールする。その後画材屋に行き、アラモアナの日本食のスーパーで春菊などを買う。まだまだ「イベント飯」シーズンは終わっていない。

12月28日(木)
お昼の回で映画『ゴジラ-1.0』を鑑賞。大変素晴らしい。泣く。感想文を書く。

12月29日(金)
夕方、久しぶりにワイキキビーチに行って日没を見る。ヨットが沢山出ていた。綺麗だった。

金曜ロードショー
1日で一番好きな時間

12月30日(土)
そろそろまた正月のイベント飯の準備。近所のスーパーで豚肉の塊を買う。午後に焼豚を焼く。ネット上のレシピだがこれも上手くいく。少し鼻の奥が痛い。

12月31日(日)
今日は心をキメて正月イベント飯の準備。午後から始めてず~っと台所に立つ。きんぴらや煮物、田作りなどを作る。旦那Aは家中の掃除機をかけてくれた。やっぱり鼻の奥が痛い。風邪かな。どこかでもらってきたか? 夜7時頃に昨日買った年越しそば。エビ天のエビの解凍は無理…疲れていてできない。人参のかき揚げでごまかす。その後録画した紅白を見て年を超える。外では花火がバチバチと大きな音を立てている。

麺がのびのび

1月1日(月)

朝から発熱37.2度。正月早々風邪をひいた。昼ご飯はとりあえずなんちゃってお節。白いテーブルクロスに重箱を出してお屠蘇を出して…と見かけだけ揃えて新年を迎える。その後午後は休む。熱は37.7度まで上がった。あ~疲れが出たか。夜はスープご飯にお節が副菜。日本の地震と羽田の事故のことを知る。

1月2日(火)
今日も熱37.4度。のどが痛い。夜旦那Aが雑炊を作ってくれた。お節は副菜になるので料理をしなくていいのは助かった。夜、鼻水がとまらない。やっぱり風邪だ。ビタミンCとDを飲む。

1月3日(水)からその後

外出をせずに家の中で過ごす。結局予定していた自転車での遠出もしばらく出来なくなった。熱は1日中36.9度や37.2度などと37度前後が延々と2週間も続くので身体がだるい日が続く。ちなみに風邪は旦那Aにはうつらなかった。よかった。

2日と3日に、去年の秋に注文していた冷蔵庫とソファーが来週届くとの連絡がそれぞれの店から入った。これから冷蔵庫を1週間で空にするのは無理。3日に小型のフリーザー・ボックスをオンラインで購入。4日に配達してもらう。これで冷凍肉は大丈夫。1月6日に旦那Aの冬休み終了。

1月10日(水)
冷蔵庫の冷凍肉とその他冷凍保存の食材をフリーザー・ボックスに移す。明日冷蔵庫を入れ替えるために周囲の水管の通った戸棚やシンクの下の棚などをことごとく掃除掃除掃除。微熱に文句を言っていられない。

1月11日(木)
朝から冷蔵庫を全て空にする。クーラーボックス3個に冷蔵庫の食材を全て移す。午前9時半頃に冷蔵庫の設置技術者がやってきた。まず今の冷蔵庫を外す作業。製氷機能や水クーラー用の配管を取り外すようにお願いする。新しい冷蔵庫が到着。旧冷蔵庫の取り外しと新冷蔵庫の設置でほぼ3時間かかった。偶然だがキッチンのアイランドの電源コンセントがショートする。サーキットのブレーカーを落としたら、隣の部屋の電気も使えなくなった。また電気工事の技術者に頼むことになった。その後、夜まで棚や床の掃除掃除掃除掃除掃除…。それでもすごく綺麗な冷蔵庫に嬉しくなる。

1月12日(金)
お昼過ぎ、業者に頼んでほぼ30年使った古いソファーの搬出。午後3時過ぎに新しいソファーとアームチェアが届いた。去年の9月に街の家具屋のネット上のカタログを見て目星を付け、店に現物を見に行って決めたのだが思った以上に巨大。前のソファーは長さ70インチだったがこの新ソファーは長さ88インチ。そろいのアームチェアも巨大。大きいことはわかっていたが、お店で見て惚れてしまったのでしょうがない。慣れるしかない。色は白で余計に大きく見えるので青のビーチタオルを掛けたらすこし部屋に馴染んだ。座り心地は最高にいい。

昨日から人の出入りが多いのでクローゼットに閉じこもって震えていた猫さんが、夜リビングに降りてきた。なんとアームチェアに自ら上り真ん中に1匹で座って眠り始めたので驚いた…さすがお姫様。さっきは新しい冷蔵庫の扉を見てびびっていたのに、見慣れない椅子は平気なのだろうか?不思議だ。


今日1月15日(月) 
風邪はほぼ治ったと思う。
咳はしばらく続きそうだ。


2024年1月14日日曜日

日本テレビ 水曜ドラマ『コタツがない家』第10話 クリスマスの奇跡



日本テレビ系の水曜ドラマ『コタツがない家』。TV Japanにて。
日本での放送は2023年10月18日より


年末の最終話の放送を見てそのままになっていた。全話拝見しました。面白かったです。

このドラマはハマった。上手い俳優さん達が揃っていていい。キャラクターも色々。それぞれに愛着が沸いて彼らを見るのが毎回楽しかった。特に深堀家のダイニングでのシーンが最高。コントの舞台劇のよう。全員ノリノリ。特に爺ちゃんの小林薫さんが最高におかしい。巧み。劇のリズムがいい。全員がすごくいい。


最終話/第10話もいいシーンがあった。クリスマス当日の深堀家でのディナー・パーティーのシーン。爺ちゃん達男(小林薫)が熊さん(西堀亮)を誘うが断られ、息子・順基(作間龍斗)とガールフレンドは帰ってこない。結局深堀家夫婦と爺ちゃん、そして独り身の師島君(河野真也)で4人のディナーになった。皆で囲んだテーブルの向こう端にはターキーの丸焼き。サンタの格好をした師島くんがターキーを切る。悠作(吉岡秀隆)がトナカイの帽子を被る。そこで深堀家の言い争い勃発。

ふと気付くと師島君がサンタ服を脱いで頭を下げながら「帰ったほうがよろしいですか」と言う。

え? いつのまにサンタ服脱いでたの?????笑

思わず巻き戻して(今は何と言えばよいのだ?)言い争いの場面を見直した。

…家族の言い争いが始まると師島君がひっそりとサンタ服を脱いでた笑笑笑笑笑笑。全く見ていなかったわ。一人で「いたたまれない師島君」の演技をなさってました。

人の注意力は面白いね。師島君が家族の言い争いの間にサンタ服を脱いでいたとは全く気付かなかった。驚いた。まったく見ていなかった。だから巻き戻して見直してびっくり。また笑う笑う。すごくおかしい。

そして順基が帰ってくる…ダウンコートを着てる!!!また言い争い勃発。順基が「仁さんだよ…」と言えば「ぴっ」と笛が鳴る笑笑笑笑。爺ちゃんのむっとした顔。「指輪…」の言葉で「カーン」とゴングが鳴る。…この家族は止まらない笑笑笑笑。最高  いつのまにか師島君がまたサンタ服を着てる。椅子の上にはサンタのチョーさん。全部がコント。絶妙なタイミングのコント。すご~い。


そして最後に爺ちゃん…おい~、それはないぜ!

私もし家に「あのようなもの」が突然現れたら怒るね。ものすごく怒る。大変やん。異様。爺ちゃんすごい買い物をしたもんだわ笑。男たちが皆で脱ぎ始めるコント笑笑笑。…でもなんだか最後は皆笑顔。

楽しかったです。全員に親しみがわいて毎週楽しみでした。これで終わったのが名残惜しい。悠作ちゃんはとうとう結果を出したわけね。それがドラマになっているという。いいオチ。綺麗にまとまった。


すごく楽しいドラマでした。 悠作ちゃんのだらしのなさのリアルさに感心し、口の立つ高校生・順基の屁理屈が面白く思わず拍手をし、爺ちゃんの暴走に毎回笑う。そして万里江さん(小池栄子)の輝きとカリスマに安心し魅せられる。お洒落なお婆ちゃん(高橋惠子)の自由さも素敵、ダンディーな土門さん(北村一輝)、れいらちゃん(平澤宏々路)の可愛さ、そして師島君と熊さんもすごくいいキャラ。皆さんがすごく印象に残るドラマ。

そしてチョーさん。あの猫さんはなぜあれほどおとなしいのだろう。クリスマスの日はサンタの帽子をおとなしく被っていた。えらいね。なぜあんなに沢山の人々に囲まれてじっとしていられるのだろう。たまにイカミミで悠作ちゃんを嫌がってましたね笑。とにかくチョーさんがおとなしいのでタレント猫さんはすごいなと思った。…うちの猫は隠れて出てこなくなるから絶対に無理。


最後は悠作ちゃんの漫画が完成してまとまったけれど、この家族はまた見たいな~。時々また深堀家の話が見たいな~と思いながら見終わった。面白かったです。感謝感謝。



2024年1月9日火曜日

お猫様H:移動する猫



猫さんが猫部屋から出てこなくなってあまり面白い写真が撮れなくなった。またまたアングラマラスなお写真。猫部屋ベッドで人間とだらだらすごす様子。



それにしても猫さんはなぜマスターベッドルームに来なくなったのだろう。去年ちょっと前に寒くなった頃、やわらかいブランケットを出してマスターのベッドの上に広げたら猫さんは一晩だけ一緒に寝てくれたのだけれどそれが1回きり。そもそもここ数年、猫さんはマスターBed Roomに来ない。寒いからだろうか。窓が大きいので落ち着かないのだろうか。
そんなわけで猫さんは毎日2ndベッドルーム/猫部屋で寝ている。人間も誘われてついつい一緒に寝ると猫さんは人間の膝のあたりにお尻をくっつけて寝る。それが2日ほど続いてまた人間がマスターBed Roomに戻れば猫さんは翌日ご立腹。「なんで一緒に寝ないのだ」と散々文句を言われる。だから人間はまた猫部屋で寝てしまう。


去年11月に古いカメラを落として壊した。注文した新しいCanonのカメラがクリスマス直前にやっと届いた。思いがけずクリスマスプレゼントになった💕。忙しくてまだ箱も開けていない。


2024年1月7日日曜日

MEUTE - REJ (Âme Rework) (2016)



それらしく聴こえる



MEUTE - REJ (Âme Rework)(2016)
Rej – Single
MEUTE
Released: January 15, 2016
℗ 2016 TUMULT

MEUTE - Rej (Live in Paris)



米国で放送されているBBCの番組で録画予約をしているものがいくつかある。Stephen Sackur氏による毎日の『HARDtalk』。それから不定期ではあるが、John Wilson氏による『This Cultural Life』。ドキュメンタリーの『Panorama』等々。不定期の放送のものは思いついたようにたまに放送され、それが自動的にHDに録画される。

数日前に放送されたのが『This Cultural Life』でのJeremy Deller氏のインタビュー。Jeremy Deller氏は2004年の英国ターナー・プライズ(モダンアートの賞)の受賞者。英国でのオリジナルの放送は2023年6月12日。


なぜこのブログの音楽ページでJeremy Deller氏の名前が出てくるのか?

Jeremy Deller氏とは英国のコンセプチュアル・アーティスト。1966年生まれの現在57歳。このお方は30歳ぐらいの頃(1995年頃)、よくロンドンのクラブに入り浸ってアシッド・ハウス等で踊っていたらしい。そこで思いついたのが、クラブで流れるダンス・ミュージック…Acid HouseやDetroit technoをブラスバンドで演奏するというアイデア。早速1997年にマンチェスターのストックポートのブラスバンドWilliams Fairey Brass Bandとのコラボを開始。そのプロジェクトはAcid Brassと呼ばれ、評判になった。

ローカルのマーチング・バンドのおじさん達がハウスやテクノを演奏するという面白さ。その様子が上記の番組内で紹介されていて面白いと思った。
 
 
Acid Brass - Jeremy Deller - The Culture Show (24/02/2012)

これは2012年のインタビュー。ちょっと微笑ましい。おじさん達はかなり戸惑ったらしい「繰り返しが多くてこれはだめだろう」などと言っている。しかしライブで演奏したら観客が踊り始めて、おじさん達も楽しくなったらしい。


ブラスバンドでテクノ。面白い。他にも同じようなことをやっているグループはいるだろうか? そこで「ハウス」と「ブラスバンド」のお題でYouTubeを検索。引っかかったのがこのドイツ・ハンブルク市のバンドMEUTE

MEUTEの結成は2015年。ブラスバンドでありながらこのバンドの演目はTechno、house、deep house。ブラスバンドがゴリゴリのクラブ・ミュージックをやるというアイデアは、上記のJeremy Deller氏のAcid Brassと同じ。Acid Brassが一過性のアート・プロジェクトだったのに対し、こちらのバンド・MEUTEは現在活動中のライブバンド。

おそらくこのMEUTEはJeremy Deller氏のAcid Brassとは関係ないのだろうと思われる。しかしもしかしたらDeller氏の1997年の試みにインスパイアされた可能性もありますね。

YouTubeで彼らの曲をひととおり聴いてみて一番好きだったのが、ここに取り上げた曲「Rej」。2016年のリリース。元曲はドイツのhouse/techno duo、Âmeの曲。このMEUTEのカバーver.が動画サイトで評判になったそうだ。

元曲Âme - Rej (2005) もいい。シンプルです。


Âme - Rej (2005)
Album: Rej
Âme
Released: January 1, 2005
℗ 2006 Defected Records Ltd


電気を通さないアナログの楽器で電子音楽をやる面白さ。こういう音楽の実験は英国や欧州圏のミュージシャンが面白い。


★MEUTE
ドイツ・ハンブルグ市出身のブラスバンド。メンバーは11人。自らを「ドイツのtechno marching band」と呼ぶ。主に良く知られたDJのtechno、house、deep houseの曲をカバーすることで知られる。マーチングバンドの楽器で今どきのグルーブを奏でる。違うジャンルを組み合わせることで、新しいジャンルを作ろうとする試み。欧州各地から米国、南アフリカ等の様々なロケーションで演奏している。

★Âme
ドイツのhouse/techno duo。メンバーはKristian BeyerさんとFrank Wiedemannさん。2001年から活動開始。


2024年1月4日木曜日

能登半島地震 ─ 寄付・支援情報



この度の能登半島地震で
被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興をお祈りいたします。


★NHK による様々な支援情報

能登半島地震 義援金・支援金の受け付け始まる 窓口まとめ【随時更新】

能登半島地震 現地に支援届けるには 寄付先や注意点は
リンク有(2024年1月10日付)


2023年12月29日金曜日

映画『ゴジラ-1.0/Godzilla Minus One』(2023):最高の怪獣映画+人々の再生の物語







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『ゴジラ-1.0 (2023)/日/カラー
/2h 4m/監督:山崎貴』
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昨日見た。よかった。うん。これは文句なし。傑作。


…私にとってゴジラとは、とにかく破壊破壊破壊しつくしてくれればいい。恐ろしく荒ぶるゴジラがいい。徹底的に大暴れして欲しい。そしてまた人間が負けずにガンガン戦ってくれさえすればそれでいい。

キェォ~と叫び声をあげドドドドドドと大きな音を立て荒ぶるゴジラに人間がドヒューンドヒューンとミサイルを打ち込み、空からはババババッバババババッと弾を打ち込むとゴジラがキィガァーと叫べばまたドヒュンドヒュンドヒューンと人間が頑張る。最後はタメがあってボォオオオオオオオとゴジラが熱線砲を吐く…と派手にやってくれれば、ワタクシは顎がはずれたように口を開けたまま目を見開き鼻息も荒く茫然とスクリーンを見つめる。それこそがゴジラ映画。…それだけでよいと思っていた。


しかしこの映画が描いたのは人のストーリー。少し驚いた。戦争を経験した世代の方々への敬意も感じる。決して薄い話ではない。


時は戦後。登場人物達は皆何らかの傷を負っている。市民は家族を失い、軍人は「十分に役に立てなかった」「仲間と一緒に死ねなかった」と悔やむ。主人公の敷島もPTSDと後悔に日々苛まれている。

そこに襲ってきた巨大怪獣ゴジラ。米国は助けてくれない。政府も何もできない(ソ連を刺激する)。そこで元海軍の軍人達と兵器開発のエンジニア/科学者、(中小)企業の人々がゴジラ打倒のプランを実行する。残っていた戦闘機・震電に乗ってゴジラを誘い出すのは元特攻隊員の敷島。

傷を負った者達、「まだ戦争が終わっていなかった」者達が自らの再生のために戦う。全員が一丸となって巨大怪物に立ち向かう話。


感動しますよ。


私は普段からあまり泣かないのですけどね。いやぼろぼろ大泣きしたわけではないけれど。色んな場面でじわっときた。様々な思いが心をよぎった。いい話です。

ゴジラの映画なのにテーマは「戦争の傷からの人々の再生」。

人物達は、元特攻隊員、整備士、海軍の軍人達と技術班、兵器開発の科学者と中小企業の人々…彼らは全員それぞれがたった数年前まで国を信じ命がけで敵と戦っていた人々。「お国のため」の言葉になんの躊躇もなかった人々。そんな彼らの「生きる理由と目的」は「敗戦」により行き場を失った。

敗戦、失望、無念、後悔、そして彼らの「人の命を大切にしなかった」政府への複雑な気持ちなどなど…まだ「終わっていない」様々な思いを胸に…人々はまた立ち上がる。今度の敵は究極の怪物。


そして見どころはもちろん最高のアクション。ゴジラとの戦闘シーンに燃える。これがもうただただ嬉しい。興奮する。

私はどっぷりと昭和の平和教育の育ちだけれど…しかしなんだろうねこれは。燃えますね。私の中の「男の心」がアクション・シーンに震え立つ。昔からそう。子供の頃にも火を吐く怪獣や戦闘機や馬の絵ばかり描いていた。だから私は燃えるのだこういう映画に。心がメラメラと燃える。心が震える。だからこの映画はもうたまらん。膝の上に置いた手を握り締め興奮に震えながら目を見開き口も開けてスクリーンを見る。

特に怪獣/怪物相手の戦闘シーンに燃える。人間の戦争は全く見たくないのだけれど、架空のモンスター相手は異様に燃える。嬉しくてたまらん。この映画は戦闘の名場面が沢山。やり過ぎないCGが自然でまるでこういう生き物が存在するかのようなリアリティ。すごくいい。



★ネタバレ注意



このゴジラはいいぞ~。海から頭を出して泳ぐ。まるで怒り狂ったカバが水の中を泳いで船を追いかけるようだ。怖いね~。あんな小さいボートはひとたまりもないぜ。

そして機雷をゴジラに送る人間達。ぉおお頑張れ。よしっ口に入った。敷島はコントロールがいい。命中! おっと~ゴジラは平気だ

そして上陸するゴジラ。上陸したゴジラはちょっとゆっくりです。ドスン、ドスンと歩く。大きな足が一歩一歩踏み出す様子がリアルでいい。そして熱線砲はすごいぞ。ためにためて…なんだか興奮しすぎてそのシーンをあまり覚えていない。巨大な雲が出ていたな。そうそう。敷島が浴びた黒い雨は大丈夫なのか。

典子は握力が強い。大人はあれほど長く鉄棒にぶら下がれないものなのですよ。典子はずいぶん長くぶら下がっていましたね。そして海に落下。しかしその後普通に街を歩いていて驚いた。典子は不死身。


今回は(どちらかと言えば)海の中を泳ぐゴジラのほうがいい。泳ぐゴジラが最高にいい。戦いの場が海の中だから戦艦が出てくるわけだな。いいですね~。

昔から「バトルシップ」とか「戦艦」という言葉に私は燃える。「艦隊」の言葉の響きもかっこいい。だからあのバトルシップが並ぶ場面にも超興奮。かっこいい。もうかっこよ過ぎて嬉しや嬉しや。いいですね~。船がゴジラに向かうシーンだったかな… ダダダッダダダッダダダダダダダ…とあのテーマソングが流れる。ぅおおおおお震えるほど興奮した。


作戦名は「海神作戦(わだつみさくせん)」。

作戦は途中まで成功かと思った。深海でゴジラが止まる。おっと息がとまったか。よし、次は東洋バルーンの浮上作戦開始。ものづくり日本の企業の力を見せてやれ。ところがまたゴジラが止まる。どうした。浮き上がる噛み切られた風船の端切れ。ぉおおおおおおお~敵もやりやがる。く~。

というわけでじゃあゴジラを引っ張り上げようぜ。戦艦が両側から引っ張る。うーんパワー不足か。そこでやってくる小型船隊~きたーっ!水島(山田裕貴)がやってきた。またまた興奮興奮大興奮。涙が出そうになる。

そして上がったゴジラ。水圧の変化…全然平気だったっぽい。


そして敷島/神木隆之介くんの大活躍。もう~これが無茶苦茶かっこいいのだ。震電に一人乗り巧みに機体を操ってゴジラを惑わせる。この飛行機の後ろから撮るカメラワークがも~~~燃える。かっこいいぞ。機体は下のゴジラを見下ろしながら降下。ガラスのドームの中の神木さんの頭。その向こうに海の中のゴジラが下で口を開けているひ~。この時の神木さんの戦闘モードの表情がもう素晴らしい素晴らしい素晴らしい。かっこいいぞかっこいいかっこいいかっこいい。

あ~しかし、この後彼が何をするつもりか観客はわかっているのだね涙。しかし敷島の心は変わらない。決死の覚悟でスピードを増す敷島。…もうこの辺りで涙じわじわうるうるが止められない… ヤメテ 涙じわじわ


そしてその衝撃の後…………


あっ ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ…やった~~~~。ぉおおおおおおお満面の笑顔。そうかそうかそうか、よくやった、よくやったよくやった。ありがとうありがとうありがとう。

感動するわ。整備士の橘(青木崇高)のメッセージがいい。ありがとうありがとう。

そう。これはとても大切なメッセージですよ。整備士・橘も彼の後悔「終わらなかった戦争」に決着をつける。



思いつく限りのありとあらゆる様々なOKボタンをことごとく押して押して押しまくった見事なストーリー。

戦争/過去の間違いを否定しながらも過去を侮辱することなく、戦後の時代になお漂う人々の複雑な心を無視することなく取り上げた上で、フィクションの敵「ゴジラ」を登場させることにより、戦後を生きる者達のロストソウルを救い、(彼らの)過去に囚われていたそれぞれの思いに決着をつけさせ、人々が次の時代へ繋がる自信を勝ち取る…人々の再生の物語。

「終われなかった者達」は思いを遂げ過去に決着をつける。彼らは国や誰かに強制されることなく自らの強い意志で立ち上がった(←これ大切)。そして脚本はまた、戦争に行かなかった若者・水島(山田裕貴)の軽口を敷島が諫めるシーンで、無知のために「戦闘に憧れること」への警告も忘れない。…これは世界に胸を張って売れるストーリー。なにもおかしくない。隙がない。本当によく練られた話だと思います。


どの角度から見ても(アクション、戦闘、役者の演技、コンセプト…)この映画は素晴らしい。私はまず怪獣映画としてゴジラの戦闘シーンに無茶苦茶興奮した。倒れ行く高雄の最後の頑張り…壮絶なシーンに泣く。そして戦う男・敷島の決死のシーンに泣いた。そして人々の再生の物語にも、様々なお題のOKボタンの正しさと細やかさに唸りつくす。

役者さんが皆素晴らしい。みんな上手い方々。勇ましい顔が本気の神木隆之介さん、昭和の美人女優風浜辺美波さん、艦長・堀田の田中美央さんの威厳と低音、兵器開発・野田の吉岡秀隆さんの頭脳の科学者ぶり、整備士・橘の青木崇高さんの漢、隣人・澄子の安藤サクラさんのリアリズム、軍人・秋津の佐々木蔵之介さんの動じない笑顔、元気印水島の山田裕貴さん…皆それぞれ心に残るシーンがある。いい役者さん達に拍手。屋上でリポートする記者の様子は1954年オリジナルゴジラへのオマージュですね。沢山の役者さん達皆様に拍手。


ちなみに米国人の旦那Aも最高にいい映画だったと言っている。劇場を出て最初に出た言葉は「これほどいい映画は久しぶりに見た」。ゴジラが最高にかっこよくて最高にクール。大変興奮したそうだ。
今どきのハリウッド映画(ヒーローもの等)は映画全部がノンストップの全力疾走で休む暇もないが、この映画は緩急のバランスがよく(敷島の家の静かなシーンとゴジラのバトルシーンの違い)映画として見やすい。
そして登場人物達が昭和の映画の人物達のようにリアルだと感じたそう。普段は普通のおじさんたちが、戦うシーンになると強い男達に変わって真剣に戦う。彼らの世代こそが戦後の日本を立て直した人達だと納得する。素晴らしい映画。大変満足したそうだ。


この映画は、コロナが終わって初めて劇場で見た映画。やっと映画館に帰ってこれた。いい記念の映画になりました。最高にいい映画を見れてよかったです。


記念にうちのゴジラ猫